FC2ブログ

HOME   >>  集団の序列争いと権力闘争  >>  『男には七人の敵がいる』 川北義則
11 14
2009

集団の序列争いと権力闘争

『男には七人の敵がいる』 川北義則


男には七人の敵がいる (PHP新書)
川北義則

男には七人の敵がいる (PHP新書)


 だれでも人と仲良くしたり、人から好かれたいものである。だけど人から嫌われるのを恐れすぎたり、敵をぜったいにつくらないという「いい人」をめざしすぎるのも問題である。というか不可能だし、自分を殺しすぎたら自分の人生も生きられない。

 敵はできてしまうのだし、性格や考えがちがうだけで敵になるし、また偉くなったり勝とうとするだけで恨みや嫉妬を買って敵は生まれる。なにをしたって敵は生まれてしまうものだと覚悟や前提をもたないと、つきおとされたり、不可能な試みに人生に疲労困憊してしまうことになる。自分らしく生きるためには敵をつくってしまうしかないのである。

 嫌われる、人から嫌われていると思われることを恐れるために、評判ばかり気にする人がおおいようだが、けっきょくそういう人生は評判のかわりに自分の人生も生きられないし、勝つことも偉くなることもほしいものも得られない人生を生きるだけだ。ほしいものを得ようとしたら敵が生まれ、嫌われる、その覚悟は必要だ。敵をつくってもほしいものを得る、そういった人生観も必要かもしれない。

 さっこんではいい人に思われようとする人がだいぶふえて、アダルト・チルドレンという名称で呼ばれたりするが、学校集団や職場集団でそういう規律をつよく刷り込まれてしまうのだろう。そういう訓育された生き方は生命の生きる力を去勢された不自然な生だ。平和でゆたかな社会がつづいたせいで、エネルギーのない生き方が善になってしまったが、流動や変化のある時代にはおしのけられて、殺されてしまうだろう。

 「草食系」ともよばれたりするが、ある意味、老荘的な生き方は達観した生き方だが、これからベクトルはエネルギーのあるほうに向けたほうがいいだろう。中島義道は『カイン』などで、あえてこういう時代に自己中心、自分勝手な生き方を提唱したが、生命力が殺されているという危機感は感じたほうがいいのだろう。マキアベリ的な生き方も必要ということである。

 この本ではどんなに身近で親しい仲でも敵や裏切りに会ってしまうのだという警告をあたえてくれる。親や子、信頼した友も敵に転嫁する。身内の存在だからこそ、強烈な敵になるのだと自覚したほうがいいだろう。妻はべつの可能性を奪ったがゆえに潜在敵になり、親子の愛憎劇は根本的なものだと考えるべきである。夫婦や男女関係はおたがい利益を共有する関係だから衝突もおこりやすいだろう。自分でさえ敵になる。

 敵というのは宿命的に存在して、それとどうつきあうかが人生というものかもしれない。勝つだけでは敵だらけになるし、負けを先どりしすぎても人生を生きられない。かねあいをよく考えるべきだ。敵を回避しすぎる生き方は考えものだろう。

 人間というものは生まれたときから動物的な序列競争や階層闘争をしているものだ。そのために友という勢力や防壁が必要だったり、趣味や遊びがあり、ゲームやスポーツがある。それらは敵をめぐっての攻防といえるかもしれない。人間という種の食料や資源をめぐっての序列闘争が根本にある。勝たなければ、強くなければ、人とうまくやらなければ、序列の下におしつけられて満足な食糧も資源も得られない。だから序列秩序があるのである。敵は必然である。資源が有限である以上、奪い合いは避けられず、それが生命の限界というものである。敵との関係は生存の戦略と考えるべきなのかもしれない。

 いぜん私は職場で集団の対立や闘争という荒れ果てた環境に落ち込んでしまい、つくづく人間の闘争や対立という関係について考えなけらばならなかった。人とうまくやりたいけど闘争や対立、嫌われること、敵は生まれてしまうのだと思わざるをえなかった。

 ブログのカテゴリにある「集団の序列争いと権力闘争」というテーマでなんでこうなってしまうのだろうと考えた。人間はそういう存在で、その闘争の中で生きるしかないのだと思わざるをえなかった。集団の中でいじめや闘争はどうしても生まれてしまう。回避だけでは生きられない、闘わなければならないものが人間という動物かもしれない。敵とのつきあい方が人生の質を決めてしまうのかもしれない。


敵と闘うための本
カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫) 権力(パワー)に翻弄されないための48の法則〈上〉 (角川文庫) チンパンジーの政治学―猿の権力と性


1分で大切なことを伝える技術 (PHP新書) 接待は3分 (PHP新書) 一流の男、二流の男―どこが、どう違うのか 逆境を愉しむ身軽な生き方 回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)
by G-Tools

関連記事
Comment

こんにちは。

この本、未読ですが読んでみたいですね。
私は職場の集団のコミュニケーションが大嫌いで仕事そのものより、就業前や休憩中の無駄な雑談が苦痛でたまりません。何故楽しくもないことをさも楽しいふりしていられるのか、そのような無駄なエネルギーを本業の労働の方だけに集中したいものです。
円滑なコミュニケーンにより業務がスムーズに進むのでしょうが、やはり集団で活き活きと楽しそうにしているひとを見ると不思議に感じてしまいますね。なにがそんなに楽しいのか?と・・・。
集団嫌いのマイノリティーは高いスキルか能力がないかぎりは底辺に押しやられざろうえないのでしょうね?残念ですが。

たいようさん、こんにちわ。

私も雑談のむづかしさは痛感しています。

仲のよさと距離感のとりかたがひじょうにむづかしいのですね。しゃべっていい仲のよさをもっているのか悩むところですし、かといってしゃべらないと気まずい沈黙があり、へたにコミニケーションがなければ嫌ってるとか敵意をもってるとか思われかねません。

雑談は人とのつながりを示して、力や評価をまわりに示すものだと思います。人とつながりがあったり、仲のよい人がいれば、その場で勢力や権力を誇示することができます。いわば権力のディスプレイですね。

ひとりとりのこされれば、疎外感や排斥感を感じます。だから人は職場で楽しく、仲のよい人がいるのだというディスプレイをおこなうのでしょう。

けっきょくは演技です。演技しなければ負けてしまうし、排斥の危機もおとずれるかもしれません。楽しい、職場や仲間が好きだというコミニケーションをおこなってその場での地位をたしかなものにしているのでしょう。

開き直って雑談するしかないのでしょう。あとはどれだけ仕事に隠れられる業務をもつかということなのでしょう。これは権力闘争です。だけど闘争を意識しすぎるとほんとうに闘争になってしまいますが。

ですよね

私は媚は
売りたくありません 上司の
対応は抵抗なくできます  自分の
それがで日常です  しかしですね 常識的な人と
の接客が出来ない部下を 上手く機嫌よく働いて
頂くには いったいどうしたら
よいのでしょうか   

はじめまして

31歳、飲食店従業員です。
大変興味深く、為になる書評を拝見し勉強させていただいてます。

諸々の社会、組織、集団においての問題としての
コミュニケーションに対して、
私もやはり演技は必要であると感じています。

このカテゴリに関してのうえしんさんの一貫した感じ方に恐縮ながら共感を覚える次第です。

私が考えている集団における権力闘争の一面として、昨今の強制されたコミュニケーション、圧力としての同調には日本の悪しき風習が負の連鎖に拍車をかけている気がしています。

他人同士が過剰な接点を持つことが大きな弊害をもたらしていて、しかし1度その輪廻に自らの意思で加わることで、なかなかそこから抜け出せず真綿で締めるように各々が自らを貶め、疎外感や排斥を恐れるがあまり個の消失へと下がってしまう。

我を無くすことは個の消失とは違うと感じるので、
あえて同調し闘争に加わる必要性は感じませんし、所謂貴賎といったところでしょうか。

資本主義における競争の原理がどこかで何かの作用により歪められていて、思考することを止めてしまった方々にとっては、仮初めの同調という自己保身をすることでしか自我を保てないのではないかと考えています。

今の日本、ひいては人類にとって飽和した蹴落とし合いは成長も維持も困難であり、流れに翻弄されてしまうことだけはしたくはありません。

長くなってしまいますので、これにて失礼致します。

幼稚な思考ではありますが、私もそう思います。
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top