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04 04
2010

日本崩壊80年周期説

近代の文豪が生きた時代から未来を読み解けるか

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 92年ころからはじまった閉塞感、下り坂の時代はどうなってゆくのだろうか。未来を読みとくひとつの手がかりとして精神科医・稲村博の「80年周期説」がある。稲村博はアパシーという若者の無気力――つまりいまでいう「ひきこもり」を明治の夏目漱石の「高等遊民」にみいだし、社会の周期を明治にあてはめて未来を読みとこうとした学者である。

 社会は一定の目標をもって新しい時代が立ち上がるのだが、おおよそ40年目あたりに社会が目標をうしない、その後落ちてゆくというサイクルをくりかえしているらしい。わたしはこのサイクル理論にいぜんから魅かれているのだが、明治・大正の時代をより深く読みといてみようということで、文豪の生きた時代とサイクルのグラフを重ね合わせてみた。文豪の生きた時代と生み出されなければならなった作品の背景がより深く読め、未来の道しるべを提示してくれるかもしれない。

 グラフをながめていただきたい。稚拙なグラフになってしまったが、わたしの技術の限界である。生没年はこちらのサイト「生没年グラフ作成ツール」でつくれる。

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 このグラフの見方は明治・大正のグラフ曲線をいかに現代の昭和・平成の曲線にあてはめられるかということにかかっている。昭和の曲線を明治にあてはめて、明治曲線はどうなったかを考える。たとえば昭和曲線ではピークは1985年ころと考えられるが、明治曲線ではだいたい1906年ころだからその後の歴史展開を現代にあてはめてみるのだ。

 昭和のピークは1985年ころでそのころから不登校やひきこもりがはじまりだしたのだが、明治では1906年で、現代と同じ時代状況であったととらえてみるのだ。夏目漱石が高等遊民を作品に登場させたり、石川啄木が時代状況の閉塞をなげいていたり、大学を出たけれどといわれたのもこのころだっただろう。

 富国強兵をめざした明治政府は1904ー5年の日露戦争の勝利により一等国の仲間入りをし、そしていっきょに目標をうしなってしまった。それはこんにちの1986年から1992年の世界の頂点にのぼりつめたと思われたバブル景気に相当するだろう。社会は40年ごとに目標をうしない、いっきに崩壊や下降の時代をむかえてしまうようなのだ。

 ロストジェネレーションはピークの1985年から約15年前ほどに生まれているから、明治では1891年ころ生まれということになる。1892年生まれの芥川龍之介が該当するか。芥川は「将来のぼんやりした不安」のために1927年に自殺している。

 だいたい1885年生まれの武者小路実篤、86年生まれの谷崎潤一郎、石川啄木が社会のピークころに成人し、その後は下り坂の時代を経験しているのだろう。ピークの時代は子どものころの空気にあったが、社会に出てからは坂道しか知らないという世代である。

 この年代は芥川を筆頭に短命の人がつづいている。石川啄木、宮沢賢治、そして繁栄の時代を知らないピーク以降の世代、太宰治、小林多喜二、織田作之助などみな短命だ。戦禍で亡くなる人もたくさんいたのだろう。

 明治の曲線では左にいくほど上昇の時代の幸福な時代を経験しているといえるし、ピークの時代以降に生まれた世代は不幸な時代を経験しているということになる。夏目漱石なんか明治維新の一年前の幸福な時代に生きているのだが、明治の富国強兵の空気に合わなかったのか、ニートやひきこもりの心情にかなり共鳴してきたようだ。でもおそらくは明治の勃興の空気や情勢をうまく自分にとりこめた人はもっと前、維新の20年前に生まれた1840年代とかそれ以前に生まれた人なんだろう。

 こんにちの成功者は1940年代の団塊世代より以前、1920年代、1930年代に生まれた人たちであったように。しかし幼少時代は戦禍の時代であって最悪であっただろうが、困窮や貧困を経験したからこそかれらには上昇志向やハングリー精神が生まれたといえるが。20年代に司馬遼太郎、遠藤周作、安部公房、三島由紀夫が生まれているが、この年代は昭和勃興期の果実をうけとれた世代なのかもしれない。ピークから15~20年後に生まれた人は不幸な幼少時代をへるが、幸福な上昇期をえられるかもしれないのだ。

 いちばん最悪なのは無頼派や退廃派とよばれた世代の不幸だろう。坂口安吾はピークの1906年に生まれ、物心ついたころから下り坂の時代しか知らない。世界恐慌の1929年は23歳で経験している。自殺未遂をくりかえした太宰治が1909年生まれ、大恐慌は20歳のとき、壇一雄は1912年、織田作之助は1913年生まれだ。『蟹工船』でリバイバルヒットした小林多喜二は1903年生まれだ。時代が転げ落ち、退廃や退嬰で生きるしかなかったのだろう。

 こんにちのサイクルでいえば、1985年以降に生まれた人、平成以降に生まれた人たちがこのような運命をむかえてしまうのかもしれない。いちばん不幸な時代に生まれた世代といえるかもしれないが、1909年生まれの松本清張のように長生きすれば、次サイクルの幸福な成長の時代にめぐりあえるかもしれない。

 稲村博はこんにちのサイクルのカタストロフィー、破滅的状況をむかえるのは2025年だと設定した。2010年からあと15年だ。1985年のピークから25年たっているから、明治のサイクルでいえばピークの1906年から25年で1931年に当たり、世界大恐慌の最悪期と重なることになる。くしくも2008年に世界的株価暴落がおこったのは偶然か、サイクルの一致か。

 1929年の世界大恐慌はピークから23年、こんにちのピーク1985年から23年はちょうど2008年になるわけで、サイクルはぴたりと整合してしまったわけだ。この暴落が世界大恐慌ほどの惨禍をもたらすとはいまのところ感じられないところなんだが。

 2025年のカタスロフィー状況とはどのようなものになるのだろうか。1939年から第二次世界大戦がおこっている。サイクルでいえばあと8年後の2018年だ。しかしこんにち好戦的な情勢は先進諸国にはほぼないから戦争の危険はかなりすくないといえるだろう。こんにちは経済的な時代であるから、経済的な危機がサイクル・パターンからは2018年ころにおこりそうだということがいえるかもしれない。

 日本のバブルが崩壊したのは1992年、不良債権がつもりにつもって大手証券や銀行が破綻したのは1997年、それから不況はいっきに進展したのだが、世界の不良債権がどうしようもなくなるタイムラグがあるのかもしれない。危機は2025年ほどまでにつづき、ひとつの時代の区切りをむかえて社会は新しい時代の上昇期をむかえるのかもしれない。あと15年ほどわれわれは経済の惨劇を味わうのかもしれない。

 サイクル理論というのはひとつのお遊びだ。歴史が過去とぴったりとくりかえすなんてことはありえないし、複雑な世界をひとつのパターンで単純化したいという欲望がつくりだす砂上の楼閣にしかすぎないと思う。あくまでもなんらかの参考や参照になるデータでしかない。そこには知的な探究心の楽しみがある。おなじ過去がくりかえされることなんてありえない。似たような状況やパターンが認められるかもしれないという浅はかな喜びでしかないだろう。楽しめた。


近代文学から社会を読む解く本はどのようなものがあるんでしょう。(ありそうで、なさそうで、みつかりません)
4140015713.jpg増補 日本という身体 (河出文庫)明治大正史 世相篇 新装版 (講談社学術文庫)

流行と虚栄の生成―消費文化を映す日本近代文学文芸にあらわれた日本の近代―社会科学と文学のあいだ明治精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

初のKindleセルフ本、発売中。他人に感情を振り回されてばかりいる人、過去を後悔してばかりいる人、必読。長年の習慣から解放される心理セラピー。



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