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10 23
2009

セラピー・自己啓発

ポジティヴ・マインドの欠点と落としどころ



 ポジティヴ本が書店にあふれ、ポジティヴに考えなければならないという考えが世間にまきおこっているが、とうぜんのことながら一方的な礼賛や賞賛には、欠点や障害が数多くひそんでいることを警戒するのがオトナというものだろう。

 ポジティヴ・ブームやポジティヴ・シンキング推進一辺倒になると、商品セールスのように長所やおすすめどころしか紹介しないわけだから、その欠点や弊害には目をふさがれる。熱狂の渦の中にあるのなら、なおさら冷静な批判や分析が必要になるというものだ。

 ポジティヴ・シンキングの欠点や問題点をあげていこう。

 ポジティヴ・シンキングの最大の欠点は現実を見ないということだろう。かつて日本は精神主義によって戦争に勝とうとしたおろかな歴史がある。戦前も日本人は熱狂的なポジティヴ・シンキングで、経済力や物流で負けている敵国にむりやり勝とうとして、おおくの犠牲者や被害者を生み出した過去があるのだ。日本人は集団的に熱狂的なポジティヴ・シンキングをまきおこして現実を無視するというイタイ国民性があるようだ。ポジティヴ・シンキングの典型的な欠点で、日本にもかつて精神主義というポジティヴ熱狂があったことを見落とすべきではない。

 ポジティヴ・シンキングの熱狂はほかにどこまでも景気がよくなるという楽観論をまきおこし、バブル経済の破綻という痛みをなんどもくりかえしているし、儲け話にだまされて資産をうしなったり、詐欺にあうという例は枚挙に暇がないだろう。ポジティヴ・シンキングは利益や楽観により現実や懐疑に盲目になってしまうのだろう。

 そういえば恋愛やタレントファンも同じような心理といえる。相手の批判や悪口をいえば、罵声や怒号の報酬がかえってくる。欠点や悪所を見せると、そうとうの憤慨や恨みを買ってしまうのである。彼らは欠点が見えなくなるのではなく、拒絶し、見まいとする。崇拝や礼賛には欠点を指摘してはならないのである。空気を読めという風潮があるが、空気を読んで流される危険の典型例だ。ポジティヴ・シンキングにはなにか人の冷静さをうしなわせる無意識の認識欺瞞があるようだ。

 ポジティヴ・シンキングには特徴として現実の拒絶がある。悪い現実、悲しい現実から目をそむけようとするのだから、とうぜん現実は無視される。そういう悲観的な現実の拒否はとうぜんとしても、楽観的なときでも現実や懐疑は拒否されるのである。いかに人間が都合よく世の中を解釈するかという典型例だと思うが、どちらのばあいもほどよい懐疑心をのこしておく必要があるということだ。

 こんにちのポジティヴ・ブームはおそらく、落ち込みやうつ病の恐怖からひきおこされていると考えていいのだろうか。恐怖の裏返しのブームである。このような個々人の試みから、集団の恐怖からの逃走としてのポジティヴ熱狂がひこおこされることの警戒は忘れないようにしたいものである。熱狂の下地が悲観にあるのか、楽観にあるのか冷静に見極めたいものである。

 ポジティヴ・ブームはもしかして客観主義や現実主義などの科学的な見方の反動としてやってきたのかもしれない。冷静に客観的に自分をみることが正しいことだと教えられ、客観的に自分の欠点や不足分ばかり分析される。そうして悲観主義やうつにおちいり、どうも人間に客観主義はそぐわないのではないかという痛みの経験をへてのブームかもしれない。客観主義が自虐主義になるのなら、やってられないということだ。人間は客観的に生きられるほど強くないということか。

 ポジティヴの対比としてネガティヴがあげられるが、ポジティヴの対比はリアリズムや懐疑主義、客観主義なのかもしれない。ポジティヴがブームになると一方的にネガティヴ思考が否定されたり、断罪されるが、これはひとむかし前の「ネアカ・ブーム」の強制を思い出させるが、適度な中庸やバランスがもとめられるというものだ。現実の拒絶、無視はポジティヴには必要なものかもしれないが、危険と紙一重であることを忘れてはならない。

 ポジティヴ・シンキングの陥穽として忘れてならないのは、自信や自尊心が他人の軽蔑や見下しを生み出してしまう要素があるということだ。自信や自尊心は他者との比較で生み出されるものだととらえるのなら、自信は他者の侮蔑や蔑視をよういにみちびくだろう。自信の使用法をまちがえば、自分はエラくて他人はバカだ、劣っているという勘違いを生み出してしまうだろう。自信や有能感には他者を軽蔑したりバカにすることで得ようとする者もいてやっかいなのである。だから日本では謙遜や批判的自己を呈示することが美徳になっているのかもしれない。他者を足蹴にすることで得られる自信という方法にまちがってもはまってはならない。あるいは自信がそういう方法でしか得られないものだとしたら、たしかに日本的謙遜は正解なのだろう。

 ポジティヴ・マインドは欠点も多く、危険もおおくはらんでいるのだが、うつであったり、悲観的感情から離れられないのなら、ぜひとも必要な感情的要素であると思う。しかしリアリズムや客観主義、懐疑主義をうしなわせる危険もあり、ブームや強制となると、それらの剥奪や禁止が強制されていっそうの危険思想に転嫁する危うさと隣りあわせだ。ポジティヴ・ブームは押し売り商品とおなじく、欠点や問題点にはまったく目をふさぐという売られ方、強制のされ方をするものだから、目隠しをされたような受容のしかたには警戒しなければならない。

 ポジティヴ・シンキングは感情のあり方としては正解なのだろうが、認識のあり方としては現実や懐疑の歪曲、無視があるわけだからふさわしくないと考えるべきなのかもしれない。落ち込んだときにはポジティヴは必要だが、そう状態や自信過剰、またはムードの強制がおこったときには警戒すべき思想なのだろう。ポジティヴ一辺倒に走らずに正しい着地点、使用法を見出したいものである。

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Comment

こんにちは。

私も巷に渦巻くポジティブシンキングにうすら寒さを感じているのですが、まるで肺病の人にも山登りを強いるかのような不気味さが蔓延していますね。個人個人それぞれおかれた状況は違うはずなのに「明るく楽しく積極的に人交わりも上手に生きよ。」という社会の暗黙の了解が不自然さに輪をかけますね。

もちろんネガティブがいいというわけではありませんが、暗い側面を封印する息苦しさが無理な前向きファシズムの強制に繋がっているのかもしれません。

たいようさん、こんにちわ。

ポジティヴ・シンキングは個人の精神強度がいまいかなる状態にあるかによって、受容か、拒絶するかの基準を考えたほうがいいのかもと思います。

私なんか精神が弱まってまして、肥料や日光がほしいと思っていますので、ポジティヴ・シンキングは積極的にうけいれたい、もしくは投入しないと折れてしまいそうという人間には必要に感じられます。

ネガティヴやペシミティヴな人でも、うつになったり不安や悲しみに囚われないタフな精神をもっているのら、ポジティヴは不要なんでしょう。

うつの人はポジティヴ忌避の精神があるからうつだといえますが、必要に感じられますが、そういう状態になったら劇薬や鞭打ちにしか感じられなくなるようですね。

だれでもかれでも必要というわけではなくて、ネガティヴや不安には必要かつ有効な態度のときもありますので、一方的な精神状態をおしつけられるのは危険というものなんでしょう。

いけないのはポジティヴは自信や強行性をもつためにほかの人にもむりやり強制されることでしょう。戦争中の精神主義とおなじ状態になりますね。ネガティヴは非国民といってののしられたり、たたかれたりするのかもしれませんね。

ヨーロッパ人が黒人やインディアンを迫害して世界を侵略した歴史も優越感や先進性というポジティヴ・シンキングをもったゆえの結果だといえます。

そういうおろかな間違いをくりかえさないためにネガティヴやリアリズムの精神を固くもちつづける人も必要なんでしょう。

ずっと晴れの日(ポジティブ)ばかり続くと、さすがにシンドイです。なんかそれに似た感じ、でしょうか。

できればずっと晴れていてほしいですが、天に昇ったり、天狗になってはいけないということですね。足に地をつける快晴がいいということですね。
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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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