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11 10
2010

書評 社会学

『個人と社会』 オルテガ

個人と社会―人と人びと個人と社会―人と人びと
(2004/05)
オルテガ

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 十数年ぶりの再読である。むかし読んだより理解力がアップしていた。むかしあまり理解していないながら気になる本でありつづけたのたので再読のリストの上位にあった本であった。

 オルテガは社会とはなにかと基本的なことを問うた。人々は慣習や役割に縛られているが、それはだれが命じ、だれが主体となっておこなっているのか。

 警察がわたしの道をさえぎるとき、わたしたちが握手するとき、それはわたしがおこなおうと思っておこなうのではなく、警察や国家の命令であったり、わたしがなそうと思って主体的になすのではない。そのとき、わたしは「わたしではない、だれでもない慣習や役割」の機械となり、ロボットとなるのである。だれでもない慣習というものに乗っとられるのである。オルテガは社会のこのような不気味な役割・装置を根源から問うた。

 世界に主観的にあらわれるのはわたしの意識だけという事実から出発して、世界や事物との見え方・かかわりから哲学的・現象学的な考察をはじめ、他者の出現や社会のありようを探ってゆく。ふだんこういう世界のありかたを内省してみることはないから、オルテガのこの考察は世界のありようにひじょうに目を啓かせてくれる考察である。

 物とのかかわりにおいて、物から応答や反応があらわれるわけではない。生きものや他者とだけ考慮しあうことや相互性がはじまる。社会的なものはここからはじまるのである。

 この世界はわたしのある前から人間によって構成されている世界に生れ落ちる。わたしが先にあるのではなく、第一人称は最後にあらわれてくる。すでにわたしは社会や慣習であったり、人々によって編み込まれた世界に生きるのである。

 主観のあらわれ、他者のありかたの考察はひじょうにフッサールの現象学にちかいものを感じさせる。シュッツの現象学的社会学とかエスノメソドロジーに似た考察をオルテガはこの本でおこなっている。社会学はそのような根本的な社会の概念すら定義していないから、こんにちの混乱があるのだと根本的に問うたのである。

 われわれの生の大部分は好みや考え方からするのではなく、人々がそうするからそうするものによって構成されている。そしてそれはだれか個人や創始者が命じるからそうするのではなく、特定のだれでもないものに従っている。不特定のだれでもない人、社会、集団、責任のない主体としてわれわれは行動し、話す。わたしは社会のロボットであり、慣習の機械であり、わたしの生はわたしのものではなく、個性をなくし、社会の誰でもないものの規範に従って生きているのである。

 集団は人間的ななにかであるが、人間不在の人間でないもの、精神不在の人間でないもの、魂のない人間的なもの、非人間化された人間的なものなのである。

 われわれはなぜ挨拶し、握手するのか。共通の慣習に従う宣言である。人が近づくことの危険で困難な出会いのためにかつては生き生きとした必要性が形骸化して、形式化したものが慣習である。人々の生の大半はそのようなものに支配され、圧迫され、生き生きとした生の大半を失うのである。

 慣習であるからという理由でそうするものは、よいと思ったり、理屈にあるからそうするのではなく、意味や価値を忘れてもなお、そうおこなわれているから、ほかに方法がないからという理由でそうするのである。慣習は石化された過去であり、ミイラであり、機械であり、時代錯誤な遺物である。

 そういうものの最たるものが言語や母国語であって、人々が自分が主体的に考えているものであっても、過去の遺物や慣習の枠組みのなかで非-主体的に考えていることになる。特定のだれでもないだれかが考えていることと同様なのである。われわれは社会を根本的に内部にかかえているのである。

 オルテガは社会を不気味なもの、恐ろしいもの、残酷で強制的なものを考えていたようだ。人は生まれながらにして社会の奴隷や機械として生きる。その大半は意味を失った過去の遺物や形骸化した形式によって構成されているのである。

 内面化された慣習をとりはずす作業を意識的におこなったのが神秘思想家のグルジェフである。反射づけられ、条件づけられた慣習を意志的に排除しようとしたのはそのような人である。禅や仏教も言語や条件づけられた反応や欲望を断つという意味で、慣習からの離脱をめざしたものだといえるだろう。

 そしてそういった宗教や神秘思想というものは社会から怪しいものや忌避されるものと思われている。社会が社会化された内面を排斥しようとする運動や考えを排斥しようとするのは故なきことではないのである。じつは宗教忌避のベールの向こうには、社会からの解放があるからこそ、不気味であやしいというベールに覆われていると考えるのが妥当かもしれない。


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