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06 15
2009

バイク・ツーリング

ツーリングと脳内風景



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 大阪にもこういう風景、暮らしもあります。(大阪府泉南郡熊取町、雨山)

 
 むかし学校で日本の人口のほとんどは都市部に住んでいると習った覚えがある。私は大阪育ちの大阪住まいだから、日本のほとんどの人は大阪のような都市に住んでいるという思い込みがあった。

 日本の山間部とかにはほとんど人が住んでないか、もしくは私の頭の中の脳内地図は秘境や人が住んでない山岳や森林のイメージができあがっていた。

 バイクを買って遠くにツーリングするようになって、そういう思い込みはまったく間違いであることがわかった。山岳や森林のあちこちに人は住んでおり、人が住んでいない田舎や山林はないといったくらいに人の暮らしや営みはある。都市にしか人が住んでいないという思い込みはまるで間違いだった。

 人は自分の住む地域、まわりの環境をどのようにイメージして、とらえるものだろうか。都市に住むおおかたの人は私のように山間部には人は住んでおらず、山間部を秘境や人跡未踏の森林として思い描いていないだろうか。

 そもそも都市に住み、都市の商業施設や買い物、都会にしか興味がない人は山間部の風景など思い浮かべることもなく、頭の中の脳内風景は空白か、秘境ていどにしか思い浮かべていないのではないだろうか。都会やショッピングに関係ある風景しか、都市民は脳内風景をもっていないという気がする。

 都市民は都会を優越価値におき、田舎をバカにする。ショッピングで優れた機能がない街や地域は存在しないにひとしい。こういう価値をもった都市民は田舎にもたくさん人が住んでおり、暮らしがあるということを思い浮かべもしないし、興味すらないという気がする。たとえれば、日本はアメリカやヨーロッパなどの先進国の政治や社会状況には興味やニュースをもつが、アフリカなどの後進国にまったく興味をもたないこととおなじだ。都市民ははたして日本の風景や人口分布もしくは日本の暮らしを正確に把握しているだろうか。

 人は自分の住む地域、環境をどのように把握するのだろうか。私は大阪府の南部に育ち、子どものころは西に海、東にいけば池や大きな森林があったから怪獣がいるような秘境、北に行けばミナミや繁華街、都会があると観念していた。子どものころは自転車の行動半径、たまに乗る電車の風景が私の世界地図であった。

 電車に乗るようになると都心部に向かい、大阪環状線やミナミがある難波駅、キタがある大阪梅田を中心に大阪を捉えた。大阪は環状線を中心に阪急や近鉄、南海などの私鉄が放射線状に走っている。若いころはファッションであるとか、映画であるとか、歓楽街などに興味があったから、ミナミなどの繁華街を中心に私の大阪地図はできあがっていった。大阪をとりかこむ山脈、奈良の山奥、紀伊半島の風景や地図などまったく描けず、知ろうとも思わなかった。旅行も好きではなかったので、私の日本地図はまずできあがっていなかった。都市だけが私の世界地図であった。

 20代まではそういうふうに過ごしたのだが、30代から山の風景に魅かれるようになり、ハイキングをするようになった。大阪のまわりや奈良、兵庫、和歌山などの山にのぼり、山間部や山里にもたくさん人々の暮らしがあることを知った。爽快で清涼な山々の風景、人々の山間部の暮らしは、都会のビルや住居、コンクリートにかこまれた都市の風景より数段、魅力的で癒されるものを感じた。都会の暮らししかないと思っていたものが、大阪にもまだまだ山間部や山里の暮らしがあることを知って、そのような風景にどんどん魅かれていった。

 電車でいくハイキングは「点」でしか山の風景を捉えられない。ぽつんぽつんと私の脳内風景は構成された。都市で構成されていた私の地図は、山の風景とともに関西の地図もすこし描けるようになっていったのである。都市でない田舎、山間部や山里にもたくさんの人の暮らしがあるという風景は驚きとともに私の脳内風景に描かれるようになったのである。

 点でしかない山の風景を線でも結びつけたのがバイクである。電車に頼っていると、風景は点状のものがぽつりぽつりと描かれるだけである。この山の向こう側やあちら側、まわりはどうなっているんだろうという好奇心はバイクで満たすことができた。いろいろなルートを通ることによって私の大阪、関西の脳内風景は埋められてゆくことになった。バイクはもちろん歩きや自転車のようなスローペースでの風景を楽しませてくれるというわけではないが。この町の向こうはこういうふうになっているんだとか、この町はあの町とこういうふうにつながっているんだとかわかるようになった。

 ながながとなってしまったが、ここでいいたかったことは人が環境を把握する順番や方法、またはなぜ人や私は山にのぼったり、バイクやクルマであちこちを走り回ったりするのだろうかということだ。「この町はどうなっているんだろう、この向こうはどうなっているんだろう、あっちは、こっちは」という子どものころからあった好奇心や興味が、人を駆り立てる。世界の探索行動は子どものころから、やむことがないのである。

 知らない風景、知らない町、そして知らない人々の営みを見ることによって、私の世界地図は埋められてゆき、情報不足でできあがった思い込みや間違いは訂正され、人々の生き方や暮らしの多様さ、多種多様な価値観を知って、私の行動や選択、価値観はひろがってゆくのだろう。

 とりわけ都市以外の山間部や田舎の暮らしといった抹殺された生き方、暮らしを知ることは、都市以外の価値観がいまでもひろく、つよく残っていることに驚き、感銘した。なにか日本の意識やマスメディアはそういったものを隠蔽しているかのようにすら感じられる。日本のじっさいの風景はそういう風土のほが大きくひろがっているという感すらする。


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