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01 03
2015

日本崩壊80年周期説

戦後70年、カタストロフィーまであと10年?

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


 ことし2015年は戦後70年目だ。戦後80年目まであと10年。2025年にカタストロフィー・破滅がくるという「80年周期説」を二十年前に知ってから、とうとうここまで迫ってきた。

 基本的に日本は40年で右肩上がりの成長をへて、40年で右肩下がりの凋落をへて破滅的なリセットをおこなうというのが、明治維新から敗戦までのパターンであり、戦後もみごとにその上昇と下降のパターンをへている。そのサイクルで見てみると、戦後80年目、あと10年後に壊滅的な最期をむかえることになる。


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 ▲明治と昭和の80年周期サイクル


 国家目標を達成するまでは上り調子でのぼりつめるのだが、目的を達成してしまうと、みごとに右肩下がりに転がり落ちて、前半40年で達成した富や地位を破滅的に消滅させて、元の木阿弥に帰してしまう。まるで80年にわたる山登りの祭り、社会勢力の壮大なポトラッチのようである。

 もてる国家の力を結集してのぼりつめ、あとはその反動と目標喪失によって坂道を転がりつづける。バブル崩壊後のデフレはみごとにその下り局面をあらわしていたといえる。前半40年に貯えた富や地位を盛大にうしなっていった。

 戦後80年目のカタストロフィーはどのようなかたちでやってくるのだろうかと思っていたが、数年前までは国家破綻による社会福祉の破滅のようなかたちを思い描いていた。だが近年のヘイトスピーチや嫌韓嫌中、右翼の勃興などの流れを見ていると、どうも国家主義的な破滅も予想できるように思えてきた。

 そういう右翼の勃興という流れで明治からの凋落をたどってみると、明治末・大正の「煩悶青年・高等遊民」たちのたどった「ミッシング・リンク」をつなげるように思えた。明治の「富国強兵」の目標が1905年に達成されたあと、青年たちは煩悶に悩み、インテリたちは共産主義に魅かれてゆくのだが、政府・財界に弾圧されて右翼の勃興を見る。青年将校が革命をおこそうとして軍部が力を握り、破滅的な日中・日米戦争へと向かっていった。

 あと10年でこのような昭和初期におこったようなシナリオが展開されるのだろうか。げんだいの右翼的な勃興は過去のシナリオの再現のようにも見える。

 昭和初期の戦争というのは、過去の栄光をとり戻そうとしておこったものなのだろうか。日清・日露戦争によって日本は西欧列強の仲間入りにくわえられた。その栄光が忘れられず、軍縮化の世界的な流れにおいて軍事戦略をおこない、世界からつまはじきにされて、無謀な日・英米対立の果ての戦争にむかっていった。

 戦後も40年後にベルリンの壁の崩壊やソ連の崩壊という冷戦の終焉といった世界の流れが大きく変わる転機をむかえている。日本も同じころバブル崩壊をむかえ、デフレ経済へと転落してゆき、膨大な土地不良債権をかかえ、97年ころにひとつの体制の破滅をむかえた。

 だがかつての経済大国の栄光を忘れられない人たちが、なぜか軍国主義の名誉回復という亡霊をかかえて復活してきた。戦後の敗戦史観というのは、自虐史観であり、アメリカの戦勝国史観だというのである。この歴史観を塗り替えれば、過去の栄光はとり戻されるのだろうか。

 すくなくとも破滅のシナリオは描けるだろう。壮大な破滅をして、グレート・リセットをおこないたいのだろうか。

 皮肉なことに2020年に東京オリンピックが決まった。戦前も1940年に東京オリンピックが予定されていたが、戦争のために中止。サイクル的には5年後の破滅とみごとに符合するのである。

 日本は80年を境にグレート・リセットを必要としているのだろうか。すべてを灰燼に帰して、戦後80年の成功・蓄積・システムをチャラにしてゼロから再スタートを切りたい。システムは悪くなっているのに変えられない、手が加えられない、破滅することによってしかグレート・リセットはおこなえないという社会無意識をもっているのだろうか。

 破滅的な人命損害や他国に迷惑をかける戦前のようなグレート・リセットがこんかいにも望まれているとしたら、もっと意識的な改革・リセットはおこなえないものだろうか。あるいは壮大な改革をおこなうには目に見えるかたちでしか大災害をみずからおこすしかないのか。

 日本のシステムはサイクルどおりにこの10年で壮大な破滅をむかえるのか。それとも人的災害を防ぎえる壮大なリセットを人為的におこなえるのか。この歴史パターンを織り込んで賢明な選択をおこなえるのか、それともただのマユツバの知識と思って破滅がおこり、または破滅はおこらないのか。

 この10年にどのような歴史のすがたをあらわすことになるのか、サイクルは当たるのか、じっくりと見ていたい。


80年サイクルにふれた本
日本は80年周期で破滅する日本人はなぜ破局への道をたどるのか ~日本近現代史を支配する「78年周期法則」~ (ワニブックスPLUS新書)昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)この国のかたち〈1〉 (文春文庫)wakamoapasi


09 04
2014

日本崩壊80年周期説

だれでもないただひとりの私と他者を求めて――『不可能性の時代』 大澤 真幸

4004311225不可能性の時代 (岩波新書)
大澤 真幸
岩波書店 2008-04-22

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 たいへんスリリングな謎解きの興奮とたのしみを味わさせてもらった良著である。解読と理解のひらめきに出会えることの喜び。戦後社会の解読をここまで濃密に楽しませてくれる本はそうなかったと思う。

 戦後の時代区分を「理想の時代」、「虚構の時代」、「不可能性の時代」とより分けて、それぞれの時代の特徴に迫ってゆく。

 たいへんに示唆に富む目を見開かせてくれる良著であるのはまちがいないと思うのだけど、この本を読んでいるときは思考の道すじについてゆき、謎の解読にひざを打つのだが、本を閉じてしまうとどうも現実との接点・整合性を見つけられないような気がした。

 つまり草のなかをより分けるような「虫の目」で論考がすすむのだが、「鳥の目」のような鳥瞰的な位置づけが見えない。というか、オタクや大きな犯罪事件だけの分析をおもにして、時代の分析をできるのかという思いがむくげてくる。

 観念やトピックだけを結びつけて、おおぜいがそこで息づいているだろうビジネス社会の大多数の動向といったものがはぶかれており、それで戦後史を描けるのかという欠落を感じる。ふつうの意味での歴史・出来事史といったものがここでは主役ではないのである。

 理想の時代、虚構の時代というのはそうおおげさなことではなくて、高度成長期に邁進した時代と、アニメやアイドルに夢中になった時代の区分けということで、そう斬新な切り口ではないはずなのだが、そういう身もふたもない接点をあまりあらわしてくれない。

 オタクとか不可能性の時代で追い求められていることはなにかといった問いに集約できると思うのだけど、虫の目の論考ではそういう鳥瞰がはぐらかされる。

 不可能性の時代ってなんだとなると、けっきょくは、大量生産時代のだれでもありえた規格品の取替え部品でしかないわれわれが、どうやってかけがえのない、取り替えの効かない「唯一性」のわたしになり、ただひとりの恋人や他者と出会うのかといった話に思える。

 だれでもないただひとりの自分と、だれでもない恋人や他者にめぐりあいたい、そういった欲求を追い求めているのが虚構や不可能性の時代ではないのか。

 オタクは他者を徹底的に排除するが、自分の趣味と似た同類だけをはげしく求めている。家族もこの人でなければならないという絶対性の関係でもない。それで前世のソウルメイトが求められたり、インターネットで同好の者を探す。だれでもないただ一人の他者と自分。大量生産の規格品的人生からの脱却を求めているということではないのか。

 反復や無限ループに閉じこめられる多くの作品がとりあげられて、終わりの宣言が遇有性を必然性へと転換する魔術のようなものだといっている。われわれの社会は終わりを確定すること、決着をつけることに特別の困難をおぼえている。必然をひきうけるには、全的な破局をもたらすこと、これが求められているのではないのか。

 現在を破局として捉えることによって崇高性や超越性を確保できる。悲惨な破局が迫っているとき、威厳を保つ者がいるとすれば、その威厳は絶対性をもつことができる。なんだか黙示録的な予言になるのだが、必然性・絶対性を求めたわれわれは、最終的にはカタストロフィーをひきよせてしまうのだろうか。

 日本の80年周期のカタストロフィーというサイクル論にわたしはこだわっているのだが、必然性を求めたあげくにわれわれの社会は壊滅をもたらされるのだろうか。


夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)現代社会はどこに向かうか《生きるリアリティの崩壊と再生》(FUKUOKA U ブックレット1) (FUKUOKA Uブックレット)国土論時間ループ物語論ウェブ社会の思想―“遍在する私”をどう生きるか (NHKブックス)


03 02
2014

日本崩壊80年周期説

わたしたちの立っている地面をゆさぶる起源の書かもね――福沢諭吉 『学問のすすめ』

4043073038福沢諭吉「学問のすすめ」
―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)

福沢 諭吉
 佐藤 きむ 口語訳
角川学芸出版 2006-02

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 福沢諭吉をいま読む意味は、明治維新の人々はなにをめざしたのかということになるだろう。『学問のすすめ』はおおくの出版社から出されているのだが、やはり現代語訳で読みたいね。

 こういう起源的なものを読むというのは、ものごとの根本を問う機会になり、自分たちの乗っているカーペットをひきはがす役割をするね。

 福沢諭吉は学問を「実学」のほうに理解していて、人文系のような生活や経済にちょくせつ役にたたない学問を重視していたわけではない。どちらかというと現代の学校は実学に役にたたない学問ばかり志向しているのではなかったのか。

「その性能は御飯を食べる字引であって国のためには無用の長物、経済の妨げをする居候と言っていいでしょう。
つまり、一家の生計を立てるのも学問です。商売をするのも学問です。時代の動きを察するのもまた学問なのです」



 現代の学校が実学志向でなかったのはどうしたわけだろう。わたしなんて人文系の知識ばかり好きなので、メシを食う技術につながる職業はあまりないのだけどね。

「学問の本質は、生活にどう活用するかということです。活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じです」



 さらに福沢諭吉は文明や社会に貢献することの価値を説く。

「一身の衣食住さえ得られれば満足というのであれば、人間の一生は、ただ生まれて死ぬだけのことです。その人が死ぬときの様子は、生まれたときの様子と全く変わりはありません。
『世の中すべてが自分の生活に満足して、そこに安住するならば、今日の世界は、天地創造のときの世界と異なることがないだろう』」
人間に、社会のために役立ちたいという心があるからこそ、人間交際を広げていくという義務も達成できるのです。昔から世の中にこうした人物がいなかったら、現代に生まれた私たちは、今日世界の至る所に満ちている文明の恩恵を受けることはできなかったでしょう」



 文明の恩恵から人生の目的、めざすべきものを説くなんて、現代の利己的な消費人生とか私生活主義の人生からはちょっと忘れられた目標であるかもしれないね。

 また政府は国民の代理であると説かれるのだけど、こういう契約説は現代の政治支配や手の届かない無力感からはたわごとに思えるかもしれないね。

「一国の人民は、つまり政府なのです。一国の人民のすべてが政治を行うことはできませんから、政府というものを設けて国の政治を任せ、人民の代理人として事務を取り扱わせましょうと約束を結んだからです」



 国民と政府が約束を結んだというより、上から与えられた契約はあまり機能していないというのがこの国の実情ではないのかと思うのだけどね。

 福沢諭吉は「上下関係で人の行動を支配してはいけない」といっており、また国際関係でもそのおかしな点をつく。

「財力の勢いで貧しく弱い者に無理な要求をするのは、生活状況の違いをよいことにして他人の権理を侵害する行為ではないでしょうか。例えるならば、力士が自分には腕力があるからと言って、その力の勢いで隣の人の腕をひねり折るようなものです。

国が最強であるのを幸いと、貧しく弱い国へ無理難題を持ち掛けるというのは、いわゆる力士が腕力で病人の腕をへし折るのと同じで、国の権義から言っても許してはならない暴挙です」



 強いもの、金のあるものが支配する世の中で、こういう言葉はぎゃくに新鮮に響くのが悲しいけどね。

 ほかに罪人をとらえて処分するのは政府だけの権限であって、一般の人はかかわることではないといったことや、怨望という他人を不幸の水準までひきずり落として自分の満足をはかろうとするのは、不善中の不善であってこれ以上の悪はないといったことが心にひっかかった。

 まあ、明治の起源にかかげられた提言は、現代に生きる人の常識や考え方のカーペットや地面をゆさぶりおこす地震のような刺激をあたえるものになるのだろうね。



学問のすすめ現代語訳 文明論之概略 (ちくま文庫)福翁自伝 (講談社学術文庫)福沢諭吉の「脱亜論」と<アジア蔑視>観 (常葉叢書)福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集―「国権拡張」「脱亜」の果て―



02 28
2014

日本崩壊80年周期説

異化の目を借りる――『外国人が見た日本の一世紀』 佐伯 修

4896917359外国人が見た日本の一世紀 (新書y)
佐伯 修
洋泉社 2003-06

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 講談社学術文庫には幕末・明治の外国人から見た日本という本がおおく出されている。おそらく西洋近代化をへる前の日本人はどのようなものだったのかという興味なのだろう。

 この本はそういう興味からずれた明治33年の1900年からはじまり、2000年までの一年ごと二ページ見開きの外国人から見た日本のすがたをとりあげている。どういったかたまりや興味で読めばいいのかむづかしいし、一年ごとに集中力が必要で、このような年表的な編集は成功したのだろうかと思うけど。

 本の中からいくつかのエピソード、言葉を拾いたいと思うが、脈絡を結びつけるのがむづかしい。

 戦前の日本は白人の文明国にゆいいつ戦争で勝利したアジア・有色人種として非西洋国から憧れられたり、おおくの独立運動家や革命家をひきつけたのだが、日本のアジア主義の右翼思想家たちはインドの独立運動家ならともかく、支配下にあった朝鮮の解放運動家も支援や援助をするというふしぎな行動をとった。

 頭山満、内田良平、大川周平といった右翼指導者の民族主義は、他民族の民族主義も認めるもので、排外主義ではなかったのである。自分たちの肯定しているものはよそのものでも肯定する。排外主義者たちは自分たちの民族や国家を肯定しないゆえに他国や他民族も肯定できないのだろうか。

 蒋介石は日本の陸軍に1910年に入るのだが、「私は、日本軍隊の下級幹部が、兵士を奴隷や牛馬のように扱うのをみて、このような軍隊で戦争などできるものかと思ったものである」といっている。いまでも日本の部活には下級生シゴキとかイジメみたいなものがうけつがれているが、このころからはじまったのだろうか。

 1916年、大正五年にタゴールが来日してブームがおこっている。1922年にはアインシュタインも来日している。タゴールは講演で、「適者生存」という標語を日本が掲げていることにたいして、いっている。

「そのモットーの意味することは、『さっさと、自分の好きなことをやれ、そしてそれが他人にどんな損失をもたらそうが気にとめるな』ということであります。…眼の見える人々は、人間と人間とは非常に密接に結びついているので、誰かをなぐろうとすると、その打撃は、やがて自分に戻ってくることを知っております。…ひたすら愛国心を礼賛させ、道徳的盲目さを養う国民は、やがて突然の死によって、その存在を終わるでしょう」。「亡国の詩人」とそしられ、のちの二度の来日にブームがおこることはなかった。

 チャップリンは1932年、昭和七年に来日しているが、犬養毅首相の長男と相撲を観戦していたら、首相の暗殺の報が入り、官邸に駆けつけたということである。翌日には会見とレセプションの予定だった。まるでチャップリンを契機にしたような「五・一五事件」だったのである。

 戦後にはサルトルやフーコー、リースマンといった知識人の来日がトピックになっているが、ロラン・バルトのパチンコの考察がおもしろい。

「遊び手は象徴的にだが、お金のしぶきを一身にあびることになる。そのとき、人は理解するのである。資本主義的富の締めつけ、月給生活の窮屈きわまるつましさに抵抗しているこの遊びの深刻さを、一挙に遊び手の手にみちあふれてくるお金の玉の欲情の大快潰を」

 ヤクザの文化人類学を書いたヤコブ・ラズはテキヤをこう見た。「実は「ノーマルな」「堅気」の社会からの眼差しに強い脅威を感じており、それに対する無意識の防禦が、刺青を含む外見の誇示や、威嚇的なポーズを生んでいる点などを指摘する」。これはヤンキーにも共通することであって、学歴で蔑視されることの威嚇がかれらの外見なのである。

 そのほか何点か抜き書きしたかったが、あとは本書で。どちらかというとこの本は年表で羅列するより、なんらかのカテゴリ・共通点で結びつけたほうが頭にのこりやすかったかもね。



外国人が見た近世日本  日本人再発見ビゴーが見た明治ニッポン (講談社学術文庫)絵で見る幕末日本 (講談社学術文庫)英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫)逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)


02 12
2014

日本崩壊80年周期説

上下の区別を知りたがるのは素人――『漱石文明論集』 夏目 漱石

4003111109漱石文明論集 (岩波文庫)
夏目 漱石
岩波書店 1986-10-16

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 漱石は明治の国家目標からそれてしまう「高等遊民」について描いたから参考にしたい部分がある。明治日本の曲がり角を用意した精神の屈折や挫折。そのような時代精神がどのようなものだったのかと知りたい。

 この本ではざんねんながらその目的にかなう材料はなかった。講演集におおく割かれていて、どちらかというとぐだぐだ言い訳のおおい講演集の印象(笑)。明治四十年代におこなった堺とか大阪での講演の臨場感がすこし伝わる。あと日記とか断片。

 二、三点だけ感銘した文章を抜き書き。

「一概に上下の区別を立てようとするのは大抵の場合においてその道の暗い素人のやる事であります。専門の智恵が豊かでよく事情が精しく分っていると、…また批評をしようとすれば複雑な関係が頭に明瞭に出てくるからなかなか「甲より乙が偉い」という簡潔な形式によって判断が浮かんで来ないのであります。

…以上を一口にしていえば物の内容を知り尽くした人間、中身の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中身が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる」



 上下とか優劣なんてかんたんに区別できないのであり、しろうとほどそういう上下優劣の区別を知りたがり、中身をちっとも知らずに上下優劣だけをありがたがる。そういう区別なんてくわしく知れば知るほどできなくなるものでしょうね。

「博士ではなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、わずかな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである」



 漱石は学位を辞退して文部省とごたごたをおこしたようである。博士はほかの人からはわかりやすい待遇だろうけど、その人だけが専門を専有する立場になっては学問の壁と衰退がおこると懸念したのだろうね。

 たとえば国家医師免許があれば、患者は安心するだろうけど、医学って国家制度を利用したものだけに専有されて、ほかの人たちの学究や努力がまったくなされなくなるのも危険なことではないだろうか。ぎゃくにいっぱんの人は国家のお墨つき以外、信用できなくて危ないと思うのだけどね。

「…文芸の鑑賞に縁もゆかりもない政府の力を借りるのは卑怯のふるまいである。自己の所信を客観化して公衆にしか認めしべき根拠を有せざる時においてすら、彼らは自由に天下を欺く権利をあらかじめ占有するからである」



 官選文芸委員が選定されるにあたっての漱石の批判である。漱石は国家の威というものにじつに警戒していたようである。

 この本にはちょっと有名である「私の個人主義」とか「硝子戸の中で」なども収録されている。漱石の個人主義は自分の個性や自由を守りたければ、自分と逆だったり違うほかの人のそれも守らなければならないということらしい。


4642037993近代日本と「高等遊民」―社会問題化する知識青年層
町田 祐一
吉川弘文館 2010-12

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01 18
2014

日本崩壊80年周期説

維新に疑問を思いつくか――『明治維新を考える』三谷 博

4006002742明治維新を考える (岩波現代文庫)
三谷 博
岩波書店 2012-11-17

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 明治維新には大きな謎がいくつかあるという

 最大のものは支配身分がみずから解体したこと、身分的自殺だという。武士みずからが家禄を剥奪し、身分を解体した。フランス革命のような民衆が王や貴族の権利を奪取したという「階級革命モデル」を大きく逸脱している。

 また大規模な権利の再分配がおこなわれたにもかかわらず、死者がすくなかったこと。犠牲者は三万人とされるが、フランス革命では60万人以上の犠牲者を出したとされる。

 明治維新にははっきりとした反体制イデオロギーがなかった。尊王は幕府の実権と矛盾するとは考えられていなかった。

 維新にははっきりとした原因が見当たらないと著者はいう。反体制グループもなかった。黒船の襲来が維新の起源とされるのだが、開国を要求したがだれも幕藩体制を破壊しろといったわけではない。

 西洋の革命ではふつう「進歩」の概念のもと直線的に文明に進む図式が適用されるのだが、明治維新では「王政復古」がスローガンとなった。進歩ではなく、復古が革命の原動力となったのである。フランス革命も古代ローマ人になぞらえていたというし、キリスト教文化圏では「千年王国主義」という運動もあったし、近世の百姓一揆では「世直し大明神」が崇拝された。メラネシアでは「カーゴ・カルト神話」というのもあった。

 こういう疑問をもつことが知識や学問の欲求を昂じさせることをよく感じさせられた。明治維新は決まったことで疑問なんてそう思いつかなかった。学校の学問は答えを覚えるだけの暗記知識になっているのは学問の導入のしかたを完全にまちがっていると思うね。疑問と疑問の解決が知識欲のすべての原動力だと思うのだけどね。

 著者はあとがきで「人の創った言葉に頼らず、自分の脚で地面に立ち、そこに問題を発見し、それを解くための言葉も自分で創ろう」という学問のありかたを理想としてきたといっている。歴史学とか研究では実証主義にがちがちになってしまって自由に発想できなくなるのかもね。こういう理想は哲学ではあたりまえのことで自由に思索・考えることがふつうのことなんだけどね。

 第一章の「ナショナリズムの生成」という論文では国民国家や国家のテリトリーの範囲、国民とか国家とか現代でくくられる語はどこまでの範囲のことをいっているのかという疑問にこたえる興味深い内容になっている。国民とか国家ってふくまれる原郷や範囲って時代や場所ではだいぶ異なっていたのではないかという疑問はふつふつとわきあがるね。黒船とか関ヶ原の合戦を弁当をひろげて見物していた人たちは現代の「国民」とおなじなのか。

 つづく2章、3章では明治維新に問いかけられた謎が複雑系とか王政・公儀などの語で解き明かされようとしている。複雑系とか歴史の複雑で錯綜した事実のつみかさねはややこしいのだけどね。

 第Ⅱ部では維新史家たちが語られている。

 なぜ日本だけ近隣アジア国にくらべて西洋化が先に進んだのかという疑問には興味深い事例がのっている。近世では中国も朝鮮も西洋の事物をよくとりいれたのだが、中国では官僚知識人は西洋の学問に親しもうとせず、朝鮮では西学に深入りした官僚知識人もあらわれたが、政争で根絶やしにされたということだ。日本ではキリスト教は絶対的タブーとされ、医学とかはけっこう輸入されたが人文学は排除された。

 中国・朝鮮では知識人が西洋学を排除する側に回ったのに対して、近世日本では自ら西洋の言語を学び、普及させた。人文学を排除し、自然科学に集中したのは近代化受容に有利にはたらいた。

 疑問を抱き、疑問の謎を解き明かそうとするのが学問・知識欲の原動力だということがよく感じられる本だった。わたしも自分の知識欲の源泉はつぎつぎとわきあがる疑問だと思っているが、学校教育って疑問を抑えつけて事実と答えばかり覚えさせられるね。なにも覚えていない学問嫌いの創出をおこなわない人たちを生み出すだけと思うのだけどね。


明治維新 (岩波現代文庫)近代日本の国家構想―1871‐1936 (岩波現代文庫)明治国家の終焉 1900年体制の崩壊 (ちくま学芸文庫 ハ 32-1)愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)世界史のなかの明治維新 (岩波新書 黄版 3)


01 02
2014

日本崩壊80年周期説

明治からの世代論で近現代史を読み解く

 近代の80年周期説を検証するためには世代論が時代精神を際立たせると考えていたのだが、近代からの世代論といった資料や文献はそう見あたらない。

 ネットでJMR生活総合研究所の松田久一氏が「これだ!」といった幕末からの世代論をアップされておられた。

 「世代は繰り返される-循環史観からみた現代」という記事のなかで、 「第二回 日本をつくりあげた世代」において、江戸末期からの11世代の特徴や人物などをグラフでまとめられておられた。

 あまりにも有益なグラフなので無断であるが、コピペさせてもらった。世代についての詳細も上記の記事に書かれてあるので読んでみてほしい。


図表4.江戸末期から現代までの日本の11世代
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 詳細は上記記事に書かれてあるのだが、わたしなりの咀嚼や解釈をしたい。



新しい時代は前の時代に生きた人になされる


 明治維新というのは、明治以前、江戸時代に生を受けた人によってなされており、維新前後に生まれた人たちは日清・日露戦争の実務部隊として働いていることになる。

 戦後昭和の復興と成長を主導した世代も、明治半ばや大正に生まれた人たちによってなされており、戦後に生まれた人たちはその実行や継承が役割である。

 つまりは前時代、旧時代の価値観や空気、時代を生きた人たちに新時代はつちかわれているのである。歴史は線を引いて急に時代が変わるのではなくて、上の世代がふたつの時代をまたぎながら、新しい時代をつくってゆくのである。

 明治維新を主導した世代はおもに天保年間(1830年~1844年)に生まれており(グラフでは分断されているが)、明治の20年代には急進的な青年たちから「天保の老人たち」と揶揄されるようになっている。

 1833年の天保の飢饉を若年期に経験した世代を先頭に、維新を主導した世代は、維新の68年の十年前には生まれていたとすることができる。この江戸のあいだに生まれた人たちが維新の主導者たちなのである。


ピークを生きた人たちの目標喪失と挫折


 80年周期説で重要なことは40年目にピークになり、目標達成がなされたがゆえに目標喪失がおこり、挫折と停滞へと転がり落ちる契機の節目となることである。

 ピークの40年目ころに成人した青年たちはすでに頭の上がつっかえており、立身出世が叶わない時代にぶちあたることになる。明治の時代では1905年の日露戦争がピークのころに当る。

 この青年の時代閉塞と軌を一にするかのように社会も転落と停滞の坂道を転げ落ちるのである。その坂道には漱石の「高等遊民」や現代ではニートやフリーターといった働かない、社会での立身出世を斜に構える、あきらめる世代があらわれるのである。

 明治のサイクルでは1886年に生まれた石川啄木や1892年に生まれた芥川龍之介あたりの世代に顕著な特徴だったということができるだろうか。

 その後の世相は世界大恐慌や太平洋戦争と奈落の底に落ちてゆく時代が控えていたのである。げんざいではバブル経済崩壊以後、「失われた二十年」からはい上がれないことと似ているのである。

 この世代あたりからはその時代の体制で立身出世するよりか、つぎの新しい時代、体制において活躍する世代がめだってくる。


日本を崩壊に導いた世代


 時代の流れの咎を世代に押しつけるのは酷というものだが、時代のめぐりあわせのために日本を崩壊に導いた世代は残念ながら存在する。

 日中・太平洋戦争を主導した世代が日本をはからずも破滅に追い込んだとしたら、この世代に責任と原因を追及しなければならないだろう。

 老年期に太平洋戦争を主導した世代は、先の項目でとりあげた目標喪失と挫折の世代と重なる。1876年から1895年のあいだに生まれた⑥「戦争」世代が太平洋戦争の主導者となるだろうか。東條英機、山本五十六、石原莞爾、井上成美といった人たちの名があがっている。

 つづく⑦の「戦前」世代も日本を崩壊に導いた世代にふくまれるだろうか。1896年から1915年の間に生まれた世代である。のちの⑧の「戦中世代」は若年期に大戦を経験し、実行部隊や戦争の犠牲者となった世代ともいえるかもしれないが、1936年の二・二五事件をおこした青年将校らがふくまれるとしたら、時代を軍部の暴走へと導いた責任の一端をになっていることになる。もっともこの世代の多くは戦後の復興や成長の推進役となった人たちのほうが多いのであるが。

 日本を崩壊に導いた世代は、明治初年代につくられた官僚システムや学歴選抜によって指導者となった人たちが多い世代だといわれる。学歴や官僚の選抜システムによって出世し、日本を主導する中枢の立場についた人たちだ。かれらが日本を崩壊に導いたとしたら、かれらの資質がそうさせたのか、学歴・官僚選抜システムというしくみがかれらを破滅に導かざるを得なくしていたのか。システムの暴走に咎を求められるものだろうか。

 かれらが育った時代は日露戦争によって西洋列強に劣らない優越感や自尊心を付与された世代だといえるし、大正デモクラシーや豊かさを経験した世代でもある。また、あらかじめ挫折や目標喪失といった青年の野望や大望が閉ざされた世代だともいえるのである。

 かれらが日本を崩壊に導いたのか、もろもろのシステム、それまでにつちかわれた過去の蓄積・体制が日本を崩壊に導いたのか、問われなければならないだろう。


ミネルバの梟はたそがれ時に飛ぶ立つ


 価値観や目標ががらりと変わったとされる戦後は、戦後以降に生まれた世代によって復興したのではなくて、戦前や戦中を生きた明治半ばや大正に生まれた人たちによってなされたものである。いわば旧時代の価値観や考え方をたっぷりと吸って自分たちのものにした世代が、新体制を築いている。

 グラフを見ると時代の近いほうが目立つものが多いという点で拡大化がなされているのかもしれないが、戦前に生を受けた人たちが、戦後の復興や成長の時代の文化面において多く活躍されている。

 戦後の文化人をおおく輩出した世代は、1896年から1915年に生まれた⑦「戦前」世代であったり、1916年から1935年のあいだに生まれた⑧「戦中」世代であったりする。

 このふたつの世代は青年期に大戦に出征したり、若年期に空襲や学童疎開を経験したいわば実行部隊や犠牲者となった世代だともいえる。崩壊や危機にさらされた時代を受動的に経験した世代といえる。

 そしてそういった悲惨な経験をした世代から、戦後の文化のおおくは生み出されているのである。前時代では受動的に受難を経験するしかなかった世代だったかもしれないが、戦後の復興期において文化の面において花開いているのである。

 黄昏時にミネルバの梟は飛び立つといった表現がぴったりくる現象であるといえるかもしれない。

 経済面や産業面においても、受動的に戦争に対面せざるをえなかった世代は、のちの新時代において自由に事業や産業をおこしているのである。


「線引き史観」なんてない


 歴史の誤った思い込みとして、新しい時代は急激な断絶と価値観の転換がおこったと思い込み勝ちである。新しい時代には新しい時代が線を引いたように出現したかのように思い込まれる。

 だけど世代論で見てみると、新しい時代は前の古い時代を生きた世代によって構築されていることがわかる。新しい時代は旧時代をおおく生きてきた老年・壮年の人たちに主導されるのであって、新時代に生まれた人たちだけでなされるのではない。

 価値観や考え方の転換が急激になされるわけではない。旧時代を生きた老年や壮年の人たちが新時代を主導するならとうぜんのことに旧時代の価値感・考え方をひきずることだろう。

 明治は江戸時代の空気と価値観を生きた人たちによってかたちづくられたのであり、戦後日本も明治や大正の空気や価値観を生きた人たちによって生み出されたものである。

 世代によって旧時代は終っておらず、存続と継承がつづくばあいもあるだろうし、明治の新時代に江戸時代を生きた人たち、戦後昭和に明治・大正を生きた人たちもたくさんいることだろう。

 歴史の思い込みである「線引き史観」や「断絶史観」なんてないのである。

 時代がきっぱりと線を引いたように変わるということはありえなくて、上の世代は前の時代をひきずりながら、あるいは前の時代そのものを生きながら、世代交代をじょじょにおこしながら新しい時代は育ってゆくのだろう。

 人生60年から80年だとするのなら、成人するまでの20年をさしひいて、40年から60年は前の時代を引きずる、旧時代を生きる人たちが存続すると考えてもいいのではないか。というより、高齢者が時代や社会を主導する体制から考えて、新時代はとつぜん新生するとは考えようもないのである。


▼松田久一氏の著作。現代の消費分析の本であって、明治からの世代論の著作も出してほしいのだけどね。
4492395989ジェネレーショノミクス: 経済は世代交代で動く
松田 久一
東洋経済新報社 2013-11-22

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12 15
2013

日本崩壊80年周期説

日本はなぜ80年周期で上昇と下降をくりかえすのか

 80年周期説を近現代史に読むこむというテーマで読書をしているのだが、なかなかそういう時代精神を跡づける作業は難航していて、ひとまずばくぜんたる思索を試みたいと思う。

 思考の実験を試みているので短文制約のブログにはふさわしくない長文になったので、つまみ読みでもしてください。

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▲明治と戦後昭和の80年周期サイクル図



80年周期のピークと壊滅


 明治から戦前昭和までの80年周期は、ピークのころの夏目漱石の「高等遊民」の登場に国家目標喪失の危機があらわれ、その後は太平洋戦争へといたる暗い「奇胎の40年」に落ち込んだと、精神科医の稲村博や司馬遼太郎がいっている。

 1868年の明治維新から「文明開化」や「殖産興業」がおこなわれ、日清戦争、日露戦争の1905年のピークにのぼりつめ、とうしょの国家目標であった「列強の一等国の仲間入り」をはたし、その後、「高等遊民」や石川啄木の「時代閉塞の現状」などをへて、1929年の世界大恐慌という世界的危機をむかえて泥沼の日中戦争、破滅へといたる太平洋戦争につきすすみ、国家的な壊滅状態におちいったのが1945年。この間、78年。

 この上昇と壊滅へといたる道すじと似た道をたどっているといえるのが戦後昭和からの歴史である。1945年からのピークとされる40年後は1985年。この後1991年までバブル経済というピークをむかえるのだが、このときもアメリカを抜いて世界最大の「超大国」になったと酔いしれたのであるが、その後はおおよそ二十年のあいだ「失われた二十年」といわれる月日に落ち込んでいる。

 ピークは戦後の目標である「経済大国」になるという夢を達成してしまって、その後の目標がない、目標のために生きる人生を喪失する転換期でもある。アパシーやひきこもり、フリーターといった現代にもつながる目標喪失の若者たちがあらわれてきたのがこのピークのころである。アパシーや不登校を研究していた稲村博はこの現象に気づいて、「80年周期説」をとなえた。

 1945年からの80年後は2025年である。2013年からはあと12年後である。この間に戦前のサイクルであったような破滅へといたる暗い時代をへて、2025年に「現体制」、「戦後社会体制」は崩壊してしまうのだろうか。

 明治から敗戦までの78年は戦後昭和にもあてはまるような上昇と下降のパターンをほんとうにへたのかという検証を近代史にさぐろうとしているのがわたしのげんざいの試み。

 思索的には「なぜこうなってしまうのか」、「なにが社会に上昇と下降のパターンをもちこむのか」といった問いで考えるのがいいのだろうか。



国家目標の結集と喪失


 明治の国家目標には「西洋の列強入り」をめざす、「殖産興業」をおこすという鮮やかで明確な目標があった。戦後昭和には「アメリカのような経済大国」になるという目標によって高度成長を達成した。

 国家目標は国民をひとつの目標に結集するという壮観な凝結力をもたらすのだが、曲がりなりにもとうしょの目標が達成されてしまうと、目標の喪失とそれによる漂流、衰退をもたらしてしまうようだ。

 この停滞、衰退はげんざいの「失われた二十年」で経験していることで、社会精神や邁進力といった社会の駆動エンジンをうしなったように下降や崩壊へといたる坂道を用意してしまうのである。

 日本は国家目標の結集力を最大のパワーにして40年の上り坂をのぼりつめるのだが、その後の下り坂にそれまで構築してきた体制、制度などを崩壊に向かわしめてしまう。

 前半の40年には結集力の最大パワーを引き出せる長所を生み出すのだが、後半の40年にいたる停滞期はその結集力の欠点があちこちに噴出して、壮大なクラッシュをもたらしてしまう。単一目標に結集するばかりに、そのほかの目標や価値基準がなくて、前半の40年に構築した文明遺産を灰燼に帰す。長所が欠点へといたる変わり身の落差の大きさが単一目標の欠点である。

 単一目標の結集はその他の価値観の切捨て、排除によって生み出される。戦後の昭和の経済主義、会社主義がその他の価値観や生き方を大幅に制限したように、その他の生き方、価値観をゆるさなくなる。それによって単一目標の結集が可能になり、どうじに達成後の価値観をよういに生み出せなくなる。国家目標の結集は長所と欠点を80年のあいだにみごとにうきぼりにする。

 明治の維新が学歴に関係ない人によって生み出され、その後の大正、昭和には学歴エリートによる官僚制度が後半40年の崩壊と堕落をもたらしたという考えもある。官僚制度の完成、高学歴エリートによる上昇気運の消滅・壁天上という閉塞状況も、その後の坂道を用意してしまうのか。

 近代の国家は中央集権による国家コントロールによって単一目標に結集しやすい体制になったのだろうが、目標を実験的に創出する世代と、それを守り、維持する学歴エリートによる目標をあらたに創出できないふたつの世代格差を生み出してしまい、舵や海路をうしなった船のように漂泊・破滅をもたらす。



なぜ40年なのか


 なぜ40年で国家目標が達成されてしまうのだろうか。40年というスパンは、目標達成と喪失にいたる時間になぜあいふさわしいのか。

 戦後昭和の経済成長はおもに車や家電の発達や拡充によってもたらされたと考えてよいだろうか。車のための道路を全国にはりめぐらさせることが戦後昭和の成長をもたらした。

 明治の殖産興業ではおもに鉄道の拡充、木綿製品の普及、炭鉱事業、船舶事業といったものが支えた。

 そういうひとつの産業の勃興期と全世帯、全国にいたる拡充が40年のあいだに完成してしまうということだろうか。実質的には全国の産業の勃興と普及に40年の月日は必要ないだろうが、ほぼ10年や20年の製造と普及によって全国に拡充すると思われるのだが、それぞれの全産業のタイムラグや勃興期の違いによる40年という月日が必要になるのではないだろうか。

 商品サイクルが上昇期や普及期、衰退期をへるように産業のサイクルも上昇と普及期をへて衰退期のパターンをへる。そういう複合されたものが合計されて40年の上昇期、成長期をもたらすのではないか。

 世代的にも勃興期に企業や社会で活躍したものたちは普及期や成熟期に役職にのぼりつめ、新規参入たる若者世代に頭上を疎外し、壁天井をつくり、実験や創出ではない維持やルーティンの役割を押しつけるようになっている。

 青年たちも創出や実験でない行動や思考により適合するようになっており、維持と保守の立場により近くになっている。それによって閉塞状況はより増し、相互的に実験と創出の雰囲気をこわし、若者の上昇と野望の欲望は潰えるようになっている。上昇志向はより疎外される社会体制がいくえにも天上にはりめぐらされ、自身にも創出と実験の覇気も野望もなくなっており、社会の硬直度はより増す。

 社会は実験と創出をより生み出す雰囲気の時代と、それを押さえつけ、維持や保守を必要とし、押しつける社会情勢というものを生み出してしまうのではないのか。さもなければ創出期において活躍した功労者たちは自身の実りと功績の果実をうけとれない。

 実験でつくったものたちはつぎの世代には実験をさせない頭の重石になる。それがたんじゅんな人の集まり、世代による役割分担、事業を維持・保守するための組織の性質というものではないだろうか。

 新しい世代の硬直感、天井感はより増し、かつて創出をになった世代は高齢になり、創出と実験の必要性を感じない。そのことによって、目標や舵をうしなった維持・保守機能はかつてのルーティンをくりかえし、時代の変化、潮の変わり目についていけなくなる。

 新しい時代に適合した実験、創出は、新しい世代にとって高齢者の頭上の支配と、若者自身の保守化と実験創出の不必要性によって、よりできにくくなっている。時代の適合性をうしなった保守的な行動パターンにより新たな目標設定、実験設定もできなくなっている。これによって社会は時代の適合性から外れ、不適合な墜落壊滅をもたらしてしまうのではないのか。

 勃興の新世代が新しい時代をひらくのだが、成熟期において青年たちに実験と創出の行動パターンをゆるさなくなっており、世代の交代のすんづまりをおこす動脈硬化のような現象が、40年の世代間において起こってしまうのではないだろうか。



崩壊のパターンをもたらすもの


 明治の体制において昭和前期に自滅や自爆にいたる道すじを選択している。なぜ明治から構築してきた体制や業績を自滅・自爆する道を社会は選択してしまったのだろうか。

 アメリカとの戦争も明治の日清・日露戦争の延長として考えることができて、「奇胎」な道に入り込んだのではなく明治からの体制の存続・拡大であったと考えることもできる。西洋列強に打ち勝つことが明治の目標ならアメリカとの抗戦もとうぜんありうる。国家体制は自滅や崩壊をもたらさないと、えいえいと同一目標で永久運動をくりかえしてしまうものなのか。

 体制や国家の価値観というものは、一度固まってしまったらほかの体制、価値観を選択しえなくなってしまうのか。頭上の天上を追い払うには自滅の道しかないのか。歯止めやブレーキの利かない国家体制は自滅という道で浄化と再生をおこなうしか道はないのか。

 支配者層のパージや追放といった国家の価値感の転換は自国ではむづかしい。戦後はアメリカの戦勝と占領によって、旧体制の価値観と体制を放棄することができた。しかしそうなるまでに日本は自爆の道しか選択しえなくなっていたのか。

 価値転換や国家目標のあらたな創出をおこなえなくなっていたから、戦前日本は自滅の道しか選ぶことができなくなっていたのか。

 戦前は兵力による勝利と成功をもたらしたがために負け戦を予想できたアメリカとの戦争に突入したといわれる。戦争によって解決する、勝利をもたらすという成功体験をくつがえすことのできない体制が固まっていた。目標の転換、新たな創出ができないことが崩壊をもたらした。

 区切りや転換期を設定できなかったことが、成功体験の無謀な反復をくりかえさせたのではないのか。

 戦後の日本も経済成長という目標体制から、その目標喪失の時期をへてもひとつも転換できずにいる。経済成長という役割や用途はピークのころに終ったはずである。それなのにそういう体制や役割でしか舵をとえないようにがっしりと固まっている。

 パージや追放といった天上の壁を払うもの、価値観の転換をよういにするものを、明治からの近代国家は埋めこむことに失敗したのではないのか。体制自体に価値観や方向性の転換をよういにするものをビルトインする必要が日本国家には必要なのではないのか。

 功労者の首切りは時代の転換を人々に知らしめる。堺屋太一によると徳川家康などは全国平定の後には功労者たちに報いることをやめて、ぎゃくに罰則的処置をあたえた。褒賞をあたえると軍事的価値観の暴走や拡張が平定ののちにもおこってしまうからだ。

 秀吉はその兵力の下からのつきあげにあって、日本統一のみならず、朝鮮出兵という暴挙にまで出たといわれる。その価値観での出世と上昇を望む人たちが褒賞され、維持されるなら、兵力でのエネルギーはやむことはないからだ。

 時代の転換を読みとることと、功労者のパージといった非情な難事業が、国家目標を達成した後の国家に必要とされるのではないだろうか。



2025年のカタストロフに予想されるもの


 2025年のカタストロフにはどのようなことがおこるのか。前回のサイクルが戦争で壊滅状態になったように今サイクルも戦争によって国民の死と国土の焦土をもたらすのか。

 このような懸念はげんざいの反軍国主義の情勢からは予想しにくいことである。ほかの好戦的な国から戦争をしかけられる懸念はあるにしても、この国から戦争にのりだすことは考えにくい時代背景がある。あまりにも経済・商業主義の世の中になっており、戦争はつりあわない。

 あえてひとつの可能性をあげるとすれば、国家財政破綻がいまのところ予想されるところだろうか。

 財政破綻は戦後日本の「国家に頼れば最強」という価値観の生き方、体制を終焉させるからである。戦後の昭和体制はそのような「福祉国家的」な人生観の構築がひとつの大目標であったようと考えられる。

 財政破綻はこの国からそのような「国家最強人生観」を放逐するにあたいする出来事になるだろう。戦前のサイクルが軍国主義の力という方法でのしあがり、その返す力で壊滅状態にみちびかれたように、時代の体制はその価値目標じたいによって滅びるという因果関係が、サイクルの終焉・回収にふさわしい。

 国家破綻はそのような人生目標の終焉のインパクトを国民にもたらすだろう。ひとつの体制が終った、このような至上価値では生きることができない、誤っていたと反省する契機をもたらす出来事が、ひとつのサイクルの終り、新たなサイクルの再生と出発を思い知らせるだろう。

 たとえば国家破綻がおこれば公務員の給料のカットオフや大量の首切りといった事態も予想されるだろう。公務員になれば安定した人生をおくれるという神話が今体制の基盤にあったように思われる。

 年金でげんざいでは3400万人の受給者がくらしているといわれるが、この人たちの支払いがとどこおるようになれば、どのような惨状がもたらされることだろう。高齢者はあたらしい収入減を生み出しにくい。

 大企業の正社員も国家によって守られていた度合いが強い企業ほど、財政破綻の影響をうけて斜陽や倒産の憂き目に会うかもしれない。

 国や市の行政サービスのような事業やサービスもとどこおるだろう。道路の修繕やゴミの回収といったインフラ類の破綻や放置がめだつようになるだろう。

 国家破綻は国家に頼る人生が最強という価値観を壊滅させるにいたるインパクトをもたらす出来事にあいふさわしいだろう。

 オオカミ少年のような不安を煽ることは本位ではない。そういう本は書店にあふれかえっているからである。

 ただ現実に2008年のリーマン・ショックによる世界的株価大暴落によってヨーロッパのいくつかの国々で国家破綻の危機が現実になり、行政サービスの機能麻痺といった状態もおこっている。ギリシャやスペインでおこっていた事態が日本にも襲来するかもしれない。失業率も20%といった事態はヨーロッパではめずらしいものではない。

 80年のスパンによって継続していたひとつの社会体制、人生価値観が終わることを告げる大きな出来事が、2025年あたりにやってくるかもしれない。このサイクル論がただの夢想なら、いつもと同じような日常と日々、社会はつづいてゆくことだろう。

 しかしながらバブル崩壊以後、制度疲労のかずかず、閉塞状況の現状をこの二十年に目の当たりにしてきたわれわれにとって、一段底の下げ底の可能性をまったく考えないわけにもいかない状態だろう。

 80年周期説は予定調和的に2025年に日本にひとつの終焉をもたらすのだろうか。


日本人はなぜ破局への道をたどるのか ~日本近現代史を支配する「78年周期法則」~ (ワニブックスPLUS新書)日本は80年周期で破滅する昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)「明治」という国家〈上〉 (NHKブックス)時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫)


12 14
2013

日本崩壊80年周期説

細かい記述に終始――『日本の産業革命』 石井 寛治

4062921472日本の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)
石井 寛治
講談社 2012-12-11

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 歴史は政治や英雄でみるのではなくて、経済史から見なければらないとドラッカーや堺屋太一を読んでつくづく思ってきたのだけど、この本はとてもそのような魅力的な経済史には到達していなかった。

 細かい記述に終始していて、重要なところ、大局なところをつかみにくい。深夜までの残業でとぎれとぎれにしか読めなかったこちら側の理由もあるが、全体のなかの重要な部分をひじょうにつかみにくい。

 赤線をいっぱい引くことは引いたのだけど、だからかえって全体が見えない。学者プロパーの本とはこのようなものかもしれないが、おもしろみはない。

 帯には「明治の国家目標「殖産興業」はいつ、なぜ、どのように「強兵」へと転換したか」というコピーはそういえば、なぜだろうと疑問をおこさせるに十分であるが、ここでそのことをいっていると感じる部分はあったが、いまいちその理由もつかみにくかった。

 この本を深読みする努力を手放して、そうそうにほかの本に期待するほうが賢明かもね。

 いくつかのドッグイア(角折りのことね)。

 この本では日本の産業革命は1886年ごろにはじまり、日清・日露戦争をへて、1907年恐慌前後にひとまず完成するとしている。維新が1868年だからその後の20年後くらいにテイクオフして、ピークであった1905年の日露戦争あたりで終わるということね。20年だ。

 アメリカは1880年代にイギリスを抜いて世界最大の工業国になった。1873年の世界恐慌はそれまでイギリスを震源地としてきたのだが、中部ヨーロッパとアメリカからおこるようになった。経済の世界史はこの時点あたりで転換していたんだね。日本が明治維新をはじめて十年、二十年たったころ。

 日露戦争まで日本をリードした人たちは大学は出ていなかったが、大学エリート・職業的官僚は1900年ころに官僚機構の中枢を占め、1910年代は頂点にあふれ出るといわれていた。司馬遼太郎もいっていたと思うけど、「奇胎の40年」は学歴エリートによるものが大きかったのだろうか。

 日露戦争後は明治維新いらいの「富国強兵」「条約改正」という国家的目標が達成された段階で、新たな目標を設定できなかったといわれている。戦後昭和の「経済大国化」もバブル前後あたりにこの段階にたっしていて、つぎなる目標をまったく設定できなかったことと同じだね。


日本近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス (朝日選書)お雇い外国人――明治日本の脇役たち (講談社学術文庫)流通産業革命―近代商業百年に学ぶ (1971年) (有斐閣選書)産業化の時代 (上) (日本経済史 4)近代日本経済史 (岩波テキストブックス)


11 23
2013

日本崩壊80年周期説

戦前もアメリカニズムと大衆消費社会――『戦前昭和の社会 1926-1945』 井上 寿一

4062880989戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)
井上 寿一
講談社 2011-03-18

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 戦前昭和といえば、暗いあやまった戦争の道につきすすんだ最悪の時代だとみられている。

 80年周期説でも1905年の日露戦争のピークを境に、坂道を転がり落ちた最悪の時代である。破滅への道にまっしぐらに向かった時代である。

 こんにちも91年のバブル崩壊を境に坂道を転がり落ちている状況はまったくおなじで、サイクル的には2025年の破滅までの最悪の時代につきすすむ過程と似てきているといえるだろう。残りあと12年。その意味で戦前昭和を学ぶ価値がある。

 この本は残念ながらおもしろくなかった。戦前は戦後と断絶してように思われているが、戦後となんら変わりのない社会風潮が支配していたことがわかる程度だ。それ以外は羅列的に時代の風景をならべ、教科書的にしるすだけである。心理学や社会学が足りないというか、やわらかい部分がぜんぜんつたわってこない。政治外交史が専攻の著者だからだろうか。

 戦前も戦後とおなじアメリカニズムが席巻していた風潮の描写。昭和6年(1931年)の本から。

「今日の銀座に君臨しているものはアメリカニズムである。…彼らの服装は、彼らの姿態は、いずれもアメリカ映画からの模倣以外に何があるか。

…日本はすでに明治以来六十年の吸収でヨーロッパからは学び得るものは一応学んでしまった。…これに代わるものは大資本と、スピードと映画のアメリカニズムだ。日本人の多くは、今やアメリカを通じてのみ世界を理解しようとしている」



 戦前もすでにアメリカという目標に憧れていた戦後の時代となんら変わりはなかったことがよくわかる文章である。アメリカは1898年に米西戦争に勝ってから文明国の仲間入りしたとされるのだが、文化的には二十年後には大きな影響をあたえるようになっていたんだね。

 1920年代といえば、ヘミングウェイやフィッツジェラルド、チャップリンの若かりし時代だね。アメリカの繁栄、大衆消費社会の出現といったもようは、『オンリー・イエスタデイ』という本を読みたいね。でも1929年の大恐慌を境に世界は第二次世界大戦という破滅へと落ち込んでゆく。

 戦前は軍事国家一色のいろあいでみられるイメージがあったのだが、大衆消費社会や格差社会といったつうじょうの社会の風貌もおおくもっていたとみるべきなんだろう。

 そういうアメリカへの憧れをもっていた大衆消費社会が当のアメリカと戦争するなんてね。文化で勝てないなら、力で勝ってやるという劣等コンプレックスの逆恨みたいなものか。アニキに勝てないなら力でといった兄弟コンプレックスを思い浮かべるね。そういうのって劣等感とダメダメの経済状況、青年の時代閉塞とナショナリズムが結びついたときに亢進してしまうものかもね。


オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)戦前の生活: 大日本帝国の”リアルな生活誌” (ちくま文庫)教科書には載っていない!戦前の日本モダン・ライフと戦争: スクリーンのなかの女性たち (歴史文化ライブラリー)戦前日本の「グローバリズム」 一九三〇年代の教訓 (新潮選書)

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うえしん

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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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