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01 25
2009

書評 労働・フリーター・ニート

『死ぬほど大切な仕事ってなんですか』 全国過労死を考える家族会


死ぬほど大切な仕事ってなんですか―リストラ・職場いじめ時代に過労死を考える
全国過労死を考える家族の会

死ぬほど大切な仕事ってなんですか―リストラ・職場いじめ時代に過労死を考える


 過労死で夫や息子を失った家族の手記をあつめたものである。人間ってじつにあっけなく死んでしまうものだと思った。一度失われてしまうと二度ととりかえされることがないというあたりまえのことをあらためて思い知らされる。

 過酷な仕事や長時間労働によって死を予期するくらいの忙しさなのにそこから抜け出すことも、歯止めをかけることもできない。私はそんな状態になったら、仕事の責任とか役割とかを捨ててしまって、自分の命のほうを大切にして「逃げ出せ」とか「放り出せ」とか思うのだが、多くの人が責任や役割から抜け出せないようである。自分が死んでしまったら家族の面倒はだれが見ることになるのか、残された子どもの苦しみはどうなるのか、といいたいのだが、日本のサラリーマンは自分を縛りつける鎖から逃れられないようである。仕事の代わりなんかいくらでもいるのに、責任を負うようである。家族の代わりをする者はだれもいない。

 過労死している人の年齢はじつに多岐に渡る。20代でも長時間労働や過酷な労働条件の中でじつにあっさり死んでしまうのである。年齢なんて関係ない。職業もさまざまな職種から生まれていて、97年出版のこの手記には教師の過労死が多いと気づかされた。家族は仕事の忙しさが尋常でないと気づいて、夫や息子に仕事を辞めることをすすめるのだが、ときすでに遅しといった後悔を多く味わっている。

 帰宅が毎日真夜中であるという勤め人を知っている家族はこの日本の中ではいくらでもいることだろう。会社とはそういうものだとか、仕方がないとかいって、たいていの人はそういう環境の中で暮らさざるをえない。

 日本の労働条件というものはどうしてこんなに無権利で、だれにも守られないのだろう。日本の会社の中で権利や人権が守られていると信じながら働いている人なんてどのくらいいるのだろう。なんにも守られていない、文句も批判もいうことができないという無力感の中で、長時間労働や過酷な労働に従事している人はたくさんいることだろう。労働基準局といったものもどうもわれわれの味方でないらしい。労働組合も力を失っている。われわれは無権利で無法な労働条件の中で働かざるをえないんだという思いを強くしてゆくだけだ。どうもこの国には労働の契約にたいする警察のような存在がなくて、優越的地位の乱用にあたるような企業の専制がまかり通っている。過労死はそんな力関係のなかで生まれている氷山の一角でしかない。

 社会主義国ではボスがひとりしかいないから反抗すると餓死するという教えがあるが、日本の企業社会も終身雇用や転職先の少ないことによる自由を失っているとも考えられる。ボスをいくらでも変えられることが労働者の自由を守るのだというフリードマンの考え方があるが、日本の場合は転職市場が柔軟に発達しているわけではないので解雇は悲惨や損失になり、ひとつの会社にしがみつかざるをえない。労働条件が悪かろうと、ブラック企業であろうと、容易に辞められない。そういうことで悲劇が生み出されるのだろうか。転職が損失や不利にならないような企業社会を早急につくられることがのぞまれるのだろう。日本の戦前は転職率が有数に高く、転職でキャリア・アップがみこめる社会であったのだが。

 なにより死んでしまったら家族を守ることも、人生を生きることもできなくなってしまう。自分の命より大切なものはなにもない。たとえ多くの利益や保障を失おうと、死んでしまったら元も子もないのであり、家族も子どももそれ以上に守れなくなってしまうのである。ヤバイと思ったら、なにもかも放りさって、逃げ出すのがいちばんだと思う。責任やがんばりとか男らしさとかそんな命の前ではなんの価値もない文言にこだわる必要なんかないと思う。ヘタレに弱っちろく、しっぽを巻いて逃げればいいのだ。死んでしまうより生き残ったほうが勝ちだと思う。命あっての物種というやつだ。命より大切な仕事なんかあるわけがない。逃げ出せばいいのである。


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Comment

こんにちは。

過労死の問題で有名なのは電通で当時20代で過労死された方が思い出されますが、そこまで人を追い込む土壌があらゆる分野や業界にまかり通っているままほとんど改善されぬまま現在にいたっているようです。
どんなひどい労働条件だろうとこの国では会社様のためにひたすら「がんばれ、がんばれ」のオンパレード挙句の果てに死んでしまってから「そんなに頑張らなくてもよかったのに・・・」などというドラマが現在もそこらじゅうで起こっていることでしょうね。
うえしんさんのおっしゃられるように「やばいと思ったら逃げる」この座標軸を見失わないことが非常に大切に思えます。
社会のがんばれ洗脳教育は深く浸透していてもはや恐怖政治のようですね。

たいようさん、こんにちは。

自分が死んでしまったら、仕事をがんばっている意味も仕事を完遂する義務も意味もなさなくなりますね。稼ぐ意味すらもなくなって、家族の苦しみや嘆きだけがとりのこされることになります。

ヤバイと思ったら逃げ出すことがいちばんだと思います。命より大事な仕事なんかあるわけがないし、自分にとって命より大事なものはほかになにもありません。ヤバイと思ったら、ヘタレに逃げるのが大事だと思います。殺されたって、一文の得にもなりませんからね。

ヤバイ会社は労働基準局にちゃんと記録をのこすとか、ネットにでも書き込みをして危険性をほかの人にも知らせるべきだと思います。

なによりもこの国には無限の責任や労働時間に対する歯止めとか防波堤というものがないという現実が残念でならないですね。そういう危険性がありふれている労働社会というものが異常です。そういう会社を犯罪として罰則を強化してゆく社会や世論になってほしいものです。
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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