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07 22
2010

労働論・フリーター・ニート論

労働時間の決まり方をラディカルに問い直せ

 人生の時間はだれのものだろうか。社会人になればたいていの人は朝から晩まで会社に売り、人生の時間は自分の手元にほとんど残らない。わたしは少しの時間で多くを稼ぐ方法もできたはずだし、少し働いて少ない収入に満足して暮らすという方法も可能なはずである。

 でもたいがいの人は朝から晩まで会社に拘束される。だれがこのような労働時間が人生を奪う規範を決めてしまったのだろう。

 まずは長時間働かないと生活費がまかなえないという時代があったのだろう。会社は商売なら安く買って高く売って利益を得るところである。労働者も安い給料で長時間働かせたほうがお得である。長時間働かないと生活ができないという了解ができあがったのだろう。労働者はほんらい短い労働で高収益を得るという商売心をもつべきであった。

 しかし日本のばあい、労働は道徳や規律になった。労働は商売ではなく、社会人としての義務やたしなみ、成人である条件になった。利益行動を求めた商売ではなく、なんとなく道徳行為や規範行動となってしまった。長時間働くことがエライこと、社会人としての条件、規範行動となった。労働というのは社会人の道徳となったのである。

 人生の時間はだれのものだろう。ほんらいなら人は自分の時間で好きなことをしたり、趣味に費やしたり、怠けて暮したいと思うだろう。人生の時間を好きに過ごしたいと思うはずである。しかし日本のばあい、そういった欲求は禁圧された。働かないと食えないのだし、長時間働かないと満足な給料が得られなかったからだ。自分の時間などほしくても得られないものだった。だからあきらめるほかなかったし、それを道徳や規範としての行動で覆い隠すしかなかった。あるいは社会の役に立つうれしさや仲間と働くことの楽しさにその欲求を埋めるほかなかった。

 道徳になれば長時間労働をはるかに安価に手に入れることができる。カネのためにではなくて、道徳や規範行動としての労働を提供してくれるからだ。労働者は採算を無視したアンチ商売魂で働いてくれる。つまり儲けにならない長時間労働を安価で提供してくれる。会社にとってこんなオイシイ話はない。道徳や労働イデオロギーバンザイである。道徳は安いカネで長時間働いてくれる愚かな労働者を提供してくれる。計算ができる人なら十円二十円の利益のために長時間働く愚やムダをわかるはずなんだが、日本の労働道徳はそれを推奨してきたのである。

 会社というのは利益計算がちょくせつ見えなくなるところなのだろう。少ない利益に長時間費やすムダが見えなくなる。カネの流れが見えなくなる。巨大なブラックホールである。月給制や時間給は出来高制のようなちょくせつ目に見える利益計算を見えなくさせて、採算無視の行動をとらせやすいのだろう。外部との市場との取引ではなく、会社との取引で働いてしまう。

 会社は労働者の全時間を吸いとったほうがお得である。できるだけ長時間働かせ、休みを少なくしたほうが利益が出る。会社の論理というのはどこまでも労働者の時間を吸いとることが最大の利益である。しかし労働ばかりではだれでも不満がたまる。休日や労働時間削減を図らないとベテラン従業員がやめていってしまう。従業員ひきとめのために不満をおさえるかたちで休日や労働時間削減がおこなわれてきたのだろう。利益や儲けが出る会社は時間の還元というかたちでも返さないと従業員の不満をおさえられない。

 先進国の基準というかたちで日本は政府が休日や労働時間削減を与えてきた。お上からの恩赦がないと日本の休日や労働時間削減はおこなわれなかっただろう。会社は安く長時間働かせることがお得なのである。不況になれば人員を減らしてひとりの従業員を多く働かせないと経営が危なくなる。会社はいつもそういう誘引に誘われており、中小零細企業ではその誘引が勝ってしまう、あるいは利益のために安長の働かせ方をさせざるをえないところも多い。従業員はそこで採算度外視の道徳行為に走らざるをえなくなる。自営業者と考えるのなら失格だが、対企業との関係でそれは相殺される、あるいはそう思い込んできた。日本での労働は商売ではなく道徳なのであるから。

 労働時間や労働日数の取り決めなんかほんらいは基準などない。週休三日、五日の働き方もできたはずだし、休日祝日の日数も120日ではなく、200日でも、250日でもできたはずである。もっともそんなに休めばだれも利益を出せないだろうが、少ない収入で自由な時間を楽しむというオプションもあったはずである。なのに日本の労働時間、日数はなぜ今日のようなものに決まってしまったのだろうか。なぜ多くの人はスタンダードな働き方をしなければならないのだろう。人生の自由としては多様な労働時間、日数で働くこともできたはずである。

 それはもちろん買い手としての会社の論理、権力関係で決まってきたのだろう。会社は従業員の全時間を吸いあげたほうがお得である。労働者の力が弱いとその論理だけでつっ走ることになる。いまのところは会社の論理で多くが決まっている。長時間働かないと生活費がまかなえないという時代が長くあったからだ。

 権力関係、需給関係が崩れるとたとえば次のようなことがまかりとおる。私立大学の入試で本命の大学の結果を見る前に入学金を支払わなければならなくなったり、それは本命に受かってても返還されなかったことが普通の慣行としてまかりとおってきたし、賃貸では礼金敷金や更新料という意味不明な慣行もおこなわれてきた。権力のバランスが崩れていると理不尽なこともあたりまえのこととして存続するのである。会社が従業員の全時間を自由につかっていいという慣行こそ理不尽な権力の最たるものではないか。それも労働や社会貢献にまつわる道徳というオブラートにつつみかくされるのである。

 しかし豊かになると労働者にオプションがとうぜん出てくる。出世もいらない、お金もたくさんいらない、買いたいモノがたくさんあるわけではない、自由な時間のほうがもっとほしいとなる。労働者に選択のオプションがふえる。生活のために長時間会社に売らないと生きてゆけないという原生的関係から脱すると、長時間拘束のコストが見合わなくなる。長時間働く利益がなくなってしまうのである。長時間労働は会社だけの利益になってしまう。

 なぜ長時間労働のスタンダードな働き方は今日も趨勢を保っているのだろう。それはおおぜいの人が労働を慣習にしたがって働くものだと思っていたり、道徳のようなあいまいな基準でとらえているからだろう。超自然現象のように労働慣行をとらえている。こういう人が多くいれば労働者のスタンダードの基準は高くはねあげられ、ハードルの高いものになるだろう。

 低賃金長時間労働に従事しておれば会社との関係は安泰と思う人が多くいれば、そのような人材を多く手に入れられる労働市場はこの基準をスタンダードにできる。劣る人を市場からはねられる。労働者間の安売り競争によって会社は長時間低賃金の労働者を手に入れられるわけだ。

 労働時間の決まり方をラディカルに問えば、労働者はもっと強い権利を手に入れられるかもしれない。わたしたちはただ慣行やスタンダードな基準という理由で今日の労働時間をあたりまえのものと思っていないだろうか。そのためにわれわれの人生の貴重な時間や働き方はダンピングされているのではないだろうか。

 今日あるものが今日あるような理由や基準なんてひとつもないのだ、そう考えることはわたしたちの人生の自由や幸福を増すひとつのきっかけになるかもしれない。

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Comment

仕事を目一杯やらないと遊びやプライベートも
充実しない、とか言うのは国家上層部の陰謀です。

ごく普通に考えて自分の時間がないと、
人生は充実せず、物事を深く考える機会も奪われ
気がつけば自己の空洞だけが残ります。

収入が少なくてもいいから自分の時間を確保する。
これは大変重要なことと思います。

社会通念のひび割れ

働かないと食えないのだし、長時間働かないと満足な給料が得られなかったからだ。自分の時間などほしくても得られないものだった。だからあきらめるほかなかったし、それを道徳や規範としての行動で覆い隠すしかなかった。あるいは社会の役に立つうれしさや仲間と働くことの楽しさにその欲求を埋めるほかなかった。その通りでしょうね。それが価値観になって、本来の人間性が省みられなくなった。「仕事さえ、していれば多少あくどくても社会的に認られる」、立場の違う部下にもその価値観を教え込む。ところが今はそれでは、人はついてこない。そのうえ仕事そのものが無い。そういう利益至上主義の延長に、リフォーム詐欺、瓦の修理詐欺、また振り込み詐欺なども発生しているのだと思います。様々な詐欺の横行は、間違った仕事至上主義の論理的ひび割れだと思います。社会変化のために(平均的貧困化)実際まともな仕事の発注が無い、ということが根本だと思いますが。

名なしさん、こんにちは。

会社は長時間働くものを上に、短時間働くものを下にして、人の自尊心に攻撃をかけて労働を推奨します。

会社にしか評価軸をもたないと、いずれ会社の評価軸が勝ち、わたしは自分の時間をうしなってゆくことでしょう。

自分の時間を確保したかったら、どうやったら社会的な評価軸からはなれても自分を満足できるか策を考えなければならないのでしょう。

Bruxellesさん、こんにちは。

日本には仕事をしていれば、まじめでまともな人だというステレオタイプがありますね。

押し売りや詐欺師的な商売をやっている人もまともなサラリーマンとしての顔をもつことができますね。

振り込み詐欺もサラリーマン化してきたといわれますが、悪事であっても企業化すれば、罪悪感がうすれるという効用があるのかもしれませんね。

働くことが善という低い労働観の基準が、悪徳業者がのさばることを許しているのかもしれません。

まずこの国が稼ぎ、奪われないこと

うえしん様こんにちは。
少し経過した記事にいまさらすみません。

少し前に、日本起業の利益率の低さが週刊誌に登場していました。JALの話題の時に入れようと思ったのですが記憶があいまいで。

社員に給料が出ないはずです。精神論のみで戦略のないビジネスで負けているとかもあると思うのですが、やはり日本の富が流出するしくみが出来上がっているのではと感じたりもします。

何十人もの外国人が入国後すぐに社会保障の申請とか、子ども手当とかの見える部分もそうですが、欧米の洗練された搾取にハマっているのではと。ゴシップ好きの陰謀論!?いや、実は上流階級の人に会う機会があったのですが、意味深な話を聞かせてくれました。詳細はごめんなさい。

fn.lineさん、こんにちは。
かみあわない話かもしれませんが、すいません。

使う側と使われる側、雇う側と雇われる側ではずいぶん視点と考え方が違うものです。

雇われる側だけの視点にたつと「あれもくれ、もっとくれ」という話ばかりになるのですが、雇う側も「もっとくれ、もっと出せ」という一方の視点に固まりやすいのでしょうね。

日本の大多数の人は雇われるほうがおおいと思うのですが、雇う側の視点や力学でものが決まることがおおいようですね。労働者も奪う側の視点に同一化することがおおく、そのために損な役割を負っている気がします。

支配階級に気に入られるようにその視点に同一化する人がおおいのでしょうが、やはり被支配者階級は自分たちの利益の視点から考えるべきだと思います。おたがいの利益は対立することを思い出せ、わたしはそういいたいです。
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