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11 20
2009

書評 性・恋愛・結婚

『私という病』 中村うさぎ

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私という病(新潮文庫)
新潮社 (2014-11-07)
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私という病 (新潮文庫)中村うさぎ

私という病 (新潮文庫)


 作家中村うさぎがなぜデリヘル譲になったかという話だが、男性諸氏が期待する風俗ルポタージュを満足させる内容ではまったくなくて、またそこまでして世間に名を売りたいのかという不審を払拭する本であり、この本はだれに読まれるべき本であるかというと、「女であること」に悩む女性たちに贈られた本である。射程は東電OL事件もふくまれている。

 内省たっぷりでかなり議論がややこしく、読みがいも考えがいもある本なのだが、男の私としては理論がこんがらがって図式的な理解ができない。要はなにをいいたいのかというと、年をとって男に欲情されなくなった女がふたたび金銭という目印でわかるかたちで、男に欲情されたいということなのだろうか。女の自尊心がつき落とされて、ふたたびそのプライドをリベンジしたいという思いが作家中村うさぎを風俗譲へと駆り立てた。男はすぐに男に飢えているからだろうと短絡して考えるが、地に墜ちた女の自尊心の回復が風俗に走った根底にあるということだ。

 この自尊心回復の物語は東電OLにも通じてくると推測され、エリートOLはおそらく女として生きることを抑制して生きてきたから、女の自尊心を満足させるために彼女は夜の街に立ったのだとこの本ではいわれている。

 女性というのは二つの面を求められる。男に求められ、欲情される娼婦性と、家庭や仕事などで求められる淑女性というふたつの面だ。性的でなけらばならない女性と、性的であってはならない女性に分裂させられる。東電OLは性的な女性であることに嫌悪感や罪悪感を抱いて育ち、社会的成功を手に入れたが、いっぽうでは女としての「負け組」のプライドを回復するために、あるいは女の自尊心の快楽を味わうために夜の街に立ったのだと中村うさぎは分析している。男がすぐ思うように性的衝動につき動かされてではないのだと中村はいいたいようだ。

 女性は性的な匂いをさせていれば男になにをされても仕方がない状況におちいる危険と隣りあわせで、中村が風俗をやったために差別や侮蔑をうけたようにならないために、女性性を隠すように育てられる。それがいきすぎると女性嫌悪や成熟した女性を避けようとする摂食障害になったりする。また女性性を払拭した生き方だけをしても、女性の自尊心も満足されないし、しぜんな性的満足もえられないだろうし、かといって淫売のように男にもてあそばれる存在になる転落とも紙一重だ。女性はそんな狭間で苦しんでいるといえる。

 女性はひじょうに繊細に注意深く自分の女自意識をコントロールしなければならないのである。しかしバランスをうしない、嫌悪や羞恥にとらわれたり、役割意識にからみとられたりして、自身の女性性を疎外しがちになる。しかし心の中の眠れる姫、女性性の願望や叫びはやむことはないのである。

 中村はOL時代やフリーランス時代にセクハラや仕事の代わりに一晩付き合えといわれ、とことん男性憎悪になった。女であることを呪った。ミニスカートをはく女の子は男を誘うためでなく、同性の目やカッコよさを追求しているだけであって、男は誘惑だと勘違いするなと憤っている。女性はこちらの望みと関係なく、性欲や欲望の対象とされてしまう。そういう性的客体にされてしまうことに中村は激烈な怒りを抱いている。しかし心の眠れる姫は許してくれないのである。中村がホスト遊びや風俗譲になったりした理由はこの性的主体になることの試みだといえる。

 私は仏教や老荘などの本を読んできたから、中村の自意識や自我の拡大が気になった。そんなもものは捨ててしまえ、心の思いや考えは無視しろ、自我や思考を大事にするなという考えになじんでいるから、どうも中村が自我拡大の病にかかっている気がした。もちろん論考や分析というのは深く思い、考えるということがなかったらその問題を考えたり、考察することはできないので、とことんその道を追求するのもひとつの道である。深く考えて女性性の問題を開示して分析するのは、同じ女性性の問題になやむ女性たちへの道しるべになるだろう。

 中村は仲のよいオカマに茨姫みたいにトゲトゲの蔓をはりめぐらせていると表現されたそうだが、自意識や自我にこりかたまっているのだ。自分が自我の病にかかって茨のなかに身体ごと放り込んで現代社会の問題を血を出しながら見せてやるといった体当たりを演じている。彼女は権力や欲望や自我の極限をめざして、自己の愚かさや過ちを体験して、過ちをおかし、現代自我の問題を垣間見せようとしているかのようだ。自我というよりか、権力の病に思えるのだが。

 中村うさぎはとことん自我の格闘を演じて、さいごは瀬戸内寂聴のように出家してアガリになればいいと思う。彼女は自我の重みや膨張をとことん追求して、さいごは風船がはちきれるように自我の破裂を経験しようとしているのだろうか。それまでは自我の病、苦しみをとことんわれわれに開示しようとするのかもしれない。「私は現代社会の自我の病の実験台よ、たっぷり自我の病を見せてやるわ」といった使命感をもっているのだろうか。彼女はいつか自我を捨てるのか、それとも重い自我をかかえもったまま人生を全うするのか、それは現代社会のゆくえとも重なってくるのかもしれない。



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Comment

実は逆に

売春は男にもてあそばれる行為ではなく男をある意味服従させる行為である。
性行為自体が実は逆に女性の方が男性を服従しているのである。だから東電OLは復讐のために売春をしていた、と語っていた男性がいました。共感できました。

大企業では男社会だから、性的な面で男をかしづかせたかったというのはわかります。

中村うさぎは女の自尊心といっていますが、もっと政治的な支配力をほしかったという面も考えられますね。

権力論として読むべきかもしれませんね。

中村うさぎと

中村うさぎとしたいな

書評者もずれてる

自我云々ではなく ただの「私」としての自分を確立できていないだけでは?
自信の無さを「女」としての異性からの価値にすり替えて必死に埋めようとするから根本的な問題解決にならず堂々巡りで迷路にはまっているだけでしょう。
あと、老荘は自我を捨てろとは言ってませんから~~

心臓停止におちいったとか。
浪費に整形繰り返し生活破綻。すっかり狂った感情を脳からただ漏れし文章にぶっちゃけて私生活を叩き売りする繰り返し。
還暦まで後5年の更年期真っ最中の免疫不全みたい。はたから見ていて痛すぎる人で体が限界越えた感じ。
この人は考えなしで突き進むだけで自分の望んだ幸せにはどんどん離れているなとしか思えない。
心臓停止になったときに無駄な救命せずに逝かせてやれば良かったのに。
神様にさからってまた生きなきゃならないのは地獄だね。
御愁傷様。
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