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12 16
2015

書評 マンガ論、サブカル論

おもしろくなかった――『「面白さ」の研究』 都留泰作

4041027535<面白さ>の研究
世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書)

都留 泰作
KADOKAWA/角川書店 2015-05-10

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 大ヒット作、『スターウォーズ』、『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』、『ワンピース』、『踊る大捜査線』などのエンタメのおもしろさ、ヒットの理由などをさぐった書だが、文量もおおく、解釈もたいしておもしろみのあるものではなかった。ちょっと苦痛の部類に入る本かもしれない。

 著者は文化人類学者であり、マンガ家といういい肩書をもっているのだが、目を啓かせてくれるような新鮮な解釈をあたえてくれるわけでもなく、文章にもおもしろみがない。

 いまはドラマ性より、「世界観」エンタメといったものが受け入れられていて、個々の内面的悩みが解決したり、数人の仲間で分かりあうことで問題が解決されるような「近代的なドラマ」は価値をなくしており、理解しなければならないのは「世界」のほうなので、そのような「世界観」エンタメが求められているということである。

 ドラマがせせこましく、くだらなく見えてしまうのは、広くて深い「世界」にたいして、「世界」の中から極度に狭い個別的な人間関係を特権的にとりだしているからだという。もうこういうドラマは個として世間に対峙しなければならなくなったわたしたちには、必要性をなくしているというわけだ。

 『スターウォーズ』のヒットの要因を宇宙船のような高度な文明をつくりだした人類から、世界からとりのこされたような原始的で未開な民族をとりだしてみせたからだという。宇宙空間の中で、文明と進歩のヒエラルキーを並べ立てたことにより、地球上の博覧会のような様相を呈する映画になった。それが魅力なのだという。

 宮崎駿の魅力を、照葉樹林文化論や空間感覚、時間感覚などに求めるのだが、ふ~ん、もっとほかの魅力をほかの人も語っているように思うがとも感じられた。

 『ワンピース』は「『ジャンプ』的階層世界」を「地図化できる世界」に構築しなおしているということである。

 『踊る大捜査線』のおもしろみを組織論コメディと解釈してみせるのだが、これはいわれなくても、わたしにもわかる。

 まあさして解釈も斬新さや新鮮さも感じさせてくれず、文章がやたら長く、ちょっと忍耐を迫られる本であった。

 大ヒット作の解釈ならなにがなんでも片っぱしから読みたいという人にはいいだろうが、おもしろさや斬新さを求めるなら、この本は不向きでしょうね。言葉や説明しつくそうとする情熱が強すぎるのだろうか。


ムシヌユン(1) (ビッグコミックス)ナチュン(1) (アフタヌーンコミックス)セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 ソフトバンク新書 (SB新書)セカイ系とは何か (星海社文庫)サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ

03 24
2013

書評 マンガ論、サブカル論

大人になるためになぜ異類の夫は殺されるのか――『人身御供論』 大塚 英志

4044191115人身御供論―通過儀礼としての殺人 (角川文庫)
大塚 英志
角川書店 2002-07

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 かなりおもしろかった。生け贄にささげられる娘が異類の夫をなぜ殺すのかという民話の謎が、サブカルを題材に読み解かれてゆく各章はとてもスリリング。

 2002年に文庫化されてもう絶版なのだけどね。こういう民俗学とサブカルを結ぶ評論は民俗学に興味がある人はおもしろいのだろうけど、サブカルだけの興味の人は手にとりにくいのかもね。

 民話で語られた成熟・成長の通過儀礼の物語はこんにちのサブカルにも一貫して流れているというテーマなんだけど、サブカル好きな人は民俗学にはそう興味をもたないかもね。

 この本で読み解かれるサブカルは『タッチ』『めぞん一刻』『ホットロード』であり、『トーマの心臓』であり、『ピクニックatハンギングロック』、『アトム』、そして『ホテル・ニューハンプシャー』。これらの物語の解釈を与えられるだけでありがたい。

タッチ 完全復刻版 1 (少年サンデーコミックス)めぞん一刻 (1) (小学館文庫)ホットロード (1) (マーガレットコミックス)トーマの心臓 (小学館文庫)

ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版 [DVD]鉄腕アトム(1) (手塚治虫文庫全集 BT 1)ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

 なぜ子どもは大人への成長の段階で異類の夫、さいしょの夫を殺さなければならないのか。

 そういう通過儀礼がこんにちのサブカルでも問題とされていて、共同体の外部がなくなったこんにち、大人への通過儀礼や成熟は可能なのかが問われている。

 けっきょく異類の夫はなんなのかとずっとひっぱられるわけだけど、そのあいだのサブカル分析はとても興味深いのだけど、結論はウィニコットのいう「移行対象」だといわれてもそれ自体がよくわからないし、しっくりこないのだけど。

 わたしは異類の夫というのは父や母であって、父殺しや母殺しが成長の段階に必要なのかと思ったのだけど、著者はサブカル作品の中で父母は希薄であり、抑圧の対象ではないからその説明はきわめて困難だという。『ホットロード』の解釈ではさいしょの夫は死んだ父親だといわれているのだけどね。

 人身御供というのは共同体の利益のために鬼や龍などに犠牲に出されるわけだけど、死んでしまえば共同体の利益にかなうのだし、成功して生き返れば共同体のメンバーを一名確保できる。これは共同体のために犠牲になれるかという死を賭した選択なのだろうね。共同体のために死ぬ覚悟があるのなら共同体に成熟した大人の役割として迎え入れられるし、もしそうでないなら生け贄として犠牲になるか、神隠しにあって消えてしまうしかない。

 神隠しの民話は山に消えていってしまったと村人はいうのだけど、これはほかのムラやマチに逃れ出たということであって、ムラの共同体はその後の消息不明と共同体を正当化する論理から、そういう幻想をつくりあげたのだろうね。神にさらわれたのではなく、都市に逃げるという選択もあっただろうし。人身御供は共同体のために犠牲になれるかの踏み絵であって、それが共同体の通過儀礼で大人への証明だったのかもしれないね。

 「人は共同体や国家という大きな物語と同一化しなくともライナスの毛布を抱えていけば他者と折り合いを自分の居場所を見出せるのではないか」と本書のテーマは百字程度で要約できてしまうといっているのだけど、この人身御供は個人の内面の問題ではなくて、対共同体の関係なのかもしれないね。わたしは読書中、対個人の問題ばかりに読み込んでしまったのだけど、共同体の犠牲になれるのかという選択が大人への階段だったのかもしれないね。

 個人を守るか、共同体・集団を守るかという問題が、人身御供・通過儀礼に課せられた子どもから大人への踏み絵かもしれないね。異類の夫というのは共同体より優先するもの、大事にするもののたとえかもしれないね。それを守るなら共同体への大人としての参加は認められない。個人を守る論理は死ななければならなかったのだろうか。異類の夫というのは個人優先、個人主義のたとえだったのだろうか。

 この解釈はこの文を書いている最中に思いがけず導かれてしまったのだけど、大塚英志は自身がいうとおり百字で要約できることをえんえんと粘着的に書きつらねる批評家なので、要約的・結論的な解釈がひじょうに拡散してしまう本を書いてしまう人である。「移行対象」が結論として納得できなかったのだけど。

 まあ、異類の夫殺しとサブカルを読み解いてゆくこの本はひじょうにおもしろいものだった。サブカルの解釈が与えられるのもね。異類の夫とはなんなのだろうね。


【追記】 『キングコング』という映画が本書でさぐられる『猿婿入』の内容と構造がおなじだということに気づいた。サルに生け贄にささげられて、そのさいしょの夫、異類の夫は殺される。女性が大人になるための通過儀礼がみごとに描かれているわけだけど、こんなメジャーな作品がこのテーマだとは思わなかった。『キングコング』はただスペクタクル娯楽作品だけと思われているからね。人身御供の民話が現代にも生きていたんだね。

 けっきょくこの人身御供は共同体のために死ねるか、犠牲になれるかで共同体に大人として認められるかどうかの通過儀礼なのだろうね。共同体のために死ねるかの踏み絵。だとしたら恐ろしい関門だね。悪をおこなう国家であっても、不正をおこなう組織でもそのために死ねるかと問うているわけだからね。これが成熟の条件としたならね。


神、人を喰う―人身御供の民俗学通過儀礼 (岩波文庫)映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)遊ぶことと現実 (現代精神分析双書 第 2期第4巻)

02 14
2013

書評 マンガ論、サブカル論

読みたいマンガはあるかな―『サラリーマン漫画の戦後史』 真実 一郎

4862485588サラリーマン漫画の戦後史 (新書y)
真実 一郎
洋泉社 2010-08-06

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 なかなかおもしろかった。興味のひかれた何冊かを読んでみたいと思った。

 ただ通史としてタテにつながっていたストーリ-がさいごの章で、拡散されて焦点がむすびにくく、カタログ本のような体裁になっていたのでなんだか方向性が見えなくなった。まあ、現在になればなるほど、通史としての物語に収めにくくなるのはわかるけど。

 この本では源氏鶏太の小説や映画化されたものに戦後サラリーマンの原点とプロトタイプ(祖形)をみいだしている。けれど源氏鶏太なんて団塊世代以上しか知らないだろうし、20代年下のわたしもそのころのサラリーマン映画がどのようなものだったか、一度も見たことがない。そのころの映画に石原裕次郎、高倉健、小林旭、森繁久彌などが出ていて、なんとなくの黄金期はすこしはイメージできるていどだ。

 まあ、仕事はちっとも描かれず、派閥争いや恋愛関係だけの人間関係だけが描かれ、人柄さえよければ上司と女の後ろ盾をえてどんどん出世できるといった「人柄主義」が源氏のとくちょうだということだ。戦後のサラリーマン漫画はこのプロトタイプのうえに描かれてきたということだ。

 天下を取る [DVD]社長三代記 正・続篇 [DVD]ニッポン無責任時代 [DVD]


 わたしは70年代以降にそだったのでサラリーマンのネガの部分ばかり吸収したように思う。新聞漫画のサトウサンペイ、東海林さだおなどの自虐的サラリーマン像にいやだなあと思いながらステレオタイプをつくったと思う。良好な人間関係がすべてで、いかに上司に好かれて嫌われないでいるかの視点でネタ化された漫画である。

 『釣りバカ日誌』や『なぜか笑介』、『総務部総務課山口六平太』は源氏鶏太の人柄主義の系譜にふくめることができるという。良好な人間関係、人柄主義、たしかにそうだろうね。

 『ツルモク独身寮』なんて社内のレクリエーションが多く描かれるのだが、さいごは夢を追うために海外に旅立つ。『お茶の間』という90年のマンガは夢を追うことが最大限に賛美され、サラリーマン的な生き方は否定される。フリーターはそのころもてはやされるのだが、その後の経済情勢はフリーターを底辺・負け犬にくみこんだことはご承知のとおりだ。

 バブルが崩壊してしまった94年の『100億の男』というマンガがこれまでの家族主義的なサラリーマンを葬る非情なビジネスマンを描いたとして著者は評価している。『ハゲタカ』みたいなドラマだとしたら読みたいね。

 00年代のマンガでは『午前三時の無法地帯』が読みたいね。社泊4日はあたりまえ、午前三時でもみんな働いている労働基準法無視の職場。上下関係はゆるく、サークルのようなノリで働いている。「会社によるオフィシャルな承認」より、「仲間によるローカルな承認」を大事にしている風景なんて見てみたいね。でもわたしはローカルな承認なんて求めてどうなるという心情のほうが強いのだけどね。友だちノリは入れないからもっとドライな切り離した関係のほうを求めるのだけどね。

 『東京トイボックス』も興味をひかれたね。ゲーム制作会社で夢を追うか、大人になるかの対比。サラリーマンでありながら夢を追う子ども部分が肯定され、切り離して大人だけになった者は否定される。びみょうな割り切り方なんだけど、夢追い型が着地点を見出している。起業の話の『ヒーローズ』もちょっとのぞいてみたいかな。

 通史として機能していた話がさいごのほうになるとカタログ本のような体裁で終っているような印象をうけた本ですね。けっきょく、どういう生き方がいいとなっているのでしょうね。

 わたしはもうすっかりマンガを読まなくなったのだが、いくつかマンガ喫茶で見つけて読みたいと思ったね。それ以前にめあてのマンガを書棚から見つけるリテラシーがなくなっている――というか根気と知識かな――けれど、読んでみたいと思わしめた本かな。

 自分が参照するためにもこの本にとりあげられたマンガをあたらしいほうを上にのせておく。マンガ喫茶で見つかるかな。



第5章 サラリーマン神話解体
4063289990働きマン(1) (モーニングKC (999))
安野 モヨコ
講談社 2004-11-22

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4396763352サプリ (1) (FC (335))
おかざき 真里
祥伝社 2004-06-30

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4063520935ヒーローズ 1 (イブニングKC)
三宅 乱丈 大山 あつし
講談社 2004-12-21

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4063726614エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(1) (モーニングKC)
三田 紀房
講談社 2008-01-23

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4091873057ボーイズ・オン・ザ・ラン 1 (ビッグコミックス)
花沢 健吾
小学館 2005-11-30

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4806126756ぼく、オタリーマン。
よしたに
中経出版 2007-03-15

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4048541927サラリーマン田中K一がゆく! (単行本コミックス)
田中 圭一
角川グループパブリッシング 2008-07-05

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4344810872東京トイボックス 1 (バーズコミックス)
うめ
幻冬舎コミックス 2007-09-22

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4396764464午前3時の無法地帯 (1) (Feelコミックス)
ねむ ようこ
祥伝社 2008-12-08

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4766333764特命係長只野仁
辻井 南青紀 柳沢 きみお
グリーンアロー出版社 2008-11

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第4章 終わりの始まり
4778320751定本 宮本から君へ 1
新井 英樹
太田出版 2009-01-17

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4091833314100億の男 1 人生を売った男 (BIG SPIRITS COMICS)
国友 やすゆき
小学館 1993-12

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4088752740サラリーマン金太郎 1 (ヤングジャンプ・コミックス)
本宮 ひろ志
集英社 1994-12-08

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4091832911いいひと。―For new natural life (1) (ビッグコミックス)
高橋 しん
小学館 1993-10

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第3章 バブル景気の光と影
4091806813なぜか笑介 1 (ビッグコミックス)
聖 日出夫
小学館 1984-01

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4575930148かりあげクン―ほんにゃらゴッコ (1) (アクション・コミックス)
植田 まさし
双葉社 1981-01

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4091812813総務部総務課山口六平太 (第1話) (ビッグコミックス)
林 律雄 高井 研一郎
小学館 1987-01

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4091813216妻をめとらば 第1集 (ビッグコミックス)
柳沢 きみお
小学館 1987-03

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4091816517ツルモク独身寮 (1) (ビッグコミックス)
窪之内 英策
小学館 1988-09

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4091086152気まぐれコンセプト (My First Big)
ホイチョイ・プロダクションズ
小学館 2007-02

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4063280071お茶の間 (1) (ミスターマガジンKC (07))
望月 峯太郎
講談社 1992-02

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第2章以前
4091802818釣りバカ日誌 (1) (ビッグコミックス)
やまさき 十三 北見 けんいち
小学館 1980-07

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4063606341課長島耕作 (1)  新装版
弘兼 憲史
講談社 2003-10-10

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B000JAM1XK新・三等重役〈上,中巻〉 (1961年) (新潮文庫)
源氏 鶏太
新潮社 1961

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09 27
2012

書評 マンガ論、サブカル論

ざっと概括史のようなものですね―『ふしぎなふしぎな子どもの物語』 ひこ・田中

4334036384ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)
ひこ・田中
光文社 2011-08-17

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 ネットのほかの書評にもいわれているとおり、サブタイトルの「なぜ成長を描かなくなったのか」という問いはほとんど問われない。テレビヒーローやアニメ、マンガの概括史のようなもので、分析や解釈だけを読みたい向きにはちょっといらない部分が多い。

 けっきょくなにをいいたかったのかとなるけど、子どもの物語を当時をふりかえりながら概括してみましたというたぐいの本なのだろう。解釈は宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』みたいに鋭くないし。

 さいごのほうになぜ近代は大人にならなければならないのかという問いを放棄してきたといっている。成長を描かなくなった物語があらわれてきたということだが、物語は多種多様なのでそれを全般的な趨勢として認められるのかは少々疑問だが。

 まあ、ざっと拾い読み。

 ウルトラマンのテーマは「近代的自我の確立」と「他者との相剋」だと著者はいう。なぜ怪獣と闘わなければならないかはアイデンティティの問題、ウルトラマンであることの秘密は自分の存在の危機。まあ、むづかしくいえば、そうなのだろう。

 仮面ライダーの『剣(ブレイド)』(2004年)では、かつて英雄行為であったことを「仕事」に還元し、闘う相手と戦わない結末をむかえて、仮面ライダーやテレビヒーローの全否定をおこなったそうだ。ほんと姿かたちが違うだけで怪獣たちはどうして殺されなければならなかったのでしょうね。

 ガンダムというのは臨時艦長のブライトすら19歳という子ども集団であったというのは驚きですね。アムロは15歳。

 著者は『北の国から』に出てくる女性たちはすべて性的存在としかあらわれてこないと断じている。男の自己実現の道具だけだと。こういう目線には気づかなかったな。

 「女の子モノ=恋愛モノ」という定式は、女は性愛だけを考えていればいい、いてほしいという男の欲望の上になりたっていたという。それをどう回避するか、恋愛は人生の一部分にしかすぎないという物語が女の子の物語にもあらわれてきているようですね。

 「世界名作劇場」は孤児、もしくは孤児的な子どもを主人公にした作品が24作中、14作品もあったようですね。名作劇場の原作を年代別にならべると19世紀半ばから20世紀はじめの半世紀に集中している。19世紀半ばはまだ子どもが労働するのはあたりまえの時代であった。

 近代はアイデンティティの問題を物語りに多く描いた。職人の中から、個性的な作品をものにする人間を芸術家と崇めるようになった時代。わたしの違いを見せ、わたしがだれなのかを示さなければ認められない。

 ウルトラマンや仮面ライダーはいまもつくられているが、これまで悪と戦うことがあたりまえだった前提やストーリーが全否定されるという物語がつくられるようになったそうですね。そこに大人の終焉、大人に無条件に成長することが必要なのかという疑問がはさまれているということである。

 わたしは成長するとか大人になるとかの葛藤や疑問にあまり悩むことがなかったようなので、このテーマに深く感応することがないのかもしれない。


大人のための児童文学講座 子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情 いまファンタジーにできること 映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫) 〈少女マンガ〉ワンダーランド
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05 12
2012

書評 マンガ論、サブカル論

ユング派の解釈とは―『おとぎ話の心理学』 M-L.フォン・フランツ

おとぎ話の心理学おとぎ話の心理学 (1979年) (ユング心理学選書〈1〉)
M-L.フォン・フランツ
創元社 1979-12

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 おとぎ話の心理的解釈についてはまえにまとめて読んだことがある。おとぎ話というのはたいてい言葉で意味がわからないのだが、解釈を言葉で知ることの驚きと喜びはけっこう大きいものである。

 ほかのドラマや映画にも適用できるようになる。だけどすっかり自分のものになるにはそうとうの修行が必要なようである。ということでもう一回頭に入れるつもりでこのユング派のフォン・フランツの本を再読した。

 ちょっとさっぱり理解できたというよりか、いくぶん難渋だったという読後感がのこったかな。このシンボルはあれもこれも解釈できるという話がたくさん出てきて、竹を割ったような理解には届かない本かな。「納得できる」とか「これはこういう意味だったのか」という感嘆が多ければ多いほど、自分の身につく読解力を手に入られる気がする。

 「元型」とか「自己」というユング派独自の言葉が出てきて、これも理解をさまたげたかな。ユング派というのは「全体性」の獲得を人生の目的にしていて、「影の部分」――抑圧したり見たくない部分をみずからの中にとりもどすことが、人生の目標に掲げられているのかな。

 フロイト派なんかは性的解釈が多い気がするが、もちろん登場人物の性格とか要素も解読されているのだが、ユング派は登場人物を自我の一要素と解釈する傾向が強いのかな。人物は「外形」というかたちをもった存在ではなくて、自我の一部分。おとぎ話を「自立」の問題として捉える見方もだいぶ役に立つ。

 ここでは「三枚の羽」というおとぎ話が長く解釈されている。国王が跡取りを三人の王子にゆずるための課題を与える話で、でくの坊の三男がいずれも成功をおさめて王位をゆずられるという話である。

 わたしは死と再生の物語にこだわってきたのだが、いい解釈がここで語られていたとは思わなかった。


「国全体の繁栄が王の健康ないし心の状態にかかっています。もし性的に衰えたり病気になると、彼は殺され別な王にとって代わらなければなりません。そして新しい王の健康と勢力が、女性と家畜の多産と全部族の繁栄を保証するのです」

「何らかの宗教的儀式や教義が意識化されてしばらくたつと、だんだん色あせて当初の情緒的な衝撃力を失い、やがて死んだ公式になってしまう傾向があります。…生命の流れとの非合理的な接触を失って、機械的なものになり易いのです」

「なぜなら、何かが長い間意識的であると、その精が抜けてゆくからです。だから、意識的生活を硬化させないためには、無意識の心的事象の流れと接触して、たえず甦る必要があります」

「<自己>の象徴は、…死んだ公式―意味を失った制度や教義、したがってまったくの形骸―に落ち込む可能性に脅かされている、ということができます」

「われわれは意識を発達させすぎて、人生をありのままに受けとる柔軟性を失った人間です。それが、でくの坊の物語がわれわれにとってとくに値打ちのある理由です。彼はただストーヴの傍に坐って体を掻いています。すると万事がタナボタ式にうまくゆくのです」



 社会というのは時間がたつにつれ機械化や形骸化がおこり、どんどん魂を失ったもの、死したものになってゆく傾向があるようだ。再生するためには「死ななければならない」。そして再生を司るものは「でくの坊」のような役にたたない、無用な存在なのである。


「英雄は、健康で意識的な状況を回復する者です。彼は、部族や国民すべての自我が、その本能的、基本的な全体性のパターンからずれている状況を、健康で正常に機能するように回復させる一つの自我なのです」

「それは生きるためのモデル、無意識のうちに生活のあらゆる肯定的な可能性を思い出させる、人々を励まし元気づけるモデルを提供します」

「もしわれわれがこのような神話を手に入れれば、われわれは再びなぜ自分たちが存在するのかを知り、それはわれわれの生活気分をすっかり変え、時にはわれわれの身体条件すら変えることができる、と思えるからです」



 ユング派ではアニマ、アニムスという概念で男性性、女性性をいうのだが、その片方の欠如がひどくなるともう一方の回復・再帰がめざされるようになる。男性性が強すぎれば女性性の回復が、ぎゃくに女性性が強すぎれば男性性が、といったふうに。

 機械化・形骸化した男性化された社会にはでくの坊のような無用の存在がその回復をつれてくるのだろう。われわれの社会かのようである。

 物語を解釈するにはさいしょの登場人物がどのような配置なのか考えると解釈がしやすくなるといっている。「三枚の羽」では国王と王子だけが登場してきて、女性はいない。これで女性性の回復が目指される物語であるということがわかるということだ。


「怖ろしい秘密をもつ禁じられた部屋は、広くゆくわたったモティーフです。何か不気味で怖ろしいものが隠されており、このことは再び、完全に抑圧され閉じこめられたコンプレックス―意識的態度とはあい容れぬ何物かを表しています」

「自分自身の貪欲さや悪意や憎しみなどを見ることができれば、それらを肯定的なものに変えることができます。というのは、こういう破壊的な情緒の中には多分に生命力が蓄えられており、このエネルギーを自由に使えば肯定的な目的に役立ちうるからです」



 ユング派というのはこういう抑圧された部分―影の部分を再統合するという目標が多いのである。

 なんだか話がばらばらになってきたので、さいごにゾンビの解釈もできそうなつぎの言葉でしめくくる。


「吸血鬼が血を飲むのと丁度同じように、霊は目に見えるようになるために、体を食べるのです。それらは、その形に実体を得ようとして、死体を奪って食べるのです。だから霊たちは死体に見せられるのです」

「死体を貪り食うことは、コンプレックスやその他の無意識内容が絶望的に意識に入りこみ、生きた人の中で実現されようともがいていることを象徴的に示しています。霊の、肉体に対するがつがつした欲望は、生命の充実を求める、認められず救済されぬ願いなのです」



 おとぎ話や物語は意味や解釈がわからなくても、感情や情動で味わえればいいといういどみ方もあると思う。だけど解釈や意味がわかるというのも物語をいっそう味わい深いものにする。言葉で解釈できなければ、なんのための物語かと思ってしまう。



永遠の少年―『星の王子さま』 大人になれない心の深層 (ちくま学芸文庫)おとぎ話のなかの救済―深層心理学的観点から男性の誕生―『黄金のろば』の深層時間 -過ぎる時と円環する時-     イメージの博物誌 12ユングのタイプ論―フォン・フランツによる劣等機能/ヒルマンによる感情機能

03 18
2012

書評 マンガ論、サブカル論

『大人になれないまま成熟するために』 金原 瑞人

4896918568大人になれないまま成熟するために―前略。「ぼく」としか言えないオジさんたちへ (新書y)
金原 瑞人
洋泉社 2004-10

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 ブックオフの百円本で買ったからか、ほとんど読む価値のない本に思えた。読んだ本はたいてい赤線を引くのだが、この本は引く価値もないと思った。

 なんらかの問題意識もあったのだろうが、どーでもいい。感想も書く必要もないと思うのだけど、マイナスの意味でのこしておこう。

 50年代のアメリカ文化、70年代の日本の若者文化を語られていて、けっしてなんの参考にもならない本ではない。サブ・カルチャー、大衆文化の流れが読める本である。

 だけどそれ以上でも以下でもない。問題意識もともに考えようという意欲もわかなかった。それだけの本でしょう。


02 27
2012

書評 マンガ論、サブカル論

スゴイ物語読解力―『ゼロ年代の想像力』 宇野常寛

4150310475ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)
宇野常寛
早川書房 2011-09-09

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 わたしは物語の読解能力がないから、著者の読解能力に驚かされるばかりだった。「この物語はこういうことをいっていたのか」、「この物語はこう読むのか」と驚嘆しきりだった。明快な物語読解や図式的な通史を与えてもらって、目からうろこの批評であった。もう手放しにひれ伏すしかないな。。という感想。

 あえて批評的なことをいうとすると、大きな物語が終わったあと人はどう生きるかという問題は大きいにしろ、人はそういう問題にいつも関わりあって生きるのかという疑問もあったし、そういう図式的な通史は後半の評論になるにしたがい、薄れていったし、読んでいるとちゅうは明快な読解能力に驚嘆したが、読み終わったあと、ぱらぱらと再読してみるとなんとなく興味が薄れていった気がした。

 物語に過剰に意味を読みとる、コミットメントする姿勢というのは、わたしは年をとるにしたがい、薄れていった興味だ。物語より現実に問題を探る姿勢のほうが重要だという思いがある。物語に重要な意味があるという姿勢がこの著作をものにしたわけだが。

 あと、ひとつ気づいたのは西洋の思想家の名前がほとんど出てこないこと。もう西洋の思想家に知恵を借りる必要はないということか。膨大な物語群に接していたら、西洋思想家にかかわる時間もないだろう。

 本の内容についてかんたんな感想のべたいと思う。まあ、自分のことばで語ってゆくと歪曲やカン違いの解釈とか出てきそうだし、深く理解できていないものはそのつながりをまちがって捉えているだろう。

 大きな物語が終焉したあと、世の中が正しい道を示してくれないならひきこもるといったのが『エヴァンゲリオン』の思想だという。

 このころに流行したのがトラウマに自己承認をもとめる物語群で、『羊たちの沈黙』や野島伸司、村上龍、天童荒太、椎名林檎、浜崎あゆみなどの作品にあらわれた。

 わたしはこの90年代の現象が「モノからこころの時代へ」の掛け声のもとに犯罪的心理内面にむかってゆくのかふしぎであったのが、この本によると大きな物語が終焉したあとにひとつの対処法ということになるのだろうか。どうつなげているのか読み込めなかったが。

 「セカイ系」というのはささいな人間関係と世界の終わりが直結する物語である。無条件にイノセントな愛を捧げる少女は世界の存在とひきかえに主人公への愛をつらぬく。主人公は少女=世界に承認され、その自己愛が全肯定されるという。しかし『エヴァ』にしろセカイ系にしろ、どうして少年のエゴに満ちた物語が堂々と公開され、人気を博すのかよくわからないが。自分の思い通りになる想像力というのはポルノだよ。

 この本によく出てくることばが「決断主義」で、価値観の宙吊りに耐えられない弱い人間のために、無根拠を承知で中心的な価値を信じる態度のことをいう。ナショナリズム回帰などはそうなのだろう。

 『DEATH NOTE』『バトル・ロワイアル』『LIAR GAME』などの物語では引きこもっていてはやられるだけだ、闘わなければ生き残れないといった「サヴァイヴ系」の想像力もあらわれている。なるほど、時代の流れの上においたら、これらの過激な物語が必要とされたわけがわかるというものだ。

 郊外に生きる少年たちに物語がないという諦念は、新しい想像力によってのりこえられようとしている。著者が評価するのが宮藤官九郎であったり、『野ブタをプロデュース。』の木皿泉であったりする。なにもない日常でも大きな豊穣な意味があったのだということに気づいてゆく。世界から意味や目的を与えられることに慣れてしまったわれわれは、自分で見つけ出す方法を忘れてしまったのだと。

「また、似たような一日が始まるんだね」「似たような毎日だけど、全然違う一日だよ」。

 まあ、この日常主義というのはいささか(?)で、拍子抜けするし、賞賛されるこのふたりのドラマはどうもわたしにはぴんとこなかったし、男は大きな物語を求めつづけるものだと思うが。でも著者の物語の読解能力にはいずれも舌を巻かれるが。

 『うる星やつら』などの高橋留美子の物語を母性の抑圧や成熟の回路を奪うことだと捉えるのは秀逸であったと思う。物語というのは成熟を拒否して母性に戻ることだというテーマを物語にとりいれるのは、批判を自己やファンにつきつけることなのだが、アニメとかけっこうこの種の批判をこめた物語はつくられているのだろう。ただその批判をファンは読み込めているか疑問に思うが。

 『どろろ』は親に捨てられた=成熟のモデルを父親から与えられなくなったポストモダンの物語と捉えるあたりなんて驚きだな。『仮面ライダー』もゼロ年代にずっとつくられつづけいているのだが、成熟と正義の問題として分析してゆく章もすばらしい。子ども向けと思われる特撮モノにこんな意味がこめられているなんてと勉強になる。

 かつて「変身」とはエゴの強化だった。現在の変身とは自分とは異なる物語を生き、異なる超越性を信じる他者と関係を結ぶことが変身であり、成熟なのだという。

 本も後半になると大きな物語の終焉という図式から離れて、関係ないんじゃないかとか、冴えもなくなってきたという感がしてきた。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』という物語が流行ったが、日常の豊かさに肥大したプライドや自意識がじゃまして気づかないのだということが描かれているという。つまらないのは、ハルヒの肥大化したプライドなのだという。ふ~んである。

 物語の読解能力がすごい本だったと思う。いままでここまでサブカルを分析できた本はそうそうなかったと思う。十数年前にサブカル分析の本を読もうと思って探したが、いいのがなかったから童話解釈の本を読み漁るしかなかった覚えがある。この本はサブカル分析の記念碑的な本だろう。

 ただ物語にそこまでの意味を読みとる価値はあるのかという疑問も忘れてはならないだろう。少年はいつか物語から離れて現実に比重をうつしていかなければならない。現実のほうが大きな問題をはらみ、目の前に立ちふさがる必要なものである。豊穣なものは物語にあるのではなくて、現実の日常や世界である。


▼ことばで読み解かれる快感
リトル・ピープルの時代動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー (ソフトバンク新書)私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫)


01 27
2011

書評 マンガ論、サブカル論

『マンガに教わる仕事学』 梅崎 修

マンガに教わる仕事学 (ちくま新書)マンガに教わる仕事学 (ちくま新書)
(2006/03)
梅崎 修

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 マンガを評論した本は好きだが、残念ながらこの本はほとんど読むべきものがなかった。たんなるエッセイ、四方山話。なにかの鋭い論評があるわけでもない。紹介本に徹しているわけでもないから、よけいに中途半端。ちくま新書のレベルを期待したら裏切られる。まあ、わたしがすぐれた本を書けるわけでもないのでこれ以上の批判は慎もう。

 マンガで仕事や職業について語った本はたくさん出ている。完全に少年のためのマンガではなくて大人のためのマンガになっている。そろそろわたしはマンガをほぼ読まなくなっているので、そのへんの事情はだいぶ疎くなってきた。

 『まいど!南大阪信用金庫』、『怪傑!!ドド課長』、『総務部総務課 山口六平太』とったタイトルはあきらかに仕事や職場をテーマにしたマンガだとわかる。仕事の風景が目に見えるものからどんどん遠ざかっている現在、マンガから仕事を学ぶ意義はじゅうぶんにあるのだろう。もしビジネス書や仕事本を読まなければ、仕事の情報を得るものはマンガしかなくなるのだろう。テレビが仕事を語ってくれる期待はほぼあきらめたほうがいいし。

 『定年諸君!』という退職する団塊世代を意識したマンガも書かれている。

 わたしが読みたくなったマンガは田舎暮らしをはじめたはた万次郎の『ウッシーとの日々』くらいだ。隠遁願望が強いのだろう。

 それにしても読みたいマンガを見つけても本屋で見つけるリテラシーがわたしにはなくなってしまった。テーマ別にマンガを並べてくれたら助かるのだけどなあ。出版者別や本サイズ別はなんのマンガかもひとつも提示してくれない。


▼アマゾンの画像がないマンガも多い。
ウッシーとの日々 1 (集英社文庫)まいど!南大阪信用金庫 (1) (ビッグコミックス)総務部総務課山口六平太 (第1話) (ビッグコミックス)工場虫

09 29
2010

書評 マンガ論、サブカル論

『お母さんという女』 益田 ミリ

お母さんという女 (知恵の森文庫)お母さんという女 (知恵の森文庫)
(2004/12/08)
益田 ミリ

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 益田ミリは謙虚で朴訥とした絵柄がいい。ほっとする。脱力系というのか。押しや強引さ、欲望といったものが排除された謙虚さを味わえる。わざとヘタウマと雑な絵も味わいを増す。ほこっとしたいときには絵をながめているだけで安らげて、癒される。これはいいな。

 著作を見ているとゆるゆる系やダメ系も多いが、イラチ系もちょっと混ざっていて、自分のそのような性格にたいするアンチをとなえるために謙虚絵柄かもしれないと思ったりする。顔写真を見ればそのへんのところがわかると思ったのだが、ネットには顔写真はないみたいだな。顔はその人の人間性や背景をあらわすと思う。人生経験で顔からキャラを見分けたりする。当たっているかはわからないが、自分なりのデータベースを人はもっていると思う。

 このマンガとエッセイはひたすらお母さんの何気ない日常を切りとっている。ほんとになにもない。それがお母さんの日常であり、すべてであり、幸福と満足もそこにあるのだろう。まあ、このマンガにかんして批評的なことを語っても仕方がないな。たのしめればいい。

 お母さんはもったいないといって甘すぎるあんこを食パンにぬったり、近所の人といつまでもおしゃべりしたり、団地のまわりを歩いたり、手作りの小物であふれさせたり、花壇に水をやったり、娘の子どものときに好きだったものをいまでも与えたり、そんなふつうの日常がこのマンガで何事もなく描かれ、そこにほんのわずかな楽しみとほんわかする気もちを味わせる。

 このエピソードは好きだ。茶わんを重ねてふるとまるいごはんができる。子どものときの益田姉妹はそれで大喜び。これだけでうれしい子どもがいれば母にはたいそう楽しかったことだろう。

 益田ミリでもうすこしほこっとしたいな。


すーちゃん (幻冬舎文庫 ま 10-2)結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日青春、手遅れ47都道府県 女ひとりで行ってみよう女湯のできごと (知恵の森文庫)

05 19
2010

書評 マンガ論、サブカル論

『サイバラ式』 西原 理恵子

サイバラ式 (角川文庫)サイバラ式 (角川文庫)
(2000/10)
西原 理恵子

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 西原理恵子はどれかを読みたいと思っていたが、なかなか入り口が見つからず。ギャンブル体験や旅行体験記などの毒舌系があるが、わたしが読みたいのは泣ける系や叙情派とよばれる物語だろう。

 女性のサブカル文化人といった一群の人たちがいると思う。『だめんず・うぉ~か~』の倉田真由美や中村うさぎとか内田春菊とか。マンガを描いておきながら新潮文庫に収録されていたり、エッセイでも文芸系に属さない人とか。どちらかというとオンナのホンネ系というか、エゲつない系、露悪系といったらいいのか。

 オンナの美しい、きれいな偶像を、それはもちろん男の勝手な妄想だろうが、女性のほうから壊すような人たちである。女性の共感をえるために書かれているのだろうが、男から見ればオンナの偶像を壊すというか、露悪的にさらしているように思える。あくまでもわたしの勝手な外からの印象であるが、そういった女性たちがサブカルあたりにおおくいるように思える。

 岩井志麻子はホラー小説を書いたり、エロっぽい小説を出したりしているようだが、テレビで露悪的なキャラで売り出しているらしい。『オバさんだってセックスしたい』なんて新書を出して何者?と思ったが、品行方正な文化人から逸脱したキャラのようである。西原理恵子とつながりがあり、ひとつのグループっぽいのかもしれない。倉田真由美はしょうしょうきれいなのでテレビに出たりしているが、評論家としては役不足に思う。彼女たちとくらべると酒井順子はまだまだ品行方正なほうだろう。益田ミリなんてかわいいほうである、ほっとする。

 中村うさぎは買い物依存やホスト通い、風俗店勤務などの自虐的・露悪的な路線で売れている。オンナのホンネやエゲつなさ、醜さ、汚さといったものをここまであからさまにさらした芸風はかつてはそうなかったように思う。女性の時代というものか。西原理恵子はそういう流れの中でのひとつのアタマあたりに位置づけられるのだろうか。

 女性たちが自分のダメな部分や醜悪な人生をさらしてそれで共感をえている。ひとむかし前の男の私小説みたいなものである。オンナの無頼派なのだろうか。それが文芸という堅苦しいものではなくて、マンガやエッセイなどのサブカルでおこなわれている。時代なのだろうな。

 『サイバラ式』のなかでわたしが気に入ったのは高知の浦戸で少女時代にだれもいない部屋でおじいちゃんとおばあちゃんの話し声が聞こえてきて、おばあちゃんに話したら山のてっぺんの観音さまにつれていかれたという話である。景色がきれいだったという話で終わる。そういう叙情的な話なら読みたい。『いけちゃんとぼく』や『女の子ものがたり』、『パーマネント野ばら』などにその作風は楽しめるのだろうか。『毎日かあさん』がアニメ化されたり、映画化がつぎつぎとされたり、評価が高まっている時期なようである。









いけちゃんとぼくパーマネント野ばら (新潮文庫)女の子ものがたりぼくんち (ビッグコミックス)はれた日は学校をやすんで (双葉文庫)

だめんず・うぉ~か~ (1) (扶桑社SPA!文庫)私という病 (新潮文庫)オバサンだってセックスしたい (ベスト新書)私たちは繁殖しているイエロー (角川文庫)負け犬の遠吠え (講談社文庫)


わたしの書評です。
『私という病』 中村うさぎ
『負け犬の遠吠え』 酒井 順子

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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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