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07 10
2010

レイライン・死と再生

和歌浦は飛鳥にとっての死者の国か? 和歌浦―飛鳥レイライン

 しょうこりもなく、和歌山のレイラインを引いてみた。飛鳥や葛城のレイラインを引いていると距離は遠いのだが、和歌山市の聖地とどうも結びつく。関係はあるのだろうかと現地調査とGoogleマップで検証してみた。ところでGoogleマップで近江レイラインと京都レイラインが三千ビューをこえたのだが、だれが見ているのだろうかナゾだ。

 古代の飛鳥にとって和歌浦は冬至の太陽の沈むところ――死者の国だったのだろうか。冬至の日の沈むところは一年の太陽が死ぬところであり、いわば今日のクリスマスの聖所のようなところだったのかもしれない。太陽はそれから約一週間後の元旦に新しい年の太陽として生まれ変わる。

 和歌浦は飛鳥時代の万葉集によく詠われたように景観の美をほめたたえられているのだが、レイラインマップからは冬至の日没ラインだったという事実がうかんでくる。一年の太陽や死者が帰ってゆく国や浄土を見わたす場所が和歌浦だったのかもしれない。

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和歌浦から飛鳥への夏至日の出ライン 例によってごちゃごちゃしたワケのわからない地図になったが、大要は和歌浦から飛鳥への夏至日の出ラインがつながっているということである。葛城山や金剛山を通過して飛鳥や三輪山へのラインに和歌浦はある。

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和歌山市の聖所 手前が和歌浦であり、和歌浦天満宮、塩竃(しおがま)神社、紀三井寺、竈山神社、和歌山城、紀州一の宮日前宮が見える。この夏至日の出ラインの向こうには飛鳥や葛城山、金剛山がある。

 和歌浦の特徴として平地にぽこぽこと小さな山がうかんでいる。これは近江の聖地である三上山や観音寺山、轍山とよく似た特徴である。この地形をみてレイラインの好みそうな地形だとわたしは思った。平地にぽこっとうかぶ山は大和三山の耳成山、天香久山、畝傍山にも共通する景観である。レイラインマークや山アテとして機能しやすい景観なのかもしれない。

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塩竃(しおがま)神社 海につきでた場所に岩山の洞窟が神社として祭られている。安産の神であるように古代では大地母神、大地がうみだす食物や豊穣の母胎だと考えられていたのだろう。古代の人は大地にも人間の母体が生み出すような子宮があると考えた。そのような場所が大地の裂け目である洞窟などに求められたのである。

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塩竃神社は巨大な岩盤のような玉津嶋の舳先にある。かなり目をひく奇観である。玉津嶋はむかし潮の満ち引きによって陸とつながったり、海にへだてたりしたそうだ。そういった聖地ではフランスのモン・サン=ミッシェルがあるだろう。

塩竃神社から夏至日の出ラインには竈山神社があり、金剛山がある。竈山神社は神武天皇の東征のさい、日下で長髄彦(ながすねひこ)との戦いによって負傷した兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が葬られたところである。日下で太陽の向きにそむいたから負けたといって熊野から再上陸する。神武天皇には太陽の象徴が色濃くこめられており、太陽の力の加勢を頼んでいるのである。

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塩竃神社の裏手には妹背山があり、いまも海の小島としてうかんでいる。玉津嶋や付近の小山も海にうかんでいる時代があったのだろう。

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和歌浦には地層がいくつも折り重なってできあがった地盤が多くむき出しになっている。玉津嶋も妹背山もすべてそういった地層でできていた。おまけにこんな岩盤から松の木(?)がつき出ている。塩竃神社洞窟でも木の根が祀られていた。

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天神山の中腹に位置する和歌浦天満宮。この聖地からの夏至日の出ラインには金剛山の千早城跡があり、葛城一言主神社があり、天香久山、長谷寺がある。飛鳥人はこのラインを意識していたのだろうか。

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日前宮。紀州一の宮。どことなく伊勢神宮の神殿に似ている。末社が傾いていたり、ボロボロになっていたが。ここから夏至日の出ラインには岩出市の愛宕山、葛城山の南麓をとおり、神武天皇陵、三輪山の狭井神社をとおる。春秋分ラインには高野山の摩尼山、西に和歌山城がある。

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和歌浦からの夏至日の出ラインには葛城山や金剛山をとおって飛鳥や三輪山、長谷寺への聖地へのラインが貫通している。聖地はこの関係から決められたのだろうか。

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和歌浦からはひときわ高い山として名草山の山容がめだつが、ふもとの紀三井寺は多くの参拝客を集めているようだ。夏至日の出ラインに金剛山の高天彦神社、日本武尊白鳥陵、飛鳥寺などがある。

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 このレイラインは和歌浦や飛鳥の人たちにとって意識されていたのだろうか。格の高い聖地同士が結びつけばその信憑性が感じられるし、なんともない村の鎮守とラインが結びつけばレイラインは考えられていない偶然の結びつきという感じがする。あきらかに結びつけていると思われるラインは神話上や寺社の由緒書きに符号するときである。

 ほんらいレイラインは目に見える山の日出没の場所から季節を知る山アテからはじまったとわたしは考えている。そこから「日知り(聖)」はおこったのだろう。時間を知り、暦をつくることは国土の管理と同じ重要な王権の権力の源泉である。時間と空間を支配することは王権の権力である。ときの王権が山アテによって季節を知ることは国土を管理するくらい重要な王権の仕事だったと思われるのである。その聖点が寺社仏閣として崇められる基礎をつくったのではないかと思う。

 和歌浦と飛鳥は和泉山脈にへだてられて裸眼による山アテが可能な地域ではない。もうこれは地図上の概念による山アテである。この概念上のレイラインを結びつけてよいものか迷ってしまう。しかし国王が目に見える範囲だけを聖点として結びつける段階は古代の早い時期に終わり、地域や国土を聖点で結びつけた聖なる聖地や神々しい土地を計画づけることは土地の支配権や権力の威厳として早くに求められたものだと思う。またこのラインは神として再生したり、天の力を付与されるラインでもあった。王権がそのようなシステムを見逃すだろうか。

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 ところで和歌山の海岸線にもレイラインに当たるものもあるのかと探ってみたが、紀伊半島は山深い山地なので山にしかラインを結びつけられなく、有益な聖点はほとんど見つけられなかった。こんな山深い山地で山アテをするのはほとんど不可能だしね。まあ、わたしに紀伊半島の寺社仏閣の知識もないのもあるが、計測ツールの「あちこち方位」も距離をとるとかなりズレてきて信頼性がなくなる。

 伊勢神宮なんかレイラインを探したかったのだが、いまいちめぼしい聖点が見つからない。せいぜい西に葛城山があるくらいか。冬至日没ラインにはみなべ町があるだけである。もっとも伊勢神宮はもっと大きなスパンで考えるべきで、富士山や出雲大社、四国南端、宮崎などのスケールでとらえるべきなのだろう。

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熊野三山はレイラインでしっかり結びつけられていた。新宮の熊野速玉神社から夏至日没ラインをひくと熊野本宮大社の近くにいきつく。すこし距離があるなと思ったら、明治に神殿が流されて移転されたそうだ。ライン上にもとの大斎原(おおゆのはら)があった。本宮大社はなぜ熊野川のさかのぼったこんな場所であるのかというと夏至の日没ラインにあるからだ。太陽の最大のパワーの地点であるということである。那智大社と補陀洛山寺もだいたいは夏至ラインで結びつく。


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和歌山三山

和歌山三山とスフィンクス発見しましたよ。名草山の
近くの、おむすび山など、不思議な配列になっています。
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