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08 01
2008

労働論・フリーター・ニート論

日本人の勤勉とはなんだったのか



 「日本人「勤勉続くと思わない」61%」という記事が読売新聞を飾った。いっぽう、「一生懸命に働くことは美徳だ」という考え方への賛否を聞いたところ、「そう思う」が71%を占め」たということであり、どうも「ワタシたちと違う人たちが日本人の勤勉を崩す」と考えているようだ。「違う人」というのは、企業の労働コスト削減に利用される非正規やニートの人たちであろうが、あいかわらずかれらを「自発的怠慢者」と読みとる人が多いのだろう。

 2008年の労働経済白書をみると、「仕事の満足度」はもともと各項目が80年代から30%と驚くほど低かったのだが、2005年度には軒並み10%代に落ちている。(「第2-(1)-2図 仕事の満足度」5ページ目」

 さらには非正規化や成果賃金で労働意欲や働く気すらなくしている。(「第三節 働く人の意識と社会の課題

 そもそもなぜ勤勉は褒め称えられるのか。よい製品や品質のいいサービスを提供できるからだろうし、勤勉は日本の繁栄やGDPの上位を占められるからだということになるだろう。しかしこのような評価というのは、品質やサービスは顧客ではなく、会社内に向けられることが多くなったし、「お国自慢」や「お国のメンツ」でしかないわけで、庶民や労働者はそういうモチベーションでいつまでも勤勉な仕事をつづけられることはない。

 かつては庶民に自動車や家電、マイホームなどの夢があったりしたのだろうが、それらも充足してしまえば、目標や目的がなくなってしまう。「なにをめざして働くのか」「なんのために勤勉に働くのか」といういちばん根本的な疑問が問題になる。いちばん基本的な目標や目的が溶解してしまったのである。目標や目的がなくなってしまったのに、豊かになるためのハードワークのシステムだけが残ってしまい、われわれを拘束し、ムチ打つ。労働の勤勉観も意欲も満足度も、軒並み落ちるしかないのである。

 勤勉に働く意味がなくなってしまったのである。労働意欲を維持する土台がなくなってしまったのである。どうやって勤勉や意欲を維持するというのだろうか。ほしいモノがなくなり、豊かな生活や安定した保障を得るためだけに、経済を繁栄させ、仕事を創造し、継続しなければならない。いちばん重要な骨組みや土台がなくなったところに、経済の循環や繁栄を求めたところで不可能というものである。

 もう日本人には勤勉も意欲も満足も労働から得られないのである。それなら日本人のホンネのところで生きるべきではないだろうか。もうハードワークの仕組みやシステムを解体すべきなのである。このシステムは成長や発展という目的があるばあいには有効に働くのだが、目的がなくなってしまえば、拷問や拘束装置にしかならない。この装置を解体して外すべきなのである。日本人が幸せになるのはこれしかないだろう。日本人をハードで長時間の労働から解き放ってやるのである。目的なき「漂流ニッポン人」にはそれがふさわしいのだろう。

 ヨーロッパのようにバカンスが一ヶ月や二ヶ月とれるようになるのが好ましい。労働や会社だけの人生に日本人はすっかり疲弊し切っているのだが、日本人には「働かないで暮らす」、「働かない期間を楽しむ」という発想を思いつきもしない。それが日本人の人生の貧困さや、つまらなさ、窮屈さを生み出しているのだが、むやみな勤勉観や労働美徳説なんかがまかりとおっているため、人生を壊滅させる。

 労働の満足度が10%台というこれほど労働に満足を感じないお国柄なのに、どうして日本人は労働と会社に人生を多く縛られるシステムをつづけているのだろうか。企業社会がまことに強健な権力で日本人の人生と時間の大半を強奪しているのである。この労働強制キャンプのようなしくみは高度成長の目標や夢があった時代には合理的であったのだろうが、それがなくなり、仕事の満足が得られない時代になれば、強制労働収容所になって人生の強奪と剥奪になる。

 そもそも日本人の勤勉とはなんなのだろうか。日本の生産性は輸出市場に進出するような一部の製造業をのぞき、生産性はけっして高いとはいえない。大半の人は生産性でないところに勤勉を見出す。その勤勉というのは、長時間会社に残って残業をしたり、あるいは会社の仲間とつるんでゴルフに行ったり居酒屋にいったりすることではないのか。すなわち「共同体」の拘束や束縛に勤勉であるということであり、仕事や労働に対してではない。勤勉というのはつまり仲間意識の醸成に勤勉ということなのである。あるいは仲間との協調や一体感である。日本人にとって勤勉とは仕事仲間の規律を乱さないということではないのだろうか。生産性に向けてのものではない。

 そのような共同体意識の強い日本企業にアウトソーシングや非正規雇用の流れがやってきた。つまりは共同体意識の破壊であり、否定である。概してこれまでの中高年や正社員はフリーターや非正規を働かない、怠け者だと認識しているようだ。だから正社員になれないと考える。共同体への勤勉が断ち切られ、ますます働く意欲や気力をなくす。共同体があったからこそ働く意欲を駆り立てられていたのだが、その絆が断ち切られれば、日本人の勤勉観はかんたんに失墜する。能力主義によって給料も落とされる。漂流ニッポン人は内部崩壊や精神の空洞化がますます進む一方である。日本人の勤勉観をかろうじて支えているものは、年金や健康保険、あるいはマイホームやマイカーの借金の「支払い」のみなのかもしれない。これでは景気が回らないので未来は先細りするばかりである。

 日本人はもう勤勉でもないし、仕事の満足もちっとも感じていないし、労働意欲や働く気をすっかり失っている。ほしいモノもないし、したいこともないし、海外旅行に行きたいとかクルマがほしいという若者もすっかり減ったし、出世したり金持ちになりたいというモチベーションもないし、なんらかのほかの目標や野望が大きいというわけでもない。すっかり失われた=ロスト・ジェネレーションなのである。今日の若い世代があらわしている特徴、ニートやひきこもり、フリーターというのは明日の日本人の姿でもあるのだろう。目標や夢がないのにどうして労働だけ勤勉でがむしゃらに働けるというのだろうか。すっかり無欲に貧困に生きるしかないではないか。

 もう日本人は坂を落ちているのではなくて、すっかり坂を下りてしまったのだろう。そしてなんの目標も夢もない。ただ坂をのぼっている最中の馬力状態を、そのゆるゆる精神で乗り切っているだけである。骨のないクラゲのようなものだ。

 もう上る坂はないのである。そして勤勉も仕事の満足も意欲もない。そういう精神モードにあった形に社会に労働システムを変えてゆくしかないのである。フリーターやニートに合ったような形に社会を変えてゆくのがいちばんびったりした未来社会なのかもしれない。日本人の今日の精神モードにはそのような形態しか合わないのである。日本の近代化はおおよそ130年つづいたが、それは終わってしまったのである。あとは江戸時代やひと昔前のアジアのように貧しい、怠けた社会に戻ってゆくしかないのだろう。それが時代の趨勢というものである。


参考URL、本 第6回 日本人は勤勉ではない ~本当に新しい歴史教科書・PART1~ 反社会学講座
 第7回 続・日本人は勤勉ではない ~本当に新しい歴史教科書・PART2~
 日本人の勤勉神話ができるまで  加藤哲郎

反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)勤勉の哲学 (NON SELECT)日本資本主義の精神 (山本七平ライブラリー)

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バカンス!

バカンス導入には賛成ですね。ゴールデンウィークとお盆休みに海外旅行が集中してしまう現在の状況は異常だという認識が必要です。
例えば香港のホテルでは「日本人料金」が存在しています。日本人だけ宿泊料が割高になるのです。これはホテルが意地悪をしているのではなく、日本人の観光客が黄金週間と盆休みに集中して、ホテル側が手間がかかる分、値上げしているのです。
6月7月~9月の間で長期休暇を1ヶ月ほどとれば…と思いますね。
ほとんどのサラリーマンは始めの3日間は布団の中でたっぷり睡眠を取ると思います。

なんで財界はサマータイムを導入しようとするのか不思議ですね。
日本人が愛知県のトヨタ工場で一日働いて9800円+残業代少々。
アメリカのトヨタのケンタッキー工場では自給2250円だから8時間労働で1万8000円。それでもアメリカ人の工員は全米最強の自動車組合に属して自給2500円にしろ、と要求しています。トヨタは2250円と2500円の格差を埋めるためにボーナスを支給。トヨタはアメリカに厚く、日本に冷たい「内弁慶」だったのですね(笑)。

たしかに自給2500円なら私も働きたい。8時間労働で2万円。日本人は愛知のトヨタの工場で安く使われている現状はさびしいかぎりです。

黒田         謹言

黒田様、こんにちは。

バカンスについては考察を深めて記事にしようかなとネットでいろいろ調べてみたのですが、根本的にいまの日本の風土と似合わない気がします。

バカンスをほしいだとか、現実に導入しようだとかの要求がたとえばサラリーマン自身から、あるいは労働組合や、日本人の心の奥底からわきあがってくるというような気運はありませんね。

しいていえば、バブル期のイケイケドンドンの時代にはバカンス導入が似合ったのかもしれませんが、このような浮かれた時代を反省・羞恥するような気運によって、バブルは崩壊したとさえいえそうですね。

フランスではバカンスのために働く、生きるといった心構えが一般の人たちに共有されているようですが、日本ではそんな気持ちを表立って表わそうとすれば、会社での評価は低くなり、怠慢ややる気がないと非難されたり、ときにはリストラの憂き目に合いそうな雰囲気すらありますね。怠けたい、遊びたいという気持ちが、日本の企業や社会から徹底的に忌避されていますね。この安全弁のようなものはどうして備わっているのでしょうね。

バカンスを考えることは、日本の労働観の縛りや拘束を考えさせることですね。

日本はむかし伊勢詣でという何ヶ月かにおよぶ旅行やバカンスをもっていた国ですね。江戸幕府に旅行は禁止されていましたから、宗教的行為なら許されているということで、伊勢詣はかなり盛んになったようですね。なんかこのような正統的な理由が日本人に必要なようですね。

ゴールデンウィークとか盆休みに休みや旅行が集中してしまうのは、日本人のせこさの哀しいところですね。
もっともフランスなんかでは8月くらいにバカンスが集中して、社会的機能が麻痺したり、おこなわれなくなったりするそうですが、つまりスト状態のようになるようですが、それが正当的に認められているフランスのような精神が、日本に根づくということはありえるのでしょうかね。

日本は客の要求やサービスを律儀に過剰に守ろうとしますから、仕事を放り出したり、客をないがしろにするといったことができないために、ますます長期的に休むといったことができないようですね。これを捨てられないと、日本の勤労観というのは、フランスのようになることはないのでしょうね。

アメリカのトヨタの時給は日本の倍もありますね。これは驚きですね。

日本では人件費を削減するために非正規雇用を多く導入したり、中国や東南アジアのようにもっと人件費の安い国に移っているのに、アメリカはもっと高い。それだけ国家の価値や重要性がアメリカにはあるのでしょうね。ただアメリカ人はさいきん働き者になっていて、フランスのようなバカンスのことはあまり聞きませんね。

バカンスというのはある程度、金持ちになって資産的に余裕が生まれた国に根づくのでしょうけど、日本はまだ発展途上国のせわしない貧乏国、あるいは成金の貧乏性が抜け切らないのでしょうね。落ち着いた、金持ちの余裕のある国に日本はなれるのでしょうか。あるいは国民は所得分配や国の豊かさの恩恵を受けていませんから、いつまでも金持ちのバカンスといったものは得られないのかもしれませんね。

では…。

「バカンスは日本になじまない」を前提とするのならば、この案はどうでしょうか?

「日曜・祭日はサービス業でさえ休む」

これです。サービス業はホテルとコンビニと公共交通機関だけ活動。
だいたい、日曜・祭日(国民の祝日)になんでみんな働いているのか、
さっぱりわかりません。日曜・祭日はきっちり休む。でなければ、昔のようにデパートは火曜日に休むとか、業界で週1の休みをつくる。
年中無休の店で店員のスケジュールをやりくりして休みをつくる、なんてのは一部の恵まれたサービス業です。実際は年中無休にするために、休みが2週間に一日しかない、というところはたくさんあります。

国が定めた日曜・祝日に働く人は別の日にかならず休んでほしい。

黒田          謹言

黒田様、こんにちは。

バカンスは日本になじませたいですね。
日本人の勤勉観がぐらつく起爆剤として必要ですね。

日曜・祭日にサービス業が休むというのはなかなか不便ですね(笑)。
私は逆にサービス業は平日はヒマで、日曜・祭日が稼ぎ時だから、平日の昼間休んで、夜間と日曜・祭日だけ開けるようにしたほうがいいんじゃないかと思ったりします。お役所の市民サービス課はぜひ日曜・祭日に開けておいて欲しいですね。

しかしデパートが火曜休みだったとかなつかしいですね。いまは年中無休が多くなったんでしょうかね(デパートに用がないからわかりません(笑))。

年中無休とか営業時間延長とかが増えたのはすこしでも稼ぎたい、儲けたい、ほかに客を奪われたくない、商機を逃したくないという欲望や切羽詰った感が多いからでしょうか。日本のサービス業ってそんなに競争が激しいんでしょうかね。

日本人がいまでもいっせいに休むのは正月とお盆ですね。このときだけは休みをしっかりととる。伝統的習慣というものを意外に大切にしますね。正月は年初めを祝う、あるいは一年の再生・新生を願う、盆は先祖が返ってくるからということになっていますね。このときばかりは日本人は勤勉でなくなる。お盆という習慣は東南アジアにはあまりなくて、貿易関係の仕事は休めません。日本人にはこのような「大義名分」が必要なんでしょうね。

伊勢詣でが復活すべきなんでしょうか(笑)。イスラムではラマダーン(断食)とかメッカ巡礼とかの宗教的行事が労働より強い。日本も伝統的に江戸時代なんか60年周期でお陰参りが爆発的に流行しました。世直しの気運がもりあがって、「ええじゃないか」と踊りまくったようですね。日本人は神道の習慣に弱い。ということは神道の復活が、日本の勤勉観をつぶすのでしょうか(笑)。とはいえ、神道の復活は軍事化に結びついた歴史がありますから、キケンですね(泣)。

日本人の勤勉観は何によって杭打たれるのか、しっかりと問い詰めたい課題ですね。「お客様は神様」といった思想がいかんのでしょうかね。フランスのように業務を放っておいて休んだり、アメリカのようにガムをかみながら接客するような、そんな無神経さが、日本人には欠けていて、そこが日本人を追いつめたりするのかなと思ったりします。日本人の勤勉観の骨組みを支えているものはなんなのでしょうね。。

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