ADSLを始めました。 2004/4/29
4月21日からADSLを始めました。つなぎ放しだからこれまで思いっきり制限されていたインターネットの世界を好きなだけ楽しむことができるようになった。(追加 リンクされているサイトはほとんど存在しません)
課金制というのは使えば使うほどお金をとられるわけだから、私はかなり慎重に接続時間を制限していた。一日一時間以上はしないといったことや電話料金が安くなる夜11時以降ネットをするといったルールをかたくなに守っていた。
だからつなき放しのADSLを始めたときはこびりついていた恐れみたいなものがずっと胸にわだかまっていた。いまでも莫大な電話料金を請求されるのではないかという不安がないわけではない。このつなぎ放しによる怖さの感覚はなかなか抜けないみたいだ。
いまはインターネットの世界を広げようといろいろなサイトを探し回っている。時間が許す限りネットにつなげている。
私がよく見るはずの社会学や批評、エッセイのサイトはいまのところあまり見ていない。これらのサイトはどこまでもつき合っていたいというサイトはなかなか見つからないのだ。たぶん更新がひんぱんではないから読み込む満足度が少ないのだろう。
その点日記サイトは更新がほぼ毎日だから通い甲斐はあるといえる。ただし内容の深みや読む価値はあまりないのではないかという思いがないわけでもない。人の日常を知ることになんの意味があるのだろう、または自分の日常をいろいろな人に見せる意味とはなんなのだろうかと考えてみたら日記サイトとは不思議なものである。
私がよく行くのは日記才人だ。カテゴリ別の分類がありがたい。いまはデジカメを買ったから写真日記や写真のサイトを参考にしたいと思っている。でも写真日記でこれはいいというサイトにはなかなかお目にかかれない。
私は男だから女の子の日常が身近に感じられるサイトなんかがいい。Akemi Lomoというサイトはケータイ写真と一行メモが気楽でいいし、顔を見せているのが好感がある。なぜネットは匿名と顔を見せないのだろう。サイトは自分の内面を吐露するわけだから、不特定多数の人にそのようなことを人はしてこなかったからだろうか。作家やエッセイストは自分の名前で日常を赤裸々に吐露してきたわけだが。
yuhidiaryは幸せなサイトだと思う。写真日記の読者の感想や意見がひんぱんに返っている。こんなにレスが多いサイトはうらやましい。
いつも本気の恋愛事情というサイトは恋愛やセックスを卑猥でも隠微でもなくさらっと冷静に分析的に書いているのがいい。ここはマイぷれすというレンタル日記サイトなのか、カテゴリアーカイブやお気に入りの日記という項目表示がわかりやすくて便利である。
写真サイトというのはなかなかいいのが見当たらないのだが、LITTLE BLUEというサイトのPHOTOのコーナーは一行程度の詩的な感想や表現が描かれているのがとても心地いい。
いいデジカメ写真を撮りたいと思っていたら女性ポートレイトのサーチエンジンポートレートナビを見つけて「マイピクチャ」に保存することにハマってしまった。壁紙にきれいな女の子を設定しようという魂胆だ。女性のきれいな表情を写し取る写真はもちろん感嘆するほどいいが、男だからとうぜん水着写真がほしくなるし、さらにヌードのほうがいいと欲望がエスカレートする。
ネットには自分のきれいなセルフヌードを見せたいという人もいる。商売のアダルトサイトに染まったものではなく、みずからの欲望を契機に裸体をさらすという動機に私は欲望を感じるわけだ。
Stimulative hips -刺激的なオシリ-というサイトは自分のセルフヌードをさらしていたのだが、アドレスがもうどこかに行ってしまった。淫らな妄想日記というサイトはかなり過激で赤裸々なヌードや性描写がある。Natural mode photoというきれいにヌードを撮ろうというサイトもある。
でもネットのセルフヌード・サイトというのは純粋に欲望開示というものではなくて、完璧に商業に毒されている。自分のヌードをエサにアダルトサイトの広告へと誘い込もうというサイトばかりである。だからどこがそのサイトの入り口かわからないくらいアダルト広告ばかりなのだ。たとえば素人・セルフヌード−彩☆のお部屋-トップやちょっぴりエッチな久美の部屋はアダルト広告ばかりで埋め尽くされていて、これは女性の中でこういう方法が確立されているらしく、もしくは風俗産業として成り立っているようだ。商売が動機でない個人のあらわれを楽しみたいと思っている者にはとても残念だ。
でもそのアダルトサイトにひっかかってしまうというのが男のサガというものだろう。極楽ナンパ娘。 GIRLS21PLUS アイドルヌード写真館! デジタル投稿写真館メイン 素人投稿 素人大全集というサイトでヌードや無修正写真の壁紙用の写真コピーにハマってしまった男の私です。まあ人間の行動の動機の多くは性的なものにならざるをえないだろうし、性がなければ子供は生まれないし、人間もこんなにつながっていなかったということで肯定すべきである。
話が飛ぶが、ユニバーサルデザイン出版 ぷりパブは一冊五千円程度で本がつくれるサイトで、いつか私も本をつくろうかなと思っている。このサイトの断想集をまとめたらだれかもらってくれますか。
このサイトはひっこしてからアクセス数がかなり減ったからサーチエンジン登録サイトもしっかりとキープしておかなければならない。サーチエンジン登録ガイド(日本の検索エンジン) ウェブ 交差点-登録できるサイト一覧 サーチエンジンLink1000 - 検索エンジン・アクセスランキングのリンク集 - サーチエンジン一発登録・一発太郎[IPPATSUTARO]などでサイト登録に励もう。
ADSLを始めて一週間程度だが、もっともっとネットの世界やブロードバンドの世界を広げたいと思っている。さいきんハマりそうになったのがライブチャット ガールズオンエアーというライブチャットだ。女の子の部屋でのライブ映像が映っているのがすごくいい。でも知らなかったのがライブチャットは近頃かなり流行っているらしく、有料であり、また彼女らは素人というよりか、お金で雇われているらしいからそういう子と話してもおもしろいものなのかなと思う。ピンサロとなんら変わりはないじゃないか。商売が入っていない関係でないとおもしろくもない。
掲示板とかチャットとかは私はほとんどしてこなかった。自分のサイトにもとうとう掲示板をつくらなかった。人と話したり、つながったりすることより、自分で考えたことを書くことのみが好きだったので、どうも掲示板は抵抗がありつづけたのだ。ご要望があるようでしたら考えますが。
女の子のメル友でもつくろうかなとも思う。課金という制限がなくなったらそういうサイトもいくらでも巡れる。プロバイダと電話料金の課金はほんとうにネットの世界を制限していたと思う。使い放題にならない限りネットの可能性や世界はもっと広がらないと思う。しばらくはネット漬けの日々になりそうである。
大和川上下流紀行
空の広さと川の流れに心が癒される私の愛する大和川の写真です。大阪の都会には見られない青い空の広さや空間の広がり、澄んだ川面の姿や緑の多さに私はたいへん心を癒されています。
デジカメを買ったのでさっそく大和川の河口からあたりから上流のほうまで写しました。癒されるかな?
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大和川大橋から河口へはジョギング・ロードがずっとつづいています。ここには白いウミドリみたいな鳥が群居しています。 |
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阪堺大橋を越えた河口への大和川。広さと深さを増しています。 |
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海へと口を開いた河口です。この先には大阪湾があり、淡路島や四国へとつづいています。 |
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海へと広がった大和川の最河口。ゆるやかに波打った川面が海の近さを物語っています。 |
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上流へと遡った南海高野線ふきんの大和川です。電車が陸橋を越える音が夕方にこだまします。 |
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大和川が大きく蛇行したところです。水面に映った緑の影が鏡面のように反射しています。 |
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吾彦大橋をさかのぼった緑に囲まれた大和川。ホームレスの青テントがぽつんと何年も前からあります。 |
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近鉄南大阪線を越えると小高い土手になっていて、町を見下ろせるとても心地よいジョギング・ロードになっています。 |
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この土手はとても気持ちいいです。晴れた日には空を見上げたいところです。 |
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阪神高速まではこの気持ちいい土手がつづきます。空が澄んだ日は最高のサイクリング日和です。 |
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中央環状線を越えるとふたたびジョギング・ロードになります。前方には特徴ある二つコブの二上山が見えます。 |
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前方の山は左から二つコブの二上山、葛城山、大阪府の最高峰、金剛山が連なっています。 |
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こちらは生駒山系の山々です。この土手は住宅街を下に見下ろせるほどの高さになっています。 |
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柏原市役所まえの大和川岸は広い野原になっていて、とても気持ちいいところです。 |
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石川が合流するところです。江戸時代の大和川付け替え前はこの川が淀川へとつながっていたそうです。 |
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大和川が山へと入ってゆくところです。 |
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大きな岩があり、山の川の表情を見せます。 |
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山の中を流れてゆきます。 |
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山の中で流れが速くなっています。 |
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山を越えてここはもう奈良県です。 |
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大和川の約20Kmの道のりはこのマウンテンバイクが役に立ってくれました。 |
私の本棚写真
■デジカメを買いましたのでうれしで私の本棚の写真を載せます。著名人の本棚の写真を集めた「私の本棚」という本がありましたが、私もやりたかったのです。哲学者や学者の膨大な書籍数を誇る本棚にはすこしは近づいているかな。
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この棚にはクリシュナムルティ、ケン・ウィルバー、ラジニーシ、大乗仏典などのトランスパーソナル心理学系の本が集められています。 | |
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だめ連や日下公人、感情社会学などの本がばらばらに乗せられています。下のファイルは大昔の思索エッセイ集、ノートはいつも使う思索のための断片ノートです。 | |
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下の棚は大乗仏教関連の本が多いです。上にはいろいろ。PHP新書・文庫、講談社学術文庫などの本が並んでいますね。 | |
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ここは私の昔のかなりのお気に入りの本が並んでいます。フロム、オルテガ、フーコー、リースマン、ボードリヤール、レイン、ゴッフマン、ひじょうに感銘を受けた本たちです。 | |
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左上には堺屋太一の文庫本、左中にはニーチェや岸田秀、今村仁司、右の本棚には仏教やキリスト教や自己啓発などの人生についての文庫の名著が並んでいます。岩波です。 | |
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この本棚にはいろいろ集められていますが、ほとんどテーマの集まりはありません。知識論とか社会論あたりかな。ハイキングのガイドブックも何冊か置いています。 | |
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上はチャネリングの本ですね。下はセクシャリティ関係の本、竹内久美子の文庫などがあります。 | |
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ここはボディワーク系の本が多いですね。 | |
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四つある本棚のうちの二つの本棚を見せています。右上からビジネス書、トランスパーソナル系、左には大乗仏教などの棚ですね。 | |
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上は大乗仏教、下はベッテルハイムなどの童話の心理学、マクルーハンのメディア論、あと小此木啓吾の映画論などがあります。 | |
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ここはビジネス書が集められています。ドラッカー、ハンディ、フリードマン、トフラー、堺屋太一、浅井隆のオオカミ少年本などが見えますね。 |
▲以上が表に見える私の本棚の写真です。このほかにはまだまだ本はたくさんあります。この表に見える本棚のうしろには一列本が並んでいますし(つまり二列分並んでいるわけです)、クローゼットにはダンボールにつめこまれた本が7、8箱はあるでしょうか。
本の整理はどうしたらいいものなんでしょうか。捨てるか、ブックオフに売りさばくか、このまま狭いワンルームに残しておくべきか。私はあまり読み返さないタチなんですが、これだけの本を読んでいるんだぞという書棚のハクも捨てがたいし。また書棚から本があふれ出してきました。
ニュースは恐怖を売る
『アメリカは恐怖に踊る』
バリー・グラスナー『アメリカは恐怖に踊る』(草思社)を読んだ。アメリカがいかに恐怖に毒されているかをのべた本だ。犯罪が減っているのに増えているように報じたり、恐ろしい統計ばかりをピックアップし、無害なものは無視したり、ティーンエイジャーや母親がすべて凶悪人のように報じたり、と日本とまるで変わらない恐怖売りの現状が報告されている。
思えば日本のニュースも恐怖ばかりを売っている。若者の凶悪犯罪がふえただの、虐待する母親がふえただの、潜在的な犯罪者としてのひきこもりの増加だとか、ストーカーだとか、医療ミスだとか、ウィルス感染だとか、「恐怖商品」はきょうも私たちの心に釘打ちされる。しかもグラスナーの本にあったように統計上は減っているにも関わらず、衝撃的・感情的な事件が起こるとあたかも増加したように思わされるのである。
ニュースというのは事実を売っているのではなく、「恐怖」を売っているのだろう。人が情報や知識をいちばん欲しがるのは恐怖を感じたときである。恐怖の対策を知りたいときである。恐怖を感じたときに新聞や雑誌はいちばん売り上げを増やし、ニュースの視聴率は増える。
売り上げを増やすためなら恐怖はもっと叩き売らなければならない。減少している統計を無視したり、恐怖させる統計をピックアップしたり、水増ししたりするのはもう当たり前のことなのだろう。恐怖というのは最大最高の営業戦略なのだろう。
「ニュースは恐怖を商売の元手にする」ということをわれわれはいやというほど頭に叩き込まなければならないのだろう。人々が恐怖を感じてくれればくれるほどニュースは売れる。社会の人々が悲観的になったり、絶望的になったり、厭世的になったりとしても、おかまいなしなのだろう。ニュースは売れればいいだけだからである。
ニュースばかり見ている人は「世の中どんどん悪くなっている」とか「犯罪がうなぎのぼりだ」とか、「暗いことばっかり」と口々にいうが、そうではなくて、われわれは恐怖や不安を煽ることによって儲けようとするニュースの手口に乗っているだけなのである。
ニュースは倫理や道徳を問えるのだろうか。ニュースとて商業であり商売である。売れなければニュースは発信できないし、倒産の憂き目すら遭う。恐怖を元手にメシを食う以外ないだろう。ニュース業者の倫理を問えるか。
UFOが出ただの、雪男が出ただの、タブロイド紙をわれわれは容易に信じないだろう。しかし朝日や読売だの四大紙の報道は信じる。うそをついているわけではないからだ。ただ恐怖を煽る報道や情報がより多くピックアップされることを肝に銘じなければならない。商業紙というものはそう義務づけられていると認識すべきなのだろう。自衛しかない。恐怖の水増し分は自分で割り引いて見なければならない。
市場化社会というのはいろいろ産業や人々から恐怖を煽られる社会なのだろう。人々の恐怖を煽ることがいちばんの儲けになることは商売の最低限の鉄則である。医者は病気の恐怖、専門家は無知の恐怖、保険は将来の恐怖、モノを売る商売なら劣等感や蔑視の恐怖を煽るものである。
われわれの社会というのはたくさんの人々や商売から恐怖を吹きかけられ、煽られ、脅され、毒づかれ、汚染されあう社会なのだろう。恐怖は最大の顧客である。吸引力や吸着力もすごい永続的な顧客になってくれる。われわれはたくさんの恐怖を人々や産業から吹き込まれる哀れな商業社会のカモなのだろう。
この社会の仕組みをしっかりと頭に叩き込んでおくことだ。人々はわれわれに恐怖を植え込みたがっている。恐怖がその胸中に花咲けばかれは最大の顧客になる。だからわれわれはこの社会の恐怖というものを割り引いて考えなければならない。われわれが恐怖すればだれがいちばん儲けるのか。だれがいちばん得するのか。この恐怖はだれによって意図されたものなのか。恐怖という感情にはそのような勘ぐりや裏読みが必要なのである。
中でもニュースにはいちばん気をつけるべきである。われわれの世の中の捉え方や日ごろの心のあり方を決定づけるものだからだ。われわれはたいそう悲観的で絶望的で厭世的になっていることだろう。凶悪な殺人や悲惨な事件ばかり知らされてわれわれはたいそうこの世の中への不信や絶望をつちかっていることだろう。でもそれが世の中のすべてではないし、すべての現実でもない。
私たちが見る現実というのは私たちがいつもしているように自分で選べるものだ。悲観的なものばかり見ていると世界は悲観的になるし、楽観的なものを見れば世界は楽観的になる。われわれは絶望的なニュースばかりをいつも頭に思い浮かべているわけではないし、日常の生活の中では絶望や悲観は追いやって暮らすのが健康な人の生活というものだ。ニュースは恐怖を売ることを知って毎日の日常を楽観的に暮らしたいものだ。
私が考えてきたことを考える
私はひとつのジャンルにかかわらずに興味あることを考えてきた。専門がない。ある時期はひとつのテーマにかかわりつづけるが、ある程度の探索が終わるとほとんど興味を失ってしまう。一時期の熱中と埋没はどこ吹く風になってしまう。
いきあたりばったりである。ある本をきっかけに疑問を解くためにそのテーマに埋没したり、日常の関心や考えからテーマを追求しようということになったりする。そのときは知りたい一心でテーマにあった本をむさぼり読んだり、ずっと同じことを考えていたりする。その時期を過ぎると深い関心はなくなってしまう。ある程度の知の満足がもたらされたからだろう。
役に立ったかというと、そうであるものとそうでないものがある。役に立った筆頭はトランスパーソナル心理学、精神世界、大乗仏教だろう。悩みや怒り、悲しみの解決法のこれほどの妙薬はないと思う。
これらが教えるのは怒りや悲しみというのは思考から起こっており、その思考というのはすべて虚構に過ぎない、つまり存在しない絵空事だということである。
人は頭で考えたことや過去のこと、いま起こっていることを、実体あることや現実のことだと思っている。しかしそれは思考や言葉で把握するという一種の虚構でしか捉えられないことだ。考えること、認識することをやめてしまえば、そんなものはなにも存在しないのである。なにも苦しめられるものはないだろう。このことを知っておれば、大きな安らぎを手に入れられる。でもそれには瞑想によって習慣的になってしまった思考の回路を断ち切る習慣を手に入れる必要があるが。
社会現象の意味や分析をおこなう知はたぶんあまり役に立たない。知る、理解する、新しい見解を手に入れる、賢明な知を得られる、といった役得はあるだろうが、即物的になにかの特効薬になるというわけではない。ただ近視眼的な愚かさや埋没さはまぬがれる契機にはなると思うが。
知識は長所ばかりではなく、やはり深甚な害悪ももたらすのを忘れてはならない。知識というのは批判や悪口ばかりに傾く人間をつくってしまい、世界や自分を恨み、呪うという愚かな結末を導いてしまう。さらにはそれが賢明で知的であるという誤解さえ抱かせてしまう。新聞とかニュースというのは「悪口商社」みたいなものになっている。醜い。
また知識は優越心と侮蔑心をつくってしまうし、商業による位階秩序、ヒエラルキーをつくってしまう。知識のない人への見下しや軽蔑を育むのなら、その知はたんなる暴力への欲望にほかならない。知識の専門化はさっこんの心理学に見られるように人々の恐怖を煽り、脅し、商業マーケットの拡大とボロ儲け、地位権力の拡大の道具になってしまったりする。知識への警戒は怠ってはならない。
私がめざしてきた知の探究の大きな柱となると、労働社会からの脱却と感情のコントロールを手に入れること、社会の意味や分析をおこなうということだろう。
労働社会からの脱却はずっとむかしから思いつづけてきたことで、私は二十代をフリーターとして過ごしたわけだが、30歳を過ぎたあたりから求職数が減ることから、これは社会のいうとおりクソまじめに会社に縛られて生きるしかないのではないかと少しは観念してきた。いまはあまり考えないようにしているが、それはどうしても自由をめざすと金や地位や保障があまりにも脆弱になってしまうからで、自由は二十代のモラトリアム期間しか許されないものなのかもしれない。ただこれからは金や保障が得られない時代がやってくるのはまちがいないだろうが。
感情のコントロールは役に立った知識である。悲観的、批判的に傾きがちだった私に目の醒めるような認識や変容をもたらしてくれた。リチャード・カールソンからはじまって、自己啓発やトランスパーソナル心理学、精神世界の本はひじょうに役に立った。
われわれはあまりにも思考や頭で考えることの客観性や傍観性の知恵が手に入れられなくなっている。思考を手放す、感情から距離をおくというコントロール法の知見があまりにも身近に見聞きできないものになっている。科学信仰が宗教の拒否反応をつくり、道徳や心のコントロール知識すら拒絶したためで、これはとてつもない損失と損害だと思う。
社会分析は知の楽しみ自体が目的みたいなところがある。新しい見解や鋭い見方、違ったものの見方を得ることの楽しみがそれ自体の目的なのだろう。若者の脱所有現象、社会生物学や感覚のヒエラルキー、サブカル分析、有料セックス資本主義、消費社会論、大衆社会論、といったものはおもに知る楽しみが大きな目的である。ただもちろん新しい考え方、捉え方は自分の生き方や過ごし方にはねかえってくるのは間違いない。社会を見ながら私は自分の生き方、過ごし方の反省や変更をおこなう。社会とは私の生き方の鏡や基準なのである。
私はなぜ知を求め、本を読み、考えるのだろうか。自分の考えてきたジャンルに連関や系統や意味はあるのだろうか。私はなにをめざしているのだろうか。まだ答えは見出せなさそうである。
私はなにを考えてきたのだろう
私の思索と読書はだいたいある時期ひとつのテーマが決まってそれを集中的に掘り下げるパターンである。いろいろ読んでいるうちにこれを深く考えたいと思うテーマが見つかって本なり思索なりをそのテーマに向かって掘り下げる。
てんで系統だった思索ではなくて、いきありばったりである。いなごの大群みたいなものである。だからテーマとテーマの連関はほとんどない。ひとつのことを専門的にやっているというわけでもない。全体的に見て私はなにを考えたい、知りたいと思っているのだろう。
ということでいまままで考えてきたことおおよその概要をまとめて概観できるようにし、整理したいと思う。連関や系統はあるのだろうか。
恋愛論・性愛論 |
個人的にうまくいかない恋愛のために知ろうとした女性の気持ちのこと、心の通じ合い、性のありようなどを探究した。やっぱり男と女の感情の違い、文化の違いは知っておくべきだろう。 |
| 知識批判 | 思想家や知識人に憧れることによる弊害や害悪を考えてみた。権力への欲望や栄光への欲望、階層秩序の欲望などが知識人から見えるだろう。 |
| 専門家批判 | 商業化・専門化がすすむということは個人のひとりで生きられない無能力がすすむということである。また専門家は個人の不安をあおることによって利益を増進する。 |
| 筋肉感情論 | 感情と筋肉のかかわりについて調べてみた。腹が立つときには肩の筋肉をいからせたり、不安なときは胸や腹の筋肉を固めたり。感情とは筋肉によって起こされるものなのである。 |
| チャネリング |
霊的存在が語るというソートー怪しいものだが、心の癒し方・扱い方、また身体や物質にたいする世界観がものすごい。ほかは排してもこの部分は謙虚に学ぶべき。 |
| 社会生物学 |
おもに竹内久美子の著作を読んだが、社会のありようすべてを繁殖戦略から読み取ろうとする姿勢は瞠目ものである。経済も文化も芸術もサブカルも社会現象も繁殖戦略から読み解くべき? |
| 五感のヒエラルキー | 視覚が優遇され、嗅覚、触覚、聴覚、身体感覚が蔑視・差別される現代。視覚優位によって人間の感覚はどんなふうにゆがみ、身体の喜びや感覚が抹殺されてきたことだろう。視覚優位文明は生の貧困を招く? |
| 童話解釈 |
子供のころに読んだ童話にはどんな意味やメッセージがこめられていたのだろうか。フロイト派、ユング派、歴史学者からのさまざまな解釈と読み方が感嘆と楽しみをもたらす。 |
サブカル分析 |
映画やマンガなどのサブカルにはどんな意味やメッセージがこめられていたのだろうか。読み解くためにはあまりにも学術的成果は少なすぎ。 |
| 民主政治と国民戦争 | 民主政治とは国民総力戦のご褒美にすぎない。国家から保障される人権、平等、選挙権、年金、健康保険などは国のために死ぬ交換があるから保障されているのである。タダでもらえるものなどなにもない。代償はあまりにも大きい。 |
| 終身愛と有料セックス資本主義 | 一人の人に一生の愛を誓うというロマンティック・ラヴとは企業の終身雇用の産物にほかならない。自己犠牲をともなって終身保障は約束される。タダではない。代償は一生分である。近代は女の性が抑圧され、有料になり、男はどこまでも働かなければならなくなった。女はあまりにも高くなった。一生かかっても払いきれないド資産級である。 |
| 華厳経 | 一滴の滴の中に全宇宙があり、一瞬の中に永遠があるという華厳経を理解しようとして、量子力学などにも手をのばしたが、世界はひとつながりの存在であるという理解は得られなかった。 |
| 自己の虚構論 | 「私」も「過去」も「他者」も頭の中の概念や言葉がつくりだした「虚構」である。そんなものはどこにも存在しない実体のないものである。頭の中で仮構されるだけである。頭の中の概念、思考、言葉が存在しない虚構と悟られたとき、大きな安らぎを手に入れられるだろう。頭で考えたことに怯えることはないからだ。 |
| 感情社会学 | 感情は喜びをもたらすと同時に苦悩と苦痛ももたらす。感情はなんのためにあるのか。悲しいときには泣き、楽しいときにはうれしがり、恥ずかしいときには去る、といった社会規範を守らせるために感情の規範はわれわれに植え込まれている。感情という社会制度に管理されないためにこの感情社会学という学問はおおいにこれからの成果が待たれるところだ。 |
| 心理主義化社会 | 衝撃的な殺人がおこるたびマスメディアに心理学者が登場してきた。犯罪が心理学的に理由づけられ、経済や社会、文化に原因が認められず、個人の心のみが悪いという時代が到来した。心理学に心を脅かされないために心理学者の言説には警戒すべきである。心理学者は大儲けで権力者の野望を抱え持つ。 |
| 人間の比較序列の超越 | われわれは人との比較をとおして優劣や劣等、上位や劣位、勝利や敗北の感情を味わう。仏教者はあえてそれらの敗北や劣位を選ぶことにより、比較競争の恐怖を避ける方法をさとしてきた。「愚か者」になれ、「落ちこぼれろ」といってきたのである。心の安らぎはそこにある。 |
| 労働至上主義・会社中心社会批判 | 仕事ばっかりの一生、会社にどこまで奪われる人生――私はそんな社会が一刻も早く終わることを望んできた。せめてそんな価値観が崩れ去るときがいつか来ることを願ってきた。しかしいつまでたってもその価値観が変わることもなく、労働がわわれれの人生を収奪することの反省はわきあがってこない。ちかごろはあきらめ気味である。また食うためには会社に身を売るしかない。怒りと悲しみを捨てがちである。 |
| 漂泊と隠遁 | 中野孝次の『清貧の思想』を読んで欲をもたない生き方におおいに共感をもった。これらの著作群や生き方には共感と安らぎが多くこめられている。『山頭火日記』、洪自誠『菜根譚』、『老子』、『荘子』、陶淵明、西行、一遍――賢者の安らぎとはこれらのなかにあるのだろう。 |
| ビジネス書 | 世界大恐慌の予測にビビり、現代の経済と社会、歴史の関係を知ろうとした。浅井隆、堺屋太一、ドラッカー、日下公人、トフラー、ハンディ。 |
| 大乗仏教 | 思考や自己、認識や世界観の虚構性を知るため。『大乗起信論』、唯識論、華厳経。 |
| トランスパーソナル心理学 | 感情が思考に起因し、思考は虚構に過ぎないことを知りたかった。カールソン、ウィルバー、クリシュナムルティ、ラジニーシ。 |
| 共同幻想論 | 社会の常識や規範、世界観がただの幻想に過ぎないことを知るため。R.D.レイン、岸田秀、リオタール、ニーチェ、竹田青嗣。 |
| 現代思想・哲学 | ただ現代の知の頂点を知りたかっただけ。ポスト構造主義、構造主義、実存主義、現象学。。。 |
| 大衆社会論 | 画一化・均質化する集団を嫌ったため。ニーチェ、フロム、オルテガ、J.S.ミル、リースマン。 |
引っ越しのリンク切れですみません。
2003年の11月にこのサイトは引っ越しました。ガリバー・インターネットというプロバイダが消滅したためです。げんざいはINTERQというプロバイダです。
このサイトにリンクしてくださっているアドレスはほとんど以前の旧アドレスのままです。メールで連絡するべきかもしませんが、リンク設定の変更を申し込むのは少々気が引けるというか、おそらく相手方は面倒くさいと思うのです。読者の方々のブラウザの「お気に入り」のリンク切れはもっと多いと思います。
ホームページの引っ越しなんてするべきではないと思いました。でもアクセス数もなかなかふえないので連絡もしたいと思うし。この場を借りて謝罪とリンクしてくださっている感謝の意を表明したいと思います。
SPECIAL THANKS
@nifty学び社会科学社会学
社会学 社会科学 学び-infoseekディレクトリ
2000.6.10.発行 vol.37 [不思議本大集合 号]
目次 1 浜田省吾 ファンの エッセイ 作品集
artemis synapsis Visitor's Room
namaste-net厳選リンク集
エリシャの泉 link
言論関係のリンク
学びに役立つリンク集
精神世界・神秘関係リンク集
ぼくの輪郭 link
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ぴかちゅ〜の大冒険
貧乏リンク♪











































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