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06 05
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ふしぎな少年』 手塚 治虫


4061086561ふしぎな少年 (1)
手塚 治虫
講談社 1978-08

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 時間を止めることができるようになった少年のSF物語である。時間をとめて大事故の犠牲者を救ったり、殺人事件を防いだりする。

 このような時間をとめるということはまったく現実にはムリな話である。この物語の効用は時間をとめているあいだになんでもできることから道徳の教訓を得ることができるし、または人にはまったくできないことができるという優越感を満足することができることだ。

 この物語が好きだとしたらそれはここに優越感を得ることができるからだ。人はどうして優越感を求めてやまないのだろうか。優越感がなくなれば人は人と応対することすら難しくなってくるし、社会を互角に渡ってゆくことも困難になる。だから人は必死に空想でもいいから優越感を求めるのである。

 だが、優越感はときに差別や蔑視に結びつくし、あるいは人への非難や暴力に結びつく。人が優越感を必要とするとき、他人は虐げられるのである。この優越感と差別のからくりを解体できないものだろうか。

 宗教が言ってきたのは自我や思考をなくすことである。自我とは優越感そのものである。この方法で人は優越感と劣等感から自由になれるのだろうか。劣等感を怖がる人はたとえどんな優越感を得ようとその恐怖から逃れることはできないのである。

 
05 30
2005

手塚治虫ノスタルジア

手塚治虫の育った宝塚を歩く


 手塚治虫は5才から24才の昭和10年代を宝塚で育ちました。私には一度マンガの天才の生まれ育った地を見てみたいという気持ちがありました。手塚の旧家はわかりませんでしたが、現在の様変わりした宝塚を見ることができました。

 宝塚歌劇があり、いぜんは宝塚ファミリーランドがあり、阪急の小林一三がつくったエンターティメントの街という感じがしました。ただ大阪平野の北限にあり、山を削り、山の上にへばりつくように高層マンションがたちならぶ現在の様は、神戸の町並み同様、なにかおぞましいものがありました。

 ちかごろはこの路線の大阪寄りで列車脱線事故があり、手塚の母校である池田小では殺傷事件があり、十年前には阪神大震災がありました。手塚の育った地域が崩れてゆくという感じがします。

CIMG0008.jpg 駅を南に下るとぴかぴかな高層マンションやホテルがたちならびます。この街は一戸建ての街というよりか、マンション礼賛の街という感じがします。さらに南は六甲山系です。
CIMG00092.jpg 宝塚大劇場です。男の私にはまったくわからない世界です。手前の武庫川はすぐに山奥の景観を誇る武庫川渓谷に入ります。
CIMG00171.jpg 手塚治虫記念館です。手塚ファンの巡礼の地みたいになっています。私は『ブラック・ジャック』の生原稿のホワイトで修正したあとや、セリフの切り貼りが見れてよかったです。
CIMG00232.jpg 手塚の旧家がある御殿山方向は、裏宝塚とよべるほどさびれている感じがしました。閑静な住宅地ではありますが。いきなり坂道がえんえんとつづきます。
CIMG00331.jpg 御殿山をのぼったあたりから宝塚市全体が見渡せます。むこうの六甲山系のすそ野を削りとるように新興住宅地がならびます。
CIMG00404.jpg さらに上にのぼれば、巨大なマンション群がたちならびます。エスカレーターがなければ昇れないほど急勾配です。バスや車がなければ、ここまでこれないくらいです。
CIMG00472.jpg こちらは豪華な阪急宝塚駅です。もちろんデパートがあったり、宝塚歌劇寄りです。
CIMG00464.jpg その北側にはどこにあるかわからないほどのJR宝塚駅があります。このへんに脱線事故をおこすほどの焦りが見えるようです。JRは長距離にはいいのですけどね。もうほんとに輸送機関だけですね。

 ▼参考リンク
 手塚治虫の大阪を歩く 東京紅團

 mfweb7.gif 宝塚市御殿山付近の地図。

05 29
2005

手塚治虫ノスタルジア

『アポロの歌』 手塚 治虫


4061086359アポロの歌 (1)
手塚 治虫
講談社 1977-10

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 手塚が永井豪の『ハレンチ学園』に触発されて描いた性と愛の物語。母親の性の乱れから動物虐待をくりかえしていた少年が愛の女神によって報われない愛を罰として与えられつづけるイタイ物語である。悲恋を味わえるというよりか、もうマゾイスティックである。

 手塚は多くの作品の中に恋愛の要素はとりあげたが、恋愛マンガはうまくはなかった。そこから少女マンガの学園恋愛モノは興隆したし、手塚に欠けていたスポ根モノも興隆した。昭和のマンガ界は手塚のすきま産業で成り立っていたのかもしれない。

 マンガに性を求める衝動というのは強いものである。エッチなものや裸ばかりマンガに求めるようになった私はなんとなくこの方向がいやになり、マンガから離れてゆく契機になったように思う。そればっかりかよという気になった。虚構に向かう性衝動はとめておいたほうがいいのか、とめないほうがいいのか、私にはわからない。

 ただこの物語が表わしているように性を憎むことはみずからを罰することになるのを覚えておいたほうがいいだろう。性への憎しみは自分の愛をも奪うのである。


05 23
2005

手塚治虫ノスタルジア

『きりひと讃歌』 手塚 治虫


4091920012きりひと讃歌 (1)
手塚 治虫
小学館 1994-11

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 これはどう評価していいかわからない。医学部の教授に生体実験のようにされ、モンモウ病という犬のような顔になる病気にかかり、見世物として売られたりするストーリーを描いている。

 『白い巨塔』に触発されて描いた作品だと思うのだが、医学部の権威主義や名声のようなものが告発すべきテーマには私には思えないのだが。医者が患者を生体実験のように見なすのはどちらかといえば当たり前っぽい気がするのだけれど。

 子どものときに読んだ私には四国の山奥の因習的な村や、ごちそうのかわりに女体がさしだされるなんて、みょうに印象に残ったなぁ。

 それにしても手塚は『バンパイヤ』や『火の鳥 太陽編』など人間が犬になる物語をよく描いたな。「文明」の差別としての「獣」側に身をおくことによって、文明の権力性や身勝手さを告発したのだろうか。差別され、虐待される獣としての人間の気もちを文明人も知れということか。文明の放漫さは大切なメッセージである。


05 22
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ジャングル大帝』 手塚 治虫


4061086014ジャングル大帝 (1)
手塚 治虫
講談社 1977-06

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 これだよ、この表紙だよ。私がはじめて手塚治虫と出会った作品で、ぼろぼろになるまで読み返したものである。昭和52年、私が10才のときだった。それいらい、手塚の作品を読み漁った。僥倖の時期であった。

 子どものころは動物が好きなもので、シートンの『狼王ロボ』が好きだった私はこの作品のさいしょにあらわれるレオの父親パンジャに憧れたものである。

 きょう、マンガ喫茶で読み返してみてびっくりした。テーマがまったく文明礼賛だったからだ。未開で野蛮で後進的な動物たちをみちびいて、文明の先進的で進歩した知識や技術を教えるという恐ろしく植民地主義的な内容であったとはまったく知らなかった。

 ジャングルの動物たちが言葉や読み書きを教えられたり、道路や宮殿を建てたり、伝染病を進歩した人間の医学によって救われるという極度に無邪気な文明礼賛論だったのである。

 文明をそんなに讃美していいものかと思う。文明の負の遺産を経験しつつある私たちには手放しの文明讃美をもう唱えられないし、劣った文明を優れた文明が啓蒙するという考え方は世界の植民地化のイデオロギーにおおいに利用された歴史を知っているのである。

 もちろんこの作品が描かれたのは戦後まもなくであり、公害もオイルショックも経験しない高度成長期いぜんのことである。だけど高度な文明が無邪気にすばらしいという思想は、たしかにいまでも先進国と日本を比べるニュースからもうかがわれるのだが、もうこういう二分法からは脱却しなければならない。後進国を差別したり、侵略のいいわけに用いられるし、そして人生の意味も空疎になってしまう。私たちはこの後のつぎの時代を迎えているのである。

 アニメのオープニングはこんな感じでした。雄大な音楽がよかったね。(YouTubeの映像はあまりよくないです)

05 22
2005

手塚治虫ノスタルジア

『人間昆虫記』 手塚 治虫


kontyuki1.jpg人間昆虫記
手塚 治虫
大都社 1986-12

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 見事な作品であった。いぜんはグラフィックデザインで世界的になり、こんどは芥川賞を受賞した女性が、他人の才能を完璧に模倣する女性であることがわかってゆく。

 秘密を知ったものは殺されてゆくわ、利用できるなら自分の肉体はかんたんにさしだすわ、エリート商社マンと偽装結婚をおこなうわ、成功や頂点にのぼりつめるためなら手段を選ばない。模倣された者は破滅してゆく。『人間昆虫記』とは蝶々のようにさなぎから蝶に変態するさまをいっているのだろう。

 この作品でいっているのは、おそらく日本の経済的模倣や文明の模倣のことをいっているのだろう。文明というの模倣によってなしとげられ、そのお株を奪ってゆくものである。日本の経済的成功がアメリカの模倣であったように。日本もいずれ後進国に模倣され、追い越されるのだろう。模倣の怖ろしさと、利用できるものはすべて食い尽くす女の怖ろしさ(と魅力?)を感じさせる作品であった。

 しかし彼女は満たされない。死去した母親の蝋人形に裸で甘えてみたり、かつて才能を模倣して裏切った男が忘れられなかったり。せつなさやさみしさが彼女からは抜け切らないのである。成功や名声の空しさや病理面がそこには立ち現れているのだろうか。それらに魂を売った日本人の姿が透けて見えそうである。


05 19
2005

手塚治虫ノスタルジア

『一輝まんだら』 手塚 治虫


406173282X一輝まんだら (1)
手塚 治虫
講談社 1983-12

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 手塚が大人向けのマンガを描くとなぜか歴史もの、それも近代の歴史を多くあつかった。『奇子』や『シュマリ』、『陽だまりの樹』などである。かれは自身のルーツやその生まれ育った時代を探りたかったのではないだろうか。

 物語はまだ西大后のいる清朝最後の時代に、義和団の乱に参加したはちゃめちゃな女性を中心に進んでゆく。『ラスト・エンペラー』の時代かな。彼女は日本に亡命し、孫文などと出会ったり、主役である北一輝と出会うわけだが、物語は未完で終わる。主役があらわれる前にべつの副主役が暴れるというのは『ブッダ』と同じである。

 なにか中国の近代化という問題をあつかっているようなのだが、社会主義者としての北一輝が主役ということは、手塚はそれが成就された国というものを描いてみたかったのだろうか。知識人にとって自分たちの頭で描いた青写真が叶うことはひとつの理想でもある。手塚は知性万能的な思考で社会主義の理想を信じていたのだろうか。


05 17
2005

手塚治虫ノスタルジア

『百物語』 手塚治虫


408748291X手塚治虫名作集 (3)
手塚 治虫
集英社 1995-03

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 この物語はけっこう好きである。生きがい探しや人生の充実や幸福とはなにかといったことが語られているからである。

 切腹を命じられた主人公が願いごとの代わりに魂をさしだす契約を悪魔と交わす。願いごとは人生の充実と、一国一城の主となること、絶世の美女を手に入れることである。私は気づかなかったのだが、これはゲーテの『ファウスト』が下敷きになっている。

 これらを手に入れれば、人は満足して死ぬことができるのかといったことが語られているわけである。ふぬけだった主人公がたくましくなってゆくあたりや、魂を買った悪魔のスダマが主人公に惚れてゆく変節など、物語として楽しめた。主人公はそれらが与えられるものではなく、自分から手に入れようとしないと手に入らないことを悟ってゆくわけである。

 人は単純にはこの三つの願いを一度は夢見るものかもしれないが、はたしてこれら三つのものを叶えれば人は満足して死ぬことができるのだろうか。

 またはそれらは魂を売り払うほど価値のあるものかと問うこともできるだろう。現代人ならさしずめ金や安定のために魂を悪魔に売り払っているといえるだろう。魂を売り払った人生が生きるに値するものなのか、この物語を読んであらためて考えてほしいものである。なにかを得るためには大きな犠牲を支払わなければならないということを消費社会に生きるわれわれはあまりにも忘れがちなのである。


05 15
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ブッダ』 手塚 治虫


4267015112ブッダ (1)
手塚 治虫
潮出版社 1998-11

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 ブッダの物語であるけれども、ほかの登場人物が主役になって連作になるようなかたちになっていて、その物語のつづきを知りたいがためにつぎつぎ読んだ作品であった。

 ブッダが生まれるまではインドのカーストが主題になる物語が展開されたり、王権の争いが主題にあつかわれたりして、そちらのエピソードが物語をぐいぐいとひっぱるのである。その主人公たちは死んだり、あっけなく殺されたりして、悠久の物語がくりひろげられるのである。静的なブッダの物語にくらべてこちらのほうがよほどおもしろいわけである。

 動物の生命を尊重したり、輪廻の物語が『火の鳥』を上回るほど直接に語られるわけだが、輪廻や霊魂が私にはなかなか信じられないものだから、生命は連関しているとしか捉えようがない。せいぜい壮大な生命連鎖の世界の広がりを感じるくらいである。

 この物語はカースト制度に苦しめられる人たちや国王同士の権力闘争の物語のほうがよほどおもしろく、ブッダ本人よりインド社会の背景のほうが魅力的な物語になっているわけである。インド社会、あるいは人間社会や歴史そのものが主役であるといっていいかもしれない。その物語の中にカタルシスを感じるのである。

 ちなみに私の仏教理解は思考を捨てるための無念無想の方法論と、唯識と華厳経の世界観だけを知っているにすぎない。つまり実用的な心理学的程度しか必要としていない。生命や人生とはなにかといったスケールの大きい問題は、渇望したことがないのである。


05 09
2005

手塚治虫ノスタルジア

『海のトリトン』 手塚 治虫


4253062962海のトリトン (第1巻)
手塚 治虫
秋田書店 1972-12

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 この作品も悪である怪獣をやっつけるという典型的なヒーローものである。そしてそういう物語は人気を博す。単純な目標に向かっているとき、人は美しさを感じ、賛同を得、団結をもたらすようである。

 物語はトリトン族の最後の生き残りがポセイドン族に立ち向かうというものだが、これは追いつめられたさいの最後の勇気の物語とも読むことができる。逆境や困難でもあきらめるなという強いメッセージをもつことになる。

 しかそれはあくまでも虚構の範囲内においてであって、現実に敵味方を明確にする捉え方は慎んだほうがよいというものである。現実の敵には家族もいるし、人間の心を持っているのだし、現実の人間社会では一方的に悪と決めつけるのは自己利益に鈍感すぎるし、オトナとはいえない。ただし、この作品ではラストにそのような批判があるようである。

 この手塚の作品はサンケイ新聞に一日一ページの割合で連載されたためか、絵は思いっきり雑であり、物語はふざけまくっている。まあ、それも味といえば味だが。

 アニメのほうは人気を博し、アイドルのようなファンクラブができたようだし、その後のアイドルタレント・ブームの先駆になった。(アニメのオープニングです。迫力ある唄でしたね。YouTubeから) 海の物語ということで、その後の青い海のリゾート地という旅行ブームの先駆けともなったのである。

 都市民はなぜ青い海に焦がれるのだろうか。都市は水のない監獄だからだろうか。トリトンはイメージ広告の先駆として、あるいはアイドルブームの先駆けとして、爽やかな夏の少年として消費されたのである。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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