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近年、ハロウィンの祭りが新興してきて、その起源をケルト思想にさぐった書物で、河合隼雄学芸賞をとったから注目していた本を読む機会にめぐまれた。
死と再生の物語は、エリアーデや井本英一、大和岩雄などに多く学んだから、この本は物足りなかった。記号的な肉とならないような知識が羅列されているだけで、賞をとるには不足分のほうを私は感じた。先学はもっと深くこの世界観を掘り出していると思える。
ケルトでは、四つの季節祭に分節されていて、11月1日の「サウィン」から、5月1日の「ベルティネ」までが闇の半年とされる。その闇の半年がはじまるサウィンによみがえる死者を歓待したサウィンが、ハロウィンの起源とされる。そのほかの春のインボルク、秋のルーサナを、四つの章で紹介したのがこの本である。
死と再生の物語は、古代に世界中に広まっており、世界各地には共通した痕跡を読みとることができるし、人間の性とも重ねたその世界観は、豊穣な象徴的世界観を生み出してきた。どちらかというと、性の放縦さに結びつけないとその世界観は、踊り出してこないものである。表層的で、お行儀のよい世界観では、迫れない世界である。性そのものが要の世界観である。
死者がよみがえる祭りは、日本にもお盆を連想させるものがある。これは夏の終わりにおこなわれるものだ。お盆をさしおいて、外来のハロウィンが流行るのは、外からの舶来を喜ぶ日本人の心性といえるだろうか。ハロウィンは、ゾンビやコスプレの格好で盛り上がれる祭りとして、近年、急速に普及した。古層の祭りとも習合して、日本的なものに変化するのはクリスマスも同様だ。欧米のように家族が主役になる祭りにならない。
未来の輝かしい技術文明を期待する「進歩史観」がよどんできたところに、ハロウィンのような古代の「生命循環的な世界観」が普及しはじめる。ある意味、「明日はもっとよくなる」という進歩史観の終焉も意味するのだろうか。TVでは「ジブリ・ループ」がくり返されており、日本はこれまでと違った時間軸の世界観を生きることになるのだろうか。
外来のクリスマスが流行った理由を、商業的なものに求める説明は多かったのだが、ハロウィンでは古代の生命循環的世界観のよみがえりだという説が多くなるのだろうか。近代の進歩史観的な世界とはちがった日本が、これから現れてくることになるのだろうか。




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古代の人々は地図上の符号から読みとることができるどんな世界観をもっていたのか。それはこんにちでもけっして滅んだわけではない世界観の根底を担っており、方々の季節の行事や痕跡にその世界観の片鱗をのこしているものだ。ぜひこの世界観を知ってほしくて、読書ガイドを編んでおきます。
![]() | 神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書) 宮元 健次 光文社 2006-04-14 by G-Tools |
この本がこんにち手に入るもっとも基本的なレイラインの書になると思う。自然暦という名称をもちいているが。東京、京都、奈良、大阪、岡山、茨城など全国の寺社の自然暦を網羅している基本書。
![]() | 大和の原像―知られざる古代太陽の道 (日本文化叢書 (3)) 小川 光三 大和書房 1985-10 by G-Tools |
この本が三輪山から伊勢神宮までの「太陽の道」をみいだした基本書。73年出版。80年にはNHKの番組にもなっている。水谷慶二『知られざる古代』という本にまとめられている。
![]() | レイラインハンター ~日本の地霊を探訪する~ 内田 一成 アールズ出版 2010-04-21 by G-Tools |
こんにちレイラインの現代的な探索に長けている人の著書。
天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス) 大和 岩雄 六興出版 1983-06 by G-Tools |
この本こそレイライン(太陽方位)とその古代の世界観の深みまでふみこんだ決定的な書であると思う。一夜妻や神聖淫売といった性と太陽崇拝のつながりまで考察の対象にしている。大和岩雄はほかにも太陽信仰についての書も多い。
![]() | 飛鳥とペルシア―死と再生の構図にみる (小学館創造選書 (76)) 井本 英一 小学館 1984-06 by G-Tools |
ペルシャ・イラン研究者なのであるが、中東にある「死と再生の世界観」が、古代日本の世界観と共通することをあぶり出した驚きの書。なぜ死と再生の世界観が、太陽信仰と重なってくるのか。
![]() | 不死と性の神話 吉田 敦彦 青土社 2004-10 by G-Tools |
神話学者なのであるが、性と豊穣の神話はなぜつながってくるのか。吉田敦彦は『豊穣と不死の神話』、『太陽の神話と祭り』など太陽信仰と豊穣のつながりの意味を示唆してくれる書物が多い。
![]() | エリアーデ著作集 第2巻 豊饒と再生 ミルチャ・エリアーデ 久米 博 せりか書房 1974-07 by G-Tools |
太陽信仰、性、死と再生の世界観のつながりを解きほぐしてくれる決定的な書。古代信仰とその世界観、心情といったものを主観的に理解させてくれる欠かせない本。この本なくして古代の世界観は理解できないとまでいいたい。エリアーデはほかに『大地・農耕・女性』、『太陽と天空神』といった書物もある。
![]() | 遊女と天皇(新装版) 大和 岩雄 白水社 2012-01-18 by G-Tools |
なぜ古代に娼婦は神聖なもので神に近く、一夜妻や祭りの乱婚などがあったのか。性と豊穣の意味を考える書。
![]() | 名著絵題 性風俗の日本史 (河出文庫) フリードリヒ・S. クラウス 風俗原典研究会 河出書房新社 1988-11 by G-Tools |
日本において植物信仰と性器信仰はなぜつながってきたのか。明治40年に出たドイツ民俗学者による書。
あとフレーザーとか吉野裕子、宮田登なども参考になると思う。





レイラインの世界観とはなにかというと、大地と人間の性が同一化されている。まいとし冬に死ぬ太陽や世界の穀物は、ふたたびよみがえり、人間に豊穣を約束してくれなければならない。その再生の祈りや願いが、人間の性の放縦につながり、神聖化をもたらしたのである。
太陽は一年の冬に死に、春によみがえらなければならない。その再生をもたらすのは、人間の性に重ねられた神々の交合である。大地も交合によって再生と豊穣をもたらすのである。
大地に太陽の季節のふしめがライン上に位置づけられたのは、神々のしるしと再生を願う気持ちではなかったのか。レイラインは古代の人たちのそういった願いの痕跡をこんにちまで大地に刻んでいるのではないだろうか。
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![]() | 『愛欲三千年史』 中山太郎 昭和10年・1935年刊 近代デジタル・ライブラリー |
こんにちでは手に入らないこの本を近代デジタル・ライブラリーでダウンロードまでして読みたかったのは、大和岩雄の『遊女と天皇』に多くの箇所が引用されていたから。すなわち引用されている部分は、むかしの日本の性的解放と放縦の民俗的資料。
なぜそのような部分を読みたいかというと、そのような性的放縦が豊穣祈願とむかしの世界観にかかわってくる重要な部分だから。農作物の豊作と人間の性は平行して考えられていて、人間の性行動の旺盛さは豊作につながると考えられていたからだ。
つまりのりうつった神相手に性の饗宴をおこなうのであり、もしくは神の性欲を刺激して性行動を旺盛にさせ、農作物の稔りを増やすとむかしの人は考えていたわけだ。秋の実り、宇宙の事象は、そのような神の性行動によって生まれるとされていた。ゆえに人間の性行動も旺盛でなければならない。このような関係の確認には、中山太郎の赤裸々な性民俗資料が欠かせない。
中山太郎も以下の箇所ではっきりとそのことをいっている。字がつぶれて読みにくくて申しわけないが、近デジ自体、だいぶ文字がつぶれているので仕方がない。国会図書館での心ない人によっておこなわれたこの本の傍線引きも文字をおおっていて、読みにくくて極まりなかったのだが。

「即ち古代の民族は宇宙間のあらゆる事象を××(性交か?)の結果であると信じていたのである。換言すれば天を父とし地を母とし、此の天父地母の××によって萬物が生まれるのであると考えたことである」
このことによってむかしの日本で性的解放や性的豊穣がおこなわれた理論的根拠をうることができるだろう。ただ堕落や快楽のためにおこなわれたのではなくて、世界観や祈願だったのである。性的放縦が豊作や豊穣をもたらしてくれる、それらはその結果によるものだから、という世界観をもっていた。性的放縦の反対は、不作や飢餓、冬、死であったのである。
明治以降はこのような日本の土着的な風俗は、西洋化にともなって政府や警察の度重なる取締りをうけ、都市生活への流入や分断をへて、かつての日本のような性風俗・世界観も断絶するにいたった。
こんにちではまったくそのような性風俗をおこなった理由・世界観を知ることもなくなった。
わたしは古代にあったと思われる太陽の日の出と日没、寺社仏閣をむすぶとされるレイラインという世界観をさぐるうえで、この世界観に出会うことになった。導き手は井本英一や大和岩雄である。
太陽の日の出と日没、あるいは春夏、秋冬の対立は、生と死であり、再生への祈りである。その関係をむすびつけるのは、大地に神の性をみる世界観であり、その世界観は人間の性関係も象ることになっていたのである。わたしたちはこの古代から明治や大正、昭和のはじめまで残っていたかもしれない世界観をすっかり忘れてしまっているのである。
たとえばつぎの「性的祭礼考」の章では、祭りのあとの性的放縦の事例が全国からたくさん集められている。この茨城県北相馬郡の例では、女の身体が丈夫になる、良縁に会うことができるといった世俗的な理由によってだれかれともなく肌をゆるすとなっている。この事例を豊穣祈願の世界観とそれを知らないとでは、だいぶ意味が異なるだろう。

つぎの「嫁盗考」では日本にもむかしあった嫁盗の習俗が、各地から集められている。この章では「神の嫁」であったがゆえに「盗んで」こなければならなかったという解釈を、中山はあまり語らないのだが、初夜権を神に捧げた名残りと同じようなものがふくまれているのだろう。

つぎの箇所では、娘は村の所有物であり、十五になれば村の若者に捧げるべきであり、拒めば親の監禁と非難が待っていたということである。中山は神の介在をあまりあげていないのだが、かつては神への捧げもの・おもてなしといった儀礼の名残りであったかもしれない。

500ページの大部であり、奴隷や人身売買といったかつて日本にあった暗部をとりあげたり、愛欲や「変態」といった字句もよく使うように下世話な話もとうぜん多く出てくる書物である。わたしは神や豊穣祈願のかかわりとして読みたいので、それと関係のない大部分は、いささかへきえきとして読まなければならなかった。「エロ・グロ・ナンセンス」といった要素も多くふくみ、正当な学問としての民俗学は、この部分はあまり公にしたくなかったといえるかもしれないね。
中山太郎は『売笑三千年史』がちくま学芸文庫から文庫化されたが、この『愛欲三千年史』がふたたび日の目を見ることはあるのでしょうか。
赤松啓介の『夜這いの民俗学・性愛論』に衝撃をうけた方は、この本に進むべきなんだろうね。赤松啓介は世俗化した性風俗しか捉えていなかったが、この性風俗にはかつて「聖なる世界観・神々と交合をおこなうコスモロジー」があったということを覚えておいてほしいね。








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▲放送コード・公序良俗に反しないよう自主的にモザイク使用しております。(「巨大男根が街を練り歩く! 川崎市の奇祭「かなまら祭り」現地から実況ツイート」 /トゥキャッチ」から)
現代の日本人じたいも性器崇拝のおこなわれる理由などさっぱり断絶しているのだが、現代でも神社などにその偶像自体や痕跡をいくつも見つけることができる。(全国の性神はこのサイトでごらんください。「性神博物館」)
なぜ断絶したかというと明治の西洋化にともなって粛清され、性観念もさっぱり西洋化されてしまったからだろう。遅れた、非文明的な、恥ずかしいものとして、古来の日本の性風土はすっかり過去に葬り去られた。
■性器崇拝の論理
どのような論理のもとにむかしの人は性器崇拝をおこなっていたかというと、人間の食糧になる穀物や動物といったものは交尾や生殖によってその種を繁栄させる。人間の食糧は動植物の生殖のいとなみによって人間にもたらされる。食糧の豊富さは生殖によってその大小が決まるのである。生殖を崇拝する論理というのは、ぜんぜん奇想天外でもない。
なぜ動植物ではなくて、人間の性器が崇拝されなければならないかというと、むかしの人は動植物の生殖は「神の介在」によるものだと考えられていた。穀物や動物の神である。それらの神の生殖力が旺盛になることによって、人間の食料たる動植物の繁栄と豊穣がもたらされる。
神の生殖力を刺激し、旺盛にするためには、人間もその活動を旺盛にして神々をその気にさせなければならない。といったことで日本のむかしの儀式や祭りには性的な放縦な行為がおこなわれたといわれるし、神々が宿るとされた人間にも性の饗宴が捧げられなければならなかった。性器には人間の、神の、動植物の、その繁栄と豊穣の意味がこめられていたのである。
ぜんぜんクレージーでもイカれたわけでもない論理によって性器は崇拝されたのであり、このような宗教はなぜ文明化にともなって禁圧されてゆくことになったのだろう。
もうひとつ忘れてならないのは、この世界――太陽も宇宙も神々の性交によって生み出されると考えていたことである。自然界の非生物も生殖によって生み出されると考えていた。世界の創造は神々の性交によって生み出される「生殖論的宇宙観」といったものが古代の宗教世界をおおっていたのである。
■なぜ性器崇拝は禁欲的規範に滅ぼされたのか
なぜ食糧の豊富さを願う繁殖論的世界観は、現代の隠蔽的・禁圧的な性観念に道をゆずったのだろう。食糧の豊富さを願うのはこんにちでも変わらないはずである。西洋はなぜ禁欲的性観念を必要としたのだろう。
西洋でもキリスト教以前は日本の豊穣祈願のような繁殖論的世界観による宗教が勢力をもっていたと思われる。キリスト教はなぜ食糧の豊富さをねがわないような、子孫の繁栄をも否定するような禁欲的性倫理を導入しなければならなかったのだろうか。
仏教の倫理では神の国に入るためには現世の執着を断たなければならないとされる。現世に執着させるものは生であったり、性もそうであり、物質や自我といったものである。神の国にいたるためには、現世を否定しなければならない。
その筆頭にあるのが性の禁欲であり、古代の繁殖論的性観念は葬り去らなければならなかったのだろうか。
生の快楽をもたらすようなものはできるだけ断ち切るか、遠ざけなければならない。禁欲的観念がキリスト教、西洋中世をおおい、その快楽延期の方法が、文明化や近代化をおしすすめる背景になったと考えてよいだろうか。
文明化はいますぐの快楽充足によっては発達しない。快楽充足の禁欲と延期によって、そのあいだに勤勉や技術、技能の導入がおこなわれやすくなったと考えることもできる。
快楽の即時充足は人に文明をもたらさない。すぐにかなうなら、なにも技術や勤勉といった迂遠な方法を耐える必要はない。労働も欲望の延期と忍耐によって、人がつくったものをお金という迂遠な方法で手に入れる。
人は欲望の先のばし、禁欲によって未来の充足まで忍耐する方法を身体化することによって、文明と高度な技術をモノにする方法論を鍛錬することができるようになったといえるだろうか。
偶然の帰結であったかもしれないが、神の国への忍耐と禁欲の参入の道は、文明と労働の忍耐力を人々に身につけさせ、そのことによって文明の技術と知識の進歩への道が切り開かれたと考えることもできる。
明治までの日本の庶民は裸をそう隠さない、羞恥を感じないお国柄だったと一部の指摘がのこっているが、人が服で裸を隠すのも性的迂遠、性的禁欲をもたらし、欲望の延期によって快楽の充足の増大につながったと考えるなら、欲望の忍耐・迂遠化によって文明化に貢献したとも考えられる。
禁欲は思わぬところで文明化への道を切り開き、そのために文明化と労働化への道すじをつくったとするのなら、生と性の即時充足はできるだけ遠ざける方法が文明には必要とされることになる。
ウェーバーのプロテスタントの倫理とかバタイユの破壊の快楽のための文明といった説とつながると思うのだけど、工業化・文明化は欲望の先延ばし、延期によってもたらされるゆえに、性や生の即時充足は遠ざけられたと考えることもできる。それは神の国への禁欲によってその態度が偶然にもたらされたのではないかということだ。
■性はなぜ公共からの隠蔽されるのか
このかなまら祭りがネットで注目されるのは、ふだんの社会から性的なものがいっさいぬぐいさられて、隠されているからである。性的なものは表に出してはならない。
どうして現代の社会は公共から性を隠蔽・追放しなければならないのか。かなまら祭りはこの規制コードへのテロリズムのような様相をなし、それゆえに外国観光客からも注目される。とうぜん日本の茶の間にうつされる全国放送にも報道されることはない。
「性的人間」であることを隠されるおもなものは家族間であったり、企業や公共の場でもそうであり、青少年にも隠されなければならないとされる。
性は性以外の役割・関係でなりたっていた秩序を壊してしまうし、欲情を喚起させるものは遠ざけられる。守りたいものは性以外の社会秩序であり、一夫一婦制の貞操観念であったり、また即時快楽充足ではない快楽の遅延・ひきのばしによる勤勉・文明化といったものだろう。青少年は将来のためにこんにちを我慢する文明化が必要というわけである。
古代にあったような繁殖論的世界観によって欲望の即時充足・解放があっては困るのである。性や裸は羞恥を感じるものであり、隠さなければならないものであり、貞操を誓った相手にしかゆるされないものである。そのことによって文明の秩序や行動様式を身体規律化する。
性の解放は文明の秩序と抵触するのである。個別的な羞恥心が文明の砦を守る情緒反射としてくみこまれているのだろう。
その性の隠蔽化は複製製品による性の商品の氾濫化をもたらした。性は写真や映像による複製製品で充足されるものになったのである。性の禁止化が性の商品化をもたらし、商業化の中にとりこまれる。直接身体性をともなわない複製技術による商品化として性は消費される。公共から隠蔽・追放されるから、闇市場のような性商品があふれ出るのである。
性は直接身体性をともなうものより、マスコミによる女優やタレントといった複製製品に求められ、充足させられ、その複製製品の中での裸や行為がわれわれの関心事となり、われわれの性欲情を扇情する。
性は公共から隠され、追放され、直接身体性のなかではなく、複製製品による性の封じ込めと関与の回路がかたちづくられる。われわれの性は直接的な身体の関係にあるのではなく、マスコミや複製製品のなかの商品と化す。性は身体性のなかではなく、マスコミや映像の二次元の世界に封じ込まれる。
性は禁止され、関係性や身体性をともなわないヴァーチャルの幻想世界のできごととなったのである。そしてそれを貨幣で手に入れるためには労働と勤勉という文明の遅延とひきのばしを必要とするというわけである。
性器崇拝のような、繁殖論的世界観による性の直接的身体性をともなった解放が古代のようにおこなわれば、文明と勤勉の抑制回路が危険にさらされる。文明を守るために性器崇拝やかなまら祭りのような直接的な性崇拝の信仰は世界から駆逐されていったのである。
性器を祭る、または性を隠蔽するというのは文明のへそ、文明という風船の結び口なのかもしれない。それを解放してしまえば、文明という風船はたちまちしぼんでしまうかもしれない。
性器を祭るかなまら祭りのような性の解放はそれゆえに隠蔽的性規範のテロリズムのようにうつるし、公共の電波や全国のニュースには流されることはない。この祭りを抑えることによって文明の壁は高く屹立するのである。
▼関連本








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![]() | 魔女はなぜ空を飛ぶか 大和 岩雄 大和書房 1995-12 by G-Tools |
帯にあるような魔女の宅急便のキキや魔法使いサリーがどうして箒をもって空を飛ぶのかという疑問から読んでもイタイ目に会う本だね。
性的図像のオンパレードのような本で、出典はおもにギリシャ・ローマ時代から中世ヨーロッパまでで、これらの図像がいかに性的暗喩にみちていたかの例証になるような本。フロイトの汎性欲論を実地にやっていたような時代があったのだということがこれらの図像、美術品からわかる。
大和岩雄は太陽信仰と性のかかわり、豊穣・豊作信仰のつながりをあぶりだしてきた人だから、この本はそのような追究の中の一連の方向性の中から出てきた本だといえるね。
中世の魔女弾圧は、古代の豊穣と性の賛歌のような時代から、キリスト教の禁欲思想のうつりかわりの中であらわれてきた現象だといえるだろうね。おそらく豊穣で奔放な性の女権社会から、男性が性の管理と実権をにぎる男権社会に移行するさいに、女性の弾圧と批判化が必要になったのではないかという仮説がおもいうかぶね。
豊穣な収穫のための奔放な性道徳の社会から、男が女性の性と出産をコントロールしようとして、豊穣と繁栄の大地母神は、魔女のような不吉で不気味な害をもたらす悪魔のイメージに変えられていったのだろうね。
いわば「性の政治学」がこれらのイメージの変遷にあらわれているのであり、それは女権と男権の争いでもあったのだろうね。
この本ではそのようなまとめ的なものはほぼなくて、イメージの連想法みたいなつながりばかりなので頭の整理はたいへん困難を感じる。「魔女はなぜ空を飛ぶか」といったタイトルの問いすら明快に氷解できたわけではない。
図像を見るとローマ時代には男根に羽根のはえたブロンズ像を見つけることができるし、ギリシャでは巨大な男根像をもつ女性、男根が入った壷の布をとる女性には羽根のはえた男根をもっているし、何本か立った男根に木の実をふりかけている女性、十四世紀の絵ではヴィーナスの女陰からはなつ光で騎士たちが戦いをやめており、女性の陰部にカエルが張りついた「呪われた恋人」の板絵といった、まあフロイトの汎性欲説のような性にみちあふれた世界観をみとめることができる。
このような性的イコンの頻出というのは、性が食糧・穀物の多寡に直結していたのだから、現代の性的規制の世の中には信じられないかもしれない。現代では性は豊穣や豊作をもたらしてくれるものではないのだから。
魔女はなぜ空を飛ぶのかという問いは、19世紀に黒人奴隷たちの結婚のさい、ふたりが箒をとびこえた儀式に手がかりはあるのだろうね。箒は出産のさいに出入り口をはくものであり、境界をまたぐ道具である。また出したり入れたりする動作も性交的な象徴に近い。空を飛ぶのはフロイトもいっているような「性的エクスタシー」の暗喩でもある。それから文字通り、古代のイコンでは男根に翼がついていた。
そういうイメージの連想がつぎつぎとつらなる頭の整理をまとめにくい本なのだが、空を飛ぶ性的エクスタシーをもつ女性が、悪魔・魔女とされた禁欲思想の変遷のうつりかわりに、魔女が箒にまたがって空を飛ぶというイメージがつくられていったのだろうね。つまり性的エクスタシーの禁圧が、空飛ぶ魔女に投影されているというわけか。
箒をもった空飛ぶ魔女というイメージは、性的快楽の禁止・抑圧といった中世から近代にかけての「呪い」がかけられているのだろうね。
ところでキキや魔法使いサリーの空飛ぶ箒にはどのような意味やエピソードがこめられているのだろうね。これらは性的なかかわり・態度がこめられていたのだろうか。現代ではこのような奥にしまわれてしまった性的象徴によってその態度の作法や文法を学ぶのだろうか。
この本は魔女と空飛ぶ箒といった問いからは入りにくい本であり、おそらく太陽信仰と性の豊穣神話という問いから入らないとなかなか入りこめず、理解できにくいテーマかもしれないね。




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それならより原初的なかたちにちかい自然の神を祈りにいったほうがいいと思いませんか。建物ではなくて、自然に祈りにいくのなら、いくぶんは納得できます。
ことしのパワー・スポットは自然の神で決まりw 自然の脅威や磐座などは神秘的で荘厳な気持ちを与えてくれるかもしれません。
ということで関西・大阪近郊周辺の自然の神・磐座などを紹介します。石の意味を鋭く切り込んだエリアーデの解説もところどころに加えて考察の足しにしてほしいと思います。
阪急宝塚線の山本駅を最明寺川にさかのぼると厳かな雰囲気に囲まれた最明寺滝にいきあたります。地の底からはいがってきたような不動明王も祭られていて、自然信仰の原初のかたちを拝める場所になっています。

ともかく祭られている祠がたくさんあり、水源と地の底が現われ出たような原初的な祈りのかたちを垣間見ることができます。こういうところにはとうぜん空海伝説が重ねられます。

地の底を支配しているような不動明王。

閉ざされた空間にある最明寺滝はまるで「大地の子宮」のようで、生命や魂が生まれ出る場所としてふさわしいものだったのかもしれません。
柳生の地にある天乃石立神社は原初的な磐座信仰をむかしのかたちのままにつたえています。

直立し起立したふたつの磐は神がおりたつ岩船の様相を人々に思わせたのかもしれません。

たしか丸い岩のほうが天照大神ということになっていたと思いますが、どうしてこの丸い岩が天照大神? 太陽の神は山の岩にやどるものだったのでしょうか。
エリアーデ『豊穣と再生』から引用。
「魂は石の中に「住んで」いる。…石の中に「固定された」魂は、ただ肯定的な方向のみに作用を及ぼさざるをえない。すなわち豊饒化の方向である。そこで、石には「祖先」が住んでいると信じている多くの文化では、石は畑や女性を豊穣にするための道具となっている」
東吉野にある岩神神社も巨岩だけが祭られており、原初的な信仰形態をこんにちまでつたえているものだと思います

吉野川ぞいにある巨岩に祠だけが祭られたこの岩は人々がなにを祈り、拝めたのかをあらわしているかのようですね。岩に神や祖先がやどると思っていたのでしょうか。
エリアーデ『豊穣と再生』から。
「石は動物や盗賊から、とりわけ「死」から保護してくれるものであった。というのは、石が腐らないのと同様に、死者の魂も、離散せずに、いつまでも存在し続けねばならないからである」
交野市にある磐船神社は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天の磐船にのって降臨したとされる地ですね。

なにかわたしには大きな舌の岩を思わせるのですが、これは饒速日命がのってきた天の磐船とされているのですね。
生駒市にある稲蔵神社の烏帽子石は、わたしにはなにかぬぼーとした妖怪を思わせるのですが、三角おむすびといってもいいかもしれません。

おむすび型のぬぼーとした巨岩が鎮座しております。

岩につたう蔓はなにか血管を思わせるのですが、そう考えるとファルスを象徴するというのは飛躍でしょうか。
「石は祖先の石化した霊である」
滋賀県の安土城にちかくにある沙沙貴神社には勾玉型の磐が祭られています。

勾玉というのは胎児の原始的なかたちに似ているようですね。生命の根源を祭った神社なのでしょうか。

女石と書いていますが、奥の石は男根を思わせますね。この国は性器崇拝がさかんなことがあったことを考えるとかろうじて残ったものなんでしょう。
エリアーデ『豊穣と再生』。
「セイレム(インド南部)の不妊の女性はドルメンの中には、妊娠させる力をもった祖先が宿っていると信じており、そのため女性たちは供え物(花、白檀、炊いた飯)を献げてから、石をこするのである。
この岩の側面に開口部があり、そこから、そこに閉じこめられていた子どもの霊魂が外をうかがっている。そしてもし婦人が通りかかったら、その婦人にのりうつって生まれかわろうと待ちかまえている」
興味あることは、同じ「豊穣岩」に、商売繁盛を願う商人が油を塗ることである」
近江市にある太郎坊宮はまるで孫悟空が生まれた山を思わせる巨岩が寄せあつまったかたちをしていますね。

きれいな三角錐のかたちをした箕作り山は、巨岩や山が神であった原初的な信仰のかたちをいまに残しています。

急峻な石段をのぼりつめた巨岩のすき間をとおりこすと異界への到達、もしくは再生を意味したのかもしれませんね。
ゴトビキ岩は三重県新宮市にある神倉神社のご神体です。ゴトビキとは地元ではヒキガエルを意味するとか。神武天皇がこの岩にのぼったとかの由緒がありますね。

神とよばれる存在はけっこう岩船であるとか、巨岩に乗ってきたとかの伝承がまとわりついていますね。この神社と巨岩は新宮市を一望できる高所に立っており、船からはとうぜん目印となったことでしょう。神社の発生は航海の目印となったところから生まれた線も否めません。
「すなわちそれ(葬礼のための巨石記念碑)が建てられるのは、死者の魂を「定着させ」、魂のために仮の宿をつくってやることである」
花のいわや神社は熊野市にあり、イザナミが火の神を生んだときに死んで、この地に埋葬されたという伝承がありますね。熊野灘の海岸線づたいにこの神社はあります。

山のようなとりとめのない巨大な一枚岩が花の窟神社のご神体ですね。ゴトビキ岩とも一対をなすともいわれていますね。
高砂市にある石の宝殿はあまりにも人工的なかたちをしすぎていて、これはぎゃくに太古のむかしの産物でないと意味をなさないように感じるくらい人工的ですね。

間近では全貌を見ることができないほど巨大です。

上から見るとこんなかたち。
西宮市にある甑岩(こしきいわ)は陰石(女性器石)とされているようで、子授け・安産・商売繁盛の神として祭られているようですね。

なんのかたちをしているかさっぱりわからない巨岩ですね。陰石とよばれるものでかたちがさっぱりわからないのは、明石の雌岡山(めっこうさん)にもありましたね。ここには性器信仰の石が残っています。
「結婚後数年たっても、まだ子どものない夫婦たちが、満月の晩にメンヒルにやってきた。かれらは着物を脱ぎ、それから夫が追いかけるのを逃げながら、妻はその石のまわりをまわりはじめた。
中世において、聖職者や王は厳に、石を礼拝したり、石の前で射精することを禁止する、数々の命令をたえず出していた」
わたしがこのような原始的な自然信仰にひかれるのは、形骸化した、意味のわからない現代的慣習とちがって、原理的・起源的な意味をあらわしてくれるからだと思います。かたちだけの、みんながしているからするみたいな慣習にはおおよそ模倣する意味を見出せません。自然信仰はより原理的な意味を開示してくれるからでしょう。
ただし、これらの世界観を信じるかといえば、まったくありえません。考え方、論理の構築に意味を納得するだけであって、信仰とか世界観にまでおしあげるのはまたべつの話です。そういう考え方のひとつとして敬重するだけです。もうね、物質的科学的世界観の土台はいかんともしがたいですからね。
![]() | エリアーデ著作集 第2巻 豊饒と再生 ミルチャ・エリアーデ 久米 博 せりか書房 1974-07 by G-Tools |
▼おおよその地図

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日本ではキリストの生誕日前の夜がロマンティックなものになり、セックスがおこなわれるというヘンな慣習が定着しているわけだが、なぜ宗教の教祖の誕生日前にこんな性的な習慣が日本では重ねられたのか。
じつは古代の日本には性交によって世界の新生・再生がおこなわれるという儀礼や原始宗教があった。その原始宗教が現代に甦ってきたというのがわたしの考えである。
これは日本の古代宗教が愚かな考えをもっていたというより、キリスト教ですらほんらいはそのようなかたちの信仰があったのではないか、原形はそのようなものだったと考えることもできるのである。
キリストの誕生日の12月25日は太陽の日がいちばん短くなる冬至の三日後である。この冬至に一年の太陽は死に、新しい年の太陽が生まれると考えられていた。日本神話には天照大神が天の岩戸にかくれる話があるが、これは日食の話ではなくて、一年の太陽がいちばん弱まる冬至の話と考えるほうが妥当なのでないか。
地上の動植物が存続・繁殖するのは、性交や受精によってである。生殖のいとなみなしに人類に豊富な食糧がもたらされることはない。それゆえに生殖は人類の食糧・生存とって聖なる重要なものであるはずである。
古代の人は動植物だけではなく、物理現象や宇宙現象にもその生殖の考え方を適用・拡大した。つまり太陽や星々が生まれるのも生殖によってである、神々の性交によってであると考えた。生物の起源や繁殖の考え方が延長されており、そのあいだを神という存在が結びつけた。
これはエジプト神話では天のヌート神と地のゲプ神が毎夜、性交することによって太陽や星を生み、昼や夜のあいだは太陽や星々がヌート神に呑みこまれて、子宮からふたたび生み出されるという考えに見ることができる。
日本の古代にも同様の太陽信仰があって、まいとしの太陽は神の性交によって生み出される、あるいは天皇が神との交合に参加することによって、新しい年の太陽を生み出すという考え、儀礼があった。
つまりはこの生殖によって新しい年の太陽が生み出されるという考え方が地下から染み出してくる水のように現代に甦ったのが、日本のクリスマスのセックスだと思われるのである。新しい年の太陽を生み出すために性交がおこなわれるのである。
どうしてこのような古代の原始宗教の考え方が現代に甦ったのか、その線はわからないが、旺盛な性の活動により農耕や動植物の繁栄と実りを祈願するという考え方、慣習は、日本には比較的長くのこり、昭和の近くまで残っていたからとも考えられる。
日本の性はおおらかであり、ときには祭りや儀礼のさいに性的放縦がおこなわれたという見聞もあるのだが、それは性や生殖による動植物の繁栄と実りが人々の食糧と存続を維持・保証するからである。
性のアナーキーさというのは食糧の豊富さ・繁栄をもたらすものである。もし性の営みが自然界からついえてしまえば、人類の食糧の糧となるものは絶滅してしまう。飢餓や食糧難をもたらす性の禁欲や途絶を人類が歓迎したりするだろうか。
正確には日本の性のおおらかさは、神々への歓待である。田の神や実りの神の性欲を刺激することによって、来年の豊作や五穀豊穣を約束してもらわなければならない。ために妻や娘は神と思われる人に対して性は捧げられなければならないものであったし、ときにはアナーキーな性的な乱交や入り乱れた関係を奨励することによって、神々の性欲を刺激し、来年の実りを豊穣なものにしてもらわなければならない。盆踊りや祭りにはそのような願いがこめられていたと考えられるのである。
現代の性観念は一夫一婦制と貞操を守るという所有的な関係のほうが重要になり、性の放逸をはげしくとがめる時代なので理解できないかもしれないが、自然界の実りに依存する人間にとって、性の禁欲や途絶は飢餓や食糧難をもたらすことと同義であったのである。そう考えるなら、禁欲や貞操が罪であったと見なすのはなんら異常な考えでもない。
現代では性と実りが繁栄とつながるという考え方がまったくひっくりかえり、禁欲的・貞操的な性観念が支配しているのだが、禁欲のキリスト教以前のヨーロッパにも性と豊穣のつながりは信仰されており、性によって新しい年の太陽や世界が再生されるという考え方があったと思われる。
つまりはキリストの復活といわれる神話も、一年の太陽や世界が滅び去り、新しい年の太陽と世界が新生するという原始宗教の考えがかぶせられた、原始宗教のとりいれをあらわしているのではないだろうか。
ほんらいはキリスト教以前には性による世界の新生がヨーロッパでも信仰されていたのではないのか。キリスト教はその自然宗教を抑圧するかたちで禁欲と貞操の性観念を押しかぶせた。それでも農耕信仰を中心に性による豊穣の祈願はヨーロッパでもいくらかは残ったのではないかと思われる。
日本のクリスマスに甦ったセックスの慣習は、そういった原始宗教の性による再生と豊穣の願いが地下からふたたび顔を出したということではないのか。日本は原始宗教のほんらいのかたちをより現代に甦らせたということではないのかと、思われるのである。
ちなみに異界からギフトをなぜか贈りとどけてくれるサンタ・クロースは日本の神の形態にひじょうによく似ている。たとえば田の神は山の異界から里におりてきて、田畑に実りと豊穣というギフトを贈りとどけてくれ、秋にはふたたび山の異界に帰ってゆく。サンタ・クロースとは日本の神と同じマレビト神、訪問神なのである。
クリスマスとはほんらいは生殖による世界の再生・新生が願われた祈りの日であったと思われる。禁欲と性秩序が重んじられる現代になっても日本ではその原始宗教が農耕関係で色濃く残り、そのために原形をとどめた原始宗教が日本に甦りやすかったのではないかと考えられる。ヨーロッパでも古代の原始宗教は似たものだったと思われるのである。
▼参考文献
天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス) 大和 岩雄 六興出版 1983-06 by G-Tools |
![]() | 遊女と天皇(新装版) 大和 岩雄 白水社 2012-01-18 by G-Tools |
宗教とエロス (叢書・ウニベルシタス) ヴァルター・シューバルト 石川 実 法政大学出版局 1975-01 by G-Tools |
![]() | 大地・農耕・女性 M.エリアーデ 堀 一郎 未来社 1968-01 by G-Tools |
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橋の下で拾ってきたといわれれば、子どもは自分は「捨て子」だった、「拾われたきた」とじつの親の子でないとショックをうけるようだが、どうして子どもは橋の下で拾われてくるといわれるのか。
「橋の下に捨てられていた子供」に関するツイートまとめ
「あなたは橋の下で拾ったのよ…」 YAHOO知恵袋
コウノトリの昔話~海外の伝説
これらは宗教人類学者のミルチャ・エリアーデがなぜそんな伝承があるのか、すべて説明してくれる。コウノトリが赤ん坊をはこんでくる由来もエリアーデの言葉によってわかる。エリアーデ『豊穣と再生』から引用。
![]() | エリアーデ著作集 第2巻 豊饒と再生 ミルチャ・エリアーデ せりか書房 1974-07 by G-Tools |
「かれら(子ども)は水棲動物(魚、蛙、鰐、白鳥など)によって運ばれて、母の胎内に呪的接触によって入れられるまえは、岩、深淵、洞穴の中で成長したのである。
かれらは誕生前の生を、水、水晶、石、木などの中ではじめ、「子どもの祖先」の「魂」として、人間以前のおぼろげな形をとって、いちばん近い宇宙圏の中で生きていた、というのである。
アルメニア人は、大地は「人間が発生してくる母胎」と考えていた。ペルー人は、自分たちは山や石の子孫だと信じている。子どもの発生する地点を、洞穴、割れめ、泉などに定めている民族もいる。
ヨーロッパには現代もなお、子どもは沼沢や、泉、川、木などから「やってくる」という俗信が残っている」
つまりは生まれる前の子どもはどこにいたかというと、水に関係する泉や川などに魂のような形態として宿っていて、赤ん坊として生まれる歳に母親の胎内に入ったという原始的な信仰があったということである。
だから水の流れる川がある橋の下で子どもは拾われてくるのであり、この伝承は誕生前の生や存在はどのようなものだったのかの問いに答えたものだといえるのである。水のあるところに誕生前の子どもは魂として宿っていたということである。
コウノトリにはこばれるというのは、白鳥は古来、魂をはこぶものとされてきた伝承にちなむものだろう。生誕前の魂がある場所と、母親の胎内をむすぶあいだをコウノトリという白い鳥がはこぶわけである。白い鳥じたいが魂に近いという考えがあったのだろうか。エジプト神話あたりに出てきていそうな話だね。
洞窟や洞穴に生前の生をおくっていたというのは、大地の母胎がそこにあると思われていたからだ。人間の誕生とおなじように大地も人間の性器に似た場所をもつとされた。つまり大地や神々が性交することによって、この世の生や世界が誕生すると考えられていた。水は大地の羊水であり、精液であり、大地が生命を生み出す母胎と考えられていたわけである。
この民間伝承は生まれる前の自分はどこにいたのか、存在していたのかという子どもの疑問にたいする答えになっていたんだろうね。自分が存在しなかったときはどうなっていたのかという疑問は、子どもや人に強烈な疑問をもたらすね。
自分の不在を理解するために橋の下で拾われた、生誕前は魂として泉や河川のなかに宿っていたという話になったのだろうね。霊魂観が現代でも民間伝承としてつたわっているわけである。
生前はどこにいたのかという疑問は死後はどうなるのかという疑問にもつながるのだろうね。
現代ではこの霊魂観と異界の存在がすっかりと忘れられていて、水のなかに生誕前の生を生きていたという話は、捨て子や親のほんとうの子でないという「勘当」の話に読みとられるのは、現代の生が正当な親ではないとゆるされないという社会になっているためだろうね。
でもそう脅える必要はなくて、橋の下で拾われたという話は生誕前の生を水のなかで送っていた霊魂観の名残りでしかないわけだ。
こういう話は民俗学でこたえられていると思われるわけだが、原始宗教にたずねることがより由来や理由を説明するものである。エリアーデやフレイザーといった宗教人類学者は現代ではわからなくなっている風習や慣習をよりわかりやすく説明してくれる材料を提供してくれるね。
竹内徹『お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ』 目次 精神科医による文化人類学的考察
![]() | お前はうちの子ではない橋の下から拾って来た子だ 武内 徹 星和書店 1999-11 by G-Tools |
![]() | 初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫) ジェイムズ・ジョージ フレイザー James George Frazer 筑摩書房 2003-01 by G-Tools |
![]() | 神と自然の景観論 信仰環境を読む (講談社学術文庫) 野本 寛一 講談社 2006-07-11 by G-Tools |
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レイラインというのは寺社や山岳を夏至や冬至のふしめで結びつける配置がなされているというもので、むかしカレンダーがなかったころは季節のふしめを定点観測するための重要な装置だったと思われる。それは自然の神の存在を感じる重要な場所でもあった。
桃太郎の元となった温羅(うら、おんら)伝承をレイラインで引いてみると夏至の日没や冬至の日の出のラインで結ばれていることがわかる。
吉備津彦神社の夏至の日没の方向には鬼城山があり、吉備津彦神社から鬼城山に日が沈むころが夏至だったことがわかる。吉備津神社からは経山に夏至の太陽が沈み、吉備津神社から夏至の日の出が吉備津彦神社から昇り、吉備津彦神社からは冬至の日没が吉備津彦神社に沈むことが認められただろう。

吉備津彦と温羅のはなった矢がぶつかって落ちたとされる矢喰宮は夏至日没・冬至日の出ライン上にある。左目を討たれ雉となって逃げた温羅を吉備津彦は鷹となって追いかけ、鯉となった温羅を鵜となって呑み込む鯉喰神社はだいたい冬至の日没方向にある。この話は太陽の関係がかたどられているということがわかるだろう。

吉備津彦神社からは夏至の太陽をむかえるような参道になっており、別名「朝日の宮」ともよばれるそうだ。吉備津彦神社はさしずめ盛夏の太陽のパワーをあつめる場所であったか。

吉備津彦神社の神殿。夏至の太陽の日の出を受ける方向に向いている。

ご神体とされる中山。山というのは天動説で見る古代の人にとっては太陽という神がのぼり、沈む場所であったことから、神が出てきて還る「神の国」でもあり、「祖先」や「精霊」といったものも還る場所であった。ゆえに山は神そのものであったのである。
そして神が生まれ、死者が還る場所というのは「大地の子宮」でもあった。そしてそれらを生むのは太陽の光線による「性交」であった。神々やこの世界、穀物などは神々の交合によって生まれるという考え方が古代の世界観の重要な要になっていることは銘記しておくべきである。

ふたつの丸い岩が祭られていた。この岩の説明をなにも見つけることはできなかったが、おそらくは男と女を意味しているのではないかと思う。性の営みがこの世界や穀物の繁栄を生み出すと考えていたのが古代の世界観である。

吉備津神社には目をひくものはべつになかったが、どうしてこの中山には同じような吉備津彦を祭った神社がふたつ必要だったのだろう。ふたつの神社は夏至の日の出、冬至の日没ラインに位置しており、鬼城山は夏至の日没が落ちる場所で、鬼城山から見れば、太陽が最大に弱まった冬至の日の出があらわれる場所である。
鬼というのは冬のパワーが最大に弱まった太陽の邪気や悪霊を意味するのではないだろうか。鬼は冬にあらわれる危機や食物の枯渇、寒さの弊害といったものが具人化されたものではないのか。鬼ノ城は山のかなたから冬至の弱々しい太陽の新生・再生を見ている。

鬼ノ城の展望。温羅がはなった矢というのは弱々しい冬の太陽・季節に向けての人々を脅かす災厄・危機のことではないだろうか。それに抗戦する吉備津彦は夏至のパワーをあつめて、温羅という冬の危機にいどんだのではないだろうか。

鬼ノ城は朝鮮から侵攻をふせぐために大和王朝によって立てられたとする山城説や、百済からやってきた王子・温羅説などいろいろあるようだが、レイライン図で読み解けば、冬と夏の対抗をあらわした古代信仰の聖地であったということになる。桃太郎と鬼というのは夏と冬の綱引き、季節の変わりめを具人化したもので、太陽信仰の世界観がもとは描かれていたのではないだろうか。

鬼ノ城に立つ鎧岩。古代信仰ののこった聖地にはこのような巨岩が認められ、目印的なものとして用いられたのか、あるいは神の依り代となるカプセルのようなものと考えられたのか。太陽信仰には巨岩は欠かせないものであったようだ。

鬼ノ城からの展望写真。左手のほうに吉備津彦神社が見え、この方角から見える日の出に冬至、新年の新しい太陽の再生を見ることができただろう。
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けっきょくレイラインから見えてくるのは夏と冬の季節の太陽のたたかいである。冬に枯れ、弱まる太陽に負けないで、この世界の再生や繁栄が夏のパワーを借りた吉備津彦によってとりもどされる、祈願されたということが桃太郎に語られているのではないだろうか。
他国を侵略・征服したという政治の次元の話ではない。また大和朝廷がまつろわないクニを平定したという話でもない。宗教的な話というか、太陽と季節の繁栄と豊穣が願われた話なのである。
日本神話では天照大神が天の戸にかくされる話があるが、これも日蝕におびえる人たちというよりか、冬に弱まる太陽を寓話化した話で、桃太郎の起源と似ているのではないだろうか。
桃太郎に出てくる桃や雉、犬や猿がどういった意味をになうのかはまだ勉強不足である。猿・雉・犬は西方の方位、申酉戌を対応させているという説もあるね。桃は性的な繁盛が願われたのかもね。
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【オマケ】
岡山上でレイラインを引いていて気づいたことに、岡山空港が鬼城山一帯からの夏至の日の出ラインにぴったりと符合することである。
正確には赤坂山と高丸山、赤磐富士と猿谷山の夏至・冬至ラインにおさまる。このあいだに岡山空港がきっちりとおさまるのである。設計者はレイラインの意図や意味をこめてこの方角に空港をつくったのだろうか。鬼ノ城から夏至のパワーを集めてといった企図をこめたなんてことはあるのか。

▼岡山レイライン(詳細を見ることができます)
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![]() | 夢と神話の世界 ―通過儀礼の深層心理学的解明 J.L.ヘンダーソン 新泉社 1985-06 by G-Tools |
これは残念ながら歯の立つ代物ではなかった。翻訳がひじょうにまずい一端があるにせよ、もうね、なにをいっているかわからないw
なんでも伝承社会の一員としての通過儀礼は必要なくなったが、個人の成長の段階ではそういった通過儀礼は不要となったわけではない。そういう通過儀礼が夢の中にさぐられ、文化人類学的・民族学的な儀礼であるとか慣習がとりざたされるのだが、意味がつなげられない。
大塚英志の『人身御供論』を読んで、そうだね通過儀礼も成長に必要な契機だね、もうすこし通過儀礼について学んでみようとこの本を手にとった。
レイラインから死と再生の世界観に導かれていたのだが、この「外側」の世界観と、個人の「内面」の世界をつなげる本も読みたかった。どうも死と再生の世界観は、世界自体にも、個人の内面自体にも共通する要素のようだから、そのつながりを理解したかったのだけどね。これはお手上げ。
ユングというのはこういう文化の儀礼や慣習と、個人の内面が共通する要素をさぐったのかな。この手のユングの研究は手をつける端緒をつかみかねているので、わたしはよく知らないのである。
死と再生の世界観と個人の内面の心的過程をつなげる作業に近い書物であるらしいのはわかるのだけど、このふたつを結びつける理解がどうも得られない。またほかの書物にその手がかりをもらうほかないだろう。




