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02 17
2017

右傾化再考

時間の浪費でした――『わが闘争(上)(下)』 アドルフ・ヒトラー

404322401Xわが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)
アドルフ・ヒトラー
角川書店 1973-10

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4043224028わが闘争(下)―国家社会主義運動(角川文庫)
アドルフ・ヒトラー
角川書店 1973-10

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 読む進めるのが苦痛な書物であって、上下巻ぜんぶ読み終えるのに三週間はかかった。

 おそらく上下巻読み通せた人はそう多くないと思われる本で、一時期書店におくことが忌避される世論もあったが、まあ本屋においていても、たいていの人は読み通せず、意味もよくくみ取れず、部分的解釈にとどまる書物に思われるので、書店においておいても無害だろうなくらい苦痛な書物である。

 べつに難解な文章ではないのだが、時代背景や固有名詞の意味が歴史的に古びて通じない部分もだいぶあるので、よくわからないところが多く、こんにちこの本から強い影響をあたえられることは考えにくい。

 わたしにとってもこの本からうることは少なく、十全な解釈をできたともいいがたく、鋭利な洞察眼をはたらかされたわけでもない。三週間もムダな時間を浪費し、ついでにほかの興味も逸せられる状態におちこんだくらいだ。

 ヒトラーはとにかくユダヤ人が嫌いであり、生理的嫌悪感までももっており、あらゆる悪の責任をユダヤ人に押しつけていることがこの本のあちこちから読みとれる。これってもしかしてユダヤ人陰謀論?とも思えたのだが、そこまでユダヤ人嫌悪に陥った理由がよくわからない。

 民族的・人種的な純粋性やアーリア人種の優越性をのこしたいがゆえにユダヤ人を嫌悪したともいえるし、マスコミ産業の多くをユダヤ人が占め、ドイツ国民の破壊工作をしているだの、当時力をもったマルクシズムへの強烈なライバル意識や民主議会への怒りなどさまざまなものが混入して、ヒトラーの中でのユダヤ人嫌悪は最高潮にたっしていたようだ。

 梅毒患者への断種を語っている節もあり、ユダヤ人を毒ガスで抹殺していたらドイツ国民の多くの命を失うことがなかっただの記述も見受けられ、のちの危険な思想はこの本のなかで垣間見ることができる。

 まあ、わたしにとってはこの本を読んだからといって、ヒトラーの秘密や謎を解けたというわけでもなく、ムダに多くの時間を割いてしまったという失敗の意識のほうが強いだろう。

 もっと入門書や解説書から入って、まわりを固めてから読めば読解度もちがっていたかもしれないが、ちょっとのぞいてみましたという読了に終わりそうだ。まあ、ちょくせつにヒトラー自身の思考や考え方の流れにつきそったという部分では、言外の収穫はあるのだろうけど。

 ドイツ本国で70年ぶりにこの本が発売されたというニュースがつたわってきた。ヒトラーのアウシュヴィッツ虐殺は現代社会のへそのような世界観をつくってきた。それゆえにそのへその攻撃による世界観の転覆をもくろむ試みがあちこちで浮上する時代になった。社会というのは、ひとつの制度的寿命というものが70~80年という説を思いおこされる現象である。


続・わが闘争―生存圏と領土問題 (角川文庫)帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)新訳 ヒトラーとは何かユダヤ陰謀説の正体 (ちくま新書 (223))


12 31
2016

右傾化再考

医学の暴走と排除?――『健康帝国ナチス』 ロバート.N. プロクター

4794221509健康帝国ナチス (草思社文庫)
ロバート・N. プロクター Robert N. Proctor
草思社 2015-08-04

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 ナチスは20世紀最大の悪をなしたのであり、ナチスがおこなったことはすべて悪とみなすことはかんたんである。ナチスに近づくことはそれだけで悪である。だけど、ナチスの悪は20世紀世界を規定する「へそ」のようなものになっており、閉塞感の打破をもとめるものがそこへちかづいてゆき、転覆をおこなえる象徴のようなものになっている。

 世界システムのタブーの結び目は、さかさまのものをこの世に現出させるためのスイッチのような役割を担う危険なものになってしまっている。

 この本ではナチスドイツ時代にかつてないほどガン撲滅とタバコ撲滅の運動が盛り上がり、戦後の英米の先進医学がもたらしたものと思われる流れを、ドイツ30-40年代にひき戻す。ではその先進医学はすべて悪だったのかとはいえないわけで、ナチスの絶対悪視の一枚岩的な見方へのゆさぶりをかける。

 著者は科学史家であり、頻出する人名や事柄が専門的になりすぎて、一般読者にはそこまで必要な情報かと思えるほどの詳細さをもっている。そこを省いた要点だけをとり出すくらいの本でもよかったと思うのだけど。

 ナチス時代にはかつてないほどの健康志向が高まり、ドイツの工場の空気と水からアスベストや鉛を除去しようとした。ドイツ国民を不健康や病気をもたらすものから、いっさいを遮断しようとするものである。そしてそれはドイツ国民からユダヤ人を一掃しようという考えと同じ発想である。

 ガン撲滅を誓った国は、「社会のガン」ともいわれるユダヤ人や共産主義者も一掃しようとした。遺伝的欠陥をもつものも『国家のガン」であって、ガン撲滅は国家を病魔におとしいれるものをすべて撲滅しなければならないと考えた。医学用語は人種政策上好ましくない集団の非人間化にもちいられたのである。

 エックス線に不妊の悪影響が認められるようになると、国家に貢献しないものはレントゲンをあてることで断種をおこなえるという提言もおこなわれる。

「病気を排除しようとする努力はしだいに、工場から病人を排除し、病院から病人をなくし、そして時には病人そのものをこの世からなくす動きへと変わっていった」

 ドイツ国民の肉体はドイツ国家の資産と考えられるようになる。そして「おまえの身体は総統のもの」といわれるようになる。「自分の身体をどうしようと自分の勝手」というマルキシスト的概念と対極をなしてゆく。

 1933年には「ドイツ人の遺伝原形質」への障害という名のもとに、「慢性アルコール中毒者」の断種はおこなわれる。断種法はドイツ国民の35万~40万人おこなわれたといわれており、その5~6%が飲酒癖によるものだった。

 禁煙規制は1938年から法規制がはじまり、職場や病院、空軍基地などが禁煙になってゆく。44年には列車・バスの全面禁煙がおこなわれる。タバコは「世界平和の敵」であり、「タバコというテロリズム」「タバコ資本主義」と銘打たれて、「国民の敵」とされた。

 医学論文では肺ガンの三分の一が非喫煙者であったから、タバコだけが原因ではないと認めるものもいた。鉛の粉塵を吸う職業は当時かなりあり、鉛の吸引ががん発生の促進要因と結論づける者もいた。

 アメリカでは1920年代に反アルコール・タバコ運動が組織的におこなわれていたのだが、禁酒法と節煙運動での禁欲への反動が30年代におこった。大衆は根拠薄弱なデマまがいの警告に気づき、医学界からの批判は鳴りをひそめるようになった。もうピューリタンや禁欲主義者のいうことは聞かないという風潮を生んだ。ドイツでは50年代に入るまで節制や禁欲の反動はおこらなかった。

 戦後、反タバコ派リーダーの多くが戦争犯罪人として裁かれた。タバコ撲滅を訴えるリーダーは、同時に心身障害者抹殺の「安楽死計画」を推進しようとしていたり、精神病院の患者の抹殺を要請していたりした。この同時進行だった意味の大きさは考えさせられるものがある。

 医学界のガン撲滅は、不健康者や働けないもの、ユダヤ人などの「社会のガン」撲滅のアナロジーである。まったく同一視、同時進行の事態がすすんでいたのである。身体のガン撲滅と国家のガン撲滅は、手を携えておこなわれた。

 この事態を見るに、医学界の暴走、医学界の狂気化がおこっていたといえるかもしれない。それが国家主義や民族主義、人種主義のイデオロギーと結びついたとき、医学は生命の審判にも手を出してゆくことになる。医学界の断罪はどの程度おこなわれたのだろうかと思わずにはいられない。

 ガン撲滅や健康を叫ぶことは、だれにとっても絶対善や先進の進歩と思われるものである。健康に善なことを推進してどこに悪いことが、不都合があるのかと疑われもしないだろう。

 だけど健康を求めることはぬぐいがたく健康の悪と見なされるものの排除と結びついている。ナチス時代におこなわれたのは、国家の医学である。われわれは医学というものにもっと警戒と不審を抱きつづけるべきなのかもしれない。



精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書)ナチスドイツと障害者「安楽死」計画第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺優生学と人間社会 (講談社現代新書)人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)

01 31
2016

右傾化再考

花盛りの日本礼賛本をどう思いますか?

 みなさんはどう思われるでしょうか。

 日本礼賛本、称賛本、すごい本はここまで出ていたのですね。

 あらゆる角度から、アジアから、ヨーロッパから、歴史から、太平洋戦争から、文化や道徳から、ありとあらゆる日本の称賛や礼賛が集められています。

 ぎゃくに非常事態に思えますね。

 日本の経済大国の凋落はとどまることを知らず、中国の経済大国化は飛ぶ鳥の勢いで、そういう状況の中で、日本の礼賛本、称賛本を山のように日本は量産して、日本人は歓迎しています。

 ひと昔前、日本は欧米にくらべてダメだダメだ、だから日本はダメなんだと山のように合唱していました。そのときは経済的にも技術的にも向上・成長していました。憧れがあったからこそ、みずからを卑下しました。

 いまは転がり落ちる坂に目をふさぐように、日本の称賛、礼賛ばかり浴びるように受けとって、みずからを慰めるしかないようです。

 自尊心や誇りをもつのはたいせつでしょう。欧米にくらべて劣等感とダメ意識ばかり抱いていたひと昔よりよほど健全で健康かもしれません。

 しかしその反対に失うのは、ダメ意識をバネにした向上心や成長欲だったりするのではないでしょうか。

 放漫さや傲慢さは、謙虚な学ぶ心や成長を失わせます。成長はそこでストップするのではないでしょうか。

 この日本礼賛合唱は、のちの日本になにをもたらすのでしょうね。

 ご隠居した老人が自分の自慢話や誇りばかり話して、よそからの称賛やほめ言葉ばかり聞くことを欲して、あとは座して死を待つつもりなのでしょうか。

 まあ、韓国・中国バッシング本、侮蔑本を読むよりマシですか。それともそれは車輪の両輪なのでしょうか。


世界はこれほど日本が好き――No.1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化 (祥伝社新書)JAPAN 外国人が大絶賛した! すごいニッポン100 (TJMOOK)教室の感動を実況中継!  先生、日本ってすごいね日本人のここがカッコイイ! (文春新書)


世界史の中の日本 本当は何がすごいのかだから日本は世界から尊敬される (小学館新書)日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか (徳間文庫)ドイツ大使も納得した、日本が世界で愛される理由なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか (PHP文庫)


世界が憧れる日本人という生き方 (日文新書)イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか (新潮新書)日本人になりたいヨーロッパ人 ヨーロッパ27カ国から見た日本人日本人が世界に誇れる33のこと日本人こそ見直したい、世界が恋する日本の美徳 (ディスカヴァー携書)


イギリスから見れば日本は桃源郷に一番近い国世界が日本に夢中なワケ実は日本人が大好きなロシア人 (宝島社新書)図解 世界に誇る日本のすごいチカラ: 技術、発明、文化、自然、人――ここに“自信”あり! (知的生きかた文庫)日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)


日本礼賛ブームのなぞ―週刊東洋経済eビジネス新書No.100いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力ほんとうは強い日本 (PHP新書)日本の歴史 本当は何がすごいのか (扶桑社文庫)ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!


日本が好きでなぜ悪い!  - 拝啓、『日之丸街宣女子』から思いを込めて - (ワニブックスPLUS新書)日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争 (一般書)日本はなぜアジアの国々から愛されるのか (扶桑社文庫)日本のモノづくり力はやっぱり凄い (KAWADE夢新書)


日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由(祥伝社新書)じつは身の回りにあふれている 日本の「すごい」発明 (だいわ文庫)世界が賞賛した日本の町の秘密 (新書y)今、若者に伝えたい日本の姿―あなたの祖国はこんなに美しい世界が感嘆する日本人 ~海外メディアが報じた大震災後のニッポン (宝島SUGOI文庫)


ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか(祥伝社新書249)ハーバードでいちばん人気の国・日本 (PHP新書)住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち (講談社+α新書)


 つぎにあげるのは、日本論、日本人論の系譜や特徴を分析した学術書ですね。

 これらの日本論の最終章にあたらしい章がつけくわえられることになりましたね。

 客観的・分析的にいまの日本礼賛をどう位置づけるのか、考えたいところですね。

 日本礼賛論に抗して、いま必要なのは、客観性と批判性ではないでしょうか。バランスある見方をしたいものです。


「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー (中公文庫)日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)日本人論の方程式 (ちくま学芸文庫)「日本人論」再考 (講談社学術文庫)


01 01
2016

右傾化再考

2016年、経済的凋落と右傾化勃興のこれから

 あけましておめでとうございます。年頭のあいさつです。



 日本の経済的凋落はいちじるしく、それでも日本国内ではTVで自画自讃の番組が流されている。中韓をバッシングする空気もねづよく、去年はとうとう平和憲法を破る安保法が成立した。

 ひとりの人格としてみると、過去の栄光が忘れらないオッサンが自分を追い抜かそうとする若手を口汚くののしり、自画自讃の自慢話をくりひろげ、暴力的方法で過去の栄光をとりもどそうとするトンデモないオッサンに成り下がってしまっている。なりふりかまわない品位のない下劣なオッサンだ。

 中韓へのヘイトスピーチ、むき出しの憎悪は、たぶん抑えられる市民的成熟はかろうじて日本には残っていると思う。

 問題はこの情報のシャワー、風潮をうけて育った子供の世代がどういった自意識や反応を示すか、その点には不安が残る。バブルも経済大国の自負も知らない世代が、中韓にどのような態度を向け、どういった自負心の勃興をめざすかが、恐ろしい点が残っている気がする。

 経済的復興をめざせない国が、国家的威信を高め、統合しようとしたときに、どういったことが起こるか、左翼的な抑制が効いていた時代から信じられない流れが生まれてきたもおかしくない時代がやってくる可能性はある。

 右翼的傾向のある人が左翼に向ける憎悪や批判は、市民的抑制のタガすらもぶっ壊す危険もひそめていると思う。ウヨ傾向のある人はこれまでの時代を守っていた左翼的抑制それ自体も憎悪の対象に思える。タガが外れた後の時代は、国家的自尊心をむりやりに押しつけ、認めさせようとするむき出しの強制力だけが残るのだろうね。

 高度成長期的ながむしゃらな経済成長のエネルギーはもう日本にはないが、その成長のためにはほかのものをなんでも犠牲にする経済的貪欲心の時代をとおりこし、文化的・心情的成熟をもった余裕は日本にあるはずである。成長期の中国にはない文化的成熟は、日本の自負すべき点である。

 去年はおもに中国人が中心の爆買いが話題になり、観光地にはおなじみの風景になったように、日本は先進国として先行した憧れの対象としてまだまだ健在なのである。経済的順位では凋落したが、この文化的成熟でいかにほかに国に認められるかが、これからの日本の生きる道ではないだろうか。経済的勃興国をおとしめて自負心を慰めるような下劣なアイデンティティではなくて。

 右翼的勃興は経済的凋落を認められないところから生まれていると思う。ほかの価値観やモノサシで承認されればいいのであって、なにもむかしの価値観で認められる必要はない。むかしのモノサシにしがみつくことが、勃興国をバッシングする醜さに向かわせるのである。

 文化的成熟によって後進国の憧れの対象になりつづけるには、高度成長期の成長システムのままの労働システムを解体する必要があるのだが、日本の労働主体の、企業主体のシステムをもっとゆるやかにする動きはあいかわらず、ない。

 サービス業の増加や文化的享受ができる国にするのは、長時間労働や労働の拘束力を弱める必要があるはずなのだが、それに費やす時間の増加の必要性をなぜ認められないのだろうか。ヴァカンスや時間の余裕のあることが、文化的享受、成長のために必要なのではないか。文化的な享受国にすることが、これからの日本の生きる道ではないのか。

 戦後の経済システムはもう70年を超え、制度疲労は限界に達しようとしている。日本はだいたい80年ごとに成長と破壊をくりかえすという社会周期パターンでいうと、次回のカタストロフィーとされる2025年はもうあと9年後に迫ってきた。

 40年で成長し、40年で没落・凋落するというパターンを平成になってみごとにたどっている。前半の40年でムリをして成長した分、風船の空気が抜けるようにみごとに収縮・没落するのである。

 そういう時期に近づくにつれ、みごとに右翼的勃興が生まれてきたのは、判で押す機械的反復装置が、この日本に埋まっているのかと思えるほどだ。

 日本は戦後70年の平和憲法の約束や自負を破って、戦争できる国になってしまった。歴代総理のなかで安倍総理ほど憎く思えた総理ははじめてだ。戦争によってカタストロフィーを迎えるような終末を、日本は迎えてしまうのだろうか。

 戦前のような植民地主義や大恐慌による経済的崩壊といった状況は、現代の世界にはない。それでも日本の制度疲労は、カタストロフィーを必要としてしまうのだろうか。

 あと4年後の2020年のオリンピック時にはカタストロフィーが起きうるのか、起きないのか、見えているころではないだろうか。

 
右傾化する日本政治 (岩波新書)戦前回帰 「大日本病」の再発ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書)左翼はなぜ衰退したのか (祥伝社新書)

2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」China 2049シフト――2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来1500万人の働き手が消える2040年問題--労働力減少と財政破綻で日本は崩壊する日本は80年周期で破滅する

11 08
2015

右傾化再考

日常にひそむ精神医学と障害者抹殺の思想

 11月7日に放送されたNHK「それはホロコーストのリハーサルだった」を見た。

 【障害者と戦争】11月7日(土)、ETV特集 放送決定!(「それはホロコーストの'リハーサル'だった ~障害者虐殺70年目の真実~)




日常にひそむ精神医学の権力

 戦時中、ナチスはユダヤ人虐殺に先駆けて、精神障害者や知的障害者の計画的安楽死をおこなっていたという重苦しくなる内容のものだった。

 これは戦時中の異常事態ではなく、平常時、日常にすでに根をもっている思想と考えるべきものである。

 つまり平常時にすでに精神医学がもっている権力が、異常時に噴出した、顔をのぞかせたものとして、見るべきものだと思う。

 ホロコーストの前触れは障害者抹殺の思想と実行としてあらわれたが、日常の権力にすでにひそんでいるものがあらわれたと見るべきなのである。

 そういう異常事態にあらわれた事態は、ふだんわれわれが暮らしている社会の中で、いつ危険思想に転嫁しないか注意する必要があるということだ。


進化論と優生思想

 この障害者は社会から抹殺してよい、正義だと考える思想は精神医学や医学から生まれた。国家や民族に貢献しない役に立たない人間は社会から排除すべきだ、安楽死させるべきだという思想は、知識をつかさどる専門家から生まれたものだ。

 ダーウィンの進化論の弱肉強食の思想が社会ダーウィニズムとしてとりいれられ、しだいにそれは優生思想として、弱者や不要なものは社会からとりのぞくべきだという思想に転嫁してゆく。それは断種法として結実してゆく。

 国家や社会に役立たたない者は排除してよい、施しを受けるべきでもないという考えは、日本人の中にも主張するものが多いのではないだろうか。生活保護の受給者にはそういった糾弾を向けられる。

 その考え方が延長されれば、優生思想になり、ナチスの障害者抹殺の思想まであと一歩だ。

 戦時中や異常事態だけのキケンな思想ではないのである。ふだんからわれわれが抱いてしまう考え方ではないのか。


知識人の選別・排除する権力

 ここには知識や優秀さをもった人間は、ほかの人間を裁いてもいい、能力や価値を計量してもいい、という知識の権力を背景にした一方的裁断があり、それは学歴によって社会での価値やランキングが勝手に決められるあり方にもあらわれている。

 知識人や教育者は人の価値やランクを推し量り、その上下優劣を決定する能力があるという思想であり、背景である。

 学校はそういう知識の権力によって、人を裁き、人の処遇を決定しまう不気味な権力でないだろうか。


精神医学の権力

 精神医学はほんらいは人を助け、人の困窮を癒すべき職業である。

 しかし精神医学は健康とそうでないものの判別をおこなう権力をもち、常時、評価が変わってゆく思想や学問によって、社会的排除や社会的不適合者を決定・判別する権力をふるっているのではないだろうか。

 精神医学はあたらしい病名やあたらしい精神現象に異常や不適合のレッテルを貼ってゆき、人々のなかに正常と異常の選別をおこなってゆく。精神医学にはつねに社会的異常や社会的排除の権力を担ってきたのではないか。

 それが国家に役立つ、役立たないという基準と結びつくとき、障害者の社会的排除や社会的抹殺の思想へと流れてゆく。

 精神医学の根底にはふだんから、ホロコーストへとむすびつく思想や権力をひそませているのではないか。だから精神医学のあたらしい病名やあたらしいレッテル貼りにはふだんから警戒しておくべきものがひそんでいる。





健康とナチス

 障害者の反対語はなにかというと、健康であったり、健常者である。障害を社会から抹殺しようとする動きのなかでは、健康への増進や奨励もさかんになるという現象がセットである。

 健康が高らかに歌われ、強制されるとき、すでに障害者への攻撃や批判がふくまれているのではないか。


 わたしは未読だが、ナチスと健康にかんしての関連は次のような本が出ている。


文庫 健康帝国ナチス (草思社文庫)
ロバート・N. プロクター
草思社




 ナチスは「「健康は義務である」をスローガンに反タバコ運動や食生活改善運動を強力に推し進めた」という。

 健康で壮健な人間は国家や民族に貢献するということだろう。だからナチスでは健康推進運動がおこなわれた。国民を健康に屈強にするのは、国家の増強とむすびついているのである。

 国民の健康の増進と同時に、障害者排除と抹殺の思想は連動していたことになる。セットでないと活きてこない思想である。


健康と国家の関係

 われわれの時代はどうか。「健康のために死んでもいい」という風潮さえ目立つ時代である。健康の増進や管理がどこからか聞こえてこないだろうか。

 それはわたし自身のメリットや幸福、長寿のために、恵み深いだれかが導いてくれるのだろうか。

 そこには社会の役立つものをもっと増やし、そうでないものは排除してゆく、といった思想がのぞかせているのではないか。それはだれのために増進し、だれに貢献するために啓蒙されるのか。

 いうまでもなく、国家や企業に役立ち、利用できる価値のあるものだけを選別するためである。

 われわれは健康増進の運動をただ無条件にうけいれて喜んでいいのかという懐疑はもたれるべきかもしれない。健康だけをめざしたのではなく、それは不要や価値のないものの排除や選別にもちいられるものではないのか。

 この思想をみずから内面化した健常者たちは、不要や価値のないものの排除に動くという危険な事態がすぐウラにひそんでいるのではないのか。


異常事態はすでに日常の考え方にひそんでいる

 障害者の社会的抹殺という思想は、戦時中の異常事態だけに発生したのではなくて、ふだんのわれわれの何気ない考え方自体にすでにひそんでいるものでないのか。

 もうすでに考え方や心の中で抹殺や虐殺はおこなわれているのでないか。それは健康や正常という選別のなかにすでに根を下ろしている思想そのものではないのか。

 知識や考え方がだれかを選別や判別をし、その人の運命や処遇を決めることができるという思想をもった時点でその権力はすでに発動しているのではないか。

 もうすでにわれわれはそういう思想で人を判別して、きょうもだれかれは使える、使えないといった評価を下しているのでないだろうか。

 その思想が国家や民族の名の下で社会的排除の正当化と正義化の思想を手に入れたとき、ナチスのような異常事態は噴出してしまうのではないだろうか。

 ふだんからわれわれがもっている考え方自体にその危険な事態はすでに内包されているといったほうがいいのだろう。

 だれかを社会的有用や貢献価値で測る考え方を内面化したときからすでに、その異常事態は根づいているのではないだろうか。


人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫)優生学と人間社会 (講談社現代新書)第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺ナチスドイツと障害者「安楽死」計画「生きるに値しない命」とは誰のことか―ナチス安楽死思想の原典を読む

11 17
2014

右傾化再考

あまりにも知らないので一読――『「在日コリアン」ってなんでんねん?』  朴 一

4062723468「在日コリアン」ってなんでんねん? (講談社+α新書)
朴 一
講談社 2005-11-18

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 いつか在日朝鮮人についてはくわしい本でも読まなければと思っていて、この本を手にとってみたが、そういう初心者にとっては政冶的な権利獲得の話が多い本書はあまり興味をひかれるものではなかったかもしれない。まずは在日朝鮮人が生きてきた苦難や差別の歴史を知るほうが先決だっただろうか。

 ヘイトスピーチや嫌韓本があふれる昨今、この本が出た2005年からは状況がだいぶ変わっている。その後、韓流ブームや白昼堂々、コリアンタウンでヘイトスピーチがくりかえされるなど、対朝鮮感情はアップダウンをへている。日本人が民族感情によって自尊心をとり戻そうとすればするほど、日本にいる他民族が浮上してくる。嫌韓本の氾濫によっていっぱんの日本人にどのような感情が醸成されることになるのだろうか。

 この本の冒頭は日本で活躍してきた有名人のうちの在日人をとりあげている。力動山などは戦後日本の復興をささえたのだが、在日人だったのであり、戦後の人たちは日本人を応援していたのだろうかとなる。近ごろでは右傾化に走っていたやしきたかじんのカミングアウトといった例もある。

 芸能人のなかにも多く在日人はふくまれており、芸能という仕事は差別や周辺の追いやられてきた人たちのハングリー精神や上昇志向の受け皿となってきたといえるかもしれない。表舞台に立つ憧れられる人たちは、周辺や差別の底辺から立ち上がってくるというのは、ひとつの図式として定番のものなのだろう。ふつうにのん気に生きてきた人はハングリー精神も競争精神もそう激しくならない。いまは沖縄の芸能人進出もめだつ。

 著者は『僕たちのヒーローはみんな在日だった』という本も書いており、芸能人や有名人の違った面を見れるかもしれない。ヘイトスピーチや嫌韓がさかんになるげんざいの状況をどう思っているのだろうか。

 けっきょく日本人は出自を明かさないと朝鮮人かも区別はできないのである。顔かたちで識別できない。国境とか国人というのはどこを見ても見出されるものではない。人は個人であって、その人となりであって、国家や政治を背負って、毎日や人生をおくっているわけではない。たいてい個人であり、政冶的・国家的でもない、ただの私生活者である。国家や国境のくくりで人を判断するのは、あまりにも「観念的」であり、「現実的ではない」といえるのではないだろうか。

 わたしとしては職業や就職で苦労してきた在日人がどのように苦難の人生を生きてきたかといった歴史のほうが興味をもてたように思える。あまり恵まれた職業人生を送ってきたわけではないわたしにとって、参考と共感ができる歴史と思うのである。

 ヘイトスピーチや嫌韓は、非正規や下流のグローバルな低賃金労働におびやかされる脅威からおこっているという見解があるが、排斥感情がおこるというより、共感や同情の気持ちがわきあがってきそうに思うのだが、どうなのだろうか。

 在日朝鮮人は日本人がやりたがらないような底辺労働でも低賃金で働かざるをえなかったのであり、大正や昭和の労働争議でも朝鮮人がいつまでもあきらめずに闘いつづけたという話も聞いたことがあるし、わたしには排斥感情より、共感のほうがわきあがりそうに思うのだが、違うのだろうか。つぎはこういった朝鮮労働者の苦難の話を中心にした本のほうを読みたい。


僕たちのヒーローはみんな在日だった在日一世の記憶  (集英社新書)在日の耐えられない軽さ (中公新書)韓国のイメージ 戦後日本人の隣国観 [増補版] 中公新書在日コリアン女性20人の軌跡


11 14
2014

右傾化再考

尊厳の回復の道すじを――『ナショナリズムは悪なのか』 萱野稔人



 右傾化は、社会的排除による「尊厳の回復」をめざしているのだという指摘をうけて、そちらの回復の道すじについて考えたくなったのに、基本にたちかえって国家とは、ナショナリズムとはなにかと問う本文はほとんどどうでもよいことのように思えた。

 社会的排除されていった人たちへの尊厳の回復はどうやってなされるか。そちらの問いのほうが気持ちのうえにずっしりとのこった。

 この本はタイトルのとおり、左翼陣営からなされるナショナリズム批判にたいしての根本的な嫌疑をはさむ問いかけになっている。ナショナリズムを批判しておきながら、格差の是正を国家にもとめるのは左翼ではないのか。アナーキズムで国家を否定しても、独占暴力はかならず必要とされるのではないのか。左翼陣営の根拠なき思い込みの根源を問いなおす作業をおこなってゆく。

 さいしょの問いのインパクトに比べれば、そういった問いなどてんで重要に思えない。そもそも日本で軍国主義がそんなに警戒されている理由をまったくすっ飛ばしている議論に思える。戦後の日本の議論の接続がなくて、著者お得意のフランス思想戦隊がいきなり飛来してきた感じw ナショナリズムの立ち上がった経緯、フーコーの近代化論など、さいしょの問いかけに比べて、かすんで仕方なかった。

 「国内経済を保全するというナショナルな経済政策が、国民国家をファシズムに向かわせないためには不可欠なのだ」というのが著者の立場。

 ナショナリズムを生理的に嫌っておきながら、国家に依拠するのはおかしい、ナショナリズムを批判すればするほど経済や尊厳の回復を必要とする人がふえるのではないかといった生理的左翼にたいする根本的な懐疑。「他者性の抑圧」を道徳的に非難しても問題がズレていますよという指摘。まあ生理的に反発するのではなくて、足元をもういちど見直してみようという提言。

 いや、やっぱり社会的に排除されたり見下げられてきた非正規や地位低下に苦しむ人たちの尊厳や自尊心の回復はなにによってなされるのか、そちらの問題のほうが気になって仕方がない。おとしめられた尊厳という問題を軽んじてきて、ナショナリズム批判だけに傾きがちだったわたしにインパクトを与えてくれた。


民族とナショナリズム定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)監獄の誕生―監視と処罰



11 12
2014

右傾化再考

近代国家は郷土愛ではない――『愛国の作法』 姜尚中

愛国の作法 朝日新書
愛国の作法 朝日新書
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姜尚中
朝日新聞出版 (2012-08-01)


 この本でいちばんおどろいたのは、ふるさとの郷愁といったものが祖国への愛ではないと言い切ったことである。

「日本国憲法の「国家」とは、「憲法の定める統治の基本秩序」を指しているのであって、それ以前の裸の美しい国土とか文化、伝統ではないのです」



 郷土愛の延長に国家があるのではないと姜尚中はいう。

「近代の国民国家は、まさしくそのような「パトリア(郷土愛)」の連続的な拡大を切断するところではじめて成立したのです。

ナショナリズムは…「故郷離脱(エグザイル)から生まれたのです。つまり、「ナショナリティとは、自分に生をあたえ育んでくれた故郷のふところへ戻ることを、もはや容易に夢見ることができないときに生じる」(アンダーソン『比較の亡霊』)ようになったのです」



 基本的に国を愛する、国を思うといえば、審美的、情緒的な言葉でいろどられた国土や文化、伝統などをいったりするのだが、近代国家はその切断から生まれた契約のものだというのである。

「生まれた故郷への愛は、「祖国への愛」を含むものではないのだ。祖国には、自分が見たこともなく、したがってまた何ら幼少期の思い出に結ばれてもいない町や村のすべてを包含しているからである」 ミヘルス



 郷土愛や里心は戦意高揚の障壁や厭戦気分になることが多く、国民的連帯を破壊し、家族的エゴイズムが国策遂行の障害になることも多かった。

 ロマン的な自然国家ではなく、契約された人口国家こそが、近代国家なのである。この違いを強調するのは、国土や文化の美しさを語るどこかの総理大臣を揶揄していることはいうまでもないことだろう。


 ほかに戦死者が社会的相貌をはぎとられ、善性や無垢な性質を付与させられてしまう批判や、フロムを援用し、自由を放棄し、強大で永遠的なものの力と栄光にあやかろうとする社会心理を批判している。

 パトリアから切断されたナショナリズムといったものを、どれだけロマン主義な愛国心への批判として活用してゆけるのだろう。


比較の亡霊―ナショナリズム・東南アジア・世界新しい国へ  美しい国へ 完全版憲法論 : 【付録】ワイマール憲法祖国のために死ぬことパトリオティズムとナショナリズム―自由を守る祖国愛


11 11
2014

右傾化再考

戦争を喜んだのは国民――『昭和史の逆説』 井上寿一

昭和史の逆説(新潮新書)
井上寿一
新潮社 (2012-10-05)


 ちょっと読みとりにくい本だったかな。この時代のしっかりした流れを把握していたら違ったのだろうけど、逆説と通説を比べることができなかったというか。わかりやすかった半藤一利の『昭和史』を読んだあとだからなおさらだ。

 たとえば第六章の「アメリカとの戦争は避けることができた」のタイトルはなかなか期待するものだったけど、内容がてんで読みとれなかった。日本は英米の包囲網によってやむなく戦争に追い込まれた、ローズヴェルトの陰謀があったという説があるのだが、開戦は回避可能だったというのだが、本文からその反論を読みとれない。ちくしょうという感じだけど、この本から読みとれなさを感じていたから、やっぱりなという感じもした。

 全体的に軍部の暴走説に異をとなえるのが本書の特徴なのかな。

 第五章では「戦争を支持したのは労働者、農民、女性だった」という章がある。1937年の首都南京陥落によって戦争に勝った、戦争は終わったという国民の祝賀ムードと実感があった。軍需景気によってデパートの売り上げは記録的になり、軍需産業の生産ラインはフル稼働になり、労働力が不足、賃金上昇、完全雇用といった戦争景気によって国民は潤った。それまでの昭和恐慌、世界大恐慌によって疲弊していた国民にとっては「天佑」だった。戦争は最大の景気刺激策だったのである。

 まえに『太平洋戦争と新聞』を読んだが、この本には満州事変のときも国民は新聞とともに勝利や戦争への渇望を煽ったことが細やかに書かれていた。

 『昭和史の逆説』には国連脱退へといたる松岡洋右の緊迫したジュネーヴ総会でのやりとりが描かれているが、「失敗した、申し訳ない」と思っていた松岡と違って、国民や新聞はかれを国民的英雄に祭り上げたのである。

 政界や外交は軍部の暴走を止めていたのだが、隘路に落ち込むように戦争に導かれていったのが昭和であったのかもしれない。戦争を煽り、政府のへっぴり腰を批判し、参戦への熱狂をはやし立てていたのは新聞であり、国民であった。国際スポーツで日本の勝利を喜ぶ国民とおなじようなものである。

 国民は戦争の被害者、軍部暴走によって戦争に巻き込まれたといった責任逃れにたいして、一矢を報いたいというのが著者の狙いのひとつかもしれない。


昭和史 1926-1945 平凡社ライブラリー 671そして、メディアは日本を戦争に導いた太平洋戦争と新聞 講談社学術文庫それでも、日本人は「戦争」を選んだNHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 上 (NHKスペシャル)


11 09
2014

右傾化再考

国の誇りがあなたを切り捨てる

 「日本はすばらしい」や「世界が絶賛する日本」といった本やテレビ番組が大流行で、嫌韓嫌中な人たちも跳梁跋扈し、歴史修正主義による戦後レジームの脱却をうたう政治家たちの暗躍もおどろおどろしいさっこん。

 国を誇ったり、国を称賛することに警戒は必要ないといったムードが覆ってきており、朝日叩きに見られるような「左翼パラダイム」への攻撃も度を増している。

 左翼パラダイムとはなにかというと、社会主義革命のようなはげしいものではなくて、こんにちは平等や福祉をとなえる穏健な思想が中心だろう。男女平等や格差是正をうったえる勢力はこの思想パラダイムの中から発せられている。

 国を誇り、自虐や反日を批判するということは、これらの平等や福祉の思想や政策までも批判するということに気づいているだろうか。弱者や脱落者を守る思想の土壌となってきたのが、左翼パラダイムである。

 朝日を叩くのは自虐や反日を排撃するだけではなく、弱い者や脱落する者を助ける政策や思想も排撃するということである。そういうつながりに気づいているだろうか。

 国を誇る思想のパラダイムは保守思想であって、保守というのは、金持ちや権力者が力をもち、その格差や序列をうけいれ、そのあり方を容認する思想もふくむのである。強い者をもっと強くし、弱い者は弱いままの放っておかれるのが保守思想である。なぜならそれこそが国の強さを補強し、国家の競争力を強めるものだと思われているからだ。

 「日本バンザイ!」といっていると、もし格差や弱者の立場にいるかもしれないあなたやまわりの人は、どんどん平等や福祉から切り捨てられる思想に票を入れることになる。自分をおとしめ、切り捨てられる国の増強という思想に力に貸すいっぽうになるのである。

 保守思想というのは国の強さや競争力を誇り思想である。エリートや強者をもっと擁護し、補強する思想である。格差や序列、弱者の切り捨てをもっと補強する思想である。なぜなら国家の誇りや強さだけが重要なのであって、弱い個人や下にいる個人を守っても、その強さにつながらない。したがって下の者、個人はどんどん切り捨てられ、うち捨てられることになってゆく。国の強さのためには弱い個人は犠牲になってかまわない、礎や人柱になれといった思想である。

 国が強くなるためには個人は捨てておかれる。それこそが保守思想であり、右翼思想ではないのか。

 あなたが同一視して崇めている国家は残念ながら、個人と同一ではない。どちらかというと、個人の利益やメリットと相反する立場である。あなたが最強であり、稼げ、もっと資産を増やせる人間なら国はあなたに微笑むだろう。しかしあなたが弱い立場や稼げない人間なら、国はあなたを見棄て、強者にもっと搾取や殉教をほどこす下支えの生存を強制してくるだろう。あなたは国の誇りや強さを望んだのだから。

 国の誇りや強さに同一視し、喜んでいると、もし弱い立場ならあなたはもっと貧窮や奴隷の立場にいつの間にか追いやられているだろう。国の強さは個人の弱さや犠牲の上に築かれるのであり、国の誇りはわたしたちの立場の弱さや格差化につながっているのである。国が強いと喜んでいると、自分の足場がどんどん削られていたといった悲劇に陥らないようにしたいものである。


保守思想とはなにか
日本人として読んでおきたい保守の名著 PHP新書保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)


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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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