|
|
自己主張が楽にできる本―相手を恐れず言いたいことを言うために
石原 加受子

エポック・メーキングな本になると思ったが、いまいちこの方法を自分に定着することができなそうでそこがひじょうに残念である。
この本では「あいつがどうした~、こうした~」という不平不満ばかりになっている「他者中心の意識」から、自分の意志や感情を見つめるようになると、傷つけたり嫌われることを怖れて主張できなかった自分の意見や意志をあらわすことができるようになると謳っている。
なるほど他人の顔色をうかがったり、他人を傷つけることを怖れて、自分の意見や気持ちをなにひとつ言えなくなるのは、自分の気持ちや意志より、他人の感情ばかり気づかっているからだというのはたしかにわかる。他人への不平不満も他者中心の意識ばかりになっている。他人に腹をたてつづけるのというのは他者が主体となり、他者の奴隷となった状態である。われわれの「主体」というのはじつは自分ではなくて、このように「他者」になっていることが多いのではないだろうか。他人にふりまわされつづけて、自分の気持ちや思いが「主」にならないのである。「私」とよばれるものはじつはこのような「他者」が中心になり、私の心や感情は「他者」にぶら下がっているといえないだろうか。
だからそのような「他者中心の意識」をやめて、「自分中心の意識」に切り替えよう、そうすれば怖れたり気づかったりしてなにもいえなかった気持ちや思いを告げられるようになるというのである。
私たちはほんとうに「他者中心の意識」で生きていると思う。「あいつがどうした~、こうした~」、「あいつがムカつく」、「あいつはどうにかならないか」「なんであいつはあんなことをするのか」といった他人の動向や不平不満ばかり抱えているものである。まったく「他人の奴隷」である。他人を批判したり、裁いたり、ときには支配しようとしているのだが、まったく他者に支配され、ふりまわされつづけている。他人を奴隷にしようとして、自分が他人の奴隷となる。
しかし結果を気にしなかったり、支配・被支配の関係を捨て去ったら、自分の意志や感情に目を向けられる、自分の気持ちや感情をラクに主張できるようになるというのは、なにかいまひとつひっかかりがないのである。「あいつが~、あいつが~」という気持ちから、「私は――どう思うのか」「私は――どうしたいのか」という自分の意識に焦点を合わせれば、うまくいくというのは、自分の意識の流れをふだん意識していない者にとっては、なかなか定着しにくい意識のありようだと思うのである。まずは自分の意識がどんなに他者中心になっており、自分で満たされた意識とはどのようなものかという境界が引かれないと、なかなか自分の意識の中にそのような方向性を刻み込みにくいと思うのである。エポック・メーキングになりそうでならないというのはその障害があるからである。
本の中から語ってもらうことにしよう。
「私は、「自分を中心にして、自分の気持ちや感情に焦点を当て、相手の態度や表情に目を向けないで欲しい」ということと、「相手の怖い態度は単に恐怖でそうやっているのだ」ということの二点をアドバイスした。そして、こうつけ加えた。「相手を責めるような言葉を使うと、あなたの主張に耳を傾けてくれるどころか、権力闘争になってしまいます。くれぐれも怒りの感情に発展しないよう、自分の気持ちや感情を中心にした言葉で喋って欲しいと思います」
「相手を主体に考えてしまうと主張することが怖くなってしまう」
「自分の主張をとおすことだけを考えないで、自分の気持ちや感情を大事にするために表現するという、そのプロセスを大切にすることを第一の目標にしてほしいの。
主張することがとてつもなく高いハードルに見えて恐れを感じるのは、プロセスではなく結果を重視し過ぎるためである」
「自分の言い分を認めさせようという考えを捨てて、自分のために表現するプロセスことが大事なのだという気持ちでいれば、結果はそれほど重要ではないと思えるようになるだろう。相手に勝つという目標さえ捨てれば、断られたらどうしようという恐れも半減するに違いない」
彼らが滑らかな言葉で語り出したのは、支配・被支配の意識を捨て去ったからだ。「人にどう思われるか」という恐れが消えたら、あとは自分の頭の中で交わされる会話を言葉にするだけでよかったのである」
「本来、自己表現・自己主張するということは、他者と争って何が何でも自分の主張をとおすことではない。自分の意識の中でつくりだされたものを表現することである」
私は主張ができるようになるということより、この他者中心の意識というありようのほうが強い関心を魅かれた。私たちはたぶん他者にばかり注意を向けている。そして自分の感情や思いをないがしろにしているのである。他者が意識の主体となり、自分の感情は無視される。私たちは「自分中心の意識」のあり方に変えなければならないのではないだろうか。通常は「自己チュー」は最低だと思われるのだが、私たちは自分中心というよりか、「他人中心」の意識ばかりになっているのではないかと思う。他人が大事だから、他人が中心になっているから私たちは他人とトラブルを起こすのではないだろうか。
自分の意識の中から他者への関心・興味をそぎ落とすのだ。そして自分の意志や感情に焦点を合わせる。そうして自分らしさやあるがままでいられるようになるのではないだろうか。「他人が~、他人が~」と思うようになるから、私たちは自分を表現することも主張することもできなくなるのである。自分の思いや感情に目を向ける、それが大事なようである。
こういう「他者/自己」中心の意識というものは重要だと思うので、この手の本か、この著者のほかの著作に注目したいのだが、「腑に落ちる」知識に出会えるかどうかは、いまのところわからない。エポック・メーキングな本になってほしいものである。
▼著者のサイト
心理相談研究所 オールイズワン (「ダイエットにやせた」ふうの広告になっていて残念なサイトですね)
▼お、しまった、文庫本で出ているではないですか。たぶん同じ本だと思いますが、ソンした。






by G-Tools