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10 30
2010

社会批評

AKB48『偉い人になりたくない 』戦略は勝ち抜けるか

 AKB48の『偉い人になりたくない 』をはじめて聴いたがすごい歌詞だ。上昇志向をまるっきり否定した曲だ。こんなのを歌うかと思った。聞きとりにくいのでまずは歌詞のほうからどうぞ。「楽曲情報」




 しかしこのような曲は突発的に歌われたのではない。若者にはこのようなメンタリティはごくふつうといえそうだ。高校生の調査では「えらくなりたいか」の問いに対してたったの8%しか答えていないことを見ると、若者のアンチ上昇志向は圧倒的なものになっているようだ。この曲は若者の声を代弁したもののようだ。
(「偉くなるよりのんびり生活 日本の高校生、出世欲最低」 /47NEWS)。

 わたしも偉くなるより自分の好きなことをできる人生を志向してきたのであるが、この人生にも危うさはある。いわゆるフリーターや非正規で生きることになるかもしれないし、世間やマスコミはワーキングプアや下流階級だと叩く。アンチ出世志向では金持ちや地位も得られないし、正社員や定職といった従来の「ふつう」や「堅実な生活」も得られないかもしれない。従来の生き方を全否定して生き抜く、あるいは勝ち抜くことはできるのだろうか。

 『下流社会』の三浦展は自分探しや自分らしさにこだわる若者は下流になるといってる。『ハマータウンの野郎ども』を書いたポール・ウイリスも優等生的な生き方を否定して男らしい生き方を選んだものは労働者階級に閉じこめられるといっている。上昇志向否定の考え方は下層階級の再生産になるといっているのである。この上昇志向否定の生き方はかれらに後になにをもたらすのだろうか。

 もしエンターテイメント産業や文化産業で生きてゆくことができるのなら自分らしさで生きることは将来の成功をもたらすかもしれない。学業を否定してもこの業界では関係なく自分の才能ひとつで食っていけるかもしれない。しかし従来型の学歴・大企業社会でかれは食ってゆくことができるのだろうか。けっきょくこのアンチ上昇志向はルーティーンワークにとどまるための慰めだけを与えるのかもしれない。

 戦後の企業社会はもう出世も上昇もむづかしい社会になってしまった。出世したくないのではなくて、もう出世できない、のぞめない時代を先どりしてムリな努力をしないということなのかもしれない。ポストが根づまりした社会では分相応に生きるほうが安らかだという知恵なのかもしれない。上の世代ではポストを奪い合っているのだからこれ以上ライバルがふえては困るのでちょうど聞き分けのいい新入社員になることだろう。

 成熟社会のポスト過剰社会では若者は野望や大志をいだかず、草食系や老荘のような大成した考え方がマッチするのかもしれない。従来の生き方を否定したというよりか、上やポストを奪い合わない、強奪の意志がないという白旗を先に上げているのかもしれない。老年世代はこれによってほっとしているのだろうか。ハゲタカのような若者が下から突き上げてきては困る、草をはむ牛や羊であれば安心だということだろうか。現体制の永続を願った保身適応なのだろうか。

 従来型の学校・大企業否定の生き方は、知識創造社会へのドアを開くのだろうか。学校や大企業の適応の生き方は工業社会での成功適応戦略である。自分の楽しみや喜びより工業社会の要請や規律に合致した生産能力を育てる生き方である。

 これから知識・文化創造の社会になるとしたら、工業型の生き方・取り組み方は時代遅れになり、次代の適応を阻害するかもしれない。自分らしさや自分探しは知識創造社会においては適合的かもしれない。しかし工業型の社会常識や規律がまだつづくとするのなら、この戦略・生き方は工業規律社会からの脱落と疎外しかもたらさないだろう。ニートや下流といわれる生き方にしか落ち込まないだろう。自分らしさははたして次代の知識社会の適合戦略になるのか、あるいはたんなる下流と下層階級の再生産にしかならないのだろうか。

 学校型の知識と工業型の規律・業務スタイルと、エンタメ・知識社会のはざまにおいて、アンチ上昇志向はただの脱落にしかならないのか。それとも次代にそなえてのすでに適合戦略なのだろうか。

 自分探しや自分らしさを求めることは工業社会の規範においては三浦展が指摘するような下流の生き方かもしれない。学校の勉強もせず、優等生的でもなく、企業生産において上昇志向をもたないで自分の楽しみを優先する。これが次代にやってくると思われる知識・文化創造社会が花開くとするのなら、適合的になることだろう。

 しかし生産や貨幣の流通において知識・文化創造のカルチャーが大衆的に花開いているわけではない。マスコミや一部のクリエイターのものだけになっている。一般の人たちが自分らしさ、自分探しをしてもただ消費するだけの存在にとどまっており、工業-サービス社会の段階では貨幣を稼ぐことはできない。たんなる受身的な消費者にしかなれずに下流や非正規のワーキングプアにおちいる可能性が高い。

 ネットによってクリエイターの民主化・大衆化がおこるとするのなら、自分らしさの創造者は貨幣の受益者になれる可能性は開かれている。はたしてネットはそのような創造による大衆化・民主化をもたらすだろうか。工業-学歴社会のアンチ成功は創造者の受益をもたらすだろうか。

 そのようなインフラがととのう社会になるかどうかの境がアンチ上昇志向が凶と出るか吉と出るかの境なのかもしれない。次代の成功者になるか、それともただのワーキングプアとなるのか。貨幣が文化や創造で回るようになるかどうかにかれらの未来はかかっているのかもしれない。しかしはたして創造による貨幣流通の時代はくるのだろうか。いささか夢物語に思えるが。


参考・関連文献
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)パワーシフト―21世紀へと変容する知識と富と暴力〈上〉 (中公文庫)クリエイティブ・クラスの世紀ドラッカー名著集8 ポスト資本主義社会


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