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10 20
2009

セラピー・自己啓発

ポジティヴ心理学と日本人の自尊心の低さ



 先ほど考えた『「自分だまし」の心理学』の書評の焼き直しになるのだが、考えが足りない気がするのでもうすこし考えてみたい。

 ほんらい健康な精神の持ち主は客観的に公平にじぶんをとらえる現実主義であると考えられてきたのだが、ちかごろは自分を肯定的に高くゆがませてとらえるポジティヴ・イリュージョンをもつ人のほうが精神的に健康ではないのかと問題提起がなされているようだ。客観的には自分に好都合にものごとをとらえる人のほうが健康ではないのかということだ。

 現実主義で客観的に自分をとらえるとうつになったり、悲観主義やネガティヴ・マインドに支配されて、幸福にもなれないし、思うようにも生きられない。リアリズムや客観主義で自分をとらえることがいいことだとされてきたが、幸福にも気分よく生きられないのなら、はたしてそのような心理的態度はいいことだといえるのか。

 日本の社会の中では謙遜や自己卑下の自己像を呈示することが成熟したオトナだととらえられている。しかし成功哲学ではひごろいっている自己像が現実のものになり、成就されることになってしまうという考えを表明している。謙遜や自己卑下をくりかえしていると、自分を低くとらえ、自尊心や自信がなく、人生の結果にもそれはあらわれ、しまいにはうつ病になったり、成功もしないし、幸福にも生きられないという。謙遜の自己像は未来の自分を導くのである。

 日本人は自尊心が低く、自信もないし、社交性が劣ると考え、人より劣ると考える性向に強くとらえられている。ネガティヴ・イリュージョンが強いのである。謙遜や自己卑下の自己呈示がそのような自己評価の低さを生み出すのだろうか。

 日本人はなぜそんなネガティヴ・イリュージョンを強くもつのだろうか。自信にあふれ、明るく楽観的なポジティヴ・イリュージョンをもつことが悪いこと、迷惑なこと、いけないことだとされる考えが日本人の精神を抑えている気がする。自信満々で、人を導こうとする人に日本人はどうもバッシングの空気をまきおこすうようだ。よってたかってネガティヴ自己像をみんなに押しつけている雰囲気がある。自尊心や自信をもつなという世調がどうも日本にある気がする。ポジティヴ・バッシングの風土は日本にあるのだ。

 それはどうしてなのだろうか。なぜ自信や自尊心をもってはならないのだろうか。そのような強力な人があらわれれば、私は自信がなく、自尊心が低く、社交性がないという事実を如実に刺激されるからだろうか。私のヒエラルキーは低くなるし、ランクが抑えられてしまう。それでよってたかって、ポジティヴをつぶして、ネガティヴ・マインドにぬりつぶしてしまうのだろうか。日本人はどうも鼻高々な天狗を嫌うようだ。

 ある調査ではアメリカや中国、朝鮮などの人は自尊心や自信、社交性があると思っている人はかなりの割合にのぼるそうだ。アメリカや中国では自信満々で優越感にあふれた天狗ばかりだというありさまに驚かされる。自信や社交性がなければつぶされる、落ちこぼれるという気運が強い国なのだろう。

 この調査ではアメリカのアフリカ系の人の自己奉仕バイアスがとくに強いとされているが、虐げられてきた黒人はことさら自尊心を強めなければやっていけなかったのだろうし、子どものころから日本のにらめっこのような自尊心を強める言葉の訓練がおこなわれている。みんなが自尊心や自信にあふれている国でも集団や調和を保つことができるのである。

 日本は自己卑下したり、自信や社交性がなくてもまわりがひきあげてくれるだろうという暗黙の了解があったのかもしれないが、いっぽうではビジネス社会ではそんなことはなく、自信や社交性、自己誇示がなければやっていけない場面も多々ある。優越し、優れた人物であると自分を表明してはならない社会と、いっぽうでは自分の優秀さ、卓越性を表明しなければならない局面の切り替えがどうも日本ではむずかしい気がする。

 就活や婚活などではとつぜんそれが求められるから、謙遜・自己卑下で生きてきたものはとまどって、面食らってしまうのである。ここではネガティヴな自分を捨てて、商品の押し売りのような根性が求められ、そのような二重性についていけない若者も多いことだろう。ここでは腹をくくって優秀で自信満々の自己像、あるいは自己商品の呈示の切り替えが必要になるのである。私なんかこの切り替えにつまずいて、いまだに優秀性呈示ができないが。

 自信や社交性がなく、自尊心が低い自己像が日本ではよいとされてきた、あるいは強制されてきたが、うつ病が増加したり、自殺者がふえたり、日本の閉塞感が突破できないという沈滞ムードのためか、ポジティヴ心理学が巷間をにぎわせるようになってきた。ほんらい人間は情報をゆがませて自分に好都合にとらえる自己免疫システムや自己奉仕バイアスというものがあるらしいが、日本では客観主義やリアリズムがよいとされてきたので、どうもネガティヴな心持や悲観主義が人々をおおっているようだ。こんな落ち込みからはい出さなければならないということで、ポジティヴ心理学はおおくの人に読まれるようになってきた。

 ポジティヴ心理学は自分ひとりで読むにはいいが、人から押しつけられたり、強制されればかなり腹立たしい、迷惑なものになる。おちついた、冷静な気持ちであるところにむりやり狂騒やそう状態、空気読め状態、あるいは搾取を押しつけられている気になる。メンタル面では必要なのはわかるが、日本の精神風土でポジティヴ心理学はどうもいい居場所を見つけられない。ポジティヴ心理学は家でこっそり読むに適した書物かもしれない。

 日本はこれまでネガティヴな心性でやってこれたのかもしれないが、会社コミュニティの崩壊や社会保障システムが壊れ、集団や社会のゆりかごから放り出され、個人の精神を鍛えなければやっていけない局面があらわれてきたのだろう。ネガティヴ・マインドからポジティヴ・マインドへの切り替えが個人の中で求められつつある。自信や自尊心がなければ心を保てない、世の中を渡っていけない状況がふえたのだろう。ポジティヴ・マインドの生育が個々人でおこなわれているというわけだ。

 とはいっても日本は戦前おろかな精神主義で痛い目にあっているので、ポジティヴ・マインドは戦争反対の気分と同様の忌避感は強く残っている。ポジティヴの失敗は戦前にあったのである。だからことさらポジティヴ・シンキングの警戒感は強く残っているものと思われる。外ヅラには謙遜、内面には自信とポジティヴという心持が求められるのかもしれない。

 これからは客観主義や現実主義でうつ状態になったり、悲観主義におちいったり、自信や自尊心をうしなうより、しょうしょう危うい認識であっても自分に好都合で自分を高評価したり、気分をよくする免疫システムをもつ認識を採用してもいいのだろう。さもないと人生は自分に微笑んでくれないし、幸福で安寧な気持ちでも生きられないと考えたほうがよいようである。

 精神の健康を優先すべきなのである。ポジティヴ・マインドはおろかな面、危険な面もあることをしっかりとわきまえたうえで、自信や自尊心を自分に植えつけるような免疫システムな認識を採用してもいいのだろう。自尊心や自信をうしなわせる日本的謙遜や自己卑下、現実主義は控えていったほうが身のためであるという時代なのである。


▼ポジティヴとネガティヴの着地点を見つけなければいけませんね。 
「自分だまし」の心理学 (祥伝社新書121)ネガティブのすすめ―プラス思考にうんざりしているあなたへネガティブを愛する生き方 光と闇の法則

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