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02 03
2009

セラピー・自己啓発

『リチャード・カールソンの楽天主義セラピー』


リチャード・カールソンの楽天主義セラピー
Richard Carlson

リチャード・カールソンの楽天主義セラピー


 私にとって心の革命をおこした衝撃の本である。心にたいする感じ方や捉え方を180度変えてしまった本である。この本を知らないばかりに私はそれまでどんなに被害を与える心の扱い方をしてきたことか。

 リチャード・カールソンはつぎの著である『小さいことにくよくよするな!』という本がベストセラーになり、このシリーズは世界100ヶ国に翻訳され、4000万部売れたそうだ。しかし私はこちらの『楽天主義セラピー』のほうが心の原理・原則を教えているという点でよほど名著だと思うのだが、世間の評価はそうでないらしく、いまこの本は絶版になっているようだ。こんな名著が古本でしか手に入らないというのがどういうことなんだろうと思うが。新潮文庫とか三笠文庫に入れてほしいものである。

 カールソンはどちらかというと大衆受けするやさしい本を出している。私はこの本によって視界が一挙に開け、仏教や禅のいっている意味が理解できて、片っぱしから読みあさった。宗教とか怪しいとか時代遅れといった先入観を抜きにトランスパーソナル心理学やニューエイジといった領域にも手をのばせた。「心はまぼろし」であるという認識を確認したかったのである。学問的にも学術的にも探究できる領域であると思うのだが、カールソンは自己啓発の軽い領域にとどまってしまったのはなぜかと思う。

 この本の基本的なことは落ち込みや悲しみに襲われたらそれについて考えたり改善をおこなおうとするのではなくて、無視して相手にしないという方法をおこなえということである。いままでの精神療法や世間一般のやり方ではどこまでもその問題について考えつづけろといった方法だったのであるが、そのやり方では落ち込みやつらさの感情は無視されたままになる。どこまでもひどい悪感情にさらされつづけなければならなくなる。そんな思考や問題は相手にするな、無視するなと正面切って反対をとなえたのが本書である。

 そういう方法の根底には思考や心というものが、たんなる「まぼろし」や「虚構」といった見解がある。こういう知恵を教えつづけてきたのが宗教や仏教であったのだが、だから私はそのような認識を確認するためにこれらのジャンルを読みあさった。「思考を捨てろ」といってきたのは仏教や禅であり、それを西洋に現代的にとりこんだのがトランパーソナル心理学やニューエイジ、または自己啓発であったわけである。このような「思考は害悪」だという考え方が、近代科学知識の勃興によって忘れ去られていったのである。「思考は善」になり、みんな「うつ病」の危機にさらされることになったのである。

 感銘した文章を抜き書きしたいと思う。

「いくら現実的に思えても、思考は思考にすぎません。このことを忘れるたびに、あなたの思考は悪夢のように現実味を帯びてくるでしょう」

「不幸せな人や落ちこんでいる人は、自分の思考を正しく見ることができず、それを鵜呑みにし、それが現実であると思いこみ、絶えることのない苦痛を自分に与えます」

「もし、ほんとうに幸せな人の心の中に入っていけたなら、あなたは、その人が必ずしもポジティヴ・シンキングをしているわけではないことに気づくでしょう。むしろその人は、ものごとについてあまり考えないのです」

「「何かがうまくいっていないからといって、それにもっと集中してみても、何の役にも立たない」。落ちこんでいるときには、どんな発想も役に立ちません。そもそもあなたの気分を沈ませたのは、あなたの思考なのですから、同じことを繰り返しても事態は悪化するだけなのです」

「落ちこんでいるとき、あなたが自分に対してできることの中でまさに最悪なのは、考えつづけること」

「否定的な気持ちの下にはいつでも穏やかで明るい気持ちが存在していると心底わかっているなら、憂うつから解放された、もっといい気分がそこまできているという希望と自信が取り戻せます。……あなたを不幸な状態に引きとめている唯一の要素は、あなた自身の考えです」

「自分がいかにひどい気分であるかということに焦点を合わすなら、それは否定的な感情をさらに悪化させることにしかならないからです」

「思考を流れ去るままにしておくという能力は、思考それ自体にはあなたを傷つける力がないという理解と表裏一体です。思考はあなたの頭の中のイメージにすぎません。そのイメージを捨て去りたいと思ったら、それはいつでも可能なのです」

「いちばん幸福に感じられるのは、自分について考えることがいちばん少ないときだ、ということもわかってきます」

「精神的健康への道が最終的にあなたに要求するのは、悩みや問題を手放すことなのです」

「もし問題にまつわる思考に意識を集中させるなら、あなたの体験する人生はおもに問題から成り立ったものになるでしょう」

「精神的健康というごく単純な体験こそ、人生における最大の幸福なのです」

「自分を不幸から解放するには、ほかでもない自分の否定的な思考が、否定的な気分の原因であることを理解しなければなりません。否定的な思考さえなければ、あなたをいやな気分にするものは何もないのです」

「不愉快な気持ちのときに必ず否定的思考が生じてくるということがわかれば、砂漠で蜃気楼を無視するように、あなたも自分の考えていることを疑い、無視できるようになります」

「人は沈んでいるときにはいつも、自分がそのように感じるのはもっともであり必要なことだと思うからです。そんなときには切迫感を感じ、ひとりよがりになり、自分の考えていることを信じたくてたまらなくなります。そこから抜け出す道は、沈んでいるときの自分の考えや気持ちを信じることが愚の骨頂であると理解し、そんな状態になったら必ず自分の思考を無視しようと固く決意することなのです」

「気分が沈んでいると、思考は否定的で、不安定で、悲観的になります。人生およびそれに含まれる一切が悪く見えはじめます。そうなるとあなたは、なぜこんなに気分が悪いのかを説明するたくさんの理由や、自分のみじめさを正当化するための理論を必ず見つけてくるでしょう。……理由がなければ、低調な気分は自然に去っていくものです。……低調な気分のときに抱いた否定的な思考を無視することは、否認ではありませんし、危険なことでも無責任なことでもありません」

「沈んでいるときに頭に浮かぶことには一切注意を払うのをやめ、そのときの思考や感情を無視しはじめると、気分は良くなりはじめるのです」

「人生は、沈んでいるときにはいつも、深刻で、せっぱ詰まり、問題だらけにみえることを理解しなければいけません。……落ちこみや、長期にわたる低調な気分を克服するコツは、意気消沈した状態は、放っておいて何もしなければやがて去っていくと信じて、リラックスすることです。……重要なのは、沸いてくる思考やせっぱ詰まった感じを無視することです」

「遅れてそこに着いたときに起るだろう嫌なことを思いめぐらしたとしても、目的地に着くのが早くなるわけではありません」

「過去の失敗を見直したり将来について心配したりしなければ、人生がどれほどすばらしいものになるか、自分に何度も言い聞かせてください」

「人は自分の考えることをなんでも信じる傾向があるのです。真の自由は、思考がつくりあげたものの見方を、あなたがほんの少しでも疑いはじめたときに訪れます」

「自分が今どれほど不愉快であるかを考えたり、その感情に意識の焦点を合わせているとき、あなたはそうした感情をもっと求めているのです。……考えを捨て去り、頭を空っぽにして、リラックスすることです。……おかしいと思うことを分析すると、ものごとは悪化するだけです」

「何かを忘れる、捨て去るという意味は、頭の中にそれが存在しなくなるということです。頭の中に存在しないものは、現実に存在せず、影響力をもちません」

「今この瞬間には、空想の出来事も、実際に起った出来事も、これから起こるかもしれない出来事も、頭の中の考えにすぎません」

「思考の内容が問題になるのは、思考は思考にすぎないということを忘れたときなのです」

「その思考がどんなに強力で、つらく、説得力のあるものでも、それをたんなる思考として見ることができるのです」

「あなたの意識が、苦痛を消し去りたいとということに向けられたなら、意識は苦痛に向かいます」

「あなたが現在感じているように感じるのは、あなた自身が抱いている考えのせいだ」

「不幸せな人は、思考はたんに思考でしかないとみなすことができず、それを真実として、重要なものとして受け取ります」

「どんな気持ちであっても、それを成長させるのはあなたの注目であることを思い出してください」

「人生でうまくいっていることをまず探してみてください。うまくいっていることに目を向ける癖がつくまで、あきらめずに探しつづけましょう」




 私たちは知らず知らずのうちに心の最悪の使い方をしているのである。悩みに悩みを重ね、苦しみに苦しみを重ね、不幸に不幸を重ねる。それは思考というものが連想ゲームや数珠繋ぎのように同じ発想のものを連れてくるからである。そしてヤケドしつづけるのである、みずからの意志でもって。

 心というものは焦点を合わせると強くなる。最悪に焦点を合わせると最悪になり、不幸に焦点を合わせるともっと不幸になるといった具合だ。心を、思考を無視したり、手放すといった方法を知らずに、私たちはどこまでもその最悪で不幸な思考にしがみつづけるのである。もうひとつの選択肢があるということを知らずに。

 私たちのもうひとつの愚かな点は思考は思考に過ぎないことを知らないことである。思考は頭の中のイメージであり、想像であり、空想であり、虚構である。どこにも実体としてないものであり、存在しないものである。しかし私たちはその思考にリアリティーや実体感、現実感というものをもちつづける。それは過去にも、未来にも、現在にも存在しないものである。この存在しないリアリティある「悪夢」にうなされつづけるのが私たちの日常だといえるのである。禅や瞑想などの方法はこの思考のリアリティを打ち消す方法だといえるのである。

 カールソンに教わった心の知識や操縦法を自分のものにしたいものである。せっぱ詰まった、緊急事態になった私たちの人生は、心に対する深い理解を手にすると、なにも恐れることはなかったのだという安堵感を得ることができるようになるだろう。

 悲しみや恐れ、不安などの感情は無視して、通りすぎるままにしておくこと。焦点を合わしたり、考えつづけてはならない。そうすると私たちの人生は不安で悲しみ多く、不幸な人生を歩むことになってしまう。その選択はいま私が不幸な思考を選ぶか、あるいは手放すかのただ一点にかかっているのである。こんな人生の重要な知恵を知らないままで過ごすのは、あまりにも損害が大きいというものである。


あくせくするなゆっくり生きよう!―人生に不満を持たない生き方 (角川文庫) You Can Be Happy No Matter What: Five Principles for Keeping Life in Perspective お金のことでくよくよするな!―心配しないと、うまくいく (サンマーク文庫) You Can Feel Good Again: Common-Sense Therapy for Releasing Depression and Changing Your Life 小さいことにくよくよするな!愛情編 (サンマーク文庫)
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Comment

私自身はクリスチャンですが…

聖書にも「明日のことを思い悩むな」と書いていますね

よってキリスト教的観点からも面白い、有意義な書物だと思います

ソンタグが『良心の領界』の序文で「若い読者へのアドバイス」として、こう書いています。

「自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。」

そのことを思い出しました。

通りがかりさん、こんにちは。

私の理解するところではキリスト教も仏教も、根本的には同じことをいっていたのだと思っています。

「心はまぼろしであり、捨て去れ」と。

この書はそういう観点をはじめて与えてくれて、宗教への理解を与えてくれたと思っています。

ソンタグのような哲学者も意外に「考えないことの効用」を説いていますね。

考えることを職業にするような哲学者も意外に「ものを考えるな」という考えに達しているものです。アランであるとか、ラッセルだとか、ヒルティなどものを考えることが好きな人であっても、考えることは不幸になるといっていますね。

ギリシャの哲学者もエピクテトスとかマルクス・アウレーリウスなどのストア哲学者のころから、「ものを考えるな、不幸になる」といってきました。考える喜びとセットに、考える不幸についても、考える人は知っておかなければならないのかもしれませんね。

考えないことに徹したのが宗教だといえますね。もっとも仏教など唯識や華厳などを見ていると、考えつづけた歴史があって、考えない禅が生まれたといえますね。

こんにちは。

この本をうえしんさんからご紹介いただきまして人生観がかなり変わったと言っていい位影響をうけました。『小さいことにくよくよするな!」をかつて読んだとき、大して感銘を覚えなかったので正直読む前は期待していなかっただけに、この本がこれほどの傑作とは思いもよりませんでした。

この本を読んだ後に今までいまいち理解しきれなかった宗教、哲学、禅などがストンとはいかないまでも、かなり理解できるようになってきました。
現在、多くの人がそれぞれの人生の状況において苦しんでいると思いますが、落ち込んだときに考え続けることはタブーであるというこのことを知っている、知っていないの差はとてつもなくおおきいですね。

とにかくこの本が絶版とは理解に苦しみます。


たいようさん、ありがとうございます。

人生観を変えるような名著だと私も思っているのですが、知識というのは受け入れが可能な状態かそうでないかによって、有用か不要かが決まるのでしょうね。多くの人にとってまだこの本の有用性は深く理解できていないのでしょうね。

著者のカールソンも一般受けするようなベストセラーばかりを生み出して、たぶん「軽い自己啓発書のベストセラー作家」といった程度の低い評価に甘んじる傾向を作ってきたのだと思います。最大公約的に受ける大衆作家はレベル的に低いと思われるのが、知識層の条件反射だと思われますしね。

この本に書かれているような「心はまぼろし」といった認識は仏教や神秘思想などの理解をいっきょに開けると思うのですが、なぜかそういう流れは開かれませんでした。導き手としてのカールソンが学問や高度化のほうにいかなくて、一般受けするほうばかりに向かってしまって、学問の深い道を導き出せなかったのでしょうね。

また新しいベストセラー作家が現れて、仏教や神秘思想への導きを開いてくれるまでもう少し時間がかかるのでしょうか。あるいはそういう道は拒否しつづけるのが現代社会の作法やルールなのかもしれませんね。人生の悩みや困難は資本主義の消費によって解決してもらわなければ金が回らないという貨幣循環的な禁忌があるのかもしれませんね。

カールソンのこの本が忘れられたままになるのか、もう一度評価されるのか、ゆっくり見ておきたいのですね。

単なる苦しみからの逃げです。
思考をヤメルことは。
苦しみつつも、思考をし続ける。それが人生かと思います。

心というのは、考えれば存在し、考えなければ存在しないという性質があります。苦しみについて考えれば存在し始め、考えなければ存在しません。なぜなら自分の心や頭脳のほかに、苦しみや悩みはどこにもないからです。

考えるのをやめるのは逃げではありません。心の性質を理解したのなら、苦しみについて考えることはあらたに「創造したり」、自分からわざわざ苦しみを「つくっている」、「生み出している」ことになります。苦しみについて考えないことは逃げではなくて、自分から苦しみという「絵空事」をつくらないということです。

苦しみは外界の結果ではなくて、自分の心がつくりだすひとつの解釈であり、「原因」であるという理解を得られることを願います。この心の理解ができるかできないかで、自分の立つ安全な場所はまるきり変わってきます。

気付いたら、実践する

うえしんさんは以前にも考えないことの重要性を書いてましたね。
過去を断ち切れといっているのを覚えていますが、
あの時の私は実践できずに不幸を呼び寄せてしまいました。

私の考えとしては、苦しみや怒りによって多少は脳も発達するかもしれません。
しかしその代償として多くの体力と時間を奪われる。
そして、気付いたこと、反省したことはほとんど役立たない・・・
なのでもしするにしても、期限や程度を決めた反省を心がけてます。

私の例では、引きこもって一生懸命、こうすればいい生活だった、
ここが間違いだったと間違い探しをしました。
そりゃ悔しいですよ。無意味な受験勉強に社会不適応になるほど没頭し、
その結果アホみたいな失敗を積み重ね、現在の救い難い状況に落ちた事。
(これもうえしんさんは以前の教育のコラムで触れてました)
しかしどんなに「正解」を把握したとしても、やり直せない・・・

充実するはずの高校生活が体調崩すほど勉強してただけっていうのは不幸。
だが、それよりも遥かに不幸な状況があるとするならば、それは、
三十路過ぎて、15年前にあれは間違ってた、あの頃の俺は馬鹿過ぎる、
ああすればよかった、と必死に後悔し閉じこもっている現在の状況でしょう。

なので、この貴重な心の技術を実践していきたい。
知っているだけでは無意味で、実践できるようになることが肝心だと思います。

ヒロさん、こんにちは。

思考を捨てるということはかんたんではありません。禅僧が必死に無や無思考であろうと瞑想する姿はご存知だと思いますが、禅僧にすらそれはかんたんではありません。おおくの仏教徒が瞑想をおこなおうとして、苦しんできた歴史はいまも語りつがれていると思います。ましてやふつうの人が自分の心をコントロールすることはもっと困難でしょう。

強い意志と粘着性、努力が必要となると思います。生半可な気持ちだけでは思考をコントロールすることはまずできないと思います。

私も片っばしから自己啓発書とか仏教書とかトランスパーソナル心理学の本を読まないと、なかなか自分の中に根づかせることができませんでした。

思考というのはすでに自動機械のように悲観や不幸の考えをつぎつぎと生み出して、送り出してくるものです。一度その考えに乗ってしまったら、悲観と不幸のジェットコースターに乗りつづけることになります。この習慣をはぎとるのは容易ではありません。強い意志と継続が必要になります。

それともうひとつの理解として、心や思考は「まぼろし」や「幻想」であるという理解――それも実感としての理解も必要となってくると思います。不安や恐れさせていたものが、「なんだ、思考にすぎなかったのか」という腑に落ちる体験をしないとなかなか思考の傍観性や客観性の態度は身につかないものです。

とにかく坊さんのお経のように「思考を捨てる、思考を捨てる」とかの言葉を唱え続けないと、なかなか思考を捨てるということはできません。坊さんはそのためにお経を唱えつづけてきたのですからね。

思考というものがどんなにムダなもので、自分を苦しめるものか、理解できたなら、徹底的に頭の中から思考を捨てる訓練をしてみましょう。後悔や悩みをもちつづけることがどんなにムダだったのか笑って手放せるようなときがくればいいですね。
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