HOME   >>  国家と文明の優劣論  >>  古代キリスト教伝播説がトンデモになる歴史観こそを問う
05 22
2010

国家と文明の優劣論

古代キリスト教伝播説がトンデモになる歴史観こそを問う



 古代にユダヤ教やキリスト教が伝播していたという説をさぐろうとして、古本屋をさがしまわってみたが、いまは日ユ同祖論の本もほとんど手に入らない。ネットではけっこう情報があるのだが、古本屋ではほとんど不人気なようだ。オカルト系のあやしい棚に二束三文で売られていると思ったが、それすらもない。

 ユダヤ人の渡来人といわれる秦氏の根拠地、京都の太秦の広隆寺、三柱鳥居がある木嶋神社、蛇塚古墳をめぐってみたが、こんにち仏教の色合いしかなく、ユダヤ教などの痕跡をさぐろうと思ってもほとんど不可能だ。聖徳太子の四天王寺、八尾の大聖勝軍寺などにもいったが、キリスト教の影響をみいだすのはほぼ不可能だ。徒労感だけがのこる。

P5160011_convert_20100522105639.jpg P5160032_convert_20100522105546.jpg
広隆寺の「十善戒」。モーゼの「十戒」に近い。右は木嶋神社の三柱鳥居。三位一体をあらわしているといわれる。

P5200043_convert_20100522110008.jpg P4060055_convert_20100407085546.jpg
左は四天王寺の経木をながす亀井堂。右は飛鳥の亀型石造物でそっくりだ。

 日ユ同祖論というのはいつごろがいちばんブームだったのだろう。ユダヤ人が日本人の祖先になったという説はあきらかに日本人はモンゴロイドなのにとなえられる。文化の影響があったといえば抵抗はそんなにないのだが、人種まで同一になってしまうのはトンデモ的飛躍というものだろう。文化伝播と人種流入がいっしょくたになるのだ。「聖なるもの」の追求というのは人にオカルト的言説の加熱を生みだしてしまうものだが、どこかで安全装置が切れてしまうのだ。

 わたしとしては古代にユダヤ教やキリスト教などの文化伝播まではあったと考えたい。しかしキリスト教はザビエルの来日以降になっており、日本は伝統的に仏教や中国の文化圏であったと思われているから、古代の中東、西洋文化の伝播はぶっ飛びすぎだと敬遠される。過去を仏教国と中国の文化圏であったと考えたがるのは、西洋に学びはじめた近代日本と遅れた中国・仏教文化圏であったという古代・中世日本の対比を必要としたからだろう。進歩史観や断絶史観というものをしこんで、西洋推進化の引き金にしたかったのだ。だから過去に国際的な影響があってもらっては困るのだ。ド田舎ジャパンをバカにできないと過去の愛着や伝統を捨てられないのだ。

 日本は中国や仏教の圧倒的な影響下にあったとされる。しかしたまに騎馬民族説やシルクロード・ブームなどがおこったようである。中国だけではなく、日本は中央アジアや中東文化圏の影響もあったと外国の国際色ゆたか説がとなえられる。イナカ仏教圏だけでない壮大で国際的なひろがりをもっていたのだとロマンを語られる。中東の影響をうけたという説もほそぼそと発表されているようだ。天皇をあらわす「すめらのみこと」が「シュメール」と似ているといわれたこともあったようだ。ユダヤ同祖説はかなりむかしから発表されている説らしい。

 しかし中国仏教文化圏の枠組みから外れることはないのである。近代以前の中東や西洋の影響はトンデモ感が強くなる。過去の閉鎖性や人類の移動性はどこかで押しとどめられなければならない、古代の人類が世界中でつながっていたなどと考えたくないようである。それが常識の範疇とされている。

 こんにちの歴史観というのは西洋の強い影響をうけている。西洋の歴史観というのは「西洋はエライ、歴史上のまれにみるはじめての世界国家をつくった国だ」というプロパガンダを色濃くにじませている。コロンブスがアメリカを発見したという歴史はバカな話で、人類は何万年もまえからそこに住んで「発見」していたのだ。「発見」すらでない、生活していたのだ。かれらは「人間」でないのか。西洋人はそのときインディアンを人間でない「獣」とみなす眼を「発見」したのである。「西洋中心史観」とよばれるものだ。

 だから「西洋エライ観」では西洋は「はじめて」でなければならないのだ。世界中を航海したのは西洋がはじめてであって、断じて遅れたアジア人でもインディアンでもあってはならない。オセアニアの人びとが太平洋を数万年前から航海していたという話は断じてあってはならないのである。

 西洋の歴史観というのは自分たちがいかに優れている民族であるかの証明譚のようなものである。だから近代にとつぜん世界にのりだした西洋人は過去を抹殺しなければならなかった。イスラムや中国が世界の中心であった世界は抹殺されなければならなかった。西洋が中東の影響を色濃く受け、学び、片田舎であったという歴史は忘却されなければならない。キリスト教すらもイスラムの宗教といえるものであるし、キリストもアラビア人であったといってもおかしくないといえるのに、あたかも西洋のお手柄のように、西洋人であるかのように語られる。仏教を中国人や日本人のものにしたい気持ちとおなじである。西洋というのはアラビアの継子のようなものであるが、そういう不名誉な歴史は抹殺される。

 日本の歴史観も似たような構造があるのだろう。進んだ近代と遅れた過去。遅れた過去をないものとしたいために、あるいは遅れた文化圏の世界であったと閉じ込めたいがために中世以前の日本は仏教と中国に閉じこめられなければならないのだ。でないとこんにちの優越性、進歩性の証明である国際性、世界性を確保できない。こんにちが優秀で進んでいるために過去の日本はアジアに閉じ込められた遅れた古い国でなければならないのだ。仏教と中国の影響下はそのミソであり、真髄なのだろう。

 そしてそれが日本のアイデンティティになるのはどういうことなのだろう。対比と比較のために仏教と中国は必要だったと考えるべきか。国際性と世界性としての対比になる対象が必要だったのだ、さもないと世界性も拡大性も測れない。わたしが過去のわたしに優れるために比較となる基準が必要だ。わたしが優れるための比較基準が仏教であったということになるか。わたしがこんにち優れるためには過去の国際性、世界性はあってはならないことになった。古代は世界の片田舎に仏教と閉じこもっていなければならないのである。わたしたちが愛し、郷愁する日本というのはわたしたちが輝くための陰のひきたて役なのかもしれない。

 しかしこの考え方だけで古代の日本がなぜ仏教以外の影響を抹殺したのかいまいち説明に弱いと思う。古代日本はどうして中国と仏教の影響だけに閉じこもろうとしたのか。聖徳太子の出生譚はキリスト教の写しと思われるほど類似しているのになぜ仏教一色に染まっているのか。ユダヤ教やキリスト教の影響や伝播はなかったのか。ゾロアスター教やミトラ教の影響や伝播はなかったのか。このつづきはのちにゆずることにする。


西洋中心史観を批判した本

いま「ヨーロッパ」が崩壊する―殺し合いが「市民」を生んだ、「野蛮」が「文明」を生んだ合本 栗本慎一郎(カッパ・サイエンス)
これでいいのか世界史教科書―人類の転換期に問う (カッパ・サイエンス)

ブラック・アテナ―古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ〈1〉古代ギリシアの捏造1785‐1985 (グローバルネットワーク21“人類再生シリーズ”)黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)嘘だらけのヨーロッパ製世界史

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top