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04 26
2010

書評 社会学

『隠された風景』 福岡 賢正


隠された風景―死の現場を歩く隠された風景―死の現場を歩く
(2004/12)
福岡 賢正

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 「人間はほかの生き物の命を奪って食べることでしか生きられない」――この問題をいつか考えなければならないと思っていた。とくに牛や豚のようなかわいいと思ったり、感情移入がよういにできる動物を殺して食べなければならないという事実とどう向き合うべきか。

 たまたま古本屋で見つけたこの本になんらかの答えを期待して読む。第1部でえがかれているのはペットの犬猫を殺処分する動物管理センターの現場、第2部では養鶏場や牛豚の屠殺場が取材され、第3部では自殺者の心の軌跡がおわれている。第2部のなまなましいにわとりや牛、豚を殺す瞬間がえがかれたシーンと対峙しなければならないと思った。1部、2部では殺す現場で仕事をする人たちの内面や差別のまなざしに迫ってゆく。

 ペットの殺処分を「かわいそう」と非難するお決まりのパターンでいい子ぶるのはかんたんなことである。ペットの命をもっと大切にしろと怒るのもかんたんである。しかし犬猫が捨てることをとめることはできないし、かといって街に野犬や野良猫が増えるのを黙認もできない。けっきょく、人間から捨てられるペットは殺されるしかないのである。たいていの人は殺すことに目をふさぎ、殺処分をする施設を遠ざけたり、働く人たちを差別や白い目で見たりする。

「自分が痛みを感じたくないがために、その痛みを伴う仕事を人任せにした上で、その行為を「悪」として見下す」



「動物のいのちを断つということは、日々、自分が殺される気持ちを味わっているということでもある」



 屠畜場で動物たちはどう最期を迎えるか。にわとりはコンベヤの掛け金に足をかけられ、ばたつくが、電気の流れた水につけられて一瞬で失神する。自動カッターで首を切られ、放血用のトンネルを通過する。牛は額にビスを撃ち込まれ、首にナイフを入れられ、頚動脈が切断される。額の穴にワイヤを入れてしごき、中枢神経を麻痺させる。脊髄反射で足が動くことがあって危険なためだ。豚は電気ショックを頭にあてられ、倒れたところで頸動脈をナイフで切られ、逆さづりにされる。国内で屠畜される牛は年間140万頭、豚は1700万頭。むかしは木製のくい打ちとか鉄のハンマーで額をつぶしていたそうだ。

 人間はこうやって家畜の命を奪いながら、肉を食べる。生き物を殺すという仕事をすべて他人にまかせにし、目に見えないところに追いやって、平気な顔をして肉を食べる。生き物のいのちを奪っているという痛みや罪悪感をいっさい手の届かないところに追いやってわれわれは罪の意識をないものにする。しかし追いやった仕事を一身に背負う人には差別や白い目で見る。そうすれば肉を食べるわたしは「天使」や「善人」であるというあかしが得られるかのように思っているかのようだ。

「日々動物の肉を食しながら、「動物を殺すことは残酷でいけないことだ」と考え、その仕事をしている人たちに白い目を向ける。そんな漫画のようなことが今もまかり通っているのである」



 鳥山敏子という女性教師はにわとりや豚を解体し食べる授業をおこなっているそうだ。子どもたちの作文。

「「もう、わたし、なんにも食べない」。…でもほんとうはとってもおなかがすいていました。…わたしもソーセージを二本食べました」

「私はころされた豚を見てなきました。でも、できあがった肉は、ないたことなんか、すっかりわすれて食べていました」



 日本では肉食はずっと禁止されてきたと思われているが、古代から肉や魚は食べられてきたし、坊主のタブーもタテマエだけだった。犬すら弥生時代からさいきんまで食べられていた。タブーの強かったとされる江戸時代でさえ、薬の名目でおおいに食べられていたのだ。牛や馬は家畜として家族のように育ったから犬よりか抵抗が強かった。肉食の禁忌は蔑視や差別と結びついていったと思われるのである。こんにちの動物の命を殺すことを遠ざけるおなじ心理が働いていたのだろう。それはひきうけられなかった命の重さを社会の一部の人におしつけ、差別し、憎んで罪を逃れるという構造とおなじである。

 けっきょく、日本人は動物の命を奪って食べるという痛みを一部の人たちに丸投げし、殺す人たちを憎んだり、差別することで自分たちの罪悪が帳消しにされるとでも思ってきたのだろう。ウルトラ技である。みずからひきうけるしかないのである。そして動物の命をひきついだ、かれらのおかげで人間は生きられると感謝の心を忘れてはならないということなのだろう。

 死を遠ざけた社会は老いや自殺も遠ざける。ふたをする。見えないものにする。そうして痛みや罪の意識をないものにする。関係ないものとして「外」に放り出す。そして死や自殺、老いに近づいたものは生産性や効率のマシーンからはじき出されて、その個人の上だけに悲劇や責め苦はのしかかってゆくのである。死を忘れた、隠す社会は人間から非効率なもの、非生産性のにおいのあるものをいっさい許さない社会をつくる。病、老、苦はあってはならないのである。社会の外に個人ははじきだされていってしまう。

 養老孟司はこのことを「脳化社会」という言葉で表現した。脳でコントロールできないものはすべて排除される。死や自然はすべてそうだ。人間の人生において不都合で、恐ろしきものはたえずふりかかり、わかちがたく出現する。そのときにはその個人、人間そのものが社会の外に放り出されるのである。非効率、非生産性のあるものはこの社会で生きられなくなった。


関連・参考文献 (いくつもの深いテーマがありそうですね)
私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語屠場文化―語られなかった世界 (ミニミニ・ブックス)屠場―みる・きく・たべる・かく 食肉センターで働く人びと牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)ドキュメント 屠場 (岩波新書)

食べ物としての動物たち (ブルーバックス)「いのち」を食べる私たち―ニワトリを殺して食べる授業 「死」からの隔離を解く唯脳論 (ちくま学芸文庫)無痛文明論食肉の部落史


老人と自殺―老いを排除する社会

いのちに触れる―生と性と死の授業



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Author:うえしん
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