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10 28
2008

日本崩壊80年周期説

大恐慌のサイクル理論が当たってきた



 2008年は世界的な恐慌のおこった年になるのかの瀬戸際に迫ってきた。これまで数々の恐慌の予測本が毎年、恐慌がやってくると煽っていたわけだが、経済ハルマゲドンの恐れは身近に迫ってきた。

 予測本で忘れられないのが稲村博の「カタストロフィー80年周期説」だ。稲村博はひきこもり論者の斉藤環を教えたこともあり、登校拒否や自殺の学者である。ひきこもりは以前アパシー(無気力)といわれ、登校拒否のなかで論じられていた。

 89年に出版された『若者・アパシーの時代』(NHKブックス)で稲村博はアパシーの若者が増えた時代を明治の夏目漱石の小説のなかに見出し(高等遊民)、その40年後にカタストロフィー(破滅的状況)である終戦を迎えたといっている。

 昭和の時代にアパシーの青年が増加したのは敗戦から40年後の1985年(昭和60年)ころからであり、この周期説にしたがえば、その40年後の2025年(平成37年)にカタストロフィーを迎えるということになる。大恐慌がおこった1929年から世界大戦が終焉を迎えたのは1945年で16年間、それを現代にあてはめてみると、2008年からちょうど17年後の2025年にカタストロフィーになるとされるのである。びみょうに符合するのである。

 社会というのは全体がまとまって大きな目標を追い求める上昇期と、目標を失い下落してゆく下落期をもつようである。明治のころは「富国強兵」であり、昭和のころは「経済立国」である。家の繁栄と没落でいえば、家を立ち上げた一代目の急進ぶりと二代目の家を維持する世代、お坊ちゃまの放蕩三昧で家を傾ける三代目という話をよく聞く。明治から敗戦の昭和20年までは一代25年前後とするとちょうどこの家の三代論があてはまるのである。中間点にあたるのが若者のアパシーの出現で、先代の大きな目標に従事しえなくなり、家や社会を没落にみちびくのである。

 江戸時代には伊勢参りや世直し運動が70年周期でおこっていたといわれる。サイクル論はほかにもいろいろとあって、有名なのがコンドラチェフの波といわれる景気循環の50~60年の大きなサイクルや、モデルスキーの波といわれる覇権大国の100年周期の交替などがいわれたりする。

 社会というのは勃興期と没落期を周期的にもつようである。明治のころでいえば、繊維や鉄道などの勃興期をむかえ、大正デモクラシーなどの繁栄の頂点をすぎると坂道を転げ落ちるようにファシズム植民地戦争へとむかっていった。日中戦争がおこったのは恐慌の1929年から8年目の1937年である。ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじまったのは1939年である。いまから10年後にこのような不穏な状況がおこってしまうのだろうか。

 昭和の時代には家電や自動車、道路などの勃興期をむかえた。中間の85年を越えたあたりから高度成長や大きな目標を社会は見失い、ただよい、アパシーの青年を生み出し、土地投機によるバブル崩壊をむかえ、景気後退や若者の社会的衰退などの下落期を転がり落ちている。こんにちの時代をみると、転がり落ちた大正から昭和初年度の時代によく似ているのである。

 昭和初年度のように世界大戦をみちびいてしまうのかという恐れはたぶん当てはまらないと思う。20世紀初頭の世界大恐慌はブロック経済や世界大戦をみちびいたのだが、今世紀の人たちはこの恐れの記憶がひじょうに強いし、だいいち西欧社会はとっくに植民地戦略の時代を過ぎている。西欧はもう若くも、熱くもなく、隣国同士で戦争をおこなうような幼い社会ではないのである。大恐慌の恐れや記憶はこんかいの危機を乗り切るよい教訓や手本となることだろう。

 サイクル予測論では、バブル崩壊期に大恐慌本をたくさん出した浅井隆やラビ・バトラの本を私はたくさん読んだ。日本のバブル崩壊が1929年のような世界大恐慌をみちびくといったオオカミ本であったが、その後の日本は「失われた十五年」を過ごしたのだが、世界大恐慌をみちびかなかったので多くは外れたといえるだろう。

 しかしラビ・バトラは1978年に「2000年まで共産主義は崩壊し、2010年までに資本主義は崩壊する」と予測している。ソ連崩壊は91年に現実におこった。2008年の世界的な金融危機はなにか2010年の予測を予兆しているかのようだ。もちろんラビ・バトラの恐慌予測本は94年、95年くらいにたくさん出して、いまから見れば多くを外しているわけだが。

 資本主義が崩壊するといったって、市場経済が崩壊したとしたらほかにどんな貨幣システムがあるというのだろう。市場経済がこの世からなくなってしまうとは考えられず、権力や支配層の連中の面構えが変わってしまうということなのだろうか。

 ラビ・バトラは社会のサイクル論を、軍人の時代、有識者の時代、守銭奴の時代、労役者の時代といった大まかな理論で捉えている。軍人の時代のあとには有識者の時代がきて、つぎに守銭奴(富)が力をもつ時代がくるのだと。日本は守銭奴の時代のピークであり、欧米は守銭奴の時代を終わり、社会革命をへて軍人の時代のサイクルに入るという。ソ連は軍人の時代を終わり、有識者の時代に入るそうだ。そんな単純な理論で捉えられ、軍人の時代のようなパラダイム変換などがおこりうるのだろうか。

 浅井隆は恐慌本を94年、95年ころに矢継ぎ早に出して、村山節という歴史学者の文明800年周期にむかっていった。800年周期で文明の勃興や没落のサイクルがくりかえされるという説である。この800年西洋が勃興していたのだから、これからはアジアの文明の時代になるということである。たしかにヨーロッパが勃興したこの800年、中国やイスラムは没落していた。ヨーロッパ・ルネサンス以前にはたしかにイスラムや中国が世界を支配していたといえる。それにしても経済の恐慌が文明のサイクルという大ふろしきまで飛んでいいのかという気がするが。私はこの説に喚起されて、文明史家のトインビーやイスラムのイブン・ハルドゥーンまで手を伸ばしたものである(笑)。

 歴史は周期的にくりかえすのだろうか。2008年の世界金融危機は世界をどこに導くのだろう。サイクル理論は未来を予測するようにも思えるし、また人間の知能の限界も考えさせるものである。人間は社会や経済の大きな周期を捉えることができるのだろうか。サイクル理論は賢明な知識なのだろうか、それとも不安がつくりだすオカルト予言書なのか、慎重な姿勢が求められるというものである。世界大恐慌から戦争への道のりの歴史をひもといて、これからの時代の動きにそなえてみたい気もする。


参考文献
若者・アパシーの時代―急増する無気力とその背景 (NHKブックス)
稲村 博
4140015713

超恐慌―800年に一度の大動乱があなたを襲う!!
浅井 隆
4893463985

ラビ・バトラの世界経済大崩壊―資本主義は救われるか?
Ravi Batra
4198602565

世界の名著 73 トインビー (73) (中公バックス)

4124006837

人類の知的遺産〈22〉イブン=ハルドゥーン (1980年)
B000J877V8


04 04
2010

日本崩壊80年周期説

近代の文豪が生きた時代から未来を読み解けるか

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 92年ころからはじまった閉塞感、下り坂の時代はどうなってゆくのだろうか。未来を読みとくひとつの手がかりとして精神科医・稲村博の「80年周期説」がある。稲村博はアパシーという若者の無気力――つまりいまでいう「ひきこもり」を明治の夏目漱石の「高等遊民」にみいだし、社会の周期を明治にあてはめて未来を読みとこうとした学者である。

 社会は一定の目標をもって新しい時代が立ち上がるのだが、おおよそ40年目あたりに社会が目標をうしない、その後落ちてゆくというサイクルをくりかえしているらしい。わたしはこのサイクル理論にいぜんから魅かれているのだが、明治・大正の時代をより深く読みといてみようということで、文豪の生きた時代とサイクルのグラフを重ね合わせてみた。文豪の生きた時代と生み出されなければならなった作品の背景がより深く読め、未来の道しるべを提示してくれるかもしれない。

 グラフをながめていただきたい。稚拙なグラフになってしまったが、わたしの技術の限界である。生没年はこちらのサイト「生没年グラフ作成ツール」でつくれる。

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 このグラフの見方は明治・大正のグラフ曲線をいかに現代の昭和・平成の曲線にあてはめられるかということにかかっている。昭和の曲線を明治にあてはめて、明治曲線はどうなったかを考える。たとえば昭和曲線ではピークは1985年ころと考えられるが、明治曲線ではだいたい1906年ころだからその後の歴史展開を現代にあてはめてみるのだ。

 昭和のピークは1985年ころでそのころから不登校やひきこもりがはじまりだしたのだが、明治では1906年で、現代と同じ時代状況であったととらえてみるのだ。夏目漱石が高等遊民を作品に登場させたり、石川啄木が時代状況の閉塞をなげいていたり、大学を出たけれどといわれたのもこのころだっただろう。

 富国強兵をめざした明治政府は1904ー5年の日露戦争の勝利により一等国の仲間入りをし、そしていっきょに目標をうしなってしまった。それはこんにちの1986年から1992年の世界の頂点にのぼりつめたと思われたバブル景気に相当するだろう。社会は40年ごとに目標をうしない、いっきに崩壊や下降の時代をむかえてしまうようなのだ。

 ロストジェネレーションはピークの1985年から約15年前ほどに生まれているから、明治では1891年ころ生まれということになる。1892年生まれの芥川龍之介が該当するか。芥川は「将来のぼんやりした不安」のために1927年に自殺している。

 だいたい1885年生まれの武者小路実篤、86年生まれの谷崎潤一郎、石川啄木が社会のピークころに成人し、その後は下り坂の時代を経験しているのだろう。ピークの時代は子どものころの空気にあったが、社会に出てからは坂道しか知らないという世代である。

 この年代は芥川を筆頭に短命の人がつづいている。石川啄木、宮沢賢治、そして繁栄の時代を知らないピーク以降の世代、太宰治、小林多喜二、織田作之助などみな短命だ。戦禍で亡くなる人もたくさんいたのだろう。

 明治の曲線では左にいくほど上昇の時代の幸福な時代を経験しているといえるし、ピークの時代以降に生まれた世代は不幸な時代を経験しているということになる。夏目漱石なんか明治維新の一年前の幸福な時代に生きているのだが、明治の富国強兵の空気に合わなかったのか、ニートやひきこもりの心情にかなり共鳴してきたようだ。でもおそらくは明治の勃興の空気や情勢をうまく自分にとりこめた人はもっと前、維新の20年前に生まれた1840年代とかそれ以前に生まれた人なんだろう。

 こんにちの成功者は1940年代の団塊世代より以前、1920年代、1930年代に生まれた人たちであったように。しかし幼少時代は戦禍の時代であって最悪であっただろうが、困窮や貧困を経験したからこそかれらには上昇志向やハングリー精神が生まれたといえるが。20年代に司馬遼太郎、遠藤周作、安部公房、三島由紀夫が生まれているが、この年代は昭和勃興期の果実をうけとれた世代なのかもしれない。ピークから15~20年後に生まれた人は不幸な幼少時代をへるが、幸福な上昇期をえられるかもしれないのだ。

 いちばん最悪なのは無頼派や退廃派とよばれた世代の不幸だろう。坂口安吾はピークの1906年に生まれ、物心ついたころから下り坂の時代しか知らない。世界恐慌の1929年は23歳で経験している。自殺未遂をくりかえした太宰治が1909年生まれ、大恐慌は20歳のとき、壇一雄は1912年、織田作之助は1913年生まれだ。『蟹工船』でリバイバルヒットした小林多喜二は1903年生まれだ。時代が転げ落ち、退廃や退嬰で生きるしかなかったのだろう。

 こんにちのサイクルでいえば、1985年以降に生まれた人、平成以降に生まれた人たちがこのような運命をむかえてしまうのかもしれない。いちばん不幸な時代に生まれた世代といえるかもしれないが、1909年生まれの松本清張のように長生きすれば、次サイクルの幸福な成長の時代にめぐりあえるかもしれない。

 稲村博はこんにちのサイクルのカタストロフィー、破滅的状況をむかえるのは2025年だと設定した。2010年からあと15年だ。1985年のピークから25年たっているから、明治のサイクルでいえばピークの1906年から25年で1931年に当たり、世界大恐慌の最悪期と重なることになる。くしくも2008年に世界的株価暴落がおこったのは偶然か、サイクルの一致か。

 1929年の世界大恐慌はピークから23年、こんにちのピーク1985年から23年はちょうど2008年になるわけで、サイクルはぴたりと整合してしまったわけだ。この暴落が世界大恐慌ほどの惨禍をもたらすとはいまのところ感じられないところなんだが。

 2025年のカタスロフィー状況とはどのようなものになるのだろうか。1939年から第二次世界大戦がおこっている。サイクルでいえばあと8年後の2018年だ。しかしこんにち好戦的な情勢は先進諸国にはほぼないから戦争の危険はかなりすくないといえるだろう。こんにちは経済的な時代であるから、経済的な危機がサイクル・パターンからは2018年ころにおこりそうだということがいえるかもしれない。

 日本のバブルが崩壊したのは1992年、不良債権がつもりにつもって大手証券や銀行が破綻したのは1997年、それから不況はいっきに進展したのだが、世界の不良債権がどうしようもなくなるタイムラグがあるのかもしれない。危機は2025年ほどまでにつづき、ひとつの時代の区切りをむかえて社会は新しい時代の上昇期をむかえるのかもしれない。あと15年ほどわれわれは経済の惨劇を味わうのかもしれない。

 サイクル理論というのはひとつのお遊びだ。歴史が過去とぴったりとくりかえすなんてことはありえないし、複雑な世界をひとつのパターンで単純化したいという欲望がつくりだす砂上の楼閣にしかすぎないと思う。あくまでもなんらかの参考や参照になるデータでしかない。そこには知的な探究心の楽しみがある。おなじ過去がくりかえされることなんてありえない。似たような状況やパターンが認められるかもしれないという浅はかな喜びでしかないだろう。楽しめた。


近代文学から社会を読む解く本はどのようなものがあるんでしょう。(ありそうで、なさそうで、みつかりません)
4140015713.jpg増補 日本という身体 (河出文庫)明治大正史 世相篇 新装版 (講談社学術文庫)

流行と虚栄の生成―消費文化を映す日本近代文学文芸にあらわれた日本の近代―社会科学と文学のあいだ明治精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

09 29
2013

日本崩壊80年周期説

終末のカウントダウンはすでに――『日本人はなぜ破局への道をたどるのか』 藤井 青銅

484706058X日本人はなぜ破局への道をたどるのか
~日本近現代史を支配する「78年周期法則」~
(ワニブックスPLUS新書)

藤井 青銅
ワニブックス 2012-08-08

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 2020年の東京オリンピック開催決定によってまた80年周期説が符合したから、この興味をほりおこすことにした。戦前では1940年に東京オリンピックが決定されていたのだが、日中戦争によって中止。破滅をむかえる1945年までの5年前。

 80年周期説にならうと2025年に破滅をむかえる5年前が東京オリンピックの2020年だ。このころの日本はサイクル説ではかなりヤバイ時期に突入しているはずだ。

 この本では「78年周期法則」にしているのだが、明治維新は1968年だから破滅の1945年までは78年、きっちりと計算している。わたしの依拠してきた稲村博はプラマイ2、3年ほどは誤差にふくめているのだろう。

 80年周期説というのは日本は上昇と下降の時代をそれぞれ40年もち、ピークのあたりに目標を達成し、目標をうしなったアパシーや高等遊民といった若者を生み出し、あとは下降と停滞の時期をすごして80年目に破滅のサイクルをむかえるというものだ。

 日本はどうもひとつの目標にいっせいに走り出し、ピークで息切れしてあとは坂道を転がり落ちるだけのパターンが、明治からと昭和戦後のスタート時からくりかえしているようだ。社会の結集と散逸というパターンが日本的集団の特性として80年周期くらいにあらわれている。

 江戸時代に爆発的流行をした全国民のおかげまいりも60年~70年周期でくりかえされたというし。社会集団というのはこの時代節目くらいに制度疲労をおこす。老化をひきおこして、新たな若返りの体制を必要としていたといえるのだろうか。社会制度は80年くらいまでに一度死ななければならないのか。

                    *

 この本では考察をふかめるよりか、明治から敗戦、敗戦からげんざいまでの歴史を羅列しておさらいしたという印象が強いね。でもただ近現代史を羅列するのと、こういう周期説を前提にした語りではやはり俯瞰のまなざしが違うのだけどね。

 この本で78年周期法則の符号があらわれていると見るのは――。

 明治の藩閥政治・官僚制の開始と、戦後の自民党一党体制がスタート時から10年目
 大正と平成の改元がスタートから45年目
 世界大恐慌がスタートから62年目、リーマンショックが64年目
 三陸・東北の津波がスタートから66年、67年目におこる



 世界大恐慌の符号がいちばん恐ろしいね。ただこんかいのリーマンショック、世界の株価大暴落はヨーロッパに激震と国家破綻危機をいくつかの国にもたらしたにせよ、2013年の時点では日本では沈静化の観があるね。

 明治の成長とピークのころは日清戦争(1894年・明治27年)、日露戦争(1904年・明治37年)になるのだろう。戦後は60年代に高度成長をむかえ、明治とくらべて勃興は早め。1968年・昭和43年にGNP世界第二位になっている。

 明治の37年目のピークのころ、戦後の37年目は中曽根内閣が翌年に発足しており、民営化や市場化がはじまり、バブルが1986年・昭和61年ころからはじまり、1990年・昭和64年・平成元年にバブルが崩壊している。スタートから46年目である。

 このころから若者の無気力やアパシーが話題になりはじめ、のちのひきこもりやニートにつながる流れが生まれはじめている。稲村博はこの流れが明治期においても漱石の「高等遊民」や啄木の「時代閉塞の状況」のようなかたちであれわれ、80年周期説の存在をとなえた。社会が目標を達成し、目標をうしない、アパシーや無気力になるピークをこえた諸現象があらわれるようになる。

 「失われた20年」はまさにその流れの延長だね。堺屋太一は「下り坂の時代」とよんだのだが、ピークをこえた社会は前半に上りつめたように後半には一気に下り落ちる。そして戦前の暗い時代の戦争の泥沼化や敗戦のようなカタストロフィーを、こんかいも同じわだちを踏むことになるのだろうか。

 昭和2年・1927年から昭和恐慌がはじまっているのだが、千五百近くあった銀行はわずか五年で三分の一になった。平成にバブル崩壊後に銀行の不良債権が恐れられたのはこの過去の経験があったからだ。戦前は五大銀行に集中するようになり、いままた「○○ホールディングス」のようなライバル会社が合体するような戦前の財閥化に近いかたちがおこるようになっている。

 恐慌がおこり、農民や労働者が疲弊している中で、昭和7年・1932年に青年将校らが犬養毅首相を射殺、警視庁、日本銀行をおそう5.15事件がおこる。国を荒廃させる政治家を討伐したと国民から同情される。大臣や蔵相らが殺された2.26事件が起こったのはそれから四年後。

 昭和7年はスタートから65年目、こんかいでいえば2009年・平成21年ころにあたる。リーマンショックの翌年。無差別殺人事件がおこったのは、1999年・平成11年から2010年・平成22年にかけてだ。戦前のアナロジーにおけば、この無差別殺人群は心理的な要因で理解されることが多かったのだが、政治テロの一種だと認識することもできる。われわれはそれらをどうして政治テロと見なす目を失ったのか、あるいは政治的なテロとしての回路を失ったのか。

 著者は体制崩壊期を「最後の十五年」としてくくっている。1930年、昭和5年から敗戦の1945・昭和20年までだ。78年周期であてはめるとこんかいの終焉は2022年・平成34年だ。2007年から終末の15年のカウントダウンははじまっていることになる。稲村博は80年周期で、2025年をカタストロフィーの年だと予想しているのだが。

 1931年に満州事変がおこり、日中戦争は1937年、国家総動員法は翌年の1938年、太平洋戦争は1941年、カタストロフィーは本土空襲と原爆投下、敗戦の1945年。

 こんかいは戦前の軍事行動のようなカタストロフィーをむかえるとは考えにくい。時代状況が違うし、戦後の第一目標は「経済大国」になることだったからだ。

 その得意で一極集中したもので破滅をむかえる、身を滅ぼすシナリオがいちばん妥当なのではないか。経済破綻や国家破産、年金崩壊といった経済的なカタストロフィーだ。社会はその一極価値に奉じて、その一極価値ゆえに滅ぶというのは皮肉であるというか、ほとんどお笑いである。

                  *

 周期理論、サイクル説というのはどれだけ妥当なのだろう。歴史がきっちりと法則どおりに転がるとは考えにくい。ただ似たような傾向、現象をおびるということは、人間の生命の老化にもあてはまるように社会にもありえると考えられるかもしれない。社会体制も成長し、成熟をむかえ、老化と死にむかってゆく。社会体制も一度死に、あらたによみがえる必要があるのかもしれない。

 そういう死と再生は神話的世界・呪術的世界が儀式としておこなってきたものである。かれらは社会の盛衰をパターンに社会にくみいれようとしていたのだろうか。

 軍事化がめざされたのが第一期だとすると経済化がめざされたのがこんかいのサイクルの第二期。第三期には芸術や学術、あるいは人間化といった流れがおこるのだろうか。この経済一極型の社会体制からは考えられないことだけどね。

 社会体制は大きな破滅・カタストロフィーをむかえないとその反省と再構築をおこなう再出発しようとしないのだろうね。それでその価値観に奉じた破滅をむかえなければならない。死ななければならない。今期の社会体制は死のカタストロフィーを用意しているのだろうか。終末のカウントダウンはもうはじまっているのかもね。


▼わたしの考察した80年周期説
 「近代の文豪が生きた時代から未来を読み解けるか
 「急激な凋落をもたらす日本的体質」 99年に書いたものですね。広告ばかりですいません。
 「大恐慌のサイクル理論が当たってきた

▼この本もさがして読むつもり。
4062170418日本は80年周期で破滅する
北見 昌朗
講談社 2011-08-26

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▼明治のピークをすぎた文学者たちの生き様。
4140883782「一九〇五年」の彼ら―「現代」の発端を生きた十二人の文学者 (NHK出版新書 378)
関川 夏央
NHK出版 2012-05-08

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▼堺屋太一は歴史のアナロジーを手法としているんですが。
4062170981第三の敗戦
堺屋 太一
講談社 2011-06-04

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10 10
2013

日本崩壊80年周期説

明治と昭和の崩壊パターン――『日本の迷走はいつから始まったのか』 小林 英夫

4098251078日本の迷走はいつから始まったのか
近代史からみた日本の弱点 (小学館101新書)

小林 英夫
小学館 2011-04-01

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 日本は80年周期で上昇と崩壊をもたらすというサイクル理論で、明治からの80年と昭和敗戦からの80年を重ねてみたいという思いをいぜんからもっていた。

 けっこう時代的に符合することもおおくて、歴史がそのままそっくりくりかえすことはないだろうが、似たような社会現象を通過するのではないかという推測と未来の参考にはできる。

 この本は明治から現代までの通史をえがいており、近現代の歴史知識不足のわたしにはちょうどよい書物であった。ただタイトルの「迷走」うんうんの話はアマゾンのレビューでも不評で、どちらかという通史のウェイトが大きい本である。

 日本の迷走は世界ルールの転換の認識と対応の遅れとカバーではいわれているのだが、通史が多い中でどこをさすのかすらよくわからない。堺屋太一もずっといいつづけてきたことだね。

 第一次世界大戦は総力戦体制で、死傷者を数多く出したその戦争は世界のルールを変えたのだが、日本にはちょくせつに被害をもたらしたわけではない対岸の戦争であったため(それどころか戦争特需にわいた)、いぜんの成功体験であった日露戦争の勝利法に固執しつづけて、第二次世界大戦で未曾有の大惨事を経験することになったということだろうか。

 第一次世界大戦の戦死者は連合国側が約五百万人、同盟国側が約三百万人、合計八百万人というすさまじい数である。

 総力戦体制というのは従来の職業軍人のみの戦争ではなく、国民全体が総力体制でおこなう戦争のことで、飛行機や戦車をつかうために労働者の協力も必要になり、軍人も国民も一体となって戦争に向かう体制のことである。このような転換があったのに第一次世界大戦を経験しなかった日本は、10年前の日露戦争の経験で闘うことになったのである。

 といっても日本は1940年代に総力戦体制を築いているのだけどね。そのために民間の国民も攻撃対象となり、大量の死傷者を生むことになる。

 また大恐慌も世界のルールを変えた契機になったといっているね。1920年代は第一次世界大戦の反省から国際協調がおこなわれていたのだが、29年の大恐慌によってブロックごとの競争・対立に変わっていった。日本は舵取りがきわめてむずかしくなったということだね。

 日本はバブル崩壊と同時におこった冷戦の終焉によって、迷走と停滞をおこしている。戦前にも日清・日露戦争まではきわめて順調に上昇しているのだが、それ以降は低迷や暴走をおこしたことになるのだろう。戦後の日本は高度成長で順調に上昇したのだが、バブル崩壊を境に「失われた二十年」といわれる迷走をつづける。そのパターンも戦前の時代にもおこったことではなかったのか。

 80年周期説では半分の40年で上昇をへてピークをむかえ、のこりの40年で下り坂と破滅をむかえるとされる。明治維新が1868年、それから37年後の1905年に日露戦争の勝利によって、「一等国」入りするという絶頂をむかえている。

 戦後の周期では1945年からはじまり、高度成長をへて、バブル崩壊の1990年までは45年だ。バブル景気のころは経済大国のアメリカを倒すような絶頂の時期だったね。

 しかし戦前の絶頂期はながくつづかず、1929年の大恐慌をへて、1945年までの暴走と迷走の16年をむかえている。今パターンでは1990年を境に「失われた二十年」という坂道を転がり落ちつづけるのは戦前を踏襲しているかのようだ。今期の破滅が2025年と設定されているのだが、16年前は2009年ということになり、2008年のリーマン・ショックに符合することになる。

 日本は80年周期の前半の約40年は欧米のモデルをもって、キャッチアップや一極集中型で高成長の成功をもたらすのだが、40年目くらいに目標が達成されて瓦解、世界ルールも変わっているのに旧時代のルールに固執して迷走と暴走をくりかえす、そういったパターンを明治期も、こんかいの昭和期においてもくりかえしているのである。

 目標が達成されたあとの困難である。目標一直線に緊密に拘束された社会システムがとたんに役にたたなくなり、閉塞やアノミーのみが漂い、崩壊と瓦解へと下り坂を転がりつづけるのである。

 どうも日本はいっせいに集団で走り出すという習性が、前半の40年には功をもたらすようだが、後半の40年は仇となって、停滞と崩壊への坂道を転がりつづけるパターンを生み出すようだね。

 基本的に日本は一極集中、ひとつの価値目標に団結・集結する風土をもちすぎて、違う目標・価値観をもてないつまらない、融通の利かない、人々に違った道や自由をゆるさない強制的な雰囲気をつくるようだね。それが成功をもたらし、同時に不幸と崩壊をもたらす。

 2025年に80年周期の予測どおりにカタストロフィーがきてしまうのなら、この二度の踏襲をしてしまった社会制度、社会因習というものを警戒しながら、社会目標や体制が組み立てられる必要があるのだろうな。

 「みんなでいっせいに同じ方向に走るな」。さいしょの40年は華やかな成功を夢見れるが、のこりの40年に悲惨で融通の利かない坂道と停滞をむかえることになると。

 カタストロフィーと予測された2025年まであと12年。戦時中のような悲惨で凄惨な体制末期の惨状がこの日本にやってくることになるのだろうか。あなたならどのような崩壊シナリオをえがきますか?


「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造日本近現代史を読み直す満鉄が生んだ日本型経済システム戦争論 〈新装版〉: われわれの内にひそむ女神ベローナ (りぶらりあ選書)総力戦と現代化 (パルマケイア叢書)

10 12
2013

日本崩壊80年周期説

坂の上の失楽園――『「一九〇五年」の彼ら』 関川 夏央

4140883782「一九〇五年」の彼ら
―「現代」の発端を生きた十二人の文学者 (NHK出版新書 378)

関川 夏央
NHK出版 2012-05-08

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 なぜ1905年なのか。それは1905年が西洋の「一等国」の仲間入りをした年だからである。西欧の列強入りをめざした明治日本が日露戦争に勝利した国民国家のピークが1905年なのである。つまり「坂の上の雲」を達成した年である。

 この年、ポーツマス条約に不満をもった国民たちが日比谷をはじめ各地で暴動をおこした。大衆が政治的実力をもつ時代、大衆文化が花咲く時代、1905年は「現代のはじまった年」だと考えられるのである。

 この1905年に青春期または人生の最盛期にあった人たちこそ、現代人の原型だろうと関川夏央は読み解くのである。

 そのような1905年の文学者たちのすがたと、晩年を点描することで、現代日本の成立と成熟、衰退までも暗示できるのではないかというのが関川夏央の意図である。

 わたしもこの本の狙いが読めたのは、日本は80年周期で上昇と下降をくりかえすという80年周期説を知っていたからだ。ひとつの目標に狙いを定めた日本の新体制は40年ころにピークをむかえ、あとは坂道を転げ落ちるような40年をへて、昭和敗戦のような惨事をむかえる。

 昭和の今サイクルも44年目の1989年のバブル経済のピークをむかえてから、坂道を転がり落ちるように戦前のわだちを踏むような衰退の道を歩んでいる。もし未来を占うなら、明治のピークをこえた文学者たちは世相や時代をどう生きたかがわかれば、この行く末をすこしは推測できるかもしれない。

 いぜんにそのような記事を書いた。

 「近代の文豪が生きた時代から未来を読み解けるか

 グラフを掲げれば、このようになる。 

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 ピークの1906年に文学者たちは何歳であり、その年齢の境遇はかれらにどのような状況や運命をあたえたかとわたしは問うてみた。

 ピークのころに成人した文学者たちが1885年生まれの武者小路実篤、86年生まれの谷崎潤一郎、石川啄木といった人たちだ。前二者は順調な実績をのこし、啄木は短命。啄木は「大学は出たけれど」や高等遊民といったピーク後の停滞の時代のとば口に立っていた人だろうね。

 無頼派とよばれる人たちは、坂口安吾がピークの1906年に生まれ、世界恐慌の1929年を23歳で経験している。自殺未遂をくりかえした太宰治が1909年生まれ、大恐慌は20歳のとき、壇一雄は1912年、織田作之助は1913年生まれだ。『蟹工船』でリバイバルヒットした小林多喜二は1903年生まれだ。ピークのころに生まれた人はいずれも不幸で短命の人生を送っているね。今サイクルでいえば、1990年生まれくらいかな。

 ピークなどまったく知らない20年代に生まれた人たちは、司馬遼太郎、遠藤周作、安部公房、三島由紀夫であるが、暗く傾斜してゆく時代に生育したが、戦後の復興期と成長の糧を得ることができた世代ということができるね。今サイクルでいえば、00年代に生まれた人たちがあてはまるかもね。

 今サイクルの終焉が予想されているのは2025年ころにあたる。はたしてそれまでに戦前の破滅へとむかった時代をふたたび経験することになるのだろうか。これからあと十年余で激動の時代をむかえてしまうことになるのだろうか。

 本の話に戻るが、わたしが読みたいと思っていたどんぴしゃりの本が出たと思っていたのが、個人の行跡と世相や時代の背景をクロスさせて読み込むことはわたしの力量にはあまりあることであって、そこから時代のうねりを読むとることはほとんできなかった。個人の行跡と時代背景がべつべつのものにしか捉えられなかった。

 関川夏央は『「坂の上の雲」と日本人』という本も書いているね。日本人にとって大事なのは一致団結して駆け上る「坂の上をめざす時代」ではなくて、その山の上にのぼりつめて降りる時代のほうが難題なのだろうね。「過去の成功よ、ふたたび」の暴走で日本は破滅してしまったといえるからね。

 破滅してしまったほうが日本は新体制を構築しやすくなるのなら、ご破算を経験したほうがいいかもね。未開社会には「王殺し」の風習があったのだが、文明国はそんな「野蛮」ではないので、みずから破滅するしか「王」を殺せないのかもね。


「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)日露戦争と世界史に登場した日本「坂の上の雲」と日本近現代史『坂の上の雲』と司馬史観初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)


10 13
2013

日本崩壊80年周期説

明治と昭和の80年崩壊サイクルのグラフ

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 ▲明治の80年サイクル

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 ▲昭和の80年サイクル


 明治と昭和の80年周期をグラフにしてみた。

 藤井青銅『日本人はなぜ破局への道をたどるのか』の78周期説で符合すると見られているのは。

 明治の藩閥政治・官僚制の開始と、戦後の自民党一党体制がスタート時から10年目
 大正と平成の改元がスタートから45年目
 世界大恐慌がスタートから62年目、リーマンショックが64年目
 三陸・東北の津波がスタートから66年、67年目におこる



 日本は80年周期で上昇と下降をくりかえし、さいごには破滅をむかえてしまう。明治の80年でおこったことである(正確には78年)。

 昭和の時代が前半の40年に高度成長で上昇をつづけ、半分の40年を境に「失われた20年」といった月日を停滞していることはよく知られていることだね。明治が「富国強兵」をめざし、昭和が「経済大国」をめざしたのもそっくりだね。

 昭和のサイクルでめだつのが、1990年のバブル崩壊から1997年まで破滅的なことがらが連続しておこったこと。昭和天皇の崩御もあった。ソ連の崩壊は冷戦体制の終焉という世界史的な出来事で、47年目におこったそれは、明治のサイクルでは第一次世界大戦の世界史的な出来事に該当するね。体制の崩壊があり、世界ルールが変わったのに日本はその後適応できなかったと近現代史でいわれていることだね。

 62年目におこった世界大恐慌は20世紀を変える大きな出来事だったけど、昭和サイクルでは64年目にリーマン・ショックがおこっている。アメリカの不動産ローン破綻でおこった世界株価大暴落は、アメリカよりむしろヨーロッパの国家破綻の危機という弱点を露呈した。ただし世界大恐慌のような世界的な危機をあたえているかはいまのところ薄弱に思えるが。

 47年目には第一次世界大戦とソ連崩壊という出来事がおこっているが、明治サイクルに第二次世界大戦がおこったようにソ連崩壊に似た第二の崩壊がおこるのだろうか。社会主義国の中国の破綻や北朝鮮の体制崩壊といった社会主義関連の崩壊がおとずれるのだろうか。二度の世界大戦というのはなにを争ったのか。西欧の植民地主義の帰結と崩壊をあらわすのか。

 戦後の体制というのは資本主義VS社会主義の経済戦争がおこなわれていて、計画経済か民営経済かのこれみよがしの消費誇示が行われていた時代だと見ることができる。アメリカのモノにあふれたデパートと市民の図と、ソ連の計画経済のモノのない配給の店にならぶ市民の図の対比が、象徴的だったね。

  体制の崩壊の序曲は1937年、70年目の日中戦争からはじまっており、今サイクルでいえば70年目は2014年にあたる。このあたりに崩壊のプレリュードがはじまるのだろうか。

 上昇と下降のサイクルでわかることは、単一目標の危険性ということだね。国民一体となって単一目標に集結するのは力を発揮するが、達成後の崩壊過程がはなばなしすぎ、おまけにその成功した得意なことによって壊滅状態に追い込んでしまうという皮肉である。明治では軍事力によって世界に伍したわけだが、その軍事力によって壊滅的になってしまった。昭和も経済力で世界に覇をかけたのだが、おなじような報復を受けるのだろうか。

 昭和サイクルでいえば、1990年代にバブル崩壊、社会主義崩壊、大手銀行・証券破綻という歴史の曲がり角を経験している。経済大国の目標という単一目標はここで終焉したのだが、この体制の解除もしくはほかの目標体制への転換といったことがおこなわれなかった。単一目標の弱点が露呈して、その後社会も経済も漂流、衰退したままである。

 壊滅的な状況にならないとわからない、変われないということなのだろうか。そこまで追いつめられないと体制と既得権益は変えられないということだろうか。

 未開民族では世界がそこまでの危機をむかえるまえに王殺しがおこなわれた。フレーザーの『金枝篇』は世界中の王殺しの事例をあつめた書物だね。「王」というのは世界の若々しさや活力、精力をもたらす象徴のようなもので、その王が老いたり、活力を衰えさせる前に新しい王をすげかえないと世界が衰微・滅んでしまうという認識があった。

 「王」というのはこんにちでいえば、至上価値や単一目標のことをさすのだろうね。そういった支配的な価値観をすげかえないと世界は壊滅的な状況に追い込まれてしまう。というよりか、社会は単一目標に固定されてしまうのではなく、複線化の目標や価値観を先に組み込んでおくべきで、単一価値社会の弱点と弱さをとりかえしのつかなくなる前に防ぐものを植え込んでおくべきなのだろうね。

 徳川家康は天下統一がなされたあと、それまでの戦火の功労者たちの首切りを断行した。目標や価値観が変わったことを目に見せて宣告したわけである。こんにちの日本はそういった宣言がおこなわれず、ずるずると旧体制のままで漂流しづけて、その成功価値至上の破滅と報復を受けてしまうという皮肉な結果におちいるようだ。

 この80年周期説をとなえたのは若者のアパシーや無気力を研究する稲村博で、ピークの89年のことだった(『若者・アパシーの時代』)。その後はひきこもりやニートといったかたちで長期化している。

 明治期にもピークの日露戦争後に「大学は出たけれど」といった高学歴者の就職難や漱石の「高等遊民」といったかたちであらわれている。目標のしめつけが厳しすぎる体制に若者が適応できず、前時代の過酷な体制が目標終焉後もつづいており、理解も賛同もできない社会体制が世におおっていることに耐え切れないのである。

 この単一目標に拘束されたシステム・体制を解除・緩慢にすることが必要だと思うのだが、支配的な価値観を形成できたそれへの抵抗はむずかしいものになっているのである。それゆえにその体制・価値観が自滅するまで、世を変えることができないということだろうか。

 もし今サイクルが崩壊し、次サイクルがはじまるようなら、この二度の過ちの教訓を学ばないことには為政者や支配者層の愚鈍ぶりは頂点をきわめることになるだろうね。民主政治といったものは「王殺し」のシステムを組み込むことに失敗しているというしかないね。


484706058X日本人はなぜ破局への道をたどるのか ~日本近現代史を支配する「78年周期法則」~ (ワニブックスPLUS新書)
藤井 青銅
ワニブックス 2012-08-08

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4480087370初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
ジェイムズ・ジョージ フレイザー James George Frazer
筑摩書房 2003-01

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4101491054現代を見る歴史 (新潮文庫)
堺屋 太一
新潮社 1991-04

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4140015713若者・アパシーの時代―急増する無気力とその背景 (NHKブックス)
稲村 博
日本放送出版協会 1989-04

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10 30
2013

日本崩壊80年周期説

「昭和10年代を蘇らせるな」――『昭和史の教訓』 保阪 正康

4022731281昭和史の教訓 (朝日新書)
保阪 正康
朝日新聞社 2007-02

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 日本は40年ごとに上昇と崩落をくりかえしているという80年周期説の検証のためにしばらく近現代史に手をつっこんでみようと思う。

 2013年は戦後昭和のスタートから69年目であり、明治のサイクルでは69年目はちょうど1936年の二・二六事件がおこった年にあたっている。80年周期では日本が破滅へとむかっていった時代のふしめをむかえようとしているのである。

 こんかいのサイクルが前回のサイクルのように軍事行動に出る可能性はほとんどないと思うのだが、明治も昭和のサイクルもいずれもピークの40年ころを境に下落と衰退をむかっている。大正から昭和にかけての歴史を知らないわけにはいかない。

 この本は「昭和10年代を蘇らせるな」という帯のコピーが踊っている。日本が破滅へと向かっていた昭和10年代の失敗を学べという本である。

「二・ニ六事件は名実ともに成功して軍事主導体制ができあがったといっていい。あるいは日本軍国主義の国内体制は固まったという言い方をしてもいいように思うのだ。昭和十年代はこの二度目の二・ニ六事件によって、その運命が決まったということが、実は最大の教訓なのである。ここから学ばなければ、昭和史の重要な事実、あるいは重要な視点を見失ってしまうといっていいのではないか、と私は考えている」



 二・ニ六事件とは昭和11年に青年将校と兵士千五百人が要人邸など九ヶ所を襲ったクーデターであり、大臣や蔵相などが殺されてとんでもない事件である。

 これに先立つ昭和7年には青年将校が首相官邸や警視庁を襲い、犬養毅首相が射殺されている。しかしかれらに同情が集まり、減刑嘆願書が百万通あつまったということである。この事件の対応により、のちの二・二六事件につながり、国内の軍事主導体制が固まってゆくのである。暗い時代に転げ落ちていった最大の教訓はここにある。

 国連を脱退した松岡代表は国民に石を投げられると恐れていたそうだが、横浜の埠頭に二千人の国民が集まり、万歳を叫んでいたという。国民は満州事変を中国による不当な攻撃による戦争だと思い、なぜ日本の言い分が認められないのかと不満に思っていたという。新聞十二社も連盟で抗議を世界に発した。

 二・ニ六事件によって暴力による報復を恐れて人々や議員もだまるようになる。軍隊の暴走をとめようがない体制ができあがったのである。

 軍人というのは戦争をおこさないかぎり自分たちの存在理由をみいだすことができず、戦争の勝利によってのみ国への奉仕の強い確信が生まれる。そのために戦争への衝動はとめることができない。

 日清、日露戦争までは上昇気流に乗ったのだろうが、社会は40年目ほどのピークをへて下り坂にむかっていったのだが、再奮起をかかげようとして失敗したのが日中・日米戦争ではないのかと思う。

「日本の軍人たちは日清戦争で清国から莫大な賠償金(二億両)を獲得している。当時の国家財政の一・五倍である。それによって明治三十年代からの富国強兵は成りたった。さらに日露戦争によって満鉄の利権を始めロシアがもっていた権益を確保し、樺太の南半分もまた日本の領土とすることに成功した。

戦争に勝つことによって、日本は世界の一等国になったのである。その賠償金によって国は富める国へと変わっていったのである」



 軍人のこのような成功体験が、日中・日米戦争の破滅へと導いていったのである。軍人たちには国への奉仕と存在理由を証明したいと思い、よきことをしているといった確信をもっていたのだろうが、もう時代や状況はその挑戦を承認できないようになっていたのだろう。

 わたしの問題意識は社会の上昇と下落の社会心理や社会情勢といったものをさぐりあてたいという目的におかれているのだが、この本の問いはむろんなぜ昭和は破滅へと向かうまちがった道に落ち込んでしまったのかという検証である。問いはすこし違う。

 日本の社会情勢というものが40年ごとに上昇と下降の気流にのるとしたら、昭和の失敗は下降気流のなかにあって、上昇志向をめざしてしまったということになるだろうか。社会というのは上り坂と下り坂の気運というものをもつとしたら、昭和は下り坂を下ることしかできない社会情勢だったのかもしれない。いまの平成デフレや失われた二十年といった月日に似ており、そういうなかでむりをしてしまったことが国家的な規模の破滅をみちびいたのかもしれない。

 上昇と下降の80円周期というものがこんにちの社会にもあてはまるとしたら、崩落の四十年をげんざいもたどっているといえるかもしれない。そういう意味でさいごの崩落へとむかっていった昭和十年代というのは、これからの未来を暗示するかもしれない貴重な歴史の教訓である。このような歴史のわだちは日本社会に組み込まれているのだろうか。

 戦後のパターンが前半40年の高度成長期と、それ以降の40年は失われた二十年といった崩落と停滞の道すじをたどっている。明治から昭和にかけてもこのようなパターン・サイクルはあったのだろうか。そういう検証のためにしばらく近現代史の本にとりくむつもり。


昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)戦前日本の「グローバリズム」 一九三〇年代の教訓 (新潮選書)日本の失敗と成功―近代160年の教訓昭和史発掘 (7) [新装版] (文春文庫)二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 (ちくま学芸文庫)


11 02
2013

日本崩壊80年周期説

三代目が日本を崩壊に導くのか――『「坂の上の雲」と日本人』 関川 夏央

4167519127「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)
関川 夏央
文藝春秋 2009-10-09

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 司馬遼太郎も40年のサイクルを憂えていた。

 <偉大な明治><健康な明治>は40年をすぎた日露戦争をさかいに、なぜ「奇胎の四十年」を生み出したのか。

「日本の近代を食い荒らしたこの胎内の異物は1905年から45年までの「日本近代40年」のことである」



 と司馬遼太郎は書いている。

 「若くて健康な日本」は日露戦争をさかいに不機嫌で病的な軍事国家に変質した。司馬は68年の学生運動に「自由で食える国」をやめてまたあの「奇胎」の時代にもどろうとしているのではないかという恐れから、『坂の上の雲』を書いたという。

 解説の内田樹はいっている。

「『坂の上の雲』を健全なナショナリズム賛歌のようなものとみなして、それを高く評価する人も、それゆえに批判する人もいまでに多い。けれども、この作品に伏流しているものが、その「健全さ」がどれほどたやすく失われるかについての不安であることを、日本人そのものに対する不安であることを見抜いた人は少ない」



 司馬は軍の暴走をつくったのは軍だけの責任ではないといっている。その源泉にはポーツマス講和条約に反対し、日比谷公園で暴徒化した大群衆にあるのではないか。「この大会と暴動こそ、むこう四十年の魔の季節への出発点ではなかったのかと考えている」。

 大岡昇平も同じようなことをいっている。

「では祖国は敗けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を三代目が台無しにしてしまったのである。…あの狂人共がいない日本ではすべてが合理的に、望めれば民主的に行われるだろうが、我々は何事につけ、小さく小さくなるだろう。偉大、豪華、崇高等の形容詞は我々とは縁がなくなるだろう」



 この三代目というのが漱石が『三四郎』などでこだわった「明治十五年以後生まれの青年」たちだ。この世代が「奇胎の四十年」とよばれる暗くて不健康な時代をつくったのだろうか。

 この漱石の「高等遊民」の出現とおなじような昭和の若者の無気力やひきこもりの元祖の出現をみた稲村博は、日本社会の80年周期説をとなえた。

 「明治十五年以後生まれの青年」を単純化して戦後から十五年にあてはめれば、「昭和35年以後生まれの若者」になる。この世代ころから昭和はひきこもりやフリーターといった「やる気のない若者」を生み出してゆくのである。

 日本の「経済大国化」の夢に追いつけず、もう降りてしまいたいと思うようになった若者たちである。わたしには身の覚えがあるというか、42年生まれのわたしは先行世代の経済主義的な生き方がたえられない。こんご、この世代が「奇胎の四十年」をふたたび招来させるのだろうか。

 不名誉な冠をいだいた反論として、昭和の経済化はほんとうに「若くて健康的」だったのかと思う。国家や会社のために自分の人生を犠牲にする価値観が理解できなかったから、先行世代の目標や坂の上の雲に反撥したのである。そういう意味で明治の若くて健康的な四十年も、司馬のいうように礼賛にあたいするか、世代としては承服しかねる姿勢である。

 成長や上り調子の四十年というのは昭和の高度成長も、なりふりかまわない激務やたまたま経済的な順境に合致しただけであって、その時代の人間の精神や素質が優れていたとは思われない。なにより第三世代はその裏面や疲労倦怠を知っている。

 先行世代がりっぱだったのではなくて、先行世代の夢を継承する気になれないのである。世代の素質ではなくて、時代環境の違いに過ぎない。継承者はその先行世代のがんばりや邁進の気持ちがもう理解できないのである。

 戦後の日本は90年のバブルピークをさかいに「失われた二十年」といった月日を停滞している。ちょうど戦後から四十五年目からである。2013年は戦後から68年をすぎている。サイクルがくりかえされるとしたら、司馬遼太郎のいうような「奇胎の四十年」はもう半ばをすぎたといえる。第三世代はこの日本をまたあの崩壊の危機に立たせるのだろうか。80年目は2025年にあたっており、ふたたび目をおおう惨状を地上に出現させることになるのだろうか。

 なおこの本は終りのほうに以上のようなことがまとめられており、内田樹の解説が簡潔に要を得ている。評論的なことはさいしょの章にすこしのべられており、中身は日露戦争の史実をたどった内容が多いだろうか。

 わたしはこの本から80年周期や上昇と崩壊の四十年の社会心理はどのようなものかさぐりたいと思っているのだけど、この本からはそれをつかめたとはいいがたい。日露戦争の戦術論といったものはまったく興味をもてないしね。関川夏央の文芸的なやわらかい文章はいいと思うんだけどね。

 
坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)誤謬だらけの『坂の上の雲』―明治日本を美化する司馬遼太郎の詐術NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う―日清戦争の虚構と真実司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う『坂の上の雲』と司馬史観「坂の上の雲」と日本近現代史『坂の上の雲』の群像とニ・ニ六事件、日米開戦をつなぐ歴史の謎坂の上に雲はあったか―明治国家創成のミスキャスト司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか


11 08
2013

日本崩壊80年周期説

西洋のモデルと憧憬――『西洋の事情と思想』 新渡戸 稲造

4061586386西洋の事情と思想 (講談社学術文庫 (638))
新渡戸 稲造
講談社 1984-06

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 昭和三年の早稲田での講演を本にしたものだが、まったくたいしたことをいっていない。さぞかしむかしの人の西洋観というものはいまと違うものだろうと思っていたが、さして代わり映えもしないし、てんで異なった西洋観を聞けるわけでもない。

 もっと古い明治のはじめくらいの西洋観と思っていたけど、昭和はじめではそう異ならないのかな。福沢諭吉の西洋観なら時代の違うおもしろい西洋観を見せてくれるのかな。

 新渡戸稲造はむかし五千円札の顔になっていたし、人生の三分の一を外国でくらし、ドイツ語と英語で本を書き、国連事務局次長とはたらいた国際人としての評価が高かったのかな。

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 ▲1984年から2007年までが新渡戸稲造。

 いぜんまではよく西洋となんでもかんでも比べて遅れているとニュースになっていたものだが、さいきんは聞かなくなった。日本はもう西洋に学ぶ時期を肌感覚でもうしなったのかな。

 アメリカのテレビドラマが日常生活や消費のモデルや理想として人々を魅了した時代も去って、CMのモデルに「ガイジンさん」が使われることもめっきり減った。もういまの日本のありかたに満足するようになって、西洋に理想と劣等感をいだいていたころはほんとうに去ってしまったのだろうか。

 そういう時代にもう一度、西洋の理想や劣等感とはどんなものだったのかとあらためて問い直してみることはなにかの発見や意外な見方を得られるかなと思ったのだけど、この本にはほとんどなにも感銘をうけることはなかった。

 モデルや理想となっていたころの「熱い憧憬」は、それらを手に入れてしまいもう学ぶことはないと慢心できるほどの時代になったげんざい、憧れと手に入れた現実とのギャップにこっけいさや憐れみを見出す落差をわれわれにつきつけるかもしれない。むかしの西洋観はそういうものを見せてくれるかなと思ったのだけど。

 モデルなき時代にモデルや憧憬があったころの時代は郷愁や懐古を生み出すものである。昭和三十年代がブームになったようにね。西洋の坂の上の雲があったころがなつかしいという郷愁の時代がまだきていないということは、まだわれわれはそれらをなくしてしまった、うしなってしまったという自覚をもっていないのかもしれない。

 いつか西洋というモデルと憧憬があったころはよかった、なつかしいという時代はくるのだろうか。まだわれわれは西洋の吸収と学習を、完全に離反するほど離れていないのだろうね。


自警録 (講談社学術文庫 (567))武士道 (岩波文庫)逆境を越えてゆく者へ自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む (知的生きかた文庫)新渡戸稲造論集 (岩波文庫)


11 09
2013

日本崩壊80年周期説

詳細からみえる大局――『日本の失敗』 松本 健一

4006031343日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)
松本 健一
岩波書店 2006-06-16

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 日本の40年ごとの上昇と下降の状況を知りたいからこのような近現代史の本を読んでいるが、わたしのなかにはなぜ日本はまちがったのか、あやまった道におちいったのかというよくある問いはない。もうこのパターン的思考ばかりなぜするのかとぎゃくに問いたいほどだけど、そろそろ違う問いかけのすじ道をつくったほうがいいのかもね。

 近現代史の本はあまり読んだことがなかったから、こういう追求や思考パターンをするのかといった感銘のほうが先に立つね。全体としてのまとまった感想をいだきにくく、個別に印象にのこった部分を羅列してゆくしかないね。

 アメリカが文明国とよばれるようになったのは、1898年の米西戦争に勝ってからだ。日本がそうなったのは1905年の日露戦争からだ。いがいにこのふたつの国の列強入りは近い時代だったようで、あんがい双子のようなものだったといえるかもしれない。植民地侵略するようになって文明国とよばれるようになったことに岡倉天心が疑問をていしている。

 日本陸軍の仮想敵国は日露戦争以後、第二次世界大戦までロシアだった。じっさいの相手は中国であったが、ほんとうの敵はロシアだった。第一次世界大戦のあと、アメリカに転じた。

 北一輝は日米戦争がはじまると敵国となるのはアメリカだけではなく、イギリス、中国、ソ連が加わって世界大戦になると警告していた。これまでの権益がいっきょになくなってしまうから、対米戦争はどうしても回避しなければならないといっていた。

 日露戦争以後、日米間の葛藤は中国の権益をめぐっておこっていると北は考えていた。中国を舞台に日米帝国主義の覇権競争がひきおこされていたのだ。このまま放置すれば、破滅的深淵に突入するだろう。

 石橋湛山は大正9年に書いている。

「欧米の諸強国は、最近の五年に亙る戦争に於いて、疲れに疲れた、ヘトヘトになった。如何なる事情があっても、当分戦争する気はない。然るに強国を以て任ずる国に、戦争をし足らぬものが二つある。米国と日本だ。しかもこの両国は実は資本主義の真盛り期に属し、殊に戦時中、両国の政治を支配せる資本家階級は、経済上の意外なる幸運に接して、さもなくば、数十年でも達し難かるべしと思われる程の大発達を、僅々数年間に成就し、今日はその得意驕漫絶頂に立て踊っている」



 第一次世界大戦の戦争特需が、戦地にならなかった日本とアメリカの資本階級に利益をもたらし、戦争への誘引をたぎらせていたということだね。

 石橋湛山は、大英帝国がその戦略をテリトリー・ゲームからウェルス・ゲームへと転じつつあることを敏感にとらえていたそうだ。テリトリー・ゲームは長い目で見れば、経済的に引き合わず、民族主義的な抵抗もひきおこしやすい。世界はこのようなルールに変わろうとしていたのに、日本は満州に手を伸ばし、世界とアメリカとに衝突することになるんだね。

 もう国際法、世界史のヴェクトルにそむいた侵略であると、世界に認識されるようになっていた。満州事変は「世界大戦によって惨禍を蒙った諸国が樹立した戦争制限と防止の新組織の上に加えられた最初の重大な打撃であった」(スチムソン『極東の危機』)。

 石原莞爾は辛亥革命をみて、中国人は「高い文化」をもっているが、「近代国家を建設する」ための「政治能力」はもっていないと思うようになった。満豪問題を解決する唯一の方策として日本がそこを「占領統治」するしかないと満州事変という謀略を計画するようになった。石原莞爾は中国人の民族的独立、幸福を中国人側にひきよせて考えていたとは意外だね。民族主義者の心根を理解する人だったが、他国にそのようにされる抵抗には気づけなかったようだ。

 満州国はアジア解放の礎石として考えられていたそうだね。農民大衆の熱烈な支持のうえに独立国家をつくり、既得権の返還と援助をおこなうと考えていたそうだね。勤労大衆を資本家政党の独裁および搾取から解放し、アジア解放の原動力になる理想国家がめざされていた。これは腐敗した政党政治に憤りを燃やしていた青年将校たちとの日本での理想の具現化だね。石原は軍中央はこの動きに賛成してくれないと悟り、関東軍だけで謀略を計画し、軍もその方向に思わずひきずられたかたちになったということだ。

 第9章でとりあげられた昭和11年の2.26事件後の議会での斎藤隆夫の名演説が青年将校たちの心理をたくみにえぐりだしている。

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 ▲斎藤隆夫(wikiより)

 こんにちの政党、財閥・支配階級はことごとく腐敗堕落している、これを放置するば日本はかならず滅亡する。日本国家の大改造をやるしかない。北一輝などの本を読んで刺激されたという思想の単純さ。すぐ一部の不平家や陰謀家などの言論を信じ、複雑な国家社会の認識をあやまることが、青年将校のおこした事件の大原因だったと。こういう軍部にたいする批判はこの後、消えてゆくわけだね。

 日清戦争後、ヨーロッパ人はこれほどまでに忠実に国際法を守った国は日本以外にないと驚嘆されていた。日露戦争でも傷病兵を病院に運ぶためのロシア軍の白旗のたびに日本軍はその砲撃をいっせいにとめていた。

 しかし太平洋戦争から聖戦のために「生きて虜囚の辱めを受けず」という考え方に変わり、国際法のかわりに聖戦の大義のために潔く死ね、ということになった。それゆえに敵兵にも捕虜となることを認めなくなる。南京の日本軍ははじめから捕虜をつくらない方針だった。それなのに「投降者」がぞくぞくとあらわれて、始末に終えなくなった。そのために片っ端から「片付け」ざるをえなくなったという。自分たちを縛るルールが鏡のように相手の国に向かっていたことがわかるね。

 以上で銘記しておきたいところの抜き書きは終り。じつに微に入り細にうがち、詳細に入り込んでいる近現代史だね。大局が見えなくなる難点もなきにしもあらずだけど、微少な部分から大局が見えてくるという本でもあったのかな。


最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)国体論及び純正社会主義(抄) (中公クラシックス)石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)評伝 斎藤隆夫―孤高のパトリオット (岩波現代文庫)思想としての右翼


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Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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