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10 05
2013

歴史・地理

差別と権力――『「芸能と差別」の深層』 三国 連太郎 沖浦 和光

4480420894「芸能と差別」の深層
―三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)

三国 連太郎 沖浦 和光
筑摩書房 2005-05

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 芸能人といえば、こんにちは世間の表舞台に立つ有名人となっているが、むかしは河原乞食といって差別される身分であった。そういう出自をさぐった俳優の三國連太郎と民俗学者の沖浦和光の対談集。三國連太郎は民俗学に造詣がふかく、ひけをとらない。

 この人たちは差別されること、被差別民といったものにロマンすら感じているように思えるのだが、どうして被差別民にそのようなまなざしを向けるのだろうか。被差別民は権力や支配者から弾圧され、差別されてきたことに権力への対抗や怨念をいだいた存在として、反逆精神の温床としてノスタルジーを感じるのだろうか。

 三國連太郎はいっている。

「やはり時代を主導する精神に疑問を抱き、既成の支配体制の矛盾を批判して、時代のあり方や人間の生き方を、飽くことなき追求していこうとする意欲――それをどう表現していくかという貪欲な意欲が、その時代を生きようとする芸人にとって本当に大事なんですね」



 差別されていた被差別民にいちばんその矛盾と疑問が生まれやすいということなのだろうか。

 沖浦和光が『四谷怪談』の鶴屋南北をずいぶん評価しているのだが、これはただのおどろおどろしい幽霊奇譚の物語ではない。『忠臣蔵』の脱走者・伊右衛門が主人公。

 「生命を捨ててまで主君に義理を立てる必要がどこにあるのか」と伊右衛門は考え直して、悪事にも手を出して生き抜こうとする。立身出世のためには手段を選ばない近代的エゴイストの先駆者としてえがかれている。貞操一途のお岩が古い時代の女を演じ、伊右衛門が武士道の倫理に反逆する男を演じている。

 お岩の亡霊に祟られている場面で、回り舞台がまわって四十七士が討ち死にする場面に交替する。お岩がこんな物語だと知らなかったが、いまだに『忠臣蔵』は正月になんどもドラマ化されるように現代でも会社のために討ち死にするような精神にうけつがれているのだろうね。そういう精神はわたしにはまったく理解できないのだけどね。女の貞操と主君の忠誠心はパラレル、と現代でも通底することをいっていたのだろうね。主君に忠誠を立てないと女に怨まれますよ。

 芸能が差別されたことはこんなことばにあらわれている。筑前の芦屋役者のことば。

「あたしが役者をやめた頃は、まだ芝居の役者は世間から乞食かなんぞのように、さげずまれておったんです。芝居の座を解散にふみきったのも、これが一番の原因ですたい。そん時、あたし達は先祖が役者やったということを、断じて押し隠そうと誓うて、衣装や小道具、書きものなんかを残らず処分してしもうたんです。それは明治三十六年のことでした」



 差別というのは定住の農民を高きにおき、定住しない漂泊民や山人・海人などを最低位におく為政者の都合であったり、また仏教の獣の殺傷の禁止などの戒律によってつくられた位階だと思うのだけど、為政者に決められた差別や階層を人はよく信じる気になったと思うね。動物を殺傷してはならないといっても、ほかの生命を殺して食べる人間がそんなことをいっても飢え死にするしかない、壮絶な「純潔神話」なんだけどね。

 いまでも被差別は声を押し殺して語られたりするのだけど、動物を殺して食べているわたしたちはその根拠を問えるのかと思うね。為政者が都合でつくった「フィクション」より、「事実」と思い込む捉え方がいまも支配的なんだろうかね。

 芸能というのは神霊を招きよせるシャーマンの神事からはじまったといわれる。神を歓待するための芸能であった。それが差別されていった歴史はどことなく神に性を捧げる売春の歴史とも近いものがあるね。芸能はすっかりとさげずまれ、芸能乞食とまでささやかれるのだが、それだけに権力にたいしての矛盾や抵抗、磨ぎすまれた感性といったものが生まれやすいのだろうね。

 権力はどんどん力をもつことが多いのだけど、どこかにそれに抗するもの、歯止めをもつものをもたないと、社会や生命は病み衰えてゆくのだろうね。芸能や芸術は、そういったものの役割を忘れれば、だれからもかえりみられることもなくなるのだろうね。


東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世 (文春新書)「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー (文春新書)日本民衆文化の原郷―被差別部落の民俗と芸能 (文春文庫)親鸞に至る道 (知恵の森文庫)


07 28
2013

歴史・地理

国立民族学博物館で写真を撮ってきました

 国立民族学博物館では写真撮影がOKだと聞いたので、いぜんちゃんと回れなかった分もおぎなうために写真を撮ってきました。

 博物館というのは自分の想像力とか感嘆力とかの度合いにおうじてたのしくなったり、つまらなくなったりするものだと思います。世界各国のリアルな現物を見ると想像力が喚起されて、自分のせまい範囲の生活ではない発想が思いうかびますね。

 写真の地域を失念、うろ覚えなのでどこの地域か明記できなくて残念。

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カオナシに似た精霊が森にでもおかれていたら驚きますね。民博はけっこう宮崎駿ワールドですね。

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こんな楯で迫られたら霊の怒りを買いそうで恐いね。

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こんなトーテムポールが村に立っていたらなんだろうなと思いますね。

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宮崎駿のシシ神に思えますね。ただ2010年あたりの採集だから影響はあるのかも。

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乳房=実りを強調して、頭に蛇が乗っていたら、大地の実りと再生の女神だとわかるのですが、この民博には性と再生についての資料は抑えられていた感じかな。

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通過儀礼のときにこんな精霊たちが出てきたら恐ろしいね。

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フィリピンのマニラの三輪タクシーかな、日本ではなぜこの手のクルマはないのでしょうね。

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木をくりぬいただけの舟。各地の民族のモノを集めるというのは「手づくり感」のあるものを集めるということで、機械化製品のまえの豊穣な手づくり感の世界がうらやましいですね。しろうとが手の届く世界。

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イスラムの聖典を載せるためだけの台で、たかが一冊の本にこんな価値があるなんてと思いましたね。

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千手観音のような像が恐ろしいね。

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ゴールドのマンダラ図。

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家舟。一生のあいだ家族はこの舟ですごすのだってね。わたしもこんな舟で漂泊のさいごをむかえたいと思ったね。

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魔女ランダ。中村雄二郎が一冊の本を書いていたね。

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これはマニラだったかな、乗り合いタクシーはなぜこんなに原色の派手なものになるのでしょうね。ジープを塗ったもの。

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自転車タクシーですけど、たくさんの意味のないランプやBMWマーク、装飾品が豪華さをかもし出せたのかな。ハンドル部分にはワケのわからないスイッチ類がたくさんついた操作盤まであるし。

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ノマド(遊牧民)のゲルですね。一生かけて家のローンを払う人生とくらべたら、家がこんなに手軽だと人生軽いだろうね。

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不気味な精霊像で、胸にイモリやヤモリ類がはりついているのはなんでしょう。

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この像も宮崎ワールドが見かけた気が。頭がかたかたと回る精霊だったっけ。

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アイヌの家はほんとワラだけでつくった家。自然にとけこんだでしょうし、移動性にも富んだでしょうね。

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ノッポさんのゴン太くんに似ているね。日本のワラ細工。

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『千と千尋』のヘドロにまみれた御腐れ様・河の神だね。

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日本の道祖神はこれだけ。性的な結合とかは民博ではカットかな。

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マッチ箱って見かけなくなりましたね。広告とか美術的にたのしめる箱のデザインであったかもね。

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男根のかたちをした金精様。古代の世界観が性と切っても切り離せない世界だと知って、性のメタファーに満ちた世界を素通りできないとわたしは思うのですけどね。



 国立民族学博物館(アクセス図)は吹田の万博記念公園の中にあります。げんざい大人420円の安さ、また無料観覧日も何日かありますのでおトクですね。地域に分かれた展示場はけっこう回るのに時間がかかりますので、余裕をもってお出かけを。


11 17
2012

歴史・地理

土地・風土のよさを求めて―『千曲川のスケッチ』 島崎 藤村

4003102363千曲川のスケッチ (岩波文庫)
島崎 藤村
岩波書店 2002-02-15

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 自然や風土のよさを楽しめるかなと読んでみたけど、個人的にはほとんど感興はなかったな。景観の美しさをたのしめるわけでもないし、民俗的な興味をそそられるわけでもない。文学者のまさにスケッチであるな。

 まあ、明治の文語体ではなく、日常に使われる言葉で書かれた文学ということで、明治の文学にとっては革命なのだろうけど、わたしのような景観論とか民俗学的興味を期待してもこの本からはあまり得ることはなかった。国木田独歩の『武蔵野』はいまでは読みにくい文章だが、藤村の文章はまったくとどこおりなく読める。

 藤村は明治32年、信州小諸に私塾の国語教師としておもむいている。6~7年のあいだそこで暮らしたあいだに書きためたものがこの本だそうだ。浅間山のふもとの町で、やはり冬の厳しさはハンパなものではなく、春から記述がはじまり、冬にかけて終わっている。

 藤村は「木曾路はすべて山の中」といわれる岐阜県の馬籠で生まれており、この本はたとえば東京と田舎の比較だけで描かれたものではないだろう。都会にしか住んだことがない人の著作ではない。

 岩波文庫の第一刷発行の日付をみると1927年であるとはおどろいた。もう80年前であり、そのあいだに戦争があり、高度成長があり、バブル崩壊があったわけだ。

 著作権も切れているらしく、わざわざお金を出さなくても青空文庫で読める。古典を出している岩波文庫や新潮文庫はとんでもない敵をむかえているわけである。もっともわたしはPCで長文は読めないなとは思っているが。タブレットでないとくつろいで長文を読めない。http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1503_14594.html

 こういう土地や風土をえがいた作品としてはわたしはつぎのような作品ならひじょうに読み応えがあったと思う。土地の人たちがどんな暮らしをし、はたらき、生活を営んだかといった人生の記などなら満足だ。以下はその書評ですね。
 
 『窮乏の農村―踏査報告』 猪俣 津南雄

 『わが住む村』 山川 菊栄

 国木田独歩の『武蔵野』はこの『千曲川のスケッチ』とおなじように感興をもたなかった。谷崎 潤一郎の『吉野葛・蘆刈』はべつの意味で感興をいだいたのだが。中上 健次の『紀州』は微妙なところだった。 

 まあ、わたしは土地・風土モノを律儀に読んできたのだけど、当りの本に出会うのはなかなかない。宮本常一はあちこちの土地を渡り歩いた俯瞰を描いているのだけど。


窮乏の農村―踏査報告 (岩波文庫 白 150-1)わが住む村 (岩波文庫 青 162-2)武蔵野 (岩波文庫)吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)

藤村詩集 (新潮文庫 し 2-15) 夜明け前 第1部(上) (岩波文庫) 夜明け前 第二部(下) (岩波文庫) 破戒 (新潮文庫) 夜明け前 第二部(上) (岩波文庫)


10 27
2012

歴史・地理

天文知識と王と神―『星の民俗学』 野尻 抱影

51sym6cofhL__SL500_AA300_.jpg星の民俗学 (1978年) (講談社学術文庫)
野尻 抱影
講談社 1978-08

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 子どものころは夜空に興味があったような気がするのだが、大人になったら空を見上げなくなったな。星座も星の名前もよく知らない。

 わたしとしてはこの本から夜空の星により季節や天候を知り、それが権力や社会とどう結びついてきたかといったこと探られればいいなと思ったのだけど、この著者は星や星座の幅広い教養を求めているようだ。

 ポリネシア人は星について驚くべき知識をもっていた。月々にどの星がどの空のどの位置にあるのか、年ごとにいつ昇っていつ沈むのかを正確に知っていた。航海には星の知識は必須だったのである。

 ボルネオのダイヤ族は、スバルの高さによって農事作業の時期を判断していた。開墾、伐採、もみ撒き。竹筒でスバルの高さを測るのである。

 沖縄の八重山でも海に三尋のさおを立てて、スバルを観測して、稲の種の種子取り祝いをしたという。

 星は方角や季節を知るたいせつな目印、方位盤やカレンダーでもあったのである。そのカレンダーを知ることは力を付与しただろうし、もし知ることが予言や神やこの世界を支配することと思われたなら、神に近い権力者として祭り上げられただろう。神や王は古代、そういった知識から生まれ出たのではないのか。

 神社も太陽が山のどこから昇るのかを定点観察することによって、春分や秋分、冬至などを知ることができたその場所から生まれたのではないかと思われる。季節を知ることは神の意志を知ること、神がそこにやってくることではなかったのか。星や太陽は神と季節を結びつけ、その知識をもつものに権力を付与したのではないのか。天文知識とは王や神の知識であったのではないだろうか。

 エジプトではシリウスがナイル川の氾濫の時期を知らせる目印となっていた。よって元旦吉旦のめでたい星として礼拝されていた。この氾濫の時期を先に知らせることができるなら沿岸住人を避難させることができるし、乾季のあとの洪水は豊潤な実りをもたらす土壌をはこんでくる。

 天文知識は生活のうえでひじょうに大切な情報をもたらし、それが神や王と結びついてきたのだとしたら、星の知識はこんにちのロマンティックな星座神話どころではない重要な生活の死活知識であったのではないだろうか。

 神や王の生成プロセスがこの天文知識に宿ってきたのではないだろうか。

 ところで銀河は日本では天の川とよばれて七夕のイメージが強い。世界では亡くなった魂があの世へといく道へと思われていたりする。インディアンでは銀河の無数の青白い光は、亡くなった魂が旅の途中で燃やしている焚火だと捉えられていた。日本でも死んだ人は星になったという考えはよく聞くが、あの世は目に見えるものなのである。あの世は神や霊が存在する場所でもある。


天と王とシャーマン―天に思いを馳せる支配者たち宮田登日本を語る〈10〉王権と日和見21世紀の古代史 消された星信仰―縄文文化と古代文明の流れ星の信仰―妙見・虚空蔵渡来の女神・妙見シリウスの都 飛鳥―日本古代王権の経済人類学的研究妙見信仰の史的考察聖徳太子と斑鳩京の謎―ミトラ教とシリウス信仰の都

10 21
2012

歴史・地理

村にすぐれた書き手がいれば―『わが住む村』 山川 菊栄

4003316223わが住む村 (岩波文庫 青 162-2)
山川 菊栄
岩波書店 1983-06-16

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 神奈川県藤沢市村岡村の江戸から昭和にかけての生活史をしるした書物で、自分が見知った土地であるともっと愛着がわいた書物になっただろう。ある土地にこのようなすぐれた書き手がいれば、歴史や暮らしがいきいきと書き残された幸運をうらやましく思う。

 藤沢市は鎌倉や茅ヶ崎にはさまれた町で、東海道も走っており、運助とよばれる荷物担ぎがたくさんいて百姓も食えずに小遣い稼ぎをした。お金が稼げれば、賭場だ、焼酎だでどこでも寝てしまうか、喧嘩だ。人が死んでもどこでもかまわず埋める。どうして死んだ、だれが死んだなんて調べない。街道筋は野垂れ死に死体が埋まっている。

 明治19年には東海道線の汽車がのびてくるのだが、地元の人は大反対。宿場町にもってこられてはたいへんだと、停車場は家一軒ない桃畑のまんなかにもっていかれた。でも駅は新開地として発達し、宿場は繁栄からおいておかれた。地方でも駅は町から離れた遠い野原にぽつんとおかれることも多かった。

 黒船がきたときは、百姓町人は弁当もちで、山にのぼり、浜に出て見物した。村ではどんな騒ぎがおころろうとこれまでの毎日がなにひとつ変わらずつづいているだけだった。

 東京では明治32年に裸やはだしが違警罪として罰されることになった。山川菊栄もはだしで水を打っていたりしたが、警官を見かけるとあわてて家に駆け込んだりしたそうだ。村岡でははだしを見かけることが多くなって、なつかしい思いをしたそうだ。

 村にはいろいろな「お日待ち」がった。農事を休んで一所にお祝いする日で、その日を心待ちにする意味で名づけられた。白い米のご飯が食べられるし、仕事を休んで遊んでいい日はウソのようだった。

 炎天の田草とりは焦げつくような真夏の太陽が背中を焼き、熱くわいた田の水は足をゆでて全身を蒸して、上と下から熱のはさみうちに合うような苦しいものだった。

 明治の東京にはまだガスや水道、電灯もなく、電車もバスもなかった時代があり、夜は真っ暗で、夏はふくろう、秋は虫の声、星や月の光がさえていたころがあったそうだ。山川はこの村岡にきて、そのような自然にあふれた景色に出会い、なつかしく思ったそうだ。

 女性はなにひとつ自分でつくりださず、男の稼いだ金を使うだけが仕事になってしまったと山川はいっている。日露戦争のころから綿畑がすがたを消し、紡績業が発達して安く手に入るようになったので、女が糸をつむいで着物をつくることが割に合わなくなってしまった。

 明治22,3年ころまでには東京でも法政大学近くの土手には狐が見かけられたそうだ。帝大の赤門でもいたそうだ。日露戦争の前くらいには東京からひっこんだということだ。村岡でも大正の初めころまではいたそうだ。

 大正の中ごろまで、女児は子守に使うか、子守奉公に出すかして、学校にやらぬ家はそうとうあった。お針がひと通りできて、奉公をすませたことが嫁入りの資格になっており、女学校卒業の代わりの嫁入りの資格になっていた。村のお婆さんで字は読めないけど、言葉使いのきれいな、物腰の上品な人がいるのは奉公のたまものだという。

 いまは上流は金遣いが荒く、奥様お嬢様はいい着物をきて遊び歩くばかりだから、奉公に出せばろくなことはないと年寄りはいう。明治の生き方が滅んで、お金や消費をみせびらかす変化が襲い、女性の上品さは失われていったのである。

 人間のかたちをなさない間はまだ人間でないと考えて、胎児を大事にすることは、江戸時代にはなかった。

 江戸時代、小作人は口をへらすのが目的で、子どもは七、八歳ころから女の子は子守に、男の子は丁稚に出された。村を出たきり、音信普通になるのがふつうで、故郷に錦を飾ったという話は聞かなかった。幕府はたびたび人身売買の禁令や年季を十年に限る法令をを出したが、なんの効用もなく、奉公人とは奴隷に近いものがあった。

 むかしの人の暮らしや生き方がいきいきとよみがえってくる書物で、自分の育った町や見知った町のことであったら、もっと魅力的な記録になっていたことだろう。ゆかりのある町にそういう書き手が暮らしていてほしかったとくやしく思うのである。


窮乏の農村―踏査報告 (岩波文庫 白 150-1)武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)山川菊栄評論集 (岩波文庫)幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫)逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)明治大正史 世相篇 新装版 (講談社学術文庫)イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)



10 20
2012

歴史・地理

山深い紀州に暮らす人たち―『紀州』 中上 健次

4041456118紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)
中上 健次
角川グループパブリッシング 2009-01-24

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 大阪の町からほとんど出ることがなかったが、バイクに乗るようになって紀州の山や海岸にもたくさんの人々が暮らしていることを知った。大阪の人間からすれば紀伊半島には山しかないという印象である。町中の暮らしとは違うそこに住む人はどのような暮らしや仕事をしているのか、そういう興味がわく。

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▲熊野川に暮らす集落


 中上健次は新宮の出身で、小説の舞台も熊野をおおく選んでいるようで、この本は77年からの半年間、紀州を旅したルポタージュである。

 わたしとしては紀州の人たちがどのような仕事や暮らしをしてきたのかに興味をもったのだが、中上健次はそういう話を現地の人に聞き込みながら、問題意識の根本にあるのは部落差別の問題である。わたしはこういう問題にはつっこみたくないと思う。

 紀州というのは自然の景色がすばらしい。ほとんど自然がおおう山中や海岸のなかで人々はどのように暮らしてきたのか。わたしにあるのはそういうぼんやりとした興味であり、それが民俗的なことか、歴史的なことか、景観的なことか、興味はしぼりにくて、要領を得ないものである。

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▲古座川近くの集落


 紀伊大島では漁師は軽んじられている。海というものを相手にする不安定な職業であるし、流れ者という要素もある。また自然信仰を内にもってしまうため、自然から分離してしまった者は賤蔑視をもつからだという。

 和深という串本に近いところに住むお婆さんは大正のはじめ、大阪の岸和田、福島、名古屋の紡績にいっている。ここらに住む人は大阪に出てくるのである。福島の紡績のとき、半年賞与が九円あって、半分の四十五円を家へ送ると土地を買ったそうである。むかしは安かった。名古屋の紡績の前借で家を立てた。

 新宮に住んでいる人で三代住んでいる家はほとんどいないそうである。代々住んできそうなイメージであるが、そうではないのだな。

 和深の青年に話を聞くと、ダムの工事を専門的に追う女郎屋があるそうである。バラックでということである。天理教の修行にきている人は娘が多く、小遣いがなくなるとバイトで女郎をするという話が書いてある。この青年、女郎買いのために高い現場にうつったり、串本で長距離トラックをやったり、大阪のパチンコ屋やカシワ屋、西成で日雇いをやったりして、所帯をもうけて地元に帰ってくる。

 本宮は生活が豊かで、文化に恵まれていた。書、生け花、謡、琵琶。宮仕えの人もおおくくる。俳句、短歌をつくる人もおおい。

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▲山上にきずかれた熊野の丸枚千枚田


 山仕事の人に聞くと、土方みたいなもので、いちばんいやなことは、蛇と山蛭、ダニだといった。夏、カンカンに照りだすと蛭が出てくるそうだ。マッチ棒くらいの穴が開くという。血を吸うだけ吸ったらあとはポロっと落ちる。血がダラダラ出る。肌にくっつくと容易にはずれない。

 中上の旅は出身地の新宮からはじまって、古座や和深をまわって、朝来から本宮に入り、尾鷲、松坂、伊勢とめぐり、十津川、吉野、和歌山をへて、天王寺で終わる。天王寺は大阪に出るのはここしかない。天王寺は紀州の人にとっては和歌山・紀州の終点かもしれませんね。むかし歩道橋で海ガメなんか売ってたからね。ドヤ街があるのも?

 土地を語るのってむづかしい。中上は雑誌連載を三ヶ月ほど休止した。ひとつの土地ごとに中上がどのような話をくりだしてくるのかという目で見ていたが、やはりわたしの興味をひいてくれる核心の話はなかなか出てこないのである。

 わたしは紀州の人の働きや暮らしのような民俗学的な興味がいちばんあったのかな。この十五年ほどわたしは山にのぼったり、バイクで山中の農村をかけめぐったりして、興味は民俗なのか、歴史なのか、興味の焦点をなかなか絞れなかった。土地とはなんなのか。土地を問いかけることはあらためてむづかしい。

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▲「どどどーん」という轟音がなりひびく熊野灘の海岸


楽土紀伊半島今昔・熊野の風景―カメラとペンで描く紀州熊野の百年紀州街道紀州・熊野の峠道 (爽BOOKS)紀伊 熊野古道をあるく (大人の遠足BOOK―西日本)熊野三山・七つの謎―日本人の死生観の源流を探る (ノン・ポシェット)近世紀州 村の事件簿半島・海と陸の生活と文化紀伊半島の民俗誌―技術と道具の物質文化論世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)山びとの動物誌―紀州・果無山脈の春秋 (宇江敏勝の本)炭焼日記―吉野熊野の山から (宇江敏勝の本)小梅日記 1―幕末・明治を紀州に生きる (東洋文庫 256)

10 30
2011

歴史・地理

インテリジェンスな山ガールにおすすめの好奇心本

 山に登ればとちゅうの風景や名所など気にかかるところに出会います。山登り自体に興味をもつより、そちらのほうに関心が向かうばあいもあるでしょう。

 たとえば山村の風景をみてひとむかし前の暮らしに興味をもったり、石や木、滝、洞窟、地蔵が山の中に祭られているのを見てむかしの自然信仰や神に興味をもったり、地域の歴史・郷土史に興味を感じたり、神社や古い遺跡や由緒をみて古代史に興味をもったり、山の風景や景色はなぜ心地よいのかと考えたり。

 山登りのとちゅうにはそういう関心や興味をそそられるものごとが多いと思いませんか。そういった興味をもっと深く知りたいと思った人にそれらのジャンルをくわしく知る知的好奇心がそそられる本を紹介したいと思います。山登りの楽しみにインテリジェンスを加えると山はもっと魅力的な角度を増やすことでしょう。

 山登りから興味をもてるジャンルはつぎのようなものだと思います。

 ①歴史・古代史 ②民俗学 ③景観論 ④古代信仰

 いくぶん交錯していますが、これらのジャンルの興味を魅かれる本を紹介したいと思います。


 ①歴史・古代史

 山や地方にはわかちがたく歴史が結びついています。いった土地の歴史を知りたくなったりしませんか。山に登れば、なぜか古代史が身近に感じられます。古い神社や古い地名、信仰が残っているからでしょうか。

山の名前で読み解く日本史 (プレイブックス・インテリジェンス)日本の地名 (岩波新書)地名から歴史を読む方法―地名の由来に秘められた意外な日本史 (KAWADE夢新書)地名から歴史を読む方法 (KAWADE夢文庫)日本地図から歴史を読む方法 都市・街道・港・城…地勢に隠された意外な日本史が見えてくる (KAWADE夢文庫-)

街道で読み解く日本史 (プレイブックス・インテリジェンス)海と列島の中世 (講談社学術文庫)海民と日本社会 (新人物文庫 あ 3-1)海の道、川の道 (日本史リブレット)古代の日本と渡来人

古事記・日本書紀を歩く JTBキャンブックス神々と天皇の宮都をたどる―高天原から平安京へ古代七大王国の謎 (学研M文庫)古代史の秘密を握る人たち―封印された「歴史の闇」に迫る (PHP文庫)天孫降臨の謎―『日本書紀』が封印した真実の歴史 (PHP文庫)

古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる (講談社学術文庫)峠の歴史学 古道をたずねて (朝日選書 (830))日本古代史と朝鮮 (講談社学術文庫 (702))


 ②民俗学

 山に登れば、山村や農村の古びた風景に出会います。まるで昭和やひとむかし前の暮らしに出会うような気持ちがします。むかしの人の暮らしを知りたくなったら宮本常一などの民俗学がおすすめです。

山に生きる人びと (河出文庫)ふるさとの生活 (講談社学術文庫)塩の道 (講談社学術文庫 (677))忘れられた日本人 (岩波文庫)遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

江戸の旅文化 (岩波新書)写真で綴る昭和30年代農山村の暮らし―高度成長以前の日本の原風景山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (ちくま学芸文庫)



 ③景観論

 なぜ山の景色は心地よく感じるのだろう、山に囲まれた農村の風景はどうして気もちを和ませるのか。そういった研究は景観論になりますが、あまり充実しているとはいえません。その中で際立ってよい本が樋口忠彦の『日本の景観』だと思います。

日本の景観―ふるさとの原型 (ちくま学芸文庫)風景学入門 (中公新書 (650))風景学・実践篇―風景を目ききする (中公新書)風景を創る (NHKライブラリー)

癒しの地形学景観から歴史を読む―地図を解く楽しみ (NHKライブラリー (91))平野は語る (日本を知る)美しき村へ―日本の原風景に出会う旅 (淡交ムック―ゆうシリーズ)


 ④古代信仰

 山に登ればいたるところに信仰の跡を見つけます。岩や木、滝が祭られていたり、地蔵さんや祠があったり、山そのものが信仰の対象そのものであったりします。日本人はなにに神を見いだし、どんなふうに信仰してきたのでしょうか。山というのは自然信仰、古代宗教のタイムカプセルのようなものです。山の登るというのはむかしの日本人の精神世界に出会うということかもしれません。

神と自然の景観論 信仰環境を読む (講談社学術文庫)山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫)山の宗教  修験道案内 (角川ソフィア文庫)石の宗教 (講談社学術文庫)神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

神社のルーツ 血統から探る「神様ネットワーク」 [ソフトバンク新書]エリアーデ著作集 第2巻日本の聖地 (講談社学術文庫)日本の巨石 イワクラの世界

日本の聖なる石を訪ねて――知られざるパワー・ストーン300カ所(祥伝社新書252))岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―日本多神教の風土 (PHP新書)修験の世界 (講談社学術文庫 (1701))森の癒し―いのちと瞑想の世界

山岳霊場御利益旅 (ショトル・トラベル)山の神と日本人―山の神信仰から探る日本の基層文化近江 山の文化史―文化と信仰の伝播をたずねて (淡海文庫 (33))山の霊力 (講談社選書メチエ)三輪山―日本国創成神の原像

日本人の「あの世」観 (中公文庫)あの世と日本人 (NHKライブラリー (43))


 【番外篇】 レイライン

 レイラインは太陽の冬至や夏至のライン上に神社や仏閣、山岳が結ばれていたという古代の太陽信仰にもとづく世界観のことです。地図上で線を引けば神社仏閣、山岳の意外な結びつきを知ることができますし、古代の人がいかに太陽の位置や季節にこだわったのかの世界観を知ることができます。要は神社仏閣、聖地はなぜこの場所なのかということです。これは地図でも楽しめますし、現地調査もおこなえて、神秘的で宝探し的なインドア・アウトドアの両方の楽しみを得られます。

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)風水先生レイラインを行く 荒俣宏コレクション2 神聖地相学世界編 (荒俣宏コレクション2) (集英社文庫)レイラインハンター ~日本の地霊を探訪する~レイライン―大地をつらぬく神秘 (開かれた封印 古代世界の謎)エリアーデ著作集 第2巻

エリアーデ著作集 第1巻天と王とシャーマン―天に思いを馳せる支配者たち宮田登日本を語る〈10〉王権と日和見不死と性の神話


 山に登ると町や都市とまったく違う風景や物事に出会い、学問や研究のとば口となる疑問や好奇心をそそられると思います。ただ山の頂上をめざすだけではなく、学問や本を読んでインテリジェンスな散策もつけくわえると、山の楽しみの角度が増えると思います。

09 10
2011

歴史・地理

『日本列島を往く〈6〉 故郷の山河で』 鎌田 慧

4006031157日本列島を往く〈6〉故郷の山河で (岩波現代文庫―社会)
鎌田 慧
岩波書店 2005-07-15

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 バイクで山間部や田舎の景色をながめるのが好きである。大阪に住んでいるから紀伊半島の山々をめぐったり、奈良や和歌山、北摂、兵庫などの山間部を走ったりしている。そこで暮らしている人たちはどのような暮らしを営んでいるのだろうかという興味もわく。

 しかしこんにち地方での生活や暮らしを見せる情報というものが少なくなった。小学校の社会科で知識は終わってしまい、地方の暮らしが知らされることはほとんどない。民俗学にそのような知識が漁れる程度で、人々は地方の人たちがどのように生きてきたのかといった知識や蓄積に見向きもしなくなっているのである。

 鎌田慧のこの本は現在ではきわめてめずらしい本の部類になってしまったのではないか。この本では川舟の和歌山本宮町、塩づくりの能登珠洲市、ミカン畑と遊郭の瀬戸内豊町、そして炭鉱の長崎外海町、福岡県大牟田がとりあげられている。

 鎌田慧は炭鉱労働の閉山や大量解雇に熱い関心をもってきたようだが、私には時代も土地の感覚からもどうも身近に感じられず、あまり興味がわかなかった。ジャーナリズムからの関心は時代にもてはやされるけど、時代の関心にすぐに忘れ去れる欠点があるから、あまり深入りしたくないのである。

 鎌田慧は『自動車絶望工場』という本も書いているが、労働者を見守るという視点を強くもった人だ。どうしてこのような姿勢をもつにいたったのだろうか。そして労働に関心をもつルポライターやジャーナリズムが少なくなったことを残念に思う。

 本宮町では川くだりで木炭をはこぶ暮らしが描かれている。下りはいいが、のぼりは岸から舟をひっぱらなくてはならない。積荷も米や味噌、醤油などできるだけ多くつみたい。新宮の町で「荷物ないかのう」と商店の軒先をたずねてまわり、「川原乞食」とよばれていたそうだ。熊野川の人たちは学校を卒業すると多くは大阪などの工場にいちどは勤めに出ているようだ。

 山林は多くの雇用をつくりだしてきた大産業だった。伐採、運搬、植林、間伐、製材、林道の請負作業。繁栄時では山あいの村でもカフェや旅館が立っていた。いまは静かな風景になっている。

 奥能登珠洲(すず)市では塩づくりがとりあげられていて、海から塩水をなんども汲んできたりして、そうとうの重労働だったようだ。女性たちも働いていて、「かの塩汲女は炎天下に曝され、いつ髪を結ひしにもあらず、こし切れなる布子に縄帯して、色こそ黒けれ、髪こそ乱るれ、猿ともムジナともなく、人とは更に見えわかず、何ぞ男女の別を見んや」といわれている。

 隣近所がおなじような重労働をやるからおたがいに励ましあって、辛いとか厳しいとか、考える暇もなかったそうだ。ある爺さんは塩作りは家族みんなでやるために離れ離れの仕事ではなく、子どもは家族の仕事に協力する習慣をやしなうし、一家の結合力を強化するから塩作りをおこなっているといっている。

 能登半島の若者たちは北海道に渡った人たちも多かったようだ。わたしは地方の海辺で、夜中に煌々と灯りを照らしている漁船をみて夜中に働くなんて漁業もたいへんだなと思ったことがあるが、ここにその詳細がのべられていた。

 午後三時ころから出港し、二時間半くらいで漁場に到着、その後朝三時ころまで釣る。帰港はおよそ午前六時。ブザーが鳴るといっせいに釣りはじめる。いちどに三十尾もつくと四十歳以上の漁夫は腕力で苦労するそうだ。交替はできないし、手や腰が痛む。まったくの重労働であるそうだ。帰港しても荷揚げ作業で重労働。漁場が何時間も離れたところだと睡眠を充分にとれず、よほど体力がないともたない。

 瀬戸内豊町の島々では漁業に目もくれず、島々の土地に畑をひろげていった人たちのすがたが描かれている。明治41年ころにはミカンが大儲けで一年の売り上げだけで家一軒が立った繁栄の時代もあったようだ。しかしミカンの没落は一代でやってきた。山から担いで降ろすときはすこしでも回数を減らしたいのでそうとう重くなり、かなりの重労働だった。高度成長期にはミカンは20キロで千円もなったので、山を降りるときは「どっこい千円、どっこい千円」と自分を励ましたそうだ。人手がいるときは広島、三島などの職安に求人を出したそうだが(職安でそんな求人が出ていたなんて知らなかった)、重くてはこべない人もいたそうだ。

 むかしは北前船の碇泊地でもあったことがあり、遊郭も発達した時代があったようだ。華やかな時代もあったのである。「おちょろ舟」といって、舟に女性を売りに行く舟も出ていたそうである。ほかに「うろー、うろー」と声をかけてナベ焼き、まんじゅう、焼酎、果物を売りにまわる「うろ舟」もあった。

 炭鉱の町や閉山、大量解雇の話は昭和の中盤ころまで新聞を大賑わいさせていたのだが、あのころはどうしてあんなに騒がれたのだろう。いまはほとんどの人が思い出すこともないのではないだろうか。労働争議の中でも際だった注目度があったようである。おかげでぎゃくにわたしのようにジャーナリズムの騒擾のしっぽに乗るのがいやな者も生んだ。まだ尾を引いている。ところで炭鉱で働いていた女性は坑内はあつかったから、ほんとうに乳ブラブラ、へコ(帯)一丁で働いていたようだ。


新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)生業の歴史 (双書・日本民衆史)さまざまな生業―いくつもの日本〈4〉日本の民俗〈下〉暮らしと生業

07 20
2010

歴史・地理

『奈良 地名の由来を歩く』 谷川 彰英

奈良 地名の由来を歩く (ベスト新書)奈良 地名の由来を歩く (ベスト新書)
(2010/04/09)
谷川 彰英

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 地名というのはなんとなく通りすぎてしまうものである。意味や由来を探ればおもしろい興味魅かれるものになるが、いくら本を読んでもほんとうのところはどうなのかという気持ちが残るものである。

 なぜなら現在の漢字名から由来を説明した文があまりにも多くてあまりにもこじつけ感が強いのである。『日本書紀』ですら、漢字名から由来をそのまま紹介した文が多くて、地名ってむかしから起源や名づけられた意味がわからなくなっていることが多いのだと思う。

 古代の天皇名や豪族名を見ているとむりやり漢字を当てはめた語が多いように思う。はじめに日本語と違うオトがあったのではないかと思う。ヤン・ヨーステンという人名を八重洲とあて名したみたいなものである。その言葉が古代朝鮮語であったのか、アイヌ語であったのか、ポリネシア語であったのかわからない。だから現在の漢字から解釈した地名ってどうも信頼できないんだな。

 この本はどうも現在の漢字から解釈した説明が多くてすこしがっかりするし、著者がはじめて訪れる地も多かったようで大阪からよく奈良にいくわたしとしてはちょっともの足りない気がした。生駒の暗峠(くらがりとうげ)なんて急坂すぎて二度とバイクでいきたいと思わないところに著者はクルマでいっている。もっともいくら奈良によくいくからといって、わたしには歴史も由緒の知識も少ないから学ぶことは大なので偉そうなことはいえないのだが。

 「大和」や「飛鳥」、「春日」など奈良にはふつうの読みでは読めない地名も多い。大和なんて「だいわ」か「おおわ」くらいしか読めない。飛鳥なんて「ひちょう」か「とぶとり」、春日は「はるひ」とか「しゅんじつ」としか読めないだろう。それにしても読めない読み方でしっかりと読むのがふつうになるのがふしぎだ。まあ、これは万葉集の枕詞によるものだと通説になっている。

 春日大社の第一、第二神が鹿島神宮と香取神宮から勧請したなんて知らなかった。ふつうは奈良の春日大社から勧請したと思われるのだが。わたしの好きなレイライン説によると鹿島神宮、香取神宮は冬至の日没方向に富士山、伊勢神宮、吉野山があることになっている。レイラインで考えると伊勢神宮から春分の日没が葛城山で、ここから夏至日出に三輪山、夏至日没に信貴山あたり、夏至日出に春日山とぎざぎざになってしまう。どういうことだろう。

 天皇は神道の流れにあって仏教ではないとこの本でいわれているが、たしかに聖徳太子から聖武天皇まではレギュラーな歴史ではない。蘇我氏の時代、天皇は危機を迎えていたのだろうか。

 神武天皇の足跡は榛原の山深くにのこっていることがふしぎだった。墨阪神社や鳥見山など神武天皇にゆかりがあるこの地は奈良の開けた盆地から山奥に入ってゆくイメージがある。この地を探った著者はよかったと思う。

 生駒山を「往馬」ととらえる説はどうだろう。生駒はけわしいので馬が行き来していた、暗峠は馬の鞍部のようなかたちをしていたなどといわれている。「生馬大名神」が往馬(いこま)大社に祭られている。わからないな。

 壷阪寺って飛鳥の近くにありながらあまり古い名前ではないのはどういうことだろうと思う。久米寺とか岡寺とかじつにふつうである。飛鳥にある名前は古めかしい読めない難読漢字であってほしいのだが。

 竹内街道の由来を探っていないのは残念だ。古代の官道といわれてきたところなのに。「當麻寺(たいまでら)」は「たぎたぎしい」――「でこぼこしているさま」と説明されることが多いのだが、これは風水とかかわりがありそうにも思えるのだが。「當麻」ってそのものずばりの「大麻」を祭っていたのではないかと思う。シャーマンはトランス状態になるために薬物をつかう。古代の呪術で大麻の果たした役割はあったと思うのだが。ところで奈良の飛鳥が「遠つ飛鳥」で、大阪のほうが「近つ飛鳥」であるというのはふしぎだな。

 奈良は「平城山(ならやま)という山名があるように「ならす」が由来だとよくいわれる。そんな単純なものかと思うが。もっとも奈良という県名は明治時代からで、ずっと「大和国」だった。堺県にまたがって五條県ができたこともあり、奈良県が堺県に吸収され、大阪府になり、消滅したこともあったそうだ。陳情により復活した。

 秋津島は神武天皇が大和のよさを詠ったところだが、いまはどこかわかりにくいが、著者は歩いている。地名は消えていることはあっても小学校に残っていることがけっこうある。著者は小学校に見つける。

 奈良には旧国名がたくさん残っているが、著者は究明にのりだす。学者や歴史学者はそういう究明に手をつけないことが多いと著者は憤っておられる。まあ、江戸時代の参勤交代のようなものだったかもしれない。西日本の国が多く、郷里に帰るさい窮乏の末に行き倒れるものが多いから食糧や租税免除をほどこすべきだといった文書を見つけている。

 まあ、地名というのははてしなく疑問や謎が噴出するものである。ふつうは自分で勝手に納得していたり、あるいはなにも思わないかもしれない。究明してゆけば楽しみと知識が増えるのである。わたしはやっぱり漢字からかんたんに由来を探る方法はどうもこじつけっぽくて好きではない。もっとも他言語の意味解釈はもっとこじつけっぽいのだが。地名なんて藪の中だ、だけどなにがしかの歴史をあらわすと思う程度のつきあいがいいのかもしれない。


古代語で探る古代と地名日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家枕詞と古代地名―やまとことばの源流を辿る日本超古代地名解―地名から解く日本語の語源と古代日本の原像

日本の地名散歩―アイヌ語・古朝鮮語日本古代地名事典縄文の地名を探るヒッタイトは日本に来ていた―地名から探る渡来民族


ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源



06 22
2010

歴史・地理

「山ガール」は修験の道に入れるか(笑)。

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 マスコミは「山ガール」という登山女子を流行らせたいらしい。「鉄女」に「歴女」に「仏像ガール」と趣味の動詞に名詞をつけることによって新しい視点と輪郭をうかびあがらせる手法でマーケットを掘りたいらしい。

 「山ガール」はファッションとして入ってきた。「森ガール」などアウトドア女子のファッションが街中でも流行っている?、あるいは流行を仕かけたいらしい。なんでも20代から40代の山登りに興味がある女子を「山ガール」とよび――40代という若くもないアラフォーを「山ガール」とくくることにムリがあると思うが、マーケットでひとつ踊ってほしいということである。ファッション業界のひとつの牽引役となるだろうか。

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《山ガール》登山女子ファッション画像集 - NAVER まとめ

 山登りは中高年に根強いブームがあって、業界が煽らなくてもしぜんに山に向かう中高年が多い。わたしも十年前からの五、六年ほど山に登っていたのだが(いまはバイクで山にもぐりこむ)、みごとにおっさんとオバサンばかりの世界だった。ここは姥捨て山か(笑)と思った。若い女子がいることはまずなかった。あの景色からいまの「山ガール」ブームはウソっぱちに思える。

 山は現代の見捨てられた地である。だからこそ人はいないし、手つかずの自然がきれいだし、見捨てられることに豊穣があると老荘はいう。都会とまったく逆である。都会は人がうじゃうじゃいて、乱雑で、癒されることもなく、人の活気と人気の集中があるだけである。人気のない山のコースを歩いていると一日ひとりとも会わないこともある。こんなぜいたくな空間はほかにないと思う。

 若い女子は都会と消費とファッションにしか興味をもたない。山登りは「脱都会」、「脱消費」である。かかるお金は電車賃くらいしかかからない。だから消費にあきた中高年女性たちはグループで山に登り、自然の景色や花に魅かれる。もう都会や消費のきらびやかさやカッコよさに興味をもたない中高年女性たちがお金をもたらさない山に登るのである。そしてマーケットも儲からないからマスコミでとりあげることも少なく、人知れぬブームとなっている。マーケットや消費と違うところに中高年たちは動いているのである。

 そんなところに山ガール攻略が仕かけられたが、制服のばらまきで山に興味をもつ女子たちがふえるのだろうか。ファッションで笛を吹くという方法ではたしてほんとうに山に登る女子がふえるのだろうか。山登りというのは脱都会、脱消費である。きらびやかな消費にあこがれる若い女子が牛や田んぼばかりの山や田舎に足を向けるだろうか。

 若い女子はもうブランド消費に興味をもたないというし、若者の消費離れもよくとりあげられるから、山に目を向けることはたしかに考えられる。しかし山志向というのは消費社会の禁断のカードだという気がするのだが。

 若者たちの興味のベクトルは完全に都会志向であり、上昇志向であった。バカにされたり、なにもない田舎から出てきたくて都会にやってきた。テレビも電気も仕事もない田舎から出てきたくて、戦後の若者は都会に集まったのである。都市と消費の魅力にとりつかれたのがわれわれだ。とうぜんいまの若者も都会消費志向と思うだろう。しかし消費離れをおこしている若者がふえているとしたら、山や田舎志向の流れも生まれやすくなるだろう。都会や消費の便益や魅力はなんだろうかという疑問もきざすことになる。

 都会消費志向の若者にとって繁華街とショップしか興味がなく、その他の田舎は眼中にない。田舎の地図は欠落するのである。わたしが登山をはじめて驚いたのは山や田舎の景色のよさであり、人のいない広大な空間のぜいたくさであり、清涼で澄んだ空気のここちよさだった。都市消費志向ではまったく欠落し、視野にも入ってこない世界のすばらしさである。都市消費志向ではこれらのすばらしい世界を知ることはないのである。

 山に登るようになってわたしは山登りよりか、そのまわりのもの、たとえば山間や過疎地に住む人たちの暮らしや営みに興味をもつようになったし、山間にあるいくつもの祭られた祠や地蔵や磐座などのほうに興味を魅かれた。山登りのとちゅうで出会う田舎や山間の暮らしに興味をもったし、それはひとむかし前の日本人の暮らしに出会うことであったし、ひとむかし前の信仰や世界観に出会うことだった。わたしの興味はどちらかというとそちらの興味のほうにエスケープした。

 山登りは何冊かのガイドブックのコースを参考に山に登ったが、山にはかならず神社やお寺、信仰のあとがあるものである。はじめはまるで興味がなく、しぜんの景色にしか興味がなく、素通りしていた神社や寺もすこしばかり気になるようになった。どういう意味があるのだろう、どういう気持ちがこめられていたのだろうと気になってきたのである。

 さいしょは景色はなぜここちよさをもたらすのだろうと景観論などを探ったが、古い神社や古墳などを通るうちにしだいに古代史にも興味をもつようになった。古代史に興味をもつようになったのも山登りのおかげだった。ひとむかし前の山村の風景や暮らしは民俗学の興味をかきたてた。宮本常一などの民俗学の本に興味を魅かれたのである。わたしのこんにちの興味の多くは景色を楽しむためにはじめた山登りに多くを負っているのである。山や田舎は新しい、いままで見たことのない新鮮な驚きを与えたのである。

 山というのは古来、日本人にとって信仰の山であり、神が坐ますところであり、死者や先祖が帰るところであった。こんにちのハイカーはそんな信仰と無縁なスポーツやレジャーとしての山登りを楽しむ。神社や信仰の篤い者が畏れる神の山であっても気軽にレジャーとして山に登る。しかしハイカーはゆっくりと先祖たちがこめた信仰や祈りの意味に気づいて、尊重して、そして回帰してゆくのかもしれない。

 山には鬼がいて、神々が憩い、修験道の道が切り開かれたところである。気楽にはじめた山登りであってもかならずその痕跡やしるしに出会うことがあるだろう。信仰や呪術や祈りがいまも息づいている隔絶の世界である。都会や消費志向が忘れたかつての日本人の世界観や信仰に出会うところなのである。

 ファッションやマスコミに笛を吹かれて踊る「山ガール」たちはこれらの信仰のあととどう出会うのだろうか。「山ガール」は修験や修行の道に目覚めることはあるのだろうか。都会消費のベクトルはここで向きを変えるのだろうか。脱消費・脱都市の流れは中高年からじわじわとはじまっていたのかもしれない。


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