『図説大坂 天下の台所・大坂』 脇田 修
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こちらは江戸時代の大坂の様子をビジュアル的に表現した本である。現在の大阪は江戸時代からつながっているんだなと感じさせられる。中之島や堂島、道頓堀、船場、道修町などの繁栄はこんにちまでつづいている。
大きく変わったのは人々のファッション、そして船から車や鉄道などの交通である。とくに私は大阪の海や河川を船が行き交っていた風景に憧れる。いまの大阪の河川や海はほとんど注目されることもなく、打ち捨てられたさまを見せているが、かつては大きな賑わいを誇っていて、人々の暮らしの中心となっていた時代もあったのである。河川が輝き、人々や船がひしめきあっていた時代というのを見てみたいものである。
『難波京の風景』 小笠原 好彦
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難波京についての本だが、古代の大坂の様子がよくわかる興味のつきない本である。
大昔の大坂は内陸まで海がはいりこんでいて、小高い上町台地がわずかに陸にあがっているくらいだった。難波京が築かれたのは淀川と大和川が合流した難波津の近くの交通の要衝だった。大坂は古代から港町として発展し、平城京や平安京はその奥地にきずかれたのである。
古代の大坂の海岸線や河川、湖などは現在の大阪からは想像できないかたちをしていて、存在しなくなった時間というものに茫然とさせられる。歴史というのはそこにあったのだが、いまはもう存在しないものに対する不安や好奇心を味わうことだと思う。存在しなくなった時間というものをつかまえようとする試みである。かつては存在して今はもう存在しないものに人はなにを見出そうとしているのだろうか。
『日本地図から歴史を読む方法』 武光 誠

このような地図から歴史を読む本というのはもっとたくさんあってほしいのだが、ほとんどないのが残念だ。
江戸と京、大坂の発展の理由、城下町や港町などが地理から読みとられていて、こういう試みはたいへんおもしろいと思う。土地の歴史を探ろうとすれば、農業や産業、交通などの状況も知らなければならなくなり、もっともっと掘らなければならないと思うのだが、このジャンルの本はあまり盛隆を誇っていないみたいだ。
歴史といえば、いまも天下人史観・英雄史観ばかりで、私はあまり好きになれない。歴史の主役というのは農業や産業、経済だったはずだと私は思うのである。英雄史観というのはウルトラマンや仮面ライダーなみのヒロイズムだ。
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『景観から歴史を読む』 足利 健亮
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風景を知的に楽しむひとつとして歴史地理というのがあるそうだ。景観の歴史を知る試みである。書店にはこのジャンルの本はあまりないのでこの本は歴史地理を知る上での貴重な本である。
平安京はどのようにつくられたのか、信長はなぜ安土に城を築いたのか、秀吉の首都の構想、ため池の謎、地名の解釈など、歴史地理学の仕事を教えてくれる。
おもしろいと思う。なぜこの土地は発展し、栄えたのか、この土地はどのような歴史を刻んできたのか、ということを地形や地理から知ることは楽しいことだと思う。ただ、なかなかそういう本はないのである。観光や旅行、登山が盛んなのだから、こういう興味はもっと広がっていいものだと思うのだが、現地にいってあ〜楽しかったで終わるようではインテリジェンスがない。学問や勉強というのはこういうことから楽しむことだと思うのだが、現在の学校教育はそういう知の楽しみを多くの人に伝えられていない。
『日本の都市は海からつくられた』 上田 篤
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ひらがなの多用といい、ものの考え方といい、ものを根本的に考えようとする梅棹忠夫ににていると思った。啓発されることの多い本である。
日本の都市は海や川の水上交通の要所から栄えた海洋都市的性格をもっている、山や森は漁民や航海者たちにとって目印や命綱となることから神として祭られるようになった、生ものを食べるのは世界中でも日本くらいである、日本は中国や朝鮮からおおくの文明を学んだはずなのだが、木造だけは手放さず、執着しつづけた、など当たり前すぎて気づかないことに気づかせてくれる記述に満ちている。
『街道で読み解く日本史』 宮田 太郎
![]() | 街道で読み解く日本史 宮田 太郎 by G-Tools |
街道というのは人々の暮らしや経済がわかる道である。天下人の歴史ではなく、庶民の足跡が残る歴史である。なにが運ばれ、どんな人があつまり、なぜその町は発展したのか、といったことなどが街道からわかる。
でもこの本の街道の多くは記憶に残らない。現地の街道や宿場町にいけば興味がわくのだろうか。自分が知っている場所やゆかりのある土地でないと記憶に銘記されないものなのだろうか。なにかが足りない。
『年収1/2時代の再就職』 野口 やよい
年収1/2時代の再就職
野口 やよい

子供が小さいうちは家庭にいたいという女性の願望は叶えられなくなりつつあり、生活のために働かざるを得ない女性たちの現実が拡大しはじめている。夫の収入だけでは生活費をまかなえず、しかも女性の再就職先は半数以上が非正社員である。
家庭をもっている若い人、これから家庭を持とうとしている人すべてに読んでもらいたい注目すべき本である。若者が家庭や子供をもつことの現実が如実にわかる本だ。
これからの若者はもう家庭も子どもももてないのだろうか。女性は専業主婦になるより働くほうが私は賛成だが、この過酷な企業社会で女性が働きながら子どもを育てるのはますますハードになりつつあると思う。
戦後の企業社会は子育てという機能を女性一人に囲わせ、企業社会から切り離したおかげで経済機能を高めることができたのだが、不況によって男の給料を下げてきたのだから、専業主婦も働かざるを得なくなり、家庭や子育てという放棄した責任と向き合わなければならなくなっている。
企業は家庭や子育てという無視すればよかった社会責任の一面を担わなければならなくなったのである。経済か、社会か――この少子化社会では選択の余地はないはずなのだが、おそらく舵取りはおこなわれず、このまま社会の家庭や子育て機能は壊滅してゆく一方になるだろう。経済総動員国家は子どもの再生産という機能に復讐されるのである。人間らしい生き方ができない国家は人間という種にいつか仇を打たれる。
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『街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩』 司馬 遼太郎
街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩
司馬 遼太郎

私はハイキンクで関西の山々を登ることが多いのだが、風景や土地を知的に楽しむというのはむずかしいと思う。風景論なのかな、地理歴史なのかな、なにがいちばんふさわしいのかよくわからない。風景論はあまりないし、歴史にあまりのめりこむのは好きではないし、歴史を知ってその場所に行っても空しさがある。
『街道をゆく』はTVでやっていたこともあるが、この本で私の方向性が定まったわけではない。地理歴史にいきそうだが、どこまで追究できることやら。
司馬遼太郎は近江に行くのがクセになっていたと語っていたが、たしかに近江八幡あたりの水田風景というのはなんとも美しいところだし、琵琶湖の壮大な風景というのは狭苦しい都市に閉じ込められた者には解放感をあたえられるものだ。奈良は古代のロマンがあるところかもしれないが、飛鳥はあまりにものどかな田園で、奈良は神社仏閣以外はあまりにも中途半端な田舎にしか思えない。
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『地名から歴史を読む方法』 武光 誠
地名から歴史を読む方法
武光 誠

これはおもしろいかもしれない。地名というのはまったくあてずっぽうに名づけられたのではなく、その土地の状態や人々の営みによって名づけられたのであり、いまは亡き歴史の痕跡をかならず残している。現在の地名から過去や歴史を解き明かすのはひとつの推理小説やサスペンスなみに楽しいものである。
地名には自然地形から名づけられたものや古代朝廷、武家社会、幕藩体制から名づけられたものもあるし、もともとの地名が漢字の使い方によって読み方や意味を変遷させているものもある。なるほどと唸らされる。
地名の歴史の本を読んで自分の地元の気になっていた地名や変な地名、身近な地名の歴史や由緒を推理できるようになれば楽しいものだと思う。
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『古代史紀行』 宮脇 俊三
古代史紀行
宮脇 俊三

歴史史跡をめぐる旅である。歴史紀行の興味は大ざっぱにいってふたとおりあると思う。歴史上の興味から現地をたずねたくなる興味のわき方か、現地に行き、あるいはなじみがあって歴史に興味がわくばあいである。私は歴史をあまり知らないので後者の興味のほうが強い。この土地はどのような発展や暮らしをしてきたのだろうと知りたくなるのである。
しかし強烈な歴史の興味はない。その土地の歴史を知ったところでどうなるということではなし、史跡の歴史を知ること、由来や由緒を知ることになんの意味や充実があるのだろうと、ときに空しくなるからだ。歴史的場所をたずねることの疑惑や空しさにいつもつきまとわれる。せいぜい歴史のリアリティを喚起するていどにすぎない。
そういう私にとってこの歴史紀行は歴史への興味のなんらかの手助けになるかなと思って読まれたわけだ。あの場所はそういう歴史があったのかと知ることはひとつの楽しみであるが、だからなんなのだという疑惑から私は離れられない。歴史に酔いたくない、空想の郷愁に染まりたくない、という意識もあるのである。
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『恋愛結婚は何をもたらしたか』 加藤 秀一
恋愛結婚は何をもたらしたか
加藤 秀一

『性現象論』などの注目したい本を書いているから読んでみた。
「恋愛を通じた自我の目覚めとは、国民国家という大いなる<全体>の一部分であることの自覚でもあったのだ。このように、誰もが内面的かつ私秘的なものと思いこんでいる恋愛が、実は個人を国家に短絡させる言説上の回路であり続けてきたという事実は、私たちに苦い教訓を与えるものだろう」
この一文は恋愛とは国家主義であるという瞠目すべき指摘をおこなっているのだが、内容的にはよくある明治・大正期の恋愛観の変遷や優性思想との結びつきがのべられていて、核心にはなかなか届いていないと感じた。
恋愛というの1940年体制の名残りなのか、国家総動員体制の動員力なのか、といった疑惑は重くて深いものである。この問いかけはぜったいに忘れたくない。恋愛というのは戦時体制システムなのだろうか。ロマンティックな幻想に溺れてはいられない。
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大阪の水運の歴史に注目したい
ある土地になじみがあったり、行ったことがあれば、好奇心や愛着がわき、その土地についてなにかを知りたくなる。それはいったいどんなことなのだろう。風景のここちよさを感じさせる原因であったり、その土地の文化風土であったり、または産業、歴史になったりするかもしれない。
土地への興味はどんな知識がいちばん満足させられるのだろうか。この問いにいまの私は四苦八苦している。書物を探しているのだが、風景論はあまりにも貧弱だし、よくある手としては歴史だが、はたして私の求めている問いはこれで正しいのか、土地の歴史を知ることに果たして意味はあるのか、という疑問がきざす。
土地の歴史を知ることになんの意味があるのだろうか。なじみのある土地はとくに歴史を知りたくなるものである。でも知ったとしても「はあ、そうですか」で終わってしまう気がする。
思索を趣味とする私としては知るだけの楽しみではあまりにも物足らない気がするし、疑問を解こうとしてもあまりにも知識量が貧弱すぎるからできない。地理歴史についてはただ写すことしかできないから、記述するだけの文か、感嘆文しか書けない。これでは私の思索の名目がたたない。
まあ、とにかく大阪の歴史について私が知りえた範囲の興味のわく事柄をピックアップしてみよう。あくまでも感想文ベースです。
大阪というのは大昔までは平野のほとんどに海が入り込んでいて、上町台地が陸に上っていただけだった。天王寺や谷町線、帝塚山を西に行くと大きな坂があるが、ここを境に海に面していたわけである。住吉大社が海に面していたというのは意外だが、祭っているのは海の神であり、いまでもまわりの地名も海に関係する浜や江、津などがのこっているのである。
五世紀ころには海の名残は淡水域となるが、生駒山や天王寺あたりまでの湖になる。一山越えた奈良盆地に大和朝廷が生まれるのは納得できないわけではないが、堺や和泉のほうにはなぜ王朝はうまれなかったのか。地図をみると和泉のほうはため池だらけである。肥沃な土地ではなかったからだろうか。行基の関係する橋や池が多いが、この人は仏教者だったのか、社会事業家だったのか、不思議な存在である。役行者も千年の時をへだてて大阪付近の山岳に名を散見するが、活躍の全貌を知りたいものだ。
古代から江戸時代までは水運がひじょうに重要だったから、河川の存在は村や町の栄える大きな要因になったと思われる。淀川や大和川は現在の鉄道や高速道路のような輸送のための重要な道だったのである。モノやヒト、情報は河川によって運ばれてきたのである。
ここで疑問に浮かぶのが奈良への大和川より、京都や琵琶湖への淀川のほうが水運としてはひじょうに適していたと思うのだが、どうして大和川のほうが繁栄したのだろうか。都は平城京から難波京にも移ったことがあるが(港に近すぎるのはダメだったわけだ)、京都の平安京に千年以上とどまったわけである。時代を先駆けた大和川流域と淀川流域の違いはなんだったのだろうか。
げんざいのわれわれは鉄道や車によって陸路が物資の輸送の主役だと思いがちだが、昔の人にとっては水路のほうがかなり重要であったと発想の転換をしなければならない。河川や海、港、島は漁民のものだけではなく、多くの日本人にとってひじょうに重要な主要な交通路だったと考えることが必要だと思う。海や川からの日本の歴史や町の発展を考えなければならない。山やご神体は航海者のランドマークだったとの説もある。
大阪が発展したのは「水の都」といわれたように河川や水路が発達していたからである。江戸時代には日本中の貨物が大阪に一度はあつまってきた。大阪は河川や堀をじょうずにつなげることによって全国の物資のターミナルとなり、発展したわけである。
安治川や八軒家は三十石船や菱垣廻船、樽廻船で埋め尽くされたという。川辺は蔵や商家、飲食屋や宿屋でにぎわったことだろう。淀川や中之島、道頓堀などにたくさんの船が行き交った往時のすがたを見てみたいものである。いまの大阪の河川には見る影もない。だんじりや祭りをするのなら、大阪の河川じゅうに船をいっぱいめぐらせたほうが壮大で歴史が楽しめると思うのだが。
げんざいの大阪の河川は埋め立てられて土地に橋や堀の名をわずかにとどめていたり、高速道路の下によどんだ水をたたえていたり、ビルのために人の目から遠ざけられていたり、だれも見向きもしないものになっている。私は川が船でにぎわい、人々が物見遊山に出かけたような時代がとてもうらやましく思う。川はもっと人の愛されるべき場所であっていいのではないかと思うのだが、役に立たなくなったものはまったく見向きもしない機能性重視のつまらなさを思う。風景を楽しむという高雅な江戸時代の精神はまったく失われてしまったのか。
大阪の海岸線はどんどん伸び、埋め立てられ、コンビナートがつくられ、いまでは自然の海浜のすがたをしのぶこともまったくできなくなっている。まったく陸になってしまった難波津や住吉津のすがたを見ることはできないし、かつては砂浜や松などの樹木がしげった海の様を、現在の海岸線からはほぼ想像もできないようになっている。機能性や経済性ばかりの思想は、こんな貧困な風景にあらわれ出ているのである。
私が水運に注目するのは、河川や港の歴史をつなげれば大阪や関西の全体像がつかめるのではないかという期待からである。鉄道や道路が現在の街の繁栄を規定づけているように、水運がむかしの日本の街や港の繁栄や発展を規定づけてきたのではないかと思うのである。そこから歴史がよりつかみやすくなるのではないかと思うのだが、地理史というか、郷土史というのは資料が多いのか、少ないのかよくわからない。図書館には多くても、ふつうの書店にはあまり見つからない。探しあぐねている状態である。
さいごに律令制下の大阪府区分について記しておきたい。げんざいの大阪市内は西成郡、東生郡、住吉郡の三つからなりたっていた。西成が大きく、難波や大坂の地名はない。摂津国にふくまれていた。堺はほぼ大鳥郡とよばれ、ゆらいは大鳥大社であったと思われる。堺=境のゆらいは仁徳天皇陵のある三国ヶ丘から摂津、河内、和泉が見渡せたとの話である。和泉国にふくまれた。河内国には渋川郡、若江郡、河内郡、茨田郡、交野郡、石川郡などげんざいにも地名をのこす名称がある。
山登りから見えてくる関西
大阪平野から京都、琵琶湖の航空写真。(宇宙航空研究開発機構から)大阪から山を登ろうとするとたいていは電車で一時間以上かかり、平野や市街地の果てまで行くことになる。山登りとは人の住む市街地の際限を知ることであり、人の交通をさまたげてきた山塊の存在を知ることでもある。
人はたいてい平野に住む。山にはあまり住まない。山は人の行く手をはばみ、人々の交通を遮断し、人々が住むことを拒んできた。人々は山の合間に存在する平野に固まって暮らすことになる。そういう地形に規定されて生きてきた人の暮らしが、山にじかに登ることによってよくわかるようになった。人は都市では自然を克服したかもしれないが、山や地形を克服したわけではないのである。
山や平野のあり方によって人々は住む場所を規定されてきた。関西なら大阪平野や奈良盆地、京都盆地といった平地におおくの人が住んできた。山は巨大な壁やへだたりとなって人の住む場所をおさえこんできたのである。
都市や市街地に住み、おおくの用事を都市のみで果たす人にはこの関西ですらおおくの山地に囲まれていることに気づかないだろう。兵庫にしろ京都にしろ奈良、和歌山のほとんどが山地なのである。都市や市街地がおおくを占めるのではなく、山地がほとんどといったほうがいいのである。関西の大部分が山地なのが現実なのである。都市に暮らしている人はその現実が見えなくなるのではないかと思う。
人はまずは海辺や川辺に住み、川をさかのぼり、山に行く手をさえぎられ、そこに定着し、あるいは谷や峠をこえて山の向こうにある平野や盆地を見つけ、定着し、またはつぎの歩をすすめただろう。
大阪は瀬戸内海の行き止まりにあり、2000年前ほどは内陸のほとんどが海がはいりこんでいた。いまの大阪城や住吉大社まで海は迫っていた。にしても大阪には平野があったのだからさいしょの統一王朝が海岸沿いの大阪ではなく、一山越えた奈良で生まれたのはなぜなんだろうという疑問がうかぶ。
古代から江戸時代にかけて水運はひじょうに重要だった。水運なら奈良につながる大和川より、淀川のほうがひじょうに適していたと思うのだが、なぜ奈良なんだろう。淀川なら琵琶湖まで通じているし、淀川王朝という存在があったのならなぜ全国制覇できなかったのだろう。奈良はうしろを山々に囲まれているから防御が固かったからだろうか。海側を生駒、葛城山脈に守られ、うしろもおおくの山脈に囲まれ、自然の防塞のようになっていたからだろうか。都は大阪にはおちつかず、北上し山々に囲まれた京都盆地に移ったのもやはり防砦面からだろうか。いまではすっかりのどかになった田舎の奈良の山々を登っているとそういう疑問がわき出てくる。
山登りは風景や自然を楽しむだけではない。コースをたどっているとさまざまな民俗や歴史と自然にふれることになる。祠や石仏、神社や寺などが山にはほとんどいっていいほど見かけられ、一昔前の歴史をさかのぼったり、歴史の冷凍庫をかいまみるようなものである。ハイキング・コースとは歴史をたどるルートでもあり、なぜか市街地の歴史史跡より疑問や興味がわくものである。人里離れた山奥だから神秘性やミステリアスが感じられるからだろうか。
また関西中の鉄道や町に行くこともできて、ほかに用がなければ立ち止まることもないだろう鉄道や町にも立ち寄ることができる思わぬ楽しみもある。遊びや買い物なら梅田や難波に行けばほとんど用が足せるし、観光地はその当地の見物しかしないだろうし、山登りだけが関西の地理のいくつかの線を結べるようになるものである。土地の全体像を、まったく不完全ではあるけれども、いくらか結べるようになるのが山登りの思わぬ魅力である。鉄道めぐりの魅力と似ているのだろうけど、それは土地の奥まで足で踏み込むことはないだろうし、山の頂上からその土地をながめられることもないだろう。
なによりも山はその地形や大地とともに生きてきた人の暮らしや営みを目に見える形であらわしてくれる。谷沿いに発達した田んぼや町並み、すり鉢上の谷間にできあがった棚田、頂上から見られる山あいに発達した田園や家並み。その土地独特の地形によりそうように人の暮らしや営みはおこなわれてきたのである。そういう風景を見ていると人は自然の中にこじんまりと住まわせてもらっているという感じがして人間の小ささやかわいさを感じるのである。
関西のたくさんの山を登り、奈良や神戸、京都、滋賀へと行動距離をひろげてゆくと、この町や村はどのように発展し、なぜそこはそのように発展したのか、という歴史が知りたくなってきた。そういう資料は多そうでもあり、なかなか見つからなかったりもする。水運というものが町や村の発展の大きな鍵をにぎっているのではないかと私はにらむのだが、そういう本でも見つけて想像の翼をひろげるのをこれからの私の楽しみとしたい。












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