阿久悠と「国民」の時代



 きのう、阿久悠の一周忌ということで『ヒットメーカー阿久悠物語』をやっていた。私は世代的には阿久悠の全盛期には小学生ていどだったのでヒットした曲はよく聞いたのだが、阿久悠にとくべつの思い入れもないし、いまからふりかえってあの時代はよかったと思うこともないし、郷愁したい思いもない。阿久悠はあの時代に聞けばよかったのだろうが、今日まで長く聞きつづけられるものをつくったかどうか。

 北の宿から 都はるみ
 石川さゆり - 津軽海峡・冬景色
 沢田研二- 勝手にしやがれ
 ピンク・レディー 「UFO
 ひと夏の経験 山口百恵
 もしもピアノが弾けたなら 西田敏行
 宇宙戦艦ヤマト 佐々木功

 ピンクレディーが大ヒットしたころ私は小学生でとうぜんのようにふりつけの真似(笑)をした世代なのだが、きのうのドラマを見ていて、『スター誕生』という番組があのころのアイドル歌手やヒット曲を生み出していたことはよく知らなかった。小学生ですからね。森昌子、桜田淳子、山口百恵、ピンクレディー、小泉今日子、中森明菜といった人たちがこの番組からデビューしたそうだ。

 このころの時代というのはヒットする曲は国民の誰もが知っていて、国民の関心事になりえた。国民が一体となって、TVの音楽番組を見ていた。今日では音楽は若者やティーンエイジャーのものになり、ヒット曲がそれ以上の大人や国民に知られるということもなくなり、共有されることがなくなった。いまから考えれば「奇蹟のような時代」であり、「国民」はTVやヒット曲により、ひとつになり、一体感をもっていた。ヒット曲やTVは国をゆるがす事件であったのである。

 『スター誕生』はそれまで歌手や俳優は専門の才能ある人しかなれないものであったが、となりのしろうとやふつうの子がスターになれるという夢やきっかけを与えたということになるのだろう。ある意味では専門業のしろうと化であり、大衆化であり、低俗化であった。このころを境に歌唱力が抜群によい選抜された歌手という地位は弱くなり、歌がうまくなくてもかわいさや愛嬌で若者に愛されるアイドルというものが生まれていったのである。

 80年代はアイドル全盛期となったのだが、個人的には悲惨な時代であったと思う。しろうとのヘタな歌など聴きたくない、プロのうまい歌や深みのある歌唱力といったものを聞くことを期待することが音楽を聞くふつうの動機だと思うのである。それがかわいらしさや愛嬌、美貌だけがアイドル歌手に求められたのである。期待されていたのは音楽ではなく、性的な魅力だけである。音楽は音楽であることをやめた、才能や技能を捨てた、恋愛・性的魅力の市場となったのである。

 女性歌手やアイドル歌手には性的な衝撃がもとめられた。公共的な場での性規制の解除といったものに挑戦する姿に私たちは衝撃を受けた。性は個人的なものであるが、メディアという公共的な場での性規制の解除が挑戦されていったのである。性が個人的で隠蔽されるべきものから、公共で共有され、そして心情や行為の情報も共有されるというものへと挑戦されていったのである。性は解放されていったのだが、公共性の規制解除はたんに性の商品化・マーケット化をもたらしたに過ぎないように思えるのだが。性の魅力や欲望がマーケット・貨幣経済にとりこまれていっただけであって、性は市場の新たな拘束・規範を受けるようになっただけと思わなくはない。

 TVは幼児化や青少年化をひきおこした。こどもや思春期のティーンエイジャー向けのメディアに占領されたのである。恋愛・性的魅力を売る産業となり、大きく十代の客層をとりこむことになったのだが、同時にそのような低年齢化は、多くの国民の視聴者を去らせた。アイドル・ブームになり、「国民の時代」は終わった。音楽は十代の限られた層だけが聞く、閉じられた市場となり、今日のヒット曲を国民の多くが知り、共有するということはなくなった。TVが国民であった時代は終わったのである。

 『スター誕生』はそのような時代の転換期をつくり、そしてしろうとや十代がスターになる可能性を開いたのだが、同時にそれはTVが国民であった時代の幕引きを用意したのだろう。才能や能力がなくてもスターやアイドルになれるという期待や希望の演出は、のちの「おニャン子クラブ」や「モーニング娘。」などにひきつがれて、TVはプロや専門家のメディアであることをやめていったのである。それはTVが最大公約的な視聴者を対象にすることによる避けられない宿命だったのだろう。TVはどこにでもいる「私」のような子でもスターになれるという期待を与えて、そしてこれらの大きな層を客にとりこんだのである。『スター誕生』は客層の拡大化をもたらしたのだろうが、同時にそれは才能や能力の低層化でもあったのである。最大公約数のメディアに高級化や専門化はのぞみえないのである。TVは国民の多くの客層をのぞんだがゆえに、高級化や専門化を捨ててゆき、質の低下を志向するほかないのである。

 阿久悠はTVが国民であった幸福な時代に生きた作詞家であったのだろうし、同時にマーケットを広げたがゆえにTVが国民であった時代の幕引きを引いたといえるだろう。力道山のプロレスや王のホームラン、国民的ヒットといったTVが国民を結集し、一体化する時代から、国民がばらばらになり、もはやTVで一体化したり、国民的ヒット曲が生まれるという時代は去ってしまった。『スター誕生』はその国民の時代の終わりを宿命的に幕を引いてしまったといえるだろう。


阿久悠周辺の著作
夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫 あ 8-5)歌謡曲の時代―歌もよう人もよう (新潮文庫 あ 57-1)阿久悠のいた時代―戦後歌謡曲史
生きっぱなしの記 (日経ビジネス人文庫 オレンジ あ 1-1 私の履歴書)

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