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08 04
2008

旅へ

『ホテルアジアの眠れない夜』 蔵前 仁一


ホテルアジアの眠れない夜 (講談社文庫)ホテルアジアの眠れない夜 (講談社文庫)
(1994/06)
蔵前 仁一

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 旅行記には二つのタイプがあって、日記タイプとエッセイタイプがある。日記タイプは行動をえんえんと記し、エッセイタイプは一歩踏み込んで思索をくりひろげる。旅行記では日記タイプが多く、ヘミングウェイのように思考より行動に価値をおくのだが、行動にあまり価値をおかない思索型の私はやはりエッセイが好みである。エッセイはものごとや行動を時系列から解放して、要素間の編集をおこない、より思索を深めてそれは学問になる。この本はエッセイでよかった。

 人間は「いま、ここにないもの」を思考や言葉で獲得することによって、動物と異なる存在になった。過去や未来が生まれ、生と死が生まれ、文明が生まれた。行動に思考を寄りそいつづける日記タイプは、人間の特徴である思考の特異性を生かしていないのである。時系列では結びつかない、いま・ここにない要素や物事を結びつけることによって、新たな発見や収穫が得られるのである。

 私はいまアジアの旅行記を読むことが多いのだが、知りたいのは長期旅行者の生き方であったり、日本と違う働き方や人生観、社会であったりすると思う。つまり日本の「正しい」生き方のほかの選択肢を探しているのだと思う。私の探求のいぜんからの目的はこれなのだが、さいきんはアジアの仕事や暮らしにそれを見つけようと食指をのばしているわけである。私は日本の仕事や労働だけしかない人生がたいへん嫌いだから、アジアの正反対のような価値観に魅かれるのである。とくに労働のオルタナティヴはぜひとも得たいものである。

 この本はバブル期におこなわれた旅行記であるようなのだが、このころから世界中をあちこちをひとりで旅するバックパッカーのような日本人も多数存在したようである。バブル期といえば、ニュースで海外旅行の増加が、日本の経済的おごりとともに報道された時期である。団体旅行客やパックツアーのイメージも強かったが、ひとりで旅するバックパッカーも増殖をつづけていたのである。

 しかしとうぜんのことながら、長期旅行者は日本の企業社会から落ちこぼれるわけである。日本に帰っても、就職や人生が保証されているわけではない。いっぱんにイメージされる「成功」や「正しい人生」から、完全にもれてしまわないと長期旅行の決断はできないのである。日本人としての人生をやめるのか、もどるのかと、厳しい選択を迫られることになる。日本の企業は長期旅行者を受け入れるような社会ではないのである。

 日本は農耕民族として定住の人生を長らく送ってきたのだと教科書は教えるのだが、はっきりいえばこれは戦後の終身雇用制度を促進するためのイデオロギーである。ひとつの会社に長く勤め、滅私奉公することが「正しい人生だ」というイデオロギーの洗脳である。転職したり失業したり浮浪するような人間がたくさんいれば困る人がいたのだろう。たとえば税金に頼る政府だとか、勤勉な労働者をほしがった企業であるとか、安定した収入を善とした専業主婦なのであろう。

 そのような社会の風潮が、日本の歴史から、漁民や狩猟民、商人や流浪者の文化や生活を抹殺してきたのである。日本人は先祖代々の土地でずっとコメをつくりつづけてきたのだ、ほかの浮遊する存在はいなかった、だからひとつのところで働きつづけることが「正しい人生だ」と刷り込まれたのである。そのような重圧を逃れようとして、長期旅行者はアジアを漂いつづけていたのである。海外旅行は日本イデオロギーからの脱走でもあったのである。そしてイデオロギーに染まった企業に受け入られず、帰るところも失わなければならなかったのであるが。というより、おそらくそれは一部のエリートや大企業の話であって、中小企業や零細企業ではそうではなく、どこかにもぐりこんだり、しのいで生きてゆけたのだろうが。

 むかしアメリカで鉄道ができたころ「ホーボー」といって、無賃で鉄道に乗ってあちこちを旅した労働者たちがいた。季節労働や仕事を求めての旅であった。作家のジャック・ロンドンなどが、自由と悲惨さを抱えもったそのようなホーボーの体験記を『アメリカ浮浪記』に記している。その後アメリカは工業社会としての繁栄や成功を手にするのだが、60年代になり、ホーボーに憧れたジャック・ケルアックなどがヒッピーのような旅のスタイルをふたたびはじめるのである。人間は定住と放浪の狭間にいつも悩まされてきたようだ。日本でも高度成長さなか『フーテンの寅さん』が人気を博した。できれば、定住のイデオロギーに染まりきらない社会になってほしいものである。

アメリカ浮浪記 ジャック・ロンドン
アメリカ浮浪記
ホーボー アメリカの放浪者たち
ホーボー アメリカの放浪者たち
ホーボー―ホームレスの人たちの社会学 (上) (シカゴ都市社会学古典シリーズ (No.3))オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1) (世界文学全集 1-1)
無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))漂泊の民サンカを追って江戸の漂泊聖たち

 著者の蔵前仁一はインド旅行に行って、日本とあまりにも違うことに驚き、「正しさ」とはなんなのかと書いている。

初めて日本とは違う別の世界があることを知ったのだから、もう日本を絶対的に正しいと思うことなどできなくなったのだ。

僕は一度「正しさ」というものをなくしてしまった。……僕が学生だった頃は、よい成績をとるのが「正しい」ことだった。いうまでもなく、これは今の僕にすれば、「クソ」である。なんの役にも立たない。なぜなら成績がいいか悪いかが問題になるのは、学校という特殊な世界の中だけであり、生活していくには、そんなもの単なる「飾り物」にしかならない。

「人並み」なんていう「標準」も「正しさ」も、本当はこの世にはない。



 海外旅行者はアジアなどにいって、そのような日本の「相対化」を探しにいくのだろう。自分が縛りつられている「正しさ」や「絶対」などというものを外側からながめ、客観視し、自分を解放するために。できれば、アジアや海外にいかずに、相対化や客観視できればいちばんなのだろうが、日本という国家、社会はそれをできない、許さない社会のようである。しかし定住民のイデオロギーを壊す試みは海外旅行者などがおこなったり、あるいは学術の世界からも疑問が投げかけられ、そのような知恵を知った人たちは人生や自我を解放するすべを知るのだろう。知らない人はいつまでたっても牢獄の中だろうが。


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Comment

焼酎麦茶割り中

蔵前仁一さんの本は随分前に読みました。
納得できないのは
>アジアや海外にいかずに、相対化や客観視できればいちばんなのだろうが、日本という国家、社会はそれをできない、許さない社会のようである。
わたしは、うえしんさんと同い年です。
海外に行かずとも、自由に、生活している人は沢山いることを知っています。このような情報はすでに私が二十歳の頃から沢山ありました。
欲しい情報は探さないと出てきません。今も昔も同じです。
面白いのは、うえしんさんとは違い、わたしはどうしたら蔵前仁一さんのような生活ができるのだろうかと、考えたことです。
社会が悪いだとか、そういうことはどうでもいいのです。
どうしたら自由が手に入るのか、飯を食っていけるのか。
自分は何がしたいのか、どういう生活を望んでいるのか。
早く旅に出た方がいいというのは、この広い日本を、いろいろな人が生きて生活しているということを、身をもって知るいい機会だと思うのです。
日本は狭いようで広く、広いようで狭いです。
一日も早く、旅に出ましょう。旅はいいですよ!!!

デンカさん、こんにちは。

若いうちから自由に生きている人たちと出会うことは大切ですね。
ステレオタイプの人生コースしか知らないと、人生はほんと貧困になりますね。

私は会社に縛られて自由に生きられない人ばかり見てきたり、出会ってきたりしてきたのだと思います。貧困な出会いしかしていませんね。

自分の好きなように、仕事ばかりの人生をしたくないと思ってきましたが、雇用でしか生活の糧を得られない私は、自分ひとりだけ好きな生き方をできないなと思ってきました。人から外れすぎるのがヤバイと思ってしまうのですね。だから日本人の固定観念や労働観を変えられないかと考えてきたわけですが、そのような自分の横並び意識を反省しなければならないのかもしれませんね。

私は旅をするかわりに読書によっていろいろな考え方や生き方を学んできました。旅行する時間なんてもったいない、読書のほうが価値ある情報を得られる、あるいは楽しいと思ってきたので、旅行とは疎遠でした。相対化や異種への寛容は読書によっても得られますね。読書は時間や場所を越えた出会いもできますね。べつにこれは個人の価値観の自由であると思います。

またそのような知識を旅でも得られたらいいなと思っています。
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