普通二輪教習を無事、卒業しました。
五月の下旬から通いだした普通二輪の教習だが、きょう卒検があって、無事卒業できました。
卒検は10人のうち最後で、緊張がながらくつづいて、困ったものだと思った。ふだんの練習ではめったにおこさないエンストやニュートラルになかなかギアチェンジができないという失態を見せて落ち込んでしまったが、あっけなく合格だった。ほかの課題は問題なかったのだが、ひやひやものだった。
私は原付のミッションに三年乗っていたので、400ccのバイクでもほぼ違いを感じないで運転できた。一発試験でもよかったと思うのだが、やはりじっさいに400ccに乗らないと不安だし、仕事をそう何回も休んで試験を受けるわけにもいかず、教習に通った。のちに失業していくらでも一発試験を受けられる環境になったのだが、その前に入学を申し込んでしまったので、皮肉なめぐり合わせである(泣)。
私の考えとしてはバイクは自分で練習したほうがうまくいくと思うし、気持ちにゆとりがもてると思うのである。教習ではうまくいかなかったり、覚えるところを覚えてなかったりしたら、教官に怒られたり、険悪になったりするのだから、どちらかというとこちらのほうに気をとられてしまい、運転技術の向上にうちこめない。人に監視されながらの練習は気をつかってよけいな神経に時間をとられてしまう。人によっては教えてもらうほうがいいというタイプもいると思うが、私は自分ひとりで練習にうちこめる方法のほうがしっくりとくる。原付のミッションを覚えるのにそうとう苦労したが、そういう壁や模索と格闘しながら、運転を克服していった方がよほど自分の身についたと思うのである。
私はクルマの免許もないから、学科の教習も受けたが、私は人に教えてもらうより、ひとりで問題集を解いていたほうがいいと思うタイプである。教科書なんか自分で読んで問題を解いたほうがいいと思うのだが、たしかに多くの教科は教えてもらわないと覚えが悪いかもしれない。でも問題をやるころにはいぜんの講義はすっかり忘れているのだが。
学科はそうとうに難しいと苦労している(笑)。ちゃんと教習を聞いていたはずなのだが、問題をやってもぼろぼろ間違うし、覚えていない。私はむかしからもの覚えが悪く、英語のスペルと意味を覚えるのに大学ノート3ページくらい書いても覚えられないくらいだった(泣)。問題をやってもやっても合格点に達しない。
教科書と問題の違いは、教科書はこれはこう、あれはこうと限定せずに指示をするわけだが、問題は違いや異なるものを聞いてくる。限定や相違点を教科書は指示しないのだが、問題集はそれだけを聞いてくる。だからなにが異なるかと聞かれても答えられない。おまけに物覚えも悪いから、さっぱり答えられない。「安全地帯があるときは徐行か、停止か」と聞かれてもどちらが正解か覚えてない。原付で公道を走っていても、そんなルールはとっくに忘れていて、状況次第で運転している。試験センターでの学科試験が心配だが、それ以前に問題集をまちがいのないようなレベルにひきあげるのがタイヘンである。
教習でいちばん気を回したことが、人によっては違うのだろうが、私は教官との関係にけっこう神経をつかったのだと思う。教官との関係はコンビニのように顔を覚えられてほしくない距離感のような気もするし、運悪く覚えられたら、距離感を縮めるような関係をつくるべきなのか。教官の顔を覚えても、その自覚を顔に表わすべきなのか、知らんぷりをするべきなのか、こういう距離感に私は神経を使ってしまうのである。このような存在の承認の関係というのは、知っている人からあいさつがなかったり、無視されたりすると、なにか傷つけるようなことをしてしまったのかと不安にさせるものだから、承認というのは人間関係において意外に重要なものである。学生が「あいさつしろ」といわれるのは、無視はときに人を傷つけてしまうからである。それは同時に「制裁の方法」もであるのだから。
教官との関わりというのは、スクールによって違いがあるのだろうが、あの覚えたての教官がきょうは学科の教習か、きょうは技能の担当か、きょうはシミュレーションの担当かと、ころころ変わっていって、ほとんど消息不明の関係になったり、ときに顔をあらわしたり、またこの担当者と出会ってしまったという関係であった。個性的で覚えやすい教官は「うっ、またこの人か」と思ったり、「この印象のない人はたしかこないだ技能の担当をしてくれた人だな」とか、「この技能の担当者は学科のときこのように講義するんだな、へ〜」とか思ったり、なかなか人間観察がおもしろい場でもあった。
そしてそのような一期一会の関係をくりかえしながら、ある生徒が顔を見せたと思ったら、さいきん見かけないな、いつの間にか卒業していたということになる。覚えるころに卒業ということになっていたりする。消息がひとコマの教習にあらわれたり、とぎれたり、終わってしまったり、どうなったのかわからないといった存在の不在と顕在をあらわしながら、生徒はころころと変わってゆく。この人の移り変わりの早さからくる喪失感は、けっこう新任の教官なんかは、胸にこたえたりするんじゃないかと思ったりする。まるで親密になる前にベルトコンベアーで人が過ぎていってしまうようなものである。終わってしまったら、あっけないものである。
生徒同士のつながりはほぼなかった。みな無口にスクールにやってきて、寡黙に教室に入り、沈黙のまま教室を出てゆく。自分の内面の心配や不安や喜びや言いたいことは、いっさい表に出ない。たまに顔を覚えた生徒をよく見かけたり、会ったりするのだが、それもいつの間にか卒業して二度と出会うこともない。徹底的に機能的な学習の場であって、私たちが知る公立の学校のような親密で濃密な共同体の関係はいっさい排除されている。まるで電車に乗り合わせた人たちの群れのようであり、そして電車内では知らない人にみだりに声をかけたり、親密な会話をいきなりしてはならないというルールがあり、この教習所にもそのような規範が支配していたようである。
まあ、教習で感じたことをあまりながながと書いても読んでもらえないだろうから、そろそろ終わりにするが、ちゃんと頭でまとめて書けよ(笑)とツッコミをいれたくなるのだが、教習は技能のプレッシャーやゆううつ感を感じながらも、終わるときにはあっさりと終わるんだなと感じた。
あとは試験センターでの学科試験だが、ひじょうに苦戦しそうだ。問題集を間違ってばっかだ。何回も落ちて恥をさらさないようにしっかりとベンキョーしたいと思う。とりあえずは技能の免許レベルには達したのでひと安心だ。
『ホテルアジアの眠れない夜』 蔵前 仁一
![]() | ホテルアジアの眠れない夜 (講談社文庫) (1994/06) 蔵前 仁一 商品詳細を見る |
旅行記には二つのタイプがあって、日記タイプとエッセイタイプがある。日記タイプは行動をえんえんと記し、エッセイタイプは一歩踏み込んで思索をくりひろげる。旅行記では日記タイプが多く、ヘミングウェイのように思考より行動に価値をおくのだが、行動にあまり価値をおかない思索型の私はやはりエッセイが好みである。エッセイはものごとや行動を時系列から解放して、要素間の編集をおこない、より思索を深めてそれは学問になる。この本はエッセイでよかった。
人間は「いま、ここにないもの」を思考や言葉で獲得することによって、動物と異なる存在になった。過去や未来が生まれ、生と死が生まれ、文明が生まれた。行動に思考を寄りそいつづける日記タイプは、人間の特徴である思考の特異性を生かしていないのである。時系列では結びつかない、いま・ここにない要素や物事を結びつけることによって、新たな発見や収穫が得られるのである。
私はいまアジアの旅行記を読むことが多いのだが、知りたいのは長期旅行者の生き方であったり、日本と違う働き方や人生観、社会であったりすると思う。つまり日本の「正しい」生き方のほかの選択肢を探しているのだと思う。私の探求のいぜんからの目的はこれなのだが、さいきんはアジアの仕事や暮らしにそれを見つけようと食指をのばしているわけである。私は日本の仕事や労働だけしかない人生がたいへん嫌いだから、アジアの正反対のような価値観に魅かれるのである。とくに労働のオルタナティヴはぜひとも得たいものである。
この本はバブル期におこなわれた旅行記であるようなのだが、このころから世界中をあちこちをひとりで旅するバックパッカーのような日本人も多数存在したようである。バブル期といえば、ニュースで海外旅行の増加が、日本の経済的おごりとともに報道された時期である。団体旅行客やパックツアーのイメージも強かったが、ひとりで旅するバックパッカーも増殖をつづけていたのである。
しかしとうぜんのことながら、長期旅行者は日本の企業社会から落ちこぼれるわけである。日本に帰っても、就職や人生が保証されているわけではない。いっぱんにイメージされる「成功」や「正しい人生」から、完全にもれてしまわないと長期旅行の決断はできないのである。日本人としての人生をやめるのか、もどるのかと、厳しい選択を迫られることになる。日本の企業は長期旅行者を受け入れるような社会ではないのである。
日本は農耕民族として定住の人生を長らく送ってきたのだと教科書は教えるのだが、はっきりいえばこれは戦後の終身雇用制度を促進するためのイデオロギーである。ひとつの会社に長く勤め、滅私奉公することが「正しい人生だ」というイデオロギーの洗脳である。転職したり失業したり浮浪するような人間がたくさんいれば困る人がいたのだろう。たとえば税金に頼る政府だとか、勤勉な労働者をほしがった企業であるとか、安定した収入を善とした専業主婦なのであろう。
そのような社会の風潮が、日本の歴史から、漁民や狩猟民、商人や流浪者の文化や生活を抹殺してきたのである。日本人は先祖代々の土地でずっとコメをつくりつづけてきたのだ、ほかの浮遊する存在はいなかった、だからひとつのところで働きつづけることが「正しい人生だ」と刷り込まれたのである。そのような重圧を逃れようとして、長期旅行者はアジアを漂いつづけていたのである。海外旅行は日本イデオロギーからの脱走でもあったのである。そしてイデオロギーに染まった企業に受け入られず、帰るところも失わなければならなかったのであるが。というより、おそらくそれは一部のエリートや大企業の話であって、中小企業や零細企業ではそうではなく、どこかにもぐりこんだり、しのいで生きてゆけたのだろうが。
むかしアメリカで鉄道ができたころ「ホーボー」といって、無賃で鉄道に乗ってあちこちを旅した労働者たちがいた。季節労働や仕事を求めての旅であった。作家のジャック・ロンドンなどが、自由と悲惨さを抱えもったそのようなホーボーの体験記を『アメリカ浮浪記』に記している。その後アメリカは工業社会としての繁栄や成功を手にするのだが、60年代になり、ホーボーに憧れたジャック・ケルアックなどがヒッピーのような旅のスタイルをふたたびはじめるのである。人間は定住と放浪の狭間にいつも悩まされてきたようだ。日本でも高度成長さなか『フーテンの寅さん』が人気を博した。できれば、定住のイデオロギーに染まりきらない社会になってほしいものである。
アメリカ浮浪記 ジャック・ロンドン

ホーボー アメリカの放浪者たち






著者の蔵前仁一はインド旅行に行って、日本とあまりにも違うことに驚き、「正しさ」とはなんなのかと書いている。
初めて日本とは違う別の世界があることを知ったのだから、もう日本を絶対的に正しいと思うことなどできなくなったのだ。
僕は一度「正しさ」というものをなくしてしまった。……僕が学生だった頃は、よい成績をとるのが「正しい」ことだった。いうまでもなく、これは今の僕にすれば、「クソ」である。なんの役にも立たない。なぜなら成績がいいか悪いかが問題になるのは、学校という特殊な世界の中だけであり、生活していくには、そんなもの単なる「飾り物」にしかならない。
「人並み」なんていう「標準」も「正しさ」も、本当はこの世にはない。
海外旅行者はアジアなどにいって、そのような日本の「相対化」を探しにいくのだろう。自分が縛りつられている「正しさ」や「絶対」などというものを外側からながめ、客観視し、自分を解放するために。できれば、アジアや海外にいかずに、相対化や客観視できればいちばんなのだろうが、日本という国家、社会はそれをできない、許さない社会のようである。しかし定住民のイデオロギーを壊す試みは海外旅行者などがおこなったり、あるいは学術の世界からも疑問が投げかけられ、そのような知恵を知った人たちは人生や自我を解放するすべを知るのだろう。知らない人はいつまでたっても牢獄の中だろうが。










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