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06 17
2016

セラピー・自己啓発

他人の犠牲者にならないための「唯心論」のススメ

 ふつう人は自分の外側に人やモノ、景色があり、外側の世界は自分の意志で動かせることがむずかしいので、怒りや被害をうけるものと思っている。これは科学的世界観の根本であり、自分の外側のモノは自分と無関係と思っている。

 しかしこの無意識の思い込みは、いろいろと被害をもたらすものである。

 この世はすべて自分の心だ、この世界にあらわれる人・外界・ものごとはすべて自分の心がつくりだしたものと思ったほうが、はるかに健康に、外界に煩わされることが少なく生きられる。

 自分の外側に世界や客観的世界があると思い込んでいると、自分はいつも「被害者」のように「他人のせい」や「他人の責任」に押しつけてしまい、他人が変わったり、謝るまで、いつまでも怒りや苦痛を抱えていなければならなくなる。

 反対に唯心論は、外界の出来事や人もすべて自分の考え方、捉え方の問題と考える。あるいは考えない、忘れる、捨てるという最大の心の武器を身につけることもできる。

 人がどうあろうが、外界がどうあろうが、心の在り方を変えることによって、自分の心的環境を心地よいもの、快適なものに変えるのである。

 唯心論の反対の立場、唯物論なら、外界や他人が変わるまで自分の心が晴れることはない。だけど唯心論の立場では、外界や他人がどうあろうが、自分の心を快適に、過ごしやすいものに変える。そのためにいつまでも外界の被害者にならずにすむというわけである。

 唯心論は心に入れるものを、食べ物のように考えるとわかりやすい。食べ物で毒のあるもの、まずいもの、食べたくないものをわざわざ口にする人はいない。考えたり、思ったりすることが体内に入れる食べ物なのであって、体内環境である。

 外界のせいにする唯物論は、好んで自分の食べなくないもの、嫌いなもの、恐れるものを、口にするのである。どちらかというと、そういう汚い食べ物を口に入れつづけるのが習い性になるのが、唯物論的臆見はふつうである。

 他人やものごとはすべて自分の外側にあり、自分の心ではない。そうすると外界のひどいこと、つらいこと、いやなことは間断なく自分の心のなかに入ってくる。さらに外界に怒りを感じ、悪循環をくりかえすことになってしまう。汚い、まずい食べ物をむりやり口に入れつづける人になってしまう。

 外界に思うことの心の選択権をまるでもたないのである。唯心論なら外界のあらわれもすべて自分の心だから、きれいなもの、汚いものを選択して、自分の心に入れるものを選択排除することができる。それは自分の体に入る食べ物を選択する立場のことである。ふつう食べ物の好みを選択することはあたりまえなのに、心の食べ物に気をつかう人は少ないのである。

 これは無意識につちかわれる外界は自分とは関係ないと思い込む素朴な世界観によってひきおこされる。

 他人や外界が自分の心だ、心に思っていることのあらわれだと気づくことはなかなかむずかしい。

 「あなただ、あなただと思っていたが、わたしだった」という言葉を、たしかケン・ウィルバーかだれかが語っていたが、他人もわたしなのである。

 むろん視覚的には他人である。ただ、その他人に思うこと、感じることは、自分の心内に属することである。そしてそれを選択・操作する力は、自分にそなわっている。唯物論的立場は、その選択権をもたないゆえに、外界の犠牲者になりつづけると思うのだが、たんに自分の心の選択権をもたない、知らないだけなのである。

 唯心論は、自分の心の中に入れるものを選択することである。きれいなもの、うれしいもの、楽しいこと、すばらしいものを率先して、心や体内の中に入れる。

 反対に唯物論的立場では、自分のそういう選択権を知らない。外界にいやなこと、不快なこと、つらいことがあっても、即座に心にとりいれ、ぎゃくにそういう不快になるものにより多く反応し、多くとりいれる。不快なことコレクション、まずいものを率先して食べるマゾヒストのような外観を呈するにいたる。

 それは無知に由来するというしかない。たんに外界や他人は自分の心ではない、そこに選択権もないし、自分の心を不快に毒するものにしているという自覚がない。

 外界や他人は自分の心のあらわれと思わないだけで、人はいくたものの不幸や惨劇を背負うのである。無意識な世界観をもつだけで、人は外界の被害者になりつづけるのである。

 この世界感の違いだけで、人はずいぶんと違う世界と人生を生きることになる。自分の不幸の原因はこの世界感の違いにあると気づかないことがいかにいることか。

 この世界はすべて自分の心のあらわれにすぎない、そういった考えはなかなか根づかせるのはむずかしいかもしれない。でも、その違いを知らないと、外界にふり回され、他人に奴隷のように翻弄され、自分を犠牲者と思いつづける。

 犠牲者にしているのは、自分の心に入れる選択権というものをもたない自分の無知なのである。


▼まずはダイアーとマーフィーから。
483795572Xどう生きるか、自分の人生!―実は、人生はこんなに簡単なもの
ウエイン・W. ダイアー Wayne W. Dyer
三笠書房 1999-09

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4837909523マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)
ジョセフ マーフィー Joseph Murphy
三笠書房 1998-03

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05 08
2016

セラピー・自己啓発

GW明けに鬱にならないための根本的な頭の切り替え方

 楽しくて、自由な日々だったGWも今日で終わり。

 今日で連休が終わりだ、明日から仕事だと思い出して、じょじょに憂鬱度が増している方もいるのではないでしょうか?

 わたしもそういう魔境にすっかり陥りそうになるので、できるだけそういう思いや思考を捨てるようにしています。


 GW明けに鬱や五月病になる人は、瞑想を知っているわたしから見れば、憂鬱になることでなにかが解決すると思う「信仰」をもっているとさえ思えます。

 いやな気持ち、憂鬱な気持ちになれば、この気持ちやいやなことから解放される、そんな風に思っているにさえ見えます。

 「感情信仰」という風しかないものに陥っていると思えます。

 憂鬱になれば、いやな気持になれば、憂鬱な気持ちやいやな仕事から解放されるでしょうか?

 そういう気持ちになれば、いやな義務的な仕事や学校は、消えてなくなるのでしょうか?

 憂鬱な気持ちになれば、なにかから解放される、解決されるという「信仰」をもっているように思えます。


 感情というのは、「魔術」だとわたしは思っています。

 感情的に思いっきりなにかを思うことによって、それがなくなったり、解決すると思う「魔術」のような信仰です。

 でも感情って、なにも解決もしませんし、解消もしません。

 感情は自分をいやな憂鬱な気分に陥らせるだけで、なにひとつ外界は変わらない「魔術的試み」(byサルトル)だと思います。


 このような感情に魔術的な信仰をもつにいたったのは、対人関係においては一定の効果をもったからだと思います。

 自分が怒っていたり、悲しんでいると、他人が行いや言動を改めてくれたり、心配や気にかけてくれて、他人は変わってくれたからだと思います。

 でもそれは他人が変わってくれるだけで、その他の物事がいっさい変わることはありません。

 感情というのは自分が怒ったり、悲しんだりする「広告塔」や「メッセージ板」となることによって他人にメッセージを示して、他人が変わってくれるための自分自身をメッセージの道具にすることです。

 人間以外のものごとに対して、いっさい効果も影響もない自分のメッセージ化、情報化でしかありません。

 いわば自分を感情の炎に焼かせて、自分が苦しんでいることを他人にメッセージして、他人を変えさせるための伝達手段です。

 他人や外界が変わらなければ、自分を感情的な業火に焼かせる自己罰則や自虐にしかなりません。

 感情は自分を苦しめて、ぎりぎり自分を感情の炎に焼かせて、他人を変えようとする魔術的試みです。

 変わらない外界のものごとにたいしてそれを用いることは、抗議の声を電信柱に向かって訴えているようなものです。


 感情って「おバカな」試みなんです。わかっていただけたでしょうか。

 ならばそのような魔術的な無益な試みをしないようにする方法は、どのようなものでしょうか。

 それが瞑想という方法です。

 思考を捨てることです。考えないことです。頭を空っぽにすることです。

 そのことについて考えないようにすればいいのです。

 感情というのはものごとを考えることによって、思考によって、言葉によって生まれます。

 あなたがなにも考えなければ、頭の中で言葉や回想をしなければ、感情は生まれません。

 だから思考は捨てる、流す、相手にしないという方法が、憂鬱な気分を吹き飛ばすのには有効なのです。

 自分を憂鬱にさせて、外界を変えようとする無益なおこないをやめさせたいのなら、思考を捨てることです。

 
 でもことはかんたんに運びません。

 思考を捨てると気軽に思っても、思考の襲来というのはそれこそ「魔術的」です。

 あなたは考えまい、憂鬱に陥らないと思って、思考をシャットアウトしようとしても、ぎゃくにますます思ったり、考えたりすることの襲撃に悩まされることでしょう。

 思考というのは、自分の意志や思いと関係なく、自動的、継続的に頭の中に沸いてくる「永遠の泉」のようなものです。

 そこで瞑想の訓練――思考を流す、相手にしない、客観的にながめるという訓練がいつまでも必要になるというわけです。

 でも感情はバカらしい、自分を痛めつける愚かな試みだと腑に落ちた方は、瞑想が必要な理由がしっかりと理解できたと思います。


 GW明けにいくら憂鬱な気持ちになったとしても、仕事や学校がなくなったり、いやな気持が解消されるということはありません。

 感情の業火に身を焼かせても、外界のものごとはテコでも動きません。

 変えられないものは感情的に憂鬱やいやな気持ちになっても、なにひとつ変えられません。

 ならば感情的にいっさいならずに、たんたんとそのとき、その時間を過ごすしかありません。

 憂鬱になってもなにひとつ変わらないなら、感情の効果なんていっさいないことを知って、ムダな試みを断つしかありません。

 仕事にロジックな不満や不快感をもっているなら、それはロジックな対策を考えるべきです。ただ感情的に不快な気持ちをもったとしても、それを相手にすることは電信柱に対するような無益なことです。

 頭を空っぽにして、感情的な憂鬱に陥らないように、GW明けの日々をたんたんと過ごしたいものですね。



 ▼以上のようなことをもっと知りたい方はつぎの二冊をおススメします。

4393710312リチャード・カールソンの楽天主義セラピー
リチャード カールソン
春秋社 1998-12

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483795572Xどう生きるか、自分の人生!―実は、人生はこんなに簡単なもの
ウエイン・W. ダイアー
三笠書房 1999-09

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04 13
2016

セラピー・自己啓発

「世界を変えるのではなく、自分の心を変える」転換点の時代

 ウルグアイの世界一貧しい大統領といわれたホセ・ムヒカ前大統領が来日して、話題になっている。


 自分が幸せじゃないのを他人や環境のせいにするな - ムヒカ大統領のスピーチから


 この人の考え方は、ミニマリストであり、清貧の思想であり、隠遁の思想につながるものである。物質消費社会への批判を真正面にかかげている。

 科学と物質消費の拡大と成長によって幸福になるという考え方への批判である。

 日本はながらくこの思想に疑問をいだくことなく、疑ってはならないという社会で生きてきた。こういう考え方は明らかに「宗教」として排斥されてきた考え方である。

 25年以上の長期没落、停滞のうえに、若者の消費欲や恋愛欲の低下、また非正規雇用やニートの増加により、物質消費に望みをたくす生き方の疑問が深く芽生えてきた。

 同時に「世界を変えることはできなくても、自分の考え方を変えることはできる」という思潮の流れは、社会の中にもどんどん浸透してきた。


自己啓発からはじまった?


 このような世界ではなく、自分の心を変えて幸福になるという思想は、科学ではなく、自己啓発とよばれるジャンルで山のように訴えかけられてきていた。

 自己啓発の古典とされるノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』は1952年の発売である。

 願望を潜在意識にうえつければ願いが実現すると説いたジョセフ・マーフィーの著作が発表されたのは1960年代後半から70年代初頭にかけてである。

 全世界で3000万部売れたとされるウェイン・W・ダイアーの『自分のための人生』は1976年である。

 手堅い心理学方面からのベストセラー、マーティン・セリグマンの『オプティミストはなぜ成功するのか』が発売されたのは1990年である。

 日本でプラス志向がうたわれた春山茂雄の『脳内革命』のベストセラーが発売されたのは1995年である。

 禅の教えをとりいれたリチャード・カールソンの『小さなことにくよくよするな!』が日本でベストセラーになったのは、1998年のことである。

 そして消費生活をミニマム化するミニマリストが人々の口にのぼるようになったのは2010年代になってからのことである。

 これらはすべて、「世界を変えるのではなく、心を変えることで幸福になる」考え方を説く思潮の流れである。


ヒッピー・カウンターカルチャーの源流


 この自己啓発の流れの源流にあるのは、60年代から70年代にかけてのヒッピー・ムーヴメント、カウンターカルチャーの流れが源流になっている。

 物質文明の否定や、日本の禅をとりいれた意識革命のムーヴメントが、アメリカでブームになった。

 鈴木大拙や鈴木俊隆とかといった禅者がアメリカでもてはやされた。

 オルダス・ハクスリー、ラム・ダス、ジョン・リリーといったヒーローを生み出し、その流れはニューエイジやトランスパーソナル心理学にうけつがれていった。

 ケン・ウィルバー、スタニスラフ・グロフといったトランスパーソナル心理学者、グルジェフ、クリシュナムルティ、和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)といった神秘主義者の著作も紹介された。

 これらは宗教でいう悟りや変性意識状態をめざしたもので、自己啓発者の次元とは異なっている。だが、心の考え方を変えるムーヴメントの中核や中心である。


消費社会の幸福と科学


 これまでのわれわれの時代というのは、モノをたくさん買い込めば幸福になれるという科学とミックスされた一枚岩の世界観を疑ってはならない時代であった。

 これ以外の考え方をさしはさむことは、宗教だといって断罪された。

 宗教は神に服従するという政治面だけをピックアップされて批判され、心理学やセラピーとしての効用をまったく無視されて悪魔あつかいされてきた。

 物質消費社会と科学世界のスクラムでは、心の幸福を説くなんて、俗信者の説く悪魔のささやきでしかなかった。

 しかしわれわれの社会を見渡すと、じょじょに宗教思想にふくまれてもおかしくない思想は、自己啓発という軽チャーのかたちを借りて、社会の知識の中にどんどん浸透していたのである。

 世界を変えるのではなく、心の考え方を変えて幸福を手に入れるという考え方はもはや宗教領域なのだが、われわれの時代はその静かな移り変わりさえ意識されない時代のなかにいる。

 科学の世界というのは物質だけを見て、心を無視する時代である。モノを得ることが幸福の近道であった。そのために心の存在、考え方がなにをもたらすのかに目をふさいできた。それによってモノの幸福を、モノにふりまわされる心情をダイレクトに手に入れられるからだ。

 客観的世界というのは、主観や自分の心を無視する、存在をないものとする見方のことである。おかげで、われわれの心はモノのあるなしだけで幸福を測ることができる。

 そのためにわれわれは外界の奴隷となり、考え方というフィルターの存在に気づかない哀れな心の奴隷となったのである。


モノに価値をおかない時代の到来?


 心の主観の幸福が重視される時代は、唯物論から唯心論への時代の転換といえる。

 唯心論、心の幸福がますます求められる時代になってゆくのだろう。

 自己啓発や心理学といったジャンルから、深く広くその世界観は浸透しようとしている。

 モノや科学に幸福をゆだねていた時代から、ずいぶんと風変りでおかしな社会に転換してゆく過渡期にわれわれは立たされているのだろう。

 文明では物質に価値をおく時代と、質素で素朴な心の幸福に価値をおく時代は、交互にやってくるもののようだ。

 物質をたくさん貯め込んだ次の世代はもう物質の幸福に希望を見いだせない。そうして心の幸福はいっそう希求され、物質の望みは低く位置づけられてゆくことになるのだろう。

 これまでの正義と悪がひっくり返るような時代に、世代間ではまったく理解し合えない転倒した時代が、これからやってくるのかもしれない。



【新訳】積極的考え方の力マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)自分のための人生 (知的生きかた文庫)オプティミストはなぜ成功するか [新装版] (フェニックスシリーズ)

脳内革命―脳から出るホルモンが生き方を変える小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと (サンマーク文庫)知覚の扉 (平凡社ライブラリー)ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本 (mind books)

無境界―自己成長のセラピー論深層からの回帰―意識のトランスパーソナル・パラダイム生は「私が存在し」て初めて真実となる最初で最後の自由(覚醒ブックス)

存在の詩 和尚 OSHO知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる (PHP文庫)

04 05
2016

セラピー・自己啓発

空想に情熱と命を賭けられるのが人間、わたしたちの人生・日常も

 マンガやアニメに情熱や命を賭けるほど熱中する人が多くなった。人生のなにより大切で、優先順位におかれるのが、マンガやアニメという人もたくさんいる。

 アニメの登場人物に恋して、物語や物語の情景を愛してとどまることを欲して、物語のゆくえをだれよりも気にかけている。

 でも一歩引いて、冷静にながめてみると、アニメやマンガというのは、この世のどこにも存在しない空想である。

 この世界のどこにも実在や、実体として存在しない空想が、アニメやマンガ。

 映画にしても、ドラマ、小説にしても同じである。

 この世界のどこにも存在しない、実在しない空想である。

 だけど、リアルの世界よりだれよりも愛し、重要になり、人生の情熱や命を賭ける大切なものになっている。それはどこにも存在しない空想なのにである。

 だからといってアニメやマンガに価値がない、意味がないというわけではない。

 人間は現実に存在しない空想を、現実のように恋したり、愛したり、人生のなにより大切な、情熱の賭けるものになりうるといいたいのである。

 その空想にこそ、人生の多くを賭けるのが人間であるといいたいのである。


人間の認識自体が空想


 この認識でいちばん大事なのは、わたしたちがあんなに情熱を賭けているマンガやアニメがじつは現実には存在しない空想、空っぽ、この世のどこにもないというギャップ、断絶である。

 情熱や命を賭けているものが、空っぽ。どこにも存在しないこと。

 じつは、われわれ人間の認識自体がこういう空っぽのものを実在のものと勘違いする世界のなかで生きている。

 われわれの認識自体が、空想なのである。空っぽなのである。

 この世界はこういうもので、こういう事件があった、わたしはこういう人物でこういうことがあった、あいつがこういうことをしてムカついた、あいつがわたしを侮辱したから仕返しをしてやろう、といった日常で思い、考えつくすべてのことは、空想である。

 そんなものはどこにも存在しない。頭の中の空想や思考として存在するだけである。どこにも実在しない。

 アニメやマンガが空っぽ、どこにも存在しないという実感を思い出してほしい。われわれの日常の思い、考えというのも、この断絶と同じように、この世にまったく存在しないものなのである。

 空っぽ。どこにも存在しない。どこにも実在しない空想。

 それが人間の認識、わたしたちのふつうの捉え方、心というものなのである。


悲嘆や苦悩も空想だということ


 この認識は、落ち込んだり、なにか感情的なトラブルや、鬱な気持ちからなかなか抜け出せないというときに思い出してほしい知恵になる。

 あなたが思い悩んだり、感情的に落ち込んでいるときの世界や思考というのは、この世にまったく存在しない、実在しない空想であるということを。

 すべて空っぽである。この世のどこにも存在しない。あなたが頭の中でつくりだした空想にすぎないのである。

 そんなものは空想として捨てることができる。相手にしないことができる。どこにも存在しない絵空事して、スルーすることができる。

 マンガやアニメの空想の情熱を賭け、実在のように愛し、熱中するからこそ、それが空っぽであり、実在しない絵空事であるとわかる断絶やギャップがあるからこそ、その認識は役に立つ。

 空想に実在を賭けたからこそ、実在の不在がきわだつ。熱中したものはどこにもなかった、それを知ることによって、われわれは空想の世界であることを思いっきり実感できることができる。

 空想の実が熟したからこそ、実はその重さでぽっとりと落ちるのである。


悩みなんてどこにもありません

 
 これが仏教や禅、キリスト教の神秘思想でいわれた悟りというものである。

 私たちが認識しているこの世界は、どこにも実在しないのである。

 あなたがあんなに大事にしていたものごと、ことがらは、どこにも存在しないのである。空っぽである。実在しないのである。

 人間の認識はそういうものとしか認識できないということを知ることが、宗教でいう悟りのことなのである。

 わたしたちに必要なのは自分を責め立てる思考に出会ったり、自分を追いつめる感情に出会ったときに、この知恵、認識を思い出すことである。

 そんなものはどこにも存在しない空想である。絵空事である。この世のどこにも実在しない。

 あなたを悩ましていたものは、この地球上のどこにもありません。手放していいのですよ。というより、そもそもはじめから存在しません。



グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門リチャード・カールソンの楽天主義セラピー人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)存在の詩 和尚 OSHO自我の終焉―絶対自由への道

11 01
2015

セラピー・自己啓発

悩むな、落ち込むな、未来がそうなるぞ!

 ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』をくりかえし頭にたたきこむように読んでいる。ご存知、「引き寄せの法則」ブームの引き金になった本だ。もちろんこれはジョセフ・マーフィー以下、自己啓発家がくりかえしいってきたことで、自己啓発では目新しいことではないのだけどね。

 
4047915572ザ・シークレット
ロンダ・バーン
角川書店 2007-10-30

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 楽しい、明るい気持ちでいればいいことがおこり、暗い、悲しい気分でいれば、そのとおりのことがおこるというものだ。

 これはたんじゅんに信奉してもいいと思っている。まちがっていても、たいして害はない。いま、明るい気持ちでいることを習慣にできるのなら、未来にべつに害はないだろう。

 疑い深い人というか、ふつうの人は、自分の思っていることや願うことがそのまま叶うわけがないと思うのはあたりまえである。『ザ・シークレット』では宇宙に願いをたくせば、すべて叶うというからだ。ただし、いまそれが叶ったようにリアルに喜ばないとそれは叶わないという条件つきだが。

 これは神社の祈願成就とおなじ考え方だね。いちおう神社では願をかけるが、それは叶うと思っているというよりか、慣習や儀式ていどにしか思わないのがふつうである。

 『ザ・シークレット』や引き寄せの法則ではそれが現実に叶うという。それ、見たことか、願ったことは叶うわけがないというのがふつうの人の反応である。

 そこで引き寄せの法則はうさんくさい、捨てられるものになる。でも引き寄せの法則はいま明るい、楽しい気分になることがおもな目的であって、未来に叶うこと、成就することは、おまけやただのエサにしかすぎないと考えることもできる。

 いま、明るい、楽しい気持ちになることがすべてだ。それ以外の時間をわれわれは感じることも、体験することもできないのだから、いまの気もちを最大限よくするのは理にかなったことだ。いまの気もちをハッピーに保つためにひとつの仕掛けにすぎないと割り切ることもできる。引き寄せの法則はそのための仕掛けにすぎないと受け入れてもいいだろう。

 まあ、これはいま明るい気持ちでいれば、明るい見方をすることになるし、ものごとの明るい面を見るようになる習慣をつくることになる。

 人の見るものは気分によって左右されるもので、明るい気持ちのときは明るい面、暗いときには暗い面ばかりクローズアップする性質がある。感情の連想でものごとの見られる面は変わってくる。だから、いま明るい気持ちを保つことはひじょうに大事になってくる。



 このような習慣を保ちつづけようとすると、ひとつ疑問に思えることはどうして人は悩んだり、暗い気持ちになる考え方や感情をいつまでもひきずったり、後生大事に抱えるのかということだ。

 人はものごとを悲観的に見たり、どこまで落ち込んだ気分を追求するものである。

 それは事態を打開したり、事態を好転したことがあったのだろうか。その結果を検証もせずにわれわれはどこまでも不快な気分を後生大事に抱えるものである。なにかご利益はあったのだろうか。

 引き寄せの法則ではそれはそのような未来をひきつれてくることになっている。現実にそのような悪い出来事を引き寄せてしまうのだ。なぜこのシンパの人たちには避けるべき、忌避すべきことを、多くの人はあたりまえの習慣にしてしまうのだろうか。

 それは感情の力を信じているということになるだろうか。感情はその気分を晴らす出来事をもたらすはずだと信じている。

 だけど、感情をサポートしてくれるのは赤ん坊の泣き声のように母親やまわりの人がかまってくれるための「信号」にすぎないのではないか。悲しみや怒りはまわりの人がなだめてくれるための信号である。対人向けの信号やメッセージであって、暗い感情はひとりで解決する道をもたらすものなのだろうか。

 暗い、悲しい感情はものごとを解決したり、出来事を変えるなにかをもたらしたのだろうか。

 感情はものごとを変える力をもつのだろうか。現実を好転させる力をもつものだろうか。

 サルトルは感情を「魔術的な試み」といったのだが、暗い感情にしがみつく行為はじつに多いのである。

 感情の効用というものの効果を冷静に見極める必要があるようである。



 引き寄せの法則というのは、未来の結果が現実にそうなるかの検証はかんたんではない。叶うといっていたのにぜんぜん叶わないじゃないか、いい気持ちでいればいいことばかり起こるわけがなく、いやな出来事がいっぱい起こったじゃないかという不満や疑念が多くふりつもることになるのが事実というものだろう。

 けっきょく、そんなに願いが叶わなくても、現実にいやな出来事が起こりつづけても、どこまでも信じつづけること、どんな挫折がつづいても、いつまでもめげずに信奉するしかない継続こそ大事ということになるのだろう。

 信念をいつまでももちつづけることだけが最後に残りそうな考え方である。

 主眼は「いま」を明るい、楽しい気持ちに維持することであって、未来の結果が大事であるわけではないからということもできる。ただ、これだけでは引き寄せの法則の期待は減じることになるのだけどね。

 まあ、これは信念や信奉が最後までに残るただひとつのより所ということになるかもしれない。

 べつにこの考え方を信奉しても、なんらかの害があるわけではない。叶わない、成就しない挫折感、悲しみが何度も襲うかもしれないが、それさえも「いまの明るい気持ち」を維持するために、「捨てなければならない」。

 そのことによって、無限の明るい気持ちを維持する再スタートが切られるわけだ。「いまの明るい気持ち」がメインターゲットなら、引き寄せの法則は挫折感すらさっさとやりすごすことが肝要になる。どこまでも明るく明日を信じろということである。脳内「お花畑」なんだけどね、でもそれが未来の結果というのなら、そうすべきしか選択肢はないのだ。


 未来の成就をひたすら信じつづけ、挫折感すらものともせずに、ただ明日を信じていまを明るい気持ちでいるしかない。疑念派の人にはそういうしかないか。



マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)こうして、思考は現実になる思考は現実化する〈上〉引き寄せの法則 (講談社文庫)人間は自分が考えているような人間になる

09 08
2015

セラピー・自己啓発

幸せも人生も心がつくりだすもの――『幸せセラピー』 斎藤 一人

4845408988幸せセラピー [セラピーシリーズ] (LONGSELLER MOOK FOR PLEASURE R)
斎藤 一人
ロングセラーズ 2012-02-12

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 自分の性格や人生は過去や出来事によって生み出されるのではなくて、性格や人生は自分の心がつくりだしてゆくものだと、考え方を変えるようになった。

 自己啓発などの考え方に影響されたのだが、性格や人生のありかたは自分の心がつくっているのだと思う。

 交流分析に自分はこういう人間だと思い込んだ「人生脚本」どおりに生きるという考え方があるが、それとおなじだ。人は自分が思い込んでいる人格とか人生を演じて、生きるのだ。

 だから「できる」とか「成功する」と思っているとそのような人生をほんとに生きるし、「ダメだ」とか「できない」と思っているとそのとおりの人生を生きる。これは真実だと思う。

 出来事によって修正されたり、変更を余儀なくされたりはすると思うが、根づよく自分の可能性を忘れなかった人は可能性を果たした人生を生きる。自分がどれだけ信念を通せるかだ。

 自己啓発の考え方そのものなのであるが、あやしいとかいかがわしいと思わずにますます信じるようになった。心の性質を問題にしているのである。

 「なにかを達成したら幸せになれる」や「金持ちになったら幸せになれる」ではなくて、「いま幸せだから人生が順調になる」。幸せや楽しみは自分の心がつくりだしてゆくものだ。

 悪いことやダメなこと、貧乏なこと、そんなことばかり考えていたら、ほんとうに不幸つづきの人生を生きる。そういう暗い面に考えてしまう自分の心がまさにそういう人生を生きさせるのである。心の原則というのはこういうものだ。

 だから、いまの幸せや楽しみ、充足感をつくりだしてゆかなければならない。出来事や達成によってそれが生まれるのを待つのではなくて、いま自分の心からつくりだしてゆく。楽しくて幸せな心がそのような出来事の循環を生み出してゆく。

 斎藤一人はそういう考え方をしている人のようだから、参考になる。すこし文量がすくなすぎる書き手だが、屁理屈や理論はいらないのだろう。

 「ツイている」とか「楽しい」とか「うれしい」、「しあわせだ」と言葉でつぶやいて、気持ちもそのような気分にしてゆく。アファメーション(自己宣言文)がそういうことをおこなっているのだが、あまり本で見かけることはないので、斎藤一人のような、まだ理論づめをしていない人も参考に読む。

 言葉で「楽しい楽しい」とか「うれしいうれしい」とつぶやいても、なかなかそのような気持ちにはならないかもしれないのだが、「楽しい気持ちでいれば、いいことがたくさん起こる」と信じて、そのような言葉をつぶやくしかないと思っている。気持ちを明るい、楽しい方向に吸引してゆかなければならないのだ。

 あやしげな信奉にハマってしまってと思う人もいるかもしれないが、心の原理とはそういうものだと思う。性格も人生も心がつくりだすものだ。出来事の結果から人生が導かれるのではなくて、自分がどう捉えるかで人生は決まってゆく。人生はいまの心がつくりだしてゆくものだ。

 斎藤一人のあやしげな点はふたつある。生まれ変わりを完全に信じていることと、幸せの波動は送れると毎月一日にファンに波動を送っていることだ。新興宗教に近いものになっている。

 斎藤一人は納税者ランキングに10年のりつづけた事業の成功者である。そういう人がビジネスを説かずに、心の幸せばかり説いている。金持ちになりたい信仰者が心のセラピーに吸い寄せられている、という転換がおこっている。金持ちになりたい人が支持していた人ではなかったの。



大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。ツイてる! (角川oneテーマ21)変な人の書いた世の中のしくみ人間は自分が考えているような人間になる潜在意識が答えを知っている!ポケット版


08 22
2015

セラピー・自己啓発

外界になにがおころうと、心の「天国」をつくれ!


 多くの人はいやなことや心配なこと、腹の立つことがおこったら、そのことばかり考えて気分を暗くしてしまうものである。

 外界の出来事に打撃をうけて、ふりまわされ、そのことばかり考えて、うちのめされた状態になる。

 外界に支配され、外界に拘束され、出来事のたびにうちのめされる。

 心は外界の出来事に囚われ、ふり回される。心は外界に依存しすぎているのである。


 外界の出来事に支配されないために、思考を捨てる、思考を流すといった瞑想をおこなう方法もある。ストア哲学や禅、仏教、トランスパーソナル心理学、一部の自己啓発がすすめる心のもち方だ。

 これは考えることを断ってしまい、悩みの継続をシャットアウトするので、とてもパワフルな方法になる。

 思考がなければ、悩みはない。言葉がなければ悩む手段もない。

 時間で切るという方法もある。過去や終わったことをいっさい考えないという方法だ。なぜなら過去は終わってしまい、二度と戻ってこないからだ。過去を反芻しなければ、たいていの悩みは消失してしまう。思考は終わってしまった過去、もう存在しない過去を目の前にあるように「創造」することができる。

 だけど、思考の噴出というのは強力なもので、気づくとすぐに悩みの思考にまいもどっている。瞑想にはこの強力な思考の自動装置に負けてしまうことが多々あるので、いっぱんの人はすぐ瞑想のテクニックを放り投げることになってしまう。

 また瞑想は外界に開かれすぎた態度をつくりだしてしまうものである。思考は他人や外界の壁をつくりだす。ものを考えることに集中していると外の出来事に気づかなくなっていることがある。頭を空っぽにする瞑想はそういった外界や他人の壁を全開オープンにしてしまう欠点があり、思考の遮断機能を有効に使えなくなる。他人との壁を思考はつくるのである。


 ほかの違う方法として、「アファーメーション」という方法がある。自己宣言文、自己暗示をずっと自分にささやきかけるというものだ。

 おもに自己啓発や心理学の一部でしか用いられていない方法だが、外界の支配からの離脱には一定の力を発揮するのではないかと思っている。

 アファーメーションは、

「わたしはしあわせだ。わたしはできる。きょうもすばらしい一日になるぞ」

 といったポジティブな言葉や肯定的な言葉を自分に言い聞かせつづける、ちょっとバカらしい、恥ずかしい、効果が信じられないといった弱みももつが、外界からの遮断という意味では、なかなか効果を発するのではないかと思う。

 瞑想では幸福や肯定的な気分といったものはつくりだせない。しかしアファーメーションでは積極的にそれをつくりだそうとする。幸福で楽しい気分を自分でつくりながら、なおかつ外界の出来事から切り離すのに一定の効果をもつ。

 肯定的な言葉をつぶやきつづけていると、いま現在おこったいやな出来事の反芻、出来事の衝撃をくりかえさないために容易にスルーできる。これは仏教でなら、念仏をとなえることと同じだ。同じ言葉をつぶやきつづけることは、思考のシャットダウンの効果がある。

 いやな出来事、衝撃なことがおこったさい、なにかひとつの言葉をつぶやきつづけると、その思考の反芻を防げるので、悲しみや不快感に襲われることが少なくなる。初動のシャットダウンは効果が強い。一度、おためしあれ。


 アファーメーションは効果をどれだけおよぼすことができるか、いささか弱い気がする。いくら「わたしは楽しい気分だ。うれしい気分だ、うきうきする」と言葉でいっても、そうやすやすとそういう気分にはさせてくれないものだ。

 でもしっかりと自分で気分をつくりだすことができるのなら、外界からの切り離しという点で強い効果をもたらすだろう。

 外界の出来事から心理的な影響を断ち切る、この方法はとても大事なことだ。外界の出来事に依存しすぎていると、外界でなにか出来事あおこるたびに激しく心をゆさぶられることになる。

 気分を自分で「創造する」ことができるようになることは、人としての成長の大きな価値になる。外界になにがおころうと、楽しい、明るい気分を保てる。「心の中に天国をつくる」ということだ。

 外界の出来事にふりまわされ、悲しい不幸な気分に襲われることは、心の中に「地獄をつくりだす」ことと同じである。

 心というのは自分がつくる「創造物」なのであり、人はそれを自分でつくっていることに気づかずに出来事のせいで悲しい気分になったと思っているのだが、考え方や解釈という自分でつくりだすものが、自分を悲しませているということに気づかない。

 心や気分は自分が「創造」しているものである。自分で創りださないことには、心に「天国」をつくりだせない。

 出来事や外界にふりまわされることは、みずからが自分の心の中で「地獄をつくりだしている」ことと同じなのである。心の気分や思いは自分が「創造」して、自分に「気分を味わせている」という基本に人は気づかないから、出来事や外界に悲しい思いをさせられたと勘違いし、外界に拘束され、外界に翻弄させられてしまうのである。

 心は「自分」が創造しているものである。けっして外界がつくりだしているものではないことに気づかないと、外界になにかがおこるたびに激しく気分をゆさぶられることになる。外界から独立して、心の安寧や安心をもちつづけることなんて不可能だ。


 そういった意味で「引き寄せの法則」やジョセフ・マーフィーの言葉は、心に天国をつくりだす方法として、ひじょうに役立つものである。

 引き寄せの法則は思うことや願うことは叶う、引き寄せられる、宇宙の絶対の法則だという。幸福や充足を感じていないと、同じようなものは引き寄せられない。不幸や貧しさばかり思ていると、おなじような不幸や貧乏ばかり引き寄せてしまう。

 引き寄せの法則は、心に「天国」をつくるためのひとつの「方便」、よくできたしくみといえる。楽しい、うれしい気分を保っていないと同じような幸運はやってこないのである。「心の天国の強制装置」である。


 心や気分は自分が「つくりだすもの」である。外界や出来事にそのままもたらされるのではない。自分の考え方や思いが、不幸や悲しみをつくりだしている。「自分こそ」が創造しているものである。

 幸福や楽しさは自分からつくりださなければならない。外界やなにかの機会がはこんでくるものではない。自分からつくりだし、創造するものである。出来事が幸運を運んでくると思っていると、外界の出来事にふりまわされ、うちのめされることの連続になる。

 幸福や楽しい気分は自分でつくりださなければならないのである。気分は明るく楽しいものに保たなければならない。

 天国や地獄は自分がつくっているのである。



▼以上の内容をたっぷりと学べる五冊。
リチャード・カールソンの楽天主義セラピー人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)【新訳】積極的考え方の力マーフィー 人生は思うように変えられる―ここで無理と考えるか、考えないかで… (知的生きかた文庫)ザ・シークレット


08 02
2015

セラピー・自己啓発

自己イメージが人生を制限する――『「言葉」があなたの人生を決める』 苫米地英人

「言葉」があなたの人生を決める
苫米地英人 
フォレスト出版 (2015-02-19)



 そうだよなあと思う。

 自己イメージが人生を決めてしまう。「私はこの程度の人間だ」「私はこのくらいがふさわしい」と思っていると、そのとおりの人生を送ってしまう。

 人は自己イメージどおりの人生を演じるのである。「私はこのくらいの能力の人間だ」しか思えないと、その制限どおりの人生を生きてしまう。

 大事なのは自己イメージである。萎縮した自己イメージしかもてないと萎縮した人生しか送れない。制限や不遇をつくっているのは、自分の自己イメージである。

 それでこの本の帯になっている「アファメーション超入門」となるわけである。アファメーションとは自己に肯定的な言葉をくりかえしとなえることである。それがどれだけ効くかわからないが、この本の原理的なことはそのとおりだと思う。

 苫米地英人という人の本ははじめて読んだ。キャリアが華々しいのだが、本がいかにもいかがわしい。まあ、めちゃくちゃなことをいっているわけではない。

 スコトーマだとかエフィカシーだとか、コンフォートゾーンだとか、英語をそのまま使っていて、意味がなかなか根づかないうちに乱用されると意味が通らない。

 この本はアファメーションの大家といわれるルー・タイスの『アファメーション』という本の入門書となるようである。解説書より、原書を読むことがよっぽどためになる。

 自己イメージの制限については、シュワルツの『大きく考えることの魔術』という名著がある。自分を価値ある人間だ、大きなことをなしとげる人間だと思わないと、なにもなしとげない人生を送る。苫米地の本はこの書と通じるものを感じた。心理学の交流分析には、「人生脚本」という理論があって、これも同じことだね。

 アファメーションの効果を期待して読んだ本なのだが、原理の解説が多くて、アファメーションの実例はほとんどない。実例を読まないとアファメーションは使いようがないのだが、それは実践編とかの続本にひきつがれているのかな。


アファメーション
アファメーション
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ルー・タイス
フォレスト出版



「言葉」があなたの人生を決める【実践ワークブック】コンフォートゾーンの作り方【聴くだけで目標達成できる!CD付】~図解TPIEプログラム~大きく考えることの魔術―あなたには無限の可能性がある人生ドラマの自己分析 交流分析の実際望めば、叶う


07 27
2015

セラピー・自己啓発

「悟っている」本である――『「思いグセ」を変える7つの鍵』 レイ・ドッド



 はっきりいって、この本は「悟り」について書かれた本である。

 われわれは「起きながら夢を見ている」。その思考のあり方を「思いグセ」という表現でみごとに捉えている。

 「思いグセ」は頭で真実と捉えていることより、もっと根深いもの。急にムカつくことが起これば、あなたはふだん善良で怒らないと思っている自分でも、急に怒り出したりしないだろうか。それこそが自分を深く縛りつけている「思いグセ」というもの。

 これはメキシコのシャーマンやトルテック族から伝えられていることであり、カスタネダのドン・ファンや真木悠介が『気流の鳴る音』でいっていたことと同じ。

 仏教や神秘思想の「悟り」も同じことをいっている。「起きながら夢見ている」意識状態を解き放とうとしたのがグルジェフであり、また和尚(ラジニーシ)やクリシュナムルティと近いことをいっている。グルジェフでは「内なるおしゃべり」という表現で、「思いグセ」が表現されているわけだが。

 ただ残念なことに邦題がみごとに無惨なまでに「凡百な自己啓発書」である。

 それとこの「起きながら夢見ている意識状態」からどうやって抜け出すのかという方法を期待して読みすすめたのだが、さいごまでその方法が提示されなくてがっくり。その脱出の方法が説かれていたら、名著と思えたのだろうが。

 「世界を止める」だとか、夢を見ながら覚醒させる「明晰夢」の方法を説かれたりしているのだが、それだけではさっぱり。惜しい本である。

 ただ人間の意識状態を「起きながら見ている夢」という状態に気づくことは「悟り」ともいえるので、それを明確に意識しているという点ではそれなりに高い段階の状態であるといえる。

 まあふつうの人に人は「起きながら夢をみている」といっても、なにを寝ぼけたことをいっているのかと返されるのがオチだからね。

 人間はこの夢の「奴隷」であって、法律に規制されているのではなく、「自分自身の考えから出たルールに縛られている」。

 人間は頭のなかでしじゅう、おしゃべりをしているのだが、これは思考の「自動機械」のようなものであり、その思考の束や全体を「自分」だと勘違いして暮らしている。

 また思考は「ひとつの解釈や捉え方」にしかすぎず、「あれもこれも」考えることもできるし、別の面、違った角度からも捉えれることができる。それは「空想」や「想像」にほかならないわけだから、「夢」と同じ状態だといえる。

 われわれが「現実」と思っているものは「解釈や捉え方」にすぎなく、想像や空想で捉えられた現実は「夢」としかいいようのない状態で毎日をすごしているわけだ。

 でもこの「現実」に感じるリアル感、切迫感というのは、ひじょうに根強く、根深いものがあり、この夢見の状態に気づいていても、空想された現実や出来事に人はひじょうに追いつめられたり、鬱や悲観までひきずりこまれたりするものだ。

 夢から完全に目覚めるのはひじょうにむづかしい。

 だからこの本にはその目覚める方法が語られているように思って期待したのだが、どうも脱出方法がいまいちすぎる。これでは悪夢の幕を下ろすことはできない。

 このレイ・ドッドという人はドン・ミゲル・ルイスという人に教えを乞うたようで、その人は神秘思想では評判らしい『四つの約束』の著者なのでぜひ読みたいと思っているのだが、安い古本で巡りあえるかな。

 それにしても仏教も「悟り」をこのように表現すればひじょうにわかりやすくなると思うのだけど、公案なんかでは「活!」とか「クソベラだ」とかいって言葉の否定をおこなうので、いっぱんの人に悟りの状態が伝わることはないのである。日本人は仏教僧にバカにされているね。


四つの約束グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)存在の詩 和尚 OSHOドン・ファンの教え (新装版)


07 25
2015

セラピー・自己啓発

読むだけで明るくなれる自己啓発書はないかな。

 パニック障害で人生の絶望の淵に立たされました。悲観的でネガティブな将来像に押しつぶされそうになりました。

 パニック障害は軽いもので治ったのですが、鬱な気分をむりやり引き上げるために、自己啓発書で明るくなれる本をさがして読んでいます。字面を読むだけで気分が明るくなるような本をさがしているんです。

 だから平常な気分では読まないような本やいくぶんあやしげな本でもかまいません。ともかく気分を引き上げることが優先です。

 アファーメーション(自己宣言文)でずっと「楽しい、うれしい、幸せだ」といったプラス言葉を頭の中でつぶやいています。もうネガティブとか悲観に傾く思考傾向をこのさい、いっさい排除したいんです。習慣としてのプラス思考をこの機会に頭に根づかせたいんです。それだけ悲観的な思考の吸引力の威力を思い知らされたということです。

 お金がないのでブックオフの100円本だけ。アマゾンではほとんど1円で手に入る本ですね。送料は257円かかりますが。明るい気分になれたかどうか、何冊か紹介していきます。


運がよくなる100の法則 (集英社文庫)
植西 聰
集英社 (2014-01-17)



この本がいちばん明るい気分になれたかな。プラス言葉――楽しいやうれしいといった言葉が多い。マイナス言葉を使うことが少ないです。プラス思考についてではなく、運というものについて語れば、しぜんと明るい言葉が多くなるのかもしれません。目標があれば、うれしさや楽しさを増すという説明があって、目標をもつ意味があまりわからなかったわたしははじめて納得しました。




自己啓発の名言を中心に引用したスカスカの本ですが、まあ明るい気持ちになれる本かな。読むだけで明るい気持ちになれればいいので。植西聡はマーフィーの翻訳やまとめをしている人かな、基本的に「いいことを考えればいいことが起こる、悪いことを考えれば悪いことが起こる」といった法則の信奉者かな。


ザ・シークレット
ザ・シークレット
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ロンダ・バーン
角川書店 (2007-10-29)



引き寄せの法則のブームを起こした本ですね。読めばいくぶんあやしいとかマユツバとか思えるものでも、アリかなと思える本かもしれません。もうすでに得ていると思えばほしいものが手に入るという驚きべき本ですが、そのためには気分を明るい楽しい気分に保っていなければなりません。強制的な明るい気分になることを組み込んでいることで、幸せのセラピーになるよくできた仕組みといえますね。




「明るい気分でいれば、いいことがたくさん起こる」という本で、これも幸運になるためには明るい気分を保たなければならないという本ですね。そうすれば幸運が奇跡のように立て続けにつづくとい著者は主張するのですが、24歳の世間知らずの女性のたわ言と思えないこともありませんw




これが大事かなと思います、明るい気持ちや楽しい思い出を思い出すことで幸福をイメージすること。状況がいかなるものであろうと、楽しい気分をイメージできること。やっぱり過去の楽しい記憶が味方になってくれるのかな、でもわたしはなぜか楽しい思い出をよく思い出せませんw 言葉で楽しい気分を喚起するしかありません。




なかなか鋭いことが書かれている本ですが、楽しい気分になったり、プラス思考に転換できる効果は、わたしにとってはいくぶんあやしい本でした。恐怖や不安、苛立ちは想像にすぎないという主張は、たいせつな捉え方です。劣等感や人と比べることに苦しむなら、同じ「人間」だと思えばいいという考え方にも感心しました。プラス思考というのを根づかせるには、マイナス思考とプラス思考の転換の具体例をならべて書いていれば、効果があるのではないかと思います。




「「よくなったら幸せになる」という発想は、そろそろ卒業しよう。幸せを決めるのはあなたであって、外的なものではないからです。幸・不幸も、幸運・不運も、100%、あなたの心で決まるのです」。こういう考え方は大事ですね。「今を満ち足りたものにすることだけを考えれば、すべてうまくいくのです」。ただ明るい気持ちになれる要素をあまり感じられなかった本かな。


あと、以下のような本も読んだのですが、もう紹介はいいかな。読むだけで明るい気分になるという基準には私的には達しなかった本だったので。とくに『一瞬で!幸せがあふれ出す方法』は明るい気分になれないので、とちゅうで読むのやめました。

こころのお医者さんが教える 「プチ楽天家」になる方法 (PHP文庫)斎藤一人のツキを呼ぶ言葉 (知的生きかた文庫)運命は「口ぐせ」で決まる―「思いどおりの自分」をつくる言葉の心理学メソッド (知的生きかた文庫)一瞬で!幸せがあふれ出す方法 (王様文庫)


 読むだけで明るい、楽しい気持ちになれる本をさがすのはなかなかむづかしいことです。マイナスの言葉を書かないことにはものごとのくわしい説明ができなかったりして、そこでわたしの基準から遠ざかります。

 ただその本を読むだけで明るくなれる、楽しくなれる、そういった本はそうそうあるものではありません。テレビでお笑い番組や漫才を見るような効果を、自己啓発書に求めるのはむづかしいのかもしれません。しかし悲観的で壮絶な落ち込みを経験したわたしは、藁にもすがるような思いでそのような本をさがさざるをえません。

 ノーマン・ピールの『積極的考え方の力』やジョセフ・マーフィーの著作といった古典もありますが、もっと手元において明るくなれる本はないものでしょうか。人生の助け舟として、そういった本を見つけることが必要なことを、鬱の経験で痛感しました。


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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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