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02 17
2011

セラピー・自己啓発

言葉が不幸という幻をつくる

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思考や言葉を否定するトランスパーソナル心理学を読むようになって、ものを考えすぎると悲観やうつに傾く傾向に気づいた。なんにも考えない幸せを知った。

思考や言葉が自分を悲観に導くことを知った。それも思考や言葉というのはただの絵空事で、幻。そんなウソっぱちの思考のために苦痛を囲いこむなんて。自分の思考や言葉の毒を知った。

人はものを考えるから自分を不幸に陥れる。考えなければ不幸も幸福もない。言葉がそれを分けて、言葉が感情を生み出す。不幸を感じたならなにも考えないほうがいい。不幸は自分の考えが生み出すもの。言葉がそれをつくる。

言葉と思考という巨大な想像力が不幸をつくる。言葉なしの不幸なんて考えられるだろうか。言葉がないとどうやって幸福と不幸を分けられるだろうか。

言葉というのは想像でしかないのだが、その世界があたかも現実や、現実にあるかのように勘違いしてしまったのが人間のふだんの状態。いま、ほかのことに気をとられたり、ほかのことをしだすと、その世界はなくなる。考えないと存在しない世界を現実にあるものだと勘違いしている。

人は自分の頭のなかに思考とイメージの映画館をもっていて、それを見て悲しんだりうれしがったりする。でも映画は虚構で、ひとつの解釈や考え方のビジョン。現実の世界にいいも悪いも、楽しいも悲しいもない。自分の頭で色付けしているだけ。映画を一瞬で捨てることもできる。思考をストップすればいい。

「いまここにある」状態が人間のいちばん平安な状態。考えると不幸になりやすい。希望もあるが。

気分が先にあるという状態もあると思うが、気分を継続するのも、ふりはらうのも自分の意志で選択できるもの。気分に乗って思ったり考えたりするとその気分の継続を選択したことになる。気分を捨てることによって気分を選ぶことができる。


▼言葉が世界をつくるという見解は真木悠介の『気流の鳴る音』にくわしくのべられている。カスタネダのドン・ファンの教えをまとめたものだが。たぶんこの見解にふれるのとふれないのでは世界観はかなり変わる。

4480087494気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)
真木 悠介
筑摩書房 2003-03

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リチャード・カールソンの楽天主義セラピー自我の終焉―絶対自由への道無境界―自己成長のセラピー論人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)荘子〈1〉 (中公クラシックス)


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Comment

確かに考えると詰んできて苦しくなりますね。
アメリカの心理学者が言ってた「比較するという発想はうつ病的である」というのがありましたが、これも思考が暴走し他人と比較して俺はダメなんだ、みたいな考えになるんじゃないかと。

あとphotoshopにはまってるみたいですが、アクションファイルを沢山読み込んでおくと素敵な作品が努力無しにガンガン作れますよ。もう知ってたらすんません。

http://photoshopvip.net/archives/9812

クルックルさん、こんにちは。

比較というのは子どものときからだれそれさんがどうのこうのと比較されて育ちますから、人間の宿命みたいなものでしょう。いかにそういう考え方を断ち切るか、捨てるかが安心の要なんでしょう。比較に頼らない満足の方法を見つけるべきなんでしょう。

photoshopの件ありがとうございます。しかしアドビは高すぎて買えないので、GIMPというフリーソフトで我慢しています。
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