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01 11
2010

書評 歴史

『大和民族はユダヤ人だった』 ヨセフ・アイデルバーグ


大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)
ヨセフ・アイデルバーグ

大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)


 こんな「トンデモ本」を読んでしまってすいません。でもおもしろかったし、興味ひかれるナゾというのはこういういかがわしい本にぬぐいがたく見つけてしまうのはいたしかたがない。

 この本でいちばん驚いたのはヘブライ語と日本語の類似性である。この頻出する類似性にはナゾを解かなければならないなという気持ちにさせられる。『旧約聖書』と『日本書紀』の類似性はある程度は納得した。私はこれらはたんに文化伝播や文化流入で片づけられると思っている。ユダヤ教やキリスト教が古代につたえられていてもなんらおかしくないと思う。

 おかしなワールドになるのはイスラエルの失われた十部族が大和民族の祖先になったというあたりだ。いくら国を追われたからといって日本まで安住の地を見つけにくるか。こういう発想になるのはユダヤ聖典至上主義というか、聖典の痕跡を現実の世界に見つけたいという宗教的願望によるものだろう。聖典の徴候、聖なるものの片鱗をすこしでも見出したいという熱狂が十部族の足跡をどこまでも解明したいという行為に結びつくのだ。「すごいもの」を見出したいという気持ちは聖なるもの、神格化されたものによういに発動しやすい。

 たいして日本人には「進んだ優れたヨーロッパ人」と「遅れた劣ったアジア人」という対比によるコンプレックスを解消してくれる福音になる。遅れて劣ったアジア人では日本人はなかったという優越感をこの物語はあたえてくれるのだ。日本人は先進で優れたヨーロッパのユダヤ人の末裔だったといわれれば、ずいぶん劣等感をなぐさめてくれる。もしこの劣等感がなければ「それがどうした」で終わってしまう話にすぎない。トンデモ本にはこういうあからさまな劣等感の解消があって、それが透けて見える人にはバカにされる原因になる。劣等感の補填はある人には見えなくなる心理的作用があるのだろう。

 大和民族がユダヤ人の末裔だったという説はとても首肯できないが、言葉の類似性とどうして日本の歴史にはユダヤ教やキリスト教の伝播や流入の事実がのこってないのだろうということが気になる。『日本書紀』はもしかして『旧約聖書』が写されたものとこの本からは考えられる。でもこの著者にはユダヤ人の末裔が大和民族だったという説になるのだが。

 神武天皇は種族の長に「アガタヌシ」という称号をあたえたが、ヘブライ語では「アグダ・ナシ」「集団の長」の意味になる。ソロモン王はさいしょのヘブライ寺院をイウスの街、いまのエルサレムに建てたが、イウスは日本では意味が不明の「伊勢」に言葉が似ていないだろうか。そういうと「イエス」でもおかしくない。大和という言葉はいまいち意味がわからないが、ヘブライ語方言では「ヤ・ウマト」つまり「神の民」という意味になる。この本では書かれていないが、聖徳太子はキリストの神話を模したものだという説もある。『旧約聖書』が『日本書紀』に似ているとは思ってもみなかったが、この本で指摘されているのだが、けっこう類似性があり、日本で書記が編纂されるさい、模して書かれたのかもしれない。

 ではどうして日本はユダヤ教やキリスト教の流入を公式に認めてこなかったのだろう。仏教や神道は正式に認められた国教である。またわれわれはどうしてユダヤ教やキリスト教が近代以前に流入してこなかったという説を信じているのだろう。ユダヤ教やキリスト教はあまりにも神道や仏教に同化・統合されてしまったのか、それとも神道や仏教の影響や支持もしくは中国・朝鮮の影響がつよくてヨーロッパ系の宗教は消されてしまったのか。キリスト教は近代以後に日本につたわったと信じられているが、古代から流入していたと考えるのが妥当かもしれない。ユダヤ人が日本に移住したという説は私はとらないが、貿易や文化伝播もしくは間接的流入はあったと思う。

 さいごにヘブライ語と日本語の類似性をピックアップしたいと思う。

 バレル――見つけ出す
 ばれる――見つけられる

 ダベル――話をする
 だべる――おしゃべりをする

 ハエル――輝く
 映える――てり輝く

 ハヤ――速く、急速に
 はやい――早い

 コール――寒さ
 凍る――氷になる

 カサ――覆う
 かさ――傘

 ナハク――泣く。叫ぶ。
 なく――泣く

 カバラ――人の罪を着る
 かぶる――人の罪を着る、頭などにおおう

 ミカドル――高貴なお方
 みかど――日本の高貴な皇帝

 シャムライ――護衛
 さむらい――侍

 この類似性がヘブライと日本の奥深い関係に信憑性をあたえる。しかも名詞ばかりではなく、動詞もあるのだ。名詞ならたとえばモノが輸入されるさい、冠せられることが考えられるが、動詞はそうとう深く侵入していないとよういにはとりこめないものだろう。日本は明治以降ヨーロッパの言葉をたくさんとりいれたが、やはり名詞がおおかったのではないだろうか。カタカナ用語が街に氾濫しているが、動詞の侵入はすくないように感じられる。ヘブライ語との類似はそれ以上のものを感じさせるのだ。

 とはいっても私は文化の流入はあったと考えるが、ユダヤ人が定住したとまではやはり考えない。こんにち先進の言葉が海外からとりいれられるように古代においても海外の言葉の流入がおこったのだろう。しかしそれにしても深い浸透といわざるをえないが。


比較してみますか
旧約聖書 創世記 (岩波文庫)旧約聖書出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)旧約聖書ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)
現代語訳 日本書紀 (河出文庫)

 日ユ同祖論 ウィキペディア(Wikipedia)


じつはひそかに読みたかったりします。
日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)

驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)古代日本、ユダヤ人渡来伝説日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相 (ムー・スーパーミステリーブックス)

[超図説] 日本固有文明の謎はユダヤで解ける (超知ライブラリー)日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

関連記事
Comment

うえしんさん、こんにちは

う~む。
アヤシイ匂いがしますな。『トンデモ本の世界』P156に、その種の本の記事があるので、ご参照を。

民主党の小沢一郎が、韓国で「騎馬民族征服説」(学会では完全に論破されてる学説)を披瀝して、顰蹙を買いましたが、確かに日本古代史は文献が少ないので想像力を掻き立てますね。

だからトンデモ本があとを絶たないのですが…

屋根裏の散歩者さん、こんにちは。

こんなアヤシイ本を紹介しちゃってすいません(笑)。

これが魅かれるのは日本の起源にユダヤ教やキリスト教が参入していたということですね。

日本の起源は神道や仏教で、キリスト教は江戸時代あたりに流入していることになっていますが、この説をとりいれると日本は古代からヨーロッパの香り高い(笑)先進国家だったということになりますね。

たしかに聖徳太子はキリストの姿を模したものとしか思えません。ともに馬小屋で生まれていますしね。

そうすれば『日本書紀』はユダヤ教やキリスト教が刻印されているのにどうして仏教や神道しか表立って出てこなかったのかという話になります。

私はもちろん日本人の祖先がユダヤ人だったという説はとりませんが、文化伝播、文化流入はあったと考えます。なぜユダヤ教やキリスト教は封印されたのでしょう。仏教や外来宗教の一派にすぎなかったのでしょうか。

こんにちは

いろいろ調べてわかったのですが、ヤマト民族は、小型のユダヤ人かもしれないです。アジア人の祖先と言われているセム(Shem)、ハム(Hum)、ヤペテ(Japeteh) 系統の子孫です。しかしですね、おそらく相当迫害されていたと思います。文明は持っており他のアジア系人種よりは優秀だと思いますが。

ヘブライ語と日本語の特性に隠されたメッセージが沢山あります。
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