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11 05
2008

市場経済

市場主義が非正規を生んだのではなくて



 アメリカの金融危機によって80年代のレーガンいらいの市場主義が崩壊したのだと宣言されている。日本でも格差社会や非正規、ワーキングプアが増えたのは市場主義や小泉改革のせいだとされるが、市場主義は原因ではないだろう。

 格差社会や貧困が増えたのは経済が右肩下がりになったり、経済全体が収縮してしまったからだろう。つまり長期不況が原因なのであって、市場主義が格差を生んだのではない。

 市場主義というのは政府が手を加えない自由放任主義や競争社会をさすのであって、保護や分配、規制をなるべく課さない状態のことをいう。政府が手を加えない自然状態のほうが経済はうまくいくといった考えで、市場主義には政府がよけいな手を加えるから市場はゆがみ、好景気はやってこないのだと考える。

 一時期、ムダな公共工事や地方ばらまきがずいぶん叩かれたことがあった。そういう公共工事を地方でおこなって仕事の少ない地域や人々の雇用を救い、経済をうるおすといったケインズ的な考えが人々の批判の対象になったことがある。貧しくて競争力のない人を救う公共工事は国の赤字を増やして、日本の競争力を奪うのだと考えられた。つまり政府のやることは失敗だと考えられたのである。

 市場主義は市場に任せておれば、競争力のある産業がのび、衰退産業は淘汰されるという考えである。公共工事やリベラルな保護政策は、市場のそういう自浄作用、均衡の動きを阻害してしまうと考える。政府が弱いものや貧しい者を助けようとすると、財政赤字がふくらむばかりであり、景気はよくならない、日本経済はたちあがらないと考える。
 
 リベラルな政策は安く値段の落ちた商品を保護で高くしてしまい、ますます売れなくなってしまうと市場主義は考える。雇用が非正規に満ちてしまったのは、成長期に雇用が守られたり、社会保障を手厚くし、最低賃金が課されたからだという考えがある。労働コストが高くなっても、下げることもできず、解雇できないしくみをつくったのである。経済の上昇期が終わってしまうと、そのうまくいっていたしくみはたちまち足かせとなる。だから企業は非正規で値段を下げ、社会保障をはずし、身軽な労働コストをめざした。

 バブルが崩壊すると、重い雇用コストはたちまち企業の足かせとなった。年功賃金や終身雇用のしくみが、先細りの未来にものすごい重荷に感じられたのである。企業は社会保障のない、流動性のある非正規に切り替えていった。政府や企業がおこなってきた高度な社会保障のしくみが、右肩下がりの時代ではたちまち公共工事のようにムダで重荷になるものになったのである。非正規の増加は市場主義がもたらしたのではなくて、小泉改革がもたらしたのでもなくて、経済が大きく転がり落ちたことによるものである。

 問題は社会保障である。日本では安定雇用の社会保障の得られる仕事をふつうの仕事だと見なしてきた。しかし90年代から企業はそのような雇用形態を捨ててきた。賃金はどんどん安くなり、短期雇用で解雇は容易になり、貧困や社会保障のない労働者が増加した。需要や価値の少ない労働は貧困に転がり落ちる労賃しか得られないのであれば、日本の社会保障の約束は底辺から破棄されているのである。経済情勢と、国や社会の社会保障の考えはまっこうからぶつかっているのであるが、その矛盾を大々的に問うことはない。

 まとめると、社会保障の重荷が社会保障のない人たちを生み出したということである。市場主義がそのような人たちを生み出したのではなくて、守られた雇用が保障のない人たちを生み出したのである。保障のある正社員と保障のない非正社員に分断されてしまった。企業のやり方と政府の考えの違いが、この雇用形態の矛盾にあらわれているのである。政府が守ろうとしてることを企業はさっさと捨ててしまっている。日本は社会保障を守るのか、さっぱり捨ててしまうのか、その態度をはっきりしないことには、雇用のダブル・スタンダード(二枚舌)は解決されないまま、ずっとつづくことになるのだろう。

 なにをいいたいのか自分でもまとめられなくなってきたが、小泉改革や市場主義がこんにちの非正規雇用やワーキングプアを増やしたのではない。経済が右肩下がりや下落してしまっているからだということだ。そのために企業は労働コストを下げるために賃金や社会保障をずっと下げつづけている。企業が右肩下がり経済のために社会保障を守られなくなっているのである。市場主義の結果ではない。

 貧困や社会的困窮に政府は手をさしのべるべきだと思う。非正規雇用やワーキングプアの問題には憤りを感じるし、政府はなんとか早急にすべきだと思う。しかし保証されることにより失業が増えたり、新たな雇用が抑えられるといったこともおこる。社会保障によって勤勉さやまじめさが失われることもある。政府のおこなうことは市場の均衡を打ち壊してしまうという危惧もある。市場と保障の関係は一筋縄でいかなくて、貧しくて困った人をただ助けらればいいというわけではなくて、そういう弱いところに金をそそいでばかりいると財政は悪化し、政府自体に金がなくなって助けるどころではなくなる。弱い人は助けられるべきだという考えはあくまでもカネのある豊かな団体だけにいえるのであって、なぜ助けられなければならないのかという正当性の問題もある。

 貧しい人や困った人を助けられない市場主義はけっして擁護すべきものではないように思える。ただこの世は市場原理が貫徹しており、市場原理を無視しては現実を把握することも、対策を考えることもできないのは確実だ。カネがないのに貧しい人は助けられないし、守られた人たちは市場によってもっとひどい目に合うかもしれない。市場主義を擁護するのではなくて、この世は市場原理によって貫徹されており、その原理やメカニズムを無視して、道徳や正義だけで市場を制御することはできないのである。売れないものを政府の手によって高くしてもますます売れなくなるという市場原理をしっかりとこの世の常識として理解することが大切なのだと思う。市場原理を理解したうえで、貧しい人や困った人は助けられるべきなのである。市場主義はこれから風当たりがますます強くなると思うからこそ、慈善や福祉の前に市場はどのようなものか忘れてはならないと思うのである。


市場を理解するために
不道徳教育選択の自由―自立社会への挑戦 (日経ビジネス人文庫)隷従への道―全体主義と自由

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Comment

うえしんさんが言うように、右肩下がりの時代になり、派遣労働者が増加するという社会経済情勢の変化に、これまでの社会保障制度は適応できなくなってきました。
いわゆる制度疲労というやつですね。

市場主義にはいろいろな問題点がありますが、最も大きな問題点は貧富の差が拡大することだと思います。
経済を市場にまかていると、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏人になっていくと思います。
政府の保護政策は、本来改善されるべきものが改善されなかったというマイナス面があったことは否めませんが、保護政策の矛先が本当に苦しんでいる人や守るべき人に対してではなく、選挙で票につながる人に向かっていたという問題点もあったと思います。

政府は社会保障を捨てられないと思います。
なぜなら、そんなことをしたら、政権を失ってしまうから。
これまで、政府は、政権を失いたくないばかりに、この問題から国民の目をそらすように努め、小手先の変更で済ませ、問題を先送りしてきたと思います。
国債の残高が約550兆円に膨れ上がったのと同じ「先送りの構造」です。
誰が困るのかというと、次世代です。
我々は自分たちのことばかり考えて、次世代が苦しむことを真剣に考えてこなかったのではないでしょうか。

一方、企業は社会経済情勢の変化を受けて、従業員の社会保障を捨てて、派遣労働者の採用に傾きました。
しかし、この流れを作ったのは、小泉政権が企業の要望を受けて派遣労働を解放したことによるものだと思います。
この状況を放置しておくと、一番痛手を受けるのは十分な社会保障を受けられないフリーターや派遣労働者でしょう。

このまま、問題の先送りを続けていると、今のフリーターや派遣労働者が老後を迎えた時にはもっと深刻な問題になっていると思います。

永遠の少年さん、こんにちは。

市場主義が貧富の差を広げるとか、小泉改革が非正規を増やしたとかよくいわれますが、私は政治の力というものはそんなにないのではないかと思っています。

経済市場の流れやパワーが先にあって、政治はその小手先の調整しかできないと思っています。

政治や人間の力がそんなに強く働くとは思っていません。政治が経済を変えたとか、変えられるとマスコミはよくいうようですが、私はこの風説を抜本的に懐疑しています。

貧富の差が広がったのはバブル以降の大不況や右肩下がりの時代のためだと思っていますし、非正規が増えたのは小泉改革よりずっと前から経営陣や企業が考えてきたシナリオだと私は理解しています。

政治がその流れを変えられると思うのは、人間や政治の力を過信しすぎだと思います。このズレを認識していないと、政治に頼めばなんでも問題が解決できるような錯覚をいだいて、自分が損するだけだと思います。さいごは政治なんかには頼れない、自助努力でがんばるしかないと強く思ったほうが賢明というものなのでしょう。

もちろん政府には貧富の差や非正規貧困の問題は解決してほしいと思います。アルバイトや派遣は禁止してすべて正社員にして、貧困に困った人にはお金を支給して、儲からない企業には儲かっている企業から金をふりむけてといったふうにできるのなら理想ですが、金持ちや権力があるものがそういう自分がソンするようなことをするでしょうか。

国民を平等にするといった社会主義は共産党の権力の一極集中をもたらし、崩壊してしまってからまだ20年もたっていません。だから市場主義はますます力をもってしまったわけですね。非正規や貧富の差がひろがっても、市民から反抗の声も怒りの声もなかなか上ってきません。なんなのでしょうね。

けっきょく政府は社会保障が崩壊しても非正規や貧困が増えてもなんの手立てもおこなえないように、こんにちの状況をつくったのも小泉改革でも市場主義の考え方でもないように思います。政府は景気が落ちていっても、非正規が増えようが、なんの手も打てないのだと思います。

こうなれば、時代の流れに適応して、時代がたとえ落ちようが、悲惨な時代になろうが、適応して楽しむしかないのではないかと諦観するしかないのではないかなと思ったりします。

成熟した経済には成熟した社会を

 人々が低価格の商品やサービスを求め、非正規雇用などの活用で人件費を抑えて低価格志向に応えた企業が競争力を持つ…。
それも市場原理の一面なのかも知れません。

チェーン店なんかでは500円未満で外食ができるのも市場原理の恩恵でしょうか。
そしてその恩恵は、年収約300万円の人も年収約500万円の人もそれ以上の年収で住宅やクルマや子どもにお金をかけられる人もあずかれます。
従業員が損をした分来店客が得をしているともいえます。
うえしんさんのブログの以前の記事にある
「社会全体でながめれば、カネは減ることはなく、社会の中を動き回るだけ」
という文章のように
生産と消費(と資産)のバランスが崩れていなければ、お金はあるところにはあるのではないのでしょうか?。
わたしは“市場原理を理解”した上で“お金の流れを調整”する余地がまだあると考えます。

みれいさん、こんにちは。

100円ショップのおかげで日用品や生活用品がかなり安く手に入るようになりました。中国産のためにユニクロの服が安く手に入るようになりました。メガネも韓国なみに安くなりました。

価格破壊がおこったまではいいのですが、人間の労働力まで価格破壊がおこってしまったのは残念ですね。価格破壊だけではなくて、労働の打ち切りや停止がおこなわれてしまったら、つまり失業ですね、人間は暮らしてゆくことができませんね。

モノの値段が上っているとき、人間の給料も上っていました。もしかしてインフレの見せかけだけだったのかもしれませんが。社会保障もたくさんつきましたが、いまのデフレの時代は給料も下がって、社会保障も非正規を中心に切り捨てられていますね。

社会保障は安くて売れない商品の値段をつりあげてしまって、ますます売れなくなるという障害をひきおこす例が考えられます。安いパートだから雇っていたのに人件費が高くなったら企業は雇用を打ち止めにするかもしれません。社会保障は市場原理から考えれば、まったく割に合わないことですね。というよりか市場原理で守られないからこそ社会保障が必要というものですが。

市場原理を知ったうえで、社会保障がなされることは絶対に必要なことだと思います。私も市場原理だけで人間の社会を運営すべきではないと思います。弱いところを絶対に守るべき勤めが政府や人々に課せられていると思います。それは人間の道徳や慈善の精神に抵触しますね。どうやったら社会保障を守れるのか。社会保障によって金を潤沢にして、そこかからカネを回らせたらいいということになるでしょうか。社会保障も不可能ではないのでしょうね。市場主義から分配の社会になる必要がこれからますます強くなると思います。
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

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