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09 12
2008

旅へ

『エグザイルス(放浪者たち)』 ロバート・ハリス

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エグザイルス(放浪者たち)―すべての旅は自分へとつながっている (講談社プラスアルファ文庫)
ロバート ハリス

エグザイルス(放浪者たち)―すべての旅は自分へとつながっている (講談社プラスアルファ文庫)


 圧倒的な書物、というか人生である。1948年生まれの団塊世代のヒッピーの放浪人生がどのようなものだったのか、追体験できる書物になっている。といってもロバート・ハリスは祖父が英国人、祖母が日本人のあいだに生まれた父と、日本人の母のあいだに生まれていて、ハーフなのか、日本人といっていいのかあいまいに思えたが。

小さいうちはこの「楽しく生きる」ということが楽にできた。だが、成長すればするほど、それは難しいものになっていった。大変な労力と反逆精神と強い意志が必要になっていった。それは社会というものが、「楽しい」を基準にしていないからだった。「楽しい」の代わりに、「生産」、「発展」、「義務」、そんなコンセプトが幅を利かせていた。
僕はたまらなくなり、日本を飛び出した。今逃げないと、自分が潰されてしまうと思ったのだ。

どこへ行こうが、くだらない奴に媚びたり、敷かれたレールの上を往復するような人生は送りたくない、そう思っていた。



 ロバート・ハリスはヒッピーの典型のように東南アジアを放浪し、旅をライフスタイルとして生きられることを実感し、さまざまなヒッピーや放浪者と出会い、オーストラリアで画廊書店を経営し、文化人の集う場所をつくっていった。まさしくサラリーマンの決められたレールの人生を拒否して、反逆的な放浪の人生を送ったのである。ある人たちの憧れであり、または憧れてもできない人生であり、多くの人はレールの上の人生を歩む。それしか生き方がない、またはほかの生き方を知らないといった理由から大半の人はサラリーマンの人生を歩むのだが、ロバート・ハリスはドロップアウトの典型的な生き方をここに開示してくれるのである。

 こんにちでもそのような旅に生きる人はいないわけではない。むかしのように反逆的でも反体制的でもなく、しずかに旅に立ち、ブームもおこさず、ひっそりと旅好きな人やバックパッカーという薄められた旅が趣味な人というカテゴリーで世界を放浪するようである。ひそかに反逆や抵抗の精神はあるのだろうが、社会はそのような生き方に注目したりゆり動かされることは少なくなった。われわれは反体制や反逆が渦巻いていた時代よりはるかにおとなしくて、しずかな、体制に呑み込まれるしかない時代を生きているといえる。

 私もこのようなつまらない社会から逃れようとして、アメリカのヒッピー世代やビート世代の反逆精神を学ぼうと、その時代の書物をよく読んだものである。ロバート・ハリスが読んだり、カルトとしてきた書物はじつに私もよく読んできた。カウンター・カルチャー(対抗文化)の精神はこんにちでも通用するのか、どうしてこんにちこんなしずかな、おとなしい社会になってしまったかという思いをこめながら。

 ハリスはジャック・ケルアックの『ダルマ行者たち』で人生観が変わってしまったという。そしてケルアックの『オン・ザ・ロード』、『ロンサム・トラベラー』、ゲイリー・スナイダーの詩集、ギンズバーグの詩集、ポール・ボウルズ、ウィリアム・バロウズを読んだという。ヘルマン・ヘッセはヒッピー世代には他の作家より評価が高かったようだ。東洋探究と自己発見の旅の要素が強かったからである。カザンザキス、ヘンリー・ミラー。ハリスはこのようなカウンターカルチャーの精神をもろに影響を受けたようである。たぶんそのころの世代の若者もおおく読み、影響を受けたのだろうが、多くの若者はふつうにサラリーマン社会に呑みこまれていった。

 かれの定義によるとボヘミアンは社会のメインストリームに反発する、貧乏である、変なところに住んでいる、イデオロギーや議論をよくし、よく話をする、創作活動に人生を賭ける、ということになる。芸術的な人生を歩みたいという思いがあるようである。でもこれだって、こんにちではしっかりと商業主義に呑み込まれて、世俗的成功や世俗的承認をもとめる一般人とちっとも変わらないのだが、なぜかこんにちでも芸術と世俗は違うと分けられるようだ。創作至上主義と世俗の軽蔑っていったいなんなのだろうと思う。

 オーストラリアに出るころにかれは自己嫌悪の蟻地獄に落ちこみ、起きているあいだ、一秒も楽しいと思える時間がなかったという鬱状態におちいる。クリシュナムルティ、カスタネダ、ヘッセ、ラムダスなどの精神世界の本を読み、LSDやヤクはよくやり、弟の精神的変調のためにフロイトやレイン(?)、グロフ、パールズなどの心理療法の本を読んでいる。私もこれらの本を山のように読んだのだが、とうじのカウンターカルチャーの精神世界はこんにちまで見事にひきつがれているということになる。私はこれらの知識の利用価値は、悟りをめざすのではなくて、心のコントロール法にあると思っている。社会は心の操縦法を教えないから、精神の袋小路に落ち込んだものはその抜け出し方を知らない。そこでこの技能的知識が役に立つというものであると思う。

「不安も恐怖もあなたの意識が創っているものです。自分が創ったものと自分が戦うなんて意味のないことです。静かに見つめることです。そうすればいつか去っていきます」
「哲学なんておならのようなものです。宗教もおならです。神もおなら。概念はみな頭のするおならです」



 この意味がわかるだろうか。私たちがものを考えたり、なにかの感情や気分に満たされているとき、いつの間にか「考えさせられている」、「思わされている」といった状態になっている。思考や感情の受動態になっている。ニューエイジが教えるのはそれは自分がつくりだしたもの、あるいは習慣やこれまでのパターン化された思考だと教える。つまり自分でつくりだしてものであるのに、受動態のように受け入れ、ときには責めさいなまされる。この思考に乗り入れないために思考を雲のようにながめろといったり、そんなものは価値がない、思考や言葉の「虚構」にすぎないとさとすのである。いちど感情に乗り入れると、その感情はリアルな実体感あるものとして迫ってくる。自分の頭が勝手に生み出す思考の波に乗り込まなかったら、私たちは自分の思考のコントロール法を手に入れることになるのである。

 ハリスは80年代に増えてきた海外へ旅する日本の若者を見て違和感を抱く。背中を丸めて黙々とマンガや週刊誌を読み、日本のビデオを見ている。暗くて、消極的で、元気がないとかれは思う。逃走者や敗北者とかれら自身も捉えている。「オレがいた頃より、日本は元気のない国になったんだな」――ハリスは思うわけだが、まさしくそうであると思う。ハリスは多くの人と語らい、議論し、つながりをもとうとするのだが、こんにちの日本の若者は黙々とひとりでマンガを読んだりゲームをしたりすることを好む。こういう者から見ると、ハリスの社交人生は圧倒的である。スウェーデンの若者はことごとく生気がないとハリスは放浪人生のはじめに思うわけだが、福祉国家がそのように若者の反逆や情熱を奪うのかと推察している。

 この本というか、この人の人生というのは、人はこんなに自由に生きられるんだ、好きなように、楽しんで生きる方法もあるんだと教えてくれる。まあ、たいがいの人は現実的な反応しかしないものであるが、メシはどうやって食う、カネはどうやって稼ぐ、いまの時代なら年金や健康保険はどうなるといって、ますます老人のような死んだような人生を余儀なくされる。福祉国家は若者を殺すようである。安定し、保障された人生は、情熱や生気を殺す。人が貧困に突き落とされ、守られない格差社会も悲惨だが、安定した福祉国家ももうひとつの魂の殺人である。安定して生きられるというのは罪なものである。ハリスのような放浪の人生はわれわれの生き方からどんどん奪われてゆくのだろうか。


カウンターカルチャーのカルトな書物
ザ・ダルマ・バムズ (講談社文芸文庫)オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)孤独な旅人 (河出文庫)
ギンズバーグ詩集荒野のおおかみ (新潮文庫)デミアン (新潮文庫)
南回帰線 (講談社文芸文庫)ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本 (mind books)未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話 (講談社学術文庫)自我の終焉―絶対自由への道

ロバート・ハリスの著作
ワイルドサイドを歩け (講談社プラスアルファ文庫) 人生の100のリスト 幻の島を求めて―終わりなき旅路 エーゲ海編 (終わりなき旅路 (エーゲ海編)) 人生の100のリスト (講談社+アルファ文庫 A 42-3) MOROCCO ON THE ROAD 終わりなき旅路 モロッコ編 (終わりなき旅路 (モロッコ編))
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Comment

凄く勉強になりました。

私も、一般常識も、作法も、しきたりも、法律も、所詮人間の作ったものだと言うあたりまでは考えていましたが、概念が自分で作り出してがんじがらめになっているとは・・・。
そう言えば5歳くらいの時に・・・神様なんか所詮、人間の作ったものだと思っていたことを思い出しました。
ただ、人生が進むにつれてだんだんあれ?あるのか?という考えに変わり・・・。社会に埋没したという事でしょうか。
自分の精神をコントロールすれば済むことだったんですね。悟も必要もないわけですね。本当に驚きました。
こちらのブログを拝見させて頂いて本当にためになります。
すっかりはまってしまってます。本当に面白いです。
インターネット社会でなければ私などきっと知ることが出来なかったと思います。

全く詳しくはありませんが、
フロイトなどは過去のものではないでしょうか。現在の脳科学などは日々進歩しているようです。
哲学に関しても、わたしは学生の頃の知識しかありませんでしたが、現在はなにやら全く創造もつかないようなことになっているみたいです。
ただし、宗教、とりわけ現在の日本の仏教は想像通りのようです。この混沌とした世の中で精神的救いの一助とならなくてはならないはずなのに、今でもそうなのかどうかは知りませんが、祇園で遊び呆けているというのは良く耳にしました。

mosikaさん、こんにちは。

社会のルールや認識は人間がつくりだした虚構であるという「共同幻想論」と、自分が日々考えている精神のありようとはべつに分けて考えたほうがいいと思います。

共同幻想論は社会のルールを相対化したり、腰砕けにする力をもつものですが、私がいっているのは自分の日々考えたり思ったりする思考や精神のことですね。

日々の思考や感情は自分がつくりだしているという認識をもたないと、思考や感情に振り回されることになります。アメリカのヒッピー世代は東洋の宗教や日本の禅などに学ぶことによって、感情は自分がつくりだしているという認識にいたります。ヒッピー世代の精神的探究は私たちにとってもひじょうに役に立つものを考察してくれたと思っています。

ただ一般の人にどれだけ浸透しているかというと、ほぼ知られていないことが残念ですよね。こういう自分にとっていちばん大切な心の知識というものが一般に知られていないというのは、なんなのかと思いますが。

心のコントロール法はそうかんたんではないので、左のほうにのせられている「私のおすすめ本」の上から四冊ほどは読んでみたらためになると思いますよ。すこし難解な部分もあると思いますが。

デンカさん、こんにちは。

フロイトは古くて、脳科学は進んでいるというよりか、科学でもなくても人間は精神の探究をできるというやり方を見せる点で、フロイトの価値は色あせていないと私は思っています。物質的な実証科学って各個人がいろいろな追究や探究をさせてくれないから、私はおもしろくないと思っています。

哲学や現代思想は私は興味をもって読み進めてきましたが、どうなんでしょう、知識や概念は人間の知性の深奥を掘り進めてくれるような快楽はありますが、なにかの役に立つとか、社会のためになるというような現代思想は、さいきんほとんど生み出されていないように思います。ふつうの人はサルトル以降の思想家はほとんど知らないと思いますし。

仏教は、私は心理学的な価値があると思って、いくらか読みました。瞑想とか深層心理学とか、仏教って大昔から心理学をやっていたんだといまさらながら驚きました。そのような知識が一般の人にまったくつたわらず、仏教は葬式仏教と観光産業だけになっているのは損失だと思います。ただし、その知識を受け入れるわれわれが仏教の知識を吸収するレベルにないというべきなのか。。

twitterから来ました。
北欧の若者の無気力の話しですが、この動画で同じような事が語られていたのを思い出しました。

【宮台真司】自信がない日本の男子
http://www.youtube.com/watch?v=UaXVk4sgp9w

北欧の福祉と日本のノイズレス社会というのが重なってるなぁと。読書してるとあの本にも同じような事が書いてあったな…みたいな反応でコメントしました

ロバート・ハリス・エグザイルスを読んで・・

自分の女自慢の話で中だるみしました。
   父ではなくオスである姿が子供に対して無責任で、本人も言ってますが、本当無責任な人です。
  
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