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09 08
2008

旅へ

『道の風土記』 共同通信社


P9080003_convert_20080908205508.jpg道の風土記 (新潮選書)
共同通信社
新潮社 1989-06

by G-Tools


 ツーリングに出かけたいと思うのだが、いぜんのような地方に対する好奇心が枯渇している。いぜんはハイキングに山々に登り、土地の風俗や生活、歴史、あるいは信仰する神などに興味がもてた。民俗学や古代史、歴史地理などでその好奇心を満たしたいと思っていた。しかしなかなかその好奇心を満足させてくれる知識と出会わず、基本的な好奇心が枯渇してくる事態におちいった。ということで興味をふたたび立ち上がらせてくれる本ということで、古本で見つけたこの本を手にとった。

 89年の出版で、共同通信社の担当者が数名で執筆している。いわゆる新聞社文体で、体言止や簡潔な言い回し、そっけない概要口調、がさいしょはいやに目についたが、構成のテーマが物流までカバーしていて、あんがいしっかりした本なのかなとも思った。

 道や街道というのは物流や商売の道としてかなり重要であったし、旅や遊芸、知識や情報をつたえる重要な通り道であった。地域や町の発展は、街道や物流とつながりがあった。地域や土地を全体につかみとろうとしたら、この街道やあるいは物流の海道などから見てみることが大切なのだと思う。道こそが人びとの生活や暮らし、あるいは町をつくりだすものである。

 糸魚川から松本までは塩の道があったし、若狭と京都には鯖街道があった。伊勢や熊野への道は旅の道であり、信仰の道でもあった。海の道は日本の物流を大きく支えた。道はこんにちでいう鉄道に憧れることと似ているのかもしれない。この線路が遠い土地までつながっているという思いが郷愁を誘うのである。道は遠方の地でもあったのである。道はたとえば山塊に閉じ込められた村の住人にとっては、憧れを誘うはるか彼方につながる土地でもあった。道はロマンであったのである。

 戦後に農村から都市への民族大移動がおこって、おおくの人は都市に移り住んでサラリーマンとなった。学校ではほとんどの人が都市に住んでいると教えられたように記憶するが、こんにちでも地方や田舎に住む人はたくさんいる。都市に住む人は都市の繁栄や便利さに目を奪われてまったく失念するわけだが、地方は広いし、町はまばらに存在し、あちこちに人の住む場所はひろがっている。

 都市民は都市に満足して、地方に興味を向けない。地方の人も都市の魅力に目を奪われる。そうして地域性や地方の独自性は忘れられてゆき、画一的な都市の町が日本中にできあがる。このような流れがここらで反転しはじめるのではないかとひそかに私は思っている。

 地方を舞台にしたドラマや映画は増え、それはフィルムコミョッショナーや地域振興の誘導によるところも大きいのだろうが、若い世代は地方に魅力があることを確実に刷り込まれているだろう。それに都市はいくら消費が便利であろうと魅力をいつまでももちつづけられるわけではないし、消費に倦むと都市は猥雑さの欠点を見出すようになるし、地域性や独自性もすでにない。画一性がおおった日本にとって、むかしあった地域の独自性・唯一性がぎゃくに輝きを増すのである。そんな時代がやってきそうに思うのである。

 道の歴史を探っていれば、むかしのほうが地方にロマンや郷愁がよりよくあったと感じられる。山のあなたになにがあるのだろう、海の彼方にどんな町があるのだろう、そのような夢が描けたと思う。こんにちどこにいっても画一化され、東京化された町がどこにいっても広がっているだけである。地方の独自性や地域性はかえって、魅力を感じられるように思うのである。



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Comment

地方。

何処へ行っても同じ風景。画一化。
この間、大泉洋さんがテレビで、地方でしか見られない番組があった方が
いいと言う話をされていました。なるほどと思いました。
人間はなぜか飽きると言う感情を持っています。
たとえば世界が一つの言葉で統一されれば便利で楽な気がしますが
国境が無くなり、画一化が進むと・・・。
飽きると言う感情がある限り、そうなると世界すらもつまらなくなって
しまうのでしょうか。
難しいほど飽きない。続けられたりする。
何のために人間はそうなっているのでしょうか。

mosikaさん、こんにちは。

全国どこにいっても同じようなスーパーやコンビニ、ファーストフード、ショッピングモール、郊外住宅地などができあがり、地方の独自性や特色がなくなっていると思います。

消費や「東京」が魅力的であった時代がながくつづき、あちこちで消費天国ができあがったのでしょうが、「個性的なモノや服を買えば、「自分らしく」なれる」といった消費戦略はそろそろうんざりしてきたのではないでしょうか。

地方の独自性や特色といったものがこれから注目されてゆくように思います。沖縄の歌手や俳優が大挙して押し寄せてきましたが、それは中心的な消費の魅力減退と無関係ではないと思います。それにしても日本人に消費以外のなにか目的を見出せるでしょうか。

飽きというのは、頭の中で描いていた理想が現実に叶ったとき、目標達成の結果として生まれてくる感情だと思います。家電や車がほしかった時代に手に入れたら当たり前になってなにも感じなくなるということが多いと思いますが、日常的で当たり前なものにはもう興味を向けられません。

そうして昭和三十年代や地方の特色ある観光地に郷愁が求められたりするのでしょうね。
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