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湘南ホームレス~文明のマキシマム化とミニマム化

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うえしん


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 きのう、ワイドショーで湘南ホームレスの特集をやっていた。湘南海岸の防風林に住みつき、畑を耕したり、魚を釣ったりして、自給自足に近い生活をしているホームレスが紹介されていた。リゾート・ホームレスといったらいいのか。TVは国有林の不法占有だといいたがっていたが、地元の人は放任や寛容のかまえのようである。

 ホームレスといえば、ふつう繁華街や都市部の公園にたむろする人たちを思い浮かべがちだが、こういう自給自足型、自然派のホームレスもいるのかとおどろいた。アウトドア・タイプである。そういえば、旅行やアウトドアの延長として沖縄諸島や北海道のキャンプ場にながく暮らすキャンパーのような人たちもいる。旅行者なのか、ホーレレスなのか、いっぱんの市民なのか、アウトサイダーなのか、ここらへんになると境界はひじょうにあいまいになってくる。

 このような生活スタイルはぎゃくに「まともな生活」をする人の負担や荷重を思い出させるものである。私たちは当たり前やふつうのものとして水道や電気、ガスが通った冷暖房完備の豪華な家に住みたがるが、維持費はなみたいていのものではない。はっきりいえば、これらの維持費のために働いているといって過言ではない。私たちは文明生活を維持するために働いている。

 文明生活はもっと便利で豪華で人より優るものを求める。そしてどんどん金を稼いで働かなければならない。もっとほしいモノ、見せびらかしたいモノ、自慢にしたいモノが増えてくる。もっと稼がなければならない、儲けなければならないとなって、朝から晩まで働かなければならならい。文明というのはそのような他人がつくったサービスやモノを手に入れるためにますます働いて、お金を稼いで、もっと他人のサービスを手に入れたいというライフスタイルのことである。おかげで休む暇もなく働いて、人生を超特急のように過ごしてしまう生活を余儀なくさせてしまうのである。

 ほんらい、どのような動物もホームレスである。無一文である。食べ物は成っているものや落ちているものを食べたり、あるいはほかの生き物をつかまえて食べる。人間も同じで、そのような地上の食べ物を無料で手に入れていた。食べ物や衣服、住居といったものは自給自足でなしとげ、ほかに頼らないでも生きてゆくことができた。交換したり、分業したり、お金で売買したりといったシステムが社会に浸透してから、人間は自分のための活動をひとつひとつ他人に売り払い、こんどは他人のための活動に日々を追われるようになった。企業組織に入るためには高度な知識や技能が必要になり、学習したり、人間関係を維持したり、人に承認してもらうといった高度な技能も幾何学的に必要になった。食べ物や住居は他人に頼らなければ手に入らなくなったのである。

 文明の維持費はかなり高いのである。分業システムは便利で高度な技術を手に入れさせてはくれるのだが、維持費が高すぎる。組織や権力のあるものの権限や自由にふりまわされることも多い。かんたんに生活の糧を奪われたり、または追われたりする。仕事ばかりの毎日にいったいなんのために生きているのかわからなくなるときもある。

 そういった「文明生活」からはじき出されたり、追い出されたり、または「あきらめたり」する人が、ホームレスになってゆくのだろう。さいしょは都市部で文明から離れられないホームレスが増えたのだが、どうもそれがつぎの段階であるあきらめを通り越した自給自足ホームレスにひろがっていったように思われる。文明からはじき出される、または文明をあきらめた人が、自給自足をめざしてゆくのだろう。まるで文明の歴史や栄枯盛衰を見ているかのようである。

 いっぱんの市民からもアウトドアやキャンプ旅行のような趣味もひろがってくる。それは文明を離れる旅であり、文明を一時、都会においてきて、自然の暮らしにもどるひとつの試みである。自然の景観や自然の豊かさに一時的にもどろうという試みなのであるが、文明生活への疑問や不快さも、その動機にあるものだと思われる。文明生活からの一時的な逃避であり、隠遁である。このキャンプ生活が快適でながくそこに暮らしてしまえば、家のない人になり、ホームレスともつかない存在になってゆく。

 文明はその装いや維持をどんどんマクシマム(最大・極大)にしてゆき、重荷や負荷もどんどん極大なものになってゆく。はじき出された人、あきらめた人は、文明のミニマム(最小、極小)で生きてゆこうとする。豪華な家や着飾った衣服、りっぱな門前や道路、そういったマクシマムな文明を維持できない、あきらめた人は、そこから放り出されて、自然の中でミニマムな生活を送る。

 かつての日本は農漁業がさかんで、文明のマキシマムはそう高くはなかったと思われるし、自給自足と貨幣経済の壁はそう厚くはなかったと思われる。近代文明になってさまざまな分業体制、貨幣経済に巻き込まれるにしたがって、文明の維持費や労働力はかなり高くなっていったのである。

 移動生活者や流浪者といった人たちは税収の不便から定住を強いられ、そして高度成長の繁栄のおかげで、どんどん都市化や文明化の波にのまれていった。そのような文明のマキシマム化が機能不全をおこし、貨幣経済からはじき飛ばされた人たちが過去の歴史に戻るかのように、都市型ホームレスから自給自足型ホームレスへと拡散をひろげていっているように思われるのである。文明生活の維持費や労働力はたまらないということなのである。

 たぶんこれは近代化、工業化の疲れや停滞ということなのだろう。ここまで近代化でやってきたが、あまりにも重い荷物、労働を背負わされるだけではないのか、そういう徒労も感じられてきたのではないかと思う。もちろんこれからも大多数の人は商業化・工業化された貨幣経済を「スタンダード」、「まともな」ものとして生きてゆくのは当たり前のことである。しかし文明の重みに耐えかねていった人たちは自然の中に少しずつ戻ってゆきそうな気がする。いや、文明生活者はそういう安らかな夢は、休日や年金生活の中にしか求めてはならないのだろう。


ソーローあたりの本
森の生活―ウォールデン (講談社学術文庫)荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)生き方の原則―魂は売らない自給自足の本 完全版


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うえしん
Posted byうえしん

Comments 8

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root

はじめまして、rootと申します。

私は今、世間で言うところのニートでして、将来はホームレスになってしまうのかと漠然と考えています。ただ、ホームレスとして生きていくにはある種の度胸みたいなものが必要だと思え、それは私には無理そうなので死ぬしかないのかとも思っています。

森の生活は以前読んで、ああいう生き方に憧れもしますが、私には無理なんだろうな……。それとも、勇気がないだけなんでしょうか?そういう勇気がいいのかどうかは分かりませんが。

荒野へは先日買いまして、これから読むところです。こういう本に惹かれるということは、ドロップアウト願望があるんでしょうね、出来ないけど。

うえしん

rootさん、はじめまして。

だれだってホームレスにはなりたくないでしょう。やむにやまれず、家を追い出され、あるいは疲れ果てて、ホームレスとなってゆくのでしょう。

まただれだって生きていたいから、しかたなくホームレスとして生きていかざるをえなくなったりするのでしょうが、ホームレスの人たちはじょうずに人に頼ったり、国に頼ったりするのがいやだという、一面では自立心旺盛なところもあって、路上や公園で暮らしはじめるのでしょうね。私だったら食えなくなったら役所に駆け込みそうですね(哀)。

おシャカさんだって初期の原典なんか読むと、ホーレレスになれ、人に施しを受ける乞食になれとやたらと奨めています。まあ、仏教には不動の心を手に入れるという目標がありますから、まずは人間界の競争や屈辱、恥といった感情をのりこえるための修行だと考えられます。ホームレスの方々はいっしゅの悟りのような境地を、一面では手に入れているといえますね。

ソーローのような自給自足の生活は、都市で暮らしてきた者にとってはかなり難しいですね。自然の中で暮らすという本能的なものがすっかり干からびてしまっていますからね。私はソーローの仕事に対する考え方、ミニマムに削げ落とす生き方にはかなり学ばさせてもらいました。

『荒野へ』は悲しい物語ですね。ショーン・ペンの監督で公開されているそうですね。青年はどうして荒野に旅立ったのか、結末はわかりませんが、そういう人生を知ることによって、人生の幅を知ったり、安寧を感じられたりするのでしょうね。読み終えられたら、私も読みたいと思っていますが、ブログで書評を書いてトラックバックなんかしてくれるとありがたいんですが。

たいよう

こんにちは。

私も今、自給自足(部分的な)生活を視野に入れながらあれこれ考えている毎日なのですが、やはり一度文明の便利さ楽しさを知ってしまうとなかなか全面的には踏み込んでいけないですね。
先日も趣味のギターで欲しいのがあったので衝動買いしてしまいまいたし。旅の道具と割り切っていてもバイク買ってしまったりで物欲に蝕まれ(笑)ております。
可能な限り身軽になりたいのですが、私の場合もっと追いつめられないと自活的生活は無理そうです。

  • 2008/10/01 (Wed) 19:48
  • REPLY
ラフティングGOGO!
生き方

多様な生き方といったらそれまでかもしれませんが、社会全体が疲れているのかもしれませんね。

うえしん

たいようさん、こんにちは。

物欲にまみれても楽しかったらいいのではないかと思います。
楽しみや喜びをもとめる人生がいちばんだと思いますし、もし物欲に楽しみより苦しみや倦怠を見出すようになったら、自給自足とか田舎暮らしとかをのぞんだらいいんじゃないかと思います。

消費とか文明がつまらない、自然のほうがいいと思うようになれば、そうすればいいことであって、ムリはする必要はないんでしょうね。

私はひたすら自然の風景が好きですが、畑をつくるとか、作物をつくるとかの素養というか、基本的な志向が芽生えません。
家族やまわりのそういう人たちがいて身近に作物をつくっている人などがいたらべつなんでしょうが、作物を育てるということがまったく身近なことに思えません。私も遠い憧れや、癒しとなるような夢想に近いのかもしれません。

うえしん

ラフティングGOGO!さん、こんにちは。

都市に住む人間は自然からどんどん疎外されていってますね。

街は人間がつくったものばかりに囲まれ、人間相手の商売ばかりですね。他人のためばかりに生きている気がしますね。

自然はそのような気兼ねから解放してくれますし、人間を相手にしなくともいい。けっきょく、人間にいちばん疲れるのでしょうね。

まったり
自然も結構、しんどいですよ。

今まで、たくさんキャンプ生活(せいぜい、一回につき一週間)しましたが、一週間もすると、飽きてきます、私の場合。
キャンプをし続けるとしても一カ月ぐらいが限界だと思います。
文明社会から追い出された、あきらめた…。
お金がないから、自然の中で隠遁生活。
とはいえ、自然も結構、きついですよ、文明社会以上に。
だから、文明社会を維持するのが大変だとは言っても、それでも、
文明を離れて自然の中で暮らす方が大変だから、大部分の人は文明社会で、働いてお金を稼ぎ続けるのではないでしょうか。
文明社会の中で生活しながら、たまに自然で息抜きなら快適だと思うけど、生活の全てが自然の中になってしまったら、それは、きっとつらい事だと思います。

うえしん

こんにちは。

なにごともバランスなのかもしれませんね。

こんにちでは貨幣サービス社会がどこまでも浸透して、なにをするにもお金がかかります。もしその元手を稼げなくなったら、畑で耕していた野菜で飢えをしのぐといったこともかんたんにできない暮らしをしていますね。

ホームレスがたくさんの家財道具を大八車にのせて移動しているようなものですね。

便利で効率的な社会はたいへん際どい、背負うものがたくさんありすぎる社会ですね。重荷を軽くそぎ落としてゆくのが人生のコツかもしれません。

自然は厳しく、制御できないものが多すぎたから、人は文明を築いたのでしょう。自然に帰るというのはもう不可能に近いほどむづかしいのでしょう。

ただお金を稼げなくなったら、ほんとうに文明の利器からかんたんに放り出されてしまいます。自然の中で暮らすホームレスは絶望からのあきらめに立脚しているのでしょう。