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06 06
2010

レイライン・死と再生

大阪レイラインにこめられた意味とは?



 レイラインに興味のない方が多いかもしれませんが、聖徳太子レイラインからずれて大阪レイラインの検証をつづけます。地図をいじっていたら時間を忘れるくらいハマってしまうのがレイラインかもしれません。

 風水の「あちこち方位」を知ったおかげで、この方位線はレイラインにも応用できますので、いろいろ発見を増すことができました。神社や山岳に中心をおけば、レイラインを調べることができます。みなさんもお近くの古代からある神社仏閣、式内の神社などで試してみてはいかがですか。意外な発見ができるかもしれません。

 こういうレイラインの方位線ソフトのようなものはないかと探していたのですが、風水版でも緯度に30度の角度があれば夏至冬至ラインを確認することができます。まあ太陽の日の出や日没の方位はもっと正確を期さないといけないのでしょうが、天文学もよくわからないし、計算はお手上げなのでしろうとレベルにとどまるをえません。夏至冬至の太陽はこの方位からのぼるくらいのレベルでしょう。まあ、お遊びです。

 大阪のあるレイラインはどこを結び、どの神社仏閣、山岳を聖点としたのか、またそれにはどういう意味や観念がこめられていたのか考えたいと思います。

等乃伎神社レイライン



 まずは高石市の等乃伎(とのき)神社から。ここは『古事記』にも書かれているとおり、レイラインが意識されていたことがわかる場所です。この神社から見れば高安山から夏至の太陽がのぼり、冬至の太陽は淡路島の由良の門に沈みます。神殿が高安山を向いていますから、太陽がいちばんパワーを増した時期に祈りを捧げたのかもしれません。

 秋分・春分ラインは聖徳太子御廟所(お墓)があり、二上山のすこし南をとおり、そして當麻寺ではなくて、當麻山口神社にあたります。なぜ聖徳太子はこのライン上に葬られたのでしょうか。奈良から見れば二上山の向こうは日が沈むところ、死者の国だと観念され、この近つ飛鳥には王家の墓といわれる墳墓がたくさんあります。

 冬至の太陽は金剛山のすこし南からのぼります。等乃伎神社から見ると生駒山地、葛城山地をモノサシにして夏至や冬至を測ることができたわけですね。山を屏風にした巨大なカレンダーですね。季節を知ることは天皇や権力者たちにとってひとつの権力の源泉だったのでしょう。田植えの時期や収穫の時期を知らせたり、あるいは冬の到来をつげる日知り(聖)は権力を握っていったのでしょう。

住吉大社レイライン

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 こちらは住吉大社のレイラインですが、春分・秋分のラインを東にひっぱれば法隆寺にいきあたります。高安山、信貴山のあいだをとおるといったほうが妥当でしょう。このライン上には大聖勝軍寺があり、聖徳太子が物部守屋との戦勝を願った場所です。なぜ聖徳太子はこのラインに関係してくるのでしょう。日が沈む法隆寺から、太陽ののぼる高安山、大聖勝軍寺から太陽の復活が願われたのでしょうか。山腹の岩戸神社も太陽が大地に隠れる岩や穴と考えられていたのかもしれません。

 住吉大社からの夏至の太陽は生駒山からのぼりません。生駒山の夏至ラインはすこし南東に下がった吾彦観音寺のほうが妥当のようです。『日本書紀』に豊浦大臣の霊魂が葛城山から生駒山にいたり、住吉の西に去ったという記述がありますが、住吉大社からの夏至の太陽は石切神社の方角からのぼり、その先の生駒山地にはべつに山名があるわけではありません。ただそのふもとに下りると「日本」の名称の発祥の地といわれる「日下(くさか)」にいきつきますが。神武天皇が長髄彦(ながすねひこ)との戦に負けるあたりです。この神話は太陽の象徴がこめられているのかもしれません。

 冬至の太陽は二上山とその向こうの當麻寺あたりからのぼります。二上山は奈良にとって三輪山とおなじくらい重要な山なのでこのラインにはなにか重要な意味がこめられているのでしょう。冬至をすぎた太陽は復活、あるいは再生した太陽だと考えられて、新年の再生を祝うような意味がこめられていたのかもしれません。

 住吉大社は海の神が祭られていて、なぜこの神が大阪にとって重要な神なのかわからないと思っていたのですが、古代、住吉大社は海岸線の入り江の岸にあったそうです。海からの目印になるような場所だったのかもしれません。

 法隆寺から住吉大社のラインを西にひくとおどろいたことに明石海峡をこえて岡山の牛窓神社にあたりました。これは瀬戸内海を船で航海したり、漁業をしている人たちにとって住吉大社およびその線上にある高安山、信貴山は目印となるものだったのかもしれません。灯台のような役割でしょうか。船の航海者や漁民は山アテによって目的地や漁場を知ったといいますから、住吉大社の起源にはそのような意味があったのかもしれません。

 住吉大社から冬至の日の沈む方角に線をひけば、淡路島の洲本城にあたります。洲本城から見れば、住吉大社、生駒山のすこし北側と見えて目じるしになったのかもしれません。航海者は大社と生駒山の角度がずれない航路をいけば、方角をまちがわなかったのでしょう。ちなみに大阪湾から淡路島の山影は見えます。

吾彦観音寺―等乃伎ライン

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 生駒山の夏至ラインは住吉大社ではなくて、吾彦(あびこ)観音寺だといいましたが、そんなにメジャーではないけれど地元に愛されているようなこの観音寺にどのような意味がこめられていたのでしょうか。ただ吾彦観音寺は節分の日になると大きな夜店の並びができておどろかされましたし、付近に「我孫子(あびこ)」と名のついた駅名は三駅あります。

 南のほうを見ると仁徳陵(ちかごろは大仙陵といわれていますが)と履中天皇陵の向きがこのあいだにはさまれるようです。こころみに吾彦観音寺と等乃伎神社を線で結びつけてみると。

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 吾彦観音寺と等乃伎神社を結びつけたラインに仁徳と履中の天皇陵は向きを同じにしますね。履中は右はし、仁徳は左はしをラインがとおっていますね。古墳の向きというのはどこもてんでばらばらで法則もないようだし、右下の古墳はあらぬ方向を向いていますし、向きはどういう意味があるのかと思っていましたが、ひとつの符号を見つけました。

 どういう観念がこめられていたかと推測すると、北の吾彦観音は冬至の寺で、南の等乃伎神社は夏至の神社です。冬至は太陽が衰えて死ぬ日、夏至は太陽の盛りの日、もっともパワーがある日といえます。南の夏至のパワーを北の冬至の死に衰えた寺に送り込むラインがこのラインかなと考えます。このライン上にある仁徳・履中天皇陵はどういう意味、役割をこめられていたのでしょうか。

 私見では古墳は太陽や神が復活する、再生する大地の子宮と考えていますが、夏至のパワーをここで蓄えて冬至の聖点に送り込む、または増幅する装置だったのかと思います。あるいは冬至と夏至のあいだで神や太陽神が復活、誕生する場所だったのかもしれません。大地の子宮に太陽の光がさすと受精してあたらしい神や太陽神を生み出す、古代の人はそう考えていたのかもしれません。古代の人にとって太陽や神、この世界も性交によって生み出されると考えていたようです。

 百襲姫(ももそひめ)の夫が白い蛇であり、おどろいてホト(陰部)を箸でついて死に、夫は三輪山に帰る話がありますね。すこし飛んだ解釈かもしれませんが、太陽の光が陰部にささって神として再生したのではないかと考えています。百襲姫は卑弥呼かといわれる箸墓に葬られています。もうひとつイギリスのニューグランジという遺跡は冬至の光が奥の石室に届く構造になっています。冬至の光によって大地の子宮であたらしい太陽が誕生するわけです。日本の古墳にもこういう意味がこめられたいたのかもしれません。

四天王寺レイライン

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 これは四天王寺ラインですが、夏至の日の出はスケールを大きくとると紫香楽宮跡にいきつきます。手前に修験道の北大峰といわれた鷲峰山(じゅぶせん)のすこし北を通りますが、金胎寺ともレイラインを意識していたのでしょうか。

 生駒山地ではラインは飯盛山ピークの南を通りますが、ライン上では宝塔神社がぶちあたります。それが意図された聖地だったかわかりません。この地域では野崎観音や四条畷神社のほうがメジャーなようです。

 春分・秋分ラインは六万寺があたるくらいでいまいちレイラインが弱いのかもしれません。生駒をこえると郡山城跡にはたどりつきますが。

 冬至の日の出ラインには高尾山、耳成山があり、四天王寺はこのラインが重要なのかもしれません。高尾山には古代の太陽信仰をあらわすと思われる巨岩の神が祭られています。一年の太陽の再生のラインですね。しかし四天王寺の建立を約束した大聖勝軍寺はこのライン上には近いのですが、ライン上ではありません。

 四天王寺は夕陽観想がさかんだったといわれますから、西方の浄土や常世を想う場所だったのかもしれません。夕陽に極楽浄土を願う地だったのかもしれません。

大阪城レイライン

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 こちらは大阪城のレイラインです。奈良の平城京跡、東大寺が春分・秋分ライン上にきます。もうすこし南の難波宮をとれば石切神社、生駒山、春日大社、春日山をとおるかもしれませんが、ここはラインよりかゾーン的な意味合いが強いのかもしれません。

 大阪城から夏至のラインには星田妙見宮があります。妙見山は生駒山地の北限にあり、山地の切れたところで目印になりやすかったのかもしれません。

 冬至の日の出ラインは高安山、信貴山近くをとおり、三輪山の大神神社にいきつきます。春分ラインを西にひけば神戸の元町あたりにつきあたり、神戸、大阪、奈良と同緯度にあることに気づきました。計画的なのでしょうか。

古代大阪の内海

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 こちらは国土地理院による航空レーザ測量で、げんざいの標高や地形を知ることができます。げんざいの標高の低さから、大阪城や上町台地を岬にして内海が生駒山地まで広がっていたことがわかりますね。

 台地の南側に小さな入り江がありますが、この突端あたりに住吉大社があったのでしょう。海からの目じるし、灯台のようなものだったのかもしれません。

伊勢神宮レイライン

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 伊勢神宮の内宮に方位線の中心をあててびっくりしたのですが、夏至のラインに見事に富士山がきますね。冬至のラインをひけば、四国の室戸岬、足摺岬をとおります。これは偶然でしょうか。九州の宮崎市にもあたり、これは神武天皇のラインかと気になりますね。もっともこの「あちこち方位」は1000キロメートルの距離になると中心点がばらばらにほつれますから、いまいち信頼がおけなくなってくるのですが。

 この風水は風水24方位というらしいですが、わたしは風水はまったく知らないのですが、夏至日没ラインではないですが、北西のラインに出雲大社があたるようです。伊勢神宮とはこの夏至日の出、冬至日没のラインによって場所が決められ、一部、風水がとりいれられているのかもしれません。

 夏至のいちばんパワーがある日の出に富士山を拝み、冬至の陽が衰え、死ぬ場所が宮崎であり、どうじにそこは再生と誕生の地であったのかもしれません。出雲大社のある北西の方向には、風水にくわしくないわたしにはこめられていた意味がわかりません。こちらも死者の方角であるように思いますが。富士山の夏至ライン延長線上に東京がくるのは意味がやはりあると考えたくなりますね。

 夏至の日没ラインには鳥取砂丘あたりがきますが、因幡の白うさぎの話とかなにか太陽に関係のある話なのでしょうか。三輪山の白蛇、ヤマトタケルの白い鳥と、白い生きものは太陽の化身に思えます。白うさぎは皮をむかれた話がありますが、太陽が弱まったころ、衰えたころと考えるべきかもしれません。この方位には聖点が見当たりませんが、このソフトのほうもアバウトになってきますし、寺社山岳があってもレイラインと関係ある場所なのかもわかりません。

 風水とレイラインによって日本の国土計画は決められてきたのでしょうか。かなり大きなスケールで計画を測ってきたのでしょうね。



 ■可動式、拡大化の地図はこちらから。「大阪レイライン

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)レイラインハンター ~日本の地霊を探訪する~宮田登日本を語る〈10〉王権と日和見エリアーデ著作集 第2巻稲と鳥と太陽の道―日本文化の原点を追う

大和の原像―知られざる古代太陽の道 (日本文化叢書 (3)) 小川光三

天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス) 大和岩雄

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あちこち方位

「あちこち方位」は(1)平面の地図に方位線を描く人 (2)立体の地球儀に方位線を描く人 の両方に対応しております。
ですがGoogleMapの座標は仮想地球儀なので(1)の青線を描くのはちょっと無理が出てきます。そこで誤差の出ない範囲で(1)のラインを引く為に「長さ:自動」をオススメしております(手動だとバラけます)

また、星の運行と方位を関連付けるならとくに(2)の赤線のご利用をオススメいたします(バラけません)

ちなみに現在は日本で方位磁石を使うと「西偏角」になりますが200年ほど前の1800年頃(伊能忠敬さんのころ)は「偏角」が殆ど無く『磁北=ほぼ北極点』 で、それ以前は東偏角だったという話もありますので、推察する時代によって偏角を考慮に入れるとバッチリライン上に!なんてこともあるかもしれません。
万が一何かの参考になったら幸いです(笑

失礼しました。

horiponさん、ありがとうございます。

感謝の意味でトラックバックさせていただきました。あちこち方位はこんな使い方もできてたいへん役に立ったというお礼をいいたかったわけです。

ついでに厚かましくもレイラインの方位盤をつくってくださいとまではいえませんが、つくってほしいです(笑)。

風水に興味がある方はレイラインには興味をもたないのでしょうか。神社や寺はなぜその場所につくられたのか、なぜその場所が聖なる場所なのかと考えたらおもしろいと思うのですが。

福岡や宗像大社にもかならずレイラインはあると思いますので、レイライン探索をやってみませんか(笑)。

住吉大社、の冬至の日没方向にあたる淡路島の洲本市の温泉街の蒲江/古茂江(コモエ)の岩礁にはその昔、白衣長い白髪の住吉明神が地元民の前に顕れて宣うには、
「此れよりこの地に吾は留まりたいので宜しく祀るべし」云々と言って忽然と消えた。
爾来、同所に住吉神社を奉祭する所以。
住吉明神、、、住吉大社の神人(神官)だったのでしょう?

また、住吉大社の夏至の日没方向には神戸市東灘区の住吉神社(元住吉と号する)~弓弦羽神社(熊野権現/神功皇后が賊徒誅滅を祈願して奉祀るを所以)


上町台地の一等場所の大阪城の天守閣の場所は原初、神武天皇が祀るを創始とする生国魂神社が鎮座していました。
最も重要な場所と言って差し支えないでしょう?
生国魂神社は本来ならばいわば神社の中の神社。全てを超越した別格中の別格の神社(伊勢神宮よりも何よりも超越した存在)


上町台地はいわば神武天皇の国産み(平定)のオノコロシマ(男子霊島)
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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