村上春樹には言葉の楽しみと孤独を学んだ



 村上春樹の7年ぶりの新作長編『1Q84』が、初版発行部数が48万部となってニュースになっているようだ。タイトルはオーソン・ウェルズの『1984年』にかけているようだ。

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 エルサレム賞での「卵と壁」のスピーチで株を上げたようだ。しかし村上春樹の認知度ってどのくらいなんだろうと思う。小説好きな人なら知っている人は多いだろうが、本を読まない人や小説をまったく読まない人もたくさんいるのだから、けっこう知らない人も多いのではないかと思う。今回の新作でまた違った層の読者が飛びついたのかもしれない。

 村上春樹は世界的に読まれていて、カフカ賞受賞とかノーベル賞候補とかに挙がったから、いままでと異なった層が新たに付け加わったのだろう。あえて推測するのなら、こんかいは「日本ナショナリズム層」ではないかと思う。日本の文化に自分の自慢やナショナリズムを満足させる層だ。しかしはたして「お国自慢」を探す層に村上春樹の作品はピンとくるだろうか。川端康成みたいに古典的日本美というのはないし、はてと首をかしげるのではないだろうか。

 私も村上春樹がどうして海外で評価されるのかわからない。都会的スノッブや先進国のセンスみたいなものが好まれるという表層的なものでウケているのではないかと、私は自分の低い読解レベルに応じた解釈しかできないのだが、村上春樹ってほんとうに深い文学性ってあるのだろうか。

 私には読めないというか、私は自分の好きな軽い、乾いた文体の初期の村上春樹が好きで、それだけでいいと思っているから、あまり文学性やテーマがどうのこうとかはつっこまなくてもいい。

 村上春樹のよさというのは、言葉の楽しみを教えてくれた作家だと思う。物語なら映画でもドラマでもマンガでも代替できるが、村上春樹は小説にしか表現できない言葉の楽しみを教えてくれたと思う。とくに「羊三部作」と呼ばれる初期の作品の言葉の楽しみには感嘆して、しびれた。まあ、それは影響をうけたヴォネガットのブラックユーモアの楽しみでもあるわけだが。マンガも映画もある時代に活字や言葉で表現する媒体の楽しみ、おもしろみを教えてくれた稀有な作家が村上春樹だと思う。

羊をめぐる冒険〈上〉 (講談社文庫)羊をめぐる冒険〈下〉 (講談社文庫)風の歌を聴け (講談社文庫)1973年のピンボール (講談社文庫)

スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)

 『ノルウェイの森』に私が影響を受けたのは、友達や仲間がいなければならないという学校期間に叩きこまれた「集団主義」に抗してもいいというひとつの信条であったと思う。まあ、『ノルウェイの森』のメイン・テーマとずいぶんズレるが、主人公の友だちのいないずいぶん孤独な生き方に私は強く感化を受けて、影響された。私は「友だちがいない奴はクラい、つまはじきな奴だ」という学校で刷り込まれた信条から抜け出す道がある、そのような生き方のほうがカッコいいんだということをこの小説から、衝撃的に学んだ。まったく主テーマではないのだが、私はこの側面の『ノルウェイの森』にひじょうに強く影響されたのである。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 そのほか、あるいはその後の村上春樹は私の好きな部分をもっていない、あるいは失っていったように私には感じられた。だからそんなには好きにはならなかったし、読むことも少なくなっていった。世界で読まれ、評価が高まってゆく村上春樹は私の好んだ村上春樹とまた違った側面で評価されているのだろう。まあ、私の好きな村上春樹と軌道はそれてしまったが、私は村上春樹によって、映像やマンガの時代に言葉や読書の楽しみに開眼させてもらえ、たくさんの人文書と出会えたのだから、感謝と表敬の念を忘れることはないだろう。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

村上春樹ノーベル賞受賞ならず、残念。


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 ひそかに期待していたのだが、村上春樹のノーベル賞受賞にはいたらなかったようだ。カフカ賞とオコナー賞をもらい、近いところまで来ていたのに残念。

 ノーベル文学賞 村上春樹氏受賞ならず 報道ステーション
 村上春樹氏ノーベル賞逃す…今年日本人受賞なし
 村上春樹がノーベル文学賞候補? カフカ賞受賞で。
 「村上春樹氏は受賞できない」優勢
 村上春樹の英語圏での評判
 村上春樹 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 春樹 なぜ  海外で読まれるか

 私はさいきんの村上春樹には興味をなくしているが、初期の村上春樹は大好きだった。シニカルで、ニヒリスティックな醒めた姿勢がとてもカッコよかった。そういう面が薄れてきた90年代からは読まなくなった。というか、私の興味は人文学のほうに興味の軸をうつした。

 村上春樹といっても知らない人もたくさんいると思う。音楽やTVの話題の人は知っていても、作家を知らない人というのはさっこんではかなりいると思う。有名な作家の名を国民的に共有するという時代ではないのである。そういう作家がマイナーな時代にノーベル賞を受賞すれば、村上春樹や作家たちは知名度の共有はあがると期待したのだが。

 村上春樹ってかなり現代的で、ポップカルチャーをふんだんにとりいれた同時代性をおおくもっているから、火がついたら大江健三郎と比べようもないくらい多くの人に読まれると思うんだけどな。

 村上春樹は世界30カ国で翻訳され、アメリカやヨーロッパ、または中国でも人気が高いようだ。なんでこんなに評価が高くなったかというと、私が思うには初期のシニカルさが消費=生産社会の無意味感にマッチしたからかな〜とも思う。基本的には金持ちの国の文化はいつの時代も憧れられる。それだけのことだ。やれやれ。(笑)

 ちなみに私は87年の『ノルウェイの森』ブームから読み出したクチである。20才まで活字を読めなかった私はこのブームによって読書の楽しみを教えてもらったので、人文書ばかり読むようになったいまでも村上春樹は私の読書の楽しみの原点にあたる人なので感謝は忘れない。『風の歌を聴け』のシニカルさ、『羊をめぐる冒険』の比喩の楽しさ、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のポップ性、そして『ノルウェイの森』の孤独な生き方、どれもこれも好きだった。

 アメリカ文学や世界文学への傾倒を生み出してくれたのも村上春樹であって、私の読書界への水先案内人となってくれた。村上春樹は現代ではうち捨てられてしまった読書ワールドを再発見させてくれるフロンティアでもあったのである。村上春樹はそのような模倣や伝染をもたらした。ただし、村上春樹を超えたポップ性や現代性をもった作家には、村上春樹をおいてほかにはいなかったが。

 日本では川端康成と大江健三郎がノーベル文学賞を受賞しているが、安部公房や三島由紀夫もノーベル賞候補に近いところにいた。川端は日本的エキゾチズムでウケた作家だと思うが、大江は個人的にはまったく理解したいとも読みたいとも思わない作家だ。安部や三島は現代でもすらすらと読める作家なので、日本的なものが海外にウケた時代の早すぎた現代的な作家だといえるので残念なことである。

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 こんかいは受賞を逃したが、村上春樹はいつかはノーベル賞をとるのではないかと思う。といっても村上春樹は一般受けやマスコミ受けする名誉をめざしている人なのかは、むかしの印象では希薄に感じたが。孤独な自分の楽しみを知ってる人にそういう栄誉は他人の汗や体熱がまとわりつかされるようなウザイことだと思うんだか。読書や自分の楽しみに感応しない人に喜ばれたところで迷惑なだけである。とくにナショナリズムだけで喜ぶ人を名誉と思える人なのだろうか。けれども小説という評価や名声をめざす生業をいとなんでいるのだから、最終目的にノーベル賞の栄誉をおいてもなんの矛盾もないだろう。

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『カウガール・ブルース』 トム・ロビンズ


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トム ロビンズ Tom Robbins 上岡 伸雄
集英社 1994-01

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 トム・ロビンズの『香水ジルバ』は読み終えるのが惜しいくらい楽しんで読めた。それから十数年、たぶん私は小説や物語に価値や熱中をいぜんのようにもてなくなったのだろう。二段組のぶあついこの本は半分以上読んだところでもうギブ・アップすることにした。

 おもしろい比喩は卓越したものがある。たぶん村上春樹もこの比喩には学んだのかもしれない。トム・ロビンズはアメリカでは読者から愛される作家であるらしいが、日本では『香水ジルバ』以降なかなか翻訳が出なかった。こんなにおもしろい作家なのになぜだろうと私にはふしぎだった。本作は映画化をきっかけに94年にようやく翻訳された。そのあとロビンズの本が翻訳されるという話は聞いたことがない。私は『香水ジルバ』ほど楽しい小説をほかに読んだことはないというくらいだったので、謎に思えて仕方がなかった。

 このころにはすでに私は小説から人文書に興味をうつしていて、この本を読むことはなかった。100円のワゴンセールで見つけて思わず迷いながら買ったが、私は物語に価値を見い出す感性を失いつつあるのだろう。もっと早くに読むべきだったのかもしれない。


『悪の読書術』 福田 和也


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福田 和也
講談社 2003-10-20

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 女性に階級的に恥ずかしくない本を読めとすすめた本。

 文章が間延びしていて、ぜんぜん内容が凝縮されていなくて、ヘミングウェイの記者修行みたいに文章をもっと刈れといいたくなった。

 中身もアッパーな本をすすめているくせに、あまりアッパーな感じがしない作家や話題が頻出している気がした。私が高級な本を思い浮かべるなら、やはり思想書や哲学書、科学書、古典になるのだけど、そういう話は少ない。小説ではない。小説なら古典や世界文学だけど。なんか、まずい読書論である。たしかに読書論はむずかしいと思うけど。

 読書論なら、小野谷敦『バカのための読書術』のほうがわくわくしたし、中島梓『ベストセラーの構造』も古いけどなかなかよかったのではないかと思う。

 私が本をすすめるとしたら、知的虚栄心を飾るのも志が高くなっていいと思うけど、やっぱり興味のある本を読めということである。それ以外読めないし、読んでも価値がない。平行して、書くこともおすすめ。はじめて自分の考えていたことに気づくことができるし、また思索や興味は、そこから深めることができるからである。なにより知識に価値や重要性を認めないとはじまらないし、知識のステータスを信じることが必要なのだろう。


『パーク・ライフ』 吉田 修一


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吉田 修一
文藝春秋 2004-10

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 『パーク・ライフ』はなにもおこらない公園の話。でもなんとなく愛着をいだける作品でもあった。電車でまちがって話しかけた女性と、公園で出会う話が軸になっている。

 主人公は別居中の夫妻の家に猿の世話のために住み、自分の家には母が泊まっている、そういう状態が都会の生活でのなにごとかを象徴している作品のように思える。借り物と自分のもの。

 『flowers』の主人公はトラック配送の助手をしており、私にもかかわりのある仕事なのでなんとなく親近感をいだいた。ドラマでやっていた『東京湾景』もフォークリフトに乗る男の話しが出てきて、吉田修一はけっこう私と近い仕事をしてきたのかもと思った。なにか私はモノをつくる仕事より、モノを左から右に流すなにものこさない仕事にかかわることが好きである。

 『東京湾景』は親のひきさかれた恋が、子の代にも職業や国籍というカベに阻まれて祟る?話であったが、バカかと思った。宿命的な恋なんて恥ずかしシー。


『ヴァイブレータ』 赤坂 真理


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赤坂 真理
講談社 2003-01

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 これはどうにもわからない。31才の女性ライターがナンパしてトラックに乗る話にしか思えない。

 アルコールや吐くこと、他人の言葉が頭の中に聞こえる、消費社会の愚かさ、または皮膚感覚に生きていることなど、女性の共感を得ることがあるかもしれないが、これは私にはまったく通過駅であった。とまってじっくり探索したいような駅ではなかった。

 「シブヤ系」とか「Jブンガク」などの期待される作家らしいが、装丁だけで釣っているのではないかと斜め読みしたくもなる。映画化もされたらしいが、私の急行列車はとまりませーん。


『きれぎれ』 町田 康


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町田 康
文藝春秋 2004-04-07

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 文体が新しい。変わった日本語の感覚を楽しめる。新しい作家は新しい文体をひきつれてこないとな。

 主人公のひとり言がえんえんとつづくのだが、自虐的で、逆恨み的で、破滅的な語りや行為がくりひろげられ、文章がかなり愉快である。新しい。笑えるか、情けないかのぎりぎりのところである。情けなさを笑えるか、嫌悪してしまうかのどちらかだな。文章がつまっていて、ちょっと読みつづけるのはしんどいと思うけど。

 私は労働が嫌いで、なかなかまともに仕事にありつけない主人公は好きだな。破滅派みたいなのだ。いうなればニートやフリーターみたいな存在で、だめ男や仕事のできない情けない男なのである。妻がいるのに仕事をしない男の系譜だな。酔いどれ作家のブコウスキーや無頼派の太宰治、またはパンク作家のバロウズなどの系列に位置することができるかもしれない。

 ネットではわからないという声をいくつか見たが、これはたんにだめ男の共感を楽しんだらいい作家ではないのかと思う。自虐的で、破滅的な主人公の諧謔を楽しめばいいのだ。芥川賞をとったということだが、日本文学ってけっこうだめ男が好きな系譜があるからなぁ。文体が愉快で、新しいのがいい。


『プラナリア』 山本 文緒


315836691.jpgプラナリア
山本 文緒
文藝春秋 2005-09-02

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 女性の無職をめぐる短編集。『プラナリア』では乳がんになった陰湿な女性が出てきて、まるで山本文緒自身がこんな性格なのかと思ってしまった。暗さが尾を引いた。読者の中には自分だけではないと安心する人もいるみたいだから、なんらかの役に立つ作品なのだろう。

 離婚して慰謝料で暮らす女性や、リストラされた夫のためにパートに出る女性、稼ぎのない大学院生に結婚をせまられる女性、居酒屋の店主にひろわれる住所不定の女性などが出てくる。

 まあ、それぞれの無職や職にまつわる話が出てくる本である。なにか職や無職にたいして開眼するという小説ではないけれど、職にまつわる話が読めるという本である。パート女性の話だけがふつうの家庭をあらわしていて、なんとなくほっとする作品であった。

 直木賞受賞作品だということだが、選考基準が私にはまったくわからない。山本文緒って性格の悪い女性を描いて女性の共感を得るところがあるのだろうか。私にはただ読んだという読後感しかのこらなかった。そろそろ小説を読むのをやめようかな。


『ポスト・ムラカミの日本文学』 仲俣 暁生


42550016181.jpg文学:ポスト・ムラカミの日本文学 カルチャー・スタディーズ
仲俣 暁生
朝日出版社 2002-06

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 村上春樹は日本文学を変えた。重々しい日本文学から、ポップでカッコいいものに変えた。ただし、そのあとに村上春樹に匹敵する作家は出ていないように思う。

 この本は村上春樹と村上龍以降の「ポストモダン文学」「渋谷系」「J文学」などの期待される作家をとりあげていて、なかなかよかった。私は90年代なかば以降より文学を読むのをやめて、社会科学系の本ばかり読んでいたから、その後の動向を知りたかったのである。

 80年代前半は島田雅彦と高橋源一郎、90年代は保坂和志と阿部和重が重要だと著者はいう。95年以降の著者の期待する作家は、町田康、赤坂真理、堀江敏幸、星野智幸、吉田修一、阿部和重になるそうだ。いずれも60年代生まれだ。

 文学は出版社の一連の売り出し群、という感じがする。たとえば河出書房の『文藝』から若い作家ばかりが売り出されたり、西武セゾングループから90年代の重要な作家が出てきたり、角川エンターティメント戦略に対抗した講談社から村上龍、村上春樹、高橋源一郎といった作家が輩出したように。露骨に若さだけで売っている出版社もあるが、そういう期待と成果はわからないでもないが、内実をともなっているか危うく感じる。

 私が文学に期待するのはいまだに村上春樹を超えるポップ文学である。文学におもしろさや格好よさ、おしゃれさをもとめ、なおかつ評価されるもの。知性をいかにロックスターや俳優のような憧れに、中身を失わずにパッケージするかが、重要ではないかと思っている。文学もポップスターのような人気がないと、あいかわらず若者にそっぽを向かれたままなのである。


『十八の夏』 光原 百合


313795871.jpg十八の夏
光原 百合
双葉社 2004-06

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 「恋愛小説第一位」という帯だったから、買った。違った。これは、なんというジャンル、と思いながら、読んだ。著者はミステリーの作家、らしい。連城三紀彦に近いかな、と思った。主人公が男ばかりだから、著者は男か女か、最後まで、わからずじまいだった。ネットで探した。女性だ。

 花にちなんだ4作品。いずれも、恋愛を軸にした作品だ。年上に焦がれる浪人生、妻に先立たれた男の再婚話、兄貴の片想い、塾講師と教え子、といったものだ。ミステリっぽいラストが、隠し味だ。

 まあ、そこそこ、物語にひたれた。でも連城のような感動や衝撃は、ない。「恋愛小説第一位」なのだろうか。私は、あえていうなら、連城三紀彦『恋文』をあげる。

 ハードボイルドな文体を、もちいてみた。ヘミングウェイの翻訳よりか、片岡義男の文体だ。片岡義男の角川棚は、ハードボイルドに消えた。


『どーなつ』 北野 勇作


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北野 勇作
早川書房 2005-07-21

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 この作品世界はまったくなんなのだろう? 電気熊や火星やアメフラシや異星人などが出てきて、メルヘンっぽくてSFっぽくて、ほんわかとした世界をかもしだしている。意味を理解しようとしたけど、どーでもよくなって、たんじゅんにこのメルヘンの世界を楽しむことにした。

 私がまず気になったのはこの作家は村上春樹のメルヘンの世界をつくろうとしたのかということだ。それともSFからメルヘンに脱線しただけなのか。

 この作家のほかの作品のタイトルは、『昔、火星のあった場所』や『かめくん』、『ザリガニマン』などメルヘンや怪獣もののふざけた言葉をつかっている。よくはわからないが、SF界だけの人のようである。純文学では評価されていないのだろうか。

 こういう不可思議で奇妙な世界を描く作家が、純文学で評価されることがよくある。たとえば安部公房や村上春樹、川上弘美、イタロ・カルヴィーノ、ヴォネガットといった人たちだ。この作家はたんなるSF作家なのだろうか。その線引きの基準というのが私にはよくわからない。

 まあ、とにかくこの作品世界の要素は気に入った。奇妙で、メルヘンっぽい世界は、没入するのがほんわかと楽しい。現実を忘れさせてくれる異次元の世界というのは、メルヘンっぽかったら、なおさらひたりたい。ついでに高尚なテーマが潜んでいたら、格好のメルヘン没入のいいわけになるが、けっこう大人のメルヘンっていいなあと思った私でした。てへ。


『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』 三浦 雅士


4403210805村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ
三浦 雅士
新書館 2003-07-10

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 村上春樹はそれまでの日本文学の流れを変えてしまい、その後の若手作家の多くに影響をあたえた。小説の書き方や作家のライフスタイルといったものだ。芥川や太宰、三島、大江といった流れに村上を位置づけることができない。

 若者の間では80年代は村上春樹で、90年代は柴田元幸だといわれている。なぜ翻訳家が若者のヒーローに祭り上げられたのだろうか、その理由を村上春樹を経由に探っているのがこの本だ。

 私も村上春樹におおいに触発された者としては、謎に迫る前半はかなり楽しめた。ただ私は村上春樹の文学のルーツを探る読書をしたものだが、柴田元幸にいきつく前に社会科学系の読書にいってしまったから、柴田元幸の長大すぎるインタビューは不満であった。

 ヴォネガットやブローティガンはもちろん、ヘミングウェイやスタインベック、世界文学、ピンチョンやバース、バーセルミなどにも村上春樹の影響を探った。でも村上春樹のカッコよさは村上春樹しかいないのだとあきらめるしかなかった。柴田元幸がせっせとアメリカのカッコよさを紹介しているあいだ、私はワケのわからない文学より意味のわかる社会科学の書物ばかり読むようになっていた。

 村上春樹は小説をカッコいい、おしゃれなものにしたのである。柴田元幸はそのカッコよさの源泉を紹介する旅なのだと思う。村上春樹は作家のありようやふるまいも変えてしまった。孤独にマスメディアと関わらないさまがよけいに格好よかった。日本文学の文脈からはなれて、ひとりアメリカ文学に接続してしまったのである。その影響が柴田元幸をとおして、新しい若手作家につぎづきにつたわっているのである。

 村上春樹は完全にアメリカの空気をもっている。羊三部作を読んでいると、アメリカン・コミックを読んでいるみたいな気がする。アメリカのポップ・カルチャーが圧倒的な影響を与えるようになったのは戦後まもなくのことからだと思う。それがなぜいまなのだろう? たぶんそれは高級な文学がまだフランスやヨーロッパの影響をひきずっていたからだろう。村上春樹の登場によって文学にもアメリカの格好よさがようやく浸透したということになるのだろう。

 アメリカが格好いいのは単純に豊かで金持ちの国だからだと言い切っていいだろう。金持ち国家は歴史的にもずっと世界から憧れられてきたのだ。世界中が模倣したいと思うのは世の習いである。村上春樹はいちはやくそのアメリカの空気や雰囲気を自分の中にとりこんであらわれたのだ。そのアメリカの空気や格好よさの源泉を探ろうとする試みが、柴田元幸の翻訳にあらわれているのだと思う。ただし、さいきんの村上春樹はアメリカのカッコよさをどんどん落としてきていっているという気がするけど。


『レ・コスミコミケ』 イタロ・カルヴィーノ


0246674900001.jpgレ・コスミコミケ ハヤカワepi文庫
イタロ・カルヴィーノ
早川書房 2004-07-22

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 宇宙創生を井戸端会議レベルで語ればおもしろいんじゃないかと書かれた作品だと思う。ビックパン以前や地球誕生以前に人間が存在したわけがないので、どのように語り手が存在したのか奇妙な話だが、もちろんたんじゅんに人間の想像力のはちゃめちゃさを楽しめばいいと思う。

 宇宙や大昔の生物に興味がある人には楽しめる物語である。宇宙がただ一点に凝縮していたころの話やビックバン、アトムで遊ぶ話、星々のあいだで何億年もかかるプラカードの掲げ合いなど、理科系が好きな人のための物語である。ただし現代人の概念や言葉が頻出して支離滅裂である。もうすこしストーリがメルヘンっぽかったら、アニメにもなれたんだけどなと思う。

 私が気に入った短編としては「恐龍族」で、生き残った恐龍が、新生物に恐龍は伝説として恐れられているけど恐龍とは信じてもらえない話が印象に残った。なにかを暗喩しているのか、そうではないのか。「水に生きる叔父」は陸をめざす魚が恋した彼女に水に帰られてしまうという話である。なにかカルヴィーノは理想の逆説を訴えたかったようである。

 ありえない話を語るという点でこの作品は小説の自由奔放さをとりもどした作品だといえるだろう。宇宙創生をどのように語るのかと気になったのである。日常やリアリズムより、寓話によってよりテーマが明確になったり、おもしろくなったりすることもある。日常のうじうじ小説はもう飽きてきたのである。


読書感想文の参考になるかもしれない。


 夏休みも終わり、読書感想文で検索してくる人が多いので、私なりのアドバイスをしてみたいと思う。ちょっと遅いかな。といっても私はいまだに小説の読み方がわからないし、小説の多くは十数年前に読んだうろ覚えだし、学生のときは小説なんかほぼ読めなかった。こういうことを書いたらいいんじゃないかというアドバイスしかできません。

『ハツカネズミと人間』スタインベック 新潮文庫
ハツカネズミと人間
 この作品は「善人」について書かれているのではないかと思う。善人というのは人より優れていたらいけないから白痴のようにならざるを得ない。ここから脱線して人より優れたり、劣ったりすることの考察が広げられるのではないかと思う。優秀さというのは他人を劣ったものにするのではないかということを考えてみるのもいいのじゃないかと思う。



『蝿の王』 ゴールディング 集英社文庫
蝿の王
< 無人島での子どもたちの勢力争いは人間の戦争や集団の争いをみごとにあらわしている。権力争いはじつは教室の中でもおこっているものである。びみょうな階層や序列があったりする。そういう自分のクラスの権力派閥を作品にひきつけて考察してみるのもいいと思う。あるいは自分のクラスを無人島において戦わせてみるのも楽しいかもしれない。



『車輪の下』 ヘッセ 新潮文庫
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 世間体を気にする親と好きなことをしたい子とはいつの世でも対立するものである。『車輪の下』にかこつけてひごろの親の批判をしてみるのもいいし、親の理想や世間体を考察してみるのもいいだろう。自分のやりたいことと、親の期待は合うのだろうかと考える機会にすればいいと思う。




『異邦人』 カミュ 新潮文庫
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 これは不条理について書かれた作品だといわれるが、私は人と同じ感情をもたなければならないという感情に対する怒りを描いた作品だと思っている。みんなが楽しいときには楽しいふりをしたり、悲しいときには悲しいふりをしなければならないという強制に対する怒りである。人に合わせること、みんながしているから自分もしなければならないことに対する怒りを書いてみるのもいいと思う。



『月と六ペンス』 モーム 新潮文庫
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 芸術に憑かれた男と俗っぽい世間の対立が描かれた作品だったかなと思う。金とか出世の世間体を離れて、まったく自分の好きなことだけに没頭できる人生をうらやましいと思わないだろうか。現代日本の俗っぽさやいやなところを描きだしてみて、自分の好きなこと、やりたいことを考えてみるのはどうだろうか。




『武器よさらば』 ヘミングウェイ 新潮文庫
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 ヘミングウェイは『老人と海』が定番である。でもこんな年寄りくさい物語を十代でわかるわけがない。釣れた魚を失うというのは人生のことをいっているのかもしれない。いままでほしくて得たもので、失ったり、なくしたものから人生の感じ方はそのようなものかもしれないと考えてみるのがヘミングウェイ流なのかもしれない。『武器よさらば』のほうが若者の恋愛と戦争話だが、テーマは『老人と海』に近い。こっちのほうがいい。私はヘミングウェイの短い単純な文章について語りたい。

『ライ麦畑でつかまえて』 サリンジャー 白水Uブックス
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 『ライ麦畑』は親や大人の世界に反抗しているときにぜひ読んでほしい作品である。親や大人の世界のどんなところが嫌いなのか考えてみるのもいいと思う。なんで親や大人はムカつくのだろう。書くことは、意外に自分の思っていることをはっきりと意識させてくれるものである。




『砂の女』 安部公房 新潮文庫
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 安部公房はワケのわからない寓話を書く作家だが、これは好きなことをしたい男と家庭に閉じ込めようとする女の話だと私は思っている。生活のために妻と子のために働く人生は自分の目標か、それともいやなのか、考えてみるのも一考だろう。




『ノルウェイの森 上』 村上春樹 講談社文庫
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 村上春樹は若者の小説好きを増やした作家である。とくに初期の作品カッコよくてオススメ。『ノルウェイの森』については私ならワタナベトオルくんの孤独についてとっぷりと考察して、自分に与えた影響を考えたいと思う。でも作品のテーマは自殺する人が多いことから生と死だと思うんだが、なんで死んでいったのだろうと考えるくらいしか私にはできません。




『男の子女の子』 鈴木 清剛


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鈴木 清剛
河出書房新社 2002-09

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 関西弁をしゃべる女の子はアホちゃうんかと思った。文章がヘタなのかとも思った。

 小説ってなんのために会話や物語が書かれているのかわからなくなった。なんらかの意味や必然性がある会話や進行がおこなわれているはずだと思うのだけど、さっぱりその必然性がわからない。

 最後の最後に、いや解説によってようやく「わけのわからない他者」、その大きく深い川について書かれているようだということがわかった。もうこれ以上感想も書く気がしない。


『僕のなかの壊れていない部分』 白石 一文


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白石 一文
光文社 2005-03-10

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 白石一文はぶあつい文庫が何冊か出ていて、はじめて読む本は選びにくかった。この本は表紙のくま?のイラストがかわいいし、タイトルもインパクトがあるし、ポップな内容なのかなと思ったけど、てんで違った。

 重い。主人公は性格が悪い。知的な会話で相手を責める物言いは容赦がない。ストーリーもほとんどあってないようなものである。

 思弁小説である。人生の生きる目的や生や死を深く問いつめていて、その真摯に考えるさまはよいものがあると思うけど、私はめったにそのようなことは考えないので、興味がある人には深い思索が提供されるかもしれない。線をひきたい箇所は何ヶ所もあった。私はほえ〜、そういうことを考えて生きるているのか、と参考になった程度である。

 もしかしてドストエフスキーをめざしているのかと思ったりするが、こういう生や死を深く考える作家というのは近ごろではそうそういないのではないかと思う。それにしてももうすこし物語でそれを語ってくれよといいたくなるが、でないとハードすぎて小説としてはおもしろみがないと思う。思索を読んでいるとなんとなく宮本輝を読みたくなった。


『肩ごしの恋人』 唯川 恵


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唯川 恵
マガジンハウス 2001-09

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 唯川恵というのは女のVSを描く作家だと思う。生き方や性格の違う女性を対立項として登場させるのである。いうなれば選択の迷いである。あれもこれもなれたかもしれない女性の選択の可能性を何パターンも比較しているのである。

 この作品で比較されているのは結婚を何度もする女と結婚したくない女、または女を武器にする女と、女であることを弱点と思う女である。こういう比較をすることによって女性の選択の良否を探ってゆくのが唯川恵の作品の特徴だと思う。

 唯川恵はほかのさいきんの女性作家とくらべて安心して読むことができる。ふつうに楽しい。じつにフツーっぽい等身大のOLや女性たちが主人公なので身近に感じることができる。ふつうすぎるから直木賞には値しないとかもいわれるかもしれないが、ふつうだからこそ、そんなことも関係なしに読者には読まれる作家なのだと思う。恋愛や人間の観察眼にもためになることもあるし。

 作品を読んでいるときにいつも気になるのは唯川恵本人の幸福や状況のことである。いろいろな女性の陰には唯川恵自身の幸福観や選択の迷いが透けて見えるように思うのだ。作品の登場人物より、唯川恵本人は幸福なのかどうかばかりが気になるのである。

 選択の迷いをつむぎ出しつづけるこの女性作家はいまも選択の分かれ道でとまどっているように思えるのである。それはおそらく選択が無限に楽しめる消費社会の、けれども人生は何度も選択できないという矛盾の中に、多くの人がおかれていることと重なり合うのだろう。

 「カネでモノは買えても、人生は買えないのである。」


『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア


4150102627タイタンの妖女
カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
早川書房 2000

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 ヴォネガットは初期の村上春樹に濃い影響をあたえたから気になる作家になった。そうでなかったら、ユーモアやシニカルさは楽しいけど、私にとってはストーリーはイマイチというこの作家の何作も読まなかったと思う。

 いわば村上春樹の滋養や栄養分を味わいたいがゆえに読んでいたといえる。それ自身のみの魅力となったら私にはその作品を手にとっていたかはアヤシイ。好きなアイドルが読んでいたから読んだという本に近いのである。

 『猫のゆりかご』『チャンピオンたちの朝食』『スローターハウス5』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』と読んだ作品は、いずれもヴォネガット特有のシニカルさやユーモアはこの人にしかない卓越した素質だと思うのだけど、ストーリーを読ませる魅力はあまりなかったように感じるのである。

 ヴォネガットは日本の村上春樹人気にあやかってどれほど読まれたのかわからないけど、こういう読まれ方をしたとするのなら、ヴォネガット自身にはよいことだったのか、不幸なことだったのか、むずかしいところだと思う。村上春樹のオーラや文壇の評価がなかったら、SFのヘンなユーモア作家くらいのイメージしかもたれなかったと思う。

 『タイタンの妖女』というこの作品は全能者の宗教家(?)に大富豪が操られるという話だが、ヴォネガットのシニカルな文体はたまらないと思うけど、ストーリーはなんだったのかな〜という感じが残った。私はテーマやストーリーを読みこなすのがかなり貧困だからまったく正当な判断ができないが、人類の目的に意味なんかないみたいなことをいっていたのかな〜と思う。

 記憶を消される軍隊のシーンがおもしろかったくらいで、ストーリーにはあまり魅力を感じなかった。でも何度もいうけど、ヴォネガット特有のシニカルなユーモアはほんとにこの人にしか書けないものだ。


『見えない都市』 イタロ カルヴィーノ


4309462294見えない都市
イタロ カルヴィーノ Italo Calvino 米川 良夫
河出書房新社 2003-07

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 イタロ・カルヴィーノは『まっぷたつの子爵』『不在の騎士』を読んだことがある。コミカルな寓話が楽しかった。

 大人向けの寓話ってけっこう楽しめると思う。いっときの童心に帰る楽しみを想い出させてくれるし、すぐにテーマがわかる内容ならなおさらいい。難解で意味もわからない寓話は願い下げだけど。カルヴィーノは安部公房のような寓話に近いと思う。あと村上春樹ももちろんそうである。ほんわかとした寓話の味わいが安らかである。

 ひさしぶりに小説の本棚を見てみたら、カルヴィーノの文庫が何冊も出ている。この本はマルコ・ポーロがチンギス・カンにいろいろな都市の話をするという内容である。「都市と記号」「都市と欲望」「都市と眼差」といったタイトルは現代思想的である。

 はっきりいって、私のイメージ力の貧困さからほとんど都市のイメージがわいてこなかった。なんでこんな話をするのかも、なんのためにこのような話をするのかもちっともわからなかった。都市論や文明論に見えるけど、物語る行為を問うているのかもと解説に書かれてあった。まず私には読解できない本であった。


まっぷたつの子爵不在の騎士柔かい月

『アメリカ文学のレッスン』 柴田 元幸


4061495011アメリカ文学のレッスン
柴田 元幸
講談社 2000-05

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 柴田元幸はアメリカ文学の紹介者として村上春樹とともになくてはならない存在であるそうである。私は村上春樹のカッコよさや影響から逃れたいとずっと思ってきた。アメリカ文学を読むというのは村上春樹の圧倒的な影響力から脱するということでもある。でも村上春樹のひとり勝ち状態はまだつづいているのだろう。

 この本は名前や食べる、建てる、破滅、勤労、ラジオといったキーワードからアメリカ文学を縦横無尽に語った本である。人生の薀蓄や深みについて達しそうな考察や、社会学的・歴史的考察がきらりと光るところはあるのだけど、う〜ん、偉そうなことをいうけど、もうあと一歩かなという感じかな。感動や深遠さには達していないと感じるのである。

 アメリカといえば、フランクリン流の「アメリカン・ドリーム」だけど、やっぱり私はヘンリー・ミラーの次のような言葉に共感する。

 「あっちじゃみんな、いつの日か合衆国大統領になることしか考えない。〜こっちは違う。〜もし何か一丁前の人間になったとしたら、それは偶然であり、奇跡なのだ。
 〜だが、まさにチャンスがほとんどないからこそ、希望がほとんどないからこそ、こっちでは人生も楽しい。一日、一日ただ過ぎていく。昨日も明日もない。〜とにかく、絶対に絶望しないこと。
 〜希望のない世界、だが絶望もなし。」


『現代小説のレッスン』 石川 忠司


406149791X現代小説のレッスン
石川 忠司
講談社 2005-06-17

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 新しい読みたい作家を見つけてくれるガイドブックを期待したのだが、違った。つまらない近代文学を現代作家がどう乗り越えようとしているかの話で、そんなことは私ほぼ興味がない。だからテーマの根幹が楽しめない。現代作家のおもしろさを見つけてくれる本のほうがよかった。

 文芸評論の本ってこんなことにだれが興味あるのだろうという印象がある。教育関係の人しか読まないのではないかという偏見がある。ひとりの作家、ひとつの作品やトピックを長々と論じる興味や根性はどこからわいてくるんだろうと思う。私は文芸評論は社会問題や時代の問題にコミットメントしてほしいと思うのだけど、そこではじめて興味をもつことができるのだが、違うところに価値があるようである。

 おもに村上龍や保坂和志、村上春樹など論じられている。村上春樹の喪失感は恋人の自殺があったからではなくて、まずはじめから喪失感や罪悪感があり、それを打ち消すために原因がデッチ上げられるというのはなるほどと思った。フロイトは犯罪者に強い罪悪感がはじめからあり、それを打ち消すために犯罪を犯すのだといったが、その構造が村上春樹の作品群にみてとれるというのだ。

 この本は帯に新しい作家がいろい書かれていたからそういう本を期待したのだが、本を選ぶときは内容をしっかりと確かめようということでした。新しい魅力的な作家を紹介したブックガイドはないものかな〜。


『あしたはうんと遠くへいこう』 角田 光代


4043726031あしたはうんと遠くへいこう
角田 光代
角川書店 2005-02

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 角田光代はふつうになれない人たちを描くという話をどこかで読んだことがあり、気になる作家になった。就職したり、結婚したりというふつうにはなれない若者たちがどんどん増えているのだ。ふつうは拒否したいのだが、ふつうからこぼれ落ちるのもつらいという時代なのだろう。

 この小説は初めての恋愛小説と銘打たれているが、悲惨な恋愛話ばかりである。高校からはじまって、30過ぎまでちっとも関係がつづかない物語が、当時の音楽と絡めながら語られてゆくのだけど、あまり気分のいいものではない。

 主人公は自分を軽くあつかいすぎるのだ。恋人やつきあう男も同じだ。そうして新しい男と長つづきしない関係をくりかえすことになる。

 反省や自己分析をしないのかと思うが、関係がうまくいかない原因を見つけるのってだれでもむずかしいと思う。わからないのである、なんでこの関係がうまくいって、この関係がうまくいかなかったのかって。

 安野モヨコの『ハッピーマニア』みたいな恋愛狂に近いと思うが、こっちのほうがリアルであり、ギャグですまないところがあり、自分をぜんぜん大切にしていないってことが浮き彫りになる。たぷん恋愛のときめき感だけに魅かれて、関係を深めるってことが重要に思えないんだろう。信頼や信用のない浅い関係ばかりがつづいてゆくことになる。

 でもやっぱりそこには親の家庭で見た終身婚の軽蔑や不快感があるのだろうと思う。ふつうで健全な関係というのはムリをしているのだが、そこを暗黙の目標にしてしまうところが、私たち後続世代のなんともいえない欠損感をもたらすのではないかと思う。終身結婚制度は壊すべきなのか、健全な目標でありつづけるべきなのか。

 この物語を読んでいる最中、著者の角田光代自身の恋愛談が書かれているのかそうでないのかとずっと気になったが、小説って個人的体験の狭い範囲に規定されるものではないかと思う。それは読む価値あるものなのだろうか。小説は普遍的体験を描きえるものなのか、疑問に思った。


『あたしのマブイ見ませんでしたか』 池上 永一


4043647018あたしのマブイ見ませんでしたか
池上 永一
角川書店 2002-04

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 むかしの日本人は霊魂をどのように捉えていたかということに興味をもっていたときに気になっていた小説で、いまは小説を読みたい時期なので読んでみることにした。「マブイ」というのは沖縄でいう「魂」のことである。

 むかしの日本人はよく魂を抜けるだとか、抜けない工夫とかをしていたのである。この小説にあるようにそんなことを本気で信じられたのだろうか。魂がうろうろするような世の中って、怪談以外なら、けっこう魅力的な世界観に思えるんだけどな。

 この短編集はそのような不思議で奇妙な沖縄(石垣島)の世界を語ったものである。私は短編を読んでも物語が記憶に残らないことが多いのだが、この作品群はいずれも印象に残った。といってもものすごくよかったわけでも、よくないわけでもなかった。ビミョ〜なところである。

 怪談をめざしているわけでもないし、ファンタジーというよりかかなり現実的な話だし、マブイとかユタなどの神秘的な世界がまだリアルに生きている日常を垣間見せてくれる点では興味が魅かれるのである。

 科学的・合理的世界観はそのような闇の世界を葬り捨ててしまったが、神秘や不可解がのこる世界のほうが魅力的な気がするんだけどなぁ。神秘が日常に同居した生活というのは、われわれも子どものときにもっていたものだし、日本人も何世代か前までは抱いていたものである。頭の中でわかり切ったと思う世界ほどつまらないものはない。


『アメリカの鱒釣り』 リチャード ブローティガン


4102147020アメリカの鱒釣り
リチャード ブローティガン Richard Brautigan
新潮社 2005-07

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 ブローティガンがいまごろ文庫になっている。読んでみようかという気になった。『愛のゆくえ』という作品がゆいいつ文庫で読める作品だったから読んだことがあるが、図書館のファンタジーであまり意味がわかるものではなかった。そして今回は――。

 うへへ。「アメリカの鱒釣り」なるものがなんなのかさっぱりわかりませんでした。短い断章ばかりだからすいすい読みやすいのだが、なにを意味するのか皆目見当がつかない。そういう意味やメッセージの拒否がしくまれているのかとも勘ぐるが、あるいはちゃんと象徴されているものがあるのかもしれない。

 ブローティガンはやはり村上春樹がおおいに影響をうけたという点で気になる作家である。初期の村上春樹はこのブローティガンとヴォネガットに強い影響をうけたのがよくわかる。重厚で写実的な物語の拒否は、ポップで現代的なスタイルをもたらしたのである。村上春樹はこの路線から離れていってカッコよくなくなっていった。越える作家はいないものか。


『パイロットフィッシュ』 大崎 善生


4043740018パイロットフィッシュ
大崎 善生
角川書店 2004-03-25

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 しずかな、青春を回想する小説であった。19年ぶりにかかってきたむかしの恋人の電話から物語ははじまり、そのころを回想してゆく物語なのだが、彼女が見つけてきた出版社がエロ本の雑誌だったところから、どうなってゆくんだろうと話はおもしろくなった。

 「人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない」と冒頭でのべられているように、この小説は人は記憶に拘束されて生きるというのがテーマであるようである。大人たちの生き方を否定した高校時代の友人が発狂してゆく様にそのテーマが見てとれる。

 ただ私は過去の記憶をほぼ重要だと思わない人間なので、すぱすぱ忘れ去ってゆくことを信条としているので、このテーマの意味がいまいちわからない。記憶に拘束されてしまうのは自分自身の姿勢の問題だと思う。こういうメロドラマ的姿勢は感傷的な物語を美化するが、心の持ち方としては賢明ではないと思う。記憶と感情に蝕まれるだけであり、そういう姿勢は捨て去ることもできるのである。

 タイトルのパイロットフィッシュは高級魚に適した水槽の環境をつくるために生態系を用意する魚のことをいい、のちには捨てられる。はて?、物語とどう関連しているのかがわからない。


阿修羅ガール』 舞城王太郎


4101186316阿修羅ガール
舞城 王太郎
新潮社 2005-04

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 女子高生のうだうだしたひとり言文体はかわいかった。好きでもない男とエッチして悩むような日常的な物語がえんえんとつづけばよかったと思うのだけど、二部からは話が飛んでワケがわかんなくなる。

 アルマゲドンという凶暴な騒乱や、音や声を発すると怪物に殺される森の物語、三つ子を殺したグルグル魔人の独白なんかが出てきて、話についてゆくのがかなりむづかしくなる。

 私が解釈するには自己嫌悪や自己憎悪が殺戮や凶暴性をまねくのだ、この物語に出てくる女高生や森の怪物、子どもを殺したグルグル魔人に通底するのはそれらなのだといっているように思う。

 ある仏像職人がなんども阿修羅像を壊して新しくつくりなおしたように、自分たちを嫌悪し破壊しようとする心に殺人や凶暴性が宿るのだといっているように私には思われた。――かな〜?

 まあ、おそらくこのころは犯罪少年ブームで、そういう少年たちの心を主題にしたのではないかと思う。いまはそういう話題はウソのようにすっかりなくなり、マスコミと心理学者が結託したあの犯罪少年ブームってなんだったのだろうと思う。マスコミという知識の商売に乗せられただけなのだろうか。マスコミによる自己反省がまったくなされていない。

 舞城王太郎という作家は純粋に作品だけを評してもらたいから世間にはいっさい顔を出していないそうである。たしかに作家がアイドルとかヒーローになるのは恥ずかしい。自我のナルシズムの肥大を小説はまねいているように思われる。そういう物語自己はコッ恥ずかしい。「物語的自己に酔う私」というのがいやだったから、私は小説を読めなくなっていたんだっけ。

 舞城王太郎はけっこうおもしろそうだからまた読もうかな。


『山背郷』 熊谷 達也


4087477649山背郷
熊谷 達也
集英社 2004-12

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 かなりよかった。山や海で生きる人たちの姿を描いて、サラリーマンや会社生活しか送るしかない現代人とはべつの生き方を夢想させてくれるという点で、これはかなり興味津々に読めた。

 都市生活者のわれわれの何世代か前の人たちはこのように自然に向かって生きていたのだ。私はそのような猟師や漁師の生き方とはどのようなものだったのか、漠然と興味をもっていた。せせこましい会社生活以外のほかの生き方はできないのか、という興味があったのである。

 舞台は東北だが、海や山で生きる人たちの内面や生き方を垣間見れた。おそらく民俗学に興味がある人や、網野善彦の農耕民族以外の日本人に興味がある人には、かなり楽しめるのではないかと思う。

 ただ物語の深みや感嘆させる結末などはなくて、物語としてはあまりうまくないように私には思われた。民俗学的、歴史的日本人といった姿を見るにはひじょうに適していると思うのだが。

 いまごろなんでこんな作風の作品が出てきたのだろうと思うが、著者の熊谷達也は1958年宮城県生まれで、動物好きの作者はニホンオオカミの調べものをしているうちに東北の歴史に興味をもったようである。

 人の顔色ばかり気にしているサラリーマンやひ弱になった都市生活者は、かつて大自然の中で骨太に自然と対峙して生きてきたたくましい日本人の姿に、憧憬と畏怖の念を感じないわけにはゆかない。あ〜、こんな野性的な生き方ができたらなあと思う。


『娼年』 石田衣良


4087476944娼年
石田 衣良
集英社 2004-05

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 新しく出てきた作家を読んでみたいことと、やっぱりエロいものに魅かれるのは男のサガか、石田衣良のこの本を手にとった。大学生が娼夫になる話である。

 少年が性や欲望の深みを知ってゆくという成長物語のようである。そして幼いときに死んだ母への悲しみが癒されるという話でもあった。女性の欲望を知ることによってなぜ癒されたのかは私にはわからなかったが。

 性が売買されることへの批判的観点はほとんどなく、どちらかというと性や欲望を知ることが肯定されるような物語だったように思う。女性の性や欲望が淡々と描写されている。

 ここには売春への批判や終身恋愛観へのしがみつきが微塵もなく、日陰の生活であるというやましさや不安もほとんどない。欲望を人間の中のふつうにある要素として受け入れているだけである。まるで社会通念や社会道徳がないかのごとくである。

 そういった色づけのされない世界には、「悪く」もない、「けがらわしく」もない、無色透明の欲望があるだけである。ものごとの「良いか悪いか」を裁いてしまう自分が解きほぐされてゆくような物語といっていいと思う。


『NHKへようこそ!』 滝本竜彦


4043747020NHKにようこそ!
滝本 竜彦
角川書店 2005-06-25

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 電車で読む文庫がなかったことと、新しい現代作家を読みたいということで、とりあえずこの本を読んでみた。ブッ飛んだひきこもり具合がおもしろいかな、と。

 どうなんでしょうかね〜、さいきん小説なんかめったに読まないから、小説自体がなんのために、だれに向かって、なにをいうために存在しているのかよくわからなくなっているのですが。

 この小説に出てくる登場人物はひきこもりとロリコン・オタクと家庭に事情をかかえた少女という不幸を背負った者ばかりである。そういう底辺をのたうちまわりながら、ブッ飛んだ思考や行動がおもしろおかしく描かれている作品である。

 少女はプロジェクトと銘打って主人公をひきこもりから脱出させようとするのだが、彼女自身も自分よりダメ人間と思われるひきこもりを救うことで自分を癒そうとする少女であった。まあ、なんやかんやでひとりひとりふつうのレールに戻ったのかな〜?という話でした。

 ひきこもりについて思ったのは顔に泥を塗られるのをひじょうに怖れるということである。自分の恥に自家中毒しているのではないかと思った。少女は自分より劣った人間を探すことにより救われようとしたが、ひきこもりも世界中のもっと恥を負った人を見つければいいのではないかと。

 主人公は世界に悪や陰謀を見つければ癒されると思ったりするのだが、さいごは少女と死なないと拘束しあうことで幕を閉じる。いうなれぱ、不幸からの脱出するための思考法がずっと模索されているのがこの小説といえるのではないかと思う。


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