人に読んでもらうHPをつくることについて


 このHPは自分の考えたいこと、知りたいことを中心に書かれており、あまり読者の方の興味とか楽しみを予想していないのだが、やっぱりアクセス数は気になる。何度も増えているかと確認しに行ったりするし、増えていたりしたらおおいに喜ぶ。

 でも読者の方がどのようなものを知りたいと思い、どのようなものを読みたいかについては、配慮を欠いている。自分の興味や関心を優先し、そういうかたくなな姿勢のほうが自分の思索には返っていいのだと思っていたりする。

 書く内容についてもわざと話題や検索にひっかかりそうなテーマを避けたりしている。自分の関心に共鳴してくれる人だけを探しているのだろうか。これではアクセスは増えないし、検索にひっかかることもないだろう。一方では気にしているのにである。

 人に読んでもらおうと思ったら、検索にひっかかるようなテーマを選ぶべきである。そういう迎合的なHPはつくりたくないと思っているのだが、だとしたらHPを訪れたいと思う人はとくに限られてくることになるだろう。それでは私が密かに気にするアクセスが増えることはない。

 おそらく私は自分の楽しみのためだけにHPをつくっているというポーズをとりたいのだろう。読者の興味の引きそうな話題を避けるというのは、人を楽しませるためにこのHPをつくっているのではないという姿勢のあらわれなのだろう。

 この断想集というのはインターネットができる前から、個人的に思索をつみ重ねてきたものである。まったく自分の興味や関心のためにおこなっていたもので、人に見せる気はまったくなかった。カバー・ノートからはじまったものがワープロになり、ホームページになっただけなのである。

 私は密かに自分の極私的な楽しみが人にもわかってもらえるはずだという淡い期待を抱いているのだろう。私の楽しみをわかってくれよと叫んでいるのかもしれない。なぜ私の楽しみがわかってくれないのかと泣いているのだろうか。

 でも自分の楽しみだけを、HPという人に見てもらうためのメディアで押しつけるのは、ひとりよがりな日記と変わりはしない。人にもっとたくさん見てもらいたいと密かに思う以上、やはり読者がなにを楽しみにするかをすこしは考慮しなければならないと思う。

 私はこのHPの読者がどんな人で、なにに興味をもち、どのようなことを知りたいのかといったことの想像力をほぼ欠いている。読み手を想像する能力がまったくない。訓練しなければなと思う。

 ちょうどおもしろいサイトを見つけた。1からわかるおもしろ日記の書き方講座…326style.comである。文章技術の本は敬遠してしまうのだが、なぜかこのHPは読みやすかった。

 たとえば「誰に向けて書くのか」といった項目や、「人が読みたいと思うことを考える」、「書きたいことを一つに絞る」などの項目が参考になった。ほんと私は他人の目からこのHPはどのように見えてるのかという目が欠けている。ぜひ育まなければと思う。読者の方からもぜひ教えていただきたい。

 さて、これからはすこし検索されやすいテーマやキーワードでHPをつくってゆく努力も必要だと思っている。自分の楽しみ+読者の方の楽しみも考慮するようにしたいと思う。でないと読者の方にも申し訳ないだろうし、密かに気にするアクセスも増えることはない。

 「読者の方はどのようなことを読みたいと思っているのか、知りたいと思っているのか」――このことを頭の隅におきながら、HPを更新してゆきたいと思う。あくまでも努力目標ですが、そういうことを気にしたHPづくりにしてゆきたいと思う。


 ▲2004年もお世話になりました。2005年もどうぞよろしくお願いします。願わくばもう少しメールをいただければありがたいです。


『神々と天皇の宮都をたどる―高天原から平安京へ』 高城 修三


457812987X神々と天皇の宮都をたどる―高天原から平安京へ
高城 修三
文英堂 2001-10

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 奈良や大阪の古代と関わりのありそうな土地に行っても、古代天皇の宮都がどこにあったかちっともわからず、近くに寄ったとしても素通りするばかりである。

 この本は歴代天皇一代一代の宮都あとを探り出し、地図で図示していてくれるからありがたい。いまは田んぼやふつうの住宅地でしかないそこが、古代には歴代天皇の荘厳な宮廷や官邸があったところだと想像することは古代史のひとつの楽しみではないか。

 大阪に住んでいる私としては難波宮は公園となっているからすぐわかるが、応神天皇の大隈宮(東淀川区)がどこにあるかわからないし、継体天皇の樟葉宮(枚方市)の場所もわからないし、称徳天皇の由義宮(八尾市)もさっぱりわからない。いまはなんでもない場所が天皇の宮があったところだと知ることはひとつの驚きである。

 古代天皇の宮都はだいたい飛鳥や葛城山麓、三輪山麓に固まっているが、その場所の変遷にさえ豪族たちの勢力争いがうかがえるのである。

 またこの本は、歴代天皇の行動や活躍がなかなか一致しない私には、一代ごとの活躍や論点が記されていて、だいぶ参考になった。

 古代史のなかでもとくに地理上に点や線を見つけたい私にとってはかなり満足のゆく本であった。


ことしのベスト本は男女の違いを語った恋愛本である。


 ことしのベスト本は二冊だけである。不発だったというよりか、夏ころから読みはじめた古代史の評価がむつかしかったからだ。

 古代史というジャンルは愛好家を多く擁する、しろうとでも専門化が高度化したジャンルである。だからこの本はベスト本に選んでよいものか私には判断しかねたのだ。

 ことしの読書の流れとしては、はじめは恋愛に悩まされた私、女性というものを理解しようとしてメディアから女性を知ろうとこころみた。マンガや小説によって女性たちはできているのだろうか。

 私自身をかえりみれば、少年のときに見たマンガや映画に人格形成や恋愛観をつくられたことが多かったので、女性を知るにはメディアを知ることがたいせつだと思ったのである。

 そのなかで下記の恋愛本は度肝を抜かれるような本だった。

 『なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか』
 ハーブ・ゴールドバーグ ワニ文庫
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 『この人と結婚していいの?』
 石井希尚 新潮文庫
 
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 男と女は感じ方がこう違うのか、そして男らしさが女を傷つけているという意外な指摘などにたいそう驚かされた。私は男も女も同じだと思っていたから、この違いにはあっけにとられたし、ものすごく納得するところが大だった。男女ともども読んでほしい本である。

 学術を趣味とする私は恋愛ジャンルはあまりにも思索をめぐらせられなくて、あまり楽しめなかった。女性のマンガや恋愛小説をいくらか読んでこの興味は終息した。

 それから新しいテーマが見つかるまで新書で本を読んでいたりして、関西の山登りの趣味から地名の歴史に興味をもったりして、関西の地政学というか、地域の勢力史みたいなものに興味をもった。近世までは最重要な交通機関は船であったから、水運や海運から地域の発展史が読めたらおもしろいなと思った。

 歴史地理というジャンルはあまり充実していなくて、古代の地名になじむうちに連想的に古代史に興味が向かい、いまは古代史の本をぼちぼち読んでいる。

 私は現代の社会問題を中心に考えることこそが価値あることだと思っているから、現在の生き方に方に知恵や見識をもたらさないような推理の楽しみだけの古代史の迷宮には抵抗がある。だからベスト本も選出しにくいのだろう。

 だけど古代史の興味というのは連想的にわいてくるものである。これはどうなっているのだろう、ここはどういうことなのだろう、と言葉やキーワードが連想的につながって興味を駆りたてる。推理のための推理のような迷宮にひきずりこまれるのは私の価値観から外れるが、しばらくは興味の魅かれるまま知識の探索はつづけたいと思っている。

 古代史の探究はげんざい生きてゆく私になんらかの知恵や恵みをもたらすのだろうか。それとも知識のための知識だけに終わるのだろうか。そのへんの思索も忘れずに古代史を楽しみたいと思っている。

紹介した本のクリック数がamazonでわかった


 うれしい。うれしい。当サイトで紹介した本のamazonへのクリック数がamazonでレポートができるようになっているので、人気度がわかってうれしい。いわば当サイトのブック・ランキングである。

商品別トラフィック−クリックスルーレポート

October 1, 2004-December 31, 2004
商品名 クリック
リチャード・カールソンの楽天主義セラピー 16
なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか 13
捨てて強くなる―ひらき直りの人生論 11
自省録 10
バーソロミュー―大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ 9
自我の終焉―絶対自由への道 7
無境界―自己成長のセラピー論 7
オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す 6
どう生きるか、自分の人生!―今日を後悔しない生き方 ダイアー博士の「生活哲学」 6
菜根譚 5
孤独であるためのレッスン 5
キリストにならいて 4
この人と結婚していいの? 4
「嫌いな自分」を隠そうとしてはいけない 4
ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 4
筋肉疲労が病気の原因だった!?―驚異の触手療法 4
グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門 4
世界の名著 4 老子・荘子 (4) 4
大衆の反逆 3
整体 楽になる技術 3
決定版 人間通でなければ生きられない 3
戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ 3
天皇家はなぜ続いたのか―「日本書紀」に隠された王権成立の謎 3
消費社会の神話と構造 普及版 3
日本書紀の読み方 2
日本の古代〈8〉海人の伝統 2
セスは語る―魂が永遠であるということ 2
「心の専門家」はいらない 2
自由からの逃走 新版 2
夜這いの民俗学・性愛編 2
聖なるものの社会学 2
ボディートーク入門―体が弾めば心も弾む 2
フロイト先生のウソ 2
清貧の思想 2
戦争と平和 2
菜根譚 1
自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実 1
日本書紀〈下〉 1
利己的な遺伝子 1
タイタニック 1
猿の惑星 BOX SET 1
昔話とこころの自立 1
疲労回復の本―あなたの心身疲労を気功で癒す 1
日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか 1
生業の歴史 1
フレンチドレッシング 1
昔話の魔力 1
思想なんかいらない生活 1
くらたま&岩月教授のだめ恋愛脱出講座 1
性的唯幻論序説 1
機会不平等 1
唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 1
〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター 1
ひとを“嫌う”ということ 1
秘密の心理 1
合計 183


 ■「人生最高の書」が多くランキングされているのはありがたい。数多く読んだ本の中で目からうろこが落ちた本ばかり集めているので、外れはないと思う。でももちろん私が思い切り感銘したとしても、ほかの人も同様に感じるとは限らない場合も考慮していただきたいが。

 意外に思ったのは『捨てて強くなる―ひらき直りの人生論』が上位にきていることだ。これは自己啓発のすでに絶版だと思われるおもちゃのような本で、「こだわり」や「価値観」を捨てるというすばらしい本だが、メジャーでないからこそありがたかった。

 『バーソロミュー―大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ』『セスは語る―魂が永遠であるということ』のような怪しげなチャネリング本が多くクリックされているのは意外だった。

 ベスト本だけではなく、過去のページからクリックしてくれた本もあるわけで、読者の方がトップページだけではなく、ほかのページも見ていてくれることがわかって感謝である。『ひとを“嫌う”ということ』 『機会不平等』 『日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか』 『フレンチドレッシング』 『思想なんかいらない生活』 『くらたま&岩月教授のだめ恋愛脱出講座』 『利己的な遺伝子』 『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』は目につきやすいページにおいているわけではないのである。

 こういうamazonのトラフィックレポートはサイト制作者としては、サイトのどのページが人気があるのか一目瞭然にわかって、こういう仕組みがアクセス解析になんかあったらいいなと思わせるものである。すでにあるのかもしれないが、アクセス解析は有料の場合があったりするし、なかなかそこまで知ろうとは思わないしね。

 このクリック数は売り上げ数と直接結びついているわけではないのだが、人気度がわかってとてもうれしい。売り上げはこのサイトのアクセス数の少なさからはじめから度外視しており、画像だけがいただければいいとアソシエイト契約したものである。

 それでもこのサイトから三冊amazonで本を買っていただいたことになっている。紹介料はたったの70円である。それでも私のHPから本の興味をもってくれた人の存在がわかってうれしいのである。


歴史愛好家はなぜ多いのか


 歴史愛好家はほかの知識ジャンルにくらべてダントツに多い気がする。私の好きな思想や社会学はそんなに多い感じがしないし、生物学や物理学が好きな人もそう多くはいないだろう。

 なぜ歴史愛好家だけこんなにたくさんいて、ある程度市民権を得ているようなところがあるのだろう。

 考古学は新聞のニュースになる。生物学や天文学の発見はニュースになったりするだろう。私の好きな思想や社会学がニュースになることはほとんどない。ファンが増えた心理学もニュースにはならない。(いや、心理学は犯罪ニュースと結びつき、十代の犯罪少年ブームをつくりだしたことは記憶に新しいことだ)。歴史は一般市民の関心事として認知されているのである。

 歴史は一般市民の多くの人に関わりがあるといえる。国民や民族のルーツはわれわれ日本人と関わりのあることであり、中世や近世の歴史はわれわれのご先祖さまが直接生きていた世の中と関わりのあることである。

 いささかナショナリズムめくが、歴史は国民の教養として考えられているのだろう。日本人の歴史好きというのはナショナリズムと結びついているのだろうか。

 私はいま古代史を追究しているが、じつは現代の問題とはいえない歴史にはあまり深入りしたくないと思っている。私はやはり現代の問題を考えたい。もう終わってしまい、現在生きるわれわれの問題となりえないものは、あまり深く追求したくないと思っているのである。といっても興味は言葉の連想ゲームのようにつながってしまうものだが。

 歴史はやはり現代のだれにとっても関わりのあることである。われわれはその歴史があってこそ、現在この地に生きている。そしてその時間と人間はもう存在していない。自分のものでありながら、自分が知り得ないもの――自分が存在しない前に存在していたもの――その間隙を人は埋めたがるのだろう。生まれながらの欠損感という不安が、興味を歴史へと向かわせるのである。

 日本国の誇りや結集力のために日本の歴史を学ぶというナショナリズムの性質も日本人には多いのだと思う。歴史というのはやはり国家主義である。天皇や将軍の活躍を学ばされる歴史というのはナショナリズムのなにものでもない。われわれ無名の庶民にかれらの活躍がなんの関係があるというのだろう。権力者をたてまつる心性がナショナリズムを生む。

 歴史を好きになる人というのはマンガや時代劇などで興味を魅かれる人も多いと思う。また戦国武将や幕末に活躍した人たちをサラリーマンに重ねるカンちがいな英雄視にあずかるところも大きいのだろう。現代サラリーマンの誇大妄想がかれらをヒーローに仕立てるが、器や大きさがあまりにもかけ離れているのが恥ずかしい。

 歴史を学ぶ意義に過去の過ちや愚行をくり返さないためという理由をたまに聞くが、歴史好きな人はそんな有益な目的のために好きになるのではないと思う。歴史の舞台や太古の雰囲気に浸るのがことのほか好きだからという感じがする。歴史は現在ではもう想像力でしか知りえないものであるから、想像力の環境に身をおくのが快楽であるのではないかと思う。

 歴史好きな人は現代的なカッコよさが乏しいイメージがある。過去に興味を向かわせる目が現代的センスを遠ざけるのだと思う。思想家好きな人はラディカルな現代的感覚をもっているように感じられるが、宗教的狂気さのイメージも混入する場合もあるだろう。

 歴史愛好家は現代に目を向けないがゆえにいささか仙人的で嫌世的な要素がある。ちなみにオタクが嫌われるのは、性的要素が感じられるからだろう。性は好奇心が嵩じると他人の利益や所有権とぶつかり合う一筋縄でいかない領域である。一方的な好奇心は異性の自由や所有権を侵害するから不快なのだと思う。

 歴史好きな人は現代にあるものでも現在に目が向かわずに過去だけに視線が向かっている。現在を見放しているような感もないわけではない。

 歴史ジャンルはほかの知識の中でも、たとえば思想や心理学とくらべると多くのファンがいる。学者顔負けの素人や研究熱をもっている人も多い。私の好きな思想や社会学にもこのような裾野が広がればいいのになと私は羨ましく思う。


饒速日尊(にぎはやひのみこと)の降臨の地を訪ねる


 きょうは天皇家より先にヤマトに降臨したといわれる饒速日を祭る交野市の磐船(いわふね)神社にいってきました。京阪私市駅からバスの本数が少ないので天野川ハイキングコースをさかのぼって一時間半くらいかかりました。山を降りるときには日が沈むまでに間に合うかと必死でした。写真で紹介します。

CIMG0020_2.jpg 案内板には饒速日が降臨した哮峯(たけるがのみね)とありましたが、どうなんでしょーか。となりではロッククライミングをやっておりました。
CIMG0023_2.jpg 星のブランコといわれるつり橋です。わくわく楽しませてもらいました。
CIMG0043_2.jpg これが磐船神社のご神体と思われる巨大な岩です。圧倒されます。その下には巨岩がごろごろ積み重なって川が流れています。
CIMG0036_2.jpg 饒速日はこの岩船にのって天降ったとされていますが、古くは巨岩を信仰していたものが、降臨神話がつみ重ねられたのだと思います。こんな山奥に饒速日の宮がつくられたとも考えられないし。
CIMG0045_2.jpg 天野川がトンネルをぶち抜いて流されていました。すごい発想です。

 きょうは饒速日が祭られている八尾の跡部神社にもいってみたかったのですが、時間が足りなかったのでまたいってみたいと思います。饒速日の足跡をたどってみたいと思ってます。

 mfweb4.gif 磐船神社の地図です。


『日本語に探る古代信仰』 土橋 寛


sinko1.jpg日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで
土橋 寛
中央公論社 1990-04

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 古代人の行動や考え方を知るには、呪物崇拝(フェティシズム)や呪力信仰(マナイズム)を知らなければ多くを理解することはできない。いまの日本社会にもその信仰が深く残っていることはいうまでもないことだろう。言葉からそれを探ったこの本はいろいろな発見をもたらすだろう。

 「ケガレ」は「気涸れ」であり、生命力・霊力(ケ)が枯渇した状態のことをいい、山見や花見は生命力を強化する呪力信仰であり、天照大神の天岩戸に隠れた神話は冬至の季節に衰えた太陽の生命力を回復させるための呪術的儀礼であったなどの話が読める。

 古語を多く読まされて私にはだいぶ理解できないところが多くあったが、日本の神や古代の権力者にまつわる世界というのは神秘めいていていまの私にはそこはかとなく魅力的なのである。

 おっと、きょうはクリスマスだ。クリスマスにこんな本を紹介するなんて。クリスマスはこんにちの日本では男女の交合をうながす性信仰のような日になっているが、キリスト教はそんなことを奨める宗教だったのか。キリストも童貞で、母マリアも処女で。。まっ、どうでもいいーか。


なぜ聖夜が「性夜」になったのかについての考察


 クリスマス・イブがカップルのセックスの夜になったのは大いなる皮肉というほかない。そもそもキリスト教は性を激しく禁止した宗教だ。キリストは童貞であり、母マリアは処女懐妊といわれたように性にまつわる話は徹底的に削除されている。修道院も女性を断った。

 そんなキリスト教のクリスマスが日本に根づくようになると、なぜカップルやセックスの日になったのだろうか。

 そもそもクリスマス・イブはケーキを食べる夜だったように記憶する。ケーキ業界はおおいに儲かった。そのうちにプレゼント業界やレストラン業界、ホテル業界などがクリスマス商戦に参入し、TVや音楽業界がイメージ戦略をすすめることによって、若者のなかにすっかり定着することになった。もっと上を目指すステップ・アップ消費、高級化で個性を主張しなければならない時代の流れである。音楽業界のイメージ煽情も強い。産業が必要としたのであり、そして若者や男女の関係で必要とされていったのだろう。

 イブがロマンティックな夜になったのはとりあえずキリスト教はイメージだけ移植したわけである。教義や戒律がまったく根づいていないのは、イブがセックスの夜になったのと同様、いうまでもないことである。

 キリストの生誕する前の夜がロマンティックなセックスの夜になったのは、キリスト教が愛を説く宗教であるからわからないでもない。しかし禁欲を説くキリスト教がセックスを奨めるとは思われない。日本では宗教を受容する頭が空っぽだったから、下半身だけが受容・需要したわけである。

 キリスト教の教義はちっとも受容されずにクリスマスという慣習だけが受容されたのはなぜなんだろうか。

 日本人はともかく形だけを採り入れるのが好きである。内実が空っぽのほうがより大勢に受容される。キリスト教国家は金持ち国家であり、先進国家である。日本は近代国家になったときから国策として金持ち追っかけをすすめた。ともかく金持ちはカッコイイ、金持ちのなんでもかんでも猿真似をしようという国になった。禁欲や抑制は美徳ではなくなった。

 解放された金持ち憧憬が、キリスト教教義ではなくて、クリスマス慣習だけを受容した。宗教や思想を受容したのではなくて、金持ちの生活スタイルを真似ただけであるから、スタイルは下半身だけに受容されたのである。

 クリスマス・イブというのは金持ちイメージの真似だけである。だから中身は空っぽでいいのである。ともかく金持ちの真似をして、金持ちと同じことをしていれば、満足なのである。社交やカップルの文化が興隆すれば、多くのマーケット、業界が潤えばいいのであって、キリスト教教義はどうでもいいのである。

 キリスト教、もしくは西洋国家からは一夫一婦制の規範もとりいれた。それ以前の日本は庶民において性の規範はもっとゆるく、稲の豊穣を祈る意味でも性交が隠微なものになることは少なかった。近代国家はそれを日本の後進性や恥だと思い、一夫一婦制や厳格な性道徳を根づかせようと努力した。

 処女や貞操の価値が高まった。これらの価値が高まるということは、それらが商品や市場に組み込まれるということである。性が禁止されるということは、性が有料になるということであり、お金を使わなければ性関係や婚姻関係が得られないという関係になることである。市場に組み込まれた性は抑制されて、強力なマーケットをかたちづくってゆくことになったのである。

 禁止されたもの――有料になった性は多大なお金やサービスをかけて手に入れなければならないものになった。戦後の終身雇用慣行もてつだって、女性の性は終身契約になり、生涯をかけてでも支払わなければならない資産級になったのである。

 クリスマスはそのような男女の関係に組み込まれた新たなマーケットだといえるだろう。厳しく抑制された性関係はぎゃくに有効なマーケットになるのである。

 いじょう、長くなってしまったが、禁止された性関係がぎゃくに聖夜を性夜にしたと私は考えてみる。キビシイ性関係が性のマーケットを広げる、そのからくりがクリスマスにあらわれているのではないかという私の一考察である。


人生最高の書! 2004/11Ver


『楽天主義セラピー』 カールソン 春秋社
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人生NO.1の本。思考の愚かさを知れ。そして虚構性を。


『どう生きるか、自分の人生!』 ウェイン・ダイアー 知的生きかた文庫
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心をまっ白にすることの大切さ。それまでの自分の心の持ち方の愚かさを知った。


『自省録』 アウレーリウス 岩波文庫
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心を消去せよ。さすれば何の悩みもない。


『自由からの逃走』 フロム 東京創元社
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人間心理の卓越した書。


『大衆の反逆』 オルテガ ちくま学芸文庫
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画一化・均質化する大衆。生き方に対する問題。


『消費社会の神話と構造』 ボードリヤール 紀伊国屋書店
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記号の消費の愚かさを知れ。


『菜根譚』 洪自誠 岩波文庫
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すさまじく達観した中国の書。


『老子・荘子』 世界の名著 中公バックス
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人生を、世界を達観する古典である。荘子のほうがくわしい。


『キリストにならいて』 トマス・ア・ケンピス 岩波文庫
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人間関係について、心の持ち方について、最高のアドバイス。


『無境界―自己成長のセラピー論』 ケン・ウィルバー 平河出版社
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驚くほどの人間心理の洞察の書。読めば読むほど深みがわかる。


『自我の終焉―絶対自由への道』 クリシュナムルティ 篠崎書林
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思考の愚かさをこれほどまでに精緻に分析した人はいない。人間心理に精通した偉大な人。


『清貧の思想』 中野孝次 文春文庫
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欲を捨てた貧しさの中に心の高貴さを見出した人たちが、かつての日本にいたことを思い知らされた。


『生業の歴史』 宮本常一 未来社
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生業の中にわれわれのご先祖様がたくましくも、したたかに生きてきた生の姿を見ることができた。


『捨てて強くなる―ひらき直りの人生論』 桜木健古 ワニ文庫

こだわりや価値を捨てることのすばらしさ。驚くほどの名著だ。


『ウォールデン―森で生きる』 ソーロー ちくま学芸文庫
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アンチ労働主義のバイブル。仕事ばかりの人生なんて生きている意味がない。でも生活が、将来が、女が。。。


『日本の神々―古代人の精神世界』 平野 仁啓


4061456644日本の神々―古代人の精神世界
平野 仁啓
講談社 1982-01

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 神社には古代の天皇や国王が祭られている。そこから古代の権力者や勢力圏を知ることができたりする。そのような見方をすると神社は魅力的に見える。

 しかしその前に日本の神とはひじょうに不思議な存在であり、なにが祭られており、どのような性質が神に値するのか、よくわからないところがある。そもそも神社になにが祭られているかすら多くの日本人は知らないだろうし、なぜその存在が神になったのかもわからず、神社に参拝したりする。奇妙である。

 日本の神々を解くこの本――縄文人の神観念からはじまり、神社の神分析には期待したのだが、失礼だが、なんの結論も見出せないエッセイに終わっているような気がした。日本の神とはやっぱりよくわからないのである。


『日本書紀〈下〉』 宇治谷 孟 訳


4061588346日本書紀〈下〉
宇治谷 孟 訳
講談社 1988-08

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 この巻になると天皇よりほかの者の記述が多くなってくるようである。

 この書でおもしろいところは、教科書でしか知らないような歴史が、いにしえの人の言葉や観察で書かれていることであり、リアルさや真実さが重みを増していることである。

 蘇我氏と物部氏の仏教と国つ神の対立、聖徳太子の憲法十七条、蘇我入鹿による山背大兄王の急襲、そして入鹿の暗殺と、かなりリアルな物語が読める。

 圧巻なのは大海人皇子(天武天皇)と大友皇子の政権争いである。吉野から宇陀につき、伊賀にいたるというあたりはかなり迫真を帯びている。

 孝徳天皇の詔(みことのり)はすばらしかった。高貴なる者の責任が感じられる文面である。

 ほかに天文観察や天災、地震、奇妙な獣やあらわれの記述も多く、それを政情にあわせて重ねていたりして、当時の思想や世界観を感じさせるものであった。

 げんざい、私が読んだ数冊の古代史によると、この『日本書紀』の記述はかなり疑われていて、ここに書かれていることとはまったく違う天皇像や歴史像が描かれていたりする。こういう推理や疑惑のほうが古代史を楽しませてくれるわけだが、私の力量不足でこの『日本書紀』からはなかなか真実のすがたを知ることはできないと思った。そのとおりに信じてしまうのである。

 とにかく正史としての『日本書紀』を読んだのだから、推論が大きく広げられている現代歴史書の比較検討もすこしは可能になったわけである。そういう意味でこの『日本書紀』は読む価値があったわけである。


『日本書紀〈上〉』 宇治谷 孟 訳


4061588338日本書紀〈上〉
宇治谷 孟 訳
講談社 1988-06

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 現代語訳であるからつっかえることもなく、読みやすかった。日本最古の歴史書を一度は読んでおくのは悪いことではないと思った。歴史書というよりか、天皇記であり、荒唐無稽な神代記があったりして、社会全体の歴史に視野がおよんでいるわけではないのを残念に思うが。

 この書の私の読み方としては、すでに何冊かの古代史の推理や推論を読んでいるから、その説の確認という意味合いが強かった。でもその推論が正しいかどうかはまったくのところ確認するどころではなくて、ただたんに物語に乗せられて読んだにすぎないというほかないが。

 個人的に気になったのが地名である。私の古代史の興味の出発点は歴史地理であるから、天皇や豪族がどこで活躍し、どこをどうめぐり、どの地点にあらわれたのか、ということを重点的に読んだ。ゆかりのある地名を探っていたわけである。これで歴史史跡めぐりも楽しみがふくらみ、地理勢力の理解も増すというものである。

 神代記というのはまったく理解できない。神の生まれ方も水をそそいだときに生まれたり、煙から生まれたり、剣をがりがり噛んだときに生まれたりして、物として理解したらいいのか、人間として理解したらいいのかかなり不明だった。

 また神の物語の中に天皇や豪族の祖先たちがまぎれこんでいたりして、史実か、由緒の正当化のための架空物語として理解していいのかもよくわからなかった。祖先たちを神格化するなんてこんなのアリかと思うが、古代の日本人たちが霊魂や先祖の神を信じていたりしたのなら、突出した絵空事でないともいえるのかもしれないな。

 天皇や豪族の名前がまたへんてこりんである。地名が読めたりして参考になる部分はありがたいが、この名前は漢字の意味合いからつくられたのか、それともたんに当て字なのか、むずかしいところである。神日本磐余彦天皇(かみやまといわれびこのすめらみこと)、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、端歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)、など漢字の意味があるのか、あてずっぽうな当て字なのか、判別しかねる。

 まだまだ私には天皇の名前と行動がなかなか一致しにくいが、九州征伐が後のほうの天皇の話に出てきたのは疑問に思ったこと、最大の天皇陵の仁徳天皇が后の嫉妬に多くを割かれているのは笑えるなと思ったこと、雄略や武烈はなぜ残虐な天皇に描かれなければならなかったのか、などが疑問に残った。

 『日本書紀』は天皇が書かせた歴史書であり、真実が描かれているかはたいへん疑わしいところである。そういう疑問を解いてゆく技量はもちろん私にはない。歴史家の推理に天皇の真実のすがたを探ってもらうほかない。饒速日尊、神武天皇、崇神天皇、神功皇后、継体天皇などが興味の魅かれる人物なのであるが、この『書紀』からはもちろん現代の歴史家が疑うような真実のすがたが読みとれるわけではない。


古代史を知って、何になるか?


 いま古代史の本を何冊か読んでいるのだけど、古代史を知って何になるという気持ちはたえずある。深入りしたくないと思うし、文庫や新書ならいいけど単行本は買いたくないという気がしている。

 そもそもわたしの古代史への興味は、歴史地理からのつづきである。関西のハイキングをしているうちにこの土地にはどんな歴史や過去があったのだろうと思うようになった。古い地名や言葉になじむうちに連想的に古代史に興味が向かったわけである。

 歴史とは終わったことである。もうすでに終わってしまい、存在しないものの足跡を追うことになんの意味があるのだろうか。歴史を知ったり、由来を知ったりすることは、知的好奇心を満足させる。いったいなんの満足なのだろうか。

 かつてこの地に存在した人がいて、生や営みをおこなったが、いまはもう存在しないと想像することは人のはかなさや、過ぎゆく時間のあわれさを感じさせる。しかしそれはたんなる懐古の感情であって、それを味わうことの価値はあまりないと思う。役に立つものではない。

 私たちはなぜ歴史名所に足を運ぶのだろうか。懐古の感情を味わうためだけにそこを訪れるのだろうか。歴史上に好きな人物がいて、その名所に訪れれば、いまはすでに存在しないその人の存在感を実感することはできるだろう。だから何だという気がするが。

 歴史を学ぶ理由として過去のあやまちをくり返さないためという話をよく聞く。だけど歴史へ興味が向かう人を見ていると、そうとは思われない。歴史的キーワードとか歴史的環境にひたるのがことのほか好きだという感じがする。過去というもうすでに存在しない想像の環境に羽を広げるのが好きなのだろう。すこし現実逃避の感がするが、現実逃避はおおいにけっこう。

 私は経済を学ぶには歴史を学ぶのがすごく大事であると思う。いまの経済がなぜこうなっているのかと考えるには経済の歴史を知らなければならない。ドラッカーや堺屋太一は現在の経済のありかたを歴史から説明しているからものすごくおもしろかった。現在とのつながりが興味をもたらすのである。そのつながりが見出せないと、歴史には多くの人が興味をもてない。現在の説明が大事なのである。

 私がいまのところ古代史に興味があるところは地理と歴史であるが、大和朝廷と天皇家が誕生するいぜんの権力闘争や国家の集結のしかたに興味がある。国家と歴史ができあがる前のおぼろげな存在感に興味が魅かれるのである。

 でも古代史への興味は読書まかせである。ある本が興味を喚起してくれるのにまかせるばかりである。自分からこれはなんでだろう、これはどう考えればいいのだろうか、という自由奔放な疑問や思考はめぐらせられない。やはり歴史には事実がひとつしかなく、解釈を広げることはできないから、自由な思索を好む私としては窮屈さを感じるのだろう。

 古代史の読書はもうすこしつづけるが、やはり私は現代への問題を考えることがいちばんだと思う。歴史へはあまりのめりこみ過ぎたくない。歴史の中にはかずかずの疑問や問題を見出すことが可能であるが、現在にとっての問題につながらない価値のない問いも多くあるわけで、できればそういう迷宮にはのめりこみたくない。古代史を学ぶにあたって、そういう問いはたえず忘れたくない。

『日本書紀の読み方』 遠山 美都男 平林 章仁 加藤 謙吉


406149709X日本書紀の読み方
遠山 美都男 平林 章仁 加藤 謙吉
講談社 2004-03-21

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 原典の『日本書紀』を読むために参考にしたいと思った本で、たいしておもしろいわけではなかった。神話にあるスサノオの乱暴はあの世への移行のための儀礼的行為であったこと、古代人にとって雄略朝は歴史の出発点であったことなどはなるほどと感心した。

 さあ、原典を読むぞ。といってももちろん講談社学術文庫の現代語訳だけど。

無料で画像がいただけるということ


 amazonから本の画像をいただいて、あちこちに画像を貼りまくるのに熱中しているが、このネット上では同じように写真や画像もいくらでもコピーでき、自分のものにすることができる。タレントの写真であろうと、芸術画であろうと、マンガ創作であろうと、ほとんど右クリックで「マイ・ピクチャ」の中にコピーすることができる。

 著作権はどうなっているのかと思う。著作権を主張したところでコピーはいくらでもできるのだし、モノそれ自体をを窃盗したわけでもないし、ネットの個人ページはほぼ無料で運営されており、著作権にともなう金銭売買がぜんぜん発生しないのになぜ著作権を主張するのかおかしく思う。お金がかからない著作権なんてあるのか。

 ネット上ではアイドル写真であろうと、創作品であろうと、いくらでも検索してコピーすることができる。ネットに一度出てしまうと、なんらかのガードをしないかぎり、事実上、著作権なんてなきに等しい。私はアイドル写真やヌード写真を無料でこんなにいただいたことはこれまでにはなかった。逆に言えば、お金が情報の流出を制限していたことになる。

 同じように多くの情報も無料で手に入る。ニュースだってただで見れるし、いままで本でしか手に入らないような知識や情報ですら得ることができるし、お金を使わなくても膨大な知識や情報が手に入るようになった。これはすごいことである。新聞や本や情報誌を買わなくても大量の情報や知識を手に入れることができるのである。

 私は画像のコピー・コレクションでそれを実感した。アイドル画像やヌード画像をいくらでも無料でコピーして自分のモノにすることができるのである。お金がかかってたらそんなにたくさん手に入れたいとは思わなかったものである。

 これでは著作権もへったくれもないだろう。著作権者は一銭の儲けにもならない。制作者は早急に自分の著作物にたいしてのコピー防止策が必要である。お金をとろうとしたら、まずは盗まれない措置をとらないと、お金を払ってまでそれを手に入れようとする奇特な人はいないだろう。

 ネットの情報や画像は無料だから魅力的であるのはまちがいない。無料の流出を阻害してしまうと、情報の流通も同じようにたちまち堰き止められてしまうだろう。多くの無料の中にわずかな著作権くらいが妥当なんだろう。無料のコーナーは客寄せパンダのコーナーであり、それ以上先に入るのにはお金がいるというような仕組みが必要なのだろう。

 私はほとんどネット上の著作権のことはわからないのだが、さいきんamazonの画像を大量に仕入れてアソシエイトの契約をしたり、思想家や作家たちの写真もネット上で拾って使い出してきたから、著作権を気にしなければならなくなってきた。もらう側としてはだだほどいいものはないが、それでメシを食ったり、創作に多くの努力と労力と時間をかけてきた人はたまったものではないだろう。

 ネット上の著作権がいまどうなっており、どのように落ち着いてゆくことになるのか、見守ってゆく必要があると思うしだいである。


『日本の古代〈8〉 海人の伝統』 大林 太良


4122026083日本の古代〈8〉海人の伝統
大林 太良
中央公論社 1996-05

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 海人というのはスケールが大きく、全国を股にかけた活動領域から各地に及ぼした歴史の影響を無視できない存在であるので注目しているのだが、この本は興味を魅かれそうだったが、あまりおもしろい本だとはいえず、読むのに手こずってしまった。

 いくつか覚えておきたい箇所としては、安曇や和田の地名は海洋民と関係のある地名だと思われるのだが、信州の山奥にまでその名があるのは海洋民のバイタリティーを感じさせること、日本の地名・氏名・物名を考えるとき、まず発音を元に考えるべきであり、漢字に跳びついてはならない、春秋時代の越の滅亡期に江南の民が日本にやってきたこと、日本にも海上生活者が明治ころまでいたこと、「さかな」のことばは「酒」と「な(副食物)」からできており、日本の酒宴と海産物には切り離しがたい関係があったことがわかる、などである。

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