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06 23
2010

書評 社会学

『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』 新谷 尚紀

なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く (文春新書)なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く (文春新書)
(2003/02)
新谷 尚紀

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 タイトルは賽銭にまつわるものになっているが、日本人の民俗についていろいろ語っている本である。学術書からの引用が多い正統的な学問の本で、新書でもこういう本が少なくなっている気がする。

 四季や暮らしの信仰、比叡山、葬儀と墓、死の神話、貨幣などが語られている。こういうごくふつうの暮らしを語った民俗学の本というのは題材があたりまえすぎて、なかなか興味がもてないのでないかと思う。なにかについての深い疑問や継続したナゾがないとなかなか読めないものである。

 わたしはレイラインについて興味をもっているから、太陽や方角にこめた日本人の気もちとか、それらにこめられた季節や死の物語などに興味をもっているから、四季や死について語ったこの本を手にとった。

 暮らしや日常のふつうのことに深い疑問やナゾを感じとれる人に民俗学という学問はひじょうに興味のあるものになるのだろう。ふつうの人は疑問や意味も感じずに形式や慣習をかたどおりおこなうことができるものである。わたしは中身のわからない日本的伝統というものが大嫌いだったので、意味や理由のわからない慣習はできるだけやりたくないと思っている。

 学問や民俗学というのはあたりまえのものはあたりまえのものとして思わない知的な試みだといえるだろう。すべての行動を疑問視する姿勢というのは大事だと思うのだが、たいがいの人は意味がわからなくてもみんながやっているという理由でみんなに従う。

 賽銭のナゾだが、神社はまだしも駅前の噴水にお金が投げられてるのはふしぎだろう。著者の新谷尚紀は貨幣に死のケガレがまとわりついており、それを祓い清めるために賽銭は投げられるという。貨幣は死のケガレ、恐れなどを吸いとる吸引装置だと見なされている。それを身代わりにしてケガレを祓い清めるためにお金は投げられると著者はいう。

 新潟のショウキサマという藁人形は村人のからだの悪い部分や痛い部分をなすりつけられて、村境に送り出される。道祖神の石像は焼かれたりする。貨幣にはこのような死のケガレがなすりつけられられているのである。葬式で酒や食事がふるまわれるのは死のケガレにふれてしまうので、生命力の強化を図るためである。

 キリストもすべての人の原罪を一身に背負って十字架にかけられる。死のケガレの生け贄なのだろうか。わたしは穀霊や大地母神の復活が象徴されたものだと思ってきたが、整合性はあるのだろうか。

 民話には人身御供の話が多い。姫が化け物に生け贄として捧げられる話である。化け物は自然と野生の脅威を象徴的に表現したもので、それが退治されて人間と文化の領域が拡大してゆく物語が語られているという。なるほど鬼とか大蛇であるとか、そういう意味だったのか。野生や自然の脅威の中には死の恐れや危険もふくまれているのだろう。

 貨幣は王権の象徴でもある。王には時間と空間の支配者の権利があり、貨幣の発行権ももっている。時や暦を決め、領土を決め、そして貨幣も生み出す。これらの原点にあるものが人類の死の概念の発見であり、死は人間社会の接点をつくりだす原点なのかもしれない。古代の天皇や権力者がレイラインにこだわったのもこの権力の源泉があったということがこれでわかるというものだ。暦や時間の支配は天皇の権力でもあったのである。天皇は領土の制限をもったが、時間の制限ももつことで人民に支配の手を伸ばしたのである。

 死の概念の発見は宗教を生み出し、王や時間、空間、そして貨幣も生み出したのかもしれない。神話には死者の国へおとずれる話がさかんに語られるが、そのブラックホールから社会の多くのものが生み出されたのかもしれない。

 さいごに死のかまえとして、在原業平の辞世の句を――。

つひに行く道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを




新谷 尚紀の著作
伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)お葬式―死と慰霊の日本史日本人の春夏秋冬―季節の行事と祝いごと日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか (プレイブックス・インテリジェンス)神々の原像―祭祀の小宇宙 (歴史文化ライブラリー)

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天皇とお金

 ずいぶん前に香港に行った時、香港のコインに英国の女王の顔が彫られていたのを思い出した。
 その数年後にあるカナダ人がカナダの紙幣を見せてくれたが、そこにも英国女王の肖像画があった。恐らくコモンウェルスの一員であるオーストラリアのお金にも英国女王の肖像が入れられているのだろう。
貨幣は王権の象徴でもあるといわれる通り、多くの王政、立憲君主制の国では国家元首の肖像を通貨に入れている。しかし日本国のそれには今も昔も天皇の肖像はない。氏のいうように貨幣には死のけがれがまとわりつくから、縁起でもないからなのだろうか? 
洪水被害がはなはだしいタイ王国も自国通貨に国王の肖像をいれている。
 先日タイの食材を扱う店に入ったが、国王王妃の肖像画が壁に飾ってあった。日本では町役場や市役所にさえ天皇の肖像画を飾っているところはあまり見かけない。いったいなぜだろう?なんだかんだいっても日本人は天皇と皇室が好きだと思うのだが、天皇は国民の心の中にだけあればいいということなのだろうか?
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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