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03 09
2010

書評 社会学

『フリー』  クリス・アンダーソン


フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略
クリス・アンダーソン

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略


 ネットにおける無料(フリー)っていったいどうなってゆくのだろうかと思う。ブログを書いていても一銭にもつながらないし、新聞やニュース記事は無料で読めるし、YouTubeでは音楽ビデオやドラマは無料でいくらでも視聴できるし、ブラウザやソフトも無料で手に入る。フリーが既存産業を破壊してゆく。ネットでは稼げないし、メシも食えない。こんな状態で「フリー」について興味をそそられない人はいないだろう。

 インパクトのあるそのものずばりの「フリー」と名づけたこの本は15万部のヒットとなったようだ。ネットではおもしろいという人がおおかったようだが、わたしとしては350ページほどあるこの本をあまり楽しめて読めたとはいいがたい。自分がいちばん知りたいこと、心に刺さることが書かれていなくて、方向性やターゲットが違うように感じられた。自分でもなにをいちばん知りたいのかもわからないのだが、すくなくともフリーの経済的歴史やよく頻出した経済学理論でもない。タイトルとテーマ勝ちで、できればほかの人にもこのテーマで本をたくさん出してほしいものだ。

 この本でいっていることは「フリーは止められない、デジタルのものは遅かれ早かれ無料になる、いずれフリーと競い合うことになる」と、フリーを受け入れて流れに乗るしかないといっている。しかしそれ以上にこの本のメッセージは「フリーの周辺でお金を稼ぐことがビジネスの未来になる」と宣言している。「フリーによって得た評判や注目を、どのように金銭に変えるかを創造的に考えなければならない」ということだ。

 「コンテンツ製作者は自分の提供するものから料金をとろうという夢をあきらめるのが賢明だ」といっている。ミュージシャンは楽曲で稼ぐのではなくて、コンサートやグッズ販売で稼げということだ。中国やブラジルなど新興国では不正コピーや海賊版が横行していて、とりしまるだけでコストがかかり、ぎゃくにそれで得た評判や注目を利用しなければならないといっている。マーケティング手法として利用し、CDは不正コピーされるので収益を生まないが、代わりにCMやスポンサーで収益化をはかれというのだ。

 「中国では音楽に課金した瞬間に九十九パーセントのリスナーを排除することになります」。マドンナはコンサート運営会社と収入をカバーする契約をむすんでいる。

 わたしとしてはコンサートは好きではないので楽曲に金を支払いたいが、すぐにコピーできる潤沢なコンテンツの流れは押しとどめることができないようだ。周辺で創造的に稼ぐ方法を考えるしかないのだ。YouTubeではセリーヌ・ディオンがみずからのページをつくって無料で視聴できるようにしている。削除依頼や裁判の抵抗の流れから、受け入れて利用する方向に変わってきたようだ。それにしてもYouTubeはうざいほど広告でいっぱいになり、iTunesにリンクを貼るだけならまだマシだと思っていたが、とうとう無償経済から脱皮しはじめたようだ。

 ネットはテレビのように広告で支えられてゆくのだろうか。わたしとしてはやはり第三者が支払うもので無料でコンテンツが見られるのは気に食わない。買収されているようでいやだし、コンテンツに賛辞を送る意味でコンテンツに直接お金を支払いたいものだ。しかし音楽はいくらでもコピーでき、ニュースは無料で読め、価値のあるブログも課金されることはない状況で、コンテンツにお金を払うのはむづかしいというものだ。「フリーミアム」といって少数の有料利用者がおおくの無料利用者を支えるモデルが提唱されているが、もっとほかにいい方法はないものだろうか。

 なぜ音楽やニュース、動画、コラムなどのコンテンツは無料になったかというと、いぜんはパッケージや紙の印刷物として、つまり「モノ」として配送されなければならなかったからお金がかかったが、ネットやデジタル技術によって配信や発信はほぼゼロ円になったからだ。コンテンツを送るのに大がかりなシステムや組織が必要だったのだが、ネットはいっきょにその垣根をとっぱらってしまった。じゃぶじゃぶ発信や配信ができる「空気」や「水」のようになってしまった。水の流れをせきとめることはできないのだ。

 この本ではその役割をこれまで独占的にはたしてきたマスコミの崩壊や危機がとりあげられていなかったから、ものたりなかったのかもしれない。じゅうらいのコンテンツ産業が消滅や崩壊の危機に立たされているのだ。すっかりさま変わりする時代や社会はすぐそこまできているのにその世界の素描がなかった。こちらの方面からの切りとりがあったらもっとインパクトのある本になっていたのにと思う。フリーに落ちる世界でひとつの「帝国」が終わろうとしているのだ。帝国の崩壊や黄昏に興味がない人はすくないだろう。勝者や権力者の没落ほど人の興味をそそるものはない。あるいはわれわれが慣れ親しんだ地盤が崩落するのだ。無関心ではいられない。

 いろいろなものがフリーになる状況を見ていると、われわれの社会はながらく貨幣でしか動かない社会をつちかってきたのだが、人間は貨幣ですべてをくくれるだけの活動をしてきたわけではないことをあらためて思い知らされる。貨幣社会においてそれらの部分は抑圧されてきたのだが、ネットはその欲求を爆発的に解放したようだ。すなわちわれわれは「評判」や「注目」がほしかったのだ。 貨幣経済もその欲求にしたがって動いてきたのだが、生産ー消費社会ではそれは「モノの所有」によって満たさなければならないものだった。われわれは便利で機能的なモノをほしかったのではなくて、評判や注目がほしかったのだ。工業社会での評判や注目はカネやモノの所有によって測られた。だからわれわれはせっせとモノをつくり、カネを貯め、モノを所有したのだ。それがネットの登場により、いっきにカネやモノとつながらない評価へとシフトしようとしている。

 なぜ人は一銭の稼ぎにもならないブログを書いたり、絵や音楽をネットで発表したり、無償でウィキペディアに文章を書いたり、フリーのソフトをせっせとつくるのだろう。「それは楽しいからであり、何かを言いたいから、注目を集めたいから、自分の考えを広めたいからであり、ほかにも無数の個人的理由がある」

「人々は創造的になり、何かに貢献をし、影響力を持ち、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じる」――工業社会や貨幣社会においてその欲求はあまりにも抑圧されすぎてきたのだ。だからわれわれは無償で喜んでネットでブログを書き、YouTubeに動画をアップし、ソフトウェアを無償で配る。われわれのほんとうの人生の欲求とはそのようなものだったのではないだろうか。

 「評判経済」や「注目経済」がネットでどんどん増殖している。しかしその世界は無償であり、貨幣が流通しない。いくら評判や注目がほしいといっても、カネでメシを食ったり、生活費を稼がなければならない。ネットでいくら評判や注目を集めたところで満足や幸福は感じられるかもしれないが、それでメシが食えるわけではない。集めた注目や評判によって創造的に稼ぐ方法を見出さなければならないのだ。注目や評判をステップやテコにして、そこから周辺で創造的に稼がなければならないのだ。「作家の敵は著作権侵害ではなく、世に知られないでいること」なのであり、フリーを敵視する姿勢でこれからのフリー・フォール社会を生きてゆくことはできないのである。


著者のブログ
クリス・アンダーソンのブログ(もちろん英語)

たった一人で組織を動かす 新・プラットフォーム思考 Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y) 大人げない大人になれ! クラッシュ・マーケティング ヘッテルとフエーテル 本当に残酷なマネー版グリム童話
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Comment

その通り!

やっぱ、うえしんさんすごいわ。
まさに、わたしも最近考えていたことです。
出版しましたが、いままでアマゾンで4冊売れただけです。
もう、紙媒体で稼げる時代じゃないです。
では、なにを金にするか。
講演会?
マスコミのギャラ?
どうもしっくりこないのですね。

フリーの流れ

ウェブ経済におけるフリー(無償化)の風潮には抵抗できないとしても、貴ブログは商用コンテンツに匹敵するクオリティの高さがあり、いつも丁寧に書き込まれた書評を楽しく拝読しています。

ウェブで一定の評判や注目を集めたとしても、それをマネタイズするのは企業でも苦戦している状況ですから、「ウェブとリアル双方で課金できる何か(商品化できる自己の能力や場)」がないと、ウェブの活動だけでメシを食うことはできないでしょうね。

アクセスが数百万以上/日くらいの単位になってくれば、サイト・ブログの運営でも広告やアフィリエイトでメシを食えると思いますが、個人でそこまで人気のあるサイトを作るのは現状では芸能人など著名人に限定されると思います。

投げ銭システムが一時期流行ったりもしましたが、初めはものめずらしさで投げ銭してくれる人がいても、「投げ銭する電子マネーへの転換の手間・コスト」もあり普及しませんでした。

また、世間一般的に「ブログ=余暇に書く趣味的なもの」という先入観が強いので、ブログの書き手が収入を必要として書いているという予測が働きにくいということも、「課金・投げ銭に対する心理的ハードル」になっていると思います。

読んで面白かったり役に立つ内容であれば、数百円は難しいとしても数十円くらいなら対価を支払っても良いというユーザーはいるはずですが(月に1,000円近い有料メルマガでも、人気のあるものは数千部~1万部前後は売れますので)、少額決済を気楽にできるシステムがないという問題もありますね。

こんにちは、ohmasakunさん。

ブログをはじめられたようですね。おめでとうございます。
ブログは宣伝ととらえるか、あるいは課金されるものなるのか、むづかしいものですね。しかしフリーの流れとは太刀打ちできないものなのでしょうね。わたしたちは考察の道具としてのブログをおこなっているという感じがしますが。

学術書は売れないものなんでしょうね。文芸誌などでは五千部ほどしか売れないとか聞いたことがあり、なおかつそれを読むのは新人賞に応募したものだけといった話を聞いたことがありますが、学術書というのもマーケットがかなり小さなものなんでしょうね。学術書を読む人口っていまどのくらいいるのでしょうかね。いまは新書で食われているのかもしれません。

かといって注目や評判をもとめて一般受けするものだけめざすのもどうも違う感じがしますね。あるいはそちらにかぎりなくシフトするほうが賢明なのか。ビジネスと割り切れる人は集客や注目を第一ととらえる考えができるのでしょうね。

この本ではフリーの周辺で稼げといわれていますが、無料がひろがりおトクと思われている状況ではコンテンツに課金するのはむづかしいのでしょうね。マーケティングとしての無料と、合わせた課金がコンテンツにおこなわれてゆくのが探る道なのかもしれません。

こんにちは、ブレイスさん。

商用コンテンツにわたしのブログが匹敵するといわれてうれしいです。しかしこのFC2ブログでは課金するシステムがありますが、わたしのブログで課金なんかしたら、いっせいにブログを読んでくれなくなるでしょう(笑)。分をわきまえて、自分の考察を人が読んでくれればいいという姿勢で、これからもやっていきたいと思います。

ネットは無料の世界がどんどん拡大していて、YouTubeにようやく広告が入るようになったり、雑誌のコンテンツの何ページ目からの課金が目立ってくるようになりましたね。フリー天国が閉じられてゆくようですが、コンテンツのおおくは無料にして、何割かだけ課金するというシステムが、これから増えてゆくのかもしれません。

それにしてもネットの課金はいがいに大きな稼ぎがあるようで、年間三千円の課金で購読者を千人集めれば年間三百万の稼ぎになります。けっこう手近な目標で生活できますね。といっても三千円の課金に千人のお客というのは個人コンテンツではそうとうにむづかしい目標でしょうが。

投げ銭システムというのがありましたが、いまはさっぱり聞かなくなりましたね。時期尚早だったと思いますし、コンテンツが無料になってゆく時勢に抗することなんてできないことだったんでしょう。

ネットは無料化でどんどん拡大してゆきつつ、課金もこそっとなされるという方向ですすんでゆくのでしょうね。個人はどうあがいても無料で、読んでもらえるだけで御の字という気持ちでやるほうがいいのでしょう。潜在的には大きな可能性があるかもしれませんが、まずは注目や集客を無料であつめる姿勢に徹するのがいいのでしょう。いまは無料でコンテンツを磨く時期なのかもしれません。ただわたしがやっているもので稼ぎが手に入るというのはほぼむづかしいと考えていますが。

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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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