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05 30
2004

書評 社会学

『ケータイを持ったサル』 正高 信男


ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊
正高 信男

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊

 売れているようですね。売れているのは地べたに座ったり歩きながら飲食する若者の行動の意味を分析したからだと思う。

 著者はそれを「家のなか主義」といっている。家の外まで私的空間と見なせば、家の中のようにくつろげるし、自由に飲食も座ることもできる。つまり公共空間の拒否で、これはひきこもりも共通していてかれらは自分の部屋だけに私的空間をとじこめてしまったわけである。

 日本の母子関係は公共空間に出てゆく教育をあまりしないという。私もそうだ。公共空間をかなり苦手とする。学校なんかひきこもりみたいなもので、ほかの年齢の人や外集団とかかわることはほとんどない。公共空間に出る訓練がほとんどできないのだ。いや、社会全体が外集団とかかわることを拒否しているのかもしれない。日本の公共空間をつくるということは重要な課題かもしれない。


考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 天才はなぜ生まれるか 父親力―母子密着型子育てからの脱出 人間性の進化史―サル学で見るヒトの未来 子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ
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05 30
2004

書評 社会学

『日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか』 長野 晃子


日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか
長野 晃子

日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか

 そうです。私もいつも人に対して「申し訳ない」と思って生きております。なんででしょうか。

 日本人は罪の意識を内面に植え込まれるそうだ。子供のころ、悪いことをすれば、母親にいやな気分になることを教え込まれる。物置や外に放り出される。そうやって自分で自分を罰する罪の意識をやしなってゆく。

 幽霊の恐怖も、そういう罪の意識をやしなうのに利用される。お岩さんやむかしの民話の子供の顔が殺した男の顔になったなどの話がそうである。じっさいに良心の呵責にさいなまれて警察に自首する人もいる。罰し手をみずからの内面に刻み込まれるように日本人はしつけられるわけである。

 長野はベネディクトの「恥の文化」にたいして日本は罪の文化であり、西洋のように罰し手を神や教会のように外に持つものと違って、治安や秩序の安定にかなり貢献しているとくりかえす。

 でも恐怖で人を支配するのって良い方法なのだろうか。恐怖感を刺激されるわれわれは自由に平穏に生きられているのか。イギリスのミルだったら人が殺されることより、個人の心の自由のほうが重要だといった。人間の心の成長には想像でしかない恐怖感を払拭することがとても重要なのだが、すぐ罪の意識を発生させるわれわれの心の回路を断ち切る必要もあるのかもしれない。


涙と日本人 世界が称賛!!伝説のニッポン人 お金持ち脳になる10の習慣―富と幸せを引き寄せる「脳のスイッチ」の入れ方 謝らないアメリカ人 すぐ謝る日本人―生活からビジネスまで、日米を比較する これだけは知っておきたい日本・中国・韓国の歴史と問題点80
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05 30
2004

書評 社会学

『アメリカは恐怖に踊る』 バリー・グラスナー


アメリカは恐怖に踊る
バリー・グラスナー 松本 薫

アメリカは恐怖に踊る

 アメリカについて描かれた本であるが、日本にとってもとても重要な本である。ニュースや広告の社会とは恐怖を煽りつづける社会だからだ。恐怖によって人は新聞を買ったり、商品に魅きつけられたりする。だから消費社会において恐怖はどこまでも煽りつづけられる。この社会で恐怖に感じるものはかなり割り引かなければならない。

 新聞や医学や保険などが恐怖を割り増しにしていることにあなたは気づいているだろうか。美容業界やファッションやさまざまなメーカーがあなたの劣位や脱落の恐怖を煽っていることに気づいているだろうか。そうしなければ商品は売れないのである。

 だからわれわれは恐怖に感じるものについてはそれを割り引いて捉えなければならない。この社会の恐怖の構造をしっかりと把握しておかなければならない。この社会の情報発信人とは恐怖の商社であり、恐怖のサギ師なのである。恐怖に踊られさている自分たちの姿をつきはなして笑え。


要塞都市LA ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市 機会不平等 21世紀アメリカの社会問題 不屈のために 階層・監視社会をめぐるキーワード
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05 30
2004

書評 社会学

『足が未来をつくる』 海野 弘


489691791X足が未来をつくる―“視覚の帝国”から“足の文化”へ
海野 弘
洋泉社 2004-02

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 マクルハーンの視覚優位の話をそのまま下敷きにした本だと思われる。足の復権が唱えられているが、心に響くものはなかった。視覚優位はなかなか超えられないのではないかと思う。


05 30
2004

書評 社会学

『清福と貪欲の日本史』 百瀬 明治


4047041467清福と貪欲の日本史―日本人の本道とは何か
百瀬 明治
角川書店 2003-10

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 この本はほのぼの良かった。清福と貪欲の人がさまざまに描かれている。現代は貪欲が肯定される世の中であるが、無欲が肯定されたり賞賛された世の中とはどのような社会だったのか興味がある。でも現代が貪欲を強制されるように、無欲が強制される時代はもっと始末に終えないだろう。無欲に生きる人とはまわりの趨勢に関係なく生きられる人のことをいうのだろう。まあ、私もそんなに無欲に生きる気はないし。


07 11
2004

書評 社会学

『OLたちの「レジスタンス」』 小笠原 祐子


OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム
小笠原 祐子

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム

 べつに社会学書というよりかエッセイに近く、目新しいことは書かれていなかった。

自動車絶望工場―ある季節工の手記 「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ 管理される心―感情が商品になるとき できれば幸せに働きたい―働く女(ひと)の身の振り方 フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門


07 11
2004

書評 社会学

『機会不平等』 斎藤 貴男


機会不平等
斎藤 貴男

機会不平等

 格差や不平等がひろがってゆく社会は恐ろしいことでもあるし、ショックなことでもある。その弊害面はずっと見つづけなければならないと思う。

 ただ私はこの経済のぜんぜん成功者でもないけれど、自由主義や金持ちと階層がひろがってゆく世の中はある程度は受け入れなければならないと思っている。そういう格差や階層がひろがってゆく社会でこそ人はがんばったり、やりがいをもったりすることができるだろうし、みんなが平等になろうとしたらたぶん努力や向上心というものは失われ、憧れや尊敬も生まれないと思うからだ。

 格差ができたらぎゃくに人はおのおのの生活圏だけを守ろうとし、自分の満足を追求し、多くの人が国家や社会の行く末を心配するというある意味異常な社会はなくなると思うし、いまみたいにお金や企業などの一元的な価値基準だけで判断する人も減るだろうと思う。平等社会というのはある意味お金での基準のみに人を縛りつけるということだ。

 また平等な社会をつくろうとすることは国家にお金や権力が集中的に集まる機構をつくることであり、政府がますます人の生活や生き方を決めつける社会になんかなってほしくないと思うだろう。

 以上のことから私は市場原理社会は容認したい方向にあるが、このような姿勢は非エリート層の国家権力に従順な心の涵養を助けるだけだという批判がある。みずから権力に従うような卑屈さがある。でも市井の人間が権力には歯向かうことが、批判を商売にできるマスコミ関係者とちがって、どんなに苦痛と損の多いことになるか考えるべきだと思う。

 格差や階層のゆがみや矛盾をまったく無視してもいいとは思っているわけではもちろんない。この格差がどのような社会をつくってゆくのか警戒していたいとは思う。ただジャーナリズムがよくやるように「被害者根性」だけで世の中を見てほしくない。「被害者」はいつも正義であり、利益であるというのはヘンだ。


教育改革と新自由主義 不屈のために 階層・監視社会をめぐるキーワード 国家に隷従せず 安心のファシズム―支配されたがる人びと バブルの復讐―精神の瓦礫
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07 24
2004

書評 社会学

子供を生み育てられない企業社会


 野口やよいの『年収1/2時代の再就職』(中公新書ラクレ)を読んだ。女性が子供を生んでも働きつづけなければならない時代がやってきたという現実をつきつける本である。

『年収1/2時代の再就職』 野口やよい 中公新書ラクレ
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 妻の収入がなければ家計が破綻するほど夫の収入は頼りのないものになってきている。だから妻はたとえ子供を生もうと収入を絶やすことはできない。せめて小学校入学までは家庭にいたいという女性の願望ももう叶えられないものになりつつある。

 しかし女性の再就職先はほとんどパートか、非正社員しかない。給料は安く、社会保障はなく、解雇の可能性も高い。それでも家計の必要から働かざるを得ない女性たちに選択の余地はない。

 これまで既婚女性たちは家計の補助という名目であったからこそ、低賃金のパートでも我慢できたのだろう。しかしこれからは妻のフルタイム収入は必要不可欠のものになろうとしている。そういう時代に正社員の職は男女ともども少なくなろうとしている。

 女性の賃金や地位が低いのは、家事・育児の負担があるからである。男のようにどこまでも滅私奉公できないから一人前の企業人としてあつかわれない。しかし女性も多くの稼ぎを必要としている。多く稼ごうとすれば、男なみの残業をこなさなければならず、家事や育児ができない。企業というのは人間の再生産を許さないのである。

 これまで子供の出産・育児は女性を労働市場から締め出すことにより解決してきたわけである。男女二人一組で稼ぎと育児を折半し、労働市場の一人としてカウントされてきた。出産・育児はこれで可能になった。そして男は家事や育児のない24時間会社の拘束が可能な労働機械とみなされたのである。男女1ペアになることによって男の労働条件は無限にふくらんだのである。

 一方にこのように滅私奉公できる労働商品があれば、家事・育児の負担がある女性は半人前の労働商品とみなされる。女性やパートの低賃金はこのような理由があるのだろう。しかし賃金の安さから女性の再就職は進み、おそらくは時間内であれば男性と遜色のない仕事をしているはずである。低成長時代に女性は安価な労働商品として増加し、つぎには学生や若者がその低賃金労働商品として労働市場に参入させられるようになった。

 中高年男性は高度成長の恩恵をうけている。収入の伸び率は60年代入社の男性はおおよそ3.5倍になっているが、70年代では1.5倍、95年ではほぼ横ばいとみなすほどになっている。もう若者は給料が上がらないのである。一方、中高年男性は高度成長と労働力不足のため給料が上りつづける恩恵をうけられたのであり、社会保障もしっかりと確保できた時代を生きてこられた。つまりは給料アップや社会保障というのは経済成長が盛んなときだけの「遺物」になろうとしているのである。

 中高年はもうこのまま高待遇を突っ走って食い逃げしてゆくしかないだろう。ただ若者はすでに新しい労働条件を生きてゆかなければならない。賃金は安いし、社会保障も手に入れられないかもしれない。労働と家事の男女一組のペアは不可能になり、男女二人が労働をになわなければ家計が維持できない時代になってゆくのだろう。そのような条件で家事や育児はどう行えば可能になるというのだろう。

 女性は低い賃金や不安定な非正社員の役割をひきうけ、なおかつ家事や育児の負担もあるという苦しい重荷を背負わなければならなくなるのだろうか。働く合間に育児や家事もしなければならず、とてもじゃないけど子供を生み育てることなんてできやしないではないか。専業主婦の存在で可能になった子供の再生産は女性のフルタイム労働が必要不可欠になれば、どのように可能になるというのだろう。子供は保育園で育つのが当たり前の時代になってゆくのだろうか。家庭より人がいっぱいいるところで育つほうが健全とも思えなくはないが。

 女性のフルタイム進出により男性の24時間滅私奉公しなければならない労働条件はどうなるのだろうか。この条件が緩和や禁止されれば、おそらくは女性の給料も男性と均衡がとれてくるだろう。専業主婦のいる男性だったからこそ滅私奉公の労働商品が可能だったのである。このような商品と競合する女性はとうぜん低い賃金に甘んじさせられるだろう。男性には趣味や家事が必要な存在として滅私奉公の労働商品になるのはもうやめてほしいと思うが。

 賃金が減り、正社員が減らされ、社会保障がなくなってゆく時代というのは経済評論家や財界などが予測や指針としてもう10年や20年も前からいってきたことである。そのような時代が現実のものになろうとし、現実の家計を直撃しはじめている。もうわれわれは親のような豊かな時代、恵まれた環境を生きることはできないのだ。

 そうなれば開き直って経済やカネの価値ばかりではなく、自分の趣味や楽しみのために生きる人生を生きてゆこうではないかと私は思う。前の世代は金銭的には恵まれていた分、あまりにも企業戦士やエコノミック・アニマルになりすぎていたのである。恵まれない分、われわれは違った選択をする可能性が生まれたのであり、経済至上主義からの脱却のチャンスだと前向きに捉えたいと私は思う。おカネに恵まれないのなら、ほかの価値を肯定して楽しみながら生きようじゃないかといいたい。他人とカネだけで比べる人生はもうやめようじゃないか。

08 24
2004

書評 社会学

『年収1/2時代の再就職』 野口 やよい


年収1/2時代の再就職
野口 やよい

  年収1/2時代の再就職

 子供が小さいうちは家庭にいたいという女性の願望は叶えられなくなりつつあり、生活のために働かざるを得ない女性たちの現実が拡大しはじめている。夫の収入だけでは生活費をまかなえず、しかも女性の再就職先は半数以上が非正社員である。

 家庭をもっている若い人、これから家庭を持とうとしている人すべてに読んでもらいたい注目すべき本である。若者が家庭や子供をもつことの現実が如実にわかる本だ。

 これからの若者はもう家庭も子どもももてないのだろうか。女性は専業主婦になるより働くほうが私は賛成だが、この過酷な企業社会で女性が働きながら子どもを育てるのはますますハードになりつつあると思う。

 戦後の企業社会は子育てという機能を女性一人に囲わせ、企業社会から切り離したおかげで経済機能を高めることができたのだが、不況によって男の給料を下げてきたのだから、専業主婦も働かざるを得なくなり、家庭や子育てという放棄した責任と向き合わなければならなくなっている。

 企業は家庭や子育てという無視すればよかった社会責任の一面を担わなければならなくなったのである。経済か、社会か――この少子化社会では選択の余地はないはずなのだが、おそらく舵取りはおこなわれず、このまま社会の家庭や子育て機能は壊滅してゆく一方になるだろう。経済総動員国家は子どもの再生産という機能に復讐されるのである。人間らしい生き方ができない国家は人間という種にいつか仇を打たれる。


サラリーマン残酷物語―起業か、転職か、居残るか 働きすぎの時代 技術経営の挑戦 能力構築競争-日本の自動車産業はなぜ強いのか 中公新書 働くということ - グローバル化と労働の新しい意味
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