画像ゲットでamazonさまさま


 さいきん本の画像を入れることに目覚めたのだが、なんだか勝手にサイトからとってくるのはヤバイような気がして、amazonにアソシエイトさせてもらうことにした。読者の方がこのサイトからamazonにゆき、本を買ってもらうと紹介料がいただけるというものだ。

 もちろんこのサイトはアクセス数があまりにも少ないので儲けなんか出るとはまったく思っていない。儲けが出るほうが奇跡だ。画像を無断にいただくのはあまりにも悪いからリンクを貼らせてもらうだけのことである。

 リンク作成の方法はかなりめんどくさい。私は画像がほしいだけなのだが、amazonにリンクしようとするとHTMLをコピーして貼りつけなければならず、ここには画像はついていない。また、いちいちASINコードを探してこなければならない。いつの間にかいちばんかんたんなリンクなしのコピーですませてしまうことが多くなりそうだ。

 アソシエイトにはジャンル別ベストセラーリンクやキーワードリンクなどがあってこれは楽で、けっこう重宝するかもしれない。みなさんも黒の枠で囲ったamazonの広告を見たことがあると思うが、それである。私のサイトにもいくつか貼ってみたので探してください。

 これからは著作権を気にせずに本の画像が入れられると思うので、どんどん入れてゆきたいと思う。やっぱり本の画像はあったほうが数段きれいで、見栄えがよく、魅力的に見える。amazonさまさまである。あ、たまにbk1からも借りることがあるが、こちらのほうはリンクが貼れるのかな。

『天皇家はなぜ続いたのか』 梅沢 恵美子


020278840000[1].jpg天皇家はなぜ続いたのか―「日本書紀」に隠された王権成立の謎
梅沢 恵美子
ベストセラーズ 2001-06

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 かなりおもしろい。天皇家誕生にまつわるさまざまな謎をスリリングに解いてゆき、つぎつぎとページをめくらなければ気がすまない推理小説ほどのおもしろさがあった。

 天皇家というのは素朴な疑問として平氏や源氏、豊臣、徳川のような権力者があらわれてもずっと存続し、幕府と権力を二分してこられたというのはずいぶん奇妙な話だと思う。時の権力者はなぜみずから天皇を名のらなかったのだろう?

 著者はその理由は天皇家は祟る存在であったからだといっている。神社に祭られている神は祟る存在であるから鎮められなければならない。原初の天皇がそのような祟る存在であったことを著者はつぎつぎと解いてゆく。天皇のルーツは悲劇に彩られ、呪い、祟る存在として歴史に怖れられなければならなかったのである。

 日本の歴史のはじまりを神社伝承や神社の祭り、浦島伝説、考古学などから解いてゆき、この展開はまったくスリリングであり、説得性があり、鮮やかである。とくに神社伝承や伝説からさまざまな名前の人物が同一人物であることを解いてゆくのは驚きである。

 『古事記』や『日本書紀』が抹殺しようとした歴史は、藤原氏の政敵であった物部氏や蘇我氏といったヤマト建国の豪族たちの活躍を隠蔽することだったようだ。

 古代史しろうとの私としてはさまざまな登場人物が出てくる上、多くの見解や話に飛ぶので頭がこんがらがる部分も多く残ったが、北九州の征伐にむかった神功皇后(=トヨ)がヤマトに裏切られ、死んだのだが、その後疫病や飢饉がつづき、祟るものを鎮めるためにその息子の神武天皇が立てられたということである。天皇は神のように祟り、怖れられる存在だったから長く系譜が維持されたということだ。

 古代史の謎解きとしてはべらぼうにおもしろい本だが、天皇家の存続の謎の部分としてはやはり日本の通史も検討しなければならないだろう。源氏や徳川家などはなぜ天皇をつぶさなかったのか、祟りの伝承だけで守られるなんてことはあるのか疑問がのこる。でも天皇家創立の謎解きは興味が尽きないものである。


『ファスト風土化する日本』 三浦 展


4896918479ファスト風土化する日本―郊外化とその病理
三浦 展
洋泉社 2004-09

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 いまや地方のほうが消費バカ天国になったと指摘する本である。そしてジャスコのある地域にはなぜか犯罪の多発を見出している。

 地方のロードサイドには大ショッピングセンターやファーストフード、ファミレスなとが並ぶ、どこにでもある画一的な風景がひろがっている。もはやのどかでのんびりとした田舎の風景は幻想でしかなく、固有の地域性がうしなわれた画一化したロードサイド・ショップがならぶばかりである。

 この三十年間は大都市の中流社会を地方に実現しようとめざしてきて、完成したのが、地方の画一的な風景であり、消費の天国であり、そして地域性の崩壊である。もはや地方は消費にしか楽しみを見出せず、退廃の兆しは激しいのかもしれない。

 地方は総郊外化したわけなのだが、郊外が病理的なのは人の働く姿が見えず、消費と私有の世界しかないことだ。郊外というのはまったくぞっとするところだ。人の働く姿がまったくなく、理路整然とマイホームや道路は区画されているのだが、人の生き生きとしているところやなまなましさがまったく払拭されており、生き物としては死んだ町も同然である。そんなところで子どもが育ってゆくと、目標や希望、労働観がまったくはぐくまれない。

 生業の風景は住宅地にとりもどされる必要がある。住宅地だけを隔離して分離したところで子どもが育つと、大人の働き、生産するすがたがまったく見えず、実社会の現実の姿とまったく切り離されてしまい、消費とメディアしか知らない、労働という大人に一番必要な活動を知らずに育つことになってしまう。消費することのみで育ってきた子どもが将来生産の場で役に立つことができるのだろうか。郊外の隔離はまったく病理を含んでいるといわざるをえない。

 郊外というのは消費と享楽の場であって、子どもはとうぜんの延長として将来はフリーターやニートとして育ってゆくのである。いや、そうなるよう育てられたとしかいいようがない。


『オニババ化する女たち』 三砂 ちづる


オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す
三砂 ちづる

4334032664

 女性も自立するのもいいけど、女として生きることも大切だと説いた本であり、現在の仕事とお金さえあれば異性も人間関係もいらないという女性の風潮に釘を刺し、あまりにも自立にふれ過ぎた振り子を戻すにはいい機会になる本だと思った。

 女性は女として生まれたのだから性生活や出産のような女性にそなわっている身体をおろそかにすべきではないと説いており、独身街道まっしぐらに進む恐れがある女性には参考になるのではないかと思う。

 現代の女性は自分の身体の要求やありようを無視しすぎており、たとえばむかしの女性は月経血をコントロールできたり、出産を病院以外の自宅でおこなっていたということや、性生活をもつことで女性としての身体を満たすことの必要性などが説かれていたりする。

 これは商業化や専門家の弊害が、自分の身体を忘れさせているのだということだと思う。生理用の商品や病院への依存により、女性は自分の身体というものにどんどん向き合わなくなり、身体にそなわっているはずの知恵が忘れ去られているのである。お金でサービスがおこなわれる社会は、自分の身体の知恵を無能にしてゆく危険があるのである。

 この本でセックスのすすめものべられているが、性道徳もあるのだからむずかしいのではないかとも思った。女性の性はいまでもあいかわらず商品である。商品価値を愛という規範で守っている。性が商品でありながら、自由を楽しむのはむずかしい。女性の自立か依存の度合い如何によって性道徳も変わるだろう。それまでは女性の身体の要求もなかなか満たされない時代がつづくかもしれないが、経済とはいつだって人間性を無視するものだ。

 現代にいちばん忘れられている重要なことは、人間はそもそも世代をつなぐために生まれてきたということであると思う。生命のバトンタッチが生命あるものの最大で最優先の目的であるはずなのに、現代ではなぜか「自分を生きること」、「自分の人生を楽しむこと」が最優先になっている嫌いがある。「自分」ばかりなのである。

 「子どもをつくること」、「子孫をのこすこと」――そういう人生の使命を世間はもっと再認識するべきだと思うし、やかましくいうべきであると思う。消費やレジャーや自分を生きること、仕事が人生の目的というのは大きな過ちだと思う。

 私は思うのだけど、人生は砂のようにこぼれてゆくばかりで、時間を喰い止めることはできず、せいぜい子どもに生命をたくすことでしか人生の存続を果たせないのではないかということだ。一個の生命はあまりにもはかなく、短いのである。慰めは子孫というかたちでしか得られないのだと思う。

 自分の生は生命をつなげるための人生であるということを、現代人はあまりにも忘れすぎている。生命の鎖であること、その鎖が外れたらもう後はつづかないことをあまりにも知らなさ過ぎる。物語や伝承、説話としてあまりにも耳に入ってこない。そういう伝承がこの社会には必要ではないのかと自分自身への反省も含めて、私は思う。

 「子どもを生み、育てること――それだけが人生の目的である」と捉えることは、無益なものをたくさん欲望させられるこの現代消費社会において重要なメッセージではないかと思う。


『日本古代史「記紀・風土記」総覧』 新人物往来社


4404025963日本古代史「記紀・風土記」総覧―古事記・日本書紀・各風土記から探るジャンル別古代史事典!
新人物往来社 1998-02

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 ひさびさに最後まで読み進められなかった本(雑誌)である。古代史のいろいろなことが事典として載せられているが、いまのところ歴史は推理形式でないと楽しめないのかもしれない。事実羅列はおもしろくない。


『九州水軍国家の興亡』 武光 誠


4059010464九州水軍国家の興亡―古代を検証する〈1〉
武光 誠
学習研究社 2001-03

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 朝鮮や中国から文明がつたわってきたとするのならより早く九州に国家ができるというのはとうぜんの話だと思う。その国家のなかからどの国がヤマト国家をつくっていったのだろうか。宮崎県の日向からとなっているが、有力な国家、伊都国や奴国などは北九州である。だから逆に日向の国家は瀬戸内海や近畿に目を向けられたのだろうか。九州甘木市と奈良の地名の多くの一致があるが。

 この本は中国江南からの航海民や九州の航海民、玄界灘の国々が紹介されているが、さして興味は魅かれなかった。


『日本超古代史が明かす神々の謎』 鳥居 礼


4537025689日本超古代史が明かす神々の謎―「古史古伝」が告げる日本創成の真相
鳥居 礼
日本文芸社 1997-06

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 買ったときにはわくわくしたが、読んだあとにはがっくりきた本だ。『記紀』より太古に存在する古代文献から超古代史を探るという本で、トンデモ本でもいいからすこしでも太古の有益な歴史がわかればいいと思っていたのだが、やっぱりトンデモ本にしか属せないものだなとがっくりきた。

 日本の古代の歴史といえば、天皇家が編纂した『古事記』と『日本書紀』しかないのだが、とうぜん時の権力者が描かせた歴史書なんか信頼できないはずである。たとえていうならヒトラーやスターリンやポル・ポトが歴史書を書いているようなもので歴史がどんなに歪められるかわからない。

 そもそも時代が違うといえ、自分たちの祖先を神にするような人間が信頼できるわけがない。いまならイカレた新興宗教家のたわごとに一蹴されるだけである。

 ということで『記紀』以外の古代文献の存在はどこかに残っていてほしいと思うのだが、この本にとりあげられている『ホツマツタエ』、『先代旧事本紀大成経』、『竹内文献』、『上記』、『富士文献』などはかなり後世の偽作の可能性が散見されたので、かなり信憑性が薄いように思われた。

 歴史のトンデモ本というのは想像力や期待の飛翔を誘うのでまあ楽しめると思うが、イエスやモーゼが日本に来ていたという話にまでなると、あまりブッ飛びすぎていて、もうすこし疑いにくい偽作をつくってくれたほうがわくわく楽しめるじゃないかといいたくなる。古代文献にはかなり強い知の楽しみがあると思うのだけど。


『消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)』 神 一行


消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)―記紀の謎を暴く
神 一行

消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)―記紀の謎を暴く

 もし天皇家以前にヤマト王国を築いた大王が存在し、天皇家がそれをひた隠しにしていたとするのなら、それを暴くことができればたいそうスリリングな話になることだろう。

 この本は神社の伝承からそれを探ってゆくたいへん興味魅かれる本である。神社に祭られている神(つまり天皇や大王)は『記紀』が隠そうとした真実をいまにつたえているかもしれないのである。

 饒速日という大王は出雲から大和入りし、葛城山麓に王朝を築き、のちにやってきた天皇家より絶大な権力や崇拝を誇っていたようだ。後世の天皇家はその事実を歴史から抹殺しようとしたが、各地に散在する神社はぬぐいきれない痕跡をのこしていたというわけである。

 天皇家より先に広大な地域を支配する大王が存在していたというだけでもたいへん心躍る話である。古代史は謎だらけだからあれこれ推測する楽しみがある見本のような本だといえるだろう。


消された王権・物部氏の謎―オニの系譜から解く古代史 神武東征の謎―「出雲神話」の裏に隠された真相 崇神天皇とヤマトタケル―三王朝交替の謎を暴く 継体天皇の謎―古代史最大の秘密を握る大王の正体 壬申の乱の謎―古代史最大の争乱の真相
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ブログにしようかな。


注)2004/11/14記す

 このHPをブログにしようかなと迷ってます。まあ、だいぶ前にもいいなと思ったことはあるのですが。

 ブログのいいところは読者の声がすぐ届くトラックパック機能があるところと、デザインが整理されていてきれいなところだと思う。

 このHPはホームページ・ビルダーV8で作製されていて、文章の行間を離すことができなくて読みにくいことと、文章の列が長く表示されることに難を感じていました。ブログの文字はすこし小さいですが、読みやすいと思います。

 HPに掲示板を設けることはためらいつづけてきましたが、ひとつのテーマや項目にトラックバック機能がつけられるのはだいぶいいと思います。掲示板はHPの内容があまり反映されないような気がするのかもしれません。

 参考までにブログのリンクです。
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 まあ、まだ検討中ということです。HPをつくりはじめたときからどうしてブラウザからHPをつくれないのかと思っていましたからブログはいい形だと思いますが、あまり型にはまった形式になりすぎるのはいやだし、ブログ機能には融通が利かないところがあるような気もするし、ホームページ・ビルダーにもいい機能や使い勝手の良さもありますし、迷っちゃいます。トラックパック機能がかんたんにつけられたらいいと思うんですが。

 このHPは開設してからおそらく7周年になると思います。7年もつづいているHPなんてそうないんじゃないでしょうか。もう老舗だね。でも7年にしてはアクセス数が伸びないですが(さみしィー)。

 HP作製は私の楽しみですから、たぶんこれからもつづけてゆくと思います。趣味やテーマの変遷があまりにも激しいためについてこれる人は少ないかもしれませんが、私は自分の興味のおもむくまま読書と知の探索をつづけてゆくつもりです。わが道をゆく〜。



神の舞い降りた葛城古道をゆく


CIMG0004.jpg 奈良(御所市)のほうから見える金剛山。この山麓にかつて王国が築かれたのだろうか。
CIMG00292.jpg 神が舞い降りたとされる高天原の神社へとつづくかなり樹齢の古そうな大木の道。
CIMG00303.jpg 高天彦神社。神話の地はここなのだろうか。
CIMG00433.jpg おそらく秋津洲のあたり。天皇が「島のようだな」と詠んだところ。山の向こうはたぶん飛鳥である。
CIMG00541.jpg 葛城山が前方に迫る。役小角が修行したとされるいわくつきの山。
CIMG00701.jpg あたりはまっ暗になってしまった一言主神社。たしか神話にあった天皇とそっくりな格好をしていた神だったと思うが。


近つ飛鳥風土記の丘にいってきました。


 奈良の飛鳥にたいして葛城・金剛山系を越えた河内側のほうを近つ飛鳥とよぶそうです。古墳群がたくさんあったり、緑豊かな自然があったり、素朴な場所です。


CIMG00032.jpg 風土記の丘にはこんな古代の円墳がたくさんあります。原始的というか、のちに巨大化する古墳よりまっとうな気がしますが。
CIMG00124.jpg 風土記の丘から見える河内方面の景色。
CIMG00231.jpg 葛城山系の自然がのこされた景色がひろがります。すばらしい緑でした。いつもは大阪市内から遠く霞んで青白く見えるだけですが、近くから山肌が見えると思わず感動します。
CIMG00432.jpg 推古天皇稜です。田んぼの中にぽつんとあって古代から大切に守られてきたんだなあと思いました。はじめての女帝です。
CIMG00511.jpg 石垣がむき出しになっている二子塚古墳。こちらのほうが推古天皇の墓だと地元にはつたえられているそうです。岩の隙間から石棺が見えて生々しかったです。
CIMG0058.jpg 小野妹子の墓です。ヘンな名前だから覚えている人は多いと思いますが、ほんとに本名なのですかね? イモですよ。天皇側に名前を改竄されたのか、それともイモは悪い言葉ではなかったのか。(妻ですよね)
CIMG00612.jpg その墓から見える景色で、葬られる場所としてはとても心地よいところでした。


『都市は他人の秘密を消費する』 藤竹 暁


408720264X都市は他人の秘密を消費する
藤竹 暁
集英社 2004-10

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 ほう、そうか、都市が探偵小説を必要とするようになるのかと感心した本である。都会人は探偵的・推理的人間にならざるを得なくなるのである。

 都市が発達するとおおぜいの人が流入してきて匿名性が増し、知らない人だらけになる。そういう密集地では探偵のように人のことを見分けたり、瞬時に推理したり、判断して行動しなければならなくなる。だから探偵小説や推理小説は流行するというのである。

 ニュースやワイドショーの発達もそうである。他人の秘密を読み、行動を読み解くことで、自分の行動も律しなければならない。こうしてうわさ話やゴシップは都会人の必要な情報となるというのである。

 都市はどんどん大きくなる。そして隣の人も街行く人も知らない人ばかりになる。われわれはどう考え、どう行動し、どう世間を渡っていけばいいのかわからなくなる。探偵小説や推理小説、ニュースやワイドショーはそういった不安をやわらげる役割を果たすというわけだ。

 私は推理小説とかほとんど興味がないのだが、社会学はたいそう好きである。やはりこの都会の中でどう生き、行動すればよいかわからないからだろう。

私は読書ばかりしていて、たまに自分が行動するより観察ばかりしていると思うときがある。人生の当事者であることからあまりにも逃避しすぎているきらいがなきにしもあらずだ。探索はあくまでも手段であることを忘れないようにしよう。


私が小説より新書・学術書が好きな理由


 講談社現代新書がデザインを変えた。おもちゃみたいな簡素なデザインになってがっくりだ。 講談社の新書はデザインがおしゃれで、凝っているつくりがひじょうに気に入っていたのだが、こんどの新デザインはなんだ。

 まあ、新書は中身が勝負だからシンプルであるのが王道であるのだろうけど、やはり装丁や表紙の印象が本の好き嫌いのいくらかを左右するので、新デザインはひじょうに残念なことだ。

 新書の出版社数はほんとうに増えた。私が本屋に行く楽しみの一つに新書の新刊を見ることがある。読みたそうな、興味が魅かれる新刊に出会ったときにはたいへんうれしい。思わず「おーっ」と思ってしまう。

 新書の出版社はいぜんは岩波、中公、講談社くらいだったのが、いまはちくま、PHP、文春、洋泉社、集英社、新潮社、光文社、平凡社と盛りだくさんになった。おかげで新刊を楽しみにしたり、本を選ぶ楽しみが増した。

 新書は学術書や専門書の入門書や概説書がメインであったと思う。いまは出版数が増えたので、問題提起的なエッセーに近い本もだいぶ増えたと思う。新書内部での問題圏みたないものができあがりつつあるのかもしれない。新聞みたいに事件や事故を中心にあつかう下世ネタよりだいぶすばらしいことだ。世論というのは時事問題より、こういう世界から広がるべきなのだ。

 でも新書のような専門書を読む人は増えているのだろうか。私がちまたの人に本の話をしようとすると、たいがいは小説の話になる。みんな本といえば小説と思う人が多いらしく、専門書や学術書が視野に入っている人は少ないと思う。

 書店に平積みにされる新刊はたいがいは小説の文庫本だし、ネットの書評ページの多くも小説である。新書や専門書のみの書評ページというのはやっぱりあまり多くない。新書を読む層というのは増えているのだろうか、どのような層なのだろうかと思う。

 小説や物語はやっぱり人気がある。学術書が好きな私としてはうらやましい。小説を読んでいたほうが一般受けするんだろうなと思う。

 でも物語でものごとや世界を認識するあり方というのはどうなんだろうかと思う。物語は物語世界という現実社会とちょっと違う視点をつくりだすし、現実社会の構造や形相といったものを照射するわけではないし、物語のヒロイックなあり方や物語的な感受性や情緒をつくりだしてしまうと思う。

 なんていうか、私は世の中をドラマや物語の情緒で捉える感受性はあまり好きではないのである。ヒロイックな捉え方はあまりにもナルシスティック、自我肥大的であると思う。もう少しごりごり論理的・客観的・冷徹であるべきだと思うのである。ドラマは自己の客観性をあまりにも見失いやすいのではないかと思う。ヒロイックな自分が恥ずかしい。

 といっても私も十代や二十代ころまではものすごく物語が好きであった。マンガに映画にドラマに小説と物語ばかり見たり読んだりしていた。そういうときには新書や学術書は興味がなかなか向かないし、だれがいったいこんなカタブツそうな本を読むのだろうかと思っていた。そういう物語の養分が必要な時期というのがあるのだろう。思考や認識の成長の一環なのだろうか。

 ぜひ多くの人に新書や学術書に興味が向くようになってほしいものだが、こういう本というのはどうやったら読みたくなるものだろうか。専門書への興味の向き方というものが多くの人にはセッティングされていないだけの話だと思うが。

 学校で習うものといえば、たった教科書一冊のみで、ほかの専門書を読む方法や展開法というものを教えてもらわなかった。こういう技術こそを学校は教えるべきだと思うのだが。よくたとえがあるが、魚ばかり食べさせて釣りの方法を教えてもらわなかっということだ。

 専門書を読み進める方法というのは疑問や好奇心を継続させることだと思う。これはなんでだろう、これはどういうことなんだろうという好奇心を、本一冊の中につぎつぎと見つけてゆくことで、関連書をつぎつぎに読みたくなるものである。そういう読書の活用法というものが備わっていなかったら、本はつぎつぎに読みたくはならない。

 思い出せば、私もこういう興味の引き出し方を学んだのは、手塚治虫のマンガだった。ガイドブックのようなものをもっていれば、つぎつぎと手塚治虫のほかの著作も読みたくなった。遠くの本屋まで探しに行ったり、ほかにはどの著作がおもしろいのか調べたりして、関連書をつぎつぎと読んでゆく方法を学んだように思う。そのころの経験がげんざいの読書の方法に活かされているのである。マンガもバカにできない。

 新書のほかの学術書といえば、文庫には講談社学術文庫とちくま学芸文庫がある。この新刊も私は楽しみにしている。文庫といえどもちょっとお高いが、学術書が文庫本で手に入るのはたいへんありがたい。ちくま学芸文庫なんか最新の思想家をとりあげたりして、思わず驚いてしまう。これからも良著に期待したいものである。


『物語消滅論』 大塚 英志


4047041793物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」
大塚 英志
角川書店 2004-10

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 80年代後半にイデオロギーが氷解したあと、物語の因果律が社会を支配するようになったという指摘はたいへんに興味魅かれるところだが、この大塚英志という著者はあまり社会学的な視線ではないのか、なぜか私の好みから外れる。

 あまりにも自分や自分の思考に執着しすぎるというか、これをおたくの特質というのか、自分ひとりだけの穴を掘って満足している気がして、私には意味が了解できないところがたびたび出てきて、言葉についてゆく気をなくすのである。

 「物語消費」やグインサーガのような虚構の物語に埋没する時代を指摘した点にはたいへん興味を魅かれるのだが、この人の探索の仕方、文章の追及の仕方がどうも私の肌に合わないみたいである。

 こういうこともあるが、「大きな物語」の終焉のあとの時代を描こうとした本は、ほかに読んだ記憶でも、ずいぶんと不透明な印象しかのこさないようである。


『消された王権・物部氏の謎』 関 裕二


消された王権・物部氏の謎―オニの系譜から解く古代史
関 裕二

消された王権・物部氏の謎―オニの系譜から解く古代史

 天皇家より先にヤマトを支配していた物部氏周辺の疑惑をスリリングに解いてゆく、あちこちに謎の仕掛けのある推理小説のような本である。

 私は古代史はほとんど知らないのだが、どうも天皇家が描いた『日本書紀』にはいろいろなウソがしかけられていて、天皇家に不都合な歴史を抹殺しようとしていたらしい。その装飾を解いてゆくのがこの本のおもしろいところである。

 私にしてみれば、なぜ天皇家が書いた歴史書でしか古代史を知ることができないのかと疑問に思うが、ほかに歴史書はないのかと思うが、まあそうなっている以上は仕方がないというものだろう。

 まあ、天皇家というのは物部氏が築いた王国を盗み取るようなことをしたらしいので、それを歴史書から抹殺し、自分たちの正統性を知らしめる歴史書を書いたようなので、後世の私たちは歴史の真実はどのようなものだったのかと頭を悩ませるようになったらしい。ほかに歴史書がのこっていないのがたいへんに悔しいことである。


神武東征の謎―「出雲神話」の裏に隠された真相 古代史の秘密を握る人たち―封印された「歴史の闇」に迫る 継体天皇の謎―古代史最大の秘密を握る大王の正体 消された大王 饒速日(ニギハヤヒ)―記紀の謎を暴く 大化改新の謎―闇に葬られた衝撃の真相
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『お金に「正しさ」はあるのか』 仲正 昌樹


お金に「正しさ」はあるのか
仲正 昌樹

お金に「正しさ」はあるのか

 貨幣についての本というのは魅力的な問いかけがないとなかなかおもしろくならない。貨幣はあまりにも身近にありすぎて、問いかけの必要性があまり感じられなくなってしまうからだ。つまり謎や疑問を長く維持させる問いがほしいわけだ。

 この本はそういう意味では深い興味を示させる問いかけはあまり感じられなかったといえると思う。ただ、ファウストやドラキュラ、村上春樹の『海辺のカフカ』などを分析の対象にしたあたりはおもしろい。ドラキュラが貨幣の支配欲の象徴とも読めるという指摘はなるほどと思った。

 いちばん印象に残った言葉は、世の中にはさまざまな価値観があるが、貨幣というのはその均衡を保つための有効な尺度を提供するメディアであるということである。均一化、画一化できる尺度が貨幣によって生まれたわけだ。

 だが、はたして人と人の価値観が同じ尺度で測れることなどあるのだろうか。自分の価値観を見つけたら人の価値観などにまどわされたくないものだ。つまり「売れる」「高い」「金をたくさんもっている」だけで、ものごとの判断なぞしたくないものである。他人の価値尺度と関係のないところで自分の価値基準を生きたいと私は思う。


「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 「みんな」のバカ! 無責任になる構造 日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界 なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論 ポスト・モダンの左旋回
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『日本海道 西・東』 芸術新潮編集部


150106.jpg日本海道〈西〉
芸術新潮編集部
新潮社 1986-09

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4106019388日本海道〈東〉
芸術新潮編集部
新潮社 1986-09

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 私は日本の各地のことをあまりにも知らなさ過ぎる。しかし市街地にはあまり興味がない。どこでも同じように思う。自然の景観に魅かれる。市街地以外の山奥や海浜にもたくさんの村や町があることにいまさらながら驚いている。

 そういう自然に囲まれた人びとの暮らしや営みを見てみたいと思うのだが、旅行というのは金がかかりすぎる。観光というのもあまり好きではない。空しかったりする。

 ということでせめて日本の各地の写真が多用されたこの本をながめてみることにした。とくに日本海側の町を連ねたことには、廻船が日本の主要な交通路だった時代を思わせ、往時を偲ばせてくれる。

 東巻には富山、糸魚川、新潟、酒田、津軽などがとりあげられ、西巻には出雲、城崎、若狭、能登などが歩かれている。いろいろな町があり、風景があり、歴史がある。やっぱりじっさいに行ってみないとな。

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心理主義化社会を警戒せよ。

『この人と結婚していいの?』 石井希尚 新潮文庫 
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男と女のすれ違いの名著。

『菜根譚』 洪自誠 岩波文庫
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人生の達観した名著。

『正統の哲学 異端の思想』 中川八洋 徳間書店
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民主主義と平等が自由を抹殺する。

『自己コントロールの檻』 森真一 講談社選書メチエ
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衝撃の心理学批判の本。