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03 26
2010

読書

電子書籍はなにができるか



 夢想して楽しむ。ぼんやりした期待にかたちをあたえるために。

Kindle DX Wireless Reading Device (9.7 Apple iPad 9.7inch タブレット 16GB Wi-Fi + 3G (仮称)
 ▲キンドルとipad (日本向けではありませんので注意してください)

 電子書籍のおおきな期待は値段をどれだけ下げられるかだ。紙の書籍のように印刷や製本、発送、とりつぎ、書店といったパッケージとしての経費がいっさいかからない。これまで本の5,6割はかかっていたといわれる。千円の本が半額五百円で可能だ。きょくたんにいえば印税だけでいいのではないか。印税はげんざい1割も支払われないと聞く。その価格だけなら千円の本が百円まで下げられることになる。

 もちろんアマゾンのようなネット書店は必要だし、出版社も本や著者の選別、販促・宣伝などの機能をうけもつだろう。電子書籍時代にネット書店や出版社はなぜのこる必要があるのだろうか。ネット書店は集客があるからであり、もしブログでの集客がよりおおければこちらから売ればいいのであり、必要なくなる。著者はネット書店に集客や店頭展示のマージンを支払わなくてもよくなる。印税だけで売れる。だからネット書店は集客や宣伝の強みで生き残らなければならないようになるのだろう。

 出版社の役割はなにがのこるのだろうか。紙媒体のばあい印刷や製本、流通などのコストが多大にかかり、売れのこったコストは出版社が払わなければならなかったのだから、著者や本の厳選をおこなわなければならなかった。出版社にはその信用力がつよかったのではないか。ネット時代には売れ残るコストの心配はすくなくなるが、かんたんに出版できるぶん、それだけ本の厳選力は読者からもとめられる。編集や印刷はデジタルでは必要ないから出版社はそのくらいの仕事しかのこらなくなるのではないか。出版社はなんのために必要なのか問われることになるだろう。

 本は直販で売れるようになれば書店も出版社も必要なくなる。メジャーなミュージシャンが自サイトから楽曲を売るようなものだ。中抜きはとりつぎやリアル書店だけではなく、出版社もネット書店も可能になるのだ。印税の一割だけの値段に下げられる可能性はある。ただ著者があまりにも安く設定してしまうと安物と思われ、信用されなくなるから、ある程度の高さは必要なのだろう。

 しかし事態はいっきょにそこまですすまないだろう。出版社もリアル書店も生き残りをかけてデジタル化の進行を食い止めるかもしれず、著作権でしぶったりする可能性もある。利権や権利でかこいこむのだ。読者が出版社や書店を必要とするいまのうちに電子書籍への移行をなんとかさまたげる方策をとってくるかもしれない。けっきょくそんな流れに逆らう生き残り策を講じて、イノベーションの一番手に業態をがっぽりもっていかれることになるのだろうが。出版社も書店も消滅を出発点に発想しなければならないのかもしれない。川の中州にとりのこされたような業界だと考えるべきかもしれない。

 本というのは高かったのか、安かったのか。文庫の五百円は安いように感じられたが、新書の七百円はすこし割高に感じられた。ハードカバーはビジネス書の千五百円とか二千円の価格は高かった。ビジネス書は生モノであったからすぐ価値をなくすのに、また薄くて字数がすくない本もそんな価格は不当に高かった。ビジネス書なんて五百円でじゅうぶんだとわたしは思ってきた。

 専門書になれば三千円や五千円もして本としては手の届きにくい価格になっていた。売れない本はそこまで高く設定しないと流通できなかったのだろう。ネット時代にはそんなことは関係なくなるが。

 ブックオフの躍進は本の通常価格では買えないという読者のホンネがつくりだしたものだと思うし、ほかのモノの値段が落ちるデフレ時代に本だけ価格破壊ができないおかしさにたいする反発がふくまれていたのだと思う。本は適正価格を上回っていたからおおくの利益を新古書店にうばわれたのだ。おかげで著者にも出版社にも利益がころがりこまない。

 電子書籍になればありがたいのは場所やスペースをとらないことだ。読書好きな人はたまる一方の蔵書にため息をつくことがおおかっただろう。すべてひとつの端末におさめることができるのだ。これは革命的だろう。ipodはCDのコレクションをすべてぶっこんで携帯することを可能にした。この心理的インパクトはけっこうおおきいと思う。自分の全財産や文化資本をすべて持ち歩きができ、ひとつの端末にすべておさめることができるのだ。自分の本棚や書庫の携帯や収納がこれひとつに可能になるのだ。

 おまけにひとつの端末に読んだ本のすべてが収納されれば、ずいぶん便利な使い方ができるようになるだろう。あの本はどこにいったかと書棚をさがさなくてもいいし、あの文章が書かれた箇所はどこか、どの本だったかさがす手間がずっとはぶけるだろう。自分の書棚の検索がずっとラクになる。紙の本ではあの文章はどこに書かれていただろうとさがそうと思えば、あきらめることがおおかった。手がかりがなければ、お手上げだった。検索機能はつくのだろうか。

 また本の文章をコピペできるようになれば、参照したい文章はずっと手元におきやすくなるだろう。紙の本では赤線をひいたり、ポストイットを貼っていた箇所をかんたんにひとつのファイルにあつめることができるだろう。そういえば雑誌なんてものも必要な特集やページだけをのこしてあとは捨てるような編集も可能になるだろう。というより、場所をとらないのだからそもそも捨てる必要などない。いくらでも蓄蔵可能だ。みんなジャンプとかのマンガは捨てていたのだが、のこす選択はずっとひろがるわけだ。十年や二十年前に読んだものを捨てないでおく選択はもっと余裕になる。

 紙の本というのはすぐに絶版になり、手に入らなくなるものだった。売れないものは書店においておけないものだった。電子書籍はスペースをとらないのだから、売れなくてもいつまでもおいておくことができる。十年前や二十年前の売れない本をいくらでもおいておくことができるのだ。これはうれしいだろう。必要な人には宝の山がいつまでも保存されていることになる。百年や二百年も前の本もずっとおいておくことができる。百年もたてば、たいていの本は読めることはないのだが、電子書籍はそれを可能にする。

 近代文学の本を評価や人気と関係なくいくらでも読めたり、マルクス時代の本をたくさん読めたり、ダーウィンまわりの本も読めたりする。世界の名著をのこす岩波文庫の役割は電子書籍が肩代わりしてくれる。そういう本は編集者や学者の手にかかって再出版されるのだが、そういうフィルターをかけない本の残り方も可能になる。なにより著作権切れした本はお金をかけることなく読むことができるようになる。いまでも青空文庫で読めるのだろうが、媒体の発達が電子読書の発展をうながしてそのような本のさかんな読書を可能にするだろう。古い名著で食ってきた岩波文庫や新潮文庫は困ったことになる。著作権の切れた本って無料で読めるんですよね。

 書庫を必要としないのだから本の出版や在庫はいくらでも可能になる。売れない本でも事実上コストはかからないのだから、自費出版や個人出版はずっと楽になるだろう。無数の人が本を出せる。ただしブログと同じで、たいていの人はそんな本を読まないだろうし、存在すら気づかないかもしれない。しかし本を出すコストは格段に下がる。ほぼゼロ円だ。ネットのブログと同じことで、事実上本の出版も無料でできるようになる。電子書籍によって本の出版は爆発的に増加するだろう。しかしこんどはどれを読むべきか、読むべき本はどれなのかさがし、知らせる役割はずっと面倒になり、煩雑になるだろう。無限の在庫ができるからといっても、売れない本の山が富士山やエヴェレストなみにひろがる未来が待っているのかもしれない。もちろんそれはサーバーの中に埋もれてだれも気づかなくなるものだろうが。

 キンドルやipodのような形態だが、ケータイ電話がパソコン化しているげんざい、本を読むのにこのようなかたちや線引きが必要なのかあやしいというものだろう。本を専用の読み取り機で読む必要はなくて、べつにケータイやパソコンで読むこともできるのだ。なぜきゅうにそちらに移行しないかというと、われわれは本を読むのは本によってだという思い込みがつよいからだろう。

 音楽をパソコンで聴くのは抵抗があって、ずっとラジカセやコンポで聴いていたようなものだ。テレビだってテレビ受像機で見なければならないと思い込んでいるだろうが、パソコンで見られる。音楽もテレビもパソコンにとりこまれるには、そのようなかつての習慣の切断が必要なのだ。本もおなじで、専用読み取り機で読み込まれる必要はない。パソコンで読めばいいのだ。ただパソコンはデスクトップであるとかおおきな形態のイメージがあって、モバイル可能なイメージがすくない。その間隙を埋めるためにしばらくはリハビリとして書籍読み取り機は必要なのだろう。移行レッスンが修了すれば、なんでこの機械で読まなければならないのかとなって、いずれ消えてゆくのかもしれない。融合して、パソコンやケータイのなかに消えてゆくのだ。

 本という形態もブログやホームページのなかに消えてゆくかもしれない。読むのに長時間かかる長文はなぜ必要なのだろう。われわれが知りたい、読みたい情報はそんな長文の中にしかないものだろうか。本がそんな長文になったのはなぜか。ひとつのテーマや項目に長時間ゆだね、熟考する機会や形態を本はつくった。ひとつのテーマにずっと頭をつっこみ、ねばり、いつまでもその思考を可能にした。本がなければ、私たちがひとつのテーマでずっと同じことを考えることはほぼムリだっただろう。頭ひとつではついほかのことを考え、ほかのことを思い、ほかの行動やなにかに駆り立てられるものだ。長時間同じイスに座りつづける習慣を本はつくった。思考の深化や掘り下げ、熟考を本は可能にしたのだ。あらためてその習慣はなんのために必要であり、なぜ必要なのか問われることになるだろう。

 本とはなにか。ネットのたくさんの文章や形態のなかで本とはなにか、最適なものはなにかと問われてゆくことになるのだろう。


電子書籍本
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Comment

安価、省スペース、検索性、業界慣行打破などは期待ですし、期待しています。

しかし、難しいですよね。

逆に、所有とかは少し危ういですね。以前海外で、購入した本が販売者側の事情で強制返金と削除された例がありました。またこれができると言うことは、誰かに都合の悪い記述を消した改訂版を強制交換とかもできてしまうんでしょうね。

あと、支払いカード情報と書籍所有データが連係しているので、匿名で書籍は買えなくなるのでしょうか?少なくとも図書館では書物と人間のひも付けは慎重にやられていましたが、下手をすると人物思想データベースとか作られてしまいますね。テロを口実にすれば全てが許されると思っている人たちがいますから。

こんにちは。

電子書籍は期待がおおきくふくらみます。とくに値段と本棚の携帯が可能になることですね。

でも値段は旧業界の生き残りがありますから、かんたんには下がらない気がします。まあ、ネットのほうでつぶしてゆくとか、戦争みたいになってしまうのかもしれません。旧業界は炭鉱業みたいになってしまうのかもしれません。

本の改ざんとか修正版とかかんたんにできそうですし、コピペばかりでできた本もできそうですね。かといって、コピペとか書き込みできない電子本なんていらないですし、シェア本とかで本も無料で手に入る危険性もぐんと増しそうです。

本のひもつけはたいがいの人はエロ本でも買って知られたら困るというていどでしょうか(笑)。思想のデータベース化はそんなに恐いものか、いまいちわたしには危険性を感じられません。共産主義とか、危険思想とか、さいきん政治対立がそんなに深刻化するキケンは感じられないような気がするのですが。

駅前の本屋はわたしのまわりではほとんど消えてしまいました。ツタヤの本なんて屁みたいなものですし。ブックオフがとおくにあるだけです。メガ書店は中心部にあるだけで、バイクでいけば駐禁でつかまります。電子書籍の条件はそろっているのでしょう。
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