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12 20
2009

知識論

『頭がいい」のに使えない人!』 樋口 裕一


「頭がいい」のに使えない人! (青春新書インテリジェンス)「頭がいい」のに使えない人! (青春新書インテリジェンス)
(2008/03/04)
樋口 裕一

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 頭がよさそうに見える人の欠点やあやまちを暴きだした本で、なかなか興味深かった。基本的にカンチガイの知性にだまされて劣等感を抱く必要はないと説いた本で、知性派自慢のツラの皮を一皮むくための本である。私は自分がこんな知識自慢をしていないかと反省する意味で読んだが、それぞれの知識自慢のカラクリがわかって勉強になった。

 たとえば批判家。かれらは批判するだけで建設的なことはいわないし、それで上になった気や優越感にひたる。つぶすだけならだれでもできるのだが、私自身も若いころそういう過ちにおちいっていた。パソコン通は解決を求めているだけなのにパソコンの構造や理屈を教えようとする。

 芸術を知ったかぶりする人は一面的な表現をしてみずからの感性と知性の貧弱さをさらしている。歴史にうるさい人は歴史小説と史実を混同しているし、ヒーローや英雄と自分を同一視する恥ずかしさがある。大衆受けをバカにする人はまさに私もハマッた自慢で、自分を特別な存在に祭り上げたいのだろう。

 過去の栄光を語る人はいまがみじめであり、実績は時代が違いによることが大半。人脈自慢はもちろん自分に自信がない裏返しであり、派閥をつくりたがっている。謙遜好きな人はみずからのポテンシャルを誇っている。正論好きな人は当事者意識がまるでなく、問題点の分析や提案がひとつもない。読書家気取りは数を読むことだけに熱中して頭に入っていない。

 …とまあ、こんな感じだが、知識自慢な人を批判するより、自分がそういう知識の過ちにおちいっていないか反省する意味で参考になった。でも知識というのはさいしょに反省するより、知識バカ、自慢バカになってとりあえずは極めたり、上をめざして、過ちや恥ずかしさに気づいて修正してゆくほうがいいと思う。さいしょから反省や萎縮してしまったらなんにも身につかない。とりあえずは愚かな上をめざすほうがいい。

 知性を誇り、さらし、自慢にしたいのは人間のひとつのサガ、認知欲求である。人はそれによって自分は価値があり、優越しており、存在価値があり、人に認めてもらったり、自分で認めたいと思っているのだろう。他人から見て人の知性自慢は不快であったり、劣等感を抱かされたり、オマエは下だ、劣っていると宣告されるようで腹立たしいこともあるだろう。しかしこれが人間というものであり、認知欲求を落とした人間は自信喪失や自虐的になり、生きにくくなるかもしれないし、他人からも蹴落とされ、価値のないものに貶められてしまうかもしれない。だから人は他人から不快に思われようが、知性をさらすことがやめられないのである。知性のそのような自慢のカラクリを知れば、他人のオレがオレがの自慢もすこしはしのぎやすくなるかもしれない。

 ニーチェは人間の知識欲求は権力や地位への欲求だと暴きだした。真実や中立や平和をめざして知識は求められるのではない。たんの人間の権力への欲望なのである。他人を不快や劣等感を抱かせるのは当然のことである。それこそがほんとうの目的であるからだ。だからそのカラクリを知ったのなら、他人とぶつからない知識の見せ方、扱い方を心がけるべきなのである。自分の純粋な知識欲求などない。それはポリティカル(政治的)なものであると自覚した上で、知識とつきあってゆくのが好ましいのだろう。

 知識自慢の失敗はそのまま知識自体の失敗でもある。人の知識自慢は知識自体の失敗であると自分で戒めるのがいいだろう。他人事で終わってしまえば、その知識の失敗は自分の知恵として学べない。知識は人を通してその欠陥や欠点を垣間見せるのである。批判家、パソコン通、歴史好き、大衆蔑視などはすべて知識自体の欠点があふれ出たものである。この知識の欠点を学ばないで他人の批判だけで終わるのはまちがいというものだろう。

 知識はおおくの過ちやまちがいをもつものである。人間の地位、序列に知識は利用され、上下関係の選別装置、断罪装置になることもある。また人間の思考や知識は過去や未来をつくりだし、概念で人を序列づけたり裁いたり、あるいは苦悩や苦痛をつくりだした。思考の実体化、現実化がどれだけ人間を苦しめているか計り知れないものがある。

 知識をあつかううえで知識の欠点や限界、弊害を知っておくことはひじょうに大切なことだと思う。あまり知識の欠点をあぶりだした本には出会えないのだが、私は荘子やクリシュナムルティ、フッサールの近代合理主義批判に学ぶところが大きかったと思う。言語学も大事で、言葉の限界や弊害も知っておかなければ一番大事な道具の言葉の限界も弊害も知りえない。ウィトゲンシュタインもそういうことをいったのかなあ。知識を愛するのならその限界と失敗も知った上でつきあうのがベストなのだろう。


知識の欠点と限界
荘子〈1〉 (中公クラシックス)自我の終焉―絶対自由への道ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たちSelect)

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耳の痛い話

人脈自慢、歴史にうるさい人、読書家気取り、芸術を知ったかぶりする人、
過去の栄光を語る人・・・
何やら耳の痛い話ばかりです。
ただ、自分の中に、自慢できるものがあるのは
まだ救いがあるような気もします。

「他人をしのぎたい」「自分を、より良く見せたい」という低レベルで
終わってしまうのではなく、
周囲・社会を、良い方向に変えるために、
自分が得た知識を生かす方へと、自分の考えを変えれば良いように思います。
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