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09 19
2006

レイライン・死と再生

『神社の系譜』 宮元 健次


神社の系譜 なぜそこにあるのか
宮元 健次

神社の系譜 なぜそこにあるのか

 これはおもしろかった。神社の配置関係には自然暦の関係がぴったりとあらわれるという検証をおこなっている。

 たとえば大和平野では三輪山と二上山が日の出と日没のラインにぴったり重なっているが、その中間に春日神社をおけば、夏至と冬至のそれぞれの日の出に兵主神社と玉烈神社があり、夏至・冬至の日没にはそれぞれ鏡作神社と畝傍山があることになる。太陽の日の出と日没が象られているわけである。

 古来、日の沈むところはあの世であり、日の昇るところは再生の地であるといわれてきた。大和平野では二上山が死に場所であり、三輪山が再生の山であった。二上山の西麓にはおびただしい墳墓があるが、そこは他界の場であったからである。

 太陽がいちばん弱まるのは冬至であるが、反対にいちばん強まるのは夏至であり、初期の天皇陵の多い畝傍山から夏至の方角にあるのが三輪山であり、そこにある大神神社につよく再生が願われたのである。伊勢神宮の天照大神は三輪山にある檜原神社の大神大明神が降臨したものといわれ、東西の一直線にならぶのである。

 神社は太陽による死の国と再生の国を物語っているというわけである。そしてその配置は大和朝廷の平定した常陸(ひたち・日立ち)から、死の国・出雲の「日沈宮」まで結ばれることになるのである。

 この死と再生の自然暦の配置は家康までひきつがれ、家康は生誕の地より東の再生の場所である久能山に葬られ、そして日光東照宮は江戸城より北極星の方角に建てられ、北極星は古代より帝王を意味した。家康は神として再生することを願ったのである。

 古代の人たちは太陽の日の出と日没に死と再生の場所を見てきたのである。神社はその配置関係をあらわしたものなのである。場所の関係はわかったとして、太陽による出没があの世を思わせた気持ちというものがいまいち実感をともなわない。山の向こう、日の昇ったり、沈んだりするところに他界を想像できるだろうか。

 なんで伊勢神宮に天照大神(太陽神)が祭られているんだろうと私はそんな時代錯誤なと思っていたが、私たちは太陽の出没に他界を見る神社の世界観に囲まれて暮らしていることになる。まるで古代エジプト人だ(笑)。だけど夏と冬に生命や人生の盛衰を見るのはいまでも可能だろうし、太陽なくして地球上の全生命は生存できない。私たちは先人たちのこめてきた意図や気持ちに畏敬の念をもちつづけるべきなのだろう。


神さまと神社―日本人なら知っておきたい八百万の世界 神道入門 日本人にとって神とは何か 謎の豪族 蘇我氏 法隆寺の謎を解く 神社めぐり―神々と信仰の系譜 (関東・中部編)
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09 24
2006

レイライン・死と再生

大和朝廷の太陽の道をゆく


 『太陽の道』 謎の北緯34度32分 (no,1)
 『太陽の道』 荒俣宏
 磐座みぃ~つけた新聞
 奈良、太陽信仰の道

 北緯34度32分に古代遺跡や神社がならぶラインがある。春分と秋分の日の日の出と日没が結ばれたラインである。そこには大和の三輪山と二上山が相対峙し、西にいくと日本武尊(やまとたけるのみこと)が白鳥となって舞い降りた大鳥大社があり、東にいくと長谷寺、室生寺があり、さらには伊勢神宮の移転元といわれる伊勢斎宮遺跡がある。

 かつての人たちは日の沈むところに死者に国を思い浮かべ、日の昇るところに再生を願った。二上山は死の山であり、その西麓にはたくさんの墳墓がつくられ、そして日の昇る三輪山は聖なる山、神のご神体として崇め祭られた。そして季節の変わり目も生命の盛衰を司るものとして、その交差点に神社や神が祭られた。

 その太陽の道を大鳥大社から三輪山までめぐってみました。古代の人たちはどのような思いでこの太陽の道をながめたのでしょうね。

CIMG0005_13.jpg 日本武尊(やまとたけるのみこと)が白鳥となって舞い降りたといわれる大鳥大社です。太陽が沈むところの暗喩だったのでしょうか。
CIMG0010_13.jpg 堺には日置荘とよばれる地名がのこっており、日置部といった人たちは自然暦を司った。そこにある萩原天神です。
CIMG0019_15.jpg 二上山の麓には當麻寺(たいまじ)があります。死者の国への入り口だったのでしょうか。
CIMG0020_12.jpg 奈良から見た二上山です。ふたつコブの山が特徴的です。この山の向こうにはおびただしい墳墓がつくられました。
CIMG0023_13.jpg 太陽の道に位置する多神社です。その線上には三輪山と二上山があり、その南北の鏡作神社と畝傍山から夏至と冬至の日の出が三輪山から昇ります。
CIMG0031_12.jpg 卑弥呼の墓といわれる箸墓です。むこうの山は三輪山です。
CIMG0037_11.jpg 神として崇められる三輪山です。大和の人たちはこの山のあらゆる方向から日の出をなかめたのでしょう。再生を司る神でもあったのでしょう。
CIMG0041_1.jpg 三輪山の麓にある大神神社です。この神が伊勢神宮にうつったといわれています。
CIMG0046_11.jpg 暗くなってしまいましたが、三輪山の麓から畝傍山や耳成山の突起が見えます。むこうは葛城・金剛山脈です。
CIMG0049_1.jpg 秋分の日から一日たってしまいましたが、日が沈むところ。葛城山のほうに沈んでいますが、場所が悪かったのでしょうか。

10 01
2006

レイライン・死と再生

巨岩と夕日を祭る神社


 奈良県吉野川上流あたりに圧倒される神社をみつけました。高台にある神社と巨岩の大きさにおどろきました。そのような自然の驚異に感嘆する気持ちが神や神社の原初にあるのだということをあらわしているように思われました。

CIMG0101_1.jpg 川をはさんだ高台に神社がありました。なんでこんな高いところにあるのだろうと思いました。御霊神社といいます。
CIMG0104_12.jpg その堂からは山の向こうに夕日が沈みます。この神社は夕日を祭る神社ではないかと思いました。ちょうど夕日を浴びているのでぴんときました。
CIMG0105_1.jpg 下をながめると、かなり急な階段であることがわかります。太陽の影もこちらに向かって、通り道のようになっています。
CIMG0114_11.jpg もうすこし吉野川を下ると、岩神神社があります。巨岩の大きさにただ圧倒されます。そして巨岩を祭り、神として崇めた人たちの気持ちがまだ生きていることを感じました。
CIMG0116_1.jpg 明らかにこの巨岩が祭られているとわかる神社です。全国の神社はこのような自然崇拝の上に、天皇家や祟る人たちの神格化がつみかさねられたのだと思います。
CIMG0112_1.jpg 吉野川上流の風景です。川に開けた山々や村の風景ってどこかしら心を和ませるものがありますね。
10 09
2006

レイライン・死と再生

『神社配置から古代史を読む』 三橋一夫


 『神社配置から古代史を読む』 三橋一夫
 六興出版 1986 1200e(絶版)

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 宮元健次『神社の系譜』(文春新書)を読んでがぜん興味をもった「太陽の道」。秋分、春分の日の出と日没ラインに神社や神体山がならぶラインのことである。この説は1973年に小川光三『大和の原像 知られざる古代太陽の道』によって唱えられ、1980年に水谷慶一がNHKでとりあげ(『知られざる古代』)、ひとしきりブームがあったようだ。

 その後ブームがどうなったかしらないが、メガ書店で探してもそういう関係の本はいまいち見つからない。この本は古本屋でみつけた。(絶版。小川光三の本も絶版になっている。) なんかやたら三角形の図が並ぶ本であるが、太陽の道延長線上にある本かなと思う。宮元健次の本には参考文献があげられておらず、せっかくマイブームに火をつけた本なのにかなり惜しい話である。

 さて、この本では神社や寺に三角形がひかれている。その三角形をいくつも結びつければ、鎖式や放射式、点在式があり、それぞれは出雲族、安曇族、住吉族ではないかと唱えておられる。その形態の分布図を日本地図でみてみると、それぞれの族がどこに分布し、どのように地域に入りこんできたかわかるということである。興味深い分布図である。

 しかし私にはなんの意味もなく三角形の向きがばらばらにおかれているように見えて、あまり三角形である必要はないように感じられた。三角形である根拠が薄いのである。しっちゃかめっちゃかにおかれているようにしか感じられない。だけどその三角形をならべれば、法則性があるということだが。この三角形はなにか自然暦と関係あるのか、それとも風水とかに関係があるのか、なぜそのような三角形を作成する必然性があったのか、ここらへんをしっかりしてくれないと、つぎの論にも乗れない。

 太陽の道にかんして有益な情報があった。太陽の道には冬至線が重要なのだが、その理由は、もっとも若い太陽が新しく生まれてくるのは冬至だからということだ。ここで日女は太陽と交わって太陽の子を生む。これは天皇の即位式の儀礼でも象徴的におこなわれているらしい。この本の著者はその場所が正三角形がおり重なった地点にもとめられるという。

 稲作民にとって季節を知ることは重要なことである。ある観測点からどの方位や山から日の出が見られるかによって季節および田植や稲狩の時期を読みとることは死活問題ともいえる。漁民が漁場や場所を探るために山によって「山あて」したように、農民も山や太陽の場所によって季節の節目を読みとったのだろう。太陽信仰というよりか、カレンダーや農事暦に近いといえる。「日知り=聖」という知識は権力とどう関わってきたのだろうか。それが神社や寺の配置にいまも残存しているということである。

 太陽の道についてはもうすこし探ってみたいと思う。われわれが住む地域にそのような知識が刻印されており、そしてその知識の痕跡が、神社や神々、または岩や死者の国などの信仰につながってくるからである。けっこう古代の人の世界観がいもずる式に出てきそうなキーポイントという感じがする。楽しみがつづきそうである。

 ▼著者の類似本です。
 三天法による神社配置の考察―「聖三角形」が語る古代史の謎 三橋一夫


10 12
2006

レイライン・死と再生

『天照の謎と正体』 楠戸 義昭


4059011770天照の謎と正体―アマテラスは男神だった!?
楠戸 義昭
学習研究社 2005-12

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 なぜ日本の最高の神が伊勢神宮の天照大神なのか、いまどきなぜ太陽神が最高神なのか、まったくぴんとこなかったが、秋分・春分の「太陽の道」に古神社がならぶのを知ってからなんとなくわかるようになった。

 農業や生命の豊穣をもたらすのは太陽であり、かつての人たちは太陽の日の出と日没に農事暦を知ることができたし、その日がのぼったり、沈んだりするところに生命の死と再生を、またはあの世や不老不死の世界を見てきたのである。神霊の世界にとっては要のようなものである。太陽が最高神と崇められる理由がわかるというものである。

 私の今のところの興味は太陽の道や日光にかかわる配置を地図上に認めることである。そのような配置に古代の人たちが太陽神にこめた荘厳な気持ちが垣間見えそうな気がするのである。

 この本はそのような興味から読まれたので、地理上のことを追究したわけではないのでさして感慨はない。天照の神話にはやはり太陽の暗喩と思われる神話がたくさんちりばらめられている。天照の姿に古代の人が崇めた太陽神が見えてくるというものである。

 道教では、太陽の昇る東方には不老不死の国があると信じられていた。その方角がすべての中心であり、太陽が不滅のように、日の出の根源の地は絶対に死ぬことのない不老不死の国であったのである。奈良に都をおいた人たちがその東方の三輪山に神を、また春分・冬至のレイラインに長谷寺や室生寺、またさいしょに天照大神が祭られたとされる伊勢斎王宮が布置されたのを見ると、かれらが東方にこめた気持ちというものが見えてくるというものである。地図上に見ることのできるその痕跡は、古代人の思いを立ち上がらせるかのようである。


10 15
2006

レイライン・死と再生

『原初の太陽神と固有暦』 吉村貞司


 『原初の太陽神と固有暦』 吉村貞司
 六興出版 1984 1300e

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 私のいまの興味のストライク・ゾーンにあたる本だが、読後感はいまいちかな。読み終わって、肝心の太陽信仰にこめられた意味がまたもやつかみかねたという感じだ。

 私が「太陽の道」について知りたいことはおそらくつぎのふたつがあげられると思う。ひとつは太陽信仰の世界観とはどのようなものなのか。もうひとつは地図の上に太陽神の要所をさぐりあてることである。

 この本で語られるのがみごとに私が行ける郷土の範囲なので、これにはがぜん興味がわいた。私は子どものころから自分の住んでいる土地の古い地名はどのような由来があるのかと知りたいと思ってきた。ここ大阪と奈良はそういう古代史の宝庫である。近くに住んでいない人には興味がわきにくい話題かもしれないが、古代史としてはシェアできるかもしれないね。(狭いパトリオティズム(郷土愛)でごめんなさいね。ナショナリズムの原郷としてシェアできるのかな)

 あげられている地名が生駒山麓の日下(くさか)、奈良の春日神社、四天王寺の日没、そして住吉の浦島、住吉と高安山などであり、興味をひかれるポイントばかりである。

 とくに雄略天皇が日に背向いて求婚したのはよくないこととしたところと、神武東征のとき日に向かって闘ったために苦戦したところは、同じ生駒山麓の日下である。太陽信仰にとって聖なる場所であったことがうかがわれるのである。そしてこのラインを東西に引けば、東に奈良の春日神社、西に大阪城、かつては石山本願寺、または饒速日命(にぎはやひみこ)が舞い降りたとされる磐船神社があったのである。太陽の道に関わりがあるのはまちがいない。

 住吉大社はかつては海に面して建てられていたが、四天王寺と同じく西方の海に沈む太陽に浄土を思い浮かべられていたのだろう。そしてこのラインを西に引けば、高安山、竜田神社、最古の法隆寺とつながってゆくのである。そして住吉大社から夏至・冬至線を引けば、日下につきあたることになる。

 古代人やわれわれの現在の土地の配列というのは、太陽信仰とおおいに関わりがあると思われるのである。そして日本神話においてもイザナギが死の国を訪問したり、天照大神が天の岩戸にかくれたり、神武が混乱した奈良をしずめるのも、すべて太陽が弱まったときの話だと読めるのである。太陽は冬に死ぬ。よみがえらせるために祈りや儀式がおこなわれなければならない。太陽の線はこうやって作製されていったのではないだろうか。

 あと、いまひとつ腑に落ちないのが、太陽信仰の内実はどのようなものだったのかということだ。いくら神社や神体山が太陽の線にならぶといっても、その世界観や実感がほとんどなともなわないのである。太陽は夕に死に、朝にはよみがえったから、人間の死と再生のモデルであったのだろうか。この内面の線からもうすこし迫らないと、私の気持ちは納得できないのである。

 そういえば、朝の通勤の途中に朝日に毎日拝むおばあちゃんを見たことがある。正月の初日の出を山の頂上で見たり、伊勢にいったりする人たちもたくさんいたりする。太陽信仰はわれわれのなかにみゃくみゃくと生き残っているといえるのかもしれない。日本の日の丸の国旗もずばり太陽であるしね。地図の上に太陽信仰の設計図が読めることは、古代人の息吹き、あるいは知能が感じられそうな気がするのである。

 なお、この本の出版社の六興出版は「太陽の道」研究に力を入れていたみたいだが、バブルの不動産投機で倒産したみたいである。アマゾンですら本のリストにない。「太陽の道」ブームはいずこへ? 歴史に強い古本屋で朝日選書や新潮選書にちかい背で見つけられるかも。


10 18
2006

レイライン・死と再生

『風水先生レイラインを行く』 荒俣宏


風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2
荒俣 宏

風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2

 世界のレイラインをとりあげているのだが、あまり心躍るものがないと思ったら、私はイギリスやヨーロッパの聖なる場所というものをよく知らないことに気づいた。どこがどのように聖なる地点であり、どのように神秘的で、荘厳なのかわからなかったら、それが直線でひかれていようが、あまり興味のひくものにならない。

 イギリスには夏至の方向にたどれば古い聖地が結びつけられる「聖マイケル・ラインがあり、そしてその南西端からはいくつかのフランスの聖堂をとおり、ギリシャのデルフォイやアテナイ、ロードス島、カルメル山へといたる一直線がひかれるという。

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 レイラインに位置するエイヴベリーの巨石群とフランスのモン・サンミシェル

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 これらが太陽と関わりがあることは上の写真のアイルランドのニューグレンジからもわかる。冬至の日に、太陽の光が天窓から射しこんで奥の石室に届くというのである。太陽が死ぬ日に太陽神が再生するいうわけである。

 レイラインの聖地にはしばしば巨岩が鎮座しているが、なぜ聖地には巨岩が必要なのだろう。荒俣宏がいうには、そこは「神がかり」をしやすい場所であったからだそうだ。シャーマンは神かがりをして、神や異界と交信したのである。巨岩はこの世とあの世を結びつける境界だったのである。そしてそこはこの世の生命の根源である太陽と出会う場所でもあったのである。

 太陽を聖なる神として崇める信仰は世界中にあったようである。あるいは季節を知る重要な羅針盤を地形に見ただけかもしれない。世界各地に残される巨石文明や巨石信仰はそのような太陽の時代の痕跡だったと思えるのである。

 レイラインは探せば日本中の神社や聖地にそのラインを見つけられるように、私たちの身近な場所にもまだまだ多くの痕跡を見つけられる古代の知識である。私たちはレイラインの存在によって、理解不能に思えた古代人の心が身近に感じられるように思わないだろうか。

風水先生―地相占術の驚異 風水先生「四門の謎」を解く 鬼から聞いた遷都の秘訣―地震・風水・ネットワーク 陰陽師―安倍晴明の末裔たち 想像力の地球旅行―荒俣宏の博物学入門
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10 24
2006

レイライン・死と再生

『大和の原像―知られざる古代太陽の道』 小川光三


 『大和の原像―知られざる古代太陽の道』 小川光三
 大和書房 1973/1 1400e

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 太陽の道を先駆的に紹介した本だけあって、さすがにおもしろい。やはり原点になった本は読むべきである。

 小川光三という人はカメラマンで、奈良の文化遺産を撮るために古代人の心に近づこうとして、この太陽の道に気づいたそうである。出版は1973年で、1980年にNHKの番組として紹介されたそうだが、その後どうなったか私は知らない。

 オカルト好きなTVが好みそうな話題なのだが、私はとんと聞いたことがない。げんざいはこの本は絶版になっており、アマゾンの古本は三千とか五千の高値がついているみたいだが、町の古本屋で見つけたら半額で売っている。私は奈良町の古本屋で見つけた。太陽の道って古代人の世界観の展望がいっきょに開けると思うのだが。文庫にするにはあまりにもアカデミックではないのか。

 意外に思ったのは太陽の道が三輪山や二上山、長谷寺、室生寺のラインではなく、もっとマイナーな桧原神社や天神山、穴虫峠のラインがとりあげられていることである。そして三輪山よりその北側にある斎槻岳(ゆづきがたけ)に焦点があてられていて、それはたしかに崇神陵と箸墓の向かい合った先にあるのだからわかるのだが、さらにはその先の初瀬山や都祁(つげ)村にいたり、ここが邪馬台国だといいだすあたりにくると、古代人の空間計画の解読からはエスケープしすぎだと思った。とうじは邪馬台国論争がさかんな時代だったのだろう。

 ▼思わず駆けめぐった三輪山周辺の写真です。
 CIMG005111.jpg 桧原神社より二上山をながめる(直線的には穴虫峠)。
 CIMG003011.jpg 三輪山のなだらかな山容
 CIMG003212.jpg 垂仁天皇珠城宮跡

 崇神天皇の御名は「御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえのすめらみこと)というが、「尊い天二上の二つの峰間に入る夕日を見て、美しい玉で五十日程数え、稲の種蒔きをさせる天皇」となるらしい。つまり古墳や神社、神奈備山というのはこの天皇の名前のような農事暦の役割を果たしていたらしい。神社にあるしめ縄は冬至や秋分を測る目印ではなかったかということである。日を読み、季節を知らせた人が権力をになったのである。巫女や宗教といった神かがり的なものではなくて、じつに実用的な用途から神社や権力者は生まれたのではないだろうか。

 奈良の夕陽が沈むところは二上山あたりだが、その北側に「穴虫峠」という変な名前の地名がある。万葉集に「大穴道(おおなむち)」と読まれており、小川はそれは大己貴(おおなむち)命、つまり大国主命ではないかといっている。古代の人たちは西海に大穴があり、太陽は夜この穴を通って、ふたたび東からあらわれると信じていた。げんざいの穴虫峠はそんな古代の世界観をいまに刻印しているということである。

 太陽の道というのは古代の人たちの世界観を空間的に描いたものである。その向きや配列を読むことによって、古代人の思いや願いが読めてくるのである。これはおもしろいと思う。私の古代史の興味ももともとは地理的なものである。そしてこれを探ることは知識探究の醍醐味も味わわせてくれるのである。ただ残念なことはげんざい太陽の道研究はどうも廃れているようなのである。どのような経緯があったのだろうか。超古代文明とかオカルト神秘主義ゾーンに入っていってしまったのだろうか。私は科学者ではないから、知の楽しみを味わせてくれるのならなんだってOK(笑)。


10 28
2006

レイライン・死と再生

知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく』 水谷慶一


 『知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく』 水谷慶一
 日本放送出版協会 1980/2 1300e(絶版)

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 小川光三の古代「太陽の道」説をうけて1980年にNHKでテレビ番組がつくられたそうだ。ぜひ見てみたいものだが、この本はそのときの単行本化である。

 ドキュメンタリー・タッチの本になっている。ディレクターである著者は小川光三の話を聞き、地形図を何枚も買い込み、TVの企画を通し、太陽の道を実地にいくつも踏破してゆく様が順を追って描かれている。

 発見する楽しみ、鉱脈を探り出す喜びがいっしょに味わえる本になっているわけだ。太陽の道の探索にはそういう発見の楽しみがある。この本はその発見の楽しみの段階の本で、古代人の太陽信仰の世界観がどのようなものであるかといった探索の深みには達していないように思われた。といっても太陽信仰の痕跡をいくつも見い出すことはそのままその世界観の表示につながるものであるが。

 やっぱり専門家の本ではないなとか思ったり、弓矢に太陽信仰の関係を見い出したところには感銘したり(地名にあるイクハという名は古語で的の意味)、古代の測量法をためしてみるあたりなんかさすがディレクターの方法だと思ったり(その先にはすでに大日の石碑が立っていた)、淡路島にいってみるとヒキ野、 ヒキ浦といった日置部にかかわりのある地名を見つけたのはうれしかっただろうと思ったり、太陽の道発見のドキュメンタリーを追体験できる本である。でも鉱脈は掘らなければ意味がない。

 太陽の道探索にはその線上に古代遺跡や何かを見つける楽しみがあるだろう。地図上に線や三角形をいくつも記してそのつながりの驚きに浸る人もいるだろうけど、やはり太陽の道はその古代人の太陽の世界観を提示すべきである。その世界観を再現できなければ、これはたんなる宝探しのおもしろさだけで終わってしまう。太陽崇拝と祖先崇拝がどうして平行するのかなどといった世界観の説明がほしいところである。

 私の興味は巨岩信仰のほうになぜか魅かれる。太陽信仰と巨岩の盤座がどうしてつながるのか解せないのである。また太陽信仰にかかわりのある神社や遺跡にもいってみたい。それとやはり太陽の死と再生がどうして人間の霊の死と再生につながってくるのかといった世界観も探ってみたいと思っている。だけどその後の太陽の道研究はなぜか廃れているようである。古代人の神観念の発生がわかりそうな領域だと思うんだけどな。学問はこの奇妙すぎる符合を学問的実証性に耐えられないと判断したのだろうか。

 さいごにどうでもいい話だが、私の祖母は太陽の道線上である堺の日置荘に住んでいて、私は子どものころに大鳥大社にセミをとりにいっていたし、私は淡路や高安山に影が届いたという巨木があったといわれる高石の富木の近くに住んでいた。私はレイラインに関係していたのであり、私の興味とはこのようなもので火がつくのである(笑)。子どものころに郷土の古い歴史にロマンを感じた延長にある興味なのである。


10 29
2006

レイライン・死と再生

太陽崇拝の奥の院をゆく


 小川光三の『大和の原像』をうけて三輪山の奥にある太陽崇拝に関係のある聖地をめぐってみました。いきあたりばったりだったので、都祁(つげ)村のほうまでの収穫はありませんでした。(都祁村は山奥なので方向感覚が働きませんでしたし、寒かったので退散(笑))。

 小川光三によると、箸墓は夏至の方向の斎槻岳(ゆづきがたけ)に向かっており、その手前には穴師坐兵主神社があり、それより北の箸墓のラインには斎宮山の天神社があるといいます。春分の日の出の神をもとめて東の山塊へと向かった先には伊勢斎宮跡があるというわけです。

 古代の人の太陽にこめた気持ちはどのようなものだったのだろうと思いながら、巻向川をさかのぼって三輪山の山奥にわけいってみました。

CIMG00125.jpg 箸墓と三輪山のショットです。たしかに箸墓が向かっている先は三輪山ではありません。
CIMG00185.jpg 崇神天皇陵です。ここと箸墓が向かい合った先に斎槻岳があるというわけです。
CIMG00282.jpg 穴師坐兵主神社です。箸墓と斎槻岳を結んだライン――夏至の方向にあります。神体は円鏡だそうです。
CIMG00304.jpg 桧原(ひばら)神社です。崇神天皇の代に天照大神がはじめて祭られたとされるところです。小川光三はこのラインに穴虫峠と箸墓、伊勢斎宮を結び合わせて太陽の道としました。
CIMG00323.jpg 磐座が祭られていました。どうして太陽崇拝と磐座が結びつくのか謎です。それにしても本殿がない鳥居と磐座だけのシンプルなつくりです。
CIMG00361.jpg またしても撮りたくなる桧原神社の鳥居からながめる二上山です。正確には春分・秋分ラインの穴虫峠(夕陽の沈む大穴と思われる)の方向に向かっています。
CIMG00482.jpg 巻向川をさかのぼった先にあった笠山荒神社です。ここは箸墓と斎槻岳のラインの延長線上にあります。
CIMG00492.jpg 神体は鏡です。大きいのがひとつ、小さいのがふたつ。やはり太陽と関わりがあるわけですね。
CIMG110056.jpg たまたま見つけた斎宮山の天神社です。レイラインはこういう楽しみある。ここはさいしょに皇祖神を祭ったとされる笠縫邑泊瀬斎宮とされるところです。
CIMG00623.jpg やはり石が祭られてる。石はなぜ神なんだろう?
CIMG00691.jpg 天神社の笛吹奥宮だそうです。つまりこれが天照大神が隠れた天の磐戸だそうです。ううむ、なんともいえない。
CIMG00702.jpg 都祁へ行く道すがらにあったなにかのご神体です。山中の車道にあって村おこし的なムードか漂いますが、私はどうも磐座にひきつけられます。

 
 ロカボDIYマップでGoogleマップをいじってみました。うまく表示されていますか。天神社の位置がわかりませんでした。拡大したり、動かしたりして、付近の地図をながめてみるのも楽しいかもしれませんね。航空写真は世界地図にもどりますので注意。

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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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