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06 10
2008

旅へ

『日本を降りる若者たち』 下川 裕治

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日本を降りる若者たち (講談社現代新書)日本を降りる若者たち (講談社現代新書)
(2007/11/16)
下川 裕治

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 これは私のGREAT BOOKSだな。労働のオルタナティヴを見させてくれたという点で。そしてじっさいにいかに働かないで暮らすかという生き方を実践している点で、おおいに参考になった。こんな生き方もあったのかと、私はぜひ応援したい。

 バックパッカーの存在はもちろん知っていたが、日本で集中的に働き、物価の安い東南アジア、とくにタイで働かないで節約して暮らすことを実践している若者たちがいることを私はあまり知らなかった。海外旅行や旅は観光という目的があるのだが、この本でとりあげられているタイの町で観光もせずにぶらぶらしている「外こもり」とよばれる若者たちは「いかに働かないで暮らしてゆくか」を目的にしているようで、対立項が「労働」なのである。労働からの退散がタイでの金のかからない生活となっているのである。

 目的が日本の「労働過重社会」からの退散である。日本で集中的に働けば、タイで半年や一年は遊んで暮らせる。そういった円高差益を利用して、タイや東南アジアで暮らす若者たちが増えているということである。まさしく「企業至上主義」の日本から降りた若者たちである。

 かれらは確信犯的に日本の労働から降りている。ここには「働くことのほうがソンだ」という価値観、仕事ばかりでは人間らしい生き方ができないというはっきりとした主張があるわけだ。私もそういう労働観・価値観をもっているのだが、あまりそういう主張を前面に出した生き方では企業に雇ってもらえなくなるという恐れがあって、私はそれを前面に押し出した生き方はできなかった。しかしかれらは見事にそれをやっているのである。堂々と日本の労働社会を拒否しているのである。そこまで思い切りのいい生き方をしている点でわたしは賛辞を贈りたい。

 基本的に多くの日本人は「働くことがソンだ」という感覚はもたないと思う。働くとお金が儲かって、いいモノが買えて、豊かで安定した暮らしができることを自明のことだと今日も労働に勤しむことだろう。しかし働けば自分の自由な生活はできないし、好きなこともできないし、人間らしい生き方、自由な時間ももてないだろう。労働というのは豊かな安定した生活を得ることはできても、自由と人間らしさを失ってしまうのである。タイや東南アジアで暮らす若者たちは労働で失ってしまう「人間らしさ」や「自由な暮らし」といったものをとり戻したいがために、短い日本での労働と、物価の安い東南アジアでの生活を組み合わせて生きようとしているのである。労働マシーンとではなく、「人間として」生きようとしているのである。

 またそのような人たちにとってタイの労働観は働かないでもぶらぶら暮らす大の大人を容認するようなところがあるようである。日本では学校を出た若者が働かないでぶらぶらしていると近所で白い目で見られ、世間からは「ニート」や「ひきこもり」だと非難や好奇の目を向けられる。金や仕事がなければ人間ではないと見られるような日本社会と違い、タイの労働観はいたって大らかで、そういったところが日本の若者にここちよく、癒される思いがするのだろう。

 たとえば40代の妻子もちのタイ人男性は「飽きた」といって10年働いた会社を辞め、それで社員も納得するという。タイ人の女性の金遣いも荒く、生活費も2,3日で消えてしまい、宵越しの金をもたない主義のようである。そして私たちを驚かせるのが、子どもができると働き出すという妻の存在だろう。日本では逆に子どもができれば夫が一家を支えてゆかなければならないという暗黙の了解があるのだが、タイでは逆に妻が働きに出るという。いったら日本の男を苦しめているのはこの妻子を養わなければならないというプレッシャーであり、経済観念であり、そのために日本の男たちの労働観念は悲愴で壮絶なものになるのだろう。この男女関係をチャラにしないかぎり、日本男性が労働マシーンから解放されることはないのだろう。タイでは仕事のない三十男でも両親は喜んで娘を嫁にやるようである。むかしの日本もそのようなところがあったようだが、失業男やフリーター男はとんでもないといまの日本はどうして硬直してしまったのだろう。

 日本の企業至上主義社会、労働生産マシーン国家、企業が生涯を奪い支配する社会、そのような社会がたえられないと思うのなら、すこし小金を貯めてタイや東南アジアで暮らすのもいいかもしれない。あるいはさいきんでは派遣やフリーターからはいだせず、将来の不安や閉塞感をもっているのなら、タイや東南アジアの労働観や生活に触れることによって、自分を追いつめる労働観を癒すことができるかもしれない。バックパッカーたちは東南アジアの異界にそのような価値観、労働観と出会い、自分たちを癒し、日本人とは違うほかの生き方ができることを学んできたのだろう。私たちはへたをしたら、北朝鮮の国民のような自分たち以外の生活、国家があるとは思いもしない井の中の蛙なのかもしれない。

 私自身はほとんど海外旅行や海外の生活に興味をもたないが、日本人の労働観を肩すかしにするような、あるいは腰折ってしまうような労働観・人生観に出会えるのなら、感覚的に味わってみたい気がする。ほんらい日本人は今日の生産マシーン国家のような労働観をホンネのところでもっていないと思うのだが、社会のシステム、労働状況がそうなっているから擬態するしかない、がんばるしかないというところがほんとうのところではないかと思う。ほんとにこのイカレた労働状況はどうにかならないものだろうか。ほんとに「日本を降りたい」。タイや東南アジアに行かずに「日本から降りれる」のがいちばんなのだが。かれら「外こもり」の労働観が再輸入される日を待ちたいものである。

 なお著者の下川裕治はおもに東南アジアのトラベル・ライターで、私は『12万円で世界を歩く』なんて本を読んだことがある。藤原新也の『印度放浪』や『西蔵放浪』などを読んで世界をめぐってみたいと思ったこともある。まあ、でも私は読書の旅のほうが急がしくて、じっさいの旅にはなかなか出なかったのであるが。ただのトラベル・ライターと思っているとこのような社会批判的なタイトル『日本を降りる』という眼目をひくネーミングを思いつき、社会学的な目線で現象を捉えているのは驚いた。旅行には批判的、または脱走的な要素があるという結びつきを私は捉え損なっていただけなのであろうが。


12万円で世界を歩く (朝日文庫)5万4千円でアジア大横断 (新潮文庫 (し-57-1))印度放浪 (朝日文庫)全東洋街道 上 (1) (集英社文庫 153-A)


ほかにバックパッカーのバイブルとなった本
何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)青年は荒野をめざす (文春文庫)深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫)



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Comment

はじめまして

最近こちらのブログを知って、うえしんさんの考え方に非常に共感し(労働観・結婚観・恋愛観など・・・)薦められている本を読み漁っているところです。
時事ネタを扱っていないブログで突然時事ネタをふるのはルール違反なのかもしれませんがお許しください、秋葉原で事件を起こした彼のことです。
彼がした事は非道であり勿論許されないことなのですが、あのような凶行に走らせるまでに彼を追い詰めたのは恋愛至上主義・労働至上主義の今の日本の「社会」ではないのでしょうか。世の中にはこういう考え方・見方もあるんだよ、と教えてあげられたならば。彼を、もしかしたら救えたんじゃないか。あの事件を考えるたびにそう思わずにはいられません。

早速書店に行き、読みました。
文章も巧みで簡潔な内容、面白かったですね。考えてみれば私の父もどちらかと言うと日本を降りた世捨て人というか、街中の密教行者のような人で、そういった生き方をずっと続けています。
僕もその影響を受けており、一般的なモノサシなどまったく気になりません。かといって社会とまったく無関係で生きることもできません。まあ、半分くらい降りて生きるのがいいような気がします。できたらやはりこの日本で生きていきたいと思います。きっと可能だと思います。
その一つがオタク的生き方だったように思います。しかし中途半端な降り方しかできなかったりボタンのかけ違いでやはり厳しい現実が待ち構えているような気がします。
今回の事件も、容疑者の気持ちは分からないでもないし、爆発寸前の若者が多いと言うことも分かりますが、しかしみな何らかのカタチでストレスと共存したり、辛抱しながら何か少しでも楽しいことを見つけて、生きるしかないのでしょうね。
今、いちばん危険なのは中途半端な同情論や社会に責任を向けていくということではないでしょうか。
人のせいにしたり社会のせいにしても何にも解決にはなりません。
理不尽であり、不公平であると思いながらも自分で解決しなければならないのでしょう。
これだけ罪のあるものが多い中(霞ヶ関周辺に)なぜ罪のない人を襲ったのか、このアンポンタンめ。

ひぃちぃさん、はじめまして。

ニュースというのは「祭」的な要素がありますね。
それで世間の承認を得ようと、犯罪のようなマイナスで注目を浴びるような凶行をおこない、自己の認知欲・ナルシズムを満足させるような流れの要素が、どうしてもありますね。

そして私たち一般人もそういう凶悪なニュースを注目し、語ることによって、彼の認知欲・ナルシズムに加担してしまうという構造ができあがっていますね。

かれの凶行ははじめからこれが目的であり、ニュース視聴者はそのような非日常を満足させるニュースを心待ちにしているところがありますね。かれの凶行を計画させてしまったのは、私たち世間の注目であるということを反省しなければならないのだと思います。この手の犯罪を防ぐには、世間の無関心・無視が必要なのかもしれません。

世間からこんなに注目を浴びるのなら、それは有名人や人気者にしか浴せない栄光ですから、マイナスの犯罪でも注目を浴びたいという動機が生まれるのでしょう。

かれの背景をみていると、非モテ、オタク、工場派遣というたしかに今日の三重苦のようなところがありますね。そしてたぶん自分の苦しみのナルシズムがあったのでしょう。かれは苦しんでいる、悩ましい「私」を、世間の注目を浴びることによって、いっそうの満足を得ようとしたのだと私は思います。太宰的なものといっていいのかもしれません。

そして残念ながら、かれはこのような私たちの世間の語りを期待して、あのような行いを行ってしまったと考えられますから、私たちはこのようなニュースの構造につけいられる隙を反省しなければならないのだと思います。

この事件はニュースと私たちの語りが創りあげてしまった事件だと反省すべきなんでしょう。私たち自身の犯罪なのだと。

雨宮さん、こんにちは。

バックパッカーたちの「沈没する」生き方は労働のオルタナティヴのひとつの可能性としてたいへんに私の目を啓かせてくれました。
ちゃんとこのような生き方をしているのだと思うと、日本人の可能性も捨てたものじゃないと思えますね。

雨宮さんのお父さんも世捨て人のような生き方をされて、経済一辺倒でない生き方が日本にたくさんあると思うと、私も励まされる気がします。

世間では勝ち組、負け組とか、安定した正社員、将来性のない非正規とか、金や経済のモノサシでしか判断しないまなざしがあまりにも多いですね。ほんとうに世間の人はこのモノサシだけで生きているものなんでしょうかね。マスコミのみのが「製造販売元」なのかもしれませんね。

秋葉原の通り魔はこのマスコミのモノサシをほんとうに真に受けていたんでしょうかね。自分がいくら非モテであるとかオタクであるとか、工場派遣であろうが、いくらでも楽天的に、逆さのモノサシでも生きられるはずだったと思うんですが。かれは世間一般の薄い表面のモノサシでみごとに踊らされただけなのかもしれませんね。

このような自分がヒエラルヒーの底辺に落ちたと思う人たちの鬱憤晴らし的な通り魔犯罪の流れができないよう願いたいものです。

わかりますけど・・・

はじめまして。

私は子供が二人いる主婦で、パートをしています。
お金に、労働に支配されずに生きたいという気持ちには心底同意しますが、実際そうはいきません。
住むところ、食べる物に困らないのであればそうしたいけれど、このご時勢では贅沢をしなくてもお金はかかります。
タイ人の奥さん、宵越しのお金を持たないで、子供をどうやって食べさせたのでしょうか。

私がこんなふうに思うのは、周りに働かない主義の人が多いからです。資本主義のシステムに毒されず自由に生きたいという人、小説を書くことに集中したいという人、働く意味がわからないという人・・・。
気持ちはわからないでもないです。でも、彼ら生活を支えているのはパートナーや両親の労働です。子供ができた女性はそれこそ必死で働いています。これって変じゃないですか

日本の男性の過労ぶりは明らかに異常なので何とかしなければなりませんが、大金持ちでないのならほどほどに働くこと(それが一番難しいけれど)は、必要だし仕方ないと思います。

ちょっともやっとしたので書かせてもらいました。
不快だったらごめんなさい。

たまさん、はじめまして。

ご不幸なことにまわりに働かない主義の人がたくさんいるようで、たいへんなはた迷惑ですね。心中お察しします。

私はまわりにそういう人がいないので、私は友だちになりたいと思います。

タイの女性が宵越しの金をもたないのは、タイが日本のようにお金と自立を迫られる社会ではなくて、無職や働かなくとも家族や近所や親戚などがメシだけは食べさせてくれるような、むかしの日本の下町や田舎に(?)あったような助け合いのネットワークがあるからだと思います。

日本でも前にTVでやってましたが、どこかの離島で、近所の人たちがご飯を食べさせてくれるので、働かなくていいといった土地を紹介していました。タイやむかしの日本にはこのような無職でも生きてゆけるシステムが働いていたのだと思います。いまの日本は個人主義や核家族になってしまったために、自分が稼がなかったら、まったく食えないでホームレスに転落するような「無縁社会」になってしまったわけですが。

しかし働かない主義の人たちはだれかに依存するのではなくて、自分の金とメシはしっかりと稼いで、それで生活しなければダメだと思います。まわりに依存や寄生するのなら、それは働かない主義の風上にもおけない。働かない主義は自分が働かないのなら、貧乏で不安定な、ホームレスに転落するような人生をしっかりと覚悟しなければならないと思います。寄生して働かないのは反則だと思います。

こういう人たちに働かない主義を主張する権利はないと思います。まあ、ニートなんてものは親に寄生しているわけですが、少なくともこの本に出てくるバックパッカーの連中たちは日本の工場労働に集中的に耐えて、自分の金で節約生活をしながらタイや東南アジアで暮らしています。他人に迷惑をかけない彼らが働かない主義を主張してもなんの問題もないと思います。

生活にはお金がかかります。だから彼ら働かない主義の人たちは消費や贅沢をいっさい望まないでしょうし、結婚や家族、子どもをもつこともあきらめているでしょう。そのような人生の幸福を捨てても、かれらは働かない主義の人生を潔く生きようとしているのでしょう。ぎゃくにいえば、家族や子どもをもった時点で、日本の過重労働社会に乗り入らなければならないことが決定したわけですね。もちろん家族や子どもという幸福を手に入れているのですが。

幸福にも金がかかる。働かない主義者はそのような世間一般の幸福を捨てる代わりに労働から逃れるのでしょう。かれらはそのような人間の幸福を是が非でも得たいのでしょう。

それにしても寄生して働かない者たちは許されるべきものではありませんね。働かない主義は自分の食い扶持は自分で責任をもつべきです。

一言、僕の父親も働きませんでした。兄と僕は母によって育てられました。
母は現状肯定派だったので、いつも起こることは解釈しだいだ、と言ってました。何事も楽観主義で否定的なことや愚痴は一言もいわなかぅたためか、僕らはとても楽しかったです。父は経済活動はしませんでしたが何でもよく知っており、話もとても面白く、尊敬していました。
「お父さんはナマケモノだね・・」と母に言うと「そんなの覚悟で結婚したのだから、・・」と母は笑い返していました。その母のおおらかさが僕たちの救いでした。子どもってけっこう親の心を敏感に感じながら生きてるんですね。仕事よりも大切なものってけっこう後になって分かるんですよね。

お、マジですか、お父さんは働かなかったのですか。

お母さんは寛大というか、そういう家族のあり方を肯定というか、受け入れていたのですね。

世間の男が家族を養うという通念とまったく別な家族のかたちをとっていたわけですね。それでいて、お母さんが愚痴をいわない、覚悟を決めていたというのはあっぱれですね。

願わくば世間も単一の価値観ではなくて、いろいろなかたちの家族のあり方も許容されるような社会になってほしいものですね。

女性の方でこのようなかたちの家族を許容するという方はどのくらいいるんでしょうね。私は家族を養わなければならないという固定観念がありますから、あまり働きたくない私は女性との縁をあきらめがちですからね。

別の意味で驚きました

タイでは子供が生まれると母親が働き出すということですが、うえしんさんとは別の意味で驚かされました。日本では、社会が右傾化して3歳児神話のような概念が復権しており、仕事や夢など一切考慮もせず、家族と過ごすことが美徳とされる節があります。日本の社会通念では子供が生まれれば母親がつきっきりで子供の世話をするのが当然視されているのと対照的です。また、父親もまた子供が生まれれば「家庭に入り」、家族と団欒をし、子育てや家庭サービスに打ち込むことが美徳とされています。そうした中で生きづらくなるのは、朝早くから夜遅くまで休日もなく働かなければいけないハードな世界の少数派ではないでしょうか?
この本以外で読んだのですが、タイでは、誰かがぐれた、殺人鬼になった、ニートになった、難病になったなどの場合、「ピーがついた」というそうです。「ピー」とは悪い妖精のことであり、要するに運が悪かったとあきらめるわけです。日本のように家庭を顧みない親が悪いなど、こうした問題を親のせいにしがちなのとは対照的です。

三歳児神話というのはたしかに日本では強いですし、私もそういう見解になんとなくうなづきたくなる気持ちはわかります。

幼児期に甘やかして世界に対する信頼感をきっちりと与えることがその後の人生の幸福を約束するといったような考えかたが日本にはありますね。
さいしょから突き放したり、甘やかさなかったら、世界に対する基本的な信頼が育たないと考えられているのでしょう。

文中のタイの女性のばあいですが、タイの男は結婚して子どもができても給料を渡さないことが多いようです。だから妻が働くという自覚が強く、また夫は仕事をいつ辞めるかもしれないし、ほかに女をつくる可能性も高いとのことで、つまり男をまったくアテにしていないというか、信頼していないようです。

ここにはタイの貧しさや職のなさといった背景があるのだと思われますが、貧しさゆえに日本の三歳児神話のような甘えた状況はのぞむべくもないのだと思われます。日本の子育てや夫の扶養義務は贅沢すぎるというか、過剰すぎると思われるので、だから日本の晩婚化や少子化がすすむのかなと思ったりもします。

「ピー」がついたというのはいい解決策かもしれませんね。その人のせいにされないわけですから、本人が悪いと責めるような社会より気楽ですね。もしひきこもりやうつ病のように本人が悪いと責めるようではますますこじれてしまいますね。

日本も昔、霊や憑き物のせいにされる文化があったのですが、いまの日本は心理主義化してしまって、つまり本人のせいにされてしまって、悩んでいる本人をますます責めさいなます悪循環におちいっていると思います。霊や憑き物の原因論もバカにはできない解決策であったと思います。

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