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10 14
2013

書評 小説

文豪の生々しい人生――『名作はなぜ生まれたか』 木原 武一

4569570003名作はなぜ生まれたか―文豪たちの生涯を読む (PHP文庫)
木原 武一
PHP研究所 1997-04

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 木原武一はずいぶんむかしに『続・大人のための偉人伝』とか『孤独の研究』などを読んだことがある。とくに哲学者等の生涯を紹介した『続・大人のための偉人伝』では、フリーターとして生きたソーローの人生をはじめて知ることができて、わたしの生き方に影響をあたえた。

 文学者や知識人の人生を紹介することで人生の指針をあたえてくれる本を書くことが多いのかな。あまり表にはなばなしく出ることはなくて、ひっそりとこつこつと手がたい本を世に出してゆくというイメージかな。

 この本も文豪の生涯を追った本でおもしろかったし、若い人には人生の指針や手本となる人を見つけられるかもね。

「私自身がもっとも関心を持っている作家の一面や、もっとも感動を受けた作品などにスポットライトをあてるという方法である。…この人物は要するにこういう人間なのだ、という、私なりの主観的判断というか独断の開陳である」



 客観的に百科事典的な解説はつまらなくなる恐れもあり、著者がどのように思い、どのような点で感動したのかといった「感情」を中心にした評論のほうがいきいきしていて、おもしろくなるのだと思う。文豪の生き方、生涯といった面が血沸き肉踊るといった感じで表現されているのではないかな。

 著者は41年の生まれで、学生時代にはサルトルやカミュが流行っていて、文芸サークルで夜が明けるまで熱っぽく議論をたたかわせる時代があったという。二十数年あとに生まれたわたしには文学を語っていいという雰囲気はさっぱりなかったのだけどね。

 著者は夜を徹しても語り尽くせない作家はドストエフスキーではないかというほど熱中している。感情描写が誇張され、形容詞はいっそう高ぶったものに書きかえられ、田舎のささやかな出来事が異様な雰囲気の物語にすりかえられる、といったドストエフキーの文章は、この演技クサさ、過剰さといったところで、わたしはニガテだったのだけどね。

 トルストイは「ものごとを軽く考えるということができない人間だった。すべてについて深刻に、それも徹底的に考えずにはいられない。そして、考えれば考えるほどわからなくなっていく。そのうえ、自分を思いどおりにコントロールすることができない」と書かれている。著者はドストエフスキーの熱情にうなされているのだが、わたしはトルストイの冷静さ、分析・批判のまなざしのほうが好みだな。

 人生の姿勢に関してはチェーホフへの洞察が身にしみる。

「そこでわかってきたのは、だれにもこの世の中のことは何ひとつわからないということである。彼の小説や戯曲のいたるところから聞こえてくるのは、人生の不可解さを訴える言葉である。…千年たったところで人間の生活は今と少しもかわりなく、謎にみちていて、人間はやはり「ああ、生きるのはつらい」と嘆くだろう」



 わたしはヘッセの小説にひかれることが多いのだが、ヘッセは同年代のものたちと同じようにやれなかった。「自分はみんなから絶望的にひき離されていて、自分には生きることが閉ざされていると思っていた」とヘッセはいう。それにたいして木原武一はいう。

「まだそれほど人生の経験がない十代の人間には、自分だけみんなと違ってなぜ悪いのか、と開きなおる自信がないのだ。それで、みんなと同調できないことをあたかも自分の罪であるかのように感じてしまい、親も先生もそのように思いこませようとする。…いちばん大切なのは、自分の心に忠実に生きることだとはだれも教えてくれない」



 学校というところは同調圧力につぶされるのは『車輪の下』でもえがかれているわけだが、その中で自分をへしまげないで自分の生きる道を見つけた人がなんらかの成果をのこせるのかもね。文学者にしろ、金持ちにしろ、人と違った見方を身につけられたから成功したという話も聞くしね。同調圧力に屈した人はだれかのあとをついてゆくだけの道を見つけるのだろうね。

 ヘッセはいう。

「神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためではなく、われわれの中に新しい生命を呼びさますためである」



 この本では文豪の恋愛や情交関係が賛美ともとれるとりあげかたをされているのだが、モーパッサンは「色情狂」とか「好色漢」とあだ名されるほどの男だった。

 しかし小説のテーマは人間への不信と運命への不信と社会への不信、ありとあらゆるものの不信を語っていたとされる。男である自分への不信であり、モーパッサンは自分を信じられなかったのである。「悲しき雄牛」といわれたモーパッサンは自分の色情をコントロールできなかったのだろうね。

 あと、ほかにもたくさんの文豪たちの生涯や生き方が興味ふかく紹介されている。人生の指針や参考になるだろうね。

 ただふつうの人が文学者の人生を学ぶというのは、職業の性質が違いすぎることもありはしないかとは思うんだけどね。ふつうの職業につく人が人生の胆汁をしぼりだすような才能や技能を必要とするかという。自我の誇示という職業作家の性質も普通の職業にはよけいなものだしね。


続 大人のための偉人伝 (新潮選書)孤独の研究 (PHP文庫)快楽の哲学―より豊かに生きるために (NHKブックス No.1166)人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)人生に効く漱石の言葉 (新潮選書)


09 28
2013

書評 小説

労働からそれる人びと――『ブッデンブローク家の人びと 』 トーマス・マン

4003243331ブッデンブローク家の人びと 下 (岩波文庫 赤 433-3)
トーマス マン Thomas Mann
岩波書店 1969-11-17

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 三巻ぜんぶを読み終えた。連載小説のような主人公がどうなるのかという期待を寄せるような語りになっているのね。主人公たちの亡くなり方がずいぶん印象に残るような書き方になっている。

 商家の四代の話というふれこみになっているが、わたしにはコンズルとその息子トーマス、そして息子のハンノの三代の物語しかおぼえがないんだけど。トーニというトーマスの妹が全面に出てくることがおおいのだが、この女性の離婚劇がなんのためにもってこられるのかよくわからない。

 全体の俯瞰を記憶する力がわたしにはなくて、没落の話は二代目のトーマスのころにずいぶん翳をさすようになっている。その息子が音楽に傾倒して事業向きでないことのトーマスの葛藤がはらはらする。

「今は、自分が理解できない音楽への熱情が、息子のハンノのこころまでを、こんなに幼いうちから、第一歩から、徹底的に虜にしてしまったのを見て、父親にとって音楽は、子どものこころを自分から隔ててしまう敵味方の世界と感じるようになった。子供をほんとうにブッデンブローク家の一人に育て上げ、強い人間、現実の世界に足をしっかりとおろして、まわりの世界、権力、征服に憧れ、逞しい野心を持つ人間に育てようと夢想していたのに」



 なにか父の失望と葛藤と息子のいきたい先をもっと争ってほしいと思うね。

「しかし、ハンノは、こういう健康増進の娯楽には、嫌悪の色を見せただけであった。冷ややかな、高飛車ともいえる無言の嫌悪の色を見せ、父親を立腹させた。……なぜハンノは、同級生や同年輩の少年たちに触れ合う機会を、少しも持とうとしないのだろうか、いつか手を取り合って暮らし、一しょに仕事をしなければならない少年たちに? …男の子供は、同じ社会に生まれ育ち、一生のあいだ逃げられない同年輩の人間の信望と尊敬を、幼少からどういう形かで集めなくてはならなかった」



 軟弱なわたしは親からのこういう要請を感じていて、ひじょうに気持ちがわかるね。芸術方面に興味をひかれるものは個の充実にかたむき、事業や人間の連携のようなかたちにはひかれない。親の焦燥はこういう面にあらわれるのだろうね。 

 事業の没落の予感や抵抗はいろいろな方面からのびてきて、当のトーマス自身も人生に疲れを感じてきて、弟のクリスチアンも身を持ち崩すばかり。

「働け! しかし、働きたくても、働けなかったら? 長く働いていられなかったら? …ぼくは、同じことをつづけていられないんだよ。気持ちが参ってしまって! 兄さんは、それが平気だったことは、これからも平気でできることは、結構なことだよ。そうだからといって、人を裁くのは、よくないよ。兄さんの手柄でもなんでもないんだから。……ある人間は、生まれつきそれができるし、ある人間にはできないということだけなんだから。」



 弟のクリスチアンは労働倫理の遵守という兄が平気でできることができないようだ。怠け者という言葉でくくられもするが、私自身もこういう葛藤が強いのでひじょうに気持ちがわかる。肉体も精神も規律正しい労働の無限再現をくりかえす毎日にたえられないし、意味も価値も感じられない。一家を守ってゆこうとするトーマスのまわりにはそれに抗する力がいくつもしのびよってくるわけだ。

「商売のことにかぎって見ると、だいたいからみて資産はぐっと少なくなり、仕事は、後退につぐ後退であったというのが世評であった。」



 とうとつなんだが、トーマスはなぜかいきなり悟りの体験、神秘体験を得ることになる。闇が裂けて、永遠の光にあふれた果てしない世界が見渡せたという記述がとーとつにあわらわれる。ぼくは生きつづけるだろう、死は終りなのか、ぼくの体がなくなったらどうなるのだろう、ぼくはすべての人間の中に生き残ることになるだろう。この小説の神秘体験のいきなりの記述はなんなのでしょうね。

 トーマスは歯の治療の失敗と帰宅途中の転倒によって、連載小説のように劇的に亡くなることになる。そしてブッデンブローク商会は清算して解散することになった。息子のハンノはチフスの一般的病状が解説されたあと、墓の下に眠っているという連載小説ではおどろくべき展開を見せることになる。商会の歴史は終ってしまうのである。

 没落の要因や原因を俯瞰する能力はわたしにはないw あっさり。


▼下巻では芸術と市民生活の葛藤のテーマに興味をひかれるね。作家はこういう人生を宿命的に背負ってしまうんだろうね。
車輪の下 (新潮文庫)月と六ペンス (新潮文庫)荒野のおおかみ (新潮文庫)


09 21
2013

書評 小説

愚かな民衆の改革――『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』 魯 迅

400320252X阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)
魯 迅
岩波書店 1981-02

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 中国との歴史、魯迅がはたした役割のことを先に知らないと、なんとも要領のえない読後感がのこるだけだな。佐高信が反逆の人・魯迅と讃えていたから、読みたかったのかな。この本からはあまりそういうことはうけとれなかったのだけどね。

 『狂人日記』は人が人を食うことの疑念が抜けない男の話。『阿Q正伝』は愚かでマヌケなひとりの日雇い労働者の町でのいさかいとかもめごとを描いていったユーモラスな話。ほかにエッセイのような小品がたくさんならぶ。

 松岡正剛の書評でなんとなく理解する。

 「716夜『阿Q正伝』魯迅 | 松岡正剛の千夜千冊」

 日本では民衆のことをバカにする知識人はすくないわけだけど、魯迅は中国の民衆をこきおろした。そういう姿勢をもたない日本では魯迅のようなタイプの知識人が焦がれているのではないかと。

 民衆の精神の改造や改革をもたらそうとした知識人はそういないのではないかと。

 民衆を徹底的にこきおろした知識人はヨーロッパの系譜にないわけではない。大衆批判論としてニーチェやオルテガ、リースマンなどの系譜がある。日本では西部邁がその路線を継承したのだけどね。ただそれを民衆の精神の改造や改革に手をのばそうとまでにつなげた人はすくないだろうね。

 民主政治にとってはタブーなんだろうか。むかしテレビによる一億総白痴化とかはいわれたりしたんだけどね。

 愚かな民衆とそれを引率する知識人という図式は、西欧の植民地主義の思想の根拠となってきた考えである。民衆が愚かなら、モノをわかる人間が導いてやらなければならない。愚かな人間は煮ても焼いても自由、その土地から追い払って自分の資源としてもよろしいという考え方までのばしてきた。

 知識の青写真をもつものは逆に危ないと見なしてきたのが、こんにちの民衆の消費悦楽志向やポップ・カルチャーの耽溺を生み出してきたのでないか。

 一巡した先に知識の役割と限定はどこに引かれるべきだろうね。


魯迅評論集 (岩波文庫)魯迅――東アジアを生きる文学 (岩波新書)故事新編 (岩波文庫)魯迅烈読 (岩波現代文庫)魯迅に学ぶ批判と抵抗~佐高信の反骨哲学 (現代教養文庫ライブラリー)


09 15
2013

書評 小説

成功の頂点の没落の予感――『ブッデンブローク家の人びと〈中〉』 トーマス・マン

4003243323ブッデンブローク家の人びと〈中〉 (岩波文庫)
トーマス マン Thomas Mann
岩波書店 1969-10-16

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 中巻ではコンズルの息子のトーマスがほぼ中心に物語が語られるようになる。

「トーマス・ブッデンブロークが、手綱をとるようになってから、営業法には今までよりも独創性と積極性にみちた新風が吹きこんだことが、まもなく目にとまるようになった。ときどき冒険がされ、商会の信用が、これまでの行き方では、ほんとうは一つの観念、理論、装飾にすぎなかったのが、こんどは誇らかに示され、利用されるようになった。……取引所で商人たちはうなずき合った。「ブッデンブローク、なかなかやりますな。」とささやき合った」



 この小説ではいろいろなエピソードが語られるのだが、どちらかというと商売やビジネスの内容よりか、家族のありよう、変化がおもにとりあげられていて、それが何の意味をあらわすのか、書かれる価値はなんなのかと早急に知りたいわたしとしては、このエピソードの記述群はなんなのだろうと悩む。べつに感情的な琴線にふれることはほとんどないしね。

 もしビジネス書だったら、ブッデンブローク家の商売の内容、どういったことで利益を上げ、業績の中心を担っているか紹介されただろうし、なにか開発や新しい営業方法などがとりあげられただろう。しかしこの本は小説なのである。家族のエピソード群はなにをあらわすのだろう。でもビジネス書としてのブッデンブローク家の商売と歴史のような本が出されても、100年後のこんにちのわたしたちが読むことはなかっただろうね。あったとしても新しく歴史がたどられた本になるだろうけどね。

 もうひとりの主役トーニはふたたび結婚することになるのだが、ブッデンブローク家の栄華をしめさなければならない身としてはとんでもない「ババ」をつかむことになる。

「「ト-ネルル、もうたくさん。あとはもう一文もいらん。これまであくせく働いてきた。このへんでのんびりしたいよ、いやはや。一階と二階を間貸しして、二階だけでけっこう暮らしていける。豚の腿肉を食べて、これからは、体裁をつくろったり、無理したりすることはいらないからね。……夜はビールを飲みにホーフブロイハウスへ行く。財産家ぶることはないし、ぼろい金儲けをすることもないしね。だらだらりんこのその日暮らしをしたいよ! 明日から足を洗って、無職で暮らすよ!」



 トーニの持参金によって無職で暮らすことに決めたこの男。のちにトーニに浮気現場を見られ、妻との離婚をむかえることになる。このエピソードは大金をもちながらも商売をつづけてゆくことのキツさをしめしているんでしょうかね。ある意味、国家目標をたっしてしまった明治の高等遊民や、昭和バブルを通り越したひきこもりやニートと共通する心性がめばえたことを示唆するのかもね。

 順調にいっていたトーマスもしだいに弱気を見せるようになる。豪邸の新築を完成したあたりだろうか。

「「成功とはなにをいうのだろう? 言葉で言い表せない、ひそかな力、深慮、気構え、……自分が人生の流れに立っているというだけで、まわりに圧力を感じさせているという意識。……人生が自分の思い通りになるという信念。…ぼくの内部でなにかが弱まり始めると、なにかが弛緩し、疲れてくると、まわりでも、すべてがばらばらになり、こちらの言うことを聞かなくなり、反撥し、手に負えなくなるんだよ。……そうなると、つづいて起こるんだよ、へまなことがつぎつぎと起こって、お手上げになるんだよ。…『家が建てられると、死に神が住まいにする』ってね」」



 没落の要因を語った重要な場面だろうね。トーマスの代はまだ順風だったと思うのだけど、早くも没落や崩壊の心配ににぎりしめられている。「予感」は早くも当主をつかんでしまうものだろうか。

「「幸福や上り坂は、それが表面に現われて、目に見えるようになり、手で触れてみられるシンボル、印しになったときは、ほんとうはもう下り坂になっているんだよ、表面に現われるシンボルは、現われるのに時間がかかるんだよ、空のあの星のようにね。最も明るそうに光っているときは、ほんとうはもう消えかかっているんじゃないか、もう消えてしまっているんじゃないか、ぼくたちにはわからないよ。……」



 繁栄の頂点と思われる時点でもう下り坂を転がり落ちはじめている。トーマスにはこういう洞察が巣食いはじめたようだ。

「商売と市政のことで、この何ヶ月のあいだにつづいていた失敗と屈辱の数々のために、気持ちが苛立っていたところへ、こんどのことが飛び入りしたのであった。……なに一つ思うようにならなかった! なに一つすらすらと運ばなかった! 生まれ育った家庭のなかでも、重要な問題で「無視」されるようになったのか……? …ここでも、自分の運、力、未来、信念がぐらつき始めたのであった」



 失敗や没落の予感をかかえながら物語りは下巻へとすすむことになる。栄華を誇ったブッデンブローク家はどのように「没落」してゆくのだろう。

 この家系の物語は、国家であろうと社会であろうとある程度共通のわだちをたどることになるのではないかと思う。家系はコンパクトな国家である。このブッデンブローク家の物語からそういう教訓をひきだせればいいのだけど、エピソードひとつひとつにそういう要因を読むこめるのか、わたしにはいくぶんあやしい。


魔の山 (上巻) (新潮文庫)トニオ・クレーゲルファウスト博士 上 (岩波文庫 赤 434-4)ヴェネツィアに死す (光文社古典新訳文庫)トーマス・マンの青春―全初期短編小説を読む


09 08
2013

書評 小説

商家はなぜ三代で没落するのか――『ブッデンブローク家の人びと〈上〉』 トーマス・マン

4003243315ブッデンブローク家の人びと〈上〉 (岩波文庫)
トーマス マン Thomas Mann
岩波書店 1969-09-16

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 商家は三代で没落するという話はたまに耳にする。この『ブッデンブローク家の人びと』は四代にわたる繁栄から没落の過程をえがいており、没落の要因をさぐりたいということで手にとった。

 学術書と違い、そのテーマに対する解答にうめつくされるわけではないので、小説というのはその記述や内容がなにを意味するのかつかみがたいことが多い。だからそのテーマだけに設定された学術書と違い、小説は敬遠していたのだが、しばらく岩波文庫では休刊されていて、ほしいときに見つからなかったこの本が復刊されていることを見て、思わず購入を決めた。

 家系の三代の没落というものは国家や文明の没落とも重なってきて、そのテーマは深くて大きなものだと思う。だいたいは勃興期は目標や理想が高くて猛スピードで成長するのだが、維持や保守の精神が強くなり、しまいには芸術や精神のほうに価値や意味が強く願われるようになり、繁栄力や生活力というのは衰退してゆくというのがパターンではないかと思う。

 日本でも明治からの昭和敗戦までの80年にこのパターンで推移したという見方もできるし、昭和敗戦からげんざいまでもバブル期の絶頂の頂点から衰退・没落してゆくパターンはそのまま80年周期をたどっていると見ることもできる。そういう意味で商家三代の没落は国家の没落、文明の没落にも通じる話だと思われるのである。

 わたしは小説の得意な読み手ではないので、案の定、この作品は登場人物が多くてだれがだれだか、なにがなんだかさっぱりつかめかねる過程をへたw 頭にほとんどのこらないw

 上巻でようやく頭に刻まれてくる話はトーニという令嬢が父がすすめる政略結婚の相手に心底、嫌悪感をしめすあたりからである。ここらから、ようやっとトーニという女性が主役あたりなのかと認識できた。

 正直に父にそのことを手紙でつたえても、父からはその感情を無視され、冷たく受け入れることを手紙でつたえられるのだが、この文面をうけたったときの気持ちがいかなるものか想像できるほど感情移入はできていた。

 トーニはその嫌悪する相手と結婚するのだが、その後の気持ちのありようが描かれないことが、なんとなく違和感を残すね。

 ドイツでは1848年ころに革命があったのかよく知らないが、料理人の女は主人の女にこんなことをつぶやいていた。

「もう少し待っていらっしゃいよ、奥さん、現状はもう長いことはありませんよ。べつの社会秩序の世の中になりますからね。そのときは、わたしが絹の服を着てソファにかけて、奥さんが、わたしの給仕をすることになるから。……(原文ではすべてひらがな)」



 制度にゆたうことの虚をつかれる言葉であるし、ブッデンブローク家が上流階級である事がわかる言葉である。

 トーニは嫌いだったグリューンリッヒ氏と四年間、結婚生活をおくり、子どもまでもうけるのだが、かれに破産の危機がおとずれると父のコンズルはあっさりと財政的援助をことわり、娘を離婚させる。

 破産を迫られたグリューンリッヒ氏の義父に頼りたいじりじりした気持ちがひじょうにつたわってくる緊迫のシーンなのだが、義父はきわめて冷酷に処理する。娘に夫に愛情があるかとたずねるその答えによって父は態度を決める。

「ああ……なんてことをお聞きになって、パパ!……一度だって、あの人を愛したことはないわ。……いつも、嫌で嫌でたまらかったの。……そんなことご存知にならなかったの……?」



 金の切れ目が縁の切れ目を忠実におこなった過程はじつにドライである。そして妻は夫にひとときも愛情を感じず、子どもをもうけるまでの結婚生活をおこなっていたのだが、破産の危機は手のひらを変えるようにこの商家の男の態度を急変させた。金と仕事のためだけの関係が冷淡にえがかれている。


 没落の要因だけをさぐりたいわたしにとって小説の内容はまことにうるものが少なく感じられ、中下巻を読み通すか躊躇していたのだが、ブックオフの100円本で奇跡のように中下巻を見つけることができたので、つづきは読むことになる。衰退とか没落の記述はもちろん下巻まで読まないと出てこないだろうね。

 
▼没落論
日本人はなぜ破局への道をたどるのか ~日本近現代史を支配する「78年周期法則」~ (ワニブックスPLUS新書)西洋の没落―世界史の形態学の素描〈第1巻〉形態と現実と企業文明の没落文明が衰亡するとき (新潮選書)国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

09 05
2013

書評 小説

「時間どろぼう」の秀逸さ――『モモ』 ミヒャエル・エンデ

4001141272モモ (岩波少年文庫(127))
ミヒャエル・エンデ
岩波書店 2005-06-16

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 『モモ』は映画で見たことがあるのだが、原作本ではどのようなことが書かれているのかと読む。

 「時間どろぼう」という秀逸な存在をつくりだした発想の勝利だね。効率化の進展のなかで時間を失ってゆく人たちにたいする鋭い批判になっている。『タイム』という映画も時間を稼げなかったら若死にするという設定が秀逸だったね。

 「時間どろぼう」はグレーのスーツを着ていつもたばこをふかしている。映画ではわからなかったのだけど、この葉巻は人々から奪った「時間の花」によってつくられていて、時間どろぼうは人間の死んだ時間によって命をつないでいるということらしい。

 忙しさやお金、仕事のために時間やゆとりを失ってゆく人たち。これは貨幣や利子の話だと指摘する人たちもいて、そのテーマについては『エンデの遺言――根源からお金を問うこと』にくわしいね。この世に老化しないものはないのにお金だけが老化しないで無限に増殖することができる。

 「老いてゆくお金」を用いることが必要ではないのかと問うた。大恐慌時などに人はお金を使うまいとするからよけいに不景気がすすんでしまって、血液の役割をしなくなるから、すぐに使ってしまわないと価値を減じてしまう「老化するお金」を用いるべきではないのか。お金と仕事の奴隷となっているわれわれにお金の支配をもたらす風穴を開ける発想がわれわれに求められているのだろうね。

 エンデのこの本が出たのは1973年。まだヒッピーやカウンターカルチャーで物質文明にたいする批判が大きなうねりになった時期だね。

 でもこんにち、そういう批判はいくらかの影響をあたえたにせよ、お金と仕事に支配されるビジネスの社会はあまり変化をもたらしていないね。あいかわらずわれわれは会社と仕事に人生を支配されていて、そういう生き方がマトモであるという人生観からの拘束から逃げ出せないでいるね。この価値観の転覆はどうしておこらなかったのかと思うね。

 『モモ』は児童文学の本とされているのだが、もちろん大人の本として通用するものだね。児童文学書として本屋にならべるのではなくて、大人の目につく書棚にならぶようにしてほしいね。

 モモは時間どろぼうの追跡からカメによって逃れるのだが、「どこにもない家」のマイスター・ホラに出会ってすごした時間が通常の時間の一年間にたっしていたという話は、浦島太郎そのものだね。浦島太郎は時間について語ったというより、竜宮の城という仙人の理想郷がどんなにすばらしいものかの比喩に近いだけなんではないかと思うけどね。

 われわれはどうやったら仕事とお金の支配から逃れられるのだろうね。社会の常識や趨勢はどうやったら変えることができるのだろうね。仕事から逃れる考え方や常識があたりまえの国になってほしいね。エンデのいうようにお金のあり方を問い直さなければならないのかな。

 なお挿絵のイラストや表紙の絵もすべてエンデ自身の手によるものらしいので、目を通すだけではなく、メッセージや意味も検討したいね。


4062814196エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社プラスアルファ文庫)
河邑 厚徳 グループ現代
講談社 2011-03-22

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B000065BFWモモ [DVD]
パイオニアLDC 2002-05-24

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お金持ちより時間持ち―モノ持ちよりもココロ持ち (ワニの選書)奴隷の時間 自由な時間 お金持ちから時間持ちへ (朝日新書)スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法 (ハヤカワ文庫NF)スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化 (平凡社ライブラリー)「年収6割でも週休4日」という生き方


08 24
2013

書評 小説

ヘッセは仏教をどう理解したか―『シッダールタ』 ヘッセ

4102001115シッダールタ (新潮文庫)
ヘルマン・ヘッセ
新潮社 1959-05-04

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 ヘッセは仏教をどのように捉えていたかという目で読む。西洋ではショーペンハウアーだったり、ニーチェだったり仏教に影響をうけた知識人は多いね。

 「シッダールタ」という仏陀の本名を冠しているから仏陀の人生をえがいているのかと思っていたら、どうも仏陀と同時代を生きた同名の人物が主人公だと考えるべきなのか。

 いちばん目をひくのは沙門の道からぬけだして愛欲と金銭欲の世界にいりびたることである。仏陀の物語として読むとこれはなかなか衝撃。自我を殺そうとして沙門のプライドという自我からぬけだせなかったシッダールタの意図した選択なのか。つぎの文章がいちばんよく理由を語っている。

「彼は常に自負に満ちていた。常に最も賢いもの、最も熱心なものであった。常に衆に一歩さきんじていた。常に知者であり、精神的なものであり、司祭であり、賢者であった。この司祭根性の中に、自負の中に、この精神性の中に彼の自我はしのびこんで、そこにしっかりと根をおろし、のびていった。その間、彼は断食と苦行によって自我を殺そうと考えていた。いかなる師も自分を救いえなかったという、隠れた声の正しかったことを、彼は知った。だからこそ彼は俗世に入って行かなければならなかった。享楽と権勢、女と金にふけらねばならなかった。彼の内の司祭と沙門が死ぬまで、商人となり、ばくち打ちとなり、酒飲となり、欲張りにならねばならなかった」



 かれは賢者や知識人という自我を殺すために愛欲や金銭欲にふけろうとしたのである。それらの中に欲深い自我を見出した。だから墜ちなければならなかったのである。

「「さぐり求めると」とシッダールタは言った。「その人の目がさぐり求めるものだけを見る、ということになりやすい。また、その人は常にさぐり求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標に取りつかれているので、何ものも見いだすことができず、何ものも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。これに反し、見いだすことは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。おん身は目標を追い求めて、目の前にあるいろいろなものを見ないのだから」



そしてシッダールタは川の渡し守になる。

「川は至るところにおいて、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も存在しない」



「「おん身も川から、時間は存在しないという秘密を学んだか」

ああ、すべての苦しみは時間ではなかったか。みずからを苦しめることも、恐れることもすべて時間ではなかったか。時間を克服し、時間を考えないようになることができたら、この世の困難と敵は除かれ克服されはしなかったか。」



 このあたりはわたしは仏教の言葉より、クルシュナムルティやエックハルト・トールの時間についての言葉を思い出した。時間は観念や空想の産物にしかすぎないのだけど、人はそれを現実に存在するものと思ってしまう。そしてその隙間の中から苦痛や恐怖をつくりだしてしまうのである。時間による予防を捨てきれないゆえに苦悩も捨てられない。

 あと、言葉は一面しか伝えることがないといったことはヘッセの慧眼だね。シッダールタの魂が青サギになったり、死したヤマイヌになったり、コイになったり、殺人者の魂になったという話はどう考えたらいいのだろうね。

 ヘッセの仏教理解がどのようなものか、すっかりと流し込まれた作品なんだろうね。


自我の終焉―絶対自由への道人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)時は流れず仏教と西洋の出会い虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか


08 13
2013

書評 小説

Kが自殺したほんとうの理由?―『「こころ」で読みなおす漱石文学』 石原千秋

4022647043「こころ」で読みなおす漱石文学
大人になれなかった先生 (朝日文庫)

石原千秋
朝日新聞出版 2013-06-07

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 『こころ』は高校教科書にとりあげられていて、高校生に少なからずの重い問題をつきつける小説だったね。また漱石はどうして国民作家となりえたのか、なにが国民作家にのしあげたテーマをもっていたのか、といったことは知りたいと思うね。

 『こころ』の先生は親友のKに裏切りをおこなったために自殺したのだとふつう読むね。ここでは違う解釈が語られる。

「Kは孤独を自覚したために自殺したのであって、恋に破れたから自殺したのではありませんでした」

「Kが自殺したのは、伝えたいことがあるのに伝えられない、そういう孤独を生まれてはじめて自覚したために違いありません。自分が「たった一人」であることさえ知らずに生きてきたKに、その孤独に耐える力はありませんでした」



 Kは「自分以外に世界のある事」を知らない人物、徹底したナルシストだったといわれている。たいして先生は他人の表情は気分でぐらついてしまい、Kに劣等感を抱き、なにをしてもKに及ばないという自覚をもっていた。

 先生は「内側の自分」をすっかりと他人に見透かされる恐れを抱いている。それは先生が「外側の自分」と「内側の自分」が一致しているべきだと考えるからで、だから「外側の自分」を見られただけで心が見透かされるように思う不安定さをもっている。

 大人になるというのは、「外側の自分」や「仮面」をじょうずに使いわけることである。先生は複数の自分を使いわけることができなくて、大人になれなかったのである。

 人の視線が恐いという視線恐怖は、他人をモノとして値踏みしてしまう恐怖、他人からモノとして値踏みされる恐怖だといわれている。先生は自分がモノ化されることをたいへん嫌っている。「内側の自分」までモノ化されているように感じるからという。

 先生は叔父に裏切られたために大人になる儀式をおこなえず、Kを相手に「親殺し」をしようとしたのだといわれている。お嬢さんの意志を確認しておきながら、勝つゲームにKをさそいこむことで先生は大人の儀式をはたそうとした。だけれどそのことでkは自殺したのではないという。先生が罪の意識をもったのはこのゲームにひき入れたことか。

 Kは赤面するようになり、先生のような「眼差しを感じる人」になった。閉じられた世界のナルシストであったKには手痛い敗北だったということである。

 このへんは興味深くもあり、もうすこし考えたいこともあるのだが、ややこしくてわかりにくい。

 3章までは内容について、4章5章では時代背景などが考えられている。漱石はなぜお金や相続問題ばかり書いたのか、生前は特別扱いをうけた人気作家だったが、作品ぜんぶ合わせても十万部程度しか売れない狭いマーケットしかなかったことや、女性の謎を前に悩む悩みが商品価値をもっていたなど、その周辺がえがかれている。

 わたしも「外側の自分」をうまく器用に使いこなせず大人になりきれていないのかもしれないと思ったね。「外側のだます仮面」を用いられないといったほうがいいか。

 この外側と内側の乖離はフォヴィンケルという学者がモデルとしてのべていたが、翻訳もされていないようだし、ネットにも名前すらあがっていない。宮廷貴族でのウソとだましあいの世界<政治的賢さ>と、外側と内面が一致したルソー的理想の<美しき魂>。岡原正幸の『ホモ・アフェエクトス』にとりあげられていただけである。
 

夏目漱石「こゝろ」を読みなおす (平凡社新書)漱石「こころ」論―変容する罪障感漱石を読みなおす (ちくま新書)漱石はどう読まれてきたか (新潮選書)夏目漱石を読む (ちくま文庫)


08 12
2013

書評 小説

大衆社会論?―『俺俺』 星野 智幸

4101164525俺俺 (新潮文庫)
星野 智幸
新潮社 2013-03-28

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 よくわからなかったね。オレオレ詐欺をしたらその家族にじつの息子として受け入れられたあたりまでの話はわかるのだけど、ほかの人も「俺」になってしまう状態がわからなかった。

 画一的で均質的で、だれとでも交換可能な俺ということをテーマにしているのだろうか。そういうヨミなら興味あるということでこの本を手にとったわけだけど、物語からそういうメッセージをなかなか受けとれなかった。もっとほかの表現方法はなかったのかと思うけど。

 流されたり、まわりの染められたり、人の目を気にして自分を殺したり。そういう「俺」が――交換可能な俺がどんどん増殖していって、俺の区別がつかない。まあ、そういうことをいいたいんだろうけど、他人が「俺」になる状態というのは意識がどうなるのか理解できなかったので、そこらへんは拒絶反応。

 そういう俺を鰯の群れ状態として比喩をもちいているのだが、あれはたしかに流されてほかとまったく異ならない群集の表現としてはぴったりだね。

 これはいわゆる「群集論」や「大衆社会論」のひとつとして考えていいのだろうか。リースマンの『孤独な群集』の均質化する人の群れがいちばん近いのだろうか。キルケゴールやニーチェ、オルテガ、J・S・ミルなどらが恐れと驚きとともに警鐘を鳴らした「ほかとまったく異ならない人たち」。

 この作品はそういう系譜のひとつとしてえがかれたのかな。けれど、わたしにはメッセージやいいたいことがよくつたわらなかった。

 後半になると俺が増殖して、殺し合い状態(削除とよばれる)になるグロテスクな描写になるのだけど、しまいには食べられることによって、俺は必要とされている、幸せを感じるというおそらく最大の皮肉をこめた批判をおこなっている。

 テーマとしては興味あるものをあつかっていると思うのだけど、画一化・均質化する大衆批判としてはつたわることがなかったといえるかな。

 なおこの作品、映画化されたということだけど、映画だったら俺が増殖するさまがわかりやすくなっているかな。また大江健三郎賞受賞ということだが、この賞ひとりで決めている賞なんだよね。


ファンタジスタ (集英社文庫)目覚めよと人魚は歌う (新潮文庫)無間道ロンリー・ハーツ・キラー (中公文庫)アルカロイド・ラヴァーズ


08 04
2013

書評 小説

わたしの好きだったおすすめ小説

 さいきんつづけざまに小説を読んでいるので、わたしの好きだったおすすめの小説をお知らせしておきます。

 もう二十年は人文書ばかり読んできたので、小説からずいぶん遠ざかった。けれどむかしはかたっぱしから世界文学を読みあさった時期もあった。

 自分に適した読書は人文書だとわかるようになるまで小説しか読むものを見出せなかった。いまは哲学のようなちょくせつのメッセージではない物語になんの意味があるのかわからないような言語脳になっている。映画やドラマのような物語はあいかわらず好きなのだが、活字小説は手間がかかりすぎる。

 ともあれ好き「だった」おすすめの小説。おすすめといっても小説というのは「好み」でしかないと思うから、自分の好きな興味あるものを読むのがいちばんだと思うけどね。



4102001131荒野のおおかみ (新潮文庫)
ヘッセ 高橋 健二
新潮社 1971-03-02

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ヘッセは人文書ばかり読むようになっても手にとりたい題材をあつかっているね。『荒野のおおかみ』は市民社会に抗するアウトサイダーの生き様。


4102101047怒りの葡萄 (上巻) (新潮文庫)
スタインベック 大久保 康雄
新潮社 1967-05-15

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スタインベックは人間へのあたたかいまなざしがあって好きだね。『二十日ねずみと人間』も好きだが、1930年代の大恐慌の時代を生きた農場労働者の凄惨さが胸を打つね。


51Bzy8apiWL.jpg香水ジルバ
トム ロビンズ 高見 浩
新潮社 1989-11

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もうトム・ロビンズなんてだれも知らないかもしれないけど、こんなに楽しかった読書体験はないという思いをさせてもらった本。ヒッピーや神秘思想的なアメリカ西海岸のユーモアたっぷりの小説。


4102100148武器よさらば (新潮文庫)
アーネスト ヘミングウェイ 高見 浩
新潮社 2006-05-30

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ヘミングウェイは内容はともかくハードボイルドな文体に魅せられたね。短く、かんたんな文章をぶっきらぼうにつみかさねる、乾いたクールな文体がカッコよかったね。


4062749122羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)
村上 春樹
講談社 2004-11-15

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村上春樹も内容より文体が好きなのかもしれないね。乾いたシニカルで、ブラックなユーモアがカッコよかった。そういうカッコよさが失われた村上春樹は読む意味をなくしたようにわたしは感じるのだけどね。片岡義男的なカッコよさでわたしは満足なのかなw


4102130055月と六ペンス (新潮文庫)
サマセット・モーム William Somerset Maugham
新潮社 1959-09-29

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ポール・ゴーギャンをモデルにした芸術家の狂気と世俗の人間の凡庸さがきわめて痛烈に対比されているね。モームの人間観察とストーリーテラーはピカイチだね。


4560090009キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
J.D. サリンジャー J.D. Salinger
白水社 2006-04

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もうね、『ライ麦畑でつかまえて』は読むしかないね。大人社会への反抗はいつまでも忘れたくないね。


408760022X蝿の王 (集英社文庫 コ 1ー1)
ウィリアム・ゴールディング William Golding
集英社 1978-01

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圧巻。無人島に流れついた子どもたちの壮絶な権力闘争が、現代世界への寓話になっているね。


4003254333神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)
アナトール・フランス 大塚 幸男
岩波書店 1977-05-16

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正義だったフランス革命がどんどん血に飢えた虐殺劇に転嫁してゆくさまを捉えた黒歴史はしっかりと見ておくべきだね。


410112115X砂の女 (新潮文庫)
安部 公房
新潮社 2003-03

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男は昆虫採集に夢中になっているのだが、ある村の砂のなかに女と閉じこめられて。。 ATM男の悲劇を寓話で描いているね。


4101405204恋文・私の叔父さん (新潮文庫)
連城 三紀彦
新潮社 2012-01-30

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舌を巻くうまいつくりだと思った。『私の叔父さん』が映画化されて表題にもとりあげられたね。禁断の恋物語なんだけど、いつまでも尾を引く気持ちをのこす。


4061317830さらば、夏の光よ (講談社文庫)
遠藤 周作
講談社 1982-08-09

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遠藤周作の通俗文学といわれる青春モノは意外と読ませた。この作品は友だちの死によってその恋人と結婚したけど、身代わりと慰めをもたらせなかった悲劇が描かれている。遠藤周作は非モテ男や男の身勝手さを描くのがうまかったのかな。

                     ◆

 ずいぶんふつうの選択だったね。まあ、わたしはあまり小説読者のよい読み手ではないのだろうね。物語から深い意味、解釈をひきだすのに長けていない。

 いい小説も映画化やドラマ化でふれることが多くなった。見るのがあっという間だから、小説のように活字を読む手間がはぶけるからかな。


 さいごにわたしが文学から現代思想とか社会学に興味をダイビングさせた本を紹介しておく。わたしは小説という物語より、学術書のほうが身体にすらすらと入ってくることがわかるようになった本。でもその前の文学体験がないと入れなかったのかもしれないね。


okui.jpg60冊の書物による現代社会論―五つの思想の系譜 (中公新書)
奥井 智之
中央公論社 1990-04

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一冊の小説を皮切りに社会学や現代思想の本を紹介してゆく本で、書かれている内容にひきつけられた。

4480422129増補 現代思想のキイ・ワード (ちくま文庫)
今村 仁司
筑摩書房 2006-05

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フランス現代思想というものはこんなに魅力的なテーマや内容を語っているのかと、現代思想にのめりこませたきっかけの本。学術書のおもしろさを知らない人はこういうカタログ広告的な本に出逢っていないだけかもしれないね。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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