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05 08
2004

歴史・地理

奈良・山の辺の道でまったり。


 奈良・山の辺の道とは日本でいちばん古いとされる山沿いの道です。飛鳥のちょっと北のあたり、三輪王朝があったとされるところです。

 かつては都をかまえ、日本の中心であった所はいまではすっかりとものすごい田舎に変貌しています。ひたすらのどかな田園風景と山並みに彩られています。野菜の無人販売所が道なりに並んでいます。

 太古からの神社仏閣、古墳が数多くありますが、いまはむかし、かつての繁栄は一顧だにもできないくらいです。都があってから千年ののち、かつての先進商業都市の繁栄はもうほとんどしのぶことはできません。京都や東京の千年後のすがたはこんなものになっているのでしょうか。

 
CIMG0005_1_thumb.jpg 藤原京の港があり、海柘榴市(つばいち)という交易が盛んだったところ。いまはなにもないただの河。
CIMG0006_1_thumb.jpg 仏教伝来の地の石碑。左の初瀬川の岸辺に立っています。なにもないよー。
CIMG0016_1_thumb.jpg 大神神社(おおみわ)。最古の神社といわれ、おごそかで荘厳な雰囲気があります。
CIMG0019_1_thumb.jpg 神神社のご神体は三輪山という山です。その入り口。山が神とはなんなのだろうか。
CIMG0021_thumb.jpg 神である三輪山。登ったことがありますが、ただの山。バチが当たってつぎの日、体中に腫れ物が。。
CIMG0031_1_thumb.jpg 元祖・隠遁者の玄賓の庵。いまは神とか仏になって祀られている。日本はむかし人を神にできた。
CIMG0035_1_thumb.jpg のどかさ爆発のかつての官営ロード。往時の繁栄はどことやら。
CIMG0037_1_thumb.jpg ひたすら青垣の山々と田園風景がひろがります。癒されます。
CIMG0045_1_thumb.jpg 爆音をたてて農作業用トラクター(?)が通り過ぎます。都会ではこういう風景はもう見られません。
CIMG0047_1_thumb.jpg 景行天皇陵、崇神天皇陵なと古墳がたくさんありますが、のどかな山並みが鎮座しているだけの道です。

05 30
2004

歴史・地理

『日本全国ローカル線の旅』 真島 満秀


061981081.jpg日本全国ローカル線の旅―海列車・山列車フォトスケッチ
真島 満秀
講談社 1995-11

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 連休の間旅にでも出ようかと思って買ったが、いなかの風景とか見て回ろうかと思ったが、JRの青春18きっぷはゴールデンウィークには売ってなかったので活用されずに終わった。写真はきれいです。


07 08
2004

歴史・地理

山登りとはむかしの日本人を知ることである


 若い人は山登りなんか好まないだろう。都会や消費、マスコミに価値をおき、田舎や自然や山を侮蔑するのがかれらの洗脳された価値観だからだ。自然を侮蔑するのは経済や消費に貢献しないからであり、かれらは経済活動と消費活動に邁進してもらわないと困るのだ。カッコよさや最新のものをもつことを競ったりしていったいだれのために走っているのだろうかと気づくことがあるのだろうか。

 山を登るととうぜん郊外や地方に行くわけだから、都会や都市ではないところにも人がたくさん住んでいて、暮らしがあるという当たり前のことに気づく。日本にもまだまだ都会だけではない田舎にもたくさんの人が住んでいるという常識的な事実にはじめて気づくのである。そういった人たちの暮らしにも興味が向くようになる。

 山奥には神社や寺、祠などがたくさんある。こんな山奥に人の営みがあり、住んでいる人がいるというのは驚きである。驚きとともに神や仏、または自然信仰といったものがまだまだ根強いことを知る。大自然の中ではそういった信仰の気持ちがなんとなくわかるというか、そういう気持ちを応援したくなったり、尊いものに思えてくるから不思議なものだ。

 都会には自然がない。すべて人工物だから崇めたり祭ったりという気持ちから遠くなる。でも山中の自然の中ではその美しさや壮大さに思わず崇めたいという気持ちになったりする。都会しか知らない生活の中ではおそらくそういった気持ちと無縁になるのはとうぜんである。

 山登りというのは電車やバス以外ほとんどお金を使わなくていい。頂上に上ったり、帰りの駅やバス停までのコースをたどると、一日のほとんどが爽やかな森の空気や山の展望を楽しみながらついやされることになる。けっこう充実した一日の使い方が、あまりお金がかからずに過ごせるのはありがたいことである。

 でも山に登ってもほとんどが中高年ばかりで若い人はほぼいない。女性のグループが多く、夫婦で登っている人や老齢に近い人が多い。なぜこういう人たちが集まるのだろうか。若い人はとうぜん都会と消費を好むからだろうし、中高年は消費が嫌いなのか、または女性は花々や植物が好きだからだろうか。このブームはほかの層まで広がることはあるのだろうか。

 私は観光地は嫌いである。観光地というのはヤジ馬根性が強すぎて、姿勢が真摯ではなさすぎると思うのだ。あまりにも情熱が弱すぎるのだ。そんな弱い気持ちで名所なんか見に行ってほしくないと思う。また、なぜか私は感動の気持ちを見知らぬ人と同じ場所で共有するのが嫌いである。都会の感情を共有しないルールに馴染みすぎているからだろうか。

 山というのは鉄道や車がない時代に人々が旅するときにはとうぜん歩いて越えなければならない道筋であった。だからげんざいのハイキングコースはむかしの人たちの道でもあったわけだ。おかげでむかしの人たちの旅は山の風景や渓谷などの絶景や奇勝を楽しめる旅でもあったのである。鉄道や車の旅はそういう楽しみを奪い去った。

 江戸時代のガイドブックの資料を見ていてびっくりしたのだが、ハイキングというのは江戸時代の物見遊山のコースとちょうど重なり合う。江戸時代の人たちは旅や物見遊山を多くなし、タテマエでは神社や寺の参詣を掲げていたが、風景や景色を楽しんだのである。ハイキングとは江戸回帰でもある。

 山登りの楽しみとして頂上からのながめがあるが、私はふもとの町並みや村の風景がながめられるのも好きだ。その土地独特の町並みや村のあり方が、山や川の地形にしたがって形づくられており、どのようにしてこの町はできあがっていったのかと興味がわく。その土地でしかありえない町並みがつくられてゆくのである。そういう景色をながめるのも好きだ。

 むかしの日本人はこうやって野山を切り開いて生活を営んできたのだなとむかしの日本人の姿が想像できていい。山のふもとの町や村はすこし前の日本人の生活の姿を彷彿とさせるのである。

 都会に多くの人が移り住んだのは戦後の高度成長以降で、それまでは大半の日本人が山間や山のふもとに田畑を耕して暮らしてきたわけである。はるかむかしから営々といとなんできた日本人の生活のすがたが、山のふもとの村から薫り立ってくるようだ。

 山登りをするようになって民俗学や歴史、神道学、風景学などに興味がわくようになったのだが、なかなか好奇心を満足させる本に出会うことがない。いったいどんな本が自分の好奇心にいちばんぴったりくるのだろう。本を探しつつも、おそらくはこれからもいろんな魅力を探りながら私は山登りにはげむことだろう。


07 11
2004

歴史・地理

『山の名前で読み解く日本史』 谷 有二


山の名前で読み解く日本史山の名前で読み解く日本史
谷 有二


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 山を歩いていたらその土地の民俗なり歴史を知りたくなる。でもなかなかお気に入りの本が見つからないのだな。この本はある程度はおもしろかった。

 とくに「一つ目」と金属伝承のかかわりに興味がひかれた。一つ目の妖怪や神が語られるところには製鉄事業とかかわりのあるところが多いという。炉内を見ているうちに片目がつぶれるからであり、一つ目の伝説は製鉄とのかかわりを匂わせるのである。鉄はやはり日本の権力をかたちづくってきたものである。製鉄は山中でおこなわれており、意外に山奥のほうに権力の源を見つけることができるかもしれないのである。

 山はやはり仏教名が冠されたものが多い。また山は死者の昇るあの世でもあった。山名にはいろいろ人の思いがこめられており、この本を参考に自分で読み解いてみるのも楽しいかもしれない。


07 11
2004

歴史・地理

『大坂商人』 武光 誠


大坂商人大坂商人
武光 誠


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 江戸時代に大阪の商業がにぎわったのは江戸より大阪のほうが海運上好都合だったからだった。太平洋側の海運は困難が多くて、北海道や北陸の物産は大阪に運んでくるほうが有利だった。ために大阪が天下の台所とよばれたのだそうだ。

 さいきん大阪の川辺をめぐっていてむかしの海運の華々しい時代を知りたくなってこの本を購入した。


07 11
2004

歴史・地理

『日本の地名』 谷川健一


日本の地名
谷川 健一

日本の地名

 この本はそうはおもしろくなかったが、地名の由来をさぐるのはけっこうおもしろいと思う。歴史や住んでいた人、どのような場所であったかがわかるということは快楽でもあると思う。この本が私にとっておもしろくなかったのは自分の地元のなじみのある地名ではなかったからだろう。やはり自分とつながりのある地元の地名の由来を知りたいのである。

日本の神々 魔の系譜 日本人の神 葛城と古代国家 神仏習合
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07 11
2004

歴史・地理

『風景を創る』 中村 良夫


風景を創る
中村 良夫

風景を創る

 風景のここちよさを知的に理解しようとするのはむずかしいと思う。なぜこの風景に魅かれ、ここちよいのか、言葉にするのはむずかしいし、また知ったとしてもそれが風景の魅力を一段と増すというわけでもないし。

 この本は写真や名所図などがふんだんに多用されているから魅力的だが、くさびを打ち込むような魅力はないな。


日本の風景・西欧の景観―そして造景の時代 風景学・実践篇―風景を目ききする 風景学入門 失われた景観―戦後日本が築いたもの 日本の景観―ふるさとの原型
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07 11
2004

歴史・地理

『流通列島の誕生』 林 玲子 大石 慎三郎


流通列島の誕生
林 玲子 大石 慎三郎

流通列島の誕生

 大阪の川をぶらぶらしていたら江戸時代の廻船が行き交った華々しい川の風景を知りたくなった。どうしてこの地は栄えたのか、全国の港のなかでどうしてこの地なのかといったことを知りたかったのだが、この本のさいしょのプロローグのところだけにそういうことが書かれていて、本文のほうはあまり興味を魅かれなかった。地理学のほうに興味がわくんだな。


鎖国 ゆるやかな情報革命 将軍と側用人の政治―新書・江戸時代〈1〉 貧農史観を見直す―新書・江戸時代〈3〉 身分差別社会の真実―新書・江戸時代〈2〉
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07 11
2004

歴史・地理

『江戸の旅文化』 神崎 宣武


江戸の旅文化
神崎 宣武

江戸の旅文化

 私はハイキングで関西の山に登ることが多いのだが、これは江戸時代の物見遊山の名所とぴったり重なり合うことを知った。山奥に寺や神社への参詣道も多い。ハイキングとは江戸回帰かもしれない。

 この本は絵や写真が少ないのが残念だが、江戸時代の庶民の姿が知れてまあおもしろかった。

 日本の寺社詣はヨーロッパのように目的一直線でも禁欲的でもなく、寄り道が多く物見遊山をふくみ、禁欲的ではない。参勤交代の道中人員は武士ばかりではなく、宿場ごとに近隣の農村から道中人員があつめられたという。日本の農業は稲作ばかりではなく、畑作も多く、兼業も多くおこなわれて多角経営化されていて、あまり農民とはいいがたい存在であった。

 日本人は江戸時代からずいぶんと旅や物見遊山をたのしんだ貧しいとはいえない人たちだった。伊勢詣など一ヶ月はかかった。現在一ヶ月も旅するスケジュールを空けられる人が働いている人の中でどのくらいいるのか、1ヵ月の旅の費用を捻出する余裕のある人がどれだけいるのか疑問である。寺社詣という名目の制限はあったが、江戸時代の人ははるかに余暇をたのしめたのである。明治の近代国家がはげしく江戸時代を非難して真っ黒にぬりつぶそうとした意味がわかるというものだ。げんざいの近代国家って企業と経済の奴隷に封じ込めようとして、はたして庶民のためになっているのか!


伊勢詣と江戸の旅 江戸の宿―三都・街道宿泊事情 江戸庶民の旅―旅のかたち・関所と女 絵図に見る伊勢参り 旅行ノススメ―昭和が生んだ庶民の「新文化」
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08 02
2004

歴史・地理

山登りから見えてくる関西


ops_osaka.jpg 大阪平野から京都、琵琶湖の航空写真。(宇宙航空研究開発機構から)


 大阪から山を登ろうとするとたいていは電車で一時間以上かかり、平野や市街地の果てまで行くことになる。山登りとは人の住む市街地の際限を知ることであり、人の交通をさまたげてきた山塊の存在を知ることでもある。

 人はたいてい平野に住む。山にはあまり住まない。山は人の行く手をはばみ、人々の交通を遮断し、人々が住むことを拒んできた。人々は山の合間に存在する平野に固まって暮らすことになる。そういう地形に規定されて生きてきた人の暮らしが、山にじかに登ることによってよくわかるようになった。人は都市では自然を克服したかもしれないが、山や地形を克服したわけではないのである。

 山や平野のあり方によって人々は住む場所を規定されてきた。関西なら大阪平野や奈良盆地、京都盆地といった平地におおくの人が住んできた。山は巨大な壁やへだたりとなって人の住む場所をおさえこんできたのである。

 都市や市街地に住み、おおくの用事を都市のみで果たす人にはこの関西ですらおおくの山地に囲まれていることに気づかないだろう。兵庫にしろ京都にしろ奈良、和歌山のほとんどが山地なのである。都市や市街地がおおくを占めるのではなく、山地がほとんどといったほうがいいのである。関西の大部分が山地なのが現実なのである。都市に暮らしている人はその現実が見えなくなるのではないかと思う。

 人はまずは海辺や川辺に住み、川をさかのぼり、山に行く手をさえぎられ、そこに定着し、あるいは谷や峠をこえて山の向こうにある平野や盆地を見つけ、定着し、またはつぎの歩をすすめただろう。

 大阪は瀬戸内海の行き止まりにあり、2000年前ほどは内陸のほとんどが海がはいりこんでいた。いまの大阪城や住吉大社まで海は迫っていた。にしても大阪には平野があったのだからさいしょの統一王朝が海岸沿いの大阪ではなく、一山越えた奈良で生まれたのはなぜなんだろうという疑問がうかぶ。

 古代から江戸時代にかけて水運はひじょうに重要だった。水運なら奈良につながる大和川より、淀川のほうがひじょうに適していたと思うのだが、なぜ奈良なんだろう。淀川なら琵琶湖まで通じているし、淀川王朝という存在があったのならなぜ全国制覇できなかったのだろう。奈良はうしろを山々に囲まれているから防御が固かったからだろうか。海側を生駒、葛城山脈に守られ、うしろもおおくの山脈に囲まれ、自然の防塞のようになっていたからだろうか。都は大阪にはおちつかず、北上し山々に囲まれた京都盆地に移ったのもやはり防砦面からだろうか。いまではすっかりのどかになった田舎の奈良の山々を登っているとそういう疑問がわき出てくる。

 山登りは風景や自然を楽しむだけではない。コースをたどっているとさまざまな民俗や歴史と自然にふれることになる。祠や石仏、神社や寺などが山にはほとんどいっていいほど見かけられ、一昔前の歴史をさかのぼったり、歴史の冷凍庫をかいまみるようなものである。ハイキング・コースとは歴史をたどるルートでもあり、なぜか市街地の歴史史跡より疑問や興味がわくものである。人里離れた山奥だから神秘性やミステリアスが感じられるからだろうか。

 また関西中の鉄道や町に行くこともできて、ほかに用がなければ立ち止まることもないだろう鉄道や町にも立ち寄ることができる思わぬ楽しみもある。遊びや買い物なら梅田や難波に行けばほとんど用が足せるし、観光地はその当地の見物しかしないだろうし、山登りだけが関西の地理のいくつかの線を結べるようになるものである。土地の全体像を、まったく不完全ではあるけれども、いくらか結べるようになるのが山登りの思わぬ魅力である。鉄道めぐりの魅力と似ているのだろうけど、それは土地の奥まで足で踏み込むことはないだろうし、山の頂上からその土地をながめられることもないだろう。

 なによりも山はその地形や大地とともに生きてきた人の暮らしや営みを目に見える形であらわしてくれる。谷沿いに発達した田んぼや町並み、すり鉢上の谷間にできあがった棚田、頂上から見られる山あいに発達した田園や家並み。その土地独特の地形によりそうように人の暮らしや営みはおこなわれてきたのである。そういう風景を見ていると人は自然の中にこじんまりと住まわせてもらっているという感じがして人間の小ささやかわいさを感じるのである。

 関西のたくさんの山を登り、奈良や神戸、京都、滋賀へと行動距離をひろげてゆくと、この町や村はどのように発展し、なぜそこはそのように発展したのか、という歴史が知りたくなってきた。そういう資料は多そうでもあり、なかなか見つからなかったりもする。水運というものが町や村の発展の大きな鍵をにぎっているのではないかと私はにらむのだが、そういう本でも見つけて想像の翼をひろげるのをこれからの私の楽しみとしたい。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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