子供を生み育てられない企業社会


 野口やよいの『年収1/2時代の再就職』(中公新書ラクレ)を読んだ。女性が子供を生んでも働きつづけなければならない時代がやってきたという現実をつきつける本である。

『年収1/2時代の再就職』 野口やよい 中公新書ラクレ
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 妻の収入がなければ家計が破綻するほど夫の収入は頼りのないものになってきている。だから妻はたとえ子供を生もうと収入を絶やすことはできない。せめて小学校入学までは家庭にいたいという女性の願望ももう叶えられないものになりつつある。

 しかし女性の再就職先はほとんどパートか、非正社員しかない。給料は安く、社会保障はなく、解雇の可能性も高い。それでも家計の必要から働かざるを得ない女性たちに選択の余地はない。

 これまで既婚女性たちは家計の補助という名目であったからこそ、低賃金のパートでも我慢できたのだろう。しかしこれからは妻のフルタイム収入は必要不可欠のものになろうとしている。そういう時代に正社員の職は男女ともども少なくなろうとしている。

 女性の賃金や地位が低いのは、家事・育児の負担があるからである。男のようにどこまでも滅私奉公できないから一人前の企業人としてあつかわれない。しかし女性も多くの稼ぎを必要としている。多く稼ごうとすれば、男なみの残業をこなさなければならず、家事や育児ができない。企業というのは人間の再生産を許さないのである。

 これまで子供の出産・育児は女性を労働市場から締め出すことにより解決してきたわけである。男女二人一組で稼ぎと育児を折半し、労働市場の一人としてカウントされてきた。出産・育児はこれで可能になった。そして男は家事や育児のない24時間会社の拘束が可能な労働機械とみなされたのである。男女1ペアになることによって男の労働条件は無限にふくらんだのである。

 一方にこのように滅私奉公できる労働商品があれば、家事・育児の負担がある女性は半人前の労働商品とみなされる。女性やパートの低賃金はこのような理由があるのだろう。しかし賃金の安さから女性の再就職は進み、おそらくは時間内であれば男性と遜色のない仕事をしているはずである。低成長時代に女性は安価な労働商品として増加し、つぎには学生や若者がその低賃金労働商品として労働市場に参入させられるようになった。

 中高年男性は高度成長の恩恵をうけている。収入の伸び率は60年代入社の男性はおおよそ3.5倍になっているが、70年代では1.5倍、95年ではほぼ横ばいとみなすほどになっている。もう若者は給料が上がらないのである。一方、中高年男性は高度成長と労働力不足のため給料が上りつづける恩恵をうけられたのであり、社会保障もしっかりと確保できた時代を生きてこられた。つまりは給料アップや社会保障というのは経済成長が盛んなときだけの「遺物」になろうとしているのである。

 中高年はもうこのまま高待遇を突っ走って食い逃げしてゆくしかないだろう。ただ若者はすでに新しい労働条件を生きてゆかなければならない。賃金は安いし、社会保障も手に入れられないかもしれない。労働と家事の男女一組のペアは不可能になり、男女二人が労働をになわなければ家計が維持できない時代になってゆくのだろう。そのような条件で家事や育児はどう行えば可能になるというのだろう。

 女性は低い賃金や不安定な非正社員の役割をひきうけ、なおかつ家事や育児の負担もあるという苦しい重荷を背負わなければならなくなるのだろうか。働く合間に育児や家事もしなければならず、とてもじゃないけど子供を生み育てることなんてできやしないではないか。専業主婦の存在で可能になった子供の再生産は女性のフルタイム労働が必要不可欠になれば、どのように可能になるというのだろう。子供は保育園で育つのが当たり前の時代になってゆくのだろうか。家庭より人がいっぱいいるところで育つほうが健全とも思えなくはないが。

 女性のフルタイム進出により男性の24時間滅私奉公しなければならない労働条件はどうなるのだろうか。この条件が緩和や禁止されれば、おそらくは女性の給料も男性と均衡がとれてくるだろう。専業主婦のいる男性だったからこそ滅私奉公の労働商品が可能だったのである。このような商品と競合する女性はとうぜん低い賃金に甘んじさせられるだろう。男性には趣味や家事が必要な存在として滅私奉公の労働商品になるのはもうやめてほしいと思うが。

 賃金が減り、正社員が減らされ、社会保障がなくなってゆく時代というのは経済評論家や財界などが予測や指針としてもう10年や20年も前からいってきたことである。そのような時代が現実のものになろうとし、現実の家計を直撃しはじめている。もうわれわれは親のような豊かな時代、恵まれた環境を生きることはできないのだ。

 そうなれば開き直って経済やカネの価値ばかりではなく、自分の趣味や楽しみのために生きる人生を生きてゆこうではないかと私は思う。前の世代は金銭的には恵まれていた分、あまりにも企業戦士やエコノミック・アニマルになりすぎていたのである。恵まれない分、われわれは違った選択をする可能性が生まれたのであり、経済至上主義からの脱却のチャンスだと前向きに捉えたいと私は思う。おカネに恵まれないのなら、ほかの価値を肯定して楽しみながら生きようじゃないかといいたい。他人とカネだけで比べる人生はもうやめようじゃないか。

近江八幡から琵琶湖と田園をながめる


 今日は近江商人の町・近江八幡に行ってきました。緑の田園風景と八幡掘のながめがすばらしかったです。なんとも癒される風景です。


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緑が一面にひろがる水田風景が目の醒めるようにきれいでした。田んぼの緑ってなんだか心が落ち着くんだな。
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琵琶湖ぞいの長命寺に行くには808段の石段をのぼらなければなりません。ひぇ〜。楽でないからこそお寺はありがたみがあるというものです。
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巨大な岩が祭られています。アニミズムや自然崇拝が生きています。近代が未開や呪術的だと断罪しましたが、自然を厳かな気持ちで敬うというのは大切なことだと思います。
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こちらは天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)という巨岩のご神体です。なにか神話と関係があったのだっけ、または琵琶湖航海の目印になったのかもしれません。
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その巨岩から琵琶湖と沖の島がのぞめます。
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豊臣秀次の居城がおかれた八幡山から近江八幡の市街地が一望できます。
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水郷や田園風景、湖などが、緑と水の広大な景色をかたちづくっています。
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手前の山が長命寺があるところで、さいしょにのぼったところです。琵琶湖がひろがり、形の整った田園がならんでいます。
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圧倒されました。琵琶湖の壮大なながめです。自然の大きさを感じました。
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形の整った田園風景がひろがります。この緑の風景はすばらしい。水田がどこまでもひろがる風景は心を落ち着かせますし、大地とともに生きてきた人の暮らしが実感できます。
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集落が田んぼの中にいくつか固まってできています。こういう小さな集落で暮らす人たちというのはやはり都会と違って町の意識が強いのかな、それは好ましいことなのか、わずらわしいことなのか、思わず考えました。
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八幡掘の石畳の道です。古い時代を感じさせます。
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八幡堀の江戸時代のような風景です。なんだか心が癒されます。
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屋形船が堀をめぐります。川が生きている町というのはいいですね。
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小学校の校舎らしいです。近江八幡というのは古い江戸時代の街並みがのこっていたり、洋風の建築が建っていたりと、ひじょうにふしぎなところだと思います。和と洋が混在しています。明治のころのたたずまいを残しているわけなのかな。
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近江八幡はどうして古い建物をいまにたくさんのこしているんでしょうか。古さがカッコよかったのか、ステータスだったのか、それとも時代にとりのこされたのか。おかげで古い町並みがのこされたのはありがたいことですが。


京都・東山をゆく


 きょうは京都・東山トレールをのぼってきました。あまり魅力的なコースではありませんでしたが、京都の写真をお知らせします。


CIMG0003.jpg 伏見稲荷駅をおりると托鉢僧がお経をとなえておりました。こういう姿ってあまり見かけれられないんじゃないかな。
CIMG00062.jpg 稲荷神社の総本山である伏見稲荷大社です。きつねが祭られているということは陰陽道とか安倍清明にかかわりがあるのかな。京都・平安時代とは怨霊の時代でもあったわけです。でも商売繁盛の神様だそうですが。
CIMG00123.jpg こういう真っ赤な鳥居の回廊をひたすら登ってゆきます。神秘的でもあります。おじいちゃん・おばあちゃんがやたらいました。信仰が生きているのか、それとも寺社詣が趣味なのか。
CIMG00391.jpg 山から京都を見ると、京都は山に囲まれていることがわかります。規模はかなり大きいですが、大阪のようには広くない。
CIMG0054.jpg 鴨川のとなりを流れる小川ですが、京都の小川ってなんだか雰囲気がいいんだな〜。
CIMG00571.jpg 京都といえばやっぱり鴨川でしょう。カップルが並んでおります。河原町などの繁華街がすぐ近くにあって、川が憩いの場所になっています。
CIMG00611.jpg 鴨川の川床です。風流ですね〜。大阪も見習ってほしいです。でも夏場はドブ川が匂ってくるよな。



『恋愛の格差』 村上 龍


恋愛の格差
村上 龍

恋愛の格差

 村上龍がほとんどビジネス書か経済評論家のような本を書いている。べつに経済評論家がいえばいいようなことを書いているが、ふつうの人は専門家の本を敬遠するだろうから、こういう小説家というメジャーな人がこのことを語る意味もあるのだろう。小説を読む人はあまりビジネス書など読まないのだ。

 ひところ経済関係でよく喧伝された終身雇用が崩壊するというのはほんとうかと思うようになってきた。ビジネス書というのは世の中の変化をたいそうおおげさに煽り立てる。そうでないと売れないからだ。でも現実はもとのまま大筋では変わらないと見なすほうが、ふつうの人は堅実に生きられるのではないかと思う。マスコミは変化を大げさに煽情するのが宿命だと理解して、われわれは変化のない社会がふつうだと理解するほうが賢明なのかもしれない。マスコミって宿命的にオオカミ少年なのである。

 この本は「恋愛の格差」というちょっと恐ろしくもあり、社会学的なタイトルに興味引かれて読んだ。そうだよな、恋愛ってそうかんたんではないし、だれでもできるとは限らないし、結婚相手を探すことを恋愛だと勘違いしている場合もあるだろう。恋愛を語っていながら経済のことがより多く語られているということは、じつは恋愛のほんとうの姿をよく表しているのではないかと思う。つまり恋愛や結婚というのは経済関係のことなのである。こういう自覚が、ロマンティックラブ・イデオロギーの幻想に酔うより必要なのかもしれない。


ダメな女 人生における成功者の定義と条件 誰にでもできる恋愛 蔓延する偽りの希望 明日できることは今日はしない―すべての男は消耗品である。 Vol.5
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『江戸の旅文化』 神崎 宣武


江戸の旅文化
神崎 宣武

江戸の旅文化

 私はハイキングで関西の山に登ることが多いのだが、これは江戸時代の物見遊山の名所とぴったり重なり合うことを知った。山奥に寺や神社への参詣道も多い。ハイキングとは江戸回帰かもしれない。

 この本は絵や写真が少ないのが残念だが、江戸時代の庶民の姿が知れてまあおもしろかった。

 日本の寺社詣はヨーロッパのように目的一直線でも禁欲的でもなく、寄り道が多く物見遊山をふくみ、禁欲的ではない。参勤交代の道中人員は武士ばかりではなく、宿場ごとに近隣の農村から道中人員があつめられたという。日本の農業は稲作ばかりではなく、畑作も多く、兼業も多くおこなわれて多角経営化されていて、あまり農民とはいいがたい存在であった。

 日本人は江戸時代からずいぶんと旅や物見遊山をたのしんだ貧しいとはいえない人たちだった。伊勢詣など一ヶ月はかかった。現在一ヶ月も旅するスケジュールを空けられる人が働いている人の中でどのくらいいるのか、1ヵ月の旅の費用を捻出する余裕のある人がどれだけいるのか疑問である。寺社詣という名目の制限はあったが、江戸時代の人ははるかに余暇をたのしめたのである。明治の近代国家がはげしく江戸時代を非難して真っ黒にぬりつぶそうとした意味がわかるというものだ。げんざいの近代国家って企業と経済の奴隷に封じ込めようとして、はたして庶民のためになっているのか!


伊勢詣と江戸の旅 江戸の宿―三都・街道宿泊事情 江戸庶民の旅―旅のかたち・関所と女 絵図に見る伊勢参り 旅行ノススメ―昭和が生んだ庶民の「新文化」
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『流通列島の誕生』 林 玲子 大石 慎三郎


流通列島の誕生
林 玲子 大石 慎三郎

流通列島の誕生

 大阪の川をぶらぶらしていたら江戸時代の廻船が行き交った華々しい川の風景を知りたくなった。どうしてこの地は栄えたのか、全国の港のなかでどうしてこの地なのかといったことを知りたかったのだが、この本のさいしょのプロローグのところだけにそういうことが書かれていて、本文のほうはあまり興味を魅かれなかった。地理学のほうに興味がわくんだな。


鎖国 ゆるやかな情報革命 将軍と側用人の政治―新書・江戸時代〈1〉 貧農史観を見直す―新書・江戸時代〈3〉 身分差別社会の真実―新書・江戸時代〈2〉
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『風景を創る』 中村 良夫


風景を創る
中村 良夫

風景を創る

 風景のここちよさを知的に理解しようとするのはむずかしいと思う。なぜこの風景に魅かれ、ここちよいのか、言葉にするのはむずかしいし、また知ったとしてもそれが風景の魅力を一段と増すというわけでもないし。

 この本は写真や名所図などがふんだんに多用されているから魅力的だが、くさびを打ち込むような魅力はないな。


日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代 風景学・実践篇―風景を目ききする 風景学入門 失われた景観―戦後日本が築いたもの 日本の景観―ふるさとの原型
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『日本の地名』 谷川健一


日本の地名
谷川 健一

日本の地名

 この本はそうはおもしろくなかったが、地名の由来をさぐるのはけっこうおもしろいと思う。歴史や住んでいた人、どのような場所であったかがわかるということは快楽でもあると思う。この本が私にとっておもしろくなかったのは自分の地元のなじみのある地名ではなかったからだろう。やはり自分とつながりのある地元の地名の由来を知りたいのである。

日本の神々 魔の系譜 日本人の神 葛城と古代国家 神仏習合
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『心を商品化する社会』 小沢 牧子 中島 浩籌


心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う
小沢 牧子 中島 浩籌

心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う

 心理主義化社会に警鐘を鳴らした『心の専門家はいらない』の続刊である。この本のおかげで私もだいぶ心理学というものに批判的に距離をおいてながめられるようになった。

 心理学というのはある程度詐欺師やペテン師と見なす視線はどこかにおいてほしいと思う。科学的といっても心は実体あるものではないから実証もできないものである。いくらても学説や仮説を創作できる代物である。人々のあいだで評価される権威あるものでも常識的な目で判断してほしいし、権威や専門家の意見だからといって盲目に信じるのはやめておいたほうがいい。心理学の学説に出会ったときの違和感や納得できない感じなどは大切に残しておくべきだ。

 心理学者も商売だからマーケットの原理に従って患者数をふやさなければならない。病者の線引きは一方的に専門家にゆだねられている。一億総病人にしないと心理学者は食っていかれない。そういう論理から心理学を捉えてみる視線はとても重要だと思う。自分は病気かもしれないと脅かされて貴重な人生の時間をムダに費やしてほしくないと思う。心理学は恐怖を煽って設ける商売である。自分は病気かもしれないと心配するより、それは心理学者の恐怖を煽る広告戦略かもしれないと疑うことはこれからとても必要だと思う。悪質な商売を警戒するように心理学にも気をつけなければならない。


「心の専門家」はいらない 心理学化する社会―なぜ、トラウマと癒しが求められるのか 『心のノート』を読み解く 「こころ」の本質とは何か 自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
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『大坂商人』 武光 誠


大坂商人大坂商人
武光 誠


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 江戸時代に大阪の商業がにぎわったのは江戸より大阪のほうが海運上好都合だったからだった。太平洋側の海運は困難が多くて、北海道や北陸の物産は大阪に運んでくるほうが有利だった。ために大阪が天下の台所とよばれたのだそうだ。

 さいきん大阪の川辺をめぐっていてむかしの海運の華々しい時代を知りたくなってこの本を購入した。


『機会不平等』 斎藤 貴男


機会不平等
斎藤 貴男

機会不平等

 格差や不平等がひろがってゆく社会は恐ろしいことでもあるし、ショックなことでもある。その弊害面はずっと見つづけなければならないと思う。

 ただ私はこの経済のぜんぜん成功者でもないけれど、自由主義や金持ちと階層がひろがってゆく世の中はある程度は受け入れなければならないと思っている。そういう格差や階層がひろがってゆく社会でこそ人はがんばったり、やりがいをもったりすることができるだろうし、みんなが平等になろうとしたらたぶん努力や向上心というものは失われ、憧れや尊敬も生まれないと思うからだ。

 格差ができたらぎゃくに人はおのおのの生活圏だけを守ろうとし、自分の満足を追求し、多くの人が国家や社会の行く末を心配するというある意味異常な社会はなくなると思うし、いまみたいにお金や企業などの一元的な価値基準だけで判断する人も減るだろうと思う。平等社会というのはある意味お金での基準のみに人を縛りつけるということだ。

 また平等な社会をつくろうとすることは国家にお金や権力が集中的に集まる機構をつくることであり、政府がますます人の生活や生き方を決めつける社会になんかなってほしくないと思うだろう。

 以上のことから私は市場原理社会は容認したい方向にあるが、このような姿勢は非エリート層の国家権力に従順な心の涵養を助けるだけだという批判がある。みずから権力に従うような卑屈さがある。でも市井の人間が権力には歯向かうことが、批判を商売にできるマスコミ関係者とちがって、どんなに苦痛と損の多いことになるか考えるべきだと思う。

 格差や階層のゆがみや矛盾をまったく無視してもいいとは思っているわけではもちろんない。この格差がどのような社会をつくってゆくのか警戒していたいとは思う。ただジャーナリズムがよくやるように「被害者根性」だけで世の中を見てほしくない。「被害者」はいつも正義であり、利益であるというのはヘンだ。


教育改革と新自由主義 不屈のために 階層・監視社会をめぐるキーワード 国家に隷従せず 安心のファシズム―支配されたがる人びと バブルの復讐―精神の瓦礫
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『山の名前で読み解く日本史』 谷 有二


山の名前で読み解く日本史山の名前で読み解く日本史
谷 有二


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 山を歩いていたらその土地の民俗なり歴史を知りたくなる。でもなかなかお気に入りの本が見つからないのだな。この本はある程度はおもしろかった。

 とくに「一つ目」と金属伝承のかかわりに興味がひかれた。一つ目の妖怪や神が語られるところには製鉄事業とかかわりのあるところが多いという。炉内を見ているうちに片目がつぶれるからであり、一つ目の伝説は製鉄とのかかわりを匂わせるのである。鉄はやはり日本の権力をかたちづくってきたものである。製鉄は山中でおこなわれており、意外に山奥のほうに権力の源を見つけることができるかもしれないのである。

 山はやはり仏教名が冠されたものが多い。また山は死者の昇るあの世でもあった。山名にはいろいろ人の思いがこめられており、この本を参考に自分で読み解いてみるのも楽しいかもしれない。


『哈日族』 酒井 亨


哈日族 -なぜ日本が好きなのか
酒井 亨

哈日族 -なぜ日本が好きなのか

 台湾の日本のポップカルチャー好きな若者たちを「ハーリーズ」と呼ぶそうだ。日本のドラマや音楽やファッションが、かつてのアメリカ大衆文化のように東南アジアの人たちのライフスタイルに浸透しようとしている。

 これはわれわれもアメリカ文化で経験済みだから、ある程度はどのようなものかわかると思う。アメリカの何でもかんでもがむしょうにカッコよく、同じモノをもちたいと思うものである。金持ち文化のカッコよさは理不尽に思うことがある。

 日本はアメリカ文化のような存在になり、どの程度アジアの生活に影響を与えてゆくことになるのだろうか。ただ日本にいると東南アジアの人気というがわからないのがふしぎなものである。人間でもそうだろうけど、憧れる人はよく見るけど、憧れられる人にはあまり興味がわかないものなんだろう。


台湾海峡から見たニッポン 知っていそうで知らない台湾―日本を嫌わない隣人たち 哈日杏子のニッポン中毒―日本にハマッた台湾人 トーキョー熱烈滞在記 台湾―変容し躊躇するアイデンティティ 台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい
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『思想なんかいらない生活』 勢古 浩爾


思想なんかいらない生活
勢古 浩爾

思想なんかいらない生活

 おもしろかった。思想や知識なんか何の役にも立たないと「悟り」にいたった本である。まあ、思想や知識なんてそういう姿勢からかかわり、それでも知的好奇心がとまらないという人が読むものだと思う。マニアなんだから万人に強要したり、序列づけたりするのはまちがっている。

 思想書の中には「繰り返し沸いてきた疑問は、これはだれに向かってなんのために書かれた本なのかという疑問であり、――どこでどう間違うとひとはこんな場所に突入していくことができるのか」というちんぷんかんぷんな本がたしかにある。私もヘーゲルやカントやメルロ=ポンティで感じたことがある。

 私はそういう目に何度か合って、もう自分の興味の向かないものは理解し得ない、読む必要もない本なのだと決め付けることにした。思想に興味がある人は話題や流行の本をすべて理解しなければならないと思っている人がいるかもしれないが、私はもうそういう読み方はしない。自分の興味のあるものしか入れない。

 思想は知的欲求や知的好奇心を満足させるものだけでよい。知ったからといってどうなるものでもなし、ただ知的満足が得られるものだけでいいと思う。役に立つとか、有益になるとか、そういう目で見る必要ない。知識ってそういうものでいいと思う。

 まあ、たいがいの人にとって思想なんかいらないという前に思想なんか存在しないも同然だと思うから、この本はそういう人には必要ないものだろう。思想なんかムダだと知って、そのまま関係ないと生活するか、役に立たないからぎゃくに楽しめると開き直れたらいいではないかと思う。


生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 この俗物が! 女はどんな男を認めるのか―10歳からの男と女の基本 ぶざまな人生 なぜ、だれも私を認めないのか
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『中世人の経済感覚』 本郷 恵子


中世人の経済感覚中世人の経済感覚
本郷 恵子


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 お金はいつの世も大事だ。お金が人の生き方や生活をおおいに規定づけていたと考えるのが妥当である。だからお金から人の世を捉えることはかなり重要だと思う。お金は歴史や政治を動かしてきたのだと思う。学校で教えられるように政治家や歴史人物が世の中を動かしてきたのではない。政治家が原因の歴史なんてぜったいおかしい。


『OLたちの「レジスタンス」』 小笠原 祐子


OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム
小笠原 祐子

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム

 べつに社会学書というよりかエッセイに近く、目新しいことは書かれていなかった。

自動車絶望工場―ある季節工の手記 「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ 管理される心―感情が商品になるとき できれば幸せに働きたい―働く女(ひと)の身の振り方 フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門


山登りとはむかしの日本人を知ることである


 若い人は山登りなんか好まないだろう。都会や消費、マスコミに価値をおき、田舎や自然や山を侮蔑するのがかれらの洗脳された価値観だからだ。自然を侮蔑するのは経済や消費に貢献しないからであり、かれらは経済活動と消費活動に邁進してもらわないと困るのだ。カッコよさや最新のものをもつことを競ったりしていったいだれのために走っているのだろうかと気づくことがあるのだろうか。

 山を登るととうぜん郊外や地方に行くわけだから、都会や都市ではないところにも人がたくさん住んでいて、暮らしがあるという当たり前のことに気づく。日本にもまだまだ都会だけではない田舎にもたくさんの人が住んでいるという常識的な事実にはじめて気づくのである。そういった人たちの暮らしにも興味が向くようになる。

 山奥には神社や寺、祠などがたくさんある。こんな山奥に人の営みがあり、住んでいる人がいるというのは驚きである。驚きとともに神や仏、または自然信仰といったものがまだまだ根強いことを知る。大自然の中ではそういった信仰の気持ちがなんとなくわかるというか、そういう気持ちを応援したくなったり、尊いものに思えてくるから不思議なものだ。

 都会には自然がない。すべて人工物だから崇めたり祭ったりという気持ちから遠くなる。でも山中の自然の中ではその美しさや壮大さに思わず崇めたいという気持ちになったりする。都会しか知らない生活の中ではおそらくそういった気持ちと無縁になるのはとうぜんである。

 山登りというのは電車やバス以外ほとんどお金を使わなくていい。頂上に上ったり、帰りの駅やバス停までのコースをたどると、一日のほとんどが爽やかな森の空気や山の展望を楽しみながらついやされることになる。けっこう充実した一日の使い方が、あまりお金がかからずに過ごせるのはありがたいことである。

 でも山に登ってもほとんどが中高年ばかりで若い人はほぼいない。女性のグループが多く、夫婦で登っている人や老齢に近い人が多い。なぜこういう人たちが集まるのだろうか。若い人はとうぜん都会と消費を好むからだろうし、中高年は消費が嫌いなのか、または女性は花々や植物が好きだからだろうか。このブームはほかの層まで広がることはあるのだろうか。

 私は観光地は嫌いである。観光地というのはヤジ馬根性が強すぎて、姿勢が真摯ではなさすぎると思うのだ。あまりにも情熱が弱すぎるのだ。そんな弱い気持ちで名所なんか見に行ってほしくないと思う。また、なぜか私は感動の気持ちを見知らぬ人と同じ場所で共有するのが嫌いである。都会の感情を共有しないルールに馴染みすぎているからだろうか。

 山というのは鉄道や車がない時代に人々が旅するときにはとうぜん歩いて越えなければならない道筋であった。だからげんざいのハイキングコースはむかしの人たちの道でもあったわけだ。おかげでむかしの人たちの旅は山の風景や渓谷などの絶景や奇勝を楽しめる旅でもあったのである。鉄道や車の旅はそういう楽しみを奪い去った。

 江戸時代のガイドブックの資料を見ていてびっくりしたのだが、ハイキングというのは江戸時代の物見遊山のコースとちょうど重なり合う。江戸時代の人たちは旅や物見遊山を多くなし、タテマエでは神社や寺の参詣を掲げていたが、風景や景色を楽しんだのである。ハイキングとは江戸回帰でもある。

 山登りの楽しみとして頂上からのながめがあるが、私はふもとの町並みや村の風景がながめられるのも好きだ。その土地独特の町並みや村のあり方が、山や川の地形にしたがって形づくられており、どのようにしてこの町はできあがっていったのかと興味がわく。その土地でしかありえない町並みがつくられてゆくのである。そういう景色をながめるのも好きだ。

 むかしの日本人はこうやって野山を切り開いて生活を営んできたのだなとむかしの日本人の姿が想像できていい。山のふもとの町や村はすこし前の日本人の生活の姿を彷彿とさせるのである。

 都会に多くの人が移り住んだのは戦後の高度成長以降で、それまでは大半の日本人が山間や山のふもとに田畑を耕して暮らしてきたわけである。はるかむかしから営々といとなんできた日本人の生活のすがたが、山のふもとの村から薫り立ってくるようだ。

 山登りをするようになって民俗学や歴史、神道学、風景学などに興味がわくようになったのだが、なかなか好奇心を満足させる本に出会うことがない。いったいどんな本が自分の好奇心にいちばんぴったりくるのだろう。本を探しつつも、おそらくはこれからもいろんな魅力を探りながら私は山登りにはげむことだろう。


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