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06 08
2010

レイライン・死と再生

『聖徳太子の秘密』 関 裕二


聖徳太子の秘密 「聖者伝説」に隠された実像に迫る (PHP文庫)聖徳太子の秘密 「聖者伝説」に隠された実像に迫る (PHP文庫)
(2005/08/02)
関 裕二

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 関裕二は古代史の登竜門となっていると思う。文庫で古代史を読もうと思えばほとんど関裕二だけになる。武光誠もめだつが、初心者入門書という書き方が気に食わない。新書の古代史はおカタくてつまならそうだ。それで関裕二になるが、学会やアカデミズムの見解はどうなのかと気になるのだが、両者の接点がない。

 社会生物学の竹内久美子のような立場に近いかもしれない。出版界で読まれるにはおもしろさとミステリと、エンターテイナー性をそなえていなければならない。関裕二はミステリの謎を解く楽しさとやさしい言葉で語る口調に魅力がある。学会やアカデミズムは関裕二についてどのような見解をもつのかわからない。

 けっきょく、一般の人にとってアカデミーの見解はとどかなくて、エンターテイナーの言葉がとどくのだ。アカデミーって一般人に見解がとどかなくてよいのだろうか。九千円もする(むかしは箱入りだった)アカデミーの歴史書をだれが読むというのか。安くなっても専門的すぎてつまらないかもしれないが、一般人にとってアカデミーの言葉は「存在」しないのだ。

 関裕二は聖徳太子の本を何冊も出している。ネタがかぶらないのだろうか。古代史の本をかなり出しているが、よくネタがつきないものだ。ちなみに経済ジャーナリストの浅井隆と兄弟らしく、顔写真が似ているといえば似ている。

 聖徳太子はいま非実在論も出てきていて、書店でも何冊もの本が出ているがよくひとりの人物でこんなにたくさんの本が出せるなと思う。教科書では実在しない存在のように書かれているらしい。一万円札の顔だったころとずいぶんへだったようだ。わたしはキリスト教伝播説を確かめたくて読んだが、関裕二は8世紀にはキリスト教はつたわっていたと見なしているが、この本では太子は存在しなかったとか、キリスト教のパクリであるという説はとっていない。

 デビュー作は『聖徳太子は蘇我入鹿である』という本でデビューしたそうだが、この本でもその見解のままだ。蘇我入鹿を大悪人に仕立て上げたいために、しかし蘇我入鹿はよいおこないものこしているのでその良い面を聖徳太子という人物にたくしたのが『古事記』や『日本書紀』の思惑だったというのが関裕二の見解のようだ。まあ、わたしは非実在論で、流行りのキリスト教を天皇や豪族一族に加えたら威光が輝くくらいのアイデアに思えるのだが。

 法隆寺では滅ぼされた上宮王家の二十人ほどの墓がひとつも見つからないというし、上宮王家を滅ぼした入鹿の神社には太子が祭られ、法隆寺には入鹿が祀られる不可思議さがあるというし、太子ゆかりの寺はどうして子どもの姿が祀られることが多いのだろうか。太子には謎が多く、らっきょうの皮のようにむいていけばなにものこらない。

 わたしとしては太子一族が滅んだのはキリスト教の原罪の犠牲の話につながってくると思うし、この原罪の罰というのは大地に傷をつけ、実りを刈りとる人間の大地にたいする罪の意識の身代わりをしたのだと思っている。つまりは大地母神の象徴が太子や上宮王家だとわたしは思う。かれらは人物ではなく、象徴なのだ。

 太子の復活の話が出てこないが、大地や太陽、穀霊はいちど死んでふたたびよみがえるという季節観が世界じゅうで信仰されており、それがこの太子一族にたくされているのだと思う。残酷に殺されるのは穀物や家畜たちの運命であり、その罪の意識を贖わなければならないのだ。太子一族はその罪を一身に背負った人たちなのだとわたしは考えている。

 関裕二は鬼や怨霊というタームで読者の興味をひきつけるエンターテイナー性を発揮しており、実在の人物たちの権力や権謀術数としての人物活劇を提出しているが、わたしはこれらの人物はまだ古代神話の容貌をとどめた象徴ではないかと考えている。古代の世界観、太陽や大地の神々の神話なのだと考えている。

 これらの見解は古代レイラインから導き出されたものだが、こういう見解は井本英一の『飛鳥とペルシア』(小学館)や大和岩雄の『天照大神と前方後円墳の謎』(六興出版)などに負っていることがいちばん多いのかもしれない。大地の死と再生、穀物や太陽の死と再生が色こく古代神話にこめられているのだと思う。原始宗教や古代神話から古代史を読み解くのがいちばんいいのかもしれないとわたしは考えている。

 聖徳太子はそういう古代神話にキリスト生誕がかぶせられ、政治人物がのせられた偶像だと考えたほうがいいのかもしれない。


飛鳥とペルシア―死と再生の構図にみる (小学館創造選書 (76)) 井本英一

天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス) 大和岩雄

完本 聖徳太子はいなかった (河出文庫)聖徳太子と日本人 ―天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像 (角川文庫ソフィア)聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫)聖徳太子はいなかった (新潮新書)隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

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