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10 14
2008

旅へ

『荒野へ』 ジョン・クラカワー

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荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)
ジョン・クラカワー

荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)


 あまり憧憬やロマンを感じられる本ではなかった。実在の人物、クリス・マッカンドレスはアラスカの荒野をひとりで狩猟・採集生活で生きてゆこうとするのだが最後には餓死しているし、この本のノンフィクションの体裁はまわりくどくなかなか核心に近づかないので、数ページの要点だけを読めばすむものだという気がした。

 この荒野で原始生活をしながら生きてゆこうとした青年を消費社会や物質文明の反逆者としてヒーローに祭り上げることもできるだろうが、いまいち反逆や批判の声は聞こえてこなかったと思うのである。

 アメリカを無賃乗車で放浪したジャック・ロンドンや季節労働でアメリカじゅうを移動した1800年代のホーボー、同じくアメリカを放浪したフラワームーヴメントのジャック・ケルアック、文明生活を拒否した『森の生活』のヘンリー・ソーロー、カウンター・カルチャーの『イージー・ライダー』の系譜に位置づけることもできるかもしれない。日本では五木寛之の『青年は荒野をめざす』とか沢木耕太郎の『深夜特急』とかがあるだろう。こんにちでもバックハッカーや自転車世界旅行する青年などたくさんいる。

 私はこの青年のアメリカ放浪やアラスカ原始生活のこころみが、いまいち憧れられるようなものに思えない。アラスカの荒野で餓死したという圧倒的な悲惨な事実が、憧憬を拒むのかもしれない。社会での決められたコースやくりかえしの日常に反逆した点ではおおいに共感を誘うのだが、このノンフィクションはなかなかその精神に深く肉薄しようとしない。クリスに出会ったいろいろな人からの証言や中立的な事実を尊重しようとするあまり、核心があまりにもぼんやりとした本になってしまっているように思える。

 クリス・マッカンドレスは知りあった老人に手紙でこう書いている。

「多くの人は恵まれない環境で暮らし、いまだにその状況を自ら率先して変えようとしていません。彼らは安全で、画一的で、保守的な生活に慣らされているからです。それらは唯一無二の心の安らぎであるかのように見えるかもしれませんが、実際、安全な将来ほど男の冒険心に有害なものはないのです。男の生きる気力の中心にあるのは冒険への情熱です。生きる喜びはあらたな体験との出会いから生まれます。したがって、たえず変化してやまない水平線をわが物にしているほど大きな喜びはありません」



 クリスに似ているとされる荒野に消えたエヴァレット・ルースの手紙のほうがもっとかれの気持ちを代弁しているように思える。

「ぼくはこれからもずっと荒野の孤独な放浪者でいようという思いをますます強くしています。ああ、荒野の道がいかに魅惑的であることか、ぼくには抗したがたいのそ魅力が、きみにはわかってもらえないだろう。なんといっても、孤独な荒野の道は最高です……ぼくは放浪をやめる気などこれっぽっちもありません。死ぬときがくれば、そこがいちばん野性的で、孤独で、寂しい場所ということになるだろう。

この美しい地方はぼくの一部になっている。ぼくは世間からますます離れていき、どういうわけか、心おだやかになったような気がしています。

おおぜいの人々が楽しんできた人生に、ぼくはずっと不満を感じてきました。つねにもっと情熱的で強烈な生き方をしたいと思っていたのです」



 決められた人生のコースやサラリーマンのくりかえしの毎日、そういったものから逃れたいと思う気持ちはだれにでも抗しがたいほどあるものだと思う。若者たちは世界じゅうを旅したり、国内を放浪したりして、なんとかほかの生き方、道を探そうとする。貨幣社会のオルタナティヴを探す旅でもあるのだろう。そのような試みが社会の主流やマスコミから評価されたり、もちあげられすることはそう多くない。人知れず、世間の知られないところで、若者は寡黙に、ひっそりと主流の生き方ではないほかの道を探している。そのような試みのひとつにこのクリス青年は位置づけられるものだと思う。餓死をしなければ、われわれに人生のオルタナティヴを呈示くれたことだろうか。なお、クリス青年は1968年生まれで、私よりひとつ年下だった。94年の夏、24歳で亡くなっている。

 いまはちょうどショーン・ペン監督でこのノンフィクションの映画化された作品が公開されている。アラスカ荒野の大自然の風景を見てみたいから、映画館にでも見にいこうか。


映画『イントゥ・ザ・ワイルド』予告編



クリス・マッカンドレスと餓死したバスのリアルな映像
Chris McCandless - Alexander Supertramp 荒野での狩猟生活の写真も写っている。
Arriving @ the Bus クリスが餓死したバスまでいく。


カウンター・カルチャーのバイブルおよびアラスカ紀行
オリジナル・サウンドトラック“イントゥ・ザ・ワイルド”ジャック・ロンドン放浪記 (地球人ライブラリー (014))路上 (河出文庫 505A)

ホーボー アメリカの放浪者たち (晶文社セレクション)
ホーボー アメリカの放浪者たち (晶文社セレクション)

森の生活―ウォールデン (講談社学術文庫)イージー★ライダー青年は荒野をめざす 新装版 (文春文庫 い 1-34)深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

アラスカ 風のような物語 (小学館文庫)イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する (新潮文庫)ユーコン漂流 (文春文庫)

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Comment

こんにちは。

前から気になっていた作品ですが、まだ本も映画も観ていなかったので最後の結末が餓死とはショックでした。
彼の様な放浪の旅の人生に強いあこがれはあるのですが、やはり自分の帰るべき家というかホームグラウンドがあるからこそ旅が楽しめるのかもしれません。

さすらい続ける旅ほど厳しいものは無いようにも思えてきます。
だからといって日常の安定にドップリ浸かって企業や団体にしがみつきながら、よどんだ目つきで保身に汲々と生きるのも虚しいものです。
自分の中で餓死しない為の労働と、適度な冒険を組み入れながら何とかバランスを取りたいものです。


この本は、6、7年前?に読みました。
最後、餓死ではなかったのでは?
記憶によると、毒のある植物(毒の無いものと酷似している)
を食べたことによる中毒か何かだったと記憶しています。
わたしも、 あまり憧憬やロマンを感じられる本ではありませんでした。
もし、クリス・マッカンドレスが死なずに生きていたら、どうなっただろうかと考えたことはあります。
どちらかというと、若者特有の極端な思考によるありふれた物語のような気がします。
このような話は、いたるところにあると思います。ただ、最後が劇的だったということではないでしょうか。

たいようさん、こんにちは。

ネタバレしてしまって、すいません。

本のほうではさいしょからアラスカの荒野で餓死してしまったのはなぜかと迫ってゆくドキュメンタリー形式になっていますから、さいしょに知らせてしまっていいと思ったのですが、たしかに映画のほうでは最期のことは知らされていませんね。
映画ではどちらの方法をとっているのでしょうか。

労働と決まりきった日常と、冒険のような相反するベクトルを同居させるというのは、むずかしいものだと思います。
企業はどこまでも労働者の毎日を使い切ろうとするものですし、労働の日常というのは永久に同じような日々や仕事がつづくようなものですね。

私も朝電車にのっていたら、ふいに逆の方向にのりたくなることは多々ありました。
どうやったら、この日常のくりかえしの鎖から逃れられるのでしょうか。

週末に未知なものに出会うことによってかろうじてバランスをとるしかないのでしょうか。

デンカさん、こんにちは。

たしかに中毒による衰弱死の推測も著者は終盤に出していますね。
最終的には餓死で死んだものと見なしていいのではないでしょうか。

この青年の死は、多くの若者が放浪や未知をもとめる旅の中のひとつの不幸な一例にすぎないと思います。

でもアメリカではマスコミにとりあげられて、映画にもなっていますね。アメリカ人にとってはどうして衝撃的だったのでしょうかと思います。ヒーローに祭り上げられるような何かをもっていたのでしょうか。

アメリカはやはり多くの人がフロンティアをもとめて渡ったまだ若い国でありますし、未開の地をもとめた過去はそんなに昔のことではないのでしょう。開拓の精神がまだ心にくすぶっているのかもしれませんね。

さっこんのアメリカ発の金融危機で明らかになってきたように、アメリカは金融業界の腐敗や消費バブルのようにどこか健全な生活を送っていないといったやましさが心にうずいてきていたのかもしれません。青年はそんなアメリカ人の心の深いところにアンチをつきつけたのかもしれません。

個人的には野田さんの新放浪記のほうが面白かったですね。

同じ繰り返しの日常からいかに違いを見出せるのかが、大事なのではと思いつつ働いております。新卒で半年が過ぎました。

よはんさん、こんにちは。

たしかに野田知佑の『新放浪記』のほうが楽しいと思いますよ。
『荒野へ』はさいしょからアラスカで餓死した青年という悲惨な結末から出発しますし、野田青年は社会への反発を心にしっかりともっていますし、自分らしい生き方をカヌーイストとして見つけてゆきますしね。

日常のくりかえしの意識からいかに抜け出すかはむずかしいですね。
天気のいい日でも会社に縛られなければならないし、仕事も慣れてきたら同じことのくりかえしにしか思えないし。

精神が死なない程度にくりかえしや退屈、または安定にどっぷりとつかる訓練や養成期間は、企業社会に適応するためには必要なものなのでしょうね。いや、そういうことより、新鮮さや発見を、同じような日常から見つける努力をすることがいちばん大事なんでしょうね。

こんにちは。

やっと読み終わりました。この本、読みづらくて途中で1度リアイアしたんです。もう1度初めから読み直しました。場所が想像できないのでピンと来なくて。もう少し詳しい地図や写真を載せてほしかったですね。

私は青春物語として楽しく読みました。確かに、社会問題や哲学的な事を考えたい人には物足りないかもしれません。ある若者の冒険小説という感じですね。

浅いのですが、一応感想を書きました。今日初めてこの書評を読ませていただいて、自分の考えはまだまだ浅いなと思います(恥)
http://saenai.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/into-the-wild-5.html

rootさん、こんにちは。
完読、ご苦労さまでした(笑)。

たしかにクリス・マッカンドレスはアメリカのあちこちを放浪して、さっぱりどこらへんを行っているのかわからないところがありましたね。本の読み方としてわからないところはわからないなりに読み飛ばしてもいいんじゃないかと思います。

いまから思うとクリスの好きなジャック・ロンドンの本にアラスカで狩猟生活をするといった短編があったようで、この本に感化されたのではないかと思ったりもします。

保守的で画一的な生活から抜け出したいという願望は、若者がいつの世も抱く夢だと思います。大人たちの生き方って画一的でものすごくつまらなく思えるのが若者というものだと思います。海外放浪したり、ニートをやったりしてもがきながら、なんとかひとつところに落ち着いてゆくのが若者の成長というものなんでしょう。クリス・マッカンドレスはその試みが極端なものになりすぎて、生還できなかったという青春のひとつのエピソードなのかなと思ったりします。

もうひとつの生き方を提示してくれれば、私も満足したのかもと思いますが、残念ながらクリス・マッカンドレスは新しい生き方を成就できずにこの世を去ってしまいました。でも本になったり映画になったりしてかれの人生は若者の人生観になんらかの影響を与えたので、ムダだったと思いません。

決まりきった人生コースから、冒険や成長ができる人生を選べることは、若者のひとつの証なんだと思います。無謀であったとしても、若者には保守的に固まらずに挑戦する人生を選びとってほしいと思います。そういう累積が新しい人生や社会を築いてゆくのだと思います。

こんにちは。

この本は、映画の予告を見て知りました。とても興味が湧いて原書まで買い込んでしまいました。当然のごとく原書は数ページでダウンして、訳書へとシフトしていったのですが。。。

本書はジャーナリストによるものなので、全体的に客観性(第三者の視点?)があり、それが読者(ボク)をクールダウンさせつつ読み進めさせるので、その点が若干の物足りなさにもつながりえるのだと思いました。

『なんでも見てやろう』も『深夜特急』も、『アジアン ジャパニーズ』もそしてその他諸々の冒険モノも、大抵「私が体験しています」という臨場感が、冷えたビールの喉越しのよさのようになっているのだと思います。

以下、私見を。
ボクも学生の頃は一年の半分を旅と、冬山に費やしました。
赤貧旅行をしていると、「ドラッグ」と「殺されるかもしれない」という場面に幾度となく出くわします。ボクも煙を吸いながら、このままここにいようかなと思ったことは幾度となくありました。ちなみに一番恐ろしかったのは、やはりアメリカでした。スラム系の人間に囲まれた時は、理屈などなく、無意味に殺されるのではという恐怖心が湧きます。
冬山(@スノーボード)でも、バックカントリーを好んでいたのですが、人気のない山で山頂を目指しているときにホワイトアウトにあったりすると、恐怖で気が狂いそうになります。
同じような趣味を持った友人の多くも、大なり小なり同じような経験をしています。

そのときに思ったことは、死というのは決してどこか遠いところにあるものではなく、いつでも伴走者のように隣りにあるものなのではないかということです。
そして現実というものが、もし仮に存在するのだとしたら、そんな幻想はいかにも簡単に吹き飛ばされてしまいます。
「大人」であるとか、「社会人」になるとかいった、チープな共同幻想が通用しない世界です。
現実逃避であることには間違いないのですが、そこにはもう一つの現実が確かに存在するのです。

マッカンドレスも無鉄砲な若気の至りと言ってしまえばそれまでですし、よくある話と言えばそれもそうだと思います。

しかしこれは若者だからという口上で片付けてしまってはいけない気もします。
「大人」になった?今、あらためて思います。
あえて言えば、誰にもわからない明日を信じるようになってしまうのが大人で、明日の存在など信じないのが若者なのではないでしょうか。

とりとめもなくなりました。

最後に
川嶋康男『凍れるいのち』は、マッカンドレスとは逆で、
鍛えぬいた男たちが計画的に冒険(登山)に挑み、そして死に直面する話です。
壮絶です。
話が間延びしている感はありますが。

bookreaderさん、こんにちは。

私は浅はかな読み方しかできなくて、社会的な面からしかこの本を読めませんでしたが、死が隣り合わせにあるという観点からはとても読み込めませんでした。死を身近に感じることによって生の実感を変容させようとしたのが、クリス・マッカンドレスの試みであったといえるのでしょうか。

文明生活で骨抜きにされた野性の力とか本能的な生きる力といったものを感じたくて、クリスはアラスカの荒野でひとりで生きる実験をしたかったのかもしれません。私たちはあまりにも文明生活にたより、分業的な生活をして、おおくのものに依存したりして、ひとりで生きることなぞ不可能になっていますね。文明は個人を生の無能力に陥れてしまう。クリスはひとりで生きる野性の力を思い出したかったのかもしれませんね。

私はあまり旅に出るタイプではないのですが、バイクで野宿ツーリングしたときは、山中や河川の真っ暗闇でテントで一泊することの怖ろしさはいやというほと感じました。クリスはこういう自然の中でひとりで生きれる力といったものを実感したかったのではないかと思います。

文明への挑戦といったものだったのかもしれませんね。そこに生の意味や実感を感じようとしたのかもしれませんが、生還できなかったことは残念ですが、この本のノンフィクションのように彼の軌跡が多くの人に知られることによって、彼の問いかけは私たちの心に残ることになるのでしょう。

Videoで見ました

偶然Videoで見ました。気持ちは良く分かりました、なにしろヒッピー世代ですから。みんなこんな感じでしたから。この主人公はちょっと時代が遅すぎた?ような気がしました。
企業が新人研修とか言って、地獄の特訓(人格改造)をするようようになったころから、資本主義の終焉が見えてきました。企業が人間ではなく、露骨に金儲けロボットを雇うようになって、まともな雇用関係が消滅していきました。企業戦士などという言葉も、ありましたね。人格や教養、もっと言えば、義務教育さえ必要が無いのです、就職にはね。
この辺から資本主義の首が自動的に締められてきていると思います。
立派な社会人になるためには、どんな人生が待っているか、誰にだって分かってきているんですよ。敢えて、その道を選ぶすでに老境に達した覇気の無い人たちだけが、出世する仕組みで、どんどん彼らによって世の中が歪になっている、そう思います。

こんにちは。

ヒッピー・ブームははるかむかしに去りましたが、いまの若者もバックパッカーや旅などによってオルタナティヴをさがすことはやめていないのだと思います。

残念なのは主流のサラリーマン的生き方しかないのだと表象されていること、会社で生きてゆくしかないのだとマスコミでくくられることですね。人生はもっとほかの選択肢や生き方があってもいいんだ、許容すべきなんだという報告やムードがないのはひじょうに残念だと思います。

いまの若者は団塊世代の金の卵といわれた時代から、新卒でも会社がうけいれてくれなかったり、フリーターのイスしか用意されていなかったりする不遇なときをむかえています。だからこそオルタナティヴや漂った生き方をせざるをえず、新しい生き方を模索したり、実験したりするチャンスがふえてきたのかもしれません。

サラリーマン社会が壊れてしまったから新しい生き方が花開くかもしれない、そう思いたいです。いまの若者は保守化し、消費もしないさとり世代とかもいわれたりしますが。

No title

こんばんは。先ほど「荒野へ」を読み終わりました。荒野への大まかな筋は読む前から知っていたのですが、実際読んでみると、クリスは死ぬ前に荒野のなかには幸せがないって最後考えていたんじゃないかと思いました。

具体的には最後にクリスが読んでいた本『ドクトル・ジバゴ』の余白に書いてあったことが、それを物語っています。

 そんなわけで、自分たちの周囲の人々の生活と同 じ生活、さざなみを立てることもなく合流しあえ る生活だけが、正真正銘の生活であり、分かちあ えない幸福は幸福ではないことがわかった… そ して、これがもっとも厄介なことなのである。

僕はこの引用箇所を読むと『荒野へ』はクリスの絶望と回復、その直後に起きた不幸な事故という実際に起きた悲劇をドキュメンタリーのかたちで世にあらわにしたのだろうと考えました。

以上、私の感想でした。

サイトへの不信

トップの的外れな書評はだれのものか
署名すべき

つか、荒野になにかあるとか、期待するのが変。
社会に期待するのは人間が買われた豚だから。
荒野は、物質世界そのものがあるだけ。
それが、人間の期待の生き方死に方をしないと
書物にもならないし読めもしないってのは、
結局、個々に書いているだれもが、ただの社会的な買われた人間ということ。

俺、地平線って見たことないんだよね。だから、分からないな。荒野ってどんな場所なんだろう。
生まれた頃からずっと社会の中にあって、家とかビルが生えていることが当たり前でさ。
TVで見たこともあるし本で読んだこともあるけど、それって頭の中の想像。本当に自分の目で確かめたわけじゃない。
ちょっと遠出して海まで行ってみても、水平線は水平線で。地平線じゃ、ないんだよな。
地平線の向こうに夕日が沈むところ、見てみたいな。
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