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06 07
2010

労働論・フリーター・ニート論

会社はいつでも安い労働力を使いたい



 NHKスペシャルで南アフリカの移民ラッシュのドキュメンタリーをみた。隣国ジンバブエは経済が破綻してインフレ率が二万五千パーセントにもたっし、南アフリカはこの経済格差を利用して隣国からの安い労働力を移民として受け入れる門戸を開いたそうだ。

 ジンバブエで理系大学を出ても南アフリカではかんたんな作業しか雇ってもらえない青年の苦悩が描かれていた。移民はスラム街を形成したり、不法占拠で空きビルに住みついて強制排除されたり、住民たちの差別や移民排斥運動などに苦しんだりしている。

 これをみて日本でもあてはまると感慨深くなった。移民は日本でのフリーターや非正規などの姿にダブった。本国労働者と移民の安い労働力との格差はダブル・スタンダードとなり、企業や国は移民労働力を歓迎するのだが、本国労働者は安い労働力におされて失業し、不満を高める。会社や国は安い労働力で成長や利潤を増やしたいが、本国の労働者はたまったものではない。

 日本の工場などは中国や東南アジアに安い労働力をもとめて移転する。むかし日本も地方との賃金格差に目をつけて地方に工場を移転していたそうだが、いまはそれが国際的なスケールになった。会社というのはいつも安い労働力を使いたいと思っているものなのである。資本主義というのはいつもこの賃金格差を利用して世界の工場は移動し、そして世界の繁栄や中心は移動してきたのだろう。

 日本はある地点まで賃金が上がりつづけた。安い労働力をいつでも必要とする企業がなぜ賃金を上げつづけたのか。高度成長や経済の拡大をみこめた時代には人が足りなく、上げつづけなければならなかったのだろう。高い賃金をもとめて他社に移ってもらっては困るし、自社にとって会社内での知識やスキルを高めた人材を失うのは痛手だ。しかし原則としては会社はいつでも安い賃金を支払いたいと思うと考えたほうがいい。

 日本人の賃金が上がりつづける一方で、新しいサービス業などは主婦パートや学生アルバイトを安く使いはじめた。正社員のように高い賃金を支払う必要のない人材を使いはじめたのだ。ファミレスやコンビニ、ファーストフードなどはこの戦略で利益を稼いだ。この賃金格差が拡大する形でこんにちの非正規問題は生まれた。

 つまり安い労働力として理由づけがされた主婦や学生という縛りをなくして一般社会人にもそれを拡大したのだ。完全な約束違反や契約反故のようなものだが、労働力のダブル・スタンダードはひそかに進行したのだ。社会はそれを怠けや甘えとしてまともな問題としてとりあげなかった。世論は安い労働力を使いたい企業の思惑の煙幕をはたした。

 給料や保障が増えつづける社会に危機感を麻痺してしまったのだろう、日本でのダブル・スタンダード社会は手のつけられないくらい広がった。企業はいつでも安い労働力を使いたいものだ、この原則を忘れて企業への警戒心を失ってしまったのだ。

 消費者として考えるのなら安い商品を買うのはとうぜんだろう。同じ品質なら高い商品を買うものはいない。新しい技術や新製品が生まれたらさいしょは高くても例外なく値段は下がるものである。どうして労働力や社員の賃金は下がらなかったのだろう。インフレの時代であったからだろうが、上がりつづけた商品やサービスもあったが、モノは安くなるのが常識である。労働力も同じであると考えたほうがいい。

 労働力の賃金というのは外部市場との関係から生まれるものである。人手が足りなくなれば賃金は高くなるし、中国との安い労働力が参入すれば引き下げの圧力にさらされる。賃金というのは能力であったり、スキルであったり、経験や知識で決まると思っているかもしれないが、大きいのは外部市場との関係である。

 日本の労働市場はなぜか市場との関係において賃金や待遇が決まるという市場原理の考えが少ない。勤勉であるとか忠誠心であるとか愛社精神とかそういう精神的な面で決まるように思われている。社会主義的発想とか福祉国家的な考え、または終身雇用の思想に毒されたために、会社との関係を精神的なもので測る習慣が根づいている。

 しかし労働力というのは市場との関係で決まるものであり、賃金もそれにならい、わたしの市場価値もそれによって決まるものである。わたしがリストラされたとしても、賃金が落ちたとしても、能力やスキルではなくて、市場との関係でそういう目に会うのだ。そう考えられないところに、精神的な面でとらえてしまうところに日本人の悲劇があると思う。市場の関係がごっそり抜け落ちている。

 会社はいつでも安い労働力を使いたいものだ。勤勉や努力や忠誠心で給料を上げてくれるわけではない。お情けやがんばりを評価して賃金を上乗せするところではない。安く使いたい雇用者と高く売りたい労働者の契約の場だ。なにか精神的な約束で給料が上げられる場ではないのである。

 会社は安く使い高く利益を上げたいといつでも思っている。あたりまえのことであり、消費者としてならわたしたちもとうぜん同じ考えをするだろう。市場での関係が会社との関係を決める。買い叩きたいと思っている企業との関係をしっかりと認識すべきだろう。一所懸命にがんばっていたら給料を上げてやるという市場関係ではもうなくなったのである。

 ジンバブエと南アフリカの労働関係は原初の市場原理を見せていて、このドライで冷酷な関係で労働市場を見るべきだとの思いを強くさせた。お情けや慈善で企業が給料や待遇を与えてくれるわけなどないのだ。戦後の成長市場、福祉国家的な発想のなかで日本人はそのことをあまりにも忘れてしまったと思うのである。

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Comment

チキンレースへ

労働者、とりわけ日本の労働者には、賃金が市場で決まるという合理的な考え方を持つ必要がある、という本エントリーの趣旨には同意します。

おそらく、愛社精神などの精神的なものは、ある程度成長が予測された時代において、都合がいいから使われていただけであって、今となっては、「会社は利用するもの」ぐらいの気持ちで勤めるのがちょうどいいはずです。

しかし、経営者と労働者の関係、より一般化するならば、需要と供給の関係に関して、一つだけ述べておきたいことがあります。

「安く使いたい雇用者と高く売りたい労働者」と双方プレイヤーがいることによって、賃金にも適正価格が生まれます。商品に適正価格があるのと同様です。

グローバル化によって、経営者はより安い労働力を益々求める傾向にありますが、いずれ限界は来ます。現在の日本企業が中国から、東南アジアに移転してるように。

より安いものを求めることは、経営の手段としては合理的ですが、その一方で価格競争という名のチキンレースに突入する危険があります。というか、間違いなく突入します。

事実、日本社会では既にそれが起きています。そして、このチキンレースは労働者、つまり消費者の購買力をどんどん削ぎ落とし、結果として、企業そのものの経営を困難にします。

ただ安ければいいという考え方を盲目的に信じるのは、自分で自分の首を絞めることになるでしょう。

これは、経営者だけではなく、消費者にも言えることです。

安く使って高く売るというのが企業の遺伝子なのでしょう。南アフリカや中国の従業員は生活ができるとか豊かさとかどうでもいいようです。日本の非正規も同様ですね。

中国は人件費が上がってきて、従業員は賃金や格差に気づきだして不満が爆発して人件費が上がりだしました。もう人件費の安い中国ではなくなったようです。怒る従業員をなだめるために給料や保障を上げたりして、日本のような高給や解雇のできにくい社会になってゆくのでしょう。

そういうサイクルがくりかえされるのでしょう。値段が上がりつづける商品ってあるでしょうか。まわりの商品はたいがい下がりつづけますね。ガソリンであるとか、不作だった野菜は上がることはありますが、だいたいの印象は下がりますね。

日本は高くなってしまったために中国に移転したり、フリーターを使ったりして、下値を探る動きがさかんになったのでしょうね。

きつねとたぬきの化かしあいが燃えあがっているのでしょう。日本は全般に上昇の社会でなくなったから、下値のフリーターはなかなか上がることがないのでしょう。

それで社会の購買力が落ちて、ダウンスパイラルがつづいて、繁栄からとりのこされて、社会が貧困や混乱をへて、どこかの金持ち国に安く買い叩かれて、そしてやっと上昇のときを迎えるのかもしれません。

日本は全般に下値の社会に落ちていって海外から買い叩かれるまで地面をはいずる回るしかないと悲観的諦観をもつしかないのかもしれませんね。いやな話ですが、客観的サイクルを知ることはせめてもの慰めになるかもしれません(泣)。。

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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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