HOME   >>  旅へ  >>  『物乞う仏陀』 石井光太
03 17
2010

旅へ

『物乞う仏陀』 石井光太


物乞う仏陀 (文春文庫)
石井光太

物乞う仏陀 (文春文庫)


 東南アジアからインドまで障害者や乞食の生きざまを追ったルポタージュであり、インドのストリート・チルドレンを描いた『スラムドッグ$ミリオネア』を見て興味をおぼえたから読んだ。障害者や乞食が血の通った、ふつうの人間として生きているさまがつたわってくるルポタージュである。

 中身の感想より、この手の本やルポはまずその姿勢やメディア・リテラシーが問われなければならないと思う。世界の貧困にたいする報道に私はすっかり目をそむけているし、豊かな国になった日本は世界の貧困を映すことがすくなくなったと思う。たまに特別番組でおこなわれるとその偽善さ、欺瞞さに目をおおいたくなる。貧しい国への援助募金はすばらしくていいことだろうが、偽善を感じるし、チャリティーをおこなう人たちへのシラケや距離感はどことなく人は感じているものだと思う。

 理由をさぐってみると、世界の貧困や悲惨さは個人の手におえない。自分の問題や生活で手いっぱいなのにどうして人を救えるのか。援助やボランティアをする人は世界をコントロールし、自分の手におえるという自負や誇大自己、もしくは優越感を充満させていることがたまらなくイタく感じるのだろう。個人に手におえない、個人ができること変えられることはなにもないという無力感と現実感が彼らの努力の誇大さに身をひかせてしまうのだ。

 私はかれらの心理的要因をさぐりたくなる。どうして貧しい人、困窮した人を助けようとするのだろうか。かれらの性格類型はあるのだろうか。自分が困っているから人を助けることにより問題を棚上げしたい、名誉や評価がほしいというエゴイズム的要因により困った人を必要とする、弱者をたすける正義の味方というパターンに魅かれた人ということになるだろうか。口汚い悪口になってしまうが、慈善やボランティアにはそういう疑念がつねにつきまとう。

 だからよいことなんだろうが、人は慈善やボランティアから身をひいてしまうものだと思う。私たちはどうしようもなくエゴイズムで利己的な人間であるという了解を打ち消すために慈善は利用したくないし、世界の圧倒的な力やシステム、経済的構造に刃向かえると思う誇大自己を保持するつもりもない。先進国の豊かで満たされた生活から、劣悪で貧困な人たちを見下げ、哀れみ、引き上げるという放漫な自尊心ももちたくない。序列の最低限につき落とす人間の手をさしのべる顔は醜い優越感が光っていることだろう。

 もうひとつ世界の貧困を報道するさい、本や雑誌などの商売を媒介するがゆえにそれはどうしても商業主義や儲け主義になってしまうという問題がある。悲惨さや救いがたさを煽れば煽るほど商売は儲かってしまう。悲惨さを報道することは金儲けや報道者の名誉が付与されることなのである。報道者は透明人間でもないし、それによって利益を得る人間である。この本に乞食の売り上げをあげさせるために手足を切ったり目をつぶして憐れさの演出をするインドのマフィアが出てくるが、報道者も同じ種類の儲けや利益を得ているという冷厳な事実がある。視聴者やスラムを鑑賞しにいく旅行者も同罪である。貧困を報道する、見るということはきわめてむづかしい重い問題をふくんでいるのである。

 この著者もなぜ障害者や乞食をアジア各地にルポをしにいく旅にでなければならなかったのだろう。純粋な興味だけですましてよいものだろうか。かれは世界の悲惨さをルポしたということで名誉や評価を得られるだろうし、さらには本の売り上げや原稿や写真の依頼さえ得られるのである。かれは悲惨をルポすることにより名誉や金銭、そして世界の暗部や最低辺を知っているという優越感も得られるのだ。厳しすぎるまなざしだと思うが、この問いを棚上げして世界の悲惨さを無邪気にのぞくこともまた罪が重いのである。

 いったいどうすればいいのか私にももちろんわからない。人間が生きるためにはほかの生き物の命を奪って生きるしかないという事実と同等に考えたらいいのか、そもそもなにもできないと目をふさぎ、報道をやめ、助けることも援助もやめてしまうほうがいいというふうにはならないだろう。自分たちの罪を自覚しながら、かかわってゆくしかないのだろうか。おのれの罪を恥じながら、罪をふやさないような対応が求められるということか。このような問題を考えた人の考えや著作を知りたいと思うのだが、私には見つけられない。

 この本では障害者や乞食でも人なつっこくて親しみを感じさせて、ほほえましくなるエピーソードや著者とのかかわりが描かれていて、悲惨さや過酷さをこれでもかと思い知らせる本ではなかったのでそれはよかったかもしれない。障害者や乞食のふつうの人としてのなりや親しみやすさがつたわってきて、明るさやほほえみがもたらされた。

 アジアで著者は乞食の認識を変えた。信じられないくらい明るく活き活きとしていて、仲間と冗談やひわいなことをいって話をかわし、また次の日を前向きに生きてゆく。ベトナムでは貧しさは恥ではない。あたりまえのことなのだ。物乞いでさえ、生きるための糧を得る正当な手段であり仕事なのである。著者はアジアに人間の悲惨さを見にきたようだが、そのような面があるのはたしかだが、その一面だけではないことを知るのである。だからこの本は悲惨さより、安らかさや穏やかさが感じられる本である。


kotaizum.com
「物乞う仏陀」取材写真


神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く 絶対貧困 カラシニコフ I (朝日文庫) アフリカを食べる/アフリカで寝る (朝日文庫 ま 16-5) カラシニコフ II (朝日文庫)
by G-Tools

関連記事
Comment

インド ストリートチルドレンの話は 嘘だね。

もし本当なら 石井氏は
なぜ ムンバイ警察に連絡しなかったのか謎だ。

因みにスラムドックは あくまで映画で フィクションです。
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top