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05 20
2010

労働論・フリーター・ニート論

なぜ日本人は失業をそんなに恐れるのか?



 2009年に失業者の自殺者が増えたそうである。日本人は失業を情けないこと、恥ずかしいこと、隠したいことと思うようであり、じっさいの生活苦より精神的な責め苦のほうが失業者にとっては苦しいことのようである。

 日本人はなぜそんなに失業を隠したいと思うのだろう。失業したサラリーマンが出勤していた同じ時間に家を出てハローワークに出勤し、会社が終わるころに帰ってくるという話をよく聞いた。妻に隠したかったり、ご近所に知られたくないということもあるだろう。ご近所や世間体に悪いのである。

 なんだかお金を稼いで生活費を得ることより、サラリーマンが働く時間にあてはまる行動や規範からはずれることがいけないこと、悪いことだと思っているようである。規格品の人生というか、定型的な時間割からはずれることを恐れるかのようである。

 こういう恐れを抱く失業者には夜中働く人や朝早く働く人、休日は平日という働き方をしている人もたくさんいることを知ったらいいと思う。平日昼間ぶらぶらできない人はあたかも自分がそんな時間帯で働いているふりをすると気持ちは安らぐのではないだろうか。みんなが働いている時間にわたしは遊べるのだ、自由な時間をもっているのだと優越感を抱けばいいものをみんなが働く時間に自分は仕事がないと自分を責めさいなますのである。あるいは組織や集団から外れることのさみしさ、かなしみか。

 失業を恐れたり、かわいそうなことと思う人が多いようだが、失業保険や貯金があったり、妻の稼ぎが少々あれば遊んで暮すことができる。バカンスであり、働いていたら得られない長期バケーションなのに、喜べない。仕事から解放されること、会社という因習的組織から離れられるこんな解放的で自由なことはないのに日本人は失業をとことん恐れるようである。

 なぜ日本人はそんなに失業を恐れるのだろう。徹底的に洗脳されたみんなや人と違うことをひたすら恐れるからだろうか。みんなと違うことをしていることは恐怖であり、罰則であり、罪悪かのように刷りこまれているからだろうか。

 働かないニートにはこの恐怖の縛りから自分は逃れられているという優越感があると思う。みんな盲目に恐がっていることの呪縛から自分は外れているのだと自負を抱けるのだ。ガッコをサボるワルの優越感である。みんなが朝太陽が昇るからガッコにいくみたいな自然状態、自動機械みたいな行動をバカらしいと蹴飛ばしているのである。そんな縛りや呪縛はかんたんに外せる、鎖なんてどこにもないというひらめきである。

 日本人は労働に対しての恐怖症のようなものをもっている。なんでこんな病気になってしまったのだろう。仕事がなくなればすぐ食べる金に事欠くとか、飢えたり、家を追い出されたり、命の危険にかかわるということはないだろう。それまでまじめに働き、長年の貯金やたくわえがあるのなら当面はそんな心配は必要ない。あるいは収入分をすべて使い果たすようなライフスタイルならべつだろうが。

 だいたい失業がオソロシイ~オソロシイ~とプロパガンダしているのは新聞社っぽい気がする。記者なんてそうとうの高年収をもらっているはずなのに失業のそなえの貯金もないというのか。消費者金融のCMに出てくるような計画性のない人ばかりの集まりなのか。新聞社の記者からの目には失業が地獄か悲惨の角度からしか見れないようである。終身雇用とか年功賃金の高保障をえられる新聞社や大企業の人たちはこういう恐怖にとらえられやすいのだろうか。

 守るものがあまりにも大きいから、失えば得られないと思っているから、崖っぷちの恐怖になってしまうのか。高収入や大企業の人たちほど失う恐怖やとりかえしのつかなさを抱いているのかもしれない。公務員とか国からの保障がえられるポジションはハシゴの上にいるような気持ちがするものだろうか。中小零細に勤めるものは失うものも保障も少ないから、転職は気軽でカンタンである。キャンディーをつかんで抜けないサル状態なのか。

 たしかに組織というのは年功序列である。年をとってゆくごとにポジションが上がったり、役職がつく立場になることはほかの実力指標や能力指標より穏便でカドが立ちにくい。もし年齢階梯がなかったら、ほかの能力や実力の闘争やケンカの場になってしまいやすいだろう。解決には年齢階梯がいちばんで不公平感もただよいにくい。年下の上司が出世してゆく会社なんてすぐブラック企業になってしまうだろう。会社がこういう年齢階梯で構成されておれば、外部からの新参者はポジションを得にくいだろう。そういう実情で会社というものを理解してきたものはなおさら途中で会社に入ることのむづかしさを思うのかもしれない。年齢ピラミッドの会社は転職がひらかれていない社会になりやすいのだろう。

 高度成長期に成功した年功賃金と終身雇用のしくみは低成長時代にそうとうのむづかしさを経験するようである。高度成長ロケットから振り落とされる人がどんどん増えてゆくのだ。座席がないことのツラさを味わなければならない。

 面接で数多く落とされれば自分が否定されたかのような、自分が不要な存在、社会から必要とされないとり残された存在のようなつらさを味わうかもしれない。しかし自分は自分のために生きているのであり、社会のためではないと思い込むことも必要なのだろう。自分に対する無根拠な自信や信頼はずっともちつづけるべきなのである。社会からことごとくから拒絶されても自分は社会のために存在するのではなく、自分のために存在するのだと思い込むことも大切なのだろう。社会の用途や機能のためだけにわたしは存在しているのではない。

 外部環境の厳しさを思うことも必要である。失業のときには自分を責めたり、自分を悪くいう傾向はいっさい排除したほうがいいだろう。ただでさえめげそうなときであるから、ぜんぶ社会や経済の客観的な責任にするほうが精神的には健康なのだ。有効求人倍率が1.0倍を切っているのなら落ちるのはとうぜんだし、採用枠も絞られているのならだれもが入れるわけではないのはとうぜんのことである。経済は右肩下がりで、景気も悪いし、この先かつての繁栄のような時期は見込めないのである。時代や状況がこうであるから、自分を責めたり、悪くいうのは、みずからドブにつっこむものと同じである。

 失業中はことさら自分を責めたり、自分を落ち込む精神状態にもっていってはならないのである。無礼講や免罪符をあたえないと精神状態は坂道を転げ落ちてしまうだろうから、なおさら自分に「許す」ことが必要なのである。

 「失業セラピー」といったジャンルはまだできていないようであるが、カネーギーの『道は開ける』やうつ病にたいする認知療法のようなものはあっていいと思うのだが、まだあまり開発されていないようだな。もっといろいろな方法や考え方があると思うのだが、熟慮が足りないようのでこのへんで。


わたしの失業時に落ち込んだときの気持ち。 どんどん拍手ボタンが増えているのですが、わたしの失業時はたいがいノー天気で、働かないでいい幸福な自由な時間をすごしているのにダークサイドだけを切りとった記事だけが注目されるのは本意ではありません。働いているときは失業の自由な時間ばかり恋しくなってしまいます。

 41歳の失業と心の危機


失業時のお守り
道は開ける 新装版マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法積極的考え方の力―ポジティブ思考が人生を変える (Life & business series)大きく考えることの魔術―あなたには無限の可能性がある

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Comment

時間をどうすごすか

 やっぱり経済的な点に加えて「精神的」に苦しいから失業を恐れるのではないでしょうか?。

空いた時間をどう使うかが案外難しい課題なのかも知れません。
非有償とか非営利の行為でもどんどん深めていくと、それがまるで仕事のようになってしまったりして…。

たとえば酒を飲む金がなくなったから働きにいくとか、米がなくなったから稼げにいくという発想がないですね。

お金はどこまでも稼がなければならないし、ぜんぜん貯えがないわけでもないのに、ずっと働きつづけている。

この不思議はなんでしょう。欠乏することの恐怖に憑かれているというしかないですね。

経済的に恐れているからというよりか、精神的に恐れているからという理由にあてはまりますね。現実的でないと恐怖にかられているというしかありません。

私も失業経験はありますがー

ヤクザの世界で近年異なっているようですが、
1・失業ー無収入時代
2・入院生活
3・刑務所生活
この3つ体験が強みになると言われていたそうですね。

堅気の人間に3は不要ですが、失業に関しては、
自分に失業経験があることで将来、自分の子供が失業したり、知人が失業した際にも、
自分自身体験済みであれば楽天的な態度で接することができますし、
入院も、そりゃあしないほうがいいですけど、
高齢になって初めての入院というのは病気そのものより、
精神的に追い込まれそうな気がします。

失業に話を戻せば、恐い、悲惨、悲劇、落伍者というマイナス発信ばかりでなく、
そう心配しなくて大丈夫、という経験者の発信も、
メディアは取り上げるべきと思いますね。

メディアがコワイコワイと煽るのはホラーといっしょでコワいほうが視聴率や人気が増えるからかもしれません。

失業はすこしの蓄えがあれば自由な旅行や働かないで暮せる気ままさが味わえる最高の期間であることもいえます。そういう人生の果実面を見せないのが世間やメディアかもしれません。

ニートも悪い面しか報道しませんし、長期失業者も仕事を失えば人間でなくなるかのような報道ばかりですね。強制労働や社畜生産にメディアは貢献しなければならないのでしょうか。

新聞社のような安定した終身雇用がみこめる記者たちは退職金や年功賃金のたしかさや高さからそれを失うことの恐れを人一倍感じるのかもしれませんが、失うものが少ないものは失業をそんなに恐れるものでないことを知らないのかもしれません。

なんだか池に落ちるのが危ないからといって、柵をはられて魚釣りや池で遊ぶことを知らない子どもたちのようです。危険に近づかなければ安全な行動をとれませんし、ゆたかな果実も知らないままなんでしょう。

現実問題、飯を食わなければ死んでしまうんですが
そのために働くんでしょう
明日食う飯すらおぼつかない相手に、こんなことよく言えたものですね
優越感とか、バカですか、失業者の前でそんなこと言ったら殴り殺されますよ
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